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■ アルプス伝説(←?)■トウ艾■

1 名前:玉川雄一:2002/01/26(土) 19:38

昜の士載ちゃんです。
所属は屯田部、園芸部、地学部、ワンゲル部(笑)と諸説ありますが…
吃音でいぢめられていたところを司馬懿に見出されたんでしたよね。

彼女の縄張りは荊州校区から雍州校区。姜維との熾烈なバトルを制して劉禅の部(仮称)を屈服させるも鍾会の陰謀(笑)によって失脚。
ちょっとブイブイ言わせちゃったのが敗因かな?


[1981] スペースアルプス伝説!? 12/2(Sun) 0:23
ぐっこ 

[1982] 何気に光栄ファッションはいってる昜ちゃん! いい汗かいてますね〜! 12/2(Sun) 0:24
ぐっこ 

[1983] 益州校区を制圧したとき、ちょっといつもの純朴モードを捨ててしまったんですよね〜。そこを鍾会ちゃんに衝かれてしまった、と。 12/2(Sun) 0:25
ぐっこ 

[1984] 背後には姜維ちゃんの影が! 結局何もしなかった劉禅だけが無事(;^_^A 12/2(Sun) 0:26
ぐっこ 

[2011] やはり昜といえばこの帽子!(笑)  12/2(Sun) 12:03
japan 

[2012] 漢中アスレチック大会では、体操用のマットに包まって千尋の崖を転がり降りると云う超荒業を披露。 12/2(Sun) 12:05
japan 

[2013] あまり関係ないですが、正史昜伝のラストに掲載されている、議郎段灼による昜擁護論は本当に泣けました。こういう人物が報われなくなった時点で、もう魏は(そして晋も)終わっていたのでしょうね… 12/2(Sun) 12:09
japan 

2 名前:玉川雄一:2002/01/26(土) 20:02

[2029] 晋書段灼伝は、昜擁護論のために立てられたようなものです。不勉強にて昜伝に載っているのと内容が完全に同じかどうかは分かりませぬが、参考にはしているでしょうね。 12/2(Sun) 23:21
玉川雄一 

[2030] ちなみに段灼さんはなんと敦煌の生まれ。最後は魏興太守で亡くなったそうです。 12/2(Sun) 23:23
玉川雄一 

[2031] ↑毛布にくるまって…激しく笑いました 12/2(Sun) 23:23
ぐっこ 

[2032] あ!? また同時!? 12/2(Sun) 23:24
ぐっこ 

[2033] ところでその段灼さん、敦煌出身ですか!? じゃあ、張奐の同僚、段ケイあたりの縁者でしょうか…… 12/2(Sun) 23:25
ぐっこ 

[2035] 昜擁護論の他に、時宜について述べたものも載っているようです。 12/2(Sun) 23:26
玉川雄一 

[2037] >毛布にくるまって ドラマ「三國演義」のシーンそのままに! 12/2(Sun) 23:27
玉川雄一 

[2083] 段灼さん、「世為西土著姓」だそうです。ってことは… 12/3(Mon) 0:05
玉川雄一 

[2095] 可能性こゆいと…。これで皇甫規か嵩の子孫が揃えば…って、学園から遠ざかってる(;^_^A 12/3(Mon) 22:30
ぐっこ 

[2103] アレですわ、皇甫嵩の曾孫の皇甫謐とゆう御仁がおりますにゃ。 12/3(Mon) 23:22
玉川雄一 

[2104] 皇甫謐、字は士安、215-282。晋書巻第51列伝第21に立伝されとりまふ。 12/3(Mon) 23:23
玉川雄一 

[2109] なんだかこの人、ずっと出仕せずに生涯を終えていますか? 何度も召されているようですが。 12/4(Tue) 1:35
玉川雄一 

[2130] おお、張奐のセガレどもを含めて、涼州三明の子孫たちが!(;^_^A …って、学園外学園外。 皇甫謐さん、立伝される程の有名人ですか〜。 12/4(Tue) 22:17
ぐっこ 

[2135] では、「東晋ハイスクール」での登場を… するのか!? 12/4(Tue) 22:21
玉川雄一 

[2136] ↑語呂がいいので西晋時代ネタもひっくるめてこのタイトルっつぅことで。 12/4(Tue) 22:22
玉川雄一 

[2145] おお〜!東晋ハイスクールのカタチが…(;^_^A 12/4(Tue) 22:31
ぐっこ 

3 名前:★玉川雄一:2003/06/15(日) 03:24
なんかたまたま見つけたんですが。
皇甫嵩(そして謐)の直系の子孫かは分からんのですが、
「安定朝那の皇甫氏」ったら同族だと思われる人を二人ほど。

皇甫重(倫叔、-304):西晋の秦州刺史。
張華に見出されのちに秦州刺史となる。
八王の乱では長沙王司馬乂に味方して河間王司馬[禺頁]と戦うが敗死
弟に皇甫商、養子に皇甫昌があったがみな同時期に殺されている。
(晋書列伝第三十皇甫重伝)

皇甫真(楚季、?-370年代半ば?)前燕→前秦
鮮卑族慕容氏の前燕に仕えて鎮西将軍、并州刺史、領護匈奴中郎将、のち朝廷に入り太尉、侍中となる
前燕がテイ族苻堅の前秦に滅ぼされると前秦に仕え、奉車都尉となって数年後に死去
王猛にも認められ、「秦人の大器」と評判だったようだ
兄に皇甫典、従子に皇甫奮、皇甫覆がいた
(晋書載記第十一慕容[日韋]載記)

4 名前:★玉川雄一:2003/06/15(日) 03:46
>>3皇甫真補足
ちなみに皇甫典、奮、覆は皇甫真より早くから前秦に仕えていたそうです。
代々、安定の名族としてそれなりの羽振りを利かせていたんでしょうかね。

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