2009.09.07

唯一つの命~建寧の政変【第五話】

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 払暁が近づくとともに、内乱は急速に収斂しつつある。

 各方面の要衝を制圧し終えた近衛の全軍が、掌で包み込むように、南正門である朱雀門へ集結をはじめたからであった。一隊、また一隊と、宦官側の軍勢はその陣容を増し、逆に竇武の軍勢は、一隊また一隊と減少してゆく。

 義真と可顒が目撃したのは、ちょうどこの頃の戦況である。

 辛うじて戦線を支えていた大将軍竇武であったが、甥の竇紹とともども疲弊は限界に近く、兵士らもまた、一秒ごとに厚みをましてゆく敵陣を遠望し、絶望をふかめている。


 この夜、いったい何故このような事になってしまったか――


 ********



 ――太白、上将星を犯し、太微に入る。将相よろしからず


 という天文が、決起を促した。

 「さてこそ」と頷きあった陳蕃と竇武は、かねての打ち合わせ通り、玉璽を用いて電撃的な人事を行い、後宮の宦官長ら数名を解任した。

 当の宦官長らはそのことを知らず、日頃のように出勤し、その場で逮捕された。

「誅すべきだ」 

 と鼻息荒く主張する陳蕃を制し、竇武は彼らを拷問にかけ、宦官一党が累積してきた悪事を、満足ゆくまで調書にとった。それにより、宦官みなごろしの上奏文書が完成するわけである。

 夜、最後の署名を終えた陳蕃は上奏文書を後宮の入り口まで持ち込んだ。

 書類を決裁するのは、皇帝ではなく太后であり、取り次ぎの宦官に渡さねばならない。

 このとき、上奏文書は厚く梱包され、ただ大将軍竇武に対する私信という形で、後宮へ持ち込まれるはずであった。

 ところがこのとき、竇武は急な呼び出しで大将軍府へ赴いており、後宮には居なかった。

 ――この時間差が、全てを狂わせた。

 大将軍が不在と云うことで、文書は内府の預かりとなった。

 そこで、宦官の一人が不審を抱き、封を破って中を見てしまったのである。

「あっ――黄門令が朝からおられぬとおもえば」 

 文面を盗み見た宦官は、蒼白になって、宦官の領袖である曹節・王甫らへ泣訴した。

 書面をみた二人は、頷き合うと、

「むざと討たれるものか」と、後宮に詰める宦官全員をあつめ、非常の時である、剣をもて、と怒鳴った。

 

 このとき、書面を提出し終えた陳蕃は、門生をひきいて公邸へ引き上げている。竇武は、まだ大将軍府にいる。

 宦官は、何よりも先に幼帝の身柄を確保した。

「徳陽殿にお篭もりあそばせ」

 乳母と少年帝に剣を持たせて、宦官は皇帝を最も安全な場所へ退避させ、同時にそこを逆クーデターの指揮所とした。

 伝令は次々と発せられ、この夜、剣を持った宦官たちが宮廷内を駆け回った。

 皇帝の次に宦官が掌握したのは、玉璽の府と、皇太后の身柄であった。いずれも公文書発行機能をもち、皇帝と対価といってよい。太后は、日頃寵愛してきた宦官達に白刃をもって脅され、何の事やらわからぬままに、長楽宮から引きずり出された。

「――竇武ならび陳蕃のともがら、太后に奏して帝を廃せんと謀る。これ大逆である」 

 大将軍、太傅御謀叛!

 この報は、宮廷中をかけめぐった。

 ただちに、近衛の軍団に動員がかかった。

 なかには疑問を抱く部将もいたであろうが、太后の璽が捺してある正式文章なので、この命令は絶対であった。かれらは、篝火をかかげ、一挙に大将軍府を急襲したのである。

 


「事、やぶれたか」

 闕下にとぐろを巻くように集結する篝火を見下ろして、大将軍竇武は天を仰いだ。

かれは、後漢建国の功将、竇融の玄孫である。そのころから竇氏は、皇室との姻戚がふかく、幾度か皇后や貴人を出している累代の外戚であった。

 竇武自身は、母の胎内から蛇と一緒に生まれ出たという奇譚以外、いたって平凡な質で、長安郊外に住まっているときは、私塾を開いて学生を教授する、穏やかな教養人であったようだ。

 ところが、娘が貴人として後宮へ入ったことから、人生がおおいに転換した。

 彼は一躍列侯に封じられ、越騎校尉、城門校尉などという高級士官職を歴任し、本人が目をまわしているうちに、押しも押されもせぬ大外戚となりおおせてしまった。

 が、彼は根が村夫子であるためか、どうにも使い道の解らない家財や、放っておいても貯まる一方の銭帛の処分に困り、貧民街を中心にそれらの配布をはじめた。

 ちょうど、魔王の代名詞にまでなった大外戚、跋扈将軍・梁冀の圧政が終わった頃であったので、

「こんどの外戚は、神の如き人だ」

 という評判がうまれ、どっと士人が押し寄せた。たちまちのうちに、竇武を中心とする清流派の一大グループが結成されたわけである。

 これには、宦官どもも当てが外れたであろう。竇武、竇后という、それといって特徴のない父娘を次代の最高権力者に選んだのは彼らであるが、それは要するに、彼らが操るのに都合のよい、凡庸な父娘である、と目星を付けたからであった。その無害であるはずの男が、清流派の領袖として、宦官にたてつく急先鋒となってしまっている。

 それから党錮の禁がおこり、同志たちは皆公職から追放されてしまった。が、外戚たる竇武まではさすがに司法も及ばず、やがて桓帝が崩御し、霊帝が即位することになった。竇皇后は太后となり、竇武は大将軍に累進した。

 竇武は数年間の宮廷生活で、宦官による天下の惨状を知り尽くしており、

「こやつらを、皆殺しにせねば漢家は滅びる」

 とまで決意を固めていた。

 が、娘である太后は常に宦官の味方であった。うかと相談も出来ぬ。

 どうすれば、宦官どもを皆殺しに出来るか。竇武は毎日何刻かをその思案に割くことにし、独自に計画を練り始めていた。

 ――そんなある朝、たまたま廟堂で、太傅の陳蕃とふたりきりになった。

 陳蕃は、天下の御意見番とも云うべき老骨で、さすがの宦官も、彼の名声があまりに巨大なのを畏れ、手出しができずにいるという惑星のような存在であった。

 竇武は、陳蕃と平素それほど親しくないが、同僚として大いに尊敬している。

 と、陳蕃がふいに切り出した。

「曹節、王甫の徒は、海内を濁乱し、民を虐すること甚だしい」

 密談ゆえ、声が低い。ぼそぼそと、陳蕃は驚くべき事を云った。

「――本職は、彼らを誅滅して天下に謝すつもりでいるが、如何」

 竇武は息を呑んだ。

(あっ――同志が、ここにいたのだ)

 竇武は大きく頷き、目でもって賛同を示した。

 よほど嬉しかったに違いない。そのときの陳蕃は、「大イニ喜ビ、手ヲ以テ席ヲ推シ、起ツ」と、具体的な所作まで描写されている。

 決起の、わずか三ヶ月前である。

 

 ――そして、いま。

 大将軍竇武は、大将軍府の裏門を遁走している。

「北営にさえ逃げ込めば」

 逮捕状をかざした勅使に傷を負わせ、彼らが怯んでいる隙に、竇武は遁走した。

 衛士らが忠勤し、追っ手と激しく剣闘している。

 竇武はその間も走り続け、どうにか甥の竇紹が駐屯する北営へ駆け込んだ。この甥は、かつて竇武の身内であることをかさに驕慢し、ために竇武が下野騒ぎを起こしかけたときの、あの甥である。

「大将軍、いかがあそばしました」 

 歩兵校尉である竇紹が驚いて出迎えると、竇武は絶叫した。

「常侍、黄門叛す!尽力する者は侯に封じ、重く賞するであろう」 

 さてこそ――と、竇紹は麾下の歩兵軍団数千人を招集するとともに、竇武を追ってなだれ込んできた宦官側の宮兵と開戦した。

 地の利は、当然竇紹にある。竇紹と竇武は、手ずから十余の敵兵を射殺し、この方面の敵を敗走させた。

 敵の壊滅を確認した竇紹は、叔父のもとへ歩みより、

「大将軍、こちらから寄せるべきです」

 と決起を促した。

 竇武も、もとよりそのつもりである。

 しかし――甥の言に頷き、号令を発しようとしたとき、宮を埋め尽くすような篝火がこちらへ向かっているという報せを受けた。

 宦官側が、京に逗留していた護匈奴中郎将の張奐をよびよせて、五部の近衛全軍の指揮権をゆだね、進発させたのである。 

 圧倒的な篝火の群れは、粛々と北営のそばの都亭に迫りつつあった。

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