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■ ★『宮城谷三国志』総合スレッド★

1 名前::2002/10/27(日) 01:03

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年05月17日 (木) 00時16分30秒 

宮城谷先生の「三國志」、まだ「序文」ですがさすがに「深い」ですね〜!
こりゃあ後漢書一年生の私としては読みがい有りすぎ! 初っ端が楊震でしたし〜。
ああ、はやく文庫版が出ないかな〜ッ! くわ〜!

220 名前:左平(仮名):2008/10/12(日) 23:07:21 ID:LpP4Hk8E
続き。
賊が魏に降った、と喜んだのも束の間、西方では麹演らが叛乱を起こします。これは、蘇則らによってすみやかに鎮圧
された(名将・赫昭が彼の胆力に感服って…!)のですが、今回については、曹丕、いいとこなしです。
この後も、あれこれあるわけですが、よく書かれることがあるのか…なんて、よけいな心配も。

曹丕、とくると(?)、忘れてはならない人物の一人として、陳羣が挙げられますね。そして、陳羣とくると九品官人
法(九品中正法)。
この法の概要はおくとして、その精神は、というと…。

本作の最初の方(もう数年前になるのですね)に、光武帝のことが書かれていましたのを覚えておられますか?その際、
前漢と後漢とでは、人材をみる基準が異なっていた、ということが書かれていました(秀才どもは王莽を止められなか
った…。故に後漢では、才能ではなく人格を重んじた、というようなこと)。
しかし、人格を重んじたはずの後漢では、実務能力に欠ける者が高官に…という具合で、結局腐敗は避けられなかった。
彼ら(曹丕、陳羣)は、それをどこまで分かっていたか…。
後々、いわゆる南北朝時代を語る上で、避けては通れない問題の萌芽があるわけです。

ラストは、孟達の魏への投降(曹丕の厚遇付き)と、劉封の非業の最期。彼の死を聞いた劉備は、一人になると泣いた
…。これは、一体?

221 名前:左平(仮名):2008/11/23(日) 21:56:57 ID:9ZYiSxeo
三国志(2008年11月)

今回のタイトルは「禅譲」。いよいよ、魏帝国が興ります。そして、対抗すべく…。なお前回のラストは、今回の流れ
とは特に関係ないようです。

父の(というか、曹氏の本貫の)譙に立ち寄った曹丕のもとに、皇帝からの使者が来訪します。曹丕に帝位を譲る、と
いうのです。
禅譲。それはかつて、堯が舜に対して、舜が禹に対して為した、とされてはいますが、孔子の言行を記した『論語』に
は触れられていない代物。あるいは、血統によらずして帝王の地位に就こうとした者達によって、戦国時代あたりに作
られた概念ではないか…と。と、なれば、こたびの禅譲は、史上初の…!
正直、目から鱗(が落ちる思い)でした。ここらあたり、自分はこれまで、陳舜臣氏に影響されていたな、という感も
あります(禅譲というものを軽く考えていました)。
※確かに、実権の所在を思うと壮麗な茶番ではあるのですが、伝説的な堯・舜・禹の例しかないものが、まさに『今』
 為されようとしている…となれば、以降のものとはいささか性格が異なってもおかしくありませんね。
 後世からみれば茶番でしかなくても、当時、その時代を生きた人からみれば真剣にやっているわけですから。
 人は、自らの属するもの(時代、国、など)からは、完全に自由では有り得ない。とでも申しましょうか。

ここぞとばかりに、と言っては何でしょうが、群臣は荘重な上奏を次々と行い、曹丕も丁重に固辞する姿勢をみせます。
面白いのは、群臣が熱に浮かされたかのように騒げば騒ぐほど、曹丕は醒めているかのように書かれているところ。
しばし、皇帝と曹丕の、意地の張り合いの様相を呈しましたが…ついに曹丕はこれを受諾。晴れて、禅譲の儀式が執り
行われることと相成りました。
皇帝から山陽公となった劉協は何を思ったか。それは分かりませんが、彼にとって、玉座は決して座り心地の良いもの
ではなかったのは、概ね間違いないでしょうね。
確かに、彼を擁立した董卓は、余りに敵を多く作り過ぎました。その、血塗られた手によって座らされた以上、その座
もまた血塗られたものであり、神聖な皇帝としての正当性に疑義を持たれてもやむを得なかったでしょう。その後の十
四年が、安らかなものであれば救われるのでしょうが…さてどうなのか。
長くなったので続きます。

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