下
短編(?)です。
1:左平(仮名) 2005/01/01(土) 02:36 [左平(仮名) ] 文と威 一、 (むっ…。ふぅ。だめか。体が動かぬ。おれもこれまでってことかな…) 男は、心の中でそう呟いた。 倒れてからまだそんなには経ってはいないので、これといった衰弱の色は見えない。 この人は死病に冒されている。この場面でそう言われたとしても、納得できる人はいないであろう。なにしろ、男は人並み外れた膂力の持ち主として知られており、その筋骨には目を見張るものがあるのだから。 しかし、得体の知れない病魔は、確実に男の体を蝕んでいた。男の体のあちこちに、健康な時では有り得ない痛みやだるさがある。そしてそれは、弱まるどころか、時が経つに連れてより一層激しさを増すのである。 男は、かすかに首を傾け、目を開けてみた。男の体は、いま牀(寝台)に横たわっている。その周囲には、数人の男女が心配げに佇んでいるのが見えた。家族と、側近の者達である。 皆、若い。年少の者は十代、年長の者でも、知命(五十歳)に達しているかどうかといったところである。なにしろ、彼らの主であるこの男自身、まだ三十の半ばという若さなのだ。 「殿下はいかがなされたのであろうか。今まで病らしい病に罹られたことなどなかったのに。わしにはさっぱり分からぬ」 「わしにも分からぬ。昨日参内なさった時には倒れる気配などみじんも感じなかったのだが」 「そうじゃ。倒れられたのは、参内を終えて公邸に戻られてから…。よもや…」 何か触れるのが憚られる話になったのか、急に声が小さくなった。 「まさか!その様な事が…」 「いや、有り得んとは言い切れぬかと…」 「確かに…殿下は立場的にケン【西+土+β】城王、いや、今は雍丘王であったか…に近いお人ですからな…」 「しかし…殿下は陛下の弟君ではないか…それをどうして…」 「それを言えば、雍丘王とて同じではないか。殿下も雍丘王も、陛下とは同母兄弟なのですぞ」 「う、うむ…それはそうなのだが…」 (何かと思えば。またその様な話か…) 男にとっては、体の痛みよりも、そのような話の方が不快であった。しかし、彼らの話はとめどもなく続いている。
2: 左平(仮名) 2005/01/01(土) 02:37 ふと気付くと、何やら足音が聞こえた。と思うと戸が開けられ、そこには息を切らした少年が立っていた。嫡子の楷である。 「父上!しっかりしてくだされ!」 彼には、今までひそひそ話をしていた家臣達の様な不快さは感じない。彼はただひたすらに父親の身を案じている。その純粋さこそ、男が愛でるものである。 「その声は…楷か…」 いまは、声を出すのも辛い。しかし、楷の哀しげな顔は見たくない。何とか力を振り絞って声を出した。 「はい!父上、もうしばらくのご辛抱です。ただいま典医を呼びましたゆえ、気をしっかりとお持ちくだされ」 「そうか…」 我が子が衷心から自分の身を案じてくれていることは嬉しい。しかし、典医が間に合ったところで、無駄であろう。 なぜか、男にはそう思えてならなかった。 自分の体の事は自分が一番よく分かっているなどと言うつもりはない。しかし、自分の命は、もうここらへんでおしまいではないのか。どうもそんな気がしてならないのである。 (まぁ、武人として腕を振るう事も無いだろうしな。長生きしてもしょうがないか。楷ももう童子ではないし、おれが死んだとしても何とかなろう。陛下にとっても甥にあたるのだし…) (ただ…。三十年余りも生きてきて、為しえた事はこの程度か、とも思う。武人として名を挙げんと欲したが、手柄らしい手柄といえば、五年前の烏丸討伐くらいだしな。先帝…いや、父上から見て、おれはどうだったのであろうか…) そんな事を考えながら、男の意識は徐々に混濁していった。気分は悪くない。いや、むしろ心地よいくらいである。 (死ぬ間際というのは、こういうものか。何か、初めてではない様な気がするな。なぜだろうか…) (ああ、あれは亡き長兄…。懐かしいなぁ。そう、おれが武人たろうとしたのは、ちょうどあの頃の事だった…)
3:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:21 二、 「誰だ!牆垣を壊したのは!…彰、またそなたか!」 「ごめんなさい!つい…」 「ごめん、とかつい、ですむか!こっちに来い!おしおきだ!」 (そうそう、たびたびものを壊したから、よく父上には叱られてたなぁ。ただ…) 「これに懲りたら、もう二度とこの様な事はするでないぞ!それと、もっと体を大事にせい!怪我をしておるではないか!」 「は−い、分かりました」 「軽々しく考えるな!人の体というのは存外弱いものなのだぞ!」 (あの時に限っては、なぜか父上が怖いとは思わなかった。むしろ、おれの体を気遣ってて、妙に優しげに見えた) 「あたた…。今頃になって痛くなってきた…」 「どうした、彰。冴えない顔して。ははぁ、また父上に叱られたか」 「あ、兄上。『また』は余計ですよ」 「余計ったって、事実だろ。まぁ、兄として一言言っとくよ。体が健やかなのはいいけどな、そなたも曹家の子の一人として恥ずかしくないよう、そろそろ何か始めろよ。そなたもいつまでも子供じゃないんだしな」 「何かって…何をすればいいんですか?」 「いろいろあるだろ。『六藝(礼、楽、射、御、書、数)』とか『六経(詩経、書経、易経、春秋、礼記、楽経)』っていうくらいなんだから。父上はそれらの全て、おまけにあれやこれやと極めておられるというが、そなたにはそこまでは求められんだろう。何か一つでもいいから打ち込んでみろよ」 「分かりました。何がいいか考えてみます」 「ああ」 (ただ…そうは言われても、どういうわけか、おれは書物を読むのが苦手でしょうがなかった。じっと座ってられないというわけではないが、あの『字』というやつがどうにも馴染まなかったんだよな…。で、ふと気付くと、おれは兄上のところに来ていた…)
4:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:22 「どうした、彰。めずらしく考え事か」 「もう、兄上まで。『めずらしく』はないでしょう。わたしだって考え事の一つもしますよ」 「なんだ、私より先に何か言われてたのか」 「ええ、さっき、長兄に言われたんですよ。『何か一つでもいいから打ち込んでみろよ』って。何がいいんでしょうか」 「何、と言われてもなぁ。私は一通りやってるから、そんな事なぞ考えもしなかったが」 「ひ、一通りですか。長兄は『父上はそこまでは求められんだろう』っておっしゃってましたけど…」 「確かにな。私達は庶子に過ぎぬ。嫡男である兄上とは異なる立場だから、そうおっしゃるのも無理はない」 「じゃ、どうして兄上は…」 「父上からみれば庶子の一人だが、母上の子としては、私が長子だ。その私がいい加減な振る舞いをしてみろ。母上まで謗られることになりかねん。違うか?」 「それは…」 (兄上の、そしておれが当時置かれていた立場がどの様なものであったかなどとは、それまで考えた事もなかった。やはり兄上は並みのお方ではなかったという事だな) 「それに…」 「それに?」 「いや…今のは忘れろ。ともかく、庶子だからといって安穏としていられるとは思ってはならぬという事だ。ましてや、今は大変な時代だからな」 「分かりました。ただ…どうもわたしは兄上の様にはいかないみたいです」 「そうか。それなら無理にとは言わん。だがな、一つ言っておく。そなたは曹家の子であり、母上の子でもある。そなたの身はそなた一人のものではないのだという事を、くれぐれも忘れてはならんぞ」 「はい。不才ながらこの彰、できる限りの事をいたしましょう」 「はは。そなたからその様な堅苦しい言葉が出てくるとはな」 「もう、兄上ったら」 (あの頃の兄上…今は陛下だが…とは気軽に話せたな。長兄とは親子ほども年の差があったからちょっと身構えてたけど、兄上とは同母兄弟で年も近かったし、それに、何だかんだ言っても、互いに庶子という気楽さもあったのかな…)
5:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:23 三、 (ともかくおれには、おとなしく書物を読むという選択肢はなかった。武芸しか選びようがなかったってわけだな) 「それでは、武芸を学びたいと思います」 「武芸か。となると、射術、馬術、それに撃剣といったところだな」 「じゃ…まずは射術を」 「そうだな。射術は、道具と的さえあれば一人でもできるからな。どうだ、試しにやってみるか」 「えっ、いいんですか?」 「ああ、さっきまでやってたからな。道具も、ほら、ここにある」 「ほんとだ。じゃ、早速ですけどやってみます」 「弓の引き方、分かるか?」 「え−と、見た事はあるんだけど…よく分かりません」 「こうするんだ。よく見とけよ」 「はい」 (兄上は六歳で射術を、八歳で騎射を体得されたという。胡人ならともかく、中華の人がこの年で体得するというのは大変なこと。考えてみると、おれはいい師に恵まれたもんだ) 弓から放たれた矢は、わずかに放物線を描くと、的のほぼ中心に当たった。腕に覚えのある武人でもこれほど見事には当たるまい。そう思わせるほど、丕の射術は優れていた。 「さあ、やってみろ」 「え−と…こんな感じですか」 「まずは何でもいいから弦に矢をあてがって引き絞り、そして放て。やってみん事には何とも言えん」 「む〜、えいっ!…ありゃ」 「…いかんな。まずは矢を放つことからだ。もう一回!」 (そう簡単にはいかなかったけど、しばらくやってるうちに、ともかく矢を放てるようにはなった。で、初めて的をめがけて射た…)
6:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:24 「どうだ。このあたりの的を射てみるか」 「はい。ところで、どこを狙えばいいんですか?」 「まぁ、的の中心だな。矢を放てるからといって、狙ったところに放てん事には意味が無いからな」 「え−と…」 「おいおい、的の中心が分からんのか?しょうがないな。今回限りだぞ」 「じゃ、いきますね−」 「よし、いけ」 (おれに気遣ってか、的の中心に墨を塗ってくださった。兄上は『小さい点を描いただけだ』とおっしゃってたが…気のせいか、おれには大きく見えた。おかげで、狙いが付けやすくなったなぁ) (『荘子・田子方篇』にいう。『列禦寇、伯昏無人の為に射る。これを引きて盈貫し、杯水を其の肘の上に措く。これを発するに、適矢は復沓し、方矢は複寓す』…理想は「不射之射」だが我らには「射之射」で足る…ゆえに、この時の列禦寇の姿を模するべし…。なぜだろうか。そういえばあの時、こんな言葉が頭をよぎったな。『荘子』なんて読んだ事もないから本当かどうかも分からんのに。ともかく、その言葉どおりに弦を引き絞って矢を放った…) 「えいっ!」 (…矢は、見事に的の中心に当たった。後で考えると、この時、実にいい姿勢で射たんだよな。あれがなければ、おれは武人にもなれなかったかも知れん。そう思うと、ほんと、よく当たってくれたもんだよ) 「すごいな、彰。そなた、ひょっとたら弓の名手になれるかも知れんぞ」 「そうですか?それは褒め過ぎでしょ」 「いや、分からんぞ。これからどんどん鍛えれば、あるいは…。そうなってくれれば、私も、そなたの兄として誇れるというもんだ」
7:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:24 四、 (兄上に褒められるなんて、そうそうある事じゃなかったからな。おれは嬉しくて、毎日飽きることなく射術の鍛錬にいそしんだ。もちろん、騎射の鍛錬にも励んだ。こう言うと我褒めになるが、武術については、おれも兄上並に早々と体得した。あの頃は、本当、楽しかった…しかし…) −建安二(197)年、長兄・昂、討死。ほどなく、昂の養母で正室の丁氏が離縁された。それに伴い、側室だった卞氏が正室となり、次兄の丕が嫡男になった− (長兄が亡くなられてから、兄上は名実共に後嗣になった。早くから六藝・六経を学んでおられたのは、乱世を憂え、こういう事があった場合に備えていたからだったのだ。そう想うと、おれはまだ気楽なものだったな…) (…その後、おれも父上につき従って幾つかの戦いに臨んだ。呂布との戦い、劉備との戦い、そして袁紹との戦い…。兄上が遭遇したような危難には結局遭わなかったが、父上や兄上の姿、それに長兄の最期を思うにつけ、このままでいいのかという想いがあった。しかし…この様な時代の中で、おれはどうすればいいのかは分からずにいた…) 長ずるにつれて、彰の体は父・操や兄・丕よりも大きくなり、体格に応じた骨肉と膂力を備えるようになっていった。中でも膂力は、父の配下の武人達にもまさる程であった。しかし、それでも身の丈は八尺(当時の一尺≒23pなので、約184p)には満たず、特に恵まれた体躯というほどではなかった。 (ほんと、許チョ【ネ+者】が羨ましくてならなかった。あいつは軽く身の丈八尺を越えてるし、胴回りも太いから、その図体だけで父上や兄上を守り通すことができる。おまけに、牛の尻尾をつかまえて引きずることさえできる怪力の持ち主ってんだから…。父上から見ると息子と護衛だから立場は違うとはいえ、自分が許チョ【ネ+者】に劣っていると想って焦燥感ばかりが募ったもんだ) (そんな頃だったな。あいつらに出会ったのは) それは、父・操による袁氏掃討が、いよいよ大詰めを迎えようという頃だった。彰は、そろそろ志学(十五歳)を迎えようとしていた。
8:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:25 「父上、お呼びですか」 「おお、彰か。入れ」 「はい、では」 「なに、そうかたい話ではない。…そなたの武術の腕前は相当なものというが、自分ではどの程度だと想う?」 「はぁ…。我流としてはなかなかだと想いますが、実践の機会がなかなかありませんから、何とも…」 「そうか。まだまだ鍛えなければというところか」 「はい」 「それなら、うってつけの者がいるぞ」 「えっ?それは一体…」 「近頃わしのもとに来た胡人の男だ。身分こそ低いが、武術の腕前は我が配下の猛将どもにも劣らぬぞ」 「配下の…と言いますと、あの張将軍(張遼)と比べても、ということですか」 「うむ。立ち合わせたわけではないから正確な比較はできんが…わしが見たところ、そう見劣りはせんだろうな」 「それほどの方がなぜ将になられないのですか?」 「わしにもよく分からん。何でも、本人にその気がないということだ。その気がない者を将にはできぬ。身分が低い者では不満か?」 「とんでもない。張将軍にも劣らぬ方となれば、喜んで師事いたします」 「そうか。なら決まりだな。おい、冒突、入れ」 「お呼びですか、殿」 冒突と呼ばれた男が入ってきた。彰より一回り大きいだろうか。いかにも歴戦の武人といった、精悍な面構えである。 「これは、我が仲子の彰だ。武術を好む。そなた、これの師として武術を教えてやってはくれぬか」 「殿のご命令とあらば、喜んで」 「よし。では早速、指導に入ってもらおうか」 「はい。若殿、それでは別室に参りましょう」 「えっ?武術の指導を受けるのに、どうして室内なんですか?」 「指導の前に、若殿の人となりを拝見しとう想いまして」 「そうか、そうだな。彰。しっかり教えを受けてこいよ」 「はい」
9:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:26 五、 「若殿、どうぞおかけ下され」 「はい」 「まずは、そのご尊顔をとくと拝見しとうございます。…それにしても、漢人には稀なお姿でございますな」 「そうですか?鏡を見たこともあるけど、そんなに変わってるとは思いませんが」 「お気付きではありませんか?その髪、そして眼の色を」 「ん?髪?眼?まぁ、確かにちょっと色が薄いみたいですけど…それが何か?」 「その髪、眼の色は生来のものですよね。そして、既に騎射を体得なさっておられる」 「そうですよ。まぁ、騎射は我流というやつですが」 「となると…。若殿、あなた様は大変なお方ですな。既に、世にも稀なる武人でございますぞ」 「え?どういう事ですか?」 まだ実際の動きも見てないのに、たかが髪と眼の色一つで、何をおおげさな。彰はそう思った。しかし、それに構わず冒突の話は続いた。 「若殿。あなた様の様なお方は、普通、武人にはなれぬのですぞ」 「?」 「それでしたら、問いましょう。若殿。あなた様は、書物を読まれるのが苦手ですな?」 「そうですけど…それと武術と何の関係が?」 「書物を読みたくないのは…書かれている内容が理解できないからというより、字を読むのが苦しいから。違いますか?」 「ん!ま、まぁそれはあるかな。話を聞くぶんにはそんなに苦にはなりませんが…」 「さらに問います。昼間はおろか、夙夜にあっても眩しいと感じる事がしばしばあるのではないですか?」 「確かに…。な…なにゆえそこまで分かるのですか?」 「分かりますよ。似た様な者を見た事がありますからね」 「あなたは一体…」 この男、何者なのか。どうして自分の事をこうも言い当てるのか。彰は、珍しく背に汗が浮かぶのを感じた。
10:左平(仮名) 2005/01/02(日) 01:26 「私ですか?私は匈奴の出ですが、別に特別な者ではございません」 「匈奴には私の様な者が多いのですか」 「いえ、特に多いというわけではございません。たまたま、私がその様な者を見知っていたというだけの事です」 「その者はどの様な者だったのですか?」 「今、私が申しました通り、その者は眼が弱うございましたので、武術は不得手でございました」 「それは、体躯とは無関係に?」 「はい。その者もなかなかの体躯をしておりました。しかしながら、眼が弱いゆえ、射術がうまくできぬのです。我らの中で射術ができぬというのは、それこそ士大夫が字を読めぬというのに等しいのです」 「では、私が人並みに射術を行っているというのは…」 「そうです。それ自体が一つの奇跡なのです。ゆえに、若殿は大変なお方なのです」 「何と…」 史書には、彰の容貌について、「黄鬚(黄色い鬚)」と記している。鬚が黄色いとなれば、恐らく髪も黄色であったろう。しかし、父・操も母・卞氏も、その髪の色について、格段の記述はない。 彼一人が不倫の子であるとは考えにくいし、万が一そうだとしても、当時の漢に金髪の人間などどれだけいたであろうか。 となると、彰は一種の突然変異 −この様にメラニン色素の量が少ないのを、学術的にはアルビノ(白子)という− であったのかも知れない。 「ま、まぁ、その様な者の中では、私が非凡だというのは分かりました。しかし、だからといって、私が皆の中にあってなお非凡であるかどうかは…」 「確かに、そうですな」 「では、私から一つお聞きしたい」 「何でしょうか」 「父から、あなたは張将軍にも劣らぬほどの腕前と聞きました。なにゆえ将になられないのかはまたあらためてお聞きするとして…。それほどの方でしたら、さぞや多くの将のもとで戦ってこられたでしょう。でしたら、ご存知のはずです。優れた将となるには何が必要かという事を」 「私は将としての経験がないという事をご承知の上で聞かれるのですな?」 「ご自身は将でなくとも、戦いの中で何かを見聞されているはずです」 「そこまでおっしゃるのでしたら…私で分かる範囲ですが、お話しましょう」
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