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関羽の評価とは?
2:岡本 2005/03/28(月) 02:51 具体例をあげますと、 樊・襄陽攻防戦前半 これまで明確に指摘されたことがないと思いますが、于禁を水没させたとされる洪水は関羽軍にも不利に働いています。 むしろ、攻撃されるまで于禁は半分勝ったと思っていたと思います。 理由ですが、于禁が到着するまでに襄陽と樊は関羽によって攻囲されており、しかも城外に遊撃隊である龐悳がいて しばしば単独で交戦していたことを考えると、関羽は襄陽・樊に対して内外二重の包囲陣を敷いていたことが予想できます。 対徐晃戦を考えると無理な想像ではありません。西陵攻囲戦の陸抗になんら劣ることはありません(西陵では徐晃ほどの野戦の名将は臨場していません)。 さて、洪水が来れば避難のため関羽軍団は一次撤兵せざるを得ないわけです。 于禁としては戦略目標を戦わずして達成できるわけですからこれ以上の公績はないでしょう。 後、恐れるべきは洪水が去った後に関羽が樊への再来襲を目論むことです。 これに対しては、一旦退いた関羽軍は漢水を渡る必要がある以上、 于禁軍団が樊の近くで待機しておれば半渡をおさえることで対応できます。 それゆえ、洪水を避けて尚且つその後の再来襲に備えて于禁は高地に7軍団を分散配置したわけです。 明言しますが、于禁は救援軍の統率者として失策は犯していません。 これまでの相手ならば充分及第点な処置で、格別非難する点はありません。 ただ、相手が上を行っただけです。 関羽は一次撤兵した不利を逆手に取り、 1)洪水を避けるため高地に于禁軍団が分散配置されたことに着目し、 2)多量の軍船を徴用し、(于禁は、洪水が退いた後に、損害覚悟の漢水一斉渡河のために準備したと思った可能性があります。) 3)洪水で隔てられた軍団を大船団で各個包囲殲滅を期した。 やり方としては張飛の張郃撃破と同様です。 こうなると戦えば全滅しかないのは見えますので、 A)7軍団の統率者である于禁は、士卒の以後を考えて降伏。 B)一部将に過ぎない龐悳は逆に全軍団の責任を考える義務がないので己の価値観に準じた。 となったのでしょう。 「于禁<龐悳」という曹操の感慨は関羽に対する恐怖の裏返しである繰言です。 韓信は別格としても、この周辺の時代にこういった戦術発想ができた人物は極々少数と思いますが...。 自身優れた戦術家でもある曹操はこれが分かったので関羽を異常に恐れたことは想像に難くないです。 ですが、蒋済やこの時点ではまだ戦歴が皆無の司馬懿は、戦歴を重ねて初めて見えてくる関羽の 凄さがいい意味で理解できず(恐怖に縛られないため)、「関羽の土俵に乗ることはない」という方針が 立てられたのではないかと思います。
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