下
短編(?)です。
26:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:28
「どうした!まだ敵の掃討は終わってはおらんぞ!」
「将軍、もう兵馬とも甚だ疲れております。これ以上の追撃は困難です」
「それに、賊が起こったのは代です。それを越えて追撃せよという命は下っておりません」
「そうです。将軍ご自身も矢を受けておられます。傷の手当ても致しませんと」
「いかに言っても、敵は騎馬に長じております。侮ることはできませんぞ」
「…」
(『孫子・謀攻篇』にいう。『三軍の政を知らずして三軍の政を同じくすれば、則ち軍士疑う』…たとえ君主といえども、前線の事を知らずに容喙すべきではない…。丞相からの撤退命令は出ていない以上、ここで引かねばならぬ理由はない。では、現状を、将としてみるとどうか。偵騎の報告にも、烏丸に伏兵ありとの知らせはないし、地形をみても、新たな大軍の姿はない)
(それに、遥か彼方には鮮卑が戦況を伺っていると聞く。ここで引けば、烏丸はおとなしくなっても鮮卑がのさばるだけ…)
(ならば…追撃あるのみ!)
「何を申すか!師を率いる者はただ勝利のみを考えるべきであって、節にこだわるものではない!」
「それに、烏丸どもはまだ遠くには逃げておらぬ。疲れているのは向こうも同じこと」
「いま追えば必ず勝てる。節にこだわって敵を逃して良将と言えるか!者ども、続け!」
そう言って馬に乗ると、さらなる追撃にかかった。結果は、鮮やかなまでの大勝利であった。
激しい追撃戦を戦った代償として、彰は、将兵に対して規定以上の褒賞を授けた。皆、大喜びであった。
軍律は、賞罰ともに厳しいものであるから、厳密に言えば問題になりそうなところである。しかし、この規定以上の褒賞が問題視されたという記述はない。
実は、この戦いぶりを見ていた鮮卑の大人(部族の長)・軻比能は、漢に敵すべからずとみて服属したのである。
彰による褒賞には、あるいは、烏丸との戦いだけでなく、そのあたりも含まれていたのかもしれない。
ともあれ、これにより、彰は将としての『威』も『徳』も得た事になる。
また、この後、彼がこの戦功をひけらかさなかった事も、その声望を高める事につながったとみてよいだろう。
烈侯・景桓侯の如くなる事も、この時点においては、決して夢物語ではなかったのである。
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