下
短編(?)です。
27:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:29 十四、 しかし、そのわずか二年後の建安二十五(220)年、父・操が薨ずると、いささか事情が異なってきた。 父を継いだ兄・丕が、禅譲をうけて皇帝となった為である。 当然ながら、その弟である彰は、皇族という立場になった。 彼は、既にエン【焉+β】陵侯に封ぜられていた。しかし、皇帝のすぐ下の弟が侯では収まりが悪い。その為、兄の即位の翌年には公、そのまた翌年には王という具合に、位ばかりは次々と昇格していく事になった。 しかし、漢朝における王が、ごく初期を除けば飾りの如きものに過ぎなかったという事を考えると、その先にあるものは、決して明るいものではなかった。 (兄上は…本当に皇帝になろうとしておられたのだろうか。王でさえ、これほどまでに窮屈なものだというのに…) (あの頃からだったろうか。おれの体は、どこかおかしくなり始めていた。そういえば、冒突が言ってたな。おれみたいに髪や眼の色が薄い者は、往々にして体が弱く、早死にすると。体は鍛えていたが…長寿にはつながらなかったか) (自分では何も変わっていないつもりだったが、人にはきつく見えたのだろうか。皆、どこかおれを畏れはばかっている様だった) 人は死に臨む時、その人生が走馬灯の如く浮かんでくるという話がある。彰も、その一人だった。 その回想も、そろそろ終盤にさしかかってきた。 (うっ…。また痛みが増してきやがった。もう保たんな…) (…何か、軽くなった様な感じがする。おれの魂が、体から離れ始めたのか…) (彰よ…この人生には満足してるかい?) (そなたは一体…?)
28:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:29 (分からないかい?まぁ、無理もないな。私は、そなたが産まれる前に死んだからな。そなたの兄の鑠だよ) (鑠?私の兄でもう亡くなられているのは、長兄だけではなかったのですか) (知らなかったのかい?我が兄上と丕以外にもそなたの兄がいたって事を) (ええ) (そうか…父上は弟達には話してなかったのか…) (どういう事なんですか?) (実はな。私は、学問は好きだったが体が弱くてな。何とか子をもうける事はできたんだが、父上が董卓を倒すべく挙兵した頃に病に倒れて…そのまま死んでしまったのだ) (子を…?そういえば、同年の潜が、実は甥だと聞いた覚えがありますが…まさか) (そう。私の子だ) (しかし、なぜ私が死のうとするこの時に兄上が…?) (人には、魂と魄というものがあるという。知ってるかい?) (ええ。しかし、それがどうかしたのですか?) (どうやら、私とそなたの魄は同じものの様だ。ほら、時々、読んだ事も無い書物の一節が浮かんではこなかったかい?あれは、私が読んでたものなんだよ) (それでですか。道理で…。しかし、魂は死ぬと体から抜けるけど、魄は体に留まると聞きましたが…) (そうでもないぞ。…そなた、白馬寺で支淵という男に会っただろう。覚えてるかい?) (ああ、あの浮図の教えを説いてる男ですか。ええ。二、三言葉を交わした事はありますが…特に浮図の教えについては聞きませんでしたねぇ…) (浮図の教えでは、なんでも、魂魄は車輪の如くぐるぐるとこの世界を巡っているという事だ。輪廻転生って言ったかな) (車輪の如く、ですか) (そう。私の体から離れた魄は、そのまま懐胎していた卞氏の中に入っていった) (それが…私という事ですか) (そう。そなたも長生きできなかったという事は、ひょっとしたら我らの魄は短命なのかも知れんな) (かも知れませんね。でも、私にはそれほど悔いはありませんよ) (そうか。それは良かった) (しかし…不思議なものですね) (何がだい?) (同じ魄なのに、兄上は学問を、私は武芸を好んだ。全く向きが違いますよ) (ふふ、確かにな。しかし、二人合わせても父上には及ばなかった) (でも、いいではありませんか。父上は『非常の人』。そもそも、我らが及ぶ方ではありませんよ。どちらか片方でも父上に近づき、一部は優りさえした。それで十分ではありませんか) (いい事を言うな。さぁて…そろそろ、次の命に向かうか。次は人かどうかはまだ分からんがな) (そうだ、一つ楷達に言っておかないと) (何をだい?) (私の諡ですよ。一つ「これを」ってのがあるんで、希望を言っておかないと) (そうか。早くしろよ) (ええ) 「皆の者…」 「おお、殿下の意識が戻られたぞ!」 「いや…おれはもう死ぬ…。最後に、一つ頼みがある…」 「父上、それは…」 「おれの諡だが…陛下が否とおっしゃらなければ、『威』としてくれ」 「わ、分かりました!」 「うむ…」 黄初四(223)年六月甲戌(17)日、任城王・曹彰、薨去。諡は「威王」。
29:左平(仮名) 2005/01/02(日) 20:30 十五、 考えてみれば、面白いものである。 長子の曹昂の字は「子『修』」だが、彼は父の不倫による油断の為に落命した。 また、父を継いだ曹丕の字は「子『桓』」だが、武において父を凌ぐ事は叶わなかった。 そして、曹彰の字は「子『文』」。しかし、彼は根っからの武人であった。 彼らの字は、みごとなまでに、その人生とは異なるものとなった。 この事を、彼らの父・曹操が知ったら、何と言うのだろうか。 もちろん、単なる空想でここまで書き連ねてきただけの私には、魏の武帝ほどのお方にそんな事を聞く勇気はないが。 完
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