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■ ★『宮城谷三国志』総合スレッド★

1 名前::2002/10/27(日) 01:03

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年05月17日 (木) 00時16分30秒 

宮城谷先生の「三國志」、まだ「序文」ですがさすがに「深い」ですね〜!
こりゃあ後漢書一年生の私としては読みがい有りすぎ! 初っ端が楊震でしたし〜。
ああ、はやく文庫版が出ないかな〜ッ! くわ〜!

366 名前:左平(仮名)@投稿 ★:2012/02/04(土) 02:39:18 ID:???0
追記。

今回の時点では結末は描かれていませんが、司馬師と諸葛恪の明暗が交錯しているような印象があります。

前半に描かれた戦いでは、司馬師は、十分な兵力をもってすればまあ良かろうとやや軽く考えており、魏軍も、大軍故に
寡兵の丁奉を侮りました。一方、諸葛恪は、彼には珍しく人の意見に耳を傾け、慎重に対応。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」などと言いますが、一見すると負けるはずのなかった魏があっけ
なく敗れたのも、ちゃんと理由があってのことでした。
後半は、逆に、諸葛恪に油断があります。先の戦いでは、なるほど諸葛誕・胡遵を打ち破りはしたものの、毌丘倹、王昶
の軍勢は無傷で撤退しています。ともに実績のある将であることは、これまでの経歴をみれば明らかなわけですから、次
に彼らとあたった時はどうか…と考えておくべきでしょう。

この戦いの結果、両者とも、より強い権力を掌握しています。これの運用次第で、情勢が大きく変動することは自覚して
いたでしょうが…さてどうなるか。

367 名前:左平(仮名)@投稿 ★:2012/03/04(日) 21:52:22 ID:???0
三国志(2012年02月)


今回のタイトルは「敗残」。才子が才に溺れて失敗し、一方で…。

諸葛恪は、二十万と号する大軍をもって合肥を攻めます。蜀漢との連携、十分な軍勢、綿密な偵察。そのあたりの準備は
きちんとしていたのですが、一つ、忘れていました。合肥の守将の名を知らなかったのです。
将の名は、張特(字は子産)。名前(字)負けしている感のある彼は、諸葛恪からは愚将であるとばかにされましたが、
味方(もとの上官の諸葛誕)からも愚将呼ばわりされており、危うく罷免されるところでした。
諸葛誕の異動に伴い留任しましたが、合肥という要地を任せるには不安あり。おまけに、合肥の兵はわずか三千。諸葛恪
ならずとも、たやすく落とせそうだ、と思われたことでしょう。
張特自身も、自分一人でこの難局を乗り切れるとは思いませんでした。ただ、満寵によって築かれた合肥新城の堅固さと
味方の援軍を信じ、何とか六十日は持ちこたえようとしたのです。

戦いが始まりました。呉軍は猛攻を仕掛けますが、合肥新城の守りは堅く、いたずらに死傷者が増えるばかり。諸葛恪は
いらだちを隠せません。一月経って、ようやく方針転換(土を盛って城壁を無効化する)しますが、将兵の士気は下がる
一方。さらに、軍中に病が発生し、死者はますます増えます。
こうしている間に六十日が経ちましたが、魏の援軍はいまだ来ません。張特は訝しく思います。合肥の重要性を考えると
見殺しにすることはあり得ないし、司馬師が無能だというなら、むしろ慌てて軍勢を動かすと思われるからです。
ともあれ、張特は、なおも防戦を続けねばなりません。呉軍の損失も大きいとはいえ、なお大軍なのです。

ところで、司馬師はどうしていたのか。彼は、側近の虞松の献策を容れ、大胆な、しかし理に叶った用兵を行いました。

続きます。

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