下
短編(?)です。
19:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:23 十、 彰は、それからしばらくの間、その技を体得すべく励みに励んだ。 一体、何日羊ばかりを食べただろうか。身も心も遊牧の民になりそうな、そんな錯覚さえ覚えるくらいだったある日、ついにその体得に成功したのである。 「よっ、と。で…、むんっ!…ふぅ。こんなもんかな」 「お見事です。これなら、もう羊の解体などはお手のものですな。しかし…この技を体得していかがなさるおつもりですか?」 「言っただろ、考えがあるって。ちょっと父上のところに行ってくる」 「はて…?」 「父上、お願いがあります」 「何事かな?」 「私に、数頭ばかり虎狼の類を頂けませんか?」 「そんなもの、一体何に使うつもりだ?飼いならそうとしても無理だぞ」 「飼いならすのではございません。我が武術の鍛錬に用いたいのです」 「ほう。虎狼を相手に鍛錬をしようと言うのか。では、わしの元に返ってくるのは虎狼の毛皮というわけか」 「ええ、そうなります」 「まぁ、良かろう。好きにするがよい」 「かたじけのうございます」 何日かして、彰のもとに虎狼が届けられた。 「で、若殿。この虎狼どもをいかがなさるおつもりで?」 「こやつらを、羊の如くさばいてみせようと思ってな」 「えっ?よした方がいいですよ。こいつらの肉、そんなに美味いもんじゃありませんから」 「肉を食らおうってんじゃないよ」 「まさか…」 「そう、そのまさかだ。私は、こいつらと格闘し、そして勝つ。虎狼に打ち勝ったとなれば、世に名が知れるというものだろ?」 「まぁ…そりゃそうですが。でも、狼はまだしも、虎は危険です。お止めくだされ」 「いや、そうもいかん。私には、まだ『威』が足りんからな」 「『威』を得る為に…ですか…」 「よぉ−し、かかって来い!」
20:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:24 彰が構えるか否かというところで、虎が飛びかかってきた。 いくら武術に長け、羊を巧みにさばいてみせたとはいえ、虎では相手が大きすぎる。誰もが、彰が負けると思った。 冒突でさえ、事あらば直ちに彰を助け出すべく得物を構えたほどである。しかし、次の瞬間。 虎は、虚を衝かれたと言わんばかりの間抜け面を晒していた。その足元には、彰の体はない。どうやら、虎の一撃を避ける事ができたらしい。 「わ、若殿はどちらに?」 気が付くと、彰はいつしか虎の背後に回り込んでいた。 「えい!」 そう言うや否や、彰は虎の脚を蹴り飛ばし、横倒しにした。そして、顎と前足の根元付近に立て続けに拳を叩き込んだかと思うと、脇腹に手を伸ばした。 「…決まった…」 虎と人との死闘は、存外呆気なく終わった。彰には傷一つない。完勝であった。 「若殿、いつの間にこれほどの腕前に…。やはり、我が目に狂いはなかった。このお方こそ、類稀なる武人」 彰の、そして冒突の顔に、満面の笑みが浮かんでいた。
21:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:25 十一、 「曹氏の仲子が、素手で虎を仕留めた」 この噂は、あっという間に広まっていった。それが、彰の武名を大いに高めた事は、言うまでもない。 「彰がのう…。我が子ながら大したものだ」 父も、そう言って喜んだと聞く。彰には、それが何より嬉しかった。 ただ、この頃、父と兄の間には、やや微妙な空気が漂っていた。 父が狙っていた絶世の美女・シン【西+土+瓦】氏を、兄が我がものとした為ともいうし、父が、環夫人との間の子・沖を愛し、彼を後嗣に立てようと考えていたからともいわれる。 彰にとっては、どうでもいい事ではある。しかし、兄に何かあった場合、後嗣の座に最も近い者の一人であったのもまた事実。 (父上のあの言葉は…おれの器量を量ろうとしていたのだろうか…まさかな) 「彰よ」 「はい」 「そなたは書を読んで聖人の道を慕わず、馬に乗り剣を振るう事を好んでおるが…それは匹夫の働きに過ぎぬのだぞ」 「はい」 「ゆえに、そなたには、『詩(詩経)』『尚書(書経)』を読む事を課す。分かったな」 「はい」 (父上の仰せは絶対だから、側仕えの者に読ませ、聴く事にした。内容を理解できておれば叱られる事もないと思ったからな。事実、あれからは、無学の故に叱られるということはなかった) (ただ、妙に引っかかった。兄上には何ら問題はないし、植も沖もいるのだから、わざわざおれが学問をする必要もないのに…) だからこそ、あんな事を言ったのかも知れない。その頃の事を振り返り、彰はそう想った。
22:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26 「丈夫たる者、将となりては、烈侯(衛青。前漢武帝期の名将)・景桓侯(霍去病。衛青の甥で、叔父と同じく前漢武帝期の名将)の如く、十万の大軍を率いて沙漠を駆け、戎狄を打ち破り大功を挙げるべきである。書物を読み、博士になるのが何ほどのものか!」 「若殿。その様な事をおっしゃっては…」 「おれは、書物を読まぬとは言っておらぬぞ。それともそなた、烈侯・景桓侯を貶めるのか?」 「いえ…その様な事は…」 (家臣どもは、あの頃から何かと「その様な事をおっしゃっては…」などと言ってたなぁ。おれに父上の後を継がせようとでもしていたのか?おれ自身にそんな気はさらさらなかったというのに…) 彰は、こそこそと策をめぐらすなどという事は好まない。 敵であれば、堂々と戦い、打ち破るまでの事。味方であれば、一切の疑いを持たずに信じ抜く事。そう思っている。 その裏表のなさ−単純さとも言えるが−が、彰という人物を特徴づけていると言えるであろう。 だからこそ、彰は、父の面前においても、自らの想いを飾る事無く語った。 (それを話した時、父上は笑っておられた。少なくとも、おれが見る限り、そこにはいやな曇りとか濁りはなかった。器量は到底父上には及ばぬが、嫌うという事はなかったと想う…)
23:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:26 十二、 史書には、彰の事跡について、僅かにしか触れられていない。 彼を語る上で、建安二十三(218)年の戦いを欠かす事はできないであろう。 「よいか、彰。出陣にあたって言っておくぞ」 「はい」 「我らは、家にあっては父子。しかしながら、いったん事を受けたなら、君臣である」 「もちろん、承知しております」 「王法を以って動き、事を行うのだ。その事を心せよ。良いな」 「はい!」 彰が将帥として戦いに赴くのは、これが初めてだった。相手は、十一年前に、父自らが打ち破った烏丸。 あの時から比べると、烏丸の勢力は拡大したというわけではない。一方、国内はというと、丞相たる父の政治のよろしきを以って、安定を取り戻しつつある。 それにもかかわらず叛乱を起こすとは。背後に鮮卑の影があるにしても、烏丸は漢朝を侮っておるのか。 「烏丸を伐たねばならんな。さらに、漢と烏丸との力の差を見せつけるには…」 「そうだ、彰を使おう。あいつなら将帥としても収まりがいいし、『なんじらには、わしが出るまでもない』というのにはうってつけだからな」 意地悪くいえば、彰は父には劣るから選任されたという事になるわけだが、そんな事は気にならなかった。 丞相と一武将とでは、前者の方が存在が大きいのは言うまでもないし、それに、彰は父にまさろうとしているわけではなかった。 十万とはいかないが、北中郎将・行驍騎将軍として万を越える軍勢を率い、彰は、意気揚々と出陣した。相は田豫、参軍事は夏侯尚。ともに、経験豊富で信頼に足る人物である。
24:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:27 「国譲(田豫の字)殿、ここは?」 「タク【シ+豕】郡でございます」 「ほぅ…ここがタク【シ+豕】郡ですか。確か、劉備…」 「はい。劉備、それに張飛はこの地の者です」 「…国譲殿、すまぬ事をした」 「?」 「あなたは、以前、劉備に仕えておられた事がありましたな。それに気付かず…」 「もう二十年以上も前の事になります」 「劉備の名を出したのは、他意があっての事ではありませぬ。ご気分を損ねたとすれば、謝ります」 「はは、将たるお方が部下に謝られる事はございません。丞相と干戈を交えたわけではありませんし、丞相も、私も、気にしてはおりませんよ」 「そうですか」 「それより、ゆめゆめ気を緩めませんよう、お気をつけくだされ。漢朝の郡県の内とはいえ、烏丸や鮮卑の連中がいつ襲ってくるやも知れませんからな」 「そうですな。かつて段紀明(段ケイ【ヒ+火+頁】。紀明は字。後漢桓帝期の名将)が辺境にあった時、褥に入る事がなかったと言いますしね。私も、それに倣いましょう」 そうしているうちに、部隊は、易水の近くまで来た。 「『風蕭蕭として易水寒し。壮士、一たび去りて復た還らず』。燕の太子丹が荊軻を見送ったのはこの河のほとりのどこかなのですね…」 「ええ」 「既に中原からは遠く離れている…。国譲殿、偵騎はどうなっておりますか?」 「それでしたら、既に放っております」 「そうですか。しかし、あなたのおっしゃったとおり、気を緩めてはなりませんね」
25:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:28 十三、 「たっ、大変です!」 「何事だ!」 「う…烏丸の襲来です!」 「そうか、ちと早いな。手元には僅かの兵…これでは全軍の迎撃体勢が整うのを待ってはおられぬ」 「いかがいたしましょうか?」 「うろたえるでない!国譲殿、策は?」 「そうですな。少数の歩兵をもって多数の騎兵にあたるには…李陵にならいましょう」 「李陵の?確か、彼は匈奴に敗れたのではなかったか。敗軍の将の戦い方に倣うとというのか?」 「確かに、李陵は匈奴に敗れました。しかし、そこに至るまでに、僅か五千の歩兵をもって単于自ら率いる八万の騎兵を相手に戦い、自軍の数倍の損害を与えております」 「我が軍は数万。質量とも敵にまさります。この場を凌ぎさえすれば、勝利はもう眼前でごさいますぞ」 「そうか。では李陵に倣うとしよう。それは、具体的にはどの様な戦い方だ?」 「輜重の車を周囲に並べて長城の如くし、その内に弩兵を込めます。そして、隙間には長兵を充てて埋めるのです」 「そうか。騎兵が得意とするのは、その速さと高さだが、車を壁にする事でその勢いを殺ぐというわけだな。そして、矢を浴びせる…」 「その通りです」 「うむ。…者ども!すみやかに車を動かし、円陣を組め!ここを凌げば、手柄は思いのままと心得よ!」 「はっ!」 さすがに、歴戦のつわもの達だ。ひとたび将の命令が出るや、実に速やかに動き出した。気がつくと、もう車による円陣が組まれている。 こうなれば、烏丸の騎兵をもってしても容易には破れまい。 そう思っていると、早々と引き始めるのが見えた。 「なんだ、あいつら、もう引くのか」 「やつらは、勝てないとみるとすぐに引きますからね。…将軍、いかがなさいますか?」 「知れたこと、追いかけて粉微塵に打ち砕くまでだ!行くぞ!」 「おう!」
26:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:28 「どうした!まだ敵の掃討は終わってはおらんぞ!」 「将軍、もう兵馬とも甚だ疲れております。これ以上の追撃は困難です」 「それに、賊が起こったのは代です。それを越えて追撃せよという命は下っておりません」 「そうです。将軍ご自身も矢を受けておられます。傷の手当ても致しませんと」 「いかに言っても、敵は騎馬に長じております。侮ることはできませんぞ」 「…」 (『孫子・謀攻篇』にいう。『三軍の政を知らずして三軍の政を同じくすれば、則ち軍士疑う』…たとえ君主といえども、前線の事を知らずに容喙すべきではない…。丞相からの撤退命令は出ていない以上、ここで引かねばならぬ理由はない。では、現状を、将としてみるとどうか。偵騎の報告にも、烏丸に伏兵ありとの知らせはないし、地形をみても、新たな大軍の姿はない) (それに、遥か彼方には鮮卑が戦況を伺っていると聞く。ここで引けば、烏丸はおとなしくなっても鮮卑がのさばるだけ…) (ならば…追撃あるのみ!) 「何を申すか!師を率いる者はただ勝利のみを考えるべきであって、節にこだわるものではない!」 「それに、烏丸どもはまだ遠くには逃げておらぬ。疲れているのは向こうも同じこと」 「いま追えば必ず勝てる。節にこだわって敵を逃して良将と言えるか!者ども、続け!」 そう言って馬に乗ると、さらなる追撃にかかった。結果は、鮮やかなまでの大勝利であった。 激しい追撃戦を戦った代償として、彰は、将兵に対して規定以上の褒賞を授けた。皆、大喜びであった。 軍律は、賞罰ともに厳しいものであるから、厳密に言えば問題になりそうなところである。しかし、この規定以上の褒賞が問題視されたという記述はない。 実は、この戦いぶりを見ていた鮮卑の大人(部族の長)・軻比能は、漢に敵すべからずとみて服属したのである。 彰による褒賞には、あるいは、烏丸との戦いだけでなく、そのあたりも含まれていたのかもしれない。 ともあれ、これにより、彰は将としての『威』も『徳』も得た事になる。 また、この後、彼がこの戦功をひけらかさなかった事も、その声望を高める事につながったとみてよいだろう。 烈侯・景桓侯の如くなる事も、この時点においては、決して夢物語ではなかったのである。
27:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:29 十四、 しかし、そのわずか二年後の建安二十五(220)年、父・操が薨ずると、いささか事情が異なってきた。 父を継いだ兄・丕が、禅譲をうけて皇帝となった為である。 当然ながら、その弟である彰は、皇族という立場になった。 彼は、既にエン【焉+β】陵侯に封ぜられていた。しかし、皇帝のすぐ下の弟が侯では収まりが悪い。その為、兄の即位の翌年には公、そのまた翌年には王という具合に、位ばかりは次々と昇格していく事になった。 しかし、漢朝における王が、ごく初期を除けば飾りの如きものに過ぎなかったという事を考えると、その先にあるものは、決して明るいものではなかった。 (兄上は…本当に皇帝になろうとしておられたのだろうか。王でさえ、これほどまでに窮屈なものだというのに…) (あの頃からだったろうか。おれの体は、どこかおかしくなり始めていた。そういえば、冒突が言ってたな。おれみたいに髪や眼の色が薄い者は、往々にして体が弱く、早死にすると。体は鍛えていたが…長寿にはつながらなかったか) (自分では何も変わっていないつもりだったが、人にはきつく見えたのだろうか。皆、どこかおれを畏れはばかっている様だった) 人は死に臨む時、その人生が走馬灯の如く浮かんでくるという話がある。彰も、その一人だった。 その回想も、そろそろ終盤にさしかかってきた。 (うっ…。また痛みが増してきやがった。もう保たんな…) (…何か、軽くなった様な感じがする。おれの魂が、体から離れ始めたのか…) (彰よ…この人生には満足してるかい?) (そなたは一体…?)
28:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:29 (分からないかい?まぁ、無理もないな。私は、そなたが産まれる前に死んだからな。そなたの兄の鑠だよ) (鑠?私の兄でもう亡くなられているのは、長兄だけではなかったのですか) (知らなかったのかい?我が兄上と丕以外にもそなたの兄がいたって事を) (ええ) (そうか…父上は弟達には話してなかったのか…) (どういう事なんですか?) (実はな。私は、学問は好きだったが体が弱くてな。何とか子をもうける事はできたんだが、父上が董卓を倒すべく挙兵した頃に病に倒れて…そのまま死んでしまったのだ) (子を…?そういえば、同年の潜が、実は甥だと聞いた覚えがありますが…まさか) (そう。私の子だ) (しかし、なぜ私が死のうとするこの時に兄上が…?) (人には、魂と魄というものがあるという。知ってるかい?) (ええ。しかし、それがどうかしたのですか?) (どうやら、私とそなたの魄は同じものの様だ。ほら、時々、読んだ事も無い書物の一節が浮かんではこなかったかい?あれは、私が読んでたものなんだよ) (それでですか。道理で…。しかし、魂は死ぬと体から抜けるけど、魄は体に留まると聞きましたが…) (そうでもないぞ。…そなた、白馬寺で支淵という男に会っただろう。覚えてるかい?) (ああ、あの浮図の教えを説いてる男ですか。ええ。二、三言葉を交わした事はありますが…特に浮図の教えについては聞きませんでしたねぇ…) (浮図の教えでは、なんでも、魂魄は車輪の如くぐるぐるとこの世界を巡っているという事だ。輪廻転生って言ったかな) (車輪の如く、ですか) (そう。私の体から離れた魄は、そのまま懐胎していた卞氏の中に入っていった) (それが…私という事ですか) (そう。そなたも長生きできなかったという事は、ひょっとしたら我らの魄は短命なのかも知れんな) (かも知れませんね。でも、私にはそれほど悔いはありませんよ) (そうか。それは良かった) (しかし…不思議なものですね) (何がだい?) (同じ魄なのに、兄上は学問を、私は武芸を好んだ。全く向きが違いますよ) (ふふ、確かにな。しかし、二人合わせても父上には及ばなかった) (でも、いいではありませんか。父上は『非常の人』。そもそも、我らが及ぶ方ではありませんよ。どちらか片方でも父上に近づき、一部は優りさえした。それで十分ではありませんか) (いい事を言うな。さぁて…そろそろ、次の命に向かうか。次は人かどうかはまだ分からんがな) (そうだ、一つ楷達に言っておかないと) (何をだい?) (私の諡ですよ。一つ「これを」ってのがあるんで、希望を言っておかないと) (そうか。早くしろよ) (ええ) 「皆の者…」 「おお、殿下の意識が戻られたぞ!」 「いや…おれはもう死ぬ…。最後に、一つ頼みがある…」 「父上、それは…」 「おれの諡だが…陛下が否とおっしゃらなければ、『威』としてくれ」 「わ、分かりました!」 「うむ…」 黄初四(223)年六月甲戌(17)日、任城王・曹彰、薨去。諡は「威王」。
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