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【1:220】★『宮城谷三国志』総合スレッド★
1 名前::2002/10/27(日) 01:03

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年05月17日 (木) 00時16分30秒 

宮城谷先生の「三國志」、まだ「序文」ですがさすがに「深い」ですね〜!
こりゃあ後漢書一年生の私としては読みがい有りすぎ! 初っ端が楊震でしたし〜。
ああ、はやく文庫版が出ないかな〜ッ! くわ〜!

211 名前:左平(仮名):2008/06/20(金) 22:28:00 ID:a7pA1sHW
続き。
劉備が王位に就くにあたり勧進がなされたわけですが、当然、関羽の名もあります(こういうものは現在の
署名等と同様、面と向かってせねばならないというわけではないので、おかしくも何ともないわけですが)。
ただ、本作においては、関羽の想いは劉備のそれとはやや異なっているように描かれているだけに、その時、
どのような心境でいたか…。
ともかく、関羽は、軍を北上させます。

「今年は長雨になる」。関羽はそれを予感していたわけですが、魏においても、温恢がそのことに気付いて
いました。ただ、それが荊州方面の魏軍の共通認識になっていなかったために…。

今回のラスト付近の龐悳の戦いぶりは、悲愴の一言でした。ビジュアル的にも、実に絵になる場面です。
 馬上にあっては決して後れを取らない勇将なれど、折からの豪雨に伴う堤防の決壊のため白兵戦を余儀なく
 される。
 関羽の軍勢は安全な船上から容赦なく矢玉の雨を降らせるのに対し、龐悳たちはわずかに水没を免れた堤上
 でそれをかわしながら戦わねばならない。
 そして、降り続く雨。雨は、将兵の気力も体力も奪い取っていきます。

援軍がいつ来るかは知る由もなく、彼我の圧倒的な差の前に、降ろうとする者が現れます。龐悳は、自らそれ
を討つという苛烈さを示しつつ、兵を鼓舞してなおも戦いを続けます。
関羽が説得を試みますが、龐悳も毅然として言い返します。
それぞれに義があり、理がある。しかし、溺死よりは…と降る者が増え、ついに、なお戦い続ける者が龐悳と
二、三名になり…。

今回でこの場面ということは、建安二十四(219)年も暮れ近く。気が付くと、曹操の命尽きる時も迫って
いるわけですよね…。

212 名前:左平(仮名):2008/07/19(土) 21:16:32 ID:EIpoYnVD
三国志(2008年07月)

今回のタイトルは「関羽」。荊州を巡る攻防は、新たな段階に突入します。

わずか四人となった龐悳の軍勢。堤上に孤立し、もはや生きることを捨てた彼らの前に、一艘の小舟が流れ
着きます。
あたりは闇夜。物音をたてずに包囲網をかいくぐり、これなら…とわずかに助かる希望が生じたその時…!
龐悳、そして名も記されぬ三名とも、さぞや無念であったことでしょう。
最期まで戦い続けた龐悳。関羽もその将器を評価しますが、両者は決して交わりません。惜しいところでは
ありますが、これが戦というものか。

その直後、関羽が放った偵察網に特大の獲物がかかりました。于禁率いる援軍が、雨中に孤立していたのです。
このままでは全滅は避けられない。于禁は、将としての、一つの決断を示します。
『降る』
この一事をもって、于禁の声望は地に堕ちます。しかし、降るに至った経緯とその後の彼の振る舞いをみると、
それはあまりに酷な話です。
作中では、于禁は、「兵を助けてくれるなら」という条件のもとで降っています。そして彼は、(後の話ですが)
劉備にも孫権にも仕えることなく、魏に復帰しているのです。
何かを救う為に敵に降ったが、節義を損なうことなく帰参した…。これは、関羽と同じです。何が二人を分けた
のか。それは、何とも分かりません。
曹操は于禁の投降を嘆きますが、曹操の心身の衰えが、その判断に影響したということはないのでしょうか…。

援軍が壊滅した、となれば、樊城の曹仁は孤立します。しかし、副将の満寵ともども、降ったり撤退するつもりは
毛頭ありません。その理由は、(曹仁には)二つあります。
 一つは、戦略上の意義。樊城に曹仁ある限り、関羽といえども軽々しく北上はできませんが、いなくなれば後顧
 の憂いなく存分に北上される恐れがあります。
 もう一つは、彼の矜持。いかにやむを得ない事情があったとはいえ、江陵から撤退したことは、彼の中ではトラ
 ウマとなっていました。ここでも撤退したら、二度と立ち直れない。そう、恐れていたのです。
食糧庫も水没し、状況は日々刻々と厳しくなっていきますが、これを乗り越えなければならないのです。

長くなったので、ここで分けます。

213 名前:左平(仮名):2008/07/19(土) 21:17:29 ID:EIpoYnVD
続き。
ここで、傍目には唐突にですが、孫権が登場します。
実のところ、孫権は、半ば手詰まりの状態になっていました。どうやっても、北上作戦がうまくいかないのです。
 無理もありません。「張遼」の回をみてのとおり、あんなぶさまな敗北があったのでは…。
しかも、魯粛も世を去り、国家戦略を語れる人材がいないのです。劉備が漢中王を名乗った際に諮問しても、たれも
答えられないという有様。

いや、一人いました。「男子三日会わざれば刮目して待つべし」の呂蒙です。北上作戦の不利と荊州奪取の有利とを
比較し、後者の作戦を実行するよう、孫権に勧めたのです。

確かに、北上して徐州を取っても、直ちに魏との一大決戦となれば、勝てる見込みも低い上に大軍を張り付けねば
なりませんから、やりくりがつきません。
一方、呉が長江を生命線とする以上、本拠地の楊州の上流にあたる荊州の確保は喫緊の課題。
魏が、直ちに呉に兵を向けることがないのを確認した上で、その作戦は開始されることとなります。

対関羽で、魏と呉とが手を組んだ。このことを極秘にすべきか公表すべきか。ここらへんの駆け引きは、なかなかに
面白いものがあります(というか、私などには、一回読んだくらいではよく分かりませんでした)。
知らぬは関羽ばかりなり…ということはありません。この知らせは、関羽の耳にもしっかりと入っています。ただ、
自身(とその作戦)に自信があるだけに、それを突かれることになるわけです。

ラストは、関羽vs徐晃。ただ、ここのくだりをみると、春秋時代の君子の如く振る舞おうとする関羽に対し、当代
の将軍として振る舞う徐晃、という感じで、少しおかしくも思えたのは私だけでしょうか。

…とここまで書いてみて、(個人的にですが)蒼天での陸遜が嫌いなわけが少しみえてきました。
関羽は左伝の愛読者として知られます。そして、(本作においては)左伝に描かれる君子の如くあろうとしています。
恐らく、于禁の投降を受け入れたのもそのためでしょう。戦場にも「礼」はあるのです。
蒼天での陸遜は、それを嘲笑していました(直接の理由は輜重の体制の不備なのですが、その原因は于禁とその軍勢
を捕虜として受け入れたためなので、捕虜を保護すること自体を嘲笑っているようにみえた)。
その、敵への敬意のなさが、気に入らなかったのかな、と。

214 名前:左平(仮名):2008/08/23(土) 21:23:38 ID:tI77SrF2
三国志(2008年08月)

今回のタイトルは「徐晃」。魏から見た、荊州での関羽との戦いに決着がつきます。

「関羽を捕らえた者には〜」のくだりに隠微な意図がある、との指摘には、考えさせられるものがあります。戦場で
関羽と会って話をし、何もしなければあらぬ疑念を招きかねないという危惧がそこにはあるからです(先の、馬超の
ところでの韓遂がまさにそうでした。もっとも、ここで例として挙げられたのは崔琰ですが)。
曹仁・徐晃の力量を信頼しているにもかかわらず、曹操が無理を押して出陣しようかと何度も考えたことを思うと、
そういうのを一笑に付すわけにもいかないんですよね。
もっとも、そんな徐晃の思いはともかく、ここでの関羽は、悠々と引き揚げていきます(豊かな、とかふくよかな声
で〜という書き方をされているのをみると、関羽の存在感の大きさが分かります)。
そう、まだ、関羽の優位が完全に覆されたわけではないのです。

ただ、徐晃の将器も相当なものです。巧みに陣を構築し、じりじりと接近していきます。そして、ついに関羽の陣の
目と鼻の先の所にまで到達するのです(なぜか、【そういう表現はないはずなのですが】双方塹壕を掘ってこもって
いるようなイメージを持ってしまいました)。
関羽は焦ってはいないものの、敵陣を崩す機を見いだせないままにここまでの接近を許したとなれば、不利なのは免
れません。
その後の激戦の末、負傷した関羽は陣を放棄し、再び船上の人となります。しかし、不思議なもので、徐晃の勝利で
あるにもかかわらず、なお関羽にはゆとりがありました(なので、劣勢という感じがちっともしないんですよね)。
ところが、後方の士仁・糜芳が呉に降ったため、それどころではなくなり、ついに撤退を余儀なくされます。
かくして、魏は、何とか樊城・襄陽を守り切りました。
当代一の勇将・関羽との戦いに勝利し、かつ、その軍紀の確かさを以て、徐晃が、前漢の名将・周亜父の如しと称賛
されたのも宜なるかなというところです。
長くなるので続きます。

215 名前:左平(仮名):2008/08/23(土) 21:24:11 ID:tI77SrF2
続き。
さて、呂蒙の方ですが…全く気取られることなく荊州への進入に成功し、虞翻の巧みな説得により、ほとんど無傷で
その確保に成功します。
他作品では、(私個人の偏見かもしれませんが)どこか奇人というイメージのある虞翻も、ここでは直言を憚らない
まっすぐな人物として描かれます。しかし、孫策はその直言を喜んで聞きいれたのに、孫権は疎ましく思っていたと
いうのも、何か変な感じが(兵を率いることで及ばないのはともかく、人を用いることで負けていては…)。
なすすべなく敵に迫られ、抵抗しても報われるかどうか分からない…と嘆いて士仁が降ったのに対し、糜芳の方は、
何か呆気なくみえました。そういえば、蒼天でもそうでしたね。

士仁の経歴等がいまいちよく分からない(仮にも太守だったわけですから、どこの馬の骨とも知れぬ…ということは
ないですし、ぽっと出の若手というわけでもないはずですが。ただ、彼を配していたことを、後方に対する警戒が薄
い、というように書かれていることからすると、軍事的手腕はもとから乏しい【裏を返せば、行政面での才能を期待
されていた】人物だった?)のに対し、糜芳は、徐州以来の古参。それが、いかに関羽との関係が悪かったとはいえ
…という感があるのは否めません。
その後、呂蒙は、民衆の慰撫に努めます。ささいな罪を犯した同郷の兵を、涙をのんで処刑するあたり、その軍紀の
厳しさがうかがえます(一方で、そこまでしないと民心が得られないというわけですから、関羽の行政手腕も一廉の
ものではあったようです)。

ちなみに、今回のラストは、前述の、徐晃が前漢の名将・周亜父の如しと称賛されたくだりですが、その前に、張遼
もちらりと登場。こちらにも、かなりの賛辞が。

216 名前:画伯:2008/09/08(月) 09:30:20 ID:GAm8i4fg
先日中国南部で地震がありましたが、
雲南省に近い方なので成都や九賽溝の方には全く影響無いようです。
四川省って日本の倍近い広さがありますから。
四川省の北部観光地は、地震の影響でクローズしていたホテルも次々に営業開始し
値段も例年比べれば格安なので
四川省応援のためにもぜひ旅行におすすめです。

217 名前:左平(仮名):2008/09/21(日) 22:33:30 ID:/lB/9KId
三国志(2008年09月)

今回のタイトルは「曹操」。建安二十五(220)年。ついに、その時がくるわけです。とはいえ、今回の内容は、
そのほとんどが関羽についてのものなのですが。

背後で呉が蠢いているのに気付いた関羽は、状況を把握すべく、偵察を行います。偵察に向かったこの兵士、肚も
据わっているようですし、見るべきところもしっかり見ているところからすると、なかなかの人物と思われます。
ひょっとして、廖化?とも思うのですが、そのあたりについては分からずじまい(彼だけでなく、その父もなかなか
の人物なんですよね、これがまた)。
呂蒙も、そのあたりは心得たもので、見事な対応を見せています。

呉に奪われた各郡は、呂蒙によって治まっている。この事実は、関羽にとっても衝撃でした。というのは、本作では
何度か述べられているように、関羽の行政手腕はかなりのものでしたから、この地の民衆は、新たな支配者に対して
強く反発すると思われていたからです。
それが、目立った混乱もなし。ということは、単に軍事上に留まらない敗北を喫したということでもありました(関
羽の徳が十分に及ばなかったということです)。
関羽が、策を弄し自分を欺いた陸遜に対しては怒りを露わにしたのに対し、呂蒙に対してはそれほどでもないように
見えるのは、そのあたりのこともあるように思われます。
あるいは、この時点で、関羽の中にある種の諦観があったのかも知れません。

麦城に籠った関羽ですが、兵の士気はもはや失われています。戦えないと判断するや、密かに城を脱出し、西に向か
おうとします。もちろん、それは孫権も承知しており、分厚い包囲網が敷かれます。
天命とは何であるのか。何が正しく、何が正しくないのか。その答えは…。
一度は軽々と呉軍の包囲を突破しましたが、二回目(ここの呉軍の将が馬忠)は成らず。ついに、その小集団は殄滅
しました。あたかも、流星が燃え尽き、一筋の光芒を残して闇に溶けるかのように。
長くなったので続きます。

218 名前:左平(仮名):2008/09/21(日) 22:34:19 ID:/lB/9KId
続き。
関羽は、捕らえられたが呉に降るを潔しとせず、斬られた。史書がそう記すのは、関羽の名誉を守ろうとしたからで
あろうが、それはかえって名誉を損なっているのではないか。言われてみると、頷けるところがあります
関羽は、諸葛亮と出会い(現実との妥協点を求めた結果)自尊を貫けなくなった劉備に代わって自尊を貫いた。で、
あるならば、なおさら、簡単な道は選べません。
それゆえ、魏と戦い呉とも戦った。春秋の義に憧れ、自尊を貫いた英雄はかくして斃れました。

関羽の首級は、曹操のもとに送られました。関羽を殺されたことに対する劉備の怒りを曹操に向かわせるためです。
しかし、曹操もそんなことは百も承知、孫権の慇懃無礼ぶりに不快感を示しながらも、関羽に礼を以て接し、(やや
意地悪く言うと)孫権との、人としての格の違いを見せつけます。

 以下、個人的な感想。
 こうしてみると、三国志では、呉はどうしても脇役にならざるを得ないんですよね。漢から禅譲を受けたという
 正統性を持つ魏、漢の血胤による正統性を持つ蜀漢に対し、呉にはそういったものが全くありませんから。
 孫権が切れ者であるのは間違いないのですが、正統性がないゆえ自由に動ける反面、その言動への彩がどうにも
 難しい…。
 
しかし、なお意気盛んな曹操も、年には勝てず。関羽の首級と対面してから程なく、薨去しました。享年六十六。

曹操に対する、あまたの賛辞が語られた(曹彰のことがちらりと語られた)後、「ここからほんとうの三国時代が
はじまるのである」と締められます。


…そう、そうなんですよね。三国時代というのは、地に三人の帝王が並立するという異常な時代。少なくとも、今
回までは、まだ漢の時代なわけですから、真の意味での三国時代ではないわけです。
しかし…どれだけ齢を重ねても、様々な三国志の物語を読んでも、三国時代に入る以前の方がいろいろな意味でそれ
らしいというのが、また何とも…。

219 名前:左平(仮名):2008/10/12(日) 23:03:24 ID:LpP4Hk8E
三国志(2008年10月)

今回のタイトルは「新制」。太子の曹丕が跡を継ぎましたから、前回のラストから続けて、今回、漢から魏への禅譲
を描く…と思っていましたが、半ば外れました(明らかに魏帝国成立後のエピソードもありましたが)。

さて、蒼天を読まれた諸氏はお気付きでしょうが、ここまで、描かれていない人物がいましたね。そう、魏諷です。
今回、後漢王朝が斃れる前のわずかな痙攣、という形で、その叛乱について、初めに少し触れられました。ただし、
主眼は、魏諷ではなく、そのために一時失脚した鍾繇です。

鍾繇が、魏諷の台頭に一役買っていた以上、何らかの処罰に服さねばならないわけですが、彼は、曹丕には好かれて
いました。かつて、名玦を献上し、かつその時の態度が良かった(この玦はしかるべきところにおさまった…と、曹
丕を持ち上げている)ためです。
ただ、財を持ちそれにとらわれると禍を招くと悟っていた鍾繇に対し、(いかに美辞麗句で飾っても)人の財を奪っ
た曹丕の、人としての器量に疑問符がついたのは否めません。

続いて、夏侯惇(不臣の礼…)、程c(公への叙任…)、曹洪(かつて借財を断られたのを根に持ち…)など、群臣
達について描かれます。
特に、曹洪については、彼の助命のために賢婦・卞太后が動いたことが触れられています。これまで、一切政治的な
言動をとらなかった彼女が動いたのは、ひとえに、曹洪の比類なき勲功(徐栄に敗れた曹操を生還せしめたこと)と、
功臣を微罪で処刑でもすれば、人心が曹丕から(のみならず魏から)離れる、と判断したためです。
さすがの曹丕も、(郭后を通じて)母の想いを察したか、処刑はしなかったのですが、だからといって無罪放免という
わけでもなかったので、人心はやや離れた、という具合。
父・曹操が薨じてから一年もしないうちに大規模な軍事行動。これを戒めた霍性の諫言を聞かず、彼を死に追いやると
いうこともありました。
長くなったので続きます。

220 名前:左平(仮名):2008/10/12(日) 23:07:21 ID:LpP4Hk8E
続き。
賊が魏に降った、と喜んだのも束の間、西方では麹演らが叛乱を起こします。これは、蘇則らによってすみやかに鎮圧
された(名将・赫昭が彼の胆力に感服って…!)のですが、今回については、曹丕、いいとこなしです。
この後も、あれこれあるわけですが、よく書かれることがあるのか…なんて、よけいな心配も。

曹丕、とくると(?)、忘れてはならない人物の一人として、陳羣が挙げられますね。そして、陳羣とくると九品官人
法(九品中正法)。
この法の概要はおくとして、その精神は、というと…。

本作の最初の方(もう数年前になるのですね)に、光武帝のことが書かれていましたのを覚えておられますか?その際、
前漢と後漢とでは、人材をみる基準が異なっていた、ということが書かれていました(秀才どもは王莽を止められなか
った…。故に後漢では、才能ではなく人格を重んじた、というようなこと)。
しかし、人格を重んじたはずの後漢では、実務能力に欠ける者が高官に…という具合で、結局腐敗は避けられなかった。
彼ら(曹丕、陳羣)は、それをどこまで分かっていたか…。
後々、いわゆる南北朝時代を語る上で、避けては通れない問題の萌芽があるわけです。

ラストは、孟達の魏への投降(曹丕の厚遇付き)と、劉封の非業の最期。彼の死を聞いた劉備は、一人になると泣いた
…。これは、一体?

名前: E-mail:

【2:1】私説公開
1 名前:石垣眞人:2008/07/18(金) 15:39:00 ID:k0cWk6OT
「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

名前: E-mail:

【3:585】南蛮王呂布の痛快活劇スレ
1 名前::2002/10/27(日) 01:24

マチカネ福来  投稿日:2000年11月13日(月)01時29分13秒

ぐっこさんはじめまして!!南蛮王呂布の物語読ませてもらいました!!
もうめっちゃ面白くて文章ではじめて笑いました!!
蒼天航路の人物辞典は今日ちょっと重かったみたいなんで今度見させてもらいます〜
最近読んでないんですが、蒼天航路ってどこらへんで休載したんですか??
まだ赤壁とかはやってないですよね?
これからも頑張ってください!!

576 名前:★ぐっこ:2006/01/06(金) 11:15
喧嘩禁止(´・ω・`)

577 名前:魅羅鷲:2006/01/12(木) 08:36
おひさしぶりです ぐっこさん リアルいそがしかったですか?
それとも 続き書くのがいそがしかったんですよね
首をながーーーーーーくまってたら としこしちゃった
続きまってますよ 俺は (きっとみんなもね)

578 名前:りー:2006/01/14(土) 16:22
次回更新の見通しなどはどうなってるんでしょうか…。
忙しい時に更新できないというのは分かってるつもりですが
正直待ちくたびれてしまったです…(´・ω・`)

もしや三国志11の発売を待っているとか?

579 名前:KOSHINIKI:2006/01/15(日) 17:13
 まぁリアルで忙しいときにはちょっと時間が空いても文章書
くより一息つきたいって時もありますよね(笑)。お金取ってる
わけでもなし、のんびりやってくださいな。でも期待はしてま
っせ〜。

 しかし、若い頃田中芳樹読んでたけどあまり続刊が遅すぎて
もう読むような年齢じゃなくなっちまったぃ(汗)。

580 名前:サル:2006/02/15(水) 18:54
バレンタインってなに?食えるの?

581 名前:りー:2006/02/19(日) 10:34
>>580
食べられますよ、チョコが。
自分は1個もらいました。

「ど、どうせ他の人からはもらえないと思って、安いの1個
 買っておいてあげたわ、ハイこれ!
 ほ、本当は全然あげる気なんてなかったんだけどね!
 ちょっと可哀想に思っただけなんだからっ!」
という感じで。値段もそこそこのやつで、美味かったです。


まあ妹からなんですけど。

582 名前:魅羅鷲:2006/02/19(日) 16:52
ちょっと悲しいお知らせ kz-8さんのサイトがおわりに
なるそうです 個人的にフリーソフト使わせていただいてたんで
とても残念です あのソフトどうするんだろうか まだ10のやつ
DLしてないんだよな kz-8さんできればやめてほしくは
なかったです とても残念 ぐっこさん なんとか ならないかな
むりかなやっぱ うーーーん もったいないです

583 名前::2007/01/26(金) 18:00
ぐっこさん、もう書かないのかな…残念です

584 名前:ぐっこ@管理人 ★:2008/04/02(水) 00:18:09 ID:/xywpoDD
書いたよ(゚∀゚)! SSだけど!

585 名前:無名武将:2008/04/04(金) 16:03:25 ID:tOFEWlDf
再開おめでとうございます!

と本気で拍手してしまった俺の立場は

名前: E-mail:

【4:9】■NHK「三国志の子孫をさがせ」 ´_ゝ` フーン
1 名前::2002/11/02(土) 13:56

ぐっこ    2002年04月13日土曜日 10時43分

■本日午後7:30!■

衛星第二で「三国志の子孫をさがせ」がありまするぞ!
ちなみに見逃した方用に再放送もありますので(確か明日(^-^;)、詳しくはNOB様の逸聞三国志の掲示板まで。↓
http://www2.nightmare.to/~nobmatsu/ target=_blank>http://www2.nightmare.to/~nobmatsu/
同番組製作にも携わっておられる、渡邉義浩先生自らが告知されてます( ・_・;)
地上波での再放送はもっと先になるようですね…

2 名前::2002/11/02(土) 14:02

玉川雄一     2002年04月13日土曜日 20時57分

で、どーよ?
何か、利権の絡んだマンセー同志の叩き合いは見ててイタかったが…
結局は、家譜がどこまで事実を記しているか、って事でしょ?
それって今となっては確認のしようもないだろうし、信じ込んでると成否は二の次になるしなあ…

「背が高い」というのは曹操の子孫として疑わしいと思われ。(笑)

そういや、結局孫鍾の存在って「学問的に」OKなんデスか?
ここでも以前一回話題になりましたよねえ。

3 名前::2002/11/02(土) 14:02

ぐっこ     2002年04月13日土曜日 21時42分

あははは――っ!(あの表情)
いやあ、実に清々しい気持ちでキーボードを叩いております♪
はやく裏南蛮王の改訂をしなきゃ…。ふう…。げふッ!

中国人と日本人の感覚の違いが如実に現れるお話でしたね〜! 日本人がよく指摘される「曖昧な結論」を一切廃した、断定人間どうしの応報!妥協の余地一切なし!
なんというかこう、100年以上続いている祭祀を完膚無きまでにぶちのめして回る破壊神の行脚行のような調査ロケでしたが、まあアレくらいしないとキリがないかな…。でも否定する側もソース言わずに絶対的自信を持って学識を振り回していたかも…。
大槻教授と何とか言うUFO学者どうしのバトルにも似た戦いでしたな。

と、さておき。
まず義兄上からも指摘のあった孫鍾。まあ孫家サイドがあとから作った伝説も含めて、否定する材料がない以上「事実」になってるんでしょうけど。
家譜。様々な名門に伝わるコレが、どれくらいダイナミックなモノなのかは、何か委員会や中根東竜様のサイト↓
http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/ target=_blank>http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/
を見ればわかるというモノですが…。
何にしても、卑弥呼の時代までさかのぼって先祖を探る、あるいは子孫を逆探するなど、物理的にはまず不可能と言うことでしょう…

4 名前::2002/11/02(土) 14:03

ぐっこ     2002年04月13日土曜日 21時52分

だいたい予想されてた以上の点をふまえた上で番組的に見ましたところ、非常によい番組に仕上がってたと思います。
以前の「そのとき歴史は動いた」に比べれば。


委員会の介在するドロドロした利権所在を隠しもせず、お互いの罵声一歩手前の議論を堂々と流し、学者サイドのやたら得意げな顔をアップにすることで、視聴者に是非の判断をゆだねてました。
ほとんどの日本人視聴者は、むしろ敗者側に同情を抱くのではないでしょうか?
正直、子孫の話が孫・劉・曹・諸葛に限られていたのは残念ですが、元々眉唾なお話を、あけすけに、しかし体温が伝わる距離で放映していて、私の中のNHK株はちょっとだけ上昇。

最後の孫さんの一文は、よかったですよ〜。
「先祖の霊だって? そんなモノ信じないよ。」
「でも先祖が行ったことは確実に子孫に伝わっているし、私以後の子孫にきちんと教育して、いつかはまた先祖のような偉大な人物が出るかも知れない」
最初の「オレは皇帝の子孫だぞゴルァ!」に較べれば、だいぶ進歩した51代目孫権の子孫さんに乾杯。

5 名前::2002/11/02(土) 14:03

玉川雄一     2002年04月14日日曜日 02時00分

ふむ、確かにかつてのアレに比べれば番組構成としては良くできておりましたな。
孫さんもちょっとは前向きになったようだし。
あそこで「二宮の変」とか「呂壱」とかは禁句だったりするんだろうか(^_^;)

とはいえ、「子孫」の信憑性はやはりあれだけでは何とも言いがたいですねえ。
当人達は信じてるんだからそれでいい、と言われればそうとしか返せませんけど。
やはり、そういうレベルで良しとしておくべきものなんでしょうか。

6 名前::2002/11/02(土) 14:04

もす     2002年04月14日日曜日 18時20分

あふぅ〜ん、、本日の再放送って、いつでしょう・・・??
金曜から余裕無さ過ぎ。。(>_<)

7 名前::2002/11/02(土) 14:04

クェン 2002年04月15日月曜日 00時12分

ああん、こんな面白そうな番組見れないなんて…私は衛星見れないです。
張魯の子孫ならば写真で見たことあるんですがね。なんか眼鏡かけた人が儀式やってました。張魯の子孫だと思えば「ふ〜ん、こんなもんかな」、少容の子孫だと思うと「違う!なんか違う!!」。

ところで
>何か、利権の絡んだマンセー同志の叩き合いは見ててイタかったが…

マンセーとは何なのでしょうか?李典??(違)

8 名前::2002/11/02(土) 14:05

玉川雄一     2002年04月15日月曜日 01時08分

あい、少々キツい表現をしましたが、つまりですね…

今回の番組は中国の観光ビジネスの一環として三国志関連の観光地を開拓するというお話でした。で、何故か浙江省に集中している「三国志の英雄の子孫の住む村」がスポットを浴びたわけです。
そこで、観光局が調査チームを派遣するわけですが、チーム内での意見(解釈)の対立、そして観光地として一山当てたい自称子孫さんの三つ巴のバトルが繰り広げられるわけです。

研究家は強硬に自説を主張し、子孫はとにかく自分の所がゆかりの地だと信じて譲らず。一応は学者さんが主導するわけですが周りのうるさいことうるさいこと。

ただ、好意的に見ればぐっこさんのような感想も出てくるわけで、一概にバカな話とは片づけられません。
束教授の「経済的価値よりむしろ文化的価値がある」という言葉に救いを見出したい気分です。

9 名前::2002/11/02(土) 14:05

ぐっこ     2002年04月16日火曜日 00時42分

もう遅いですが、日曜日の夜11時くらいからやってたはずです(^-^;
しかしまー、玉様の仰るとおり、見ていて気持ちのいい展開ではないです。むしろ「こいつらキモっ」と思うくらい、ドロドロしてました。
よほど腹くくってみないと、途中で切りたくなるかも知れないです。
そりゃ私だってキモかったです。正直キモイと思いました。
ですが好意的に捉えようと努力してみてみると、急に別角度が。
何しろ、「孫権の子孫」や「曹操の子孫」が、じかに出会ったり名勝を案内したりしてる番組ですから…。

名前: E-mail:

【5:17】姜維ってどうよ?
1 名前::2002/11/02(土) 13:44

木人 

おひさしぶりです(こっちでは)
姜維について皆さんはどう思われますか?
私は姜維ファンではないので姜維は馬鹿と言われても痛くも痒くもないのでストレートにお願いします
ちょっと姜維について詳しく知りたくなったので・・・

8 名前::2002/11/02(土) 13:47

玉川雄一     2002年04月09日火曜日 20時29分

味好漢列伝の方でハジけてみました。でももう一押し足りないかも。
この際、姜維に対するコーエーの呪縛をうち砕いておくんなまし!

一応、「将軍」としては評価してやりたい。

9 名前::2002/11/02(土) 13:48

ぐっこ     2002年04月09日火曜日 23時42分

確認! 私もあんなカンジだと思ってます。

10 名前::2002/11/02(土) 13:48

玉川雄一     2002年04月13日土曜日 11時16分

木人さんの提案のお陰でコーエーの呪縛が一部解けました。
味好漢列伝をお借りして、今後も続けていこうと思います。

11 名前:無寿:2004/02/16(月) 00:26
みなさんこんばんわ。いつも楽しく皆様のスレを拝見させていただいて
いています。なかなか勉強になります。
スレを見ました。
評価の低さに残念です。確かに一時期は、正史などを読み、「戦争人間」
などと思い、蜀滅亡の原因の筆頭に挙げても過言ではない。などと思いました。
しかし最近、彼の置かれている立場的に無理もない事であった。
と思い始めました。魏と言う大国に一地方軍閥的な蜀が対抗するには
戦争で勝つしか手は無く、勝つ為には戦争しかありません。
しかし魏は大国。兵数、物資、装備のあらゆる点で蜀に勝っており、
人材においても蜀を軽く凌駕しています。もはや一人の人間の能力で
勝てる時代は終わっていたと思います。彼は蜀が生き残る為に必要な
事を必死に行っていたのだと思います。本国からの支援は無いに等しく、
よそ者扱いをされていたようです。しかし部下からの信頼は厚かった
ようですし。亡国の名将。憂いの名将といった言葉が一番似合う
ような気がします。私は、彼を陸遜と肩を並べられる存在だと思います。

12 名前:★ぐっこ:2004/02/16(月) 01:10
はじめまして、無寿さま。書き込みありがとうございます〜。
規約通り、こちらに移動して頂くということで(^_^;)
そうですねえ、一時期に比べて、短絡的に諸葛亮やら姜維叩きをする一派が
だいぶ減ったようで、蜀ッカーの私としては喜ばしい限りです。

最初に、私の立場と意見をはっきり書いておきましょう。
私は人物の生きざまを「( ゚Д゚)カコイイ!」「好き!」「惚れた!」と叫ぶ事は多いですが、
必ずしもその後に「やっぱ彼って当時最高級の英雄だよね」とマンセー評価することは皆無です。
というより、「当時最高の英雄」を格好いいとは思わないタチなので。

姜維は、まさにそれ。「生き様は格好いいし個人的に好きだが、マンセーできない」と。
ですから、私が姜維について語るとしたら、上の立場でのものになりますね…。

13 名前:★ぐっこ:2004/02/16(月) 01:39
これまでのレスの焼き直しになりますが…
漢中閥(敢えて漢中政府と言わぬ)と朝廷の軋轢、亡命軍人と生粋の蜀軍人たちとの不和などに触れだすと
キリが無いのでパス。


無寿さまが仰るように、姜維は到底凡将などと蔑まれる存在ではないでしょう。
年代の違う武将たちとは比較する術がありませんが、少なくとも同時代を生きた
敵将たちにとっては、畏怖に値する名前であったと思われます。

ですが、それはあくまで「国境軍の指揮官」という範囲。呉の将兵が張遼に怯え、魏の
将兵が関羽来襲と聞いて浮き足立つレベルと、そう違いは無いでしょう。
陸遜と違い、彼は国政を左右する身分ではなく、魏にとっては蜀=費禕の国であって、
姜維はあくまでも国境を荒らし回る敵前線司令官、という存在であったと思われます。
それは国内でも同じ。所詮は外国人なわけですし、国境を預かってくれる頼もしい防壁、
というあたりが姜維の存在価値だったのでしょう。

いわばそんな立場の彼が、戦場だけの作戦行動に「歴史をひっくり返す」という気概を込め、
国境軍団を半ば強引に動員し、国境紛争を果てしなく繰り広げる…
これは、気概壮なりと言えど、「亡国の業」と紙一重です。どうせ魏の国防体制と外郭軍の
配備は防衛に特化されてるのですから、どんなに暴れ回ったところで効果は薄い。
戦争する以外に国家の活路が無いにしても、もう少し大局的な作戦行動はとれなかったのか?
それが取れ得ぬ立場なら、取り得る立場に付くための工作は行ったか? 行うだけの能力や組織
を手元で育てていたか?
戦争以外に何でも押しつけられ、なんでもブン回した剛腕宰相・陸遜と彼と、決定的に違う点ですね。

これらを総合して考えると、結局は「…戦うしかないじゃん俺_| ̄|○ 」という姜維の立場に立ち戻る
ことになりますねえ。
国体の延命よりも、自分のできること、すなわち戦争を、手段ではなく目的として敢行した亡国の勇将。
長々と書きましたが、結局は>>1-10のまんまですな、私の意見。

14 名前:無寿:2004/02/16(月) 23:40
ご丁寧にありがとうございます。やっと今日で大学のテストも終わり
ました。もう一年追加されそうな出来でした・・・。それはさて置き。
やはりそのような感じなのでしょうか?漢中防衛軍に手を付け、無謀な
北伐を繰り返した将なのか・・・。タイムマシーンがあったらなぁ。
って本気で思います。当時に行きたい・・・。

15 名前:★ぐっこ:2004/02/17(火) 00:38
まあ、どちらにしても私個人が10年ほど三国迷やってきて、漠然と感じてる
だけのことですが(^_^;) もうコレはデフォルトなので動きませんねえ…

ホントにタイムマシーンで確認したら、全然違う人物であるかもしれず…
が、タイムマシーンなど無いので、我々はなるべく私情を挟まず、残された
乏しい史料から推測するしかないわけですね…。

16 名前:無寿:2004/02/17(火) 01:26
そうですね。それも歴史のおもしろさ、醍醐味!?ですから。
多分。これからもちょくちょく使わしていただきますね。

17 名前:★ぐっこ:2004/02/18(水) 23:52
はいー。こんな場末でよろしければ、いつでもお越しくださいませ〜。

名前: E-mail:

【6:12】【特別キャラスレ】何ギョウ促進キャンペーン開始!【超味好漢】
1 名前::2002/10/27(日) 00:07

:ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年03月11日 (日) 23時43分40秒 

あっはっは〜!
密かに何ギョウ促進運動開始〜! 前の谷利みたいなキャンペーンやると煙たがられるので、こんどはこっそりとやります(;^_^A  ですが彼の応援をしてくださる方、おられましたら宣伝も宜しく! 彼については「俺武将能力値」へ。

実はだいぶ前から後漢書の原本(ではないんだけど、和刻本)を入手して、猛烈に党錮前後を勉強中です〜。前言っていた、彼と曹操と袁兄弟を主軸にした武侠小説の準備なんですね〜。ひそかに張奐も出演!
今の知識と文章力ではお話になりませんが、あと1,2年漢籍を読み散らして自信がついたら、半分本気で公募を狙います(;^_^A なんかライフワークになりそうです〜。


3 名前::2002/10/27(日) 00:09

ぐっこ[近畿] > (2001/03/13(Tue) 01:49:27)

「漢籍全文資料庫」!? そんなところがあったのですか〜! せっせと大学図書館で後漢書数百部コピーしてた私の立場は〜! 
とりあえず、漢楚やら春秋やら堯舜やらの知識も詰め込まないとキツイですね〜。>小説。宮城谷先生の本をかき集めてます(;^_^A  ところで宮城谷先生、とうとう文藝春秋5月号から「三国志」を執筆されるとか…!
これから、諸子百家乱立時代が訪れますね〜。

4 名前::2002/10/27(日) 00:09

香香[東海] > (2001/03/14(Wed) 12:33:50)

三国志に限らず漢文読む上で「典故」を知っていると知らないとでは味わい方に差がでちゃいますね(~_~;)

5 名前::2002/10/27(日) 00:10

水瀬汐音[九州] > (2001/03/15(Thu) 13:57:47)

私は中国から正史の白文本を買ってきたのですが、全然読めません〜(><)
はっきりいって固有名詞しか分かりません!
皆様、いつか白文読解の方法を教えて下さいませ〜!!

>ぐっこさま
宮城谷先生がついに三国志を執筆!?そ、それは初耳です!
先生の三国志を読むことは、私の長年(?)の夢でした〜(>▽<)
ついにそれが叶うのですね…嬉しいです〜vv

6 名前::2002/10/27(日) 00:10

ぷくりん[関東] > (2001/03/15(Thu) 23:00:22)

宮城谷先生の三国志、楽しみです〜♪
そして、カギョウ促進運動、こっそりなんですか?残念。

ほう!公募を狙う!デビューの暁にはサイン本くださいね〜

7 名前::2002/10/27(日) 00:10

六波羅文乃[四国] > (2001/03/15(Thu) 23:31:58)

はじめまして。香香さんのところからとんできました。
何ギョウと聞いて黙ってられずに、かきこんでしまいました。
彼はシブイですね!折角の後漢書は読めずにいますが・・・。
ちなみに私は荀攸ファン(((((^^;)なので、その辺のからみが気になるところです。

8 名前::2002/10/27(日) 00:13

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/03/17(Sat) 23:07:03)

 >香香様
そうですね〜。漢文は故事と修辞が散りばめられてますから(;^_^A
私も、さっぱりです! 高校時代の漢文問題集レベルしかついてゆけず、難しい漢字が出てくるとアウトです…。

 >ぷくりん様
そうなのです! 宮城谷先生、いよいよなのですか〜ッ!というカンジで! 多くの歴史作家が三国志書くのを夢見てらっしゃるゆおですから、これからが熱いですぞ! ところで公募!出すだけです出すだけ(;^_^A しかも3年後くらい…。

 >六波羅文乃様
おおお!初めまして!香香様のサイトで幾度かすれ違いましたね〜。
なんと!何ギョウ様に心得がおありですか〜!心強い!ゼヒゼヒ機会が有れば、彼を宣伝してやってくださいませ〜! 荀攸は、いわば何ギョウの最期の場に立ち会ったようなものですからね〜。彼無しで何ギョウは語れないです〜

9 名前:龍夢:2002/11/27(水) 21:01
初めまして。龍夢と申します。tatsuさんのリンクをたどってきました。私は蒼天航路で三国志に触れたので、このサイトのコアなことにとてもびっくりしています。正史三国志は当たり前、後漢書、晋書迄読み尽くしてらっしゃる濃い話題に脱帽です。
 「味好漢列伝」に何ギョウがあったので、まっ先に読みました。わたしは荀いくが好きなので、彼を
「王者補ひつの才有り」と評した何ギョウに興味があります。正史三国志も自分で持っているのは、荀いく伝の入っているちくま文庫の2のみなのですが、何ギョウのエピソードを読んでいいなと思ってました。ぐっこさんの文章になると、もっとイキイキとそこら辺を歩いている様子むが浮かぶようで楽しかったです。 
 今回書き込みさせていただいたのは、ひとつ質問があったからです。味漢列伝では、荀爽と何ギョウのお墓を近くにしたのは荀ゆうとなっていますが、この出典は後漢書なのでしょうか?
わたしの持っている正史三国志の荀ゆう伝では、これをしたのは荀いくとなっています。わたしにとって、荀いく荀ゆう伝の中で1番好きな荀いくのエピソードだったので、「えー、ホントは荀ゆうがしたのかぁ」とちょっとショックを受けています。出典を教えていただけたらと思うのですが、よいでしょうか?
唐突ですみません。よろしくおねがいします。

10 名前:★ぐっこ:2002/11/30(土) 17:53
はじめまして!龍夢さま。

>何ギョウの墓…
Σ( ̄□ ̄;)!!
全く気づかなかった! ありがとうございます!
いやあ、あっはっは。後漢書何ギョウ伝でも何でも、これ荀揩フエピソードですよ〜!
牢獄云々のエピソード書いてた続きで、そのまんま荀攸を引っ張ってしまったようで(^_^;)
とりあえず>>ALL
m(__)m
龍夢さま、ご指摘ありがとうございました…。

ところで何ギョウについてですが…そろそろ、文春連載の宮城谷三国志が、あのあたり
にさしかかりそうで…楽しみです。私なんぞが妙な中華ハードボイルド書くのと違い、
そりゃ凄い何ギョウ像が期待できそうで。

でも、まだ袁紹の青年時代とか考えてると楽しいです。
いつかはっきりとした文章にしたいな…

11 名前:龍夢:2002/12/01(日) 19:12
あいやぁ!そうでしたか。なんか細かいことにこだわってすみません。初カキコなのに変な質問だなっと躊躇もしたのですが、荀いくのエピソードってほめられてるんだけど、取り澄ました感じのが多くてこれは素顔を垣間見たってかんじですごーく好きだったんです。だもんで、つい伺ってしまいました。荀ゆう伝のところも、ずっと何ぎょうと荀ゆうのエピソードが続いていて、いきなり荀いくがってなるのは、確かに変で「これって誤植かも?」って思えたんです。自分でも他の本とかあたればいいのに、正史三国史さえふぅふぅなので、質問させていただきました。
ありがとうございます。

>宮城谷三国志が、あのあたりにさしかかりそうで…楽しみです

ホントですね。図書館で少しずつコピーしてますが、なかなか進みません。曹謄も蒼天で3本の指にはいるくらい好きだったので、詳しく読めてうれしいです。素敵な何ぎょうが読みたいですね。

>まだ袁紹の青年時代とか考えてると楽しいです。
是非。是非。何ぎょう、若かった曹操、袁紹、もちろん文若も、この頃はキラキラしていそうでもっと色々知りたいです。私利私欲じゃなくて志があるって感じがいいですよね。ぐっこさんの文章は何ぎょうを007って呼んじゃったり、月旦の表現も楽しくて、この頃を書かれるのにぴったりだと思います。楽しみにしていますので、是非。

12 名前:★ぐっこ:2002/12/07(土) 14:16
いえいえ、本当に助かりました〜! おっと、早く修正しとかないと…
次回更新で直しておきますね…
桓霊の時代の、地下に潜った清流人士たちって、結構政治ドラマしてるんですよ。
彼らをこっそり庇護していた袁兄弟や曹操たちの姿も面白そうですし。
彼らへの捕縛令が解かれた黄巾の乱が、どれだけ巨大なものだったかも伺えます。
とりあえず、何時になるかは解りませんが、ちょっとずつ考えますのでどうぞ気長に…

名前: E-mail:

【7:23】将軍位について
1 名前::2002/11/02(土) 15:53
クェン

趙雲に関して質問。
ちくま文庫で「建興元年(223年)、中護軍・征南将軍になり、永昌停侯に封じられた。昇進して鎮東将軍になった。」とあるんですが…

征南将軍から鎮東将軍になるのって、格下げとしか思えないです。
中国語の原文でも、鎮東将軍になったことを「昇進」と表現してるのでしょうか?

14 名前::2002/11/02(土) 16:01

ぐっこ 2002年07月28日日曜日 23時31分

あ、時間差で(^_^;)

>クェン様
そうですね、三國志Vとかだとモロに品官でしたから、誤解が生まれやすいですが…。基本的に前後左右将軍はエライ、という意識さえ有れば、何とか(^_^;)

>むじんさま
それなんですよそれ! 魏でも夏侯惇みたいに「漢」を付けてくれたら分かりやすいんですが(不臣)、フツーに漢王朝官位と自国の官位を混ぜてますよねえ…(^_^;)


ところで質問ですが、劉備とか孫権が発行してる官位って、本物なんでしょうか? 「上表して偏将軍に任じた」みたいな表記がありますが、曹操は本当にああいうの通してたんでしょうか? 蒼天では「あっさり」受諾してる書き方ですが…

15 名前::2002/11/02(土) 16:02

むじん     2002年07月29日月曜日 05時45分

最近は討逆(孫策)伝を開くことが多いのですが、ちょうどそれに関する記述を見たばかりでした。
孫策は詔勅によって騎都尉に任じられるのですが、これでは官位が軽すぎると勅使に訴えたところ、勅使は独断で明漢将軍に任命しました。それに曹操自身も奮武将軍に自官してますよね。劉備は漢中王に自封しました。こういうのは臨時的措置として将軍号を冠しているのですが、やはり中央に報告して追認を求める必要があるのでしょう。
で、問題の孫策ですが、任官の礼を述べながら、袁術から殄寇将軍に任じられたことを自白しました。まさか袁術が勝手に任命したものとは知らなかったと孫策は言っていますが、もちろんこれも形式上は臨時的措置として孫策を任命したものではないかと思います。
臨時的措置として官職を与えたり、自ら官職を名乗ったりすることはよくあったようです。それが正式なものになるのは、混乱が治まったのち朝廷に報告するまででしょうから、逆に言えば、混乱が続けば承諾はいらないということに…。劉備が勝手に軍師将軍や揚武将軍を任命したところで、曹操が許可するという段階には至らないんじゃないですかねえ〜。
眠たくて何が言いたいかワカラン(^^;)

16 名前::2002/11/02(土) 16:02
もす 2002年07月30日火曜日 06時35分

>征西車騎将軍

 う〜ん、これは確かに気になるんですよねぇ。。誤植でも無いようだし…(^^ゞ
個人的には、征西"大将軍"がアリなら、征西"車騎将軍"もアリかな……と自分を納得させております(笑)

>魏公国

 先程、別件で調べたところ、気になったんですが……

『晋書』では「魏太尉(荀)掾vってなってるのですが、誤植でよろしいのでしょうか?(;^_^A

 曹操が魏公になる一年前に、荀揩ヘ亡くなってるハズなんですが…ねぇ。。お化け?(爆)

17 名前::2002/11/02(土) 16:02

ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時37分

>むじん様
え、エラい時間からお返事ありがとうございます!(^_^;)
やはり形式はともかく実際は「自称」がメインですか…。確か劉備と劉璋が互いを顕官に任じ合うという妙な遊びをやっていましたが、実際もこんなところですか〜。
任命についても、朝廷が直に任命する時も有れば、華[音欠]スレで話題になったように、巡察官が臨時に官位を発行することもあったようですし…。
泰平の時期ならともかく、乱世にあっては官位も将軍位もバラバラ、といったところ…。
でも周瑜の偏将軍とかは、マジっぽいですねえ…

>もす様
うーむ…征西大将軍については、魏にもあるのですが、征西+大将軍ではなく、征西将軍DXという意味みたいです…(^_^;) 三國志巻末の官職一覧ですと、征西将軍のうち官爵の高位の者は大将軍を冠する、というたぐいの記述があったと記憶してます。
ですが、征西車騎将軍、となるともう何が何だか…。
車騎将軍は戦車軍元帥の名残ですから、事実上の名誉職。征西将軍は、西部方面総司令官が例外なく冠する将軍位。
魏朝廷としては、ここまでして張[合β]の功績に応えていたということなんでしょうか…

荀掾c死後10年ちょっと後、太尉を追贈されてます。たぶんそれをもって最終官位と見なしているのでは…。
荀家は、四世三公ならぬ五世六公ですよね、荀揩入れれば…

18 名前::2002/11/02(土) 16:02

japan  2002年07月31日水曜日 00時37分

>漢の官位と三国の官位

個人的に、とても気になる問題です。
本当、皆様が仰るようにちゃんと書いておいてくれれば良かったのに…陳寿たん…
宮崎市定氏の『九品官人法の研究』の巻末には「漢魏之際百官表」なる表が附記されているので、建安末〜黄初あたま辺りは参考になりました。


>征西大将軍&征西車騎将軍

魏で征西大将軍に就任したのは、私が知っている限り陳泰一人だけなのですが(他にも存在していたら済みません^^;)……彼に関して言えば、誤植ではないかと半信半疑です。
何故なら、本人の伝には「征西大将軍・仮節都督雍涼諸軍事となった」とありますが、高貴郷公紀をはじめとする他の箇所では、全て「征西将軍」と記されているからです。
という訳で、そもそも魏にこの将軍位が実在していたかもやや疑問かと…

なお、その前任者である郭淮は征西将軍→車騎将軍・儀同三司に昇任し、車騎将軍在籍中に亡くなっています。(没後大将軍を追贈)
三十年以上も西方の守備に尽くした彼こそ「征西車騎将軍」の位に相応しいと思うのですが…張コウの功績には及ばなかった、ということなのでしょうか(涙)


>荀掾c死後10年ちょっと後、太尉を追贈されてます。たぶんそれをもって最終官位と見なしているのでは…。

荀揩フ太尉追贈は咸熙二年(265年)だったような気が…
覚え違いだったら申し訳ありません(^^;)

19 名前::2002/11/02(土) 16:03

もす 2002年07月31日水曜日 10時47分

>太尉追贈

 あぅ! なるほど(笑) 私の疑問が塵と……(爆)
荀摯ョ死説に対する反論にありましたね、そういえば。

>車騎将軍DX

 そう。なので、"車騎将軍DX.Jr"程度なのかなぁ、と(笑)
あまり深く考えていないので、気にしないでくだされ。(^^ゞ

20 名前::2002/11/02(土) 16:03

クェン 2002年08月01日木曜日 00時54分

>三十年以上も西方の守備に尽くした彼こそ「征西車騎将軍」の位に相応しいと思うのですが…張コウの功績には及ばなかった、ということなのでしょうか(涙)

張コウの敵は劉備と諸葛亮だったのに対し、郭淮が最も活躍した時期の敵は姜維だったというのも郭淮のありがたみを下げてる一因かもしれません。
とはいえ、総じて張コウよりも出世してるっぽい気がします(特に大将軍を追贈されてるのは凄いと思います)。 

21 名前::2002/11/02(土) 16:03

ぐっこ 2002年08月01日木曜日 23時03分

>荀
あ、死後ウン十年経ってますね(^_^;) うろ覚えのことは書かないに限る…。

>征西車騎将軍
そうですねー。やはり征西将軍DXの意味合いで、敢えて車騎将軍を冠しただけなのかも…。集解とかで何か解説ないかなあ…。
郭淮は、活躍のレベルでは張[合β]を上回りますが、殆どの場合、防衛戦か国境の鎮撫なんですよねえ…。やはり野戦攻城の達人よりも、広大な領土の総督の方が出世は大きいかと。

22 名前::2002/11/02(土) 16:03

むじん     2002年08月02日金曜日 04時40分

> 征西車騎将軍
この「征西」は衍字のようですね〜。『魏志三少帝紀』『晋書宣帝紀』のいずれも「車騎将軍張コウ」とあります。とくに『三少帝紀』の場合、本人の最終官位らしいので、張コウは「車騎将軍」で決まりでしょう〜♪
『集解』は一言も触れてないですね。残念。

23 名前::2002/11/02(土) 16:04

ぐっこ 2002年08月03日土曜日 22時41分

お、こちらでは結論が出たようで!
うーん、「車騎将軍」がメインですか…。
じゃあ驃騎将軍司馬懿と、ほぼ同クラス。大物だったんですね〜。
集解でもナシですか…。
むじんさま、ありがとうございました〜!

名前: E-mail:

【8:3】呂岱について語りつくすスレ
1 名前:頴娃:2003/05/16(金) 00:39
裏の陸遜との異名をとる(?)呂岱についてかたりませう。
天才的な統治能力、当時にしては最高級の寿命、士ショウの息子達を壊滅させた狡猾さw

その素敵な彼について、語りましょう(^0^/

2 名前:★玉川雄一:2003/05/16(金) 22:18
呂岱といえば放っておけない訳でありますが。
まあ以前自分のところで一席ぶったのでそれを踏まえれば
・卓越した行政能力
・果断な軍事行動
・清廉・質素な人となり
・そして長寿
といういことですわね。

士氏討滅に関しては騙し討ちといわれれば反論のしようはないわけで。
交州の接収の為には十分あり得る選択肢の一つであって、全否定はできません。

で、問題となるのが「二宮の変」での魯王派への荷担ですね。
こればかりはどういう心情でいたのかは今となっては知りようもないのですが、
この時期の正史における呂岱、歩シツ、全ソウ、呂拠らの不自然なまでの沈黙と昇進には
想像を逞しくさせるものがあるような。

どのみち、呉の重鎮であったことは事実ですね。
たたき上げなのによく頑張った!

3 名前:★ぐっこ:2003/05/17(土) 00:32
渋いところを衝かれますな、頴娃さま。
玉川様が触れたように、以前「【影の宰相】あんたら怪しいぞ!【孫覇派】」スレで話題になってますが、
呂岱のような清廉と思しき傑人でさえ、どうもきな臭い印象はぬぐえないと(^_^;)

陸遜ほど対外的な功名に恵まれず、まだまだマイナー人物に数えられる彼ですが、
やはり三国有数の大物であったのではないかと。

名前: E-mail:

【9:227】三国志VIII発売!!
1 名前::2002/10/26(土) 23:03
ぐっこ[近畿] 投稿日:2000年12月26日 (火) 11時53分09秒 

ぐはああ!やられました!ってカンジ。1年間隔とは気ぜわしい!
少なくとも「Z」で二年はもつとおもって、南蛮王のペースをのんびりモードにしたのに〜!
このままでは[発売後も細々と南蛮王を続けるハメに! まだ序盤だったらコンバータのしようがあるんですが、さすがに最強勢力になってしまうと面白みが無くなる……。

 それはそうと「[」情報ですが、ベースは「Z」のようですね。一人の武将を主役に立ててのゲームです。画面を見る限り、大きなレイアウト変更もなさそうです。
ただし、「義兄弟」「仇敵」「夫婦」という関係はきちんと設定できるようです!……が、これを制限する機能つけとかないと、とんでもないカップリングがワラワラ出来るハメになると思いますよ>光栄様。夏侯惇と胡車児の「義兄弟」とか、よくわからん義兄弟が乱立すること請け合いです……(天水ソフトの「後漢志」で経験済み)。
でも、夫婦はいいなあ夫婦は。娘武将創る楽しみが……♪
あと、野戦はちゃんと野戦するようですね〜。いままでの陣取り合戦よりは盛り上がるかも。

とにかく、これから刻一刻と新作情報が発表される中、私は「旧作」の南蛮王をコツコツ書き続けるわけですよね……はあ。

218 名前:★ぐっこ:2003/11/18(火) 01:15
そして経験者から言わせて頂くと、「9」の勢力を望み通りのモノに
仕立て上げる手間は、コレまでの作品の比ではありません。
今だから言えますが、私は三国志9を、発売直後にゲトしてたわけですが、
実際にリプレイを開始できる勢力図を作り上げる(210年)まで、何ヶ月かかったか…。
でも、大王は素直な動きをしてるから、最初はマルチプレイでなんとでも
いけるかも。
>落雷
ワロタ。大阪は好きなのか嫌いなのか。

219 名前:★ヤッサバ隊長:2003/11/18(火) 20:23
>9に設定コンバート
比較的序盤の展開ですからねぇ。
しかも、旧劉表陣営をごっそり引き抜いた状態な訳ですし。
実はあの後、漢中から成都まで陥としたデータもあるのですが、あまりに事を早く運びすぎて、
肝心のあずまんがネタが思い浮かばずに断念…_| ̄|○
しょうがないので、途中のデータ(三話終了時)の勢力図を9にコンバートする事にしますわ。
ただ、PS版故に顔画像があずまんがキャラのを使えないので、やや感情移入しにくくなりますけど(^^;
それでも、戦争時にボンクラーズ3人による戦法連鎖を決めてみたいという野望も密かにあったり(ぉ

>落雷
リプレイ開始前に、テストとして一度あずまんが大王軍を選択してプレイしていたのですが…。
一応天文部のかおりんが天文持ちなので、天候を豪雨にした後大阪が喜び勇んで落雷を使用。
すると、見事にちよすけにHITしましたとさ(実話)
…畜生、本リプレイで使うネタだったのになぁ……。

220 名前:★ヤッサバ隊長:2003/11/19(水) 08:08
PS2三國志9、発売日12月20日に延期…(−−;
もうこうなったら、PC版のwithPUKを買おうかしらん。
…ゆかりちゃん達の顔も変更出来る事だし。

221 名前:サムさん:2003/11/19(水) 08:26
>M6000サンダーコントロールシステム(ゴジラ風に書くなってw)
僕も使用した事あるけど、
自軍の被害少なくするため参軍と総大将の2部隊のみで出撃してやってみたら…

見事に参軍に命中しました_| ̄|((((((((○

>ボンクラーズ3人による戦法連鎖
ボンクラーズジェットストリームアタック( ̄□ ̄;)!!

誰が踏み台になるの?(ぉ)

222 名前:★ヤッサバ隊長:2003/11/19(水) 23:38
三國志9PUK(PC版)ゲト。
現在ゆかりちゃんチームでリプレイ前の予行練習してまつ。
それにしても、8の新武将データをコンバート出来るのは良いですのう。
顔変更ツールも使用して、あずまんが大王軍の陣容も完璧に再現。
あとは、リプレイ途中のデータを再現するだけでつ。
…でもそれが一番時間かかるんだよなぁ…_| ̄|((((((((○

>ボンクラーズジェットストリームアタック
無論踏み台は…。
とも「おっしゃ!神楽!大阪!ジェットストリームアタックやるぞ!!」
神楽「応!!」

しゅーしゅーしゅー(三人で地面を滑るように走りつつ、よみに攻撃)

よみ「こ、こいつら!?」

よみ、ジャンプして攻撃を回避。その際…。

大阪「あれ?なんで私が踏み台なん…? ふぎゃっ!」

>落雷参軍に命中
南無でつた(ーー;

223 名前:★ぐっこ:2003/11/20(木) 00:36
私はVIIで何度か味方に落ちました。>落雷。
あと、教母にも二回ほど落とされましたが、実は2度目は自爆だったり。
カコワルイからリプレイには載せませんでしたが(^_^;)

>ボンクラーズの三連鎖
ああっええなっ! なんかあずまんがドンジャラの役みたい(^_^;)

224 名前:サムさん:2003/11/20(木) 16:44
クリアしますた
正直、山騎さえゲットできればうちのオリキャラ軍団の編成だと強かったです

そういやクリアしたら追加シナリオってありましたっけ?

>大阪踏み台
( ̄人 ̄)ナムー

>爆雷(違)
落雷を使うと大抵味方に当たる(60へぇ(ぉ))

って言うか正直挑発・混乱が決まればあとどうにでもなる気がするw

225 名前:★ヤッサバ隊長:2003/11/22(土) 08:00
>追加シナリオ
公式HPからダウンロードできまつが、中古だとシリアルナンバーの関係上無理ぽ。
…という訳ですのでご了承下さい。

226 名前:★ぐっこ:2003/11/22(土) 17:22
サムさん様、クリア乙!
うーん、勢力制覇の特典…なんかあったけ…?
「9」だと色々あった気がしますけど、7とか8だと…。
頼りなくてスマソ(^_^;)

>公式DL
うい。こちらは前の持ち主の態度如何で中古は無理かも。

227 名前:★ヤッサバ隊長:2003/11/22(土) 18:57
>三國志8追加シナリオ
ひょっとしたら何とかなるかもしれませぬ。詳しくはメールで。

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【10:6】小説『魏延別伝』
1 名前:レイジ:2003/07/31(木) 19:56
小説暦2年程ですが、書いてみようと思います。
一応魏延と孔明様が仲が良かったらという方向で書くので、
ほんのちょっとオリジナル入っていますが……。
タイトル見ればわかると思いますが……。
感想いただけたら幸いです。
演技って駄目ですかね?(一応聞く
半分正史ですが、北伐戦です。
司馬一族について少しあれになっています(孔明に負け続け
でわでわ。。。

2 名前:★ぐっこ:2003/08/01(金) 23:41
ようこそ〜レイジ様。
ほほう、魏延小説ですと!
>正史をベースにした濃ゆい三国志小説を募集しています。
この条件を満たして頂ければ問題ありません!

ただ…以前袁紹スレあたりで話題になりましたが、演義の二次小説的
なものないし演義ベースのオリジナル小説は、私駄目なんです(´・ω・`)
ギャグでやる分には全然構わないのですが…自分でもナゾ。
その辺だけ、気を付けて頂ければ幸いでつ。

「三国志演義」は大好き…っていうか、私にとっての「三国志」そのもの
なんですけれど。逆にそのせいかも。

3 名前:レイジ:2003/08/02(土) 22:11
魏延別伝


孔明と仲達が五丈原に布陣する、第五次北伐戦。
蜀の兵糧は充分にあり、今回こそ長安を奪おうと言う算段。
孔明と仲達の知恵比べ。
孔明が勝っていたが、惜しくも病没してしまう。
人々はその死を哀れみ、嘆き悲しんだ。
その後、撤退していた蜀軍で一悶着あった。


「魏延将軍、蜀はこれからどうなるのでしょうか。」
声をかけるのは勇将、馬岱。
馬超と共に蜀に投降した人物。
魏延はしゃべらない。
もともと無口な方であったが、最近は特に無口であった。
一人の人間の死―――。
蜀に、いや、三国を新たな方向に進ませるほど大きな死。
それを聞いたとたん、仮面の下の表情が読み取れるほど驚愕したのを馬岱は知っている。
「馬岱…。丞相ハ真ニ死ンダノカ……?」
魏延ほどの人間ですら、真に信じられず、馬岱に問う。
丞相は魏延を警戒していたが魏延は何も考えていなかった。
陰口を叩いていると言うのも所詮噂であった。
蜀の国の為、いや、先帝(劉備)の為に戦う人間であった。

『魏延、私はあなたに期待しています。』

孔明は度々そういっていた。
今にもそう聞こえてきそうである。
しかし聞こえない。
魏延にもようやく孔明が死んだことを認め始めた。

『反骨の相がある』

そう言いながらも孔明は魏延に期待していた。
あくまでも”忠告”であったのである。
「馬岱…。人トハ脆イナ……。」
いつもの魏延とは思えない、消え入りそうな声で話す。
馬岱ですら今の彼には不信感を覚えている。
少し迷ったが、すぐに言葉を続けた。
「ええ。これからは丞相が安らかに眠れるような国作りをしなければなりませんね。」
再び流れる沈黙―――。
馬岱も信じたくない。
孔明は蜀の最後の精神的柱だったのである。
思えば蜀の精神的柱も次々と崩れていったものだ。

仁政によって民に慕われ、蜀という国を築いた、劉備。
劉備の糧となり、首になっても二国を脅かした、猛将、関羽。
その武勇は勝る者が無く、長板橋では一喝して曹軍百万を退けた猛将、張飛。
劉備を見出し、常に謙虚で諸葛亮、劉備に慕われ長板橋で名をとどろかした勇将、趙雲。
長沙では関羽と互角に戦い、夏候淵を討ち取った老将、黄忠。
かつては曹操をも脅かし、一度は長安をも手に入れ、張飛と互角に戦った虎将、馬超。
その他もろもろの勇者達―――。

……そしてその知略は地上に勝る者無し。最後の巨星。天下の奇才、諸葛亮。


全てを失ってしまった蜀軍。
最後に蜀を支えるのは、魏延なのか……。
そんなことを考えているとき、急使が飛び込んできた。
内容―――

『魏延が謀反を起こした』



4 名前:レイジ:2003/08/02(土) 22:11
魏延、馬岱が思わず立ち上がる。
誰が流した噂なのだろうか。
蜀の誰かが流したのなら、その者は自ら蜀を捨てたこととなるだろう。
「馬鹿な…。今、魏延様ほど蜀を想っている人が他におると言うのか……。」
馬岱は無念のあまり、泣き出していた。
これから丞相の代わりとなろうと言うのに、あんまりではないか―――。
魏延の脳裏には『流言』としか浮ばない。
また、それを聞いた外の兵達も無念の余り、泣き出していた―――。
そんな時にも無念にも時は流れ続ける―――。
再び来た急使。
今度は何だという目で見る馬岱。

『牙門将王平が討伐に向かっていると言うこと。』

……あまりの扱い。
兵たちの士気も怒りのあまり上がり、王平を説得し、疑いを晴らすようにしようとしていた。

「魏延。話したいことがある。」
王平は単刀直入に言った。
一方魏延は頭を垂れ、気力が無い。
「お前本当に謀反を―――。」
「噂ダ。俺ガ疑イヲ晴ラス。見テイロ王平。」
王平の言葉を最後まで言わせなかった。
王平も魏延を信用していた。
それどころか憧れていた。
何か考えがある。そう思い王平軍は撤退した―――。

兵達も怒りに満ちている。
自分たちを想ってくれている魏延が謀反を起こすなど―――。
魏延はこっそり馬岱を呼び、自分の考えを言った。
「!!―――いけません!!!」
馬岱の目には涙が浮かんできていた。
さらに言おうとする馬岱を手で制した。
その考えを兵にも話すと、兵は一人も残らず涙を流した。

それから数日。
魏延軍は足取り重く、漢中まで辿り着いた。
城には無数の蜀の旗。
警戒態勢も万全。魏延に備えてだろう。
魏延に気付いた姜維は一応兵を集めていた。
行軍を止め、漢中城を見入っていた。
城門の上ではなにやら話している。
しばらく待つと城門が開き、数千の兵が出てきた。
その真中にでて来たのは麒麟児、姜維であった。
大きく息を吸い込む姜維。
「本当なのか?」
大きく息を吸い込んだわりには小さな呟き。
魏延の兵達は怒りが頂点に達し、今にも襲い掛からんとしている。
「まずはその兵を下がらせてくれ。分裂は好ましくない。」
言葉を続ける姜維。
魏延軍は一歩も下がらなかったが、代わりに持っている武器を落とした。
武器を持っているのは魏延と馬岱のみ。
「楊儀。出テ来イ……。」
かろうじて姜維に聞き取れるほどの声。
謀反など企んでないような声。
しかしその声を聞き、楊儀が出てきた。
「出たな謀反人!!!」
楊儀が叫ぶ。
しかし魏延はまったくの無反応。
……仮面を取った魏延。
それはかの美周朗と見間違えるほどの美貌。
「分裂は好ましくない。今からすることでみなの命は許してくれ。」
……これを悲劇と言うのだろうか。
「皆。あきらめるな。」
彼の持つ長刀は―――。
「魏を倒せ―――。」
彼の意思で彼を貫いた―――。

蜀の皆は、皆の意思で蜀を滅ぼしたと言えよう。
魏延は勇猛だった。
それだけで皆安心であったが、その天命にも限りがある。

旧蜀攻略戦では孔明の指示に従い活躍した魏延。
漢中の平定を見事成し遂げた魏延。
そして今までの北伐でも大活躍した魏延。

蜀の最後の星―――。此処に散る―――。

それからいくときか立った時、魏延の首を踏みつけた楊儀を見た者がいた。
「どうだ謀反人。悔しかろう。フハハハハ。」
その後楊儀は魏延の配下により惨殺される。
その死体は魏延の埋まっているすぐ近くに埋められた。

その後、諸葛亮と魏延の死を無駄にせず、狂ったように北伐を繰り返す蜀。
しかし諸葛亮の政治、魏延の漢中維持能力が無く、幾度無く大敗した、
また、張嶷などの”良将”はことごとく戦死した。
漢中も失い、魏に隙を与え攻め込まれる。
姜維は必死に奮闘する物の、君主劉禅が降伏。
劉備が築いた蜀漢王朝は僅か二代で滅び去った―――。
その後姜維や張翼が反乱する物の、あっけなく鎮圧されたと言う―――。

終り

……一応正史ベースに頑張ってみたつもりです。
って言っても自分正史を持っていないんでネットで調べて書きました。
わからないところは……演義です、すみません。
後、一応どこかの書物かなんかで見たのかもしれませんが、
魏延の首を踏みつけて楊儀がなんか言った。というのがあった
んで此処にやってみました。
魏延が美形……?何だそりゃ>ぉぃ
此処にふさわしくなかったらサクッとこのスレ削除してください。

5 名前:★ぐっこ:2003/08/03(日) 00:55
レイジ様、長文、お疲れさまです。
正史の記述に忠実に、という条件であれば、数カ所、訂正するべき点が
見受けられましたが、オリジナル小説としては問題ない範囲なのでしょうね。
魏延が無双バージョン! そして美形!
蜀軍首脳部の妙な紐帯の中で、楊儀だけが悪役としてナイスガイでしたな(^_^;)
魏延の静かな死まで、面白く描けていると思います。


ただ、正史厨(←嫌い)のような物言いになって心苦しいですが、三国志小説投稿コーナー
にある規約は、あくまで“正史ベースの濃ゆい作品”です。
二年以上前からの暗黙のルールで、最低限、正史および前後史を熟読し、逸脱せず、
自分なりに消化した(丸写しでない)「歴史小説」が投稿の対象となっています。

次回、また作品をお寄せ頂けるのでしたら、これらの点に留意頂きたく…

6 名前:左平(仮名):2003/08/03(日) 02:09
お疲れ様です。
文長の最期自体は意外と穏やかな感じでしたね。あと、あの場面は…蘭陵王・高長恭のエピソ−ドを思わせ、絵になる風景でした。
もう少し前後の背景も描いて欲しいというのは欲張りすぎかも知れませんね。このくらいの方が読みやすいです。私の方はと言うと、延々長くなっちゃってて、読む人が限られてしまうもので。

蛇足ながら、この掲示板はついては、書き込み自体は100行くらいは可能みたいですが、リンクに飛ぶ事無く全文を読めるのは50行程度みたいです。次回以降の参考までに。

>規約は、あくまで“正史ベースの濃ゆい作品”です。
このあたり、結構難しいのかも知れませんね。かといってコ−ナ−をあまり細分化するわけにもいかないでしょうし…。

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どのような形の削除依頼であれ公開させてもらいます

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