唯一つの命~建寧の政変【第一話】
「――竇大将軍、禁裏にて御謀叛とか」
「――いや、近衛軍が先手をうって大将軍府を包囲したらしい」
「なんと。あの夥しい篝火は、大将軍府を囲む人数か」
…それは京城の夜空が、炎上しているような光景であった。
後漢、霊帝の治世がはじまって最初の八月のことである。
幾千もの篝火から噴き上がる炎が文字通り天空を焦がし、都城に屹立する高楼という高楼をあかあかと照らし出していた。
後漢書礼儀志によれば、北宮主殿の徳陽殿は、庭前の朱雀關をはじめ、八つの楼閣とそれぞれを空中で結ぶ閣道に囲まれ、画屋、朱梁、玉階、金柱、その絢爛は天上の宮かと諸人を驚かせるものであったという。
四十里の彼方からも眺望できるそれらの高層建築物群が、闇の中に煌々と浮き上がっているのだから、このとき洛陽を遠望する者があらば、その異観に息を呑んだに違いない。
――この夜。
ひとつの王朝の命数を定めるできごとがあった。
武臣筆頭である大将軍竇武と、文臣の領袖である太傅陳蕃の両名が、洛陽宮中において揃って叛旗を翻さんと謀り、それが直前になって皇帝側に露見したのである。
大将軍御謀叛の疑いあり、という声が後宮にこだまするや、内官たちは色めき立った。
むざとは、討たれまいぞ――後宮の常侍らは、自らの血を啜り合って盟いとし、怯えきった幼帝から勅を得て、羽林および虎賁の皇帝親衛軍団を動員。
天を焦がすばかりの篝火をかかげ、無慮、深夜の大将軍府を包囲するに至ったのである――
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夜を昼と欺かれた禽獣の声が、深夜の洛陽の士の耳を驚かせた。
…何事か!?
古礼によれば、士たる者は、たとえば夢の間に疾風迅雷に逢っても、みぐるしく取り乱したりせず、素早く起きて衣冠を整え、事に備えて傍らに剣を引きつけ、牀に座するのである。
――すわ、宮に事が起こった。
多くの士人は、衣服を更えながら、宮中に起こるであろう事変のことを咄嗟に思ったに違いない。
大将軍と太傅による変事は、じつは洛陽の士人の間では公然の秘密であり、今宵はまさにそのときであったか、と誰もが思った。
そして、
…清が勝つか、濁が勝つか
と、二つに一つの結果を思い、胸を焦がす心地で扼腕したであろう。
かれらは、この夜に起こった事の詳細を知らず、まだ関わることも叶わぬ。
今かれらに解るのは、とにかくこの夜、かれらの歴史が変わる、ということだけであった。
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「ただひとつの命」
「――如何であったか」
(…大将軍さま御謀叛にございます)
この深夜、禽獣にたたき起こされて、姿勢を正した者は幾万と数えたであろうが、この白髪の武人もまた、その一人ではあった。
が、武人は、単に衣冠を整えただけではなかった。
武人は跳ね起きるや、わが屋敷の天井へ向かって、早々に見舞って余に報せよ、と命じたのである。
命令は「天井」へ届き、天井はただちにそれらを実行した。むろん、天井板が飛んでいって諜報を行ったのではなく、日頃武人が飼っているらしい細作の類が、音もなく梁上から屋根へ飛び立ち、深夜の洛陽宮へ潜入したのである。
武人は、皇甫規という。歳は六四。
あざなを威明といい、今は太守職を辞して洛陽に遊ぶ身であるが、そも西の彼方・涼州の有力者であった。
後世、むしろその妻の方が貞烈を以て歴史に名を残すことになるが、皇甫規自身もむろん傑人であり、後漢歴代の度遼営(異民族鎮圧軍)の指揮官のなかでは、おそらく一位二位を争うほどの功がある。赤子を除いて彼の輝ける勇名を知らぬ者は無く、ここまでくると当代の偉人のひとりといってよいだろう。
その皇甫規が、天井を相手にぶつぶつと呟いている。
「大将軍の方が謀叛扱いだと。してみると、もはや璽府は陥ち、玉体は宦者らが擁し奉っておるわけか」
皇甫規のつぶやきに、天井が囁きで応じる。
(ご明察。経緯は調べかねましたが、中常侍が勅を掲げて近衛の軍を率い、先手を打って大将軍府を夜討ちしました)
あの篝火の正体は、つまりこれであった。
「腐者め、禁中を騒がせたか。して、大将軍は御息災か」
(わずかな者と脱出、北営の歩兵校尉と合流されました。現在、追手と北営が交戦中でございます)
「嗚呼――!」
皇甫規は、嘆息した。
かれの起居する屋敷から、わずか数里。
街ぞいに歩いても四半刻とかからない至近距離で、いわばクーデター勃発し、しかもこの瞬間にも進行中であるというのだ。
(…なんということだ)
皇甫規は、真相を知って鋭く舌打ちをした。
もしいま手に軍権があって、かつ宮営に駐屯する身であれば――
(この夜どれほど華々しく働けたことか)
彼は騒擾騒乱の宮中へ完全武装の兵団を率いてなだれ込み、迷わず忠を救い、奸を伐つであろう。
この老人は、そのまま軍権を専らにして朝廷を壟断せん、という類の野望は持ち合わせておらず、ごく素朴な勤皇主義者であるといえた。安定皇甫氏は遡れば宋の載公にその連枝の元を見ることができ、宋室は累代天子の衛者であるという誇りがあるのだ。
(せめて五百騎は連れてくるべきであったのだ。それならば――)
老武人は歯ぎしりしている。
官を辞し、新帝即位の挨拶のため洛陽へ入って数ヶ月。すぐまた幼く美しい妻の待つ故国へ戻って老後を養おうと思っていた程度の、このたびの遊京であった。連れてきた家兵は、道中の護衛二十人に過ぎない。
歴史に介入するほどの人数もなく、ただ、目の前で進行する政変を、逐一報告を聞きながら、己では手出しも出来ぬという。
目眩さえ覚えるもどかしさが、老将軍を苛立たせた。
「もうよい、何人か連れて今一度ゆけ。経過はよい。行く末のみを報せよ」
(はっ)
「待て、大将軍の人数が勝てばよし、もし事やぶれて逃散し、市街へ紛れるようなことがあれば、人目に付かずこの屋敷へお連れ参らせよ」
(黎明を越えると、難しうございます)
「…きっとそのようにいたせ」
(御意に)
声は、唐突に消えた。
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夜は、まだ深い。
篝火で不夜の城と化した洛陽の空に、いよいよ戦の鬨が響きはじめた。
北営駐留部隊と羽林の近衛軍が、本格的に開戦したのであろう。
おびただしい人数が絞り出す雄叫びと、敵を罵りあう轟々たる喚声が次々と耳に入ってくる。
どれほど眠りの深い人々でも、これほどの明るさと騒ぎでは、起きざるをえまい。洛陽の市民の悉くは、家々の奥で震えながら、この変事の行方を占っているに違いない。
「…市街戦になるか」
市街戦は嫌いだ、と皇甫規は思った。騎兵が思うように投入できぬ。
特に洛陽の市街は、騎馬軍の突入に備えて複雑なつくりをしているし、まして夜で閭門も閉ざされている。要所要所の闕をおさえ、弓兵を効果的に配さねばならない。歩兵の長は勇武のみでなく、市街の地図を頭に入れている人間を使わねばならぬ。……
などと、とりとめもなく用兵を案じているうちに、あわただしい足音が寝室へ近づいてきた。遠慮する様子もなく、床を踏み抜かんばかりの足音だ。制止する家令や宿営の者の声がそれに縋り付き、振り払われているようだった。
「叔父上!――叔父上!」
騒がしい、と皇甫規はつい日常の癖で眉間をしかめた。士とは、沈毅にして剛毅。変事にこそ、寡言に万金の値を置くべきだ。
この騒動のもとは、解っている。
彼の愛甥、嵩であろう。
皇甫嵩、字は義真。皇甫規の兄・雁門太守皇甫節の一子だが、皇甫規も我が子同然に傅育を手伝ってきた。
後嗣をもうけていない皇甫規にとっては、甥である皇甫嵩はわが祀を引き継ぐ大事な青年である。
…が、甘やかしすぎたのであろうか。歳は三十に届くというのに、父の喪で県令職を辞して以来、いまだ官職に就かず、故国では妻子を置いて晴に耕し雨に書見し、駿馬を駆っては狩猟にあけくれていた。
何かの契機になるかと思い、洛陽へ無理矢理連れて来はしたものの、やはり書を紐解いては賢者の私塾へ足繁く通ったり、武器庫から素ッ剣をちょろまかして元近衛の王某とかいう武芸者のもとへ教えを請いに行ったり、とにかく落ち着きがない。
あやつが早う世に出て呉れれば、というのが皇甫規の常の口癖であった。
そのはずで、周囲が辟易するほど人の性能にうるさいこの叔父の目から見ても、皇甫嵩はちょっと並はずれた俊傑であった。文武に志が高く、目には常に世を慷慨する義憤にかがやいている。
(…それだけに、惜しい)
皇甫の家系は、西方随一と云ってよいほどの武門の名流だ。その嫡子ともいうべき皇甫嵩が、こうして都で皇甫郎よ、若君よ、と呼ばれて洛陽に遊んでいることじたいが、皇甫嵩の若さの浪費であり、漢の世の損失である。
その甥が、大声で叔父を呼ばわりつつ、足を踏みならしてどんどん近づいてくる。
とうとう柱廊から、ひとりの若々しい壮士が、室の入り口に姿を現した。
「叔父上!お起きならば、何故に嵩をお呼びくださらぬ!」
挨拶も無しに、いきなり詰問であった。
皇甫規は甥をたしなめようとした。
そして、愕然とした。
「…嵩や、そのいでたちは何ぞ」
皇甫嵩は、なんとすでに剣を佩き、今すぐに匈奴の群れへでも突入しかねない気焔を、眉間のあたりから吹き出していたのだ。