呂刀姫追放

呂刀姫追放

  

 建安15年、春――。
 南蛮にとってひさびさに穏やかな年明けであったといってよい。
 やはり南蛮王・呂布が皇女のひとりを得、事実上の覇者となった慶賀の気分が、群臣たちの心を軽くさせているようだ。

 年明けとともに、呂布は文武の官、とくに将軍たちの階位を明らかに定め、本格的な軍団改変を行おうとしていた。後漢王朝ではなく、南蛮王国内における階級を定めるというのだ。


陳 宮:えーと、とりあえず藩国の立場ですから、前後左右将軍から決めていきましょうか。

呂 布:却下。せっかく王様になったんだから、いっぺん大将軍とかを決めてみたいぞ。

陳 宮:…まー、別にいいですけどねえ。今さら飾る必要もないんだし…。 

呂 布:何か差し支えあるのか?大将軍とか車騎将軍と任命するのって。 


 漢の制度では、常設将軍は7名。驃騎・車騎・衛・前・後・左・右である。
 これに臨時任官の大将軍が加わって、8人体制が基本となっていた。驃騎は騎兵の、車騎は戦車の元帥であり、衛将軍は内国軍の総帥とするべきだが、称号の一種といってもよい。
 が、いずれにしてもこれらは天子の軍における編成であり、一藩王が臣下どもに名乗らせる類のモノではない。


陳 宮:と言う具合なんですが…。

呂 布:気にするな! そんなこと言われたら余計(;´Д`)ハァハァしてしまうだろうが!

陳 宮:帝王の楽しみですな。案外、古の帝王たちもマジにこうやってハァハァしてたかもしれません。 

呂 布:はっはっは。

 というわけで、選考が始まった。
 が、一人目でいきなり躓く羽目になる。
 戦功第一の高順が、頑として大将軍就任を拒むのだ。武徳薄い自分が大将軍を名乗るのは、南蛮の旌旗に疵をつけることになろうし、だいたい漢家に障りがありましょう、と、彼らしい一徹ぶりで、にべなく打診は退けられた。


呂 布:融通きかん奴だな…。

陳 宮:でしょうねえ…。他に誰かいますかね。

呂 布:うーむ。

 

 多士済々と思われがちな南蛮王国軍だが、実は高順の他に大将軍のなり手がいない。
 高順自身が、陥陣営とよばれる勇将だが、あきらかに局地戦向きの戦師であるし、馬超、張遼らにしても将帥としてのタイプは似通っている。
 要するに典型的な戦バカの集まりなのだ。
 孟獲は、これでもけっこう吏才はあるのだが、まず漢字を覚えることから始めねばならず、公孫楼は大将軍になるくらいなら北平に帰ってしまうであろう。
 ざっと軍中を見回して、いま南蛮でまともに大将軍がつとまりそうなのは諸葛亮か李厳くらいだが、両人とも若い上に、人格にアクがありすぎる。
 さらに体制上の問題も考えられる。呂布の筋肉に振り回されながら今日に至るこの軍閥は、慢性的なナンバー2不足であった。
  史実における呉が、周瑜→魯粛→呂蒙→陸遜と、君主の全権代理人たる荊州方面都督職を見事にリレーさせたのにくらべると、人材の薄さを思うほかない。

 …結局、大将軍は置かないと言うことで結論を先延ばしにする。
 

呂 布:じゃあ、次、四将軍。

陳 宮:驃騎将軍は高順殿で?

呂 布:ダメだ!驃騎将軍は馬超だ!何となくだけど。

陳 宮:はあ…まあいいですけど…。

呂 布:順番逆になるけど、高順は車騎将軍だろうなあ…。衛将軍は孟獲でいいだろう。南蛮本土の王様だし。

 
 こうして、元帥級の席次がアバウトに定められる。さらに勇将・張遼は前将軍。後将軍は呂刀姫、黄忠は左将軍、右将軍には一躍徐晃が、という顔ぶれが続く。
 例によって、公孫楼は無位無冠のままである。
 その後その後、呉懿・呉班クラスの重鎮達の考査が進められ、それぞれに応じた位階が割り振られてゆく。
 呂布、楽しそうである。
 とにかく、朝廷より遙かに強大な呂布の「私兵集団」は、形を明らかにしようとしていた。
 ………
 
 初春の凛とした風が、和かな暖かさを帯びつつある季節――
 天下に目立った動きはない。
 それぞれの勢力が、前線防衛都市の兵力を増強し、かるい膠着状況のような形に成りつつあるのだろう。
 南蛮勢力もまた、得て間もない中原の掌握に、その国力をつぎ込んでいる。
 長安太守の韓遂の采配でもたらされてくる西方面の豊富な物資が、戦災地の傷痕をすこしずつ覆い隠しはじめていた。
 そのような中――
 南蛮に大事件が起こった。
 昼前、珍しく帳簿と向き合って政務を執っていた呂布の元へ、一個の、途方もない報せがもたらされたのだ。

 曰く、

「劉王后、懐妊の可能性あり――」

呂 布:へ――!?


 さすがに、南蛮王、愕然として筆を取り落とす。


呂 布:け、今朝…普通だったぞ…!?

劉 循:…確報でしょうか? 

呂 布:い、いや、解らないけど…あれ…? ええと、どうしよう。

劉 循:とりあえず落ち着きなされ。

 

 やおら手元の筆を三つ折りにし始めた呂布をたしなめる劉循。
 宮中のごく限られた人々の中で、想像以上に素早く情報が駆けめぐり、すぐさまきわめつけの内官たちがあちこちを行き交って確認をとって回る。
 確報がもたらされたのは、夕刻もちかい程のことであった。
 劉王后――胡姫を最初に看た医師と、確認のために密かに呼ばれた産科医が、揃って呂布の前へ叩頭した。


呂 布:で!? ど、どうなんだよ!

医 師:殿下と天下のために、まずは御祝い申し上げまする。 

呂 布:マジかよおい!

医 師:は… 

 ――医師が言い終わるより早く、呂布の巨大な身体は風を切って空中を飛び、そのまま宮殿の窓から飛び出していった。 


劉 循:ワイヤーアクションでもやってるのか、あの人は…。


 劉循は呟いた。

 呂布の駆る赤兎は、迷惑にも民家の屋根という屋根を踏み抜きつつ、宮殿から私邸までの直線コースをひたすらに駈け飛んだ。
 その蹄が呂布邸の門前へ降り立つよりも早く、呂布の巨体は軽々と門扉を飛び越え、庭先に着陸している。
 そこには、いつもと変わらぬ装束で庭掃除をしている胡姫の姿があった。


胡 姫:あれ!? 奉先さま!? 早いですねー!

呂 布:早いですねじゃねえ!オマエ、庭掃除なんか忠吉さんに任せて!と、とにかく休め!  

胡 姫:えーと、あれ…? あはは、――ひょっとしてもう…?

呂 布:さっき知ったぞ!いいから! 横になれ横に! 家事禁止っ!

胡 姫:そ、そんなにしなくても大丈夫ですよー。

 呂布の必死の形相へ、静かに微笑み返す胡姫。
 小間使いであった頃とほとんど代わりのない夭さだが、言われてみれば、全体的に柔らかな曲線を帯びてきていると言えなくもない。


胡 姫:……大丈夫ですよ、奉先さま。

呂 布:お、おう…。

胡 姫:今日、晩ごはんの時にびっくりさせようと思ってたんですけど…えー、本日、お医者さまにかかりまして…三ヶ月だそうです。

呂 布:あ…ああ。

 にはは、と笑った胡姫は、不意に呂布へ背を向けた。 

胡 姫:…不思議です…信じられないんですよ…。

呂 布:……

胡 姫:もう、赤ちゃん産めないってあきらめてたのに…

呂 布:…ああ…。

胡 姫:私が、お母さんになるんですか…?

呂 布:……。

胡 姫:私なんかが…お母さんになれるんですか…?

呂 布:当たり前だろう!俺様の妻だ!俺の子の母親だ!

 震える小さな肩を、しっかりと後ろから抱きしめる。
 胡姫は呂布にいっさいの過去を語らなかったし、呂布も敢えて尋ねようとしなかった。が、身体を見れば、幼少時、どのような目に遭っていたかは嫌でも想像がついていた。
 ――その、明らかに機能を失っていた彼女の母胎が、また新たな生命を育む。
 この事実に、驚きよりも戸惑い、そして恐怖を覚えているのが、今の胡姫ではなかろうか。地上にあっては最強の生物である呂布でさえ、途方に暮れ、ただ幼い妻を抱いてやるしかなかった。
 だが――同時に思うのだ。
 胡姫が過酷な人生を送ってきたからこそ、天は彼女に幸福を与えようとしたのではないか、と。
 懐中の子犬のような、儚げな温もりを感じながら、呂布は天の遣わした気まぐれな奇跡に、知らず感謝するのであった…。

 翌朝――
 呂布が切り出すまでもなく、宮中では万事了解済みであった。


陳 宮:はっはっは! さすがは御大将! 子孫汁も武力100と見えますな!

呂 布コンチクショー!(ばきっ)

 吹っ飛んで床へたたきつけられる陳宮。 


陳 宮:…い…いま、マジで殴ったでしょう…

呂 布:何だッてんだ畜生! どいつもこいつも人の顔みるなり武力100がどうこう同じよーなオヤジギャグいいやがって!

陳 宮:あ…やっぱり…?

呂 布:俺様の武力100が何か貴様らに迷惑かけたんか!? そうだよ俺様のせーしは武力100だ! 人よりタンパク質強いから108だ! ソレで満足か!? ああっ!?

陳 宮:お、落ち着いて……

 後継問題の絡みもあって、胡姫の体質については、主立った重臣達には薄々知れ渡っている。だからこそ、今回の懐妊を、皆して冷やかすのが流行っているのであろう。
 そんな中で、公孫楼だけはさすがに真面目に呂布を祝福し、強い視線で言ったものだった。


公孫楼:……殿下。王后は、常の人より、ずっと苦労してこられた。

呂 布:ああ…

公孫楼:だから、人より二倍も三倍も幸福になる権利がある。殿下でしか、今それを叶えることができない。

呂 布:…ふん、わかっている。

公孫楼:うん…。殿下はきっと彼女を幸せに出来ると思う。

 ふっと笑って見せた公孫楼の透き通った表情が、呂布にとっては印象的であった。
 …さて、とにかく王后懐妊の報は、むろん当初箝口令が布かれていたが、すぐに宮殿中の噂となり、あっというまに洛陽中へ知れ渡った。
 各方面の支軍から御祝いの品が届き、さして広くない呂布邸はそれだけで溢れそうであった。

 一日、ひさびさに快晴の休沐日を得て、院子で忠吉さんを洗っていた呂布夫妻は、思いがけない訪客をうけた。


教 母:あらあら――。仲睦まじいことで~。妬けますわね、呂布様。

呂 布:げ…

胡 姫:あ…

教 母:聞きましたわよー殿下。さすがは天下無双の飛将軍。御子胤のほうも武力100、というところでしょうかー♥

呂 布:……。いや、もういいんだけどね。

 げんなりする呂布を見て、口元に手を当てコロコロ笑う教母。
 二人の新婚さんに、型どおりの挨拶を述べた後、胡姫の脈を取って容態を確認する。 


教 母:大丈夫。もう安定されてますねー。

呂 布:ほっ…

胡 姫:ありがとうございます!

教 母:…ところで呂布様、ちょっと外してもらえますかー♥

呂 布:へ?

教 母:ちょっと女同士で話すことがありますからー。。

呂 布:お、おう…。てーか、思えばその台詞って無敵だよな。

 口の中でぶつぶつ言いながら、その場を離れる呂布。
 結局、二人の間でどのような事が話し合われたかについて、男は蚊帳の外であった。

 ――暦が盛夏を越す頃、王后の出産はすでに決定事項となり、南蛮王国全体がそわそわと浮き足立っている。
 そんな笑貌が華やかに交換される宮中において、ただひとつ、禁忌とされる名があった。
 後将軍・呂鳳刀姫である。
 女子ではあるものの、呂布の後継者として男以上に武芸を修め、いまや国でも有数の使い手となっている。
 さらに真面目で責任感が強く、芯の強さを包む優しさをもつ彼女は、軍中でも、あるいは国民の間でも根強い人望を持ち、すでに魏延ら青年将校を中心にひとつの閥を形成するほどの存在となっていた。
 …が、理想の王太子というべきその後継者が女児であることが、まさに問題となっていた。
 ――もし、王の正妃が産む次の子が、男児であった場合は…?
 誰もがそれを思い、だが口に出すことをはばかっているのが、現在の状況である。
 刀姫も、そんな空気を知らないはずはないだろうが、日々、雑念を追い払うような精勤を黙々と続けている。

 …そんな中、にわかに天下が騒々しくなる。
 長く黄河沿いの防衛ラインを攻めあぐねていた袁紹軍が、7月に入ってから本格的な渡河攻撃を開始し、官渡城塞をしばしば痛撃するようになっていた。
 これに手当てするため、陳留を本拠とする曹操は、自ら十万規模の守備軍を指揮して防戦にまわり、局地的な軍事空白地帯が、徐州から州にかけて生じることになった。

 普段の呂布であれば、これ幸いと伐り獲り稼ぎを起こすところであるが、さすがに心ココにあらずで、目立った行動を起こそうともしない。
 思えば、降嫁さわぎからこの方、南蛮王国軍は一切の軍事行動をおこなっていない。
 絶えることなく増幅を続けてきた南蛮軍にとって異常な事態と言ってよく、それだけ現在の呂布がフニャフニャしているということであろう。
 1月はともかく、4月でも、南蛮軍は曹操軍の前衛を撃破し、兵を進める余裕はまだあったはずで、攻勢限界点の前に矛を収め、今なおぬくぬく事態を傍観していることは、呂布軍の常勝伝説にいささかの翳を投げかけるものであるかもしれない。
 そうこうしているうち、瞬く間に9月が過ぎ、厳しい冬が訪れる季節になってしまった。
 確かに、この時期の呂布は、普段通りの精神状態ではなかったようである。
 
 ある軍議の席上で、こういう出来事があった。
 何かと理由を付けて出陣を渋る呂布に対し、呂刀姫がその奮起を促すべく、謎かけめいた質問を発した。


呂刀姫:父上! いや、殿下。こういった話をご存じでしょうか?

呂 布:何だ…?

呂刀姫:ある地に、鳥がおります。この鳥は、長いあいだ鳴きもせず、飛びもしておりません。さて、この鳥の名前は何でありましょう?

呂 布:ム…ム…。みなまで言うなよ、刀姫。

 悟るところがあるのか、呂布、眉間にしわを寄せて娘の顔を見返した。
 やがて、満面の笑みを浮かべて答えた。


呂 布わかった! 答えはペンギンだ!

呂刀姫:違――――うっ!

徐 晃:畏れながら、ペンギンは種によって鳴くものと存じる。

呂 布:え?そうなの? ――えーと…あ、わかった! ダチョウ!?

呂刀姫:なぞなぞじゃありませんっ!

 ………
 ……
 とにかく、こういう事が幾度かあって、呂布と呂刀姫の間にまたがる溝が、少しずつ深さを増しているようであった。
 王国として、これは健全な状況ではない。
 そう憂慮する者もいたであろうが、彼らが争臣としての度胸を試すヒマもなく、それこそ突然ひとつの布告が宮廷を駆けめぐった。
 
 ――第二軍団を創設し、後将軍をその総帥とするべし。
 ――第二軍団は、三輔および長安以北の雍涼二州の軍政をことごとく掌管し、王には報告の義務のみを負うものとする。
 ――第二軍団は、盟友袁紹の軍と合力し、黄河沿いの曹操軍を駆逐して青州へ至れ。同地を得るまで、許へ帰参するに及ばず。

 要するに、南蛮のほぼ北半分を分立して一個の組織とし、呂刀姫がその総帥に選ばれたということだが、この時期、この情勢でのこの布告は、人々の動揺を買うに十分であった。


張 遼:これでは、姫様を追放すると言っているようなモンじゃないか!

高 順:……。

馬 超:義兄上らしくないな…

 
 名目を設けて呂刀姫を中央から遠ざける――そうとられても仕方のない指令である。
 だいいち、麾下の将帥が何者であれ、単独で曹操軍主力をうち破り、青州までを掌中に収めるなどできっこない話である。
 やはり。
 やはりこれは、刀姫追放の前触れなのではないのか…
 ひそやかに、だが確実にその声が、文武百官の中で広がってゆくなか、正式な任命式が行われた。


呂 布:――刀姫よ! すでに王命は下った!すぐにその準備をして、年内に行動を開始せよ。

呂刀姫:御意…。


 ただ一言。
 父子のあいだの会話は、常になく短い。
 群臣らの視線を背中にうけつつ、呂刀姫は白い戦袍をひるがえして堂を出た。

 季節は、冬―― 
 剣把を握り、きっと天を睨み付けると、呂刀姫は大声で仲間たちを呼ぶ。


呂刀姫:張任! 馬岱! 魏延! 張嶷! 張翼! 廖化! 張虎!

一 同:はっ―――!  


 鎧音を響かせ、呂刀姫のかけがえのない仲間たちが、次々と拝跪した。
 みな、若い。長老格の張任を除けば、みな20代そこそこの青年将校ばかりである。
 刀姫は、全員の顔を見回すと、ふっと肩の力を抜いて、微笑んだ。


呂刀姫:みんな、頑張ろう!

 応っ! と声をそろえる彼らが、時代の南蛮を支える主動力となるか否か、まだこの時点で知るものはいない。
 建安15年10月。呂布は第二軍団を創設し、25万の軍兵をそれへ配した。

 すでに天下の趨勢をかためた南蛮王国! この第二軍団創設は吉と出るか凶と出るか!? 呂刀姫とその仲間達の運命は? そして胡姫の子の行く末は?
南蛮王呂布、第6部のスタートです!