2009.09.07

魏延の北伐【第五章】 馬謖

 
               一
 
 魏の右将軍、張郃は字を儁鑛といい、冀州河間の産である。
 もはや四十年以上もの昔話となった黄巾一揆のおりから軍籍に身をおき、以後つねに最前線で働きつづけた宿将中の宿将であった。彼ほどの軍歴を誇る将領は、冗談ぬきで三国の何処を探しても存在しない。
 それほどの老雄が、一軍を率いて来るという。
 祁山の本営を四十里ほど進んだ北伐軍本営は、その対応のため行軍を一時中断した。
「いたずらに敵を評価するのではないが、魏の張郃は、畏れながら先帝陛下と同年代の歴戦の勇者。かの曹操が古の韓信に擬したほどの名将である。その将才は尋常ではあるまい」
 筆頭格の討逆将軍呉懿がまず発言し、一同の注意を喚起した。
「もはや六十を越した程と云うのに、達者なるものかな」
 感心したような呟きが各所でおこる。先帝の当時、張郃、張遼、于禁、楽進、徐晃といえば、魏の五大将として蜀呉の将兵からは、ほとんどばけもののように知覚されていた存在であった。そのばけものの生き残りが、敵手として陣頭へ姿を見せているという。
 もっとも、
「なに、麒麟も老いれば、と申す。所詮は片足を墓桶に突っ込んだ老朽の翁」
「同感。老翁相手にこうして軍を止めるのは如何なものか」
 などと、曹操や先帝劉備の戦さぶりを知らぬ若い将校たちは、それほどの危機感を覚えぬ容子で古参組の深刻さを嗤った。
(――張郃か)
 文長は先帝の漢中攻略戦のおり、決戦場となった定軍山で張郃と対峙した事がある。
(あれほど危うい戦さは、後にも先にもないないだろう)
 文長の隊は張郃に手もなく突き崩されており、もしあのとき主将の黄忠老人が敵総大将の夏侯淵を討ち取ってくれていなければ、文長は定軍山を墓標としていたに違いない。
 ……腕組を崩さず重々しい沈黙を保ち続ける文長をよそに、評議はすすんだ。
「誰が、彼をふせぐのか」
 議題はその点に集中せざるをえない。
 現在北伐軍は、斜谷に入り込んでしまった曹真軍の背後を迂回しつつ素通りして、長安を直線で衝くというコースを辿っているが、長安から突出した張郃軍は、その北伐軍の進路をさらに迂回し、背後の鑒山本陣を一挙に陥れるつもりであるらしかった。
「もし祁山が陥ちれば、本国との連絡を断たれ、我々はこの異郷の地で立ち枯れになる」
 そうなるまえに、誰か一将を本隊から急発させ、北伐軍の背後へ回り込もうとする張郃軍を阻止せねばならない。
「必ずしも張郃軍を撃ち破る必要はない。長安を陥とし、主力同士の決戦が終わるまで、張郃を釘付けにしてくれればそれでよい」
 孔明は事も無げに説明したが、それは容易な話ではなかった。
 張郃軍は騎兵のみ二万という大部隊で、しかもこの近辺の地理を熟知している。それほどの雄敵を相手に、戦線を最低一月は膠着させねばならないのだから、並の将帥の能くなし得るものではなかった。
「……丞相、私が参りましょうか」
 皇太后の兄にあたる呉懿が、怯むいろなく申し出た。彼も老練と云えば老練な男で、この益州を最初に独立王国とした英雄、劉焉(劉璋の父)の部将として幾多の戦場を疾駆した経歴がある。文長や孔明より一まわり年輩で、重厚そのものの風格をもつ。
 孔明は、返事を控えた。諾とも否ともとれない微笑を返すと、改めて諸将を見直した。
「討逆将軍がこう仰せある。卿らの意見は如何」
 やや小才の利く将校どもは、孔明の意図に気付き、あわてて呉懿を押しとどめた。
「あいや、敵の張郃は雄敵とはいえ氏素性の卑しき外様ものにござる。皇叔が御自ら出向かれるとあっては、漢家の御名にかかわりましょう」
「もっともと存じる。皇叔は、長安を踏み固めるというお役目があるはず」
 孔明は彼らの言をよしとし、では誰がよいか、と訊ねた。
 文長は、あいかわらず巌のように傲然と構え、一連の茶番劇に顔を突っ込まない。
「せめて鎮東将軍(趙雲)か征西将軍(陳到)の何れかが陣中におわさば」
「なんの。軍中一の豪は鎮北将軍(文長)にござる」
 蜀の誇る将星の名がつぎつぎ飛び出すが、では誰がよいか、となるとまるで意見がまとまらない。むろん文長を推す声が大多数であったが、当の文長がおそろしく不機嫌な容子で推薦者を一瞥するので、その声は尻すぼみになってしまう。
 ……ところで、文長はすでに知っていたのだ。
 先日のうちからこの評議の結果を、孔明に知らされていた。
 文長ははじめ孔明の口からその名を聞いたとき、瞬間的に嚇っとなった。文長は、我ながら不思議なほど、孔明の頚を刎ねとばしたい衝動に駆られ、一礼すると無言で幕舎を飛び出し、馬に鞭をくれた。
 一歩でも孔明から離れなければ、危険であった。文長は激しく馬を責めながら鞘走り、剥き出しの岩肌に群生する潅木を、長剣をふるって次々と叩き切った。そうでもせねば、ただでさえ過多気味の感情量が、文長の自我を破壊しかねなかった。
 文長は一部の職業軍人にみられる躁の傾向がある。このときも、一颯ごとに鋭く叫び、やがてその姿は鬼気を帯びはじめ、ついには岩肌を切りつけて音高く剣を折った。……
 
 おおよそ名のある将帥が出尽くし、興奮をはらんだ沈黙が陣幕の空気を支配したその時、孔明はようやく我が意中の人物を指名してみせた。
「――余は、参軍馬謖こそ用いるべきとおもうが」
 さすがに、列将は愕然となった。
 
 孔明が馬謖を選ぶにあたり、前もって賛同をとりつけておくべき人物が一人いた。
 云うまでもなく、実戦責任者の魏延文長である。
 前夜、孔明に呼び出された文長は、先述の如く人知れず狂態を示して我をねじ伏せ、とにかく今日の軍議に口を出さなかった。
(彼の反対さえなくば)
 と、孔明は敵を恐れるよりもむしろ味方の大将を恐れた。
 孔明の北伐中の苦心は、用兵よりも日常の事務や諸将の統率である。右を立て、左を立て、歴戦の勇将どもをすかし、あやす中でも、彼はどうしても実現したい一存があった。
 ――季常のおとうとを、世に出す。
 ということである。
 季常とは、すなわち馬謖の兄馬良のことで、孔明とは互いに兄たり弟たる仲であった。
 現代の日本にも、馬良は「白眉」ということばで残っている。馬良は、奇妙な事に若いくせに眉が雪を措いたように白く、また五人兄弟の仲で最も才器優れていたことから、ある集団の中で傑出した存在を「白眉」と云い慣わす。
 この白眉は、狂した先帝が呉に対して行った大親征に従軍し、奮戦の末戦死した。孔明は以後、彼の末弟馬謖を偏愛し、馬謖も孔明の期待によく応えつづけた。
「幼常は、ひょっとすると季常を越える英雄になるかもしれない」
 孔明は、愛弟子の驚くべき進歩を目の当たりにして、ついつい頬を緩めた。
(だが惜しい事に、馬謖は実戦の経験がない)
 陣中には、馬謖をさして
 ――長袖が鎧を着ただけの乳臭児
 とあざ笑う風があるという。丞相の懐刀と畏れられる一方、机上でしか兵事を語れぬ馬謖は、恰好の嘲笑の的であった。
(幼常も戦地で目に立つほどの功績を挙げれば)
 孔明は、おそらくは文長あたりが放言しているであろう馬謖評を、何としても改めさせたかった。公たる丞相ではなく、私たる諸葛孔明の意思が深く介在している。
(それに、こういう肝要なところで、生粋の武人はどう逸脱するかわからぬ)
 孔明の胸奥に息づく軍人への不信感が、馬謖を撰ぶという自らの行為を正当化していた。
 
 ……ともかく、馬謖という意外な名が挙がり、諸将はむしろ困惑した表情を浮かべた。こればかりは未知数なのである。
(――到底かなうはずはない)
 と不安に思う一方で、
(――かの麒麟児ならば或いは)
 と納得できる一面があるのも確かであった。
 一座は複雑な表情で黙りつづけ、孔明のふたことめを待った。ここで下手に反対を表明しようものなら、事実上の蜀漢王朝の支配者である諸葛丞相と、その第一の側近を敵にまわす事になりかねない。
(まずは予想通り)
 孔明は、帯電したような座の空気をみてそう思い、充分に沈黙を溜めると、言を継いだ。
「卿らの中には、むろん参軍の未熟を憂う者もいよう。かくいう余もその一人である。しかし参軍はすでに弱冠といわれる齢を幾つか過ぎ、ものの分別は弁える程になっている」
 少々云い訳じみている、と孔明は自分でも思わぬでないが、なんとしても馬謖を行かせたいという意思が彼に言を続けさせた。
「云うまでもないが、余はたびたび参軍の鬼謀に援けられ、彼から兵法の玄機を学ぶところもあった。彼は余の弟子であり、また師でもある。余は敵に張郃ありと聞いたとき、参軍馬謖の名をふと思い付いた次第である。――参軍、参軍。これへ出よ」
 孔明は馬謖を顧みた。
「余は自らの思惟を急ぐあまり、卿の存念を問うのを失念しておった。卿の意思を包む事なくつまびらかにせよ」
 若輩馬謖は、歩みでて諸将へ一礼すると、孔明へ向き直った。
「この不肖の身に丞相の過分なる御期待と存じます。張郃は私が生まれる以前から戦場を往来した驍勇、尋常に立ち合ってまずかなう相手ではありませぬ」
 と、謙遜してことばを切った。
「しかし丞相の御命令とあらば、何処へでも征き何時にでも死ぬ覚悟はあります。身に存念などなく、ただ丞相ならびにお歴々に御裁可を頂きたく存じます」
 孔明は手をうち、高い声で評した。
「事を前に、敢えて大言もせず面白からぬ輩かな。だが若さに似気無く恭謙なところは白眉の弟である。頼母し、頼母し」
 ――諸将や、如何。孔明は振り返って問うたが、もはや反対できる空気ではない。
 
               二
 
 文長は自分の幕舎へ戻ると、すぐさま従者を立て、牙門督・卑将軍の王平を呼んだ。
「王平、王平、貴様はかの馬参軍のもとへゆき、彼の副将として戦隊を督するのだ」
 早々に命じられ、王平はさすがに驚いたものの、すぐさま頷いてみせた。
「丞相の諒解は得ている。すぐさま駆けよ」
「はっ」
 王平は、いかにも軍人らしい律動的な歩調で駆け去った。
(王平ほどの勇者がつけば、まさか馬謖に事の誤りがおこるとはおもえぬ)
 文長が、馬謖を撰びたいという孔明の説得に応じたのには、ひとつに自分の麾下から副将を出すという条件を呑ませたからであった。馬謖の勢力拡大に対する牽制の意味もあるが、そういう政治向きなはなしを抜きにしても、若い馬謖に誰か心の利く勇将を一人付けたいという心配があった。この点では、孔明も全く同じ考えであるらしかった。
「では、王卑将軍をお借りしましょう」
 と、孔明が瞬時に応じたところを見ると、その人選も最初から一致していたらしい。
 
 丞相参軍馬謖の麾下にはいる部将は、王平のはか、張休、李盛、黄襲、陳戎(一説に陳戒とつくる)らである。数は一万をやや越えるほどで、特に軽俊な精兵が選抜された。
 馬謖は早速幕僚たちを集め、辺りの地図を広げた。
「張郃は長安を出、北へおおきく弧を描きながら我々の後背の祁山へなだれ込むつもりだ。我が隊は、この本営から真っ直ぐ北上し、天水郡を抜け広魏郡にはいる」
 二五〇里ほどの道程である。
「張郃軍は、おそらくこの略陽県を通過するにちがいない。この略陽路の咽喉とも云えるのが、南山の麓にある街泉亭だ。我が隊は、この街泉を先に扼し、張郃軍を食い止める」
 街泉あるいは街城と呼ばれるこの地名は、街亭ともいう。路の脇に、傾斜は緩やかだが魁偉な山肌がせまり、どんな大部隊でも、この地点を通過する時はほそく長蛇の列を押し並べてゆかねばならない。兵法が深く忌むところの隘路というものであった。
 ――この街亭を先取すれば、いやでも戦闘は長引く。
 これは蜀軍首脳の均しく思うところであって、孔明も文長も、地形図を一瞥しただけでそれと看破した。
 文長はその事を王平へ伝えるような事はしなかったが、丞相の孔明は、事が事だけに丁寧であった。自ら足を運んで馬謖の本陣へ赴くと、孔明はせっかく先に馬謖が説明した軍略を、改めて丁寧に述べ、しつこく念を押した。
(……いい加減にして欲しい)
 馬謖は、さすがに幕僚の手前、気恥ずかしく思った。まるで小児あつかいされているようで、いい気分ではない。部下どもは、いちいち神妙そうに孔明の説明を聞いているが、内心では孔明の馬謖に対する過保護ぶりを嗤っているに違いなかった。
 舌打ちしたいのを抑え、馬謖はとにかく孔明を宥めて退席ねがった。敬慕する師父に対しこういう悪感情に駆られたのは、初めてである。
 孔明はそれでも不安を拭いきれないようで、馬謖の袖をとり、参軍よろしいか、街亭を先取したとして、決して山上へ登ってはならぬぞ、あくまで街道を封鎖して張郃を阻むにとどめられよ、と同じようなことを二度三度もくりかえして去っていった。
(云われなくともわかっておるわい)
 と、さすがにむかっ腹もたつ反面、馬謖は、ふとした誘惑にかられた。
(逆らってみようか……)
 それは、秀才馬謖にとって、これまで踏み込んではならない禁断の領域であった。
 ところが常ならば想像さえもする事のない選択肢が、おどろくほど甘美な芳香を放ち、馬謖のすぐ目の前に確実に存在していた。
 
 兄を超え、父を超え、師表とする男を超える。
 ……父性を実力で凌駕する。男子が一個の男になる為のプロセスが、このときの馬謖の背中を押していた。きわめて意地の悪い表現をすれば、三九歳という遅すぎる反抗期の発現が、この秀才肌の男をはげしく駆り立てていたといえる。
 馬謖評に、いう。
 ――謖、才器人に過ぐ。好みて軍計を論ず
 人並はずれた才略度量の持ち主で、特に軍略を好んだ、という。しかしながら、
「然れども、彼の言、実を過ぐ。大用するべからず」
 と、酷評にちかい断を下した人物がいた。他ならぬ先帝劉備である。
(あれは、まだこどもだ)
 さすがに、鋼の野心が熱くぶつかりあう世界を生きただけに、才略がずばぬけて先行する馬謖の脆さ、危うさを、劉備は一目で見抜いた。逆に孔明は、若いころから隠者生活を送ってきたぶん、純粋に人生経験の差でそれを見落とした。
 劉備の人物眼には明確な基準があり、何よりも純朴を愛し、武辺者を可愛がった。だから馬謖に対する酷評は、その裏返しの「インテリ嫌い」による偏見だと、孔明はかたく信じ、その遺命だけはただ一つの例外として従わなかった。
 
 北へ北へと強行軍をかさねた馬謖隊は、宣言どおりに街亭へ先着した。
「前方に敵影なし」
 の報をうけ、馬謖の周囲がどっと沸いた。
「参軍、これで張郃を長いこと防ぐ事ができますな」
 幕将たちは口々に祝いを述べた。まだ戦さは始まっていないのだが、とにかくこれで目的の半分は果たした事になる。
「参軍。夜までまだ間がござる。今のうちに柵を拵え、逆茂木などを設営して、街亭を封鎖してしまいましょう」
 副将の王平が駒を並べて進言した。馬謖は、うなずきかけた。
 ――その目に、息苦しいほど視界を圧迫する山嶺が映った。
「あの山は?」
「南山でござろう。街亭の咽もとを締め付ける山の一つにござる」
 馬謖はみなまで聞かず、馬首をめぐらせた。
「各々、よろしいか。これより兵団をかの南山に上げ、張郃を迎えうつ準備をする」
 突然の命令変更である。
「丞相は、山に登らず平路を扼せよと仰ったが」
 諸将は眉をしかめて反論した。馬謖は頭をふり、
「戦地に在っては君命を受けずという。現場の事は現場の人間でなくてはわからぬ。見よ、あの南山の雄偉さを」
 と、鯨鞭をもって南山を指し示し、
「あの山頂から逆落としに駆け下れば、その奔騰の勢、たとえ張郃といえど防ぎ得るはずがない。孫子に云う――軍ハ高キヲ好ミテ低キヲ悪ム、と。丞相はこの地勢をまだご覧ないから、山頂へ陣取れとはお命じになれなかったのだ」
 副の王平は、それでも首をかしげて抵抗した。
「なれど御命は御命。これに違うのは軍規を乱す事になります」
「卑将軍、それはちがう。三略にも、主戦ウ毋カレト云エドモ戦ッテ可ナリ、主必ズ戦エト云エドモ戦ワズシテ可ナリ――とある。まさに今のためにある金言ではないか」 
 王平は、自分より幾らか若い主将を呆れたように眺めた。あきらかに今の馬謖はふつうではない。しかしながら、云っている事は完全に正しい。
 正論では馬謖にかなわぬと見て、王平はやや理屈を述べた。
「ですが丞相は、あくまで張郃を防げ、勝ちを望むな、と念をおされた。今の参軍の策は、張郃を防ぐのではなく、彼の勢に勝つためのものに思えますが」
 馬謖は、さすがに返答に困った容子で、
「でも、ただ防ぐよりはこれを撃ち破るほうがよいに決まっておる」
 と、こどものような反論を口中で呟き、すぐさま自分が上位者であることを思い出した。
「王将軍、議はそこまでにされよ。身は、卿らの主将である。将軍が身に従わぬとあれば、身は丞相より授かった裁断権によって将軍を拘禁することになる」
 だいぶ気分を害しているようであった。王平は、
(つきあいきれぬ)
 と、匙をなげた。しかし一分の我は立てた。
「参軍がそう仰せあるならば御随意に。さはいえ、街道を防ぐ隊が必要になるでしょう。参軍は南山の山頂へ布陣候え。吾が隊は街道へのこり、張郃を斬り防ぎますゆえ、折を見て参軍は山上より攻め落として彼の腹背を衝き崩されよ」
 勝手にせよ――と、馬謖はおれた。
 しかし幕僚集団にかしずかれて山上へ軍団を移動させる最中にも、馬謖はしばしば眼下に米粒のように布陣している王平隊へ向かって唾をはきすてた。
(奴め、この僭上の沙汰は、きっと懲らしめねばならぬ)
 馬謖は、生まれて初めての大将経験に、いわば舞い上がり、気が大きくなっていた。悪いことに彼の幕僚たちもそれに付和し、王平の無学や素性の貧しさを嗤った。
 馬謖は大いに頷いた。とてもよい気分であった。
 
 馬謖の支隊が山上へ布陣してから、わずかに二日後、北方より魏の大部隊が略陽へ姿を現す。主将張郃を陣頭に、騎兵のみ二万という快速部隊である。
 老張郃は、道中の隘所街亭の地形を案じ、全軍をいったん停止させ、斥候を先行させた。
 ――ややあって、折り返しに報告がはいってくる。
(進路のわずか東、列柳城に蜀の部将高詳がはいり、前哨拠点としている模様)
(目指す街亭はすでに蜀賊の旌旗が翩翻とひるがえり、完全に封鎖されている容子)
 張郃は太い白眉をはね上げ、手の鞭を地に擲った。
「ああ、蜀にも慧眼の士がおる――この街亭の要害を疾く押さえるとは」
 慨嘆し、従者に鞭を拾ってもらうと、再びそれを手元で弄しながら訊ねた。
「して、封鎖の人数はいかほどなのか」
「それが、わずか二千あまり」
「二千?」
 張郃はわが耳を疑うような素振りをしてみせ、遥か薄靄の彼方にある街亭を眺望した。
「詳しく申せ。まさか敵の総数は二千だけではあるまい」
「はっ。街亭の咽喉を扼する南山の頂きに、ただならぬ兵気が感じられます。おそらく、万余の兵団が伏兵しているものと思われます。察しますところ、街道の隊は、囮かと」
 よう見た、と斥候将校を誉めて下がらせると、張郃は白髯をしごき、考え込んだ。
 
               三
 
「敵は、素人だ」
 翌朝になって、張郃はあっさり看破した。
「詳しい索敵の結果、山上におる敵の主将は馬謖といい、街道の隊将は裏切り者の王平であるとわかった」
 張郃は髭を寒風になぶられつつ、とても六十翁と思えぬ頑健な腕をかざし、二十里さきにある南山を指した。
「奴らの本来の意図は、我が隊をここで足止めし、本軍の行動の自由を確保するというものである筈。それが、ほとんどの兵を山頂へあげたという事は、我が隊をここで撃滅するつもりでいるらしい。……おかげで、見よ、最も肝要なはずの街道の守りが、わずか二千あまりというていたらくになっておる」
 張郃は近在の山民から南山周辺の地理を聞きだし、一見難攻不落なこの要害の重大な欠陥を見切った。
 水脈の有無、である。
「――囲め」
 張郃の短い命令が、孔明の、蜀人全員の北伐の夢を、残酷なほど完全に打ち砕いた。
 
 孔明の「第一次北伐」の失敗の起因を、ただ馬謖一人に押しつけるのは酷に過ぎる。
 くどいようだがこの北伐戦略の最大の要は、新城郡の奪取であった。その点、上庸の孟達に対する孔明の調略工作の精度は完璧の域に達していた。この時点で、孔明は北伐が半ば成った事を確信したはずである。
 ところが、ここに一人の男が彗星の如く出現し、蜀漢王朝の雄図に挫折をあたえた。
 司馬懿、字は仲達。孔明よりわずか二ツ年長というこの鬼才が、孔明の智略を丸裸にし、完膚無きまでに痛撃した。
 蜀に孔明、呉に陸遜ありといえど、時代はこの時すでに、司馬氏主導のあらたなる秩序の足音を聞く程になっている。
 巻き込まれた馬謖こそ、災難というべきであった。
 
 ……張郃の包囲は、その日のうちに成果を顕しはじめる。
 南山の嶺に布陣する馬謖軍は、たちまち全軍涸渇の恐怖にとらわれてしまった。この山は、渓流水はおろか井戸水さえ満足に確保できない地質だったのである。
(しまった。水の手か)
 兵らの訴えを聞いて、馬謖はようやく張郃の意図に気付いた。その時はすでに、南山の後背に面する街水を押さえられ、馬謖軍は、完全に水分の補給路を断たれていた。
「参軍がやぶれる事あらば、我らの隊もこの街亭で死なねばなるまいぞ」
 王平は果敢にも水源の奪取を謀って、街道の封鎖をといて出撃した。むろんそれは、張郃の指揮する重囲陣の捕捉するところとなる。
「推参なり」
 大声で叱咤した張郃は、南回りに旋回してきた王平隊を正面から叩きつぶし、逆に王平隊をも南山の麓のほうへ追い上げてしまった。
 
 馬謖は最初の頃の興奮も醒め、眼下に蜷局をまく張郃軍団を冷ややかに見下していた。
 知覚が、無くなったのではないか。そう幕僚たちが懸念する程に、馬謖は生気も覇気もなく、あれほど才気煥発であった秀才青年の見るかげもない。虚ろに突っ立っている。
 ただ、不仲であった副将の王平が山上へ敗れ戻ってきたときだけ、目礼をしてみせた。
(参軍は、ようやく敗北という経験をされた)
 王平は、人の世の皮肉の痛烈さを感じずにはいられなかった。
 この敗北は、馬謖という人間をひとまわりもふたまわりも成長させる事だろう。馬謖が英雄と呼ばれるのに唯一欠けている因子は、完膚無きまでの失敗という得難い経験であり、今、その完璧な失敗を現在進行形で経験しつつある。
 馬謖は、大きくなる。
(だが問題は、この作戦は絶対に失敗が許されぬという事だ……!)
 王平は、臓腑をえぐられるような心境でおもった。
(機が悪かった。馬参軍が世に出るのは)
 本人にとっても、蜀漢王朝にとっても、これはおよそ考えうる限り最悪のタイミングのデビューであった。
 
 張郃は、山上の馬謖隊が完全に干涸らびるのを待つため、さらに五日間包囲を続け、そのあいだ、水源を奪回するために突撃してきた馬謖隊を七度にわたり撃退した。
 やや東北に位置する蜀の前哨基地列柳城は、このとき魏の雍州刺史郭淮の重囲を受けており、蜀将高詳は歯噛みしながら街亭の窮状を見守るしかなかった。
 八度目の突撃が、ほとんど蜀兵たちが投降するための芝居であった事がわかると、
「いよいよじゃな」
 張郃は幕将たちと頷きをかわした。
 ――翌黎明を期して開始された総攻撃は苛烈そのもので、街亭の乾いた山肌を焦がし尽くすように魏兵が這い登り、蜀軍はほとんど抵抗さえできずに次々と討たれた。山の乏しい潅木には火が放たれ、馬謖軍の兵たちは刃と炎と、その双方がら逃げまどわねばならなかった。もはや戦闘などと呼べるものではなく、一方的な虐殺、あるいは人間を標的とした狩猟と云ってよかった。
「卿らは落ちよ。私は此処で死ぬ」
 馬謖は感情のうすい声で幕僚に伝えると、最後の指揮を執るべく徒歩で前線へ向かった。諸将は蒼白な顔をならべるだけで、誰も馬謖を止めようとはしない。
 
 足場のわるい山地で巧みに駒を制御しつつ、自ら槍をふるって奮戦していた王平は、幽鬼の如くよろばい出てきた主将の姿を見て息を呑んだ。
「参軍、斯様な処で何をばし給うぞ」
 王平は馬をとばすと、目ぼしい大将首と見て馬謖へ駆け寄ってきた魏兵二人を造作無く突き殺し、そのまま馬謖の躰を馬上へ掻きあげた。
(幕僚どもは何をやっている)
 王平は放心状態の馬謖を連れてひとまず本陣へ戻り、彼らの怠慢を怒鳴りつけてやろうとした。
 ところが呆れた事に、既にそこは無人となっていた。さすがに王平も途方に暮れかかったが、ともかく心の利く同郷の副将句扶という男を最前線から呼び戻し、
(貴様は血路を斬り開き、参軍の身を落とし参らせよ)
 と馬謖の身を託し、自身は、ふたたび槍を手に混迷きわめる前線へ向かう。
 この時すでに馬謖軍の兵力は六千をきっており、張郃軍二万に対し組織的な抵抗は為し得ず、ただ将兵ひとりひとりが、個人の絶望的な武勇を発揮しているに過ぎなかった。
 それでも、張郃軍に対し戦線らしいものを保ちつつ、激闘二刻余、正午をやや過ぎようとしたとき、ふいに張郃は、
「攻めるを止めよ」
 と、攻撃の手を緩めさせた。そればかりか、南山の頂まで駆け登っていた突撃兵を、撤収させはじめた。
 これは、王平が乱戦のなか掻き集めた一千あまりの部隊が、崩れゆく馬謖軍の中にあって、盛んに鼓を打ち鳴らしつつ逆撃の姿勢を示したためであった。
(虚喝だな)
 張郃は、王平の苦心の陽動をただ一目で見抜いたが、とにかく一定の戦果をはたした事もあり、無理に統制のとれた王平隊を捕捉撃滅する必要を認めなかった。街亭という隘路を塞ぐ夾雑物を取り除いた事で、この戦闘の目的を十分に達成したのである。
「これで仕事は終わったわ。ゆるゆると道中をすすみ、祁山へむかうとする」
 張郃は兜を小脇に抱え、厚い鎧を外し、ひと汗かいた巨躯を小気味良げに拭うと、こどものように破顔した。
 
 敗残者は、勝者のような余裕にひたる暇などない。
 なかでも王平は最も多忙であった。続々と逃げ戻ってくる馬謖本軍の将兵を収容し、負傷者を後送しつつ、まだ逆撃態勢の芝居を続けねばならなかった。
 やがて、列柳城の高詳軍が郭淮の猛撃に耐えかね、敗走してくるのと合流すると、「頃はよし」と、王平隊も撤収をはじめた。
 幸運なことに張郃は敗残者の群れには目もくれず、しずしずと戦列を保ったまま、すでに祁山を目指してこの地から遥かに去ってしまっている。
 王平は、事の次第を孔明と文長へ報せるべく、早馬を発した。
 
 ……街亭の敗北から遡ること六日。
 参軍、南山に陣替えす、という王平の急使を受けとったとき、孔明はあっと筆を擲ち、
「ば、莫迦っ! あ、あれ程云うたのに、莫迦っ!」
 と、孔明は信じられないことに、女人の悲鳴の様な金切り声で空を怒鳴りつけた。
 その場にいた数人の近侍は、この世ならざる――実際にこの世ならざる孔明の姿を見て、ぼうぜんとした。孔明は熱病に罹ったように小刻みに震え、血走った眼で独り言を呟きつづけていた。
 ――が、狂躁は数瞬で過ぎ去った。
 孔明はすぐさま衣服を正すと、諸将を参集させた。
 諸将が訝しむなか、孔明は主計監の楊儀を見遣り、
「威公、卿はただちに祁山へ戻り、かの地に貯えていた武具、糧食の類を一つ残さず蜀へ護送せよ。その後、兵を率い漢中へむかえ。漢中へ」
 と口早に命じた。
 ついで小者に「涼州殿をここへ呼べ」と云いかけたとき、その文長がいっそ荘重な程の足取りで本営へやってきた。
 文長は無言であった。ただその眸、その全身に、ものを云わせている。
「……将軍、漢中へ」
 孔明はかろうじてそれだけを伝えた。
 
 やがて王平の発した祁山失陥の報が届く頃には、早い隊は既に漢中へむけて撤退を開始しており、祁山からも膨大な物資が長蛇の列を為して後送されている。
(これで北伐も終わりだ)
 黄昏せまる中、文長は続々と撤収する諸部隊を見送りながら、ぼんやりと思った。残照に染まる秦嶺山脈を背景に、敗者の行列は、細々と稜線の彼方までつづいている。
 心無しか、蜀の旌旗が力無くうなだれているように見えた。

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