下
短編(?)です。
12:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:19 「では、『徳』というのは?」 「ありていに申せば、『この将に従えば戦いに勝ち、生還できるかどうか。そして、褒賞にあずかる事ができるかどうか』という事です」 「戦いに勝てるかどうかというのは、結局はその将器に帰するものではありませんか?」 「そうですね。その通りです。ただ、私の申し上げます『徳』というのは、単に兵略の才のみを指すのではありません」 「と言いますと?」 「なるほど、『威』と兵略の才をもってすれば、眼前の戦いに勝つ事はできましょう。しかし、それが戦いの全てではございません」 「ふむふむ」 「たとえ戦いに勝っても、その為に多くの兵が犠牲になるとすれば、どうでしょうか。戦う以上、その勝敗に関わりなく幾許かの死人は出ます。しかし度が過ぎれば、兵はその将とともに戦おうとしなくなるでしょう。将の手柄の大小はまあ措くとしても、自分が死んでしまっては何にもなりませんからね」 「確かに、そうですね」 「将とともに戦う気がしないというのは、兵達の士気が上がらないという事です。そんな事で次の戦いに勝つことができましょうか」 「それは無理です」 「さらに、戦いに勝っても、命に背くなどとされて主君に疑いをかけられたとすればどうでしょうか」 「それは…」 「そんな事では、たとえ手柄をたてたとしても評価されますまい。いや、それどころか、あらぬ疑いをかけられて死を賜るなどという事さえ有り得ます。特に書物を読まずとも、その様な例はいくらでも見出せましょう」 「確かに。袁氏の将であった麹義など、界橋の戦いで大手柄をたてたにも関わらず、驕慢の故に粛清されたといいますからね…」 「そうです。ゆえに、周囲と和し、賞を受ける為の『徳』が必要なのです」 「う〜む…」
13:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:20 七、 (おれが将たる事を意識し始めたのは、この時だったのかも知れない。考えてみれば、父上の子である以上、一介の武人というだけでは済まないからな) 冒突の話を聞いた彰は、しばらく考え込んだ。父にはなく、自分にはあるこの武勇を、いかにして『威』に転ずるか。また、どうすれば『徳』を得られるか。 それには、更なる鍛錬と経験を積むしかないというのは分かった。その為には、今後、従軍できる機会を無駄なくおのれの血肉とせねばなるまい。また、より一層武術を磨き、誰からも侮りを受けない、揺るぎないものにする必要もある。 「それでこそ、私が見込んだお方というものです」 「えっ?私はまだ何もしてませんよ。考え事をしただけで」 「ええ、傍目にはそう見えるかも知れません。しかし、若殿は、このわずかな間にも、将としてかくあるべきかを考えておられました。そういうお方であってこそ、将として成長できるのです。私には分かります」 「そうかな」 「ええ。ところで、話は変わりますが…一つお願いがございます」 「何でしょう?私にできる事でしたら何なりと」 「我が娘・飛燕を…もらってはいただけませぬか」 「えっ!?私は、ようやく志学を迎えたばかりですよ。それに、婚儀となると父上や母上に伺いを立てないと…」 兄の丕でさえまだ妻を娶ってはいないというのに、弟の自分が先というのはどうか。まず思い浮かんだのはその事であった。それに、彰は今まで女というものを意識する事さえ殆ど無かった。
14:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:20 「いえ、正室になどど厚かましい事は申しません。側室、いや婢女でよろしいのです」 「それはいいのですが…どうしてまたその様な話を」 「実は…我ら父子と飛燕の母は、かの董卓の乱の時に生き別れてしまいましてな」 「そういう事があったのですか」 「ええ。恐らくはあの混乱の中で死んだのでしょうが…まだ未練がございまして、今も探しておるのです。とはいえ、辺境にあってはあても無く…。ですが、今や漢朝の第一人者であられる殿の御許でしたら、何かしら手がかりが得られるかも、とそう思いまして」 「将になりたがらなかったというのはそういうわけですか」 「まぁ…」 「いいですよ」 「ありがとうございます。おい、飛燕や。若殿のお許しが出たぞ。入りなさい」 「若様、初めまして。冒突が娘・飛燕でございます。どうぞかわいがってくださいませ」 「ああ…分かったよ」 (あの時は女というものを知らなかったからな。もう何が何やらさっぱりで、飛燕の顔さえよく分からなかったもんだ。しかし、あれから二十年近くも経って振り返ってみると、おれは女運にはわりと恵まれてたな。初めての相手があんなにいい女だったんだからな) (あとで知った事だが、父上も兄上も、若い頃から艶めいた話には事欠かなかったとか。いや、植もかなり早かったというな。志学を過ぎてからという俺が一番遅かったのかも知れん。まぁ、多少の早い遅いはあまり関係なかった様だが…) 「やれやれ、この冒突、こんな嬉しい事はございません。若殿、さっそくですが、ささやかながら粗餐をふるまいましょうぞ」 「えっ、なにか酒食の類でも?」 「はい。我ら遊牧の民に古来より伝わる料理をば」 「へぇ、どんなものですか」 「では、今からお見せしましょう。飛燕、羊を」 「はい。しばしお待ちください」
15:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:21 八、 「若様、父上。用意ができました」 「では若殿。参りましょう」 「えっ、どちらに?」 「この料理の支度は野外でするものですからね。ちょっと外に」 外に出てみると、日はだいぶ西に傾いていた。徐々に日は長くなっているとはいえ、さすがにもう薄暗い。 「父上、この羊なぞはいかがでしょうか」 「うむ。いい具合に肉がついておるな。…では若殿。これより調理に取りかかりますぞ。飛燕。火と炭と串、あと塩を用意してくれ」 「はい」 「調理ったって…まだその羊、生きてますよ」 「ええ、これからさばくのです」 「これから?」 「ちょっと待っててくださいね。すぐ終わりますから」 冒突の手には、小刀と大きな容器があった。何も知らない羊は実にのんびりとした様子である。彰は、羊を見る冒突の眼に、一瞬異様なものを感じた。 次の瞬間、冒突により、羊は仰向けに倒されていた。そして、小刀を握った右腕が羊の脇腹に叩きつけられたかと思うと、羊は、ぴくりとも動かなくなった。 「な…何が起こったんだ?」 「我らは、あの様にして羊をさばくのです。ああする事で、羊に余計な苦痛を与えずに済むし血も無駄なく使えるのです」 「えっ?じゃ、もう羊を殺したってのかい?」 「ええ。ほら、あとは皮をはいで肉と臓物を切り分けるだけです」 「なんて技だ…」
16:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:22 冒突は、その後も驚くほどの手際の良さで羊を解体していき、日がすっかり暮れる前に料理はできあがった。 「ほら、できましたぞ。若殿、さあ、たくさん召し上がってくだされ」 「じゃ、いただくよ」 (あの時の羊、野趣にあふれてけっこう美味かったなぁ。しかし、俺にはあの技が頭から離れなかった。どうすればあんな事ができるのかと、しばらくの間、そればかり考えてた) 「う−ん…あの時、右手に小刀を持ってたよな。手首、いや肘の近くまで羊の脇腹に入り込んでたから、小刀で脇腹を切り裂いて手を突っ込んだのは分かるんだけど…その先がどうなってるのか…」 「若様。早くお休みになりませんと。明日は早いそうではございませんか」 「ああ、今行くよ…。えっ、そなたもこの褥に入るのかい?」 「いけませんか?わたしは今日から若様の婢女。若様が眠りにつかれるまでお側にお仕えする勤めですよ」 「いや、まぁそうなんだけど…。ずいぶんと薄着だね…」 「それは…。殿方に仕える女には夜のお勤めもございますから、いつ催されてもいい様にいたしませんと。若様は、女がお嫌いですか?」 「いや、そんな事はないよ。ただ…何分、勝手が分からないから…。その、夜のお勤めとやらはもう少し待ってくれないかい」 「分かりました、お待ちいたします。ですが、せめて同じ褥には入れてくださいませ」 「ああ」 「お休みなさい」 「お休み。…飛燕の体って、柔らかくて、暖かくて、気持ちいいなぁ…」 (結局、あの夜はただ寄り添って寝ただけだった。ふふ、若かったな、お互いに)
17:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:22 九、 「えい!」 「なんの!」 虚空を切り裂く音がしたかと思うと、凄まじい打ち合いが演じられる。彰と冒突の武術の鍛錬は、日を追うごとに激しさを増していった。 打ち合いながら、冒突は、彰の成長ぶりをひしひしと感じる。一方で、何かを言い出しかねているのも感じていた。 「お疲れ様」 「お疲れ様です。…ところで若殿、何か私に聞きたい事があるのではありませんか?」 「え、気付いてたのかい」 「気付きますよ。それであれだけの打ち合いをなさるというのはすごいですがね。しかし、何を聞こうとなさってるのですか?まさか、飛燕がお気に召さないとか?」 「いや、あの娘はいい子だよ。ずっと側においておきたいし、子を儲けてもいいと思ってる」 「では、何を?」 「あの技を教えて欲しいんだ」 「あの技?若殿に隠している技などございませんが…」 「いや、あの時、羊をさばいたあの技だよ」 「ああ、あれですか。別に、特別なものではありませんよ。我らが昔からやってる事ですから」 「じゃ、教えてくれるのかい?」 「それはいいんですけど…。そうすると若殿、これから当分、覚えられるまで、羊ばかり召し上がっていただく事になりますよ」 「承知の上だよ」 「それでしたら、お教えいたしましょう」
18:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:23 「まず、羊を仰向けに倒します」 「うん」 「次に、手に持った小刀で、羊の脇腹をすっと切り、そこから手を差し込みます」 「そう、そこまではあの時見えたんだ。その続きがどうなってるのかが分からない」 「腹の中には、肋骨の他に、心臓や肺腑を守る為の膜がありますから、手でそれを破り、さらに奥まで突っ込みます」 「そう言えば、手首どころか肘のあたりまで入ってた様な気がするな」 「その通りです。膜を破った手は、次に心臓まで持っていき、ひときわ太い血管を引きちぎります。そうすると羊は、衝撃と失血によりすみやかに死ぬのです」 「しかし、その時には血は一滴も出なかった。あれはどういう事?」 「あれは、血を胸の中に溜め込んで、外に流れ出ない様にしていたのです。ですから、調理する時にどっと溢れ出たのです」 「そういう事か」 「しかし…すみやかに心臓に届かないとえらい事になるな。羊も苦しませてしまうし」 「そうですね」 「どうすれば心臓の位置が分かるかな?」 「まぁ…まずはその拍動を確認してみる事ですな」 そう言うと、冒突は、羊をひょいと仰向けにしてみせた。羊は、呆れるほど抵抗しない。 「このあたりですよ。耳を当ててみなされ」 「どれ…本当だ。確かに聞こえる」 「我らは、こうして羊とじゃれあいながら、おのずと臓器の位置を把握してるのですよ」 「なるほどなぁ…。何となく、見えてきたよ」 「では、いきますか」 「そうだ、一つ頼みがある」 「何でしょうか」 「この技は…できるだけ内緒にしたいんだ」 「なぜですか?」 「ちょっと考えがあるんだ」
19:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:23 十、 彰は、それからしばらくの間、その技を体得すべく励みに励んだ。 一体、何日羊ばかりを食べただろうか。身も心も遊牧の民になりそうな、そんな錯覚さえ覚えるくらいだったある日、ついにその体得に成功したのである。 「よっ、と。で…、むんっ!…ふぅ。こんなもんかな」 「お見事です。これなら、もう羊の解体などはお手のものですな。しかし…この技を体得していかがなさるおつもりですか?」 「言っただろ、考えがあるって。ちょっと父上のところに行ってくる」 「はて…?」 「父上、お願いがあります」 「何事かな?」 「私に、数頭ばかり虎狼の類を頂けませんか?」 「そんなもの、一体何に使うつもりだ?飼いならそうとしても無理だぞ」 「飼いならすのではございません。我が武術の鍛錬に用いたいのです」 「ほう。虎狼を相手に鍛錬をしようと言うのか。では、わしの元に返ってくるのは虎狼の毛皮というわけか」 「ええ、そうなります」 「まぁ、良かろう。好きにするがよい」 「かたじけのうございます」 何日かして、彰のもとに虎狼が届けられた。 「で、若殿。この虎狼どもをいかがなさるおつもりで?」 「こやつらを、羊の如くさばいてみせようと思ってな」 「えっ?よした方がいいですよ。こいつらの肉、そんなに美味いもんじゃありませんから」 「肉を食らおうってんじゃないよ」 「まさか…」 「そう、そのまさかだ。私は、こいつらと格闘し、そして勝つ。虎狼に打ち勝ったとなれば、世に名が知れるというものだろ?」 「まぁ…そりゃそうですが。でも、狼はまだしも、虎は危険です。お止めくだされ」 「いや、そうもいかん。私には、まだ『威』が足りんからな」 「『威』を得る為に…ですか…」 「よぉ−し、かかって来い!」
20:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:24 彰が構えるか否かというところで、虎が飛びかかってきた。 いくら武術に長け、羊を巧みにさばいてみせたとはいえ、虎では相手が大きすぎる。誰もが、彰が負けると思った。 冒突でさえ、事あらば直ちに彰を助け出すべく得物を構えたほどである。しかし、次の瞬間。 虎は、虚を衝かれたと言わんばかりの間抜け面を晒していた。その足元には、彰の体はない。どうやら、虎の一撃を避ける事ができたらしい。 「わ、若殿はどちらに?」 気が付くと、彰はいつしか虎の背後に回り込んでいた。 「えい!」 そう言うや否や、彰は虎の脚を蹴り飛ばし、横倒しにした。そして、顎と前足の根元付近に立て続けに拳を叩き込んだかと思うと、脇腹に手を伸ばした。 「…決まった…」 虎と人との死闘は、存外呆気なく終わった。彰には傷一つない。完勝であった。 「若殿、いつの間にこれほどの腕前に…。やはり、我が目に狂いはなかった。このお方こそ、類稀なる武人」 彰の、そして冒突の顔に、満面の笑みが浮かんでいた。
21:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:25 十一、 「曹氏の仲子が、素手で虎を仕留めた」 この噂は、あっという間に広まっていった。それが、彰の武名を大いに高めた事は、言うまでもない。 「彰がのう…。我が子ながら大したものだ」 父も、そう言って喜んだと聞く。彰には、それが何より嬉しかった。 ただ、この頃、父と兄の間には、やや微妙な空気が漂っていた。 父が狙っていた絶世の美女・シン【西+土+瓦】氏を、兄が我がものとした為ともいうし、父が、環夫人との間の子・沖を愛し、彼を後嗣に立てようと考えていたからともいわれる。 彰にとっては、どうでもいい事ではある。しかし、兄に何かあった場合、後嗣の座に最も近い者の一人であったのもまた事実。 (父上のあの言葉は…おれの器量を量ろうとしていたのだろうか…まさかな) 「彰よ」 「はい」 「そなたは書を読んで聖人の道を慕わず、馬に乗り剣を振るう事を好んでおるが…それは匹夫の働きに過ぎぬのだぞ」 「はい」 「ゆえに、そなたには、『詩(詩経)』『尚書(書経)』を読む事を課す。分かったな」 「はい」 (父上の仰せは絶対だから、側仕えの者に読ませ、聴く事にした。内容を理解できておれば叱られる事もないと思ったからな。事実、あれからは、無学の故に叱られるということはなかった) (ただ、妙に引っかかった。兄上には何ら問題はないし、植も沖もいるのだから、わざわざおれが学問をする必要もないのに…) だからこそ、あんな事を言ったのかも知れない。その頃の事を振り返り、彰はそう想った。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
短編(?)です。 http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1104514584/l50