第七章   巴

 

 建安六年(西暦201年)。

 史伝ならば先年の9月に官渡決戦が起こって袁紹軍は北へ向けて潰走し、この年、汝南の劉備も曹操軍に蹴散らされ、荊州へ逃げ込んでいるはずである。

 だがこの後世(?)において中原はぴくりとも動いていない。相変わらず曹操と袁紹は黄河ぞいに対峙し、劉備は汝南でしぶとく勢力を張っている。

 

呂 布:動かんな~。

陳 宮:今のうちに、稼ぎまわらないと。 

 

 別に殖産興業しましょうと言ってるわけでは無論なく、今の間に益州の残りの3都市を平らげましょうと言っているのだ。

 陳宮は簡単に言うが、梓潼の対・張魯軍団と永安・江州の対・劉表軍団は依然健在であり、いまだ劉璋陣営の総兵力は、呂布陣営のそれに倍するのである。

 もっとも、それに臆するならば呂布は呂布ではない。

 

 

呂 布:北の梓潼か、東の江州か、だな。

陳 宮:迷わず東へゆかれるべきでしょう。江州と永安を先に片づけ、最後に北の梓潼を攻めるのがよろしいかと。

 

 呂布はその言葉に従い、1月早々に江州攻略戦を開始する。

 今回呂布に従うのは張遼、陳宮、法正、孟獲、木鹿。兵力は五万。参軍は知力の高い者から選ばれるので、法正がその任にあたる。陳宮、忌々しそうに席を譲る。

 

法 正:江州にはそれほど兵力はありませんな。問題は、永安か梓潼からやってくる援軍でございましょう。  

呂 布:望むところだ。手間が省ける。

 

 豪語しながら軍を進める呂布。やがて戦場の予定地である平野部に到着した呂布軍は、いきなり東西南北の全方位から劉璋軍に押し包まれた!

 

張 任:掛かれえっ。敵は油断しておるぞ!

 

 これは敵の参軍張任が、イチかバチかの賭けに出たもの。つまり防衛コマンド「奇襲」である。これが成功すれば、最初のターンから敵全軍が大混乱に陥り、ほとんど一方的に攻め立てることが可能なのだ。

 しかし。

 

呂 布:このフニャチン野郎が。俺様にそんなセコイ作戦が通用すると思ってるのか!?

張 任:フニャチン!?

 

 呂布(というより法正)は、あっさりこれを看破し、逆にこれを奇貨として邀撃をくわえた。たちまち大混乱に陥る劉璋軍。

 

呂 布:おおっ、こりゃいいや、周りは敵だらけだあーッ♪

陳 宮:また微妙なこと言ってるよ…。

 

 呂布、張遼は喜々として周りの敵部隊に突入してゆく。あっというまに劉璋軍は半減どころか、ほとんど原形をとどめぬほどに喰い破られた。

 さらに。

 

呂 布:オラオラオラアぁ!!一騎討ちに応じんかい

雷 銅:や、やむをえぬ。一発逆転を狙うしかあるまい。

劉 璋:ムリ。

 

 混乱している部隊は、ほとんど一騎討ちを断れないのだ。ここぞとばかり武力110の鬼神呂布、辻斬りのごとく片っ端から一騎討ちを無理強いする。

 

黄 権:反則だ……。

 

 この日、戦場に突如出現した橋(?)から転落した者は、張任、雷銅、高沛。みなほとんど一瞬で馬から突き落とされ、高沛にいたっては大技「参段突き」をくらい瀕死の重傷を負っている。

 

 劉璋軍がほぼ壊滅した頃に、ようやく永安から援軍が駆けつけた。

 呂布、慌てず騒がずこれを迎え撃ち、頃合いをみて副将張遼に敵総大将劉璋の部隊を攻撃させた。

 

劉 璋:一度ならず二度までも……。

 

 益州牧劉璋、またまた捕虜となる。これにより呂布軍は自動的に勝利したことになった。江州はあっさりと陥ち、永安の援軍は一戦もせぬうちに潰走を強いられた。

 

陳 宮:いや~、やっぱ将軍は強い。

呂 布:当たり前だな。

 

 当たり前である。今回の戦さは、ほとんど呂布が彼いっぴきの武勇で進めたようなものだ。遙か噂に聞くだけだった「馬中赤兎・人中呂布」の猛威にビビったのか、劉璋軍の捕虜達は、こんどはやけに素直であった。

 武将では呉蘭、雷同、文官では董和、羲が登用に応じてくれた。

 

 翌月、呂布軍はさらに兵を東へ向けた。ねらいは永安城(この当時は白帝城と言ったハズだが)。先に派遣した援軍を丸ごと失い、ほとんど裸城同然なのだ。

 

呂 布:どうせ勝つ戦はめんどい。

 

 もはや掃討戦である。呂布はいちいち出陣せず、筆頭大将の高順に法正をつけて派遣するにとどめた。

 高順は野戦で敵将厳顔を散々に撃ち破り、永安を陥とした。

 

呂 布:これで残るは梓潼のみだぜ。

陳 宮:あっはっは。楽勝ですな。

法 正:何をバカな。

陳 宮:(ムっとして)バカとは何だバカとは。

法 正:…失言いたした。ですが軍師殿、梓潼へは道中、緜竹関を抜いてゆかねばならんのですぞ。

陳 宮:そ、それくらいわかっておる。将軍、対関戦ですと。

呂 布:くるしゅうない。

 

 とはいうものの、呂布とて自軍の損害を無視して戦争はできない。それに、急激に膨張した自領の整備も必要であった。

 

呂 布:ちっ、ヘタレどもめ。

陳 宮:三ヶ月でよいのです、将軍。ここはご辛抱下さい。

 

 渋々、矛を休めることを了承する呂布。

 こうして2月から5月のあいだ、益州に束の間の平和が訪れた。

 その間、呂布は治安の険悪な数都市に内政官を派遣して支配力の強化に努める。それに平行して、せっせと兵員の補充・特訓も行う。内政官たちの兵を全て取り上げ、高順や孟獲などの武将に分配するのも忘れない。

 

 ……飛ぶように平安な100日間が過ぎ去り、盛夏6月。

 呂布は当初の予定通り成都を発した。六万余という大軍が、「南蛮」と大書した旌旗を先頭に北上してゆく。

 一方、劉璋に残された最後の城、梓潼。

 いままで呂布軍に解放された武将たちが一都市に集中しているため、兵力は存外豊富であった。それぞれの兵数を合計すれば、六万にもなろう。

 江州都督の地位にあった厳顔が、総大将。醜男だが切れ者の張松が参軍。このふたりを、劉璋軍随一の名将・張任が補佐し、公孫楼、呉懿らがそれに従う。

 迎撃軍は、その総力を挙げて南へ向かった。予定戦場は、益州一,二を争う要害、緜竹の関である。

 

 一方、北進を続ける呂布の中軍。

 

呂 布:……なあ、いま思ったんだけど。

陳 宮:はい?

呂 布:なにも成都から出発しなくても、江州から梓潼を攻めれば緜竹関なんて無視できたんじゃないのか?

陳 宮:……あっ!

呂 布:…。

 

 緜竹関を目前に、甚だ緊張感を欠く呂布軍。劉璋最後の要塞は、果たして陥落するか否か!?痛快読み切り三国志Ⅶ活劇・「後世中国の曙!?」は、いよいよ序盤最終回です!