2009.09.07

魏延の北伐【第九章】 五丈原へ

 

          一
 
 李平にしても、策もなく思い付きで行動しているわけではなかった。
(そろそろ丞相に知らせが届いていよう)
 彼がどれほど激怒しているか、李平は容易に想像できる。
(丞相は、きっと成都へ戻り、廟議の席で自己弁護に努めるにちがいない)
 そのときこそ、李平の地道な朝廷工作が役立つのである。廷臣たちの間では、孔明への権力集中に対する不満は意外につよく、いくらでも乗じる隙があった。
 いま国内で、孔明とまともに対抗できる人物といえば、皇帝の劉禅を除けば李平一人があるのみであった。身は驃騎将軍、前尚書令であり、息子は対呉方面の総帥である。孔明に反感をもつ者たちは、当然ながら李平の元に集まっていた。
(今回の撤退の一件が大騒ぎになればなるほど、丞相無謬の印象は薄れ、やがて儂と彼との格差が殆どなくなる。あとは涼州ら武断派を焚きつけ、軍部から丞相の色を払拭する) 
 そうすれば、李平父子と孔明の立場は逆転し、李平こそが蜀漢王朝の真の支配者となることができる。
 ――そこまで思考を巡らせたとき、李平に急の知らせがあった。
 使者は声まで蒼白になって、驚愕すべき情報を李平に伝えた。
「帰還してきた北伐軍が、速度をおとさず南鄭城を攻撃する構えを見せております!」
「なんだと!?」
 この瞬間、李平は己の敗北を思い知らされたに違いない。
(謀叛の疑いを避けるために武装解除するのではないのか…!)
 孔明は、彼の掌の上で躍るほど大人しくなく、また甘くなかったのだ。 野戦で自分が孔明や文長に後れをとるとは思わないが
、戦場が漢中ともなれば話は変わる。魏延文長は、つい最近まで漢中要塞の構築を指揮していたのだ。
「勝てぬ」
 李平は呆然と呟いた。 まさか孔明がこのように素早く、しかも強硬な手段に訴えるような男であったとは考えもしなかった。
 当時の常識として、孔明は非武装で成都へ昇り、査問にかかるべき身である。李平は当然ながらその事態を想定し、その準備だけを万全に整えていた。
 ところが孔明は、真っ先に漢中総督文長と彼の軍をうごかして漢中を無力化し、有無を云わさず李平の身柄を確保するという挙に出た。世が世ならば、これは逆賊の所行というべきであろう。
(――だが陛下は)
 どう考えても孔明を支持するに違いない。
 
 李平は、病であると称して漢中を秘かに脱し、西へ逃れた。
 ところが武都郡の沮県という地点まで落ち延びたところで孔明の哨戒網に探知され、直ちに沮へも一軍が送られた。
(かくなるうえは南へ向かい、息子のいる江陽まで落ち、かの地で再起を図ろう)
 李平は、かつての地盤である江州方面へ逃れて対呉方面軍団を掌握し、あらためて孔明と対決するか、いっそ蜀王朝から自立するかという道をえらぶつもりであった。
 あわててこれを諌めたのは、参軍の弧忠(馬忠)である。彼は先に孔明の元へ使いしたとき、すでに孔明の意を受けている。
 ……李平は結局、その説得に応じて漢中へ戻り、孔明の元に出頭した。
 詮議の席で、なおもとぼける李平に対し、孔明は保存してあった事件前後の私信や反故の類を証拠としてつきつけ、とうとう李平の自白を得た。
 李平は、その場で直ちに拘禁された。
 
 孔明の権勢は結局小揺るぎもせず、彼を躍らそうとした李平が逆に躍り、失脚する羽目になった。
 息子の李豊については、不問に処して任を続行させたが、もはや李家の往年の盛栄はない。やがて李平に判決がくだり、彼の派閥は完全に解体される事になった。
「漢家の御ため赦し難き男なれど、李平は武略もあり、先帝より後事を託された一人である。彼を殺すに忍びず、今上の御慈悲により死を一等減じ、官籍を剥ぎ遠流とする」
 卓抜した武略と実務能力を先帝より愛され、一度は国家の頂点にまで登りかけたこの男が、いまは一流人として空しく梓潼郡に自耕する身となり果てた。
 ……かれについては、後日談がある。
 李平は細々と流刑生活を送りながらも、国家が彼を必要とする日が必ず来ることを確信し、自棄にも陥らず精進し続けた。ところが、これからわずか三年後の建興十二年八月に政敵孔明が没し、その知らせが届くや否や、
「天命はなぜ丞相をこうも早く奪い給うか。――陽、将に没すべし」
 と激しく哭き出し、それからわずか数日で死んだという。
 ――孔明の才を知るもの我に若くは無し、我の才を知るもの孔明に若くは無し、といった感情を、李平は恨むべき政敵に持ち続けていたようである。
 党派や利害関係、好悪の感情をも超越して、諸人の胸中に楚々と底流するこの種の信頼こそが、孔明の底知れぬ魅力でもあった。
 
 人事くずれが、始まった。
 蜀漢王朝軍ナンバー2の驃騎将軍李平につづいて、今度はナンバー3の車騎将軍劉琰が、官爵こそ失わなかったものの、事実上失脚して第一線から退くこととなった。
 劉琰とは、例の御伽衆あがりの幇間将軍である。
 武辺も実務もできぬくせに位階だけがずば抜けて高く、しかも奢侈を好み議論を好んで、現場にやたらと口を出してくる彼は、かねてより軍中の嫌われ者であった。
……その劉琰が、よりによって文長の仕事ぶりに口を出したらしい。
「涼州はあれだな、武略に長けてはいるが、諸事に要領がわるいな」
などと云わでの事を云い、あれこれと仕事について注文をつけた。文長は相手が上位者であるからしばらく我慢していたが、
「まぁ、綏軍(楊儀)の云う事も聞けぬようじゃあ、単なる葉武者じゃな」
というくだりのところで、とうとう何かが音を立てて切れた。
「汝ァ――」と叫んだかとおもうと、その逞しい腕で劉琰の襟首を掴み、力一杯投げ飛ばしてしまったのだ。
「ぶ、ぶれいな」
 劉琰は受け身をとって意外に素早く抜剣した。かれも豫州では聞こえた侠客あがりではあった。文長も佩剣を鞘ぐるみ掴んで、あわや決闘におよぶかというとき、注進をうけて駆けつけた盪寇将軍王平が、慌てて両者の間に割って入った。
(面倒な……)
 執務室で報告をうけた孔明は、舌打ちをして立ち上がった。
(いま魏延を激発させてはならぬ)
 孔明は瞬時に判断した。劉琰如きの男は国内に何万もいるだろうが、文長の代わりは今のところ存在しない。
 となると孔明の裁きは迅速であった。まさか車騎将軍と征西大将軍が喧嘩をしたなどとは公にはできず、とにかく文長には(陣中に乱暴は致すべからず)とやんわり譴責し、劉琰のほうは諭旨免職という形で成都へ送り戻してしまった。
 ……この劉琰についても後日談があるが、こちらは李平とは違い醜聞に類する。
 第一線から退けられた劉琰は、成都でぼんやりと過ごす毎日であったが、三年後の建興十二年の正月、妻の胡氏が新年の挨拶のため参内し、数日戻ってこないという事があった。
(どうしたのだろう。宮中で不始末でもしたのか。いや……)
 劉琰には心当たりがある。胡氏は、麗色類無しと噂されるほどの佳人で、その評判は皇帝劉禅の耳にも届いていたらしく、参内したおりに皇帝から色々訊ねられた事があった。
「まさか」
 劉琰は年甲斐もなく激高した。ちょうど胡氏が帰ってきたため、彼女を厳しく問いただし、問責しているうちに変に興奮し、ついには吏卒を呼び、履で彼女の顔を打たせた。
 実は、夫が邪推したような事実はなく、彼女はただ太后の命で宮廷に留まり、数日にわたり談笑を楽しんだだけだったのだが、妬心にくるった劉琰は、云い訳を信じず胡氏を離縁してしまった。
 散々な目に遭った胡氏は怨みに思って劉琰を告訴した。
 何者かの意が介在したのかもしれない。丞相孔明、前驃騎将軍李平、征西大将軍文長が相次いで世を去る事になるこの年の正月に、車騎将軍劉琰もまた、一罪人として市へ曳き出されて首を刎ねられてしまうのである。
 
 驃騎将軍李平、そして車騎将軍劉琰が漢中を去った。
 もはや、征西大将軍魏延文長の上に立つ者は、丞相諸葛亮孔明ただひとりとなった。
 ……藁を編んだ粗衣で厳寒に耐え草の根を喰って飢餓を凌び、手足ばかりひょろ長い躰に革鎧をまきつけ、手製の槍一本を握りしめ、空臑に泥をはね上げ夢中で闘ってきた荊州の一農奴が、とうとう蜀漢王朝におけるナンバー2にまで成り上がってしまった。
 彼はわが人生を振り返り、さすがに呆然とする心境であった。
 
 
――ごめんなさ~い(T.T) ここまでです~!
 
 
 
■作者の言葉■

というわけで、ここまでです(^_^;)
この作品は前10章構成でしたが、八章くらいで受験が本格化して投げ出してしまい、以後、加筆されていないという未完の大作だったりします(^_^;) 前述の通り、一章はPC98の一太郎と共に行方不明。

どうせなら、一から書き直したいですね…。今度は費イあたりを主役にして、派閥争いをもうちょっと掘り下げてみた感じのドラマとか面白そうかも。
(2009追記)
こう読み返すと、文章云々以前の問題として、何より数字の適当さや時系列の混乱など、歴史に取材する小説としては論外な出来と、あらためて赤面する一方、とにかく筆に勢いだけはある文章だなーと。今これを書こうにも、多分これほど跳ねるような小説は書けない気がします。

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