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【1:257】★『宮城谷三国志』総合スレッド★
1 名前::2002/10/27(日) 01:03

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年05月17日 (木) 00時16分30秒 

宮城谷先生の「三國志」、まだ「序文」ですがさすがに「深い」ですね〜!
こりゃあ後漢書一年生の私としては読みがい有りすぎ! 初っ端が楊震でしたし〜。
ああ、はやく文庫版が出ないかな〜ッ! くわ〜!

248 名前:左平(仮名):2009/11/28(土) 15:55:30 ID:A/4303W/0
続き。

そうこうしているうちに、西暦230年。この年、魏は本格的な軍事行動を起こそうとします。蜀漢が対魏戦の
準備を着々と進めていると知った曹真が、機先を制してこれを討つことを考えたのです。

彼我の国力差を考えると、孫資の言うとおり、魏から無理に戦いを仕掛けずともよいのですが、今や魏軍の重鎮
たる曹真の意見をむげに取り下げることもできません(それに、敵に謀られて〜というわけでもありませんし、
蜀漢の攻勢を挫くという意義もある以上、無意味な戦いでもありませんからね)。
結局、秋になって、出撃が決定します。曹真と司馬懿がともに蜀漢に攻め込もうというのですから、大戦になる
ことは必定でした…が、折からの長雨のため、軍は進めず。
呉に備えるため、洛陽を発ち許昌に滞在する曹叡に、華歆・楊阜達が諫言を呈します。

最後は、この楊阜のこれまでの生き様が描かれます。
時を遡ること、約二十年。手痛い敗北を喫したものの、曹操が去った後、勢力を盛り返して涼州を荒らす馬超を
倒すべく、姜叙の母達とともに蜂起する、というところまでです。
文官・武官というくくりでは文官なのでしょうが、なかなかどうして、苛烈な半生です。

249 名前:左平(仮名):2010/01/01(金) 01:32:42 ID:hGkpiVxC0
三国志(2009年12月)

今回のタイトルは「曹真」。曹真についての記述自体はさほど多くないと思うのですが、この後のことがあります
からね…。

今回は、前回の続き、楊阜vs馬超です。辛うじて馬超のもとを脱出した楊阜は、姜叙達とともに馬超を打倒すべく
動き始めます。この計画が漏れなかったところに彼らの強運が、そして馬超の不運がありました。
蜂起するのは、馬超が拠点とする冀城にほど近い鹵城。ここを修築し、攻撃に備えるのですが、なぜここなのか?
それには、理由がありました。
楊阜達が蜂起!これを知った馬超は激怒し、自ら出撃します。鹵城は小さく攻略にはそう時間はかかるまい。そう
思った馬超は軽装で城を出ました。

…実は、これが狙いでした。冀城から遠く大きな城であれば、馬超も用心していたでしょうが、鹵城が近く、かつ
小さい城であることから、物資等はおおかた冀城に残していたのです。
そして、楊阜の仲間は、冀城内部にもいました。
彼らは、馬超が出撃したのを見届けると、直ちに蜂起。物資を確保するとともに馬超の家族を殺し、迎撃態勢を整
えます。
このことを知った馬超は直ちに取って返し、冀城を落としますが、姜叙の母を殺したことで憎悪の連鎖を生み、楊
阜達の戦意をさらに高めることになりました。
結局、馬超は鹵城を落とすことはできず、南に落ちてゆくことになります。
※後に曹操から賞賛された際、先見の明があったことをたとえるのに楊敞の名が出ましたが、霍光の妻〜となって
 います。「楊敞の妻」が正しいので、誤記だと思うのですが…。単行本待ちですね。

長くなりますので、続きます。

250 名前:左平(仮名):2010/01/01(金) 01:34:13 ID:hGkpiVxC0
続き。
ともあれ、その後の地方勤務も含めて高く評価された楊阜は、曹叡の代になって、中央に呼ばれます(彼の登用自
体は、曹丕の時代から検討されていたようになっています)。

このような経緯で中央に召された楊阜は、曹叡に対し、時として厳しい諫言を行います。土木建設事業を好む、と
いうのが微妙なところではありますが、為政者としての資質において父・曹丕を上回る曹叡は、楊阜の諫言をよく
聞き入れ、施政に生かしていきます。
制度上は、皇帝の賢愚に関わりなく国政の運営が行われるようになっているとはいえ、やはり皇帝の資質は重要で
あります。名君が現れれば国は活気づき暗君が現れれば国は沈滞する。今も昔も変わらない真理がここにあります。

前述のとおり、軍事的な視点も持ち合わせているであろう楊阜の目には、悪天候が原因とはいえ、こたびの戦いの
戦況が思わしくないことが見て取れました。
曹真の、時勢のみる目に衰えがあるのか?今の蜀漢は、弱くもなく、乱れてもいない。そんな相手を倒すのは容易
ではない。なぜ、今なのか…、と。

結局、長雨が止まぬ中、ついに撤収命令が下され、曹真達は傷心のうちに撤収することになります。この時、曹真
は、重い病の床に臥していました。出師を願い出た自分が、病であるからといって引くことはできない。その意地
が、かえって病状を悪化させたのでしょうか。
皮肉なことに、曹真達が撤収してからは、雨は降りませんでした。天には、まだ蜀漢を滅ぼす意思はない。国力面
では圧倒的な差をつけているとはいえ、相手に天の加護があるのか、という意識は、今後の魏にとっては、厄介な
ものとなりそうです。

まだ続きます。

251 名前:左平(仮名):2010/01/01(金) 01:42:33 ID:hGkpiVxC0
続き。
撤収から数ヵ月後、曹真は息を引き取ります。不調に終わったとはいえ、先の蜀漢攻めは、呉が大規模な軍事行動
を起こせないうちに…と判断してのもの。彼もまた、楊阜と同様、国を思って行動する忠臣でありました。
とはいえ、ここで曹真をも失ったことは、魏にとっては、不吉な影を投げかけることになります。

さて、呉の方は、といいますと…。
念願の帝位に就いたとはいえ、彼我の国力差に変化があったわけではありません。帝位をより盤石なものにするため
にも、孫権としては、軍事的な成果を挙げる必要があります。
呉にとって、目の上の瘤となっているのは、合肥。この頃、満寵の指揮のもと合肥新城が築かれたことで、ますます
攻め辛くなっています。
が、この頃、満寵も酒に溺れいささか衰えがみられる…という話があったことや、魏の主力が対蜀漢戦に向けられて
いることから、孫権は、合肥攻略を実行に移します。
おおっぴらに合肥攻略を知らしめて魏軍を集めさせ、やがて兵を引いたその時に攻撃を仕掛けるというものです。策
そのものはなかなかのものだったのですが…

…結果は、みごと失敗でした。満寵、酒は飲んでも飲まれてはおらず、孫権の策を看破していたのです。というか、
孫権が自らの策に溺れた感がありますが。
(孫権はきっと策を弄しているに違いない、と思われ警戒されていた)

それでも懲りない孫権。満寵が駄目なら今度は、とばかりに、彼と仲が良くない王淩に策を向けます。こちらはいく
ばくかの成果あり。
王淩、まっすぐな人なだけに、策には弱いみたいです。

252 名前:左平(仮名):2010/01/24(日) 01:32:51 ID:94F5vzQz0
三国志(2010年01月)

宮城谷氏が、2月1日から読売新聞で連載されるとのニュースが入りました。タイトルは「草原の風」。主人公は、
光武帝・劉秀(挿絵は、宮城谷作品ではお馴染みの原田維夫氏)。本作は楊震の「四知」から始まってますので、
時代的に繋がってくるかも知れません。

さて、今回のタイトルは「天水」。いよいよ、諸葛亮と司馬懿の直接対決です。ただ、両軍内部に対立の芽が…。

曹真が病に倒れ、蜀漢への備えが薄くなることを危惧した曹叡は、後任に司馬懿をあてます。「司馬」の氏を名乗る
からにば文武兼備でなければ、と意気込む彼にとっては、来るべくしてきた任務と言えるでしょう。
それに、彼にとっては、蜀漢は因縁もあります(そのあたりの経緯は「魏国」の回で触れられています)。あの時、
何故、武帝(曹操)は軍を蜀に進めなかったのか。あるいは、「足ることなきを楽しむ」という心境だったのか。
…今となっては、分かりません。ともあれ、その結果として蜀漢が興り、彼は、それを討伐すべく任地に赴くことに
なりました。
 儒学は軍事を軽侮する(孔子が「信なくば立たず」と言った際、真っ先に軍備を諦めている)。兵法を極める者は
 老荘思想的である…。司馬懿は、(それだけではないとはいえ)本質的には儒学の徒のはず。この点は、諸葛亮も
 同様でしょう。と、なると…。

入念な偵察によって諸葛亮の進軍ルートをつかんだ司馬懿は、上邽に武将を派遣し、守らせようとします。しかし、
ここで暦年の勇将・張郃が「雍と郿にも派遣すべき」と主張します。ともに交通の要衝とはいえ、進軍ルートからは
外れているし、軍を分けることは、かつての楚vs黥布の例からも、よろしくない。そう判断した司馬懿は、この進言
を退けました。諸葛亮の進軍ルートは予想通り。ここまでは順調ですが…。

長くなるので、続きます。

253 名前:左平(仮名):2010/01/24(日) 01:34:13 ID:94F5vzQz0
続き。
しかし、戦場は生き物とでも言うべきか。司馬懿の目算はあっさりと狂います。こともあろうに、上邽に派遣した武
将達が野戦に及び敗れたのです。こうなると、蜀漢軍への抑えが利かなくなり、後手に回ってしまいます。
蜀漢軍が上邽に留まっている(周囲の麦を刈り、挑発及び兵糧確保を行った)との知らせを受けると、相手が待ち構
えていることを承知で、向かわざるを得ません。
司馬懿は昼夜兼行で向かい、諸葛亮の予想よりも早く戦地に着きました。かつての諸葛亮であれば、これで動揺した
でしょうが…。彼は、将帥として、かなりの成長を見せていました。
 かつては(決断の遅さから)袁紹に例えられていたのが、今は(奇策を好まないという点で)関羽に似ている、と
 評されています。この数年での急成長がうかがえます。

戦いは、蜀漢軍優勢で進みます。ただ、慎重になる余り本陣を後方に置きすぎていたため、魏軍の動きの把握が遅れ、
決定的勝利を逸しました(この際、司馬懿は、劣勢をみるとあえて本陣を前に出して崩れを防いでいます)。
司馬懿は、渭水を渡ると壊滅すると分かっているため、高地を利用した陣を築き、蜀漢軍の猛攻をしのぎます。
ただ、こうしているのは、勝算あってのことではありません。司馬懿は窮地に陥ります。

やがて、蜀漢軍が退きます。これは誘い出すための陽動。それが分かっているため、追撃は極めて緩慢なものになり
ますが、ここでまた、張郃が進言します。
しかし司馬懿はまたしてもこれを却下。前回はそれなりに却下する理由がありましたが、今回はさしたる理由もない
ように思われます。張郃は曹操と同じく実戦派。司馬懿は理論派。そのあたりの違いを嫌ったのでしょうか。

まだ続きます。

254 名前:左平(仮名):2010/01/24(日) 01:36:41 ID:94F5vzQz0
続き。
追撃している、という体裁を整えるためだけの進軍。雍と郿に軍を派遣しておれば、このような事にはならなかった
のでは…。それがまた、司馬懿には癪に障ります。
このような状況に諸将は不満を抱きます。勝算のない司馬懿は、その戦意に賭け、攻勢に出ます。…らしくない戦い
方です。

魏軍が攻勢に出た。これを見つめる将、魏延。
彼は、この戦いに先立ち、諸葛亮とは別行動をとって潼関を目指したいと申し出ますが、却下されました。自尊心の
強い魏延に自由行動を許すと、半独立勢力になりかねない、と危惧したためです(ここで董卓の名が出てくるあたり、
諸葛亮の警戒ぶりがうかがえます)。
魏延には言い分があります。天水郡を取ったところで魏は揺るぎもしない。しかし、長安を取ればどうか。中原に蜀
漢の軍が至れば、漢の御代を懐かしむ人々の心を動かすことができるのではないか、と。
かつて劉備は、どれだけ曹操に敗れても、決して屈しなかったではないか。いま、その志をたれが継いでいるという
のか。皇帝(劉禅)は成都から動かず、諸葛亮は領土拡張に動くのみ。
諸葛亮を「怯(臆病)」と罵りつつも、その心中には哀しみがあります。「われを知ってくれたのは、ただ昭烈皇帝
(劉備)のみか」。

ともあれ、彼にとっては、眼前の魏軍は壊滅させるべき敵。曹仁、張遼、そして関羽なき今、魏延は恐らく中華最強
の将。その兵の強さも半端なものではなく、魏軍はたちまちにして圧倒されます。
劣勢を見た司馬懿はあっさりと退却し、陣にこもります。巻き添えを食って危い目にあった張郃は激怒しますが、司
馬懿はこれを無視。諸葛亮と魏延の対立は路線対立とでも言うべきもの(双方に理がある)ですが、司馬懿と張郃の
それは、どこかすっきりしないものがあります。ここで、長雨。これが、どう影響するか。

255 名前:左平(仮名):2010/02/24(水) 00:09:07 ID:???0
三国志(2010年02月)

今回のタイトルは「悪風」。この、意味するところは果たして…。

前回のラストで触れられた長雨が、間接的にですが、今回の諸葛亮と司馬懿の対決に決着をつけることになりました。
例年にない長雨。それとあわせてもたらされた、李厳(改名して李平)からの知らせは、諸葛亮に撤退の決断をさせる
には十分すぎました。
長雨で補給路が断たれてしまっては、いかに戦況が有利とはいえ、戦えません。諸将に異存が出なかったのも、無理も
ないところでしょう。
もちろん、将帥として成長した諸葛亮のこと、後拒にも抜かりはありません。

蜀漢軍、撤退開始。
この知らせを受けた司馬懿は直ちに追撃を命じますが、ひとり張郃は異を唱えます。魏にとっては、今回の戦いは防衛
戦。撤退する軍勢をことさら追撃する必要はないのです。しかし、司馬懿はこれを却下。不満を抱きつつも、方針が追
撃と決まった以上、それに従うのが武人の務め。張郃は、猛烈に追撃を開始します。
老練な張郃ですが、罠や伏兵を警戒しつつも、猪突猛進。時に忘我の境地に立ってこそ、無類の強さを発揮することが
ある。この時の張郃がまさにそれで、結果として、蜀漢軍に少なからぬ損害を与えます。
しかし、国境付近の木門まで追撃した、その時…
…蜀漢軍の伏兵の放った矢が、張郃に命中。即死ではなかったようですが、この傷がもとで、張郃は落命します。

将兵は名将の死を大いに嘆き悲しみましたが、司馬懿は、どこか心が軽くなったことを感じます。曹操の戦い方を継承
する唯一の存在であった張郃がいなくなったことで、自分の戦い方への批判者がいなくなった。そういうことでしょう
か。
ともあれ、蜀漢軍が撤退したことで、司馬懿は、勝利したという形を作ることができました。曹操以来の名将・張郃と
引き換えにするにはどうかという気がしますが。

続きます。

256 名前:左平(仮名):2010/02/24(水) 00:10:57 ID:???0
続き。
凱旋した司馬懿及び諸将には褒詞が授けられ、褒美や昇格といった栄誉が授けられました。このあたりの要領の良さが、
司馬懿が「政治的な人物」であるということでしょうか。
張郃についても、「壮候」と諡され、爵位は子に受け継がれましたし、何より、皇帝がその死を大いに嘆き、それ故に諌
められるくらいですから、それなりに栄誉は与えられてはいます。
しかし、(個人的には、ですが)どこかすっきりとしません。名将・張郃を使いこなせなかった司馬懿。曹操と比べると
スケールダウンしている感は否めません。
…こうなると(「三国志」である以上、無理な話とは思いますが、為政者の堕落した最悪の事例として)王衍の末路まで
描いていただけないものか、と思ったりします。

一方、無事に撤退した諸葛亮ですが、長雨による補給路の遮断が予想ほどではなかったことに疑念を抱き、李平を詰問し
ます。この際の李平の応答が諸葛亮を激怒させ、彼を失脚させるに至らせました。
普通、このあたりの経緯は、李平の怠慢(もしくはサボタージュ)とされていますが、真相はどうであったか。李平が諸
葛亮を敬仰していたことから、違う見方が必要では…という指摘がされています。
「無私の人」「法の人」である諸葛亮も人間。結果として、自身の過ちをなすりつけた形になることもある、と。

一方、呉に目を転じると…。孫権、欲求不満の様子。蜀漢と魏とが死闘を演じる中、漁夫の利を狙えそうなものですが、
目立った成果が挙げられません。
夷州(台湾とされています)・亶州(九州南部の島とされています)の探索も、原住民を連れ帰っただけに留まります。
そんな中、再び、遼東の公孫氏に目を付けるのですが…。

続きます。

257 名前:左平(仮名):2010/02/24(水) 00:12:40 ID:???0
続き。
夷州・亶州の探索もそうですが、水軍を擁するとはいっても、所詮は河川・湖沼といった波の穏やかなところにしか対応
できない代物です。外洋の過酷さには耐えられません。孫権がそのことを認識していなかったことが、このあたりの呉の
失態につながっているようです。
そのため、呉が遼東に使者を派遣したということは、(呉の船が魏領内の港に寄港することで)あっさりとばれてしまい
ます。
さて、これをどうしたものか。皇帝の意向は殲滅ですが、魏にしても海上での戦いは未知の領域。と、なると…。

ここで田豫の名が浮上します。かつて劉備や公孫瓚に仕えたこともある歴戦の名将は、山東半島の突端、成山でひたすら
呉の船団を待ち続けます。
利を得るよりも害を除くことを重視する田豫は、諸将の不満の声を聞き流し、暴風雨にさらされ、成山で難破した呉の船
団をやすやすと捕獲・撃破しました。
正使を捕斬したわけですから、一定の成果を挙げたわけです。
しかし…田豫は、青州刺史・程喜の讒言を受けます。詰めが甘かったため船団が積んでいた財宝類の確保ができなかった、
というのです。
(この時点では程喜は清廉な人物とみられていたとはいえ)曹叡がこの讒言を聞き、田豫の功を軽く見たというのは、何
かいやな感じがします。
この「悪風」、単に呉の船団を襲った暴風雨を示すのではないような。そんな感じがあります。

名前: E-mail:

【2:950】★☆蒼天航路スレッド☆★
1 名前:.:2002/10/16(水) 21:35

司馬康介 投稿日:2000年12月11日 (月) 00時36分25秒 

こちらでも一番乗り〜!
なんか皆さんに恨まれそう…。
今週のモーニング、私も読んでませんよ。先週は、確か孔明が
呉へむけて激流降りやってましたよね(笑)
 ぐっこ様が仰るとおり、孔明があの「軍師スタイル」するだけで、
ずいぶん作品の印象が変わりました!でも、今週でまたブチ壊して
たりして……(汗)。
 なにせい、あの「秀才周瑜」が、どれだけあの「バケモノ孔明」
とやりあえるかですね〜。


941 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/04/07(火) 15:23:07 ID:W7gbQtOo0
なんで関西でやらないんだよアニメ…(´;ω;`)

http://www.ntv.co.jp/souten/
日テレ公式


つうわけで、ちゃんと見れた方、色々レポおねがいします(´・ω・`)

942 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/04/07(火) 15:27:41 ID:W7gbQtOo0
というか、最後の左平(仮名)さまのレスがあってから2年半経ってるのか:(;゙゚'ω゚'):

連載終了時が、さらにその一年まえの>>934…。うーむ。思っていたよりも昔の話だった
のだなあ…。

おまけに>>1に至っては8年前:(;゙゚'ω゚'): しかもその時点で赤壁手前だし…。
なんか時間間隔がヘンになってきた(;・∀・)

943 名前:ヤッサバ隊長:2009/04/18(土) 23:24:12 ID:H6lcFFsw0
てっきり見られないと思っていた蒼天航路が昨日始まったので軽くレポ。
おお、ナレーションがフリーザ様だよ!それだけでもう視聴継続決定。
第一話。巨大怪物「d」の話からスタート…ってd話だけで結構時間割いてるなぁ。
まぁ原作漫画でも初っ端からアレはインパクトあったけど…。

前半は少年阿瞞・はじめてのおつかいで泥棒ぬっころすの巻。
後半は曹操16歳。許チョと出会うの巻。
そして爆裂団頭領との舌戦⇒いきなり嵐が起きて混乱してる間に許チョの手で頭領あぼーん。
ちなみに、深夜枠だけあって原作のグロ描写は余すところ無く再現。
泥棒の首チョンパや血まみれ阿瞞もモザイク修正等無しでバッチリ。
この調子で行くと予告にあった第二話「アモーレ」も地上波ギリギリのネタを披露してくれそうだ。
張讓の秘密兵器公開なるか…!?Σ(゚Д゚;)

944 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/04/22(水) 23:33:43 ID:lSwRUJcV0
Σ(゚∀゚)! おお、隊長ッ! レポ感謝だ!

私も日曜に受け取った録画分、今から見る!今まさに再生をせんとする
この喜びを!

945 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/04/23(木) 01:21:05 ID:nBLPuvrH0
1話、2話、見終わった(;゚∀゚)=3ムッハー
うーむ。さすがに毛主席の指エピソードは神スルーか。トンやたら気合い入っててワロタ。
本編は世評通りすっ飛ばしてる感はありますが,尺を考えたら是非もない(´・ω・`)
でもOPかっこいいな! やはり官渡までっぽい。

それにしても、爆裂団の連中、改めて映像として見ると、想像以上のヒャッハーぶりで吹いた。
蒼天少女…(;・∀・) なぜモーニングでなくヤンマガ…。

946 名前:左平(仮名):2009/04/25(土) 02:51:46 ID:FJO82zTv0
こちらも、見られない地域(同じ枠の「カイジ」が約1年遅れみたい)です。
YoutubeでOPとEDを見ることができたのがせめてもの慰みというもの。
…Wikipediaでみると、曹操の中の人、夏侯惇達の中の人よりだいぶ若い
ようで。一体、どんな感じなのか。気になります。さらに、霊帝の中の人が…!

947 名前:


948 名前:


949 名前:


950 名前:


名前: E-mail:

【3:591】南蛮王呂布の痛快活劇スレ
1 名前::2002/10/27(日) 01:24

マチカネ福来  投稿日:2000年11月13日(月)01時29分13秒

ぐっこさんはじめまして!!南蛮王呂布の物語読ませてもらいました!!
もうめっちゃ面白くて文章ではじめて笑いました!!
蒼天航路の人物辞典は今日ちょっと重かったみたいなんで今度見させてもらいます〜
最近読んでないんですが、蒼天航路ってどこらへんで休載したんですか??
まだ赤壁とかはやってないですよね?
これからも頑張ってください!!

582 名前:魅羅鷲:2006/02/19(日) 16:52
ちょっと悲しいお知らせ kz-8さんのサイトがおわりに
なるそうです 個人的にフリーソフト使わせていただいてたんで
とても残念です あのソフトどうするんだろうか まだ10のやつ
DLしてないんだよな kz-8さんできればやめてほしくは
なかったです とても残念 ぐっこさん なんとか ならないかな
むりかなやっぱ うーーーん もったいないです

583 名前::2007/01/26(金) 18:00
ぐっこさん、もう書かないのかな…残念です

584 名前:ぐっこ@管理人 ★:2008/04/02(水) 00:18:09 ID:/xywpoDD
書いたよ(゚∀゚)! SSだけど!

585 名前:無名武将:2008/04/04(金) 16:03:25 ID:tOFEWlDf
再開おめでとうございます!

と本気で拍手してしまった俺の立場は

586 名前:お、おれは:2009/02/11(水) 10:11:20 ID:Pbop+ZuB0
突然すみません
南蛮王呂布のindexみたいなのはありますか?
過去話が探しづらくて…

587 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/03/02(月) 15:18:48 ID:oAO6ALBy0
>>586
遅くなってすみません!(;・∀・) インデックス画面、ついこないだ
完成しましたー。

588 名前:ご報告:2009/03/22(日) 03:03:32 ID:J+xElRu10
楽しく拝見させていただきました。時間を忘れる程度には(笑)
突っ込み担当の陳宮が非常にいい味を出してます(笑)

ご報告なのですが、gallery欄の『■公孫楼伝』と
一番下のほうにある『ご感想などございましたら、CAFE専門スレの方まで』
の二箇所のリンクが切れているようです。
お時間のある時にでも修正をお願いいたします。

589 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/03/25(水) 12:23:55 ID:j5yxOK6R0
>>588
ありがとうございます(゚∀゚)ノ! ようこそ!
掲示板の方はつなぎ直しました!
公孫楼伝は、ちょいとデータ探して再うぷします(;・∀・)

590 名前:ご報告:2009/04/17(金) 17:07:33 ID:z5z4r3GC0
ご配慮ありがとうございます(礼)
ところで蒼天航路アニメはごらんになれましたか?


591 名前:ぐっこ@管理人 ★:2009/04/18(土) 23:59:12 ID:JYZpqhHX0
イエイエ〜。
蒼天航路は、東京でシコシコ録画してる友人のビデオ到着待ち!GW明けだなあ…
あと、主に宗教上の理由でにこつべで市販の音楽・映像とTVアニメは見ないことに
しておりまする(; ・`д・´)

名前: E-mail:

【4:17】名士に関する記述、訳せず・・・。
1 名前:AS:2003/11/11(火) 23:14
名士に関する記述なのですが、どうにも訳せないのです。。。
どなたか訳及び書き下せる方いらっしゃいましたらご指導よろしくお願いします。
三国志正史や三国志演義から直接の引用ではないのですが、時期的にそこまで
ずれていない為、三国時代にも似た傾向があったと言うことができそうです。

1.指名望高而不仕的人。
    <礼記・月令>:“〔季春之月〕勉諸侯、聘名士、[ネ豊]賢者。”
          注:“名士、不仕者。”
      孔穎達 疏:“名士者、謂其徳行貞絶、道術通明、王者不得臣、
             而隠居不在位者也。”
漢桓寛《塩鉄論・褒賢》:“萬乗之主、莫不屈體卑辞、重幣請交、此所謂天下
             名士也。”
   《晋書・劉頌伝》:“今閻閭少名士、官司無高能、其故何也?清議不粛、
             人不立徳、行在取容、故無名士。”
 清侯方域《朋党論下》:“朝廷有頑鈍無恥之大臣、而後草[くさ冠+矛]有激
             濁揚揚清之名士。”

ちなみに1.と書いてありますが、以降4.まで関連項目があります。
ただ全部書くと長くなってしまうので、一応1.だけ載せてみました。
よろしくお願いします。
注※[くさ冠+矛]はくさ冠に矛と書いて一文字ということです。
注※[ネ豊]は「しめす偏」に「豊」と書いて一文字ということです。

8 名前:AS:2003/11/18(火) 03:27
おお、もうこれでほとんど訳もできたようです。
ぐっこ様、japan様、本当にありがとうございました。
一応、続きで核になりそうな部分を書いておきます。
2.旧時指以学術詩文等著称的知名士人。
  昔の学術詩文等で有名な人のこと(←これはマズイ訳かも)。
  著称=有名、知名=有名ですよね。。。?
3.指恃才放達、不拘小節之士。
  世俗にこだわらず小さいことにとらわれない者(っぽい)。
4.指刑名之士。
  法律の士のこと(のような)。

以上のようです。
最も気になるのは2の呂氏春秋からの注で、
“由此為天下名士顯人、以終其壽。”
“有一士族、読書不過二三巻……多以犢、珍玩交緒名士、甘其餌者、遞共吹嘘。”
といったところなのですが、(ちなみに……の部分は略している訳ではありません。もともとそのように書いてありました)もうここまでくるとサッパリ意訳すらできません。ぁぁぁ。。。

9 名前:★ぐっこ:2003/11/20(木) 00:52
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
前後のつながりが解らないので意訳も不完全、もはやお手上げでございます…
由→なお〜が如し だとすれば、何かの例えとしてあげられてる注釈なんでしょうかにゃ?

ううむ。管理人の立場上、間違ってるかもしれない意訳をバーンと上げるのも怖いし、何より
こっぱずかしい(;´Д`)
やはりここは専門に頼むしか。

10 名前:中根東竜:2003/11/23(日) 17:50
>2.旧時指以学術詩文等著称的知名士人。
これは現代中国語の文章ですね。
現代中国語の辞書を引くべきだと思われます。

>3.指恃才放達、不拘小節之士。
  世俗にこだわらず小さいことにとらわれない者(っぽい)。

「自らの才能を恃み、細かな儒教の儀礼にとらわれない
人物」でしょう。放達というのは儒教的儀礼に反発する
人物をあらわすときに良く使われる言葉のようです。
用例としては世説新語任誕編にあります。

>4.指刑名之士。
  法律の士のこと(のような)。
法家で良いと思いますが、どうでしょうか・・

>ぐっこさん
>閻閭は、閭閻の間違いでしょうきっと。そう信じましょう(^_^;)。
漢文では、熟語の上下をひっくり返すことも結構有りますから
間違いとは言えませんよ。

11 名前:中根東竜:2003/11/23(日) 17:57
指摘、続きます。
>ぐっこさん
>清義(清談?)が蔑視され
清議は清談とは異なり、清談のような現実逃避
的な議論ではない、儒教に則った清高曠達の政治論を指す
ようです。魏晋の頃ですと傅玄に用例が有ります。
「見識の高い政治論が蔑視され」とでも訳しておきますか・・
わたしもこの部分の訳には未だ自信がもてません・・

しかしASさんも難しい文章を読んでおられますねぇ。

12 名前:★ぐっこ:2003/11/23(日) 23:50
おー! 中根東竜さま、御指南ありがとうございます!
急に漢文訳が振られたからパニクっておりました…(^_^;)
しかし書斎中掘り起こしても、高校時代のテキストしか出てこない…
親父のひとが中国に全部持っていっちゃったのか…(-_-メ)

>熟語の上下をひっくり返すことも結構有りますから
これですこれ! 何か法則あるんでしょうか? 「閻閭」「閭閻」では
検索してもヒット数違うんですけど、どちらも単語として存在することには
違いないですし…。返り点振ってある文だと特に気づかないんですけど…

>ASさま
確かに難しいのに取りかかっておいでですねえ…。呂氏春秋にしても、礼記にしても、
ピンで探せば訳本もあるでしょうから、図書館のサイトで検索して、カンニングする
というのはどうでしょう(^_^;)
史学科のある大学図書館だと、他のぶんも何個かあるでしょうし…

13 名前:AS:2003/11/24(月) 05:16
返信が遅れてしまってすみませんでした。
中根東竜さま、ぐっこさまレスありがとうございました。
今しばらく考えをまとめるお時間をくださいませ。
もう少し紐解いたのち、再度レスさせていただきたいと思います。

14 名前:AS:2003/11/29(土) 04:23
すみません、まずは
>旧時指以学術詩文等著称的知名士人。
に関して、旧時=昔、指す、以って学術詩文等を、著称=有名な、知名士人=有名な士人、ということで
やはり昔の著名な学術詩文等を以って有名な人士、という感じにしか訳せないですね。。。

>用例としては世説新語任誕編にあります
に関して、ちょっと放達の二字を見つけることができませんでした。広漢和辞典では「きままで物事にこだわらない。気ままにふるまう。」とあるので、儒教儀礼に反発するということになるのも分からなくはないのですが。

>>4.指刑名之士。
  法律の士のこと(のような)。
>法家で良いと思いますが、どうでしょうか・・
に関して、本来は
原文
“自是之後、名士迭興、晋用咎犯、而斉用王子、呉用孫武、申明軍約、賞罰必信、卒伯諸侯”

“この後にも優れた兵法家が現れた。晋の咎犯、斉の王子成父、呉の孫武など、いずれも軍令を明らかにして、賞罰を正しく行い、王を諸侯の覇者とした。”
という注を引いているんです。咎犯や孫武って法家だったのでしょうか?特に兵家のイメージが…。っていうか王子って人名なんですか?ちょっとそっちの時代には詳しくないので…。

15 名前:AS:2003/11/29(土) 05:34
##### 追記 #####
大漢和辞典には
2.名家法家の士をいふ。
〔稱謂録、美稱、名士〕漢書、聞、張耳陳餘両人、乃魏之名士、名士二字、始見月令、云、聘名士、又史記律書亦云、自是之後、名士迭興、謂名家法家之士、非有名徳有詞章之謂也、履園叢話、言之頗詳。
とあり、特に“史記律書亦云(中略)謂名家法家之士…”とあるので、やはり法家と考えるのが適切であるようにも考えられるのですが。。。相変わらず自身はありません…。

16 名前:★ぐっこ:2003/11/29(土) 10:57
…まず最初に確認しておきますが、この掲示板は単なる雑談掲示板であって、
ボランティアで和訳を承る便利なサービス掲示板ではありません。
どうしても解釈に揺れが出来るので、他の参考意見を訊いてみる…という程度
ならばともかく、長期にわたって質問側に回られてしまうのは、管理人的に辛い
ところで…まずご了承下さいませ…(^_^;)
呂氏春秋にしても塩鉄論にしても、訳本なり和刻本なりが大型図書館に所蔵されて
いるはずですので、まずは人事を尽くしてみてください。

>放達
ケースバイケースでしょうか? 挙げられている人物がモロその種の言動で有名ならば、
儒教儀礼、というか当時の常識をものともしないタイプという意味で使われているの
と思われます。確か「通脱」も反儒と似たようなニュアンスでしたっけ?

>刑名
なるほどー。大漢和辞典に載ってるならば、用例としては確実でしょう。
今し方ざっと調べてみましたが、「刑名」だけだと法律全般ではなく、人事に関する
評価基準のような用い方をする場合もあるんですねえ…。
でも今回は「軍令を明らかにして、賞罰を正しく行い」と分かりやすい注釈もあるよう
ですので、学派としての法家に限定するより、規律に峻厳な人士、というのもアリではないかと。

17 名前:無名武将:2009/02/11(水) 14:45:30 ID:AbRoPy+oO
朋党論

名前: E-mail:

【5:16】アニメ三国志
1 名前::2002/10/27(日) 22:38

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年08月14日 (火) 00時48分59秒 

いや〜。ちょっと史実談義から離れますが、実は前々から気になっていたビデオをレンタルしました。
そう、大昔のアニメ三国志です!しかも曹操金髪バージョンのアレです!
いや〜、なんといいましょうか、凄いですね〜、一昔前の作品の、魂魄というか執念というか…。
まず美女于禁っ!曹操に恋心を抱きつつ、自らにそれを忠義であると言い聞かせ、でも踊り子にジェラシって許チョを平手で叩いたり、「女を捨てろ」と当の曹操に言い放たれて愕然としたり。
なんだか物凄く于禁が好きになる作品でした…(;^_^A 
そして蛾型ハングライダーに乗って劉備を救う孫権の妹!孔明を籠絡するために全裸で混浴を試みたり、女忍者として劉備をつけねらったり…。なぜアニメ版の劉備の嫁はみんな「麗華」なんでしょ?
他にも、張飛に一刀両断される李典、同じく張飛に斬られる許チョ、関羽に斬り捨てられる夏侯惇、曹操をかばって焼け死ぬ于禁、曹操に首を落とされる甘寧、…えええ?という勢いでバタバタ人が死んでゆく…。
しかし何故曹操の軍師が蒋幹なんだろう…?

以前「あのキャラあのシーン」という掲示板で話題になりましたこの作品ですが、ご覧になられた方、いらっしゃいますか〜? 初見した当時のご感想とか、教えて頂けると幸いです〜。
殆どの方が演義から三国志に入るわけで、そのきっかけとなる作品、シーンがあるのですよね〜。
私の場合、人形劇でしたが…。呂蒙許すまじ!

7 名前::2002/10/27(日) 22:39

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/17(Fri) 23:43:01)

>玉川雄一様
うお、表紙だけ見たことあります、「三国志艶技」(;^_^A なんだかアレでソレ系なカンジでしたが…委細希望。
ところで「一騎当千」ってご存じですか?ちかくにバーズ(でしたっけ?)売ってる店ないので、まだやてるのかどうかも…。

やはり演義の最初は、吉川三国志が基本でしょうか〜。

8 名前::2002/10/27(日) 22:40

紫藤朝雪[東海] > (2001/08/18(Sat) 22:20:24)

 この掲示板では初めまして。三国志初心者なんで歴史談義になるとどうしようもないのですが、変な三国志談義になっているっぽいので(違ってたらすみません)、加わらせていただきます。
 数年前、三国志演偽という読者参加ゲームともPBMともつかぬものが、コンプRPGという雑誌で連載されていたことがあります。単に三国志ネタ読参やPBMというだけなら、多分探せば他にもあるんでしょうが、記憶が確かならこれを運営していたのが“遊演体”。学園三国志の選書騒動の後書きで出ている弁天女子寮が出てくるPBM、蓬莱学園を運営していたあの“遊演体”でした。なんだか偶然というには出来すぎていると思ったんで、書き込ませていただきました(ご存知かも知れませんけど……)
 ちなみに、私の三国志遍歴ですが、最初の三国志は人形劇、続いて、中学の体育の時間に何故か見せてもらったアニメ三国志、N○Kラジオで朗読していた三国志を経て、ようやく最近、吉川三国志に到達しました。これは遍歴というか、変歴かもしれないですね(汗)

9 名前::2002/10/27(日) 22:40

夢遊[近畿] > (2001/08/19(Sun) 03:24:37)

なんだか楽しそうなので…失礼します。
アニメの三国志、一遍見てみたいですね。かなり、キャラがあぁなってて、こうなってるらしいですが…(龍狼伝を邪道だ!と責められないくらいに…?)

「三国志艶技」…某中古本チェーン店で見た事が…たしか、上巻下巻になっていたと思うのですが…。
趙雲が女だったような…あと、曹操とか諸葛亮も…?
内容は…立ち読みするのが恥ずかしかったのでまともに見てないです。買おうかとも思ったんですけどね。
惜しかった?

「一騎当千」は…たぶん、まだ月刊コミックガムで連載されていたはず…。このサイトにある学園三国志にそのまま出て来れそうな漆黒の長髪女傑・関羽とか、日焼け小僧っぽい夏侯惇がでてきてて、いよいよ本格戦闘開始…だったかな?(スイマセン、かなりうろ覚えなので、間違ってるかも) 

10 名前::2002/10/27(日) 22:40

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 00:29:36)

 >軍師将軍(紫藤朝雪さま)
わ、ご無沙汰してます〜!コンプRPG!懐かしい!ガープス!
それはそうと、三国志演偽、うろ覚えですが覚えていますよ〜! 私が知っているのは、第一回(の準備回)。いきなり赤壁をもってきた企画ですよね〜!葉書で三国志に参加しよう、といった具合の壮大なスケール。ただしその後は知りません(;^_^A きちんと盛り上がったでしょうか?
ところで…中学の体育の時間にアニメの三国志??? どういった企図だったのでしょう?確かに変っていらっしゃいます(;^_^A

>夢遊さま
やや、ガムでしたか!? 一騎当千、巨乳な馬超とヘタレそうな周瑜の印象が強くて…。あと、董卓が小柄な美少女だったことに驚いた記憶があります。確か菜園部の腕章つけてました〜。
おお、それと「龍狼伝」がありましたか! あれから三国志に入る世代もいっぱい居るでしょね〜。どうせタイムスリップするなら、演義でなく正史ベースにすればもうちょっと評価も変わってきたでしょうに…。いまは仲達≠フ擁する献帝が中原を支配し、劉備や曹操がそれと敵対してるんでしたっけ? 

11 名前::2002/10/27(日) 22:40

夢遊[近畿] > (2001/08/21(Tue) 10:34:57)

>ぐっこ様
「龍狼伝」…そうですね、なんか献帝が出て来ましたが・・・でも、自分のことを「朕は献帝」ってフツー言わないでしょうに…。

このところ、主人公と、新登場なオリジナルキャラがあれこれやってて、従来三国志のキャラクターの出番が…。
連載の方はさらに進んでいるのか、なんかいろんな仙術師とかが出てきてて・・・さらに主人公強くなってます。
もう、もとの時代に戻っても普通の暮らしなんてできないだろうな…。

12 名前::2002/10/27(日) 22:41

玉川雄一[関東] > (2001/08/21(Tue) 15:59:03)

うぐは。他人に呼ばれるのだってそうとうアレですのに。よりによって「自称」献帝ですか?
確かに劉協ったって誰のことだか分からないでしょうが、既に自らを死んだものと達観(?)しているのでしょうかね。

百歩譲って、読者にキャラを分かりやすくしようとする手法にしてもまずすぎますでしょう。
敢えてやったにしてもアウトですし、まさか知らずにやっていたら作者失格モノではござんせんか。

13 名前::2002/10/27(日) 22:42

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/21(Tue) 21:50:05)

「献帝」は、わざとだそうですよ〜。何かに書いてあった記憶が。でも、極力使わない方が…「皇帝」でいいのにねえ…。
それにしてももう三国志キャラ存在価値無し…。そういえばこの作品ほど孔明の存在感の薄い作品はありませんでしたね〜。
でも最初の頃、かなり燃える展開でしたよね〜。ひとりで百騎の兵士に匹敵する化け物が登場したとき、関羽が「私がひとりで1万人に匹敵するのを忘れたのか?」とか言ってあっけなくぶちのめしたり。
いまでは主人公強すぎ。それ以前に仲達°ュすぎ。

14 名前::2002/10/27(日) 22:42

夢遊[近畿] > (2001/08/22(Wed) 11:56:36)

ですよね〜…。いや、私はもうこの作品を三国志モノとは思わないで、普通のアクションモノ少年漫画と思う事にしましたから、もういいんですがね…。

でも…あの玄徳さんと、仁姫ちゃんのロマンスを少なからず期待していたのですが…もう、無理っぽいですね。はぁ〜…
周ユが通称「美周サマ」ってのも、どうかと思いましたがね。

ははは…もうどうにでもなれ!!!
って感じです…ここまで来ちゃえばね…。

15 名前:無名武将:2009/02/05(木) 20:26:15 ID:0ouVt1240
これタイトルはアニメ三国志でいいのかな。レンタルでさがしてみようかな

16 名前:魅螺儒:2009/02/10(火) 12:41:34 ID:cphMGuYV0
ヤフー動画で みれるよ

名前: E-mail:

【6:1】私説公開
1 名前:石垣眞人:2008/07/18(金) 15:39:00 ID:k0cWk6OT
「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

名前: E-mail:

【7:3】おはつです!!いきなりですが、関家情報です!
1 名前:公孫続:2006/04/07(金) 15:32
お初でございます!公孫続と申します。
以後お見知りおきを・・・。
いろいろな、本で三国志を知っている私ですが、意外なキャラにびっくりしました。
その名も「関索」さんです、あまり印象もなくパッとせず、じつの関羽の息子であるにもかかわらず
活躍したのが南蛮だけって・・・と思っていたのですが、今回TUTAYAで三国志11の武将ファイルを立ち読みしてみると、
関羽の息子の中でも一番武力が高い!!関平が82で関索が88!?
一体関索に何があったといいたい。
ほかにも、三国志11には有名な武将さんには嫁も武将として参戦しており、
諸葛亮には黄月英、司馬イにも確か嫁がいたような・・・となんだかんだ見ていたら、
あの関索にも嫁が参戦しかもその相手が孟穫の娘(名前はカマンとか言ったような・・・。)
とホウ三女(ホウ家の三女だからホウ三女だって、なんつぅベタなネェミング)
という2人もいましたしかも他の武将の嫁に比べてはるかに武力高し・・・。(2人とも80は超えていた!)
これで蜀も人材不足じゃなくなりますよきっと!!
まぁなんだかんだで、ビックになりましたよ関索!次の無双に関索とカマンが出てくることを祈って
ここまでにさせていただきます。
あと、こんな公孫続をよろしくお願いします!

2 名前:★玉川雄一:2006/04/07(金) 21:50
まあもちつけ(=゚ω゚)ノ

関索はもちろん初代からのレギュラーですけれど、扱いが微妙な場合が多いですね。
初代は武力で関興・関平に圧倒的な差を付けていましたが、
それ以降は基本的に『関興の95%縮小版』といったあたりに落ち着いてきています。
時折「武力だけ」は若干上回ったりしていますが、
それ以外(統率、知力など)では軒並み関興より下回っているのが通例です。
結局の所、関索の存在自体が後世の創作による後付けですから、
トータルでも強くし過ぎるわけにも行かなかったかと思われます。(それでも充分強いけど)
そもそも関興ですら正史では名前しか出てこないのに演義効果でおいしい目を見ているぐらいですからね…

もっとも、関索のルーツは民間伝承から成立した説話の『花関索伝』にあることから、
あえてゲーム化するとデフォルメを利かせた武力特化タイプになるのは適度なアクセントとも言えるでしょう。
なんでも、先に成立していた『花関索伝』から彼の存在が後に『三国志演義』に取り込まれたようで、
演義では南蛮征伐のエピソードのみにしか登場しないのもその辺りに理由がありそうです。
水滸伝の登場人物である楊雄のあだ名が『病関索』だったり、
また宋・元代の史書にも関索のあだ名を名乗った人物が散見されるそうで、
ややアウトロー風味な人気があったのではないでしょうか。
一方で花鬘は京劇の登場人物だそうですが、こちらは孟獲との絡みが興味深いですね。


こうして見てみると、エンターテイメント性の高い関索(と奥さんズ)は無双シリーズで
はっちゃける方がより活き活きと活躍できるでしょうね。
エンパ4でも関索は登場しちゃってるけれど、花鬘と鮑三娘はエディットで作れるな…

3 名前:むじん:2006/04/08(土) 16:34
光栄の初代三国志で武力91、三国志IIで武力93くらいだったと思います。
関平・関興より強めな設定。
花関索伝はここで抄訳(というか、あらすじかな)が読めますよ。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/9290/ target=_blank>http://www.geocities.co.jp/Hollywood/9290/

名前: E-mail:

【8:2】三国志11
1 名前:うぽぽ:2006/03/26(日) 02:14
お初でございます。

KOEI三国志は7からやり始めたのですが、
革新がよかったこともあり、今作にはワクワクしておりました。

が、TS000001.s11ファイルで2chの三国志11スレは祭り状態w

いやぁ、隠し武将に糞藝爪覧 フンゲイソウラン。  
列伝に「あーつまらん」てw

で、本題ですが7から始めた者としては、MAPはシリーズ1だと
思いました。

3DMAPと桟道等の地形が雰囲気でてます。

4月上旬の修正パッチとPUKに期待ってことで^^;

2 名前:★玉川雄一:2006/03/31(金) 22:46
何やら思わぬ所からも火の手が上がって大炎上状態のようですねえ。
安定するまで、いや今回こそPK出るまで寝かせる方が得策ですかのう。


……私はIXからクリアはおろかまともにプレイすらしてませんが_| ̄|●
でも武将チェックだけは欠かしませんよ(というかそれぐらいしか見所が…)
で、ゲームはプレイしてないけど武将ファイル買ってきた。

 ■完全新規登場武将
崔林、袁渙、魏諷、高堂隆、杜畿、季雍、牽招、郭援

 ■その他ピックアップ
国淵、孫皎、鍾離牧、周昂、成公英、閻行はXから連続レギュラー定着。
宋謙(呉のね)の没年設定は227年であり、演義設定は脱却した模様ヽ(´∀`)ノ
一方で潘璋は演義扱い(222年)…
孫観がIII以来のカムバック。臧覇と互角の実力者だ!
ついでに李孚もIIIからカムバック組。

 ■女性も武将扱いになってるらしい
卞氏、甄氏、夏侯令女(曹文叔の未亡人)、蔡[王炎](蔡文姫)、王異、張春華、辛憲英
孫尚香、呉国太、徐氏(孫翊の妻)、小喬、大喬、孫氏(孫策の娘で陸遜の妻)、孫魯班
鮑三娘、黄月英、糜氏、馬雲リョク、鄒氏、貂蝉、呂玲綺、劉氏(袁紹の側室で袁尚の母)
蔡氏(劉表の妻で蔡瑁の姉)、樊氏(趙範の兄嫁)、花鬘(孟獲の娘)、祝融

 ■武将ファイルの記述で気になった点
朱拠が“朱桓の弟”って!? そりゃ本籍は同じだから同族の可能性は高いだろうけど、
兄弟という説は私は初耳だ。はっきり言い切っちゃってるけど、ソースはどこなんだ?
廖化が蜀滅亡後に洛陽への護送途中で病死したが、
(以前のこともあり)その死を信用されなかった、ってエピソードなんてあったっけ?

名前: E-mail:

【9:1】曹操物DVDについて
1 名前:ぷち:2005/10/19(水) 10:40
初めまして、こんにちは。この掲示板、初投稿です。おき聞きしたいことがあり、投稿しました。三国志商品の中国直輸入のホムペで、「曹操与蔡文姫」というDVDがありました。でも、吹き替えではなかったです。吹き替え版を探しているのですが、こういう物の吹き替え版が存在するか情報を教えてほしいです。

名前: E-mail:

【10:7】関羽の評価とは?
1 名前:岡本:2005/03/28(月) 02:10
玉川様の、
>関羽の絶対的な武威というものに対してどうも実感が湧かないわけでして。
>いつぞやの関羽vs徐晃スレでも話題に上りましたが、
>水準以上のなにがしかの資質があったことは確かなのでしょうが、
>ではこの北伐に際して魏で遷都論が勃発したほどの「関羽への恐れ」を生じせしめるだけの
>実績・風評・憶測あるいは虚像にせよそういったものが拠って立つ地盤が
>今ひとつ見えてこないのですがスレ違いなのでこの辺りにしておきます。
に関して、ありますが御諸兄の意見を伺いたく存じます。

関羽評価が難しいのは、
1.蜀書での直接的な記載があまりにも少ない
「白馬の戦い」で個人戦闘力が並外れていることは示されたものの、
軍団の統率者としての能力、戦略眼の有無に関しては直接的な情報が少なく
その戦歴が明確でない。しかも魏・呉書では「〜〜の戦闘で関羽を破った、退かせた」系の
否定的な情報が多い。

2.にもかかわらず、他国の反応を見ている限りでは
異常なまでに恐れられている当時有数の、軍団を率いる名将帥であり
軍政家であることが想像されること。
そして、曹操に遷都という非常事態宣言を考慮させた唯一の人物であること。

この2つが噛み合わない点にあるのであるのでしょう。
繰り返しますが、この違和が生じる最大の原因は関羽の具体的な事跡に関する
直接的な情報が決定的に少ない点にあります。

私としては、個々の事跡と背後状況を解析することで、
間接的にではありますが、関羽の器量を考察することは可能であると考えています。
(最初に、「万人敵」という評価ありきという分析になってしまう危険性があることは否定しません。)

個人的には、将帥としてみた場合、周瑜・陸遜といえど及ばないと見ています。

2 名前:岡本:2005/03/28(月) 02:51
具体例をあげますと、

樊・襄陽攻防戦前半
これまで明確に指摘されたことがないと思いますが、于禁を水没させたとされる洪水は関羽軍にも不利に働いています。
むしろ、攻撃されるまで于禁は半分勝ったと思っていたと思います。
理由ですが、于禁が到着するまでに襄陽と樊は関羽によって攻囲されており、しかも城外に遊撃隊である龐悳がいて
しばしば単独で交戦していたことを考えると、関羽は襄陽・樊に対して内外二重の包囲陣を敷いていたことが予想できます。
対徐晃戦を考えると無理な想像ではありません。西陵攻囲戦の陸抗になんら劣ることはありません(西陵では徐晃ほどの野戦の名将は臨場していません)。
さて、洪水が来れば避難のため関羽軍団は一次撤兵せざるを得ないわけです。
于禁としては戦略目標を戦わずして達成できるわけですからこれ以上の公績はないでしょう。
後、恐れるべきは洪水が去った後に関羽が樊への再来襲を目論むことです。
これに対しては、一旦退いた関羽軍は漢水を渡る必要がある以上、
于禁軍団が樊の近くで待機しておれば半渡をおさえることで対応できます。
それゆえ、洪水を避けて尚且つその後の再来襲に備えて于禁は高地に7軍団を分散配置したわけです。

明言しますが、于禁は救援軍の統率者として失策は犯していません。
これまでの相手ならば充分及第点な処置で、格別非難する点はありません。
ただ、相手が上を行っただけです。

関羽は一次撤兵した不利を逆手に取り、
1)洪水を避けるため高地に于禁軍団が分散配置されたことに着目し、
2)多量の軍船を徴用し、(于禁は、洪水が退いた後に、損害覚悟の漢水一斉渡河のために準備したと思った可能性があります。)
3)洪水で隔てられた軍団を大船団で各個包囲殲滅を期した。
やり方としては張飛の張郃撃破と同様です。
こうなると戦えば全滅しかないのは見えますので、
A)7軍団の統率者である于禁は、士卒の以後を考えて降伏。
B)一部将に過ぎない龐悳は逆に全軍団の責任を考える義務がないので己の価値観に準じた。
となったのでしょう。
「于禁<龐悳」という曹操の感慨は関羽に対する恐怖の裏返しである繰言です。
韓信は別格としても、この周辺の時代にこういった戦術発想ができた人物は極々少数と思いますが...。
自身優れた戦術家でもある曹操はこれが分かったので関羽を異常に恐れたことは想像に難くないです。
ですが、蒋済やこの時点ではまだ戦歴が皆無の司馬懿は、戦歴を重ねて初めて見えてくる関羽の
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


3 名前:★玉川雄一:2005/03/29(火) 19:59
これはこれは! 私の疑問を実に的確にまとめて下さってありがとうございます。
どうしても、徐晃や張コウなどのようにその生涯が軍歴で彩られた人物と比べてしまうと
関羽の評価は何を根拠とすれば良いのか考えてしまうわけで…

私としては、「襄樊以前」までに関羽が武名を築くだけに足る業績をどれだけ挙げていたか、
という点にも興味がありますね…
単に場数の問題だけではないのでしょうが、>>2で分析されたような個々の事例の掘り下げからも
得られる物があれば幸いです。

4 名前:★玉川雄一:2005/03/29(火) 21:26
では少し異なる切り口から…

時代は下って東晋初期のことになりますが、劉遐(正長、?-326)という武将がおりました。
晋書の彼の伝には冒頭にこうあります。

「性果毅、便弓馬、開豁勇壮。値天下大乱、遐為塢主、毎撃賊、率壮士陥堅摧鋒、冀方比之張飛、関羽」

性格は果毅にして弓馬をよくし、開豁勇壮。天下大乱の時にあたって塢主となり、
賊を討つごとに壮士を率いて堅陣を陥とし鋭鋒をくだき、(地元の)冀州では彼を張飛、関羽に比した−

意訳するとこんなところでしょうか。
彼は個人的武勇に優れまた人望があり、衆を率いて多くの戦勝を重ねたそうですが、
地元(彼の本籍は冀州廣平郡易陽県)では彼を張飛や関羽になぞらえた、と記録に残されています。

ここで興味深いのが、ローカルな名声ではあるにせよ武勇に優れた人物に対比される歴史上の人物として
張飛と関羽の名が挙がっているということです。この逸話が事実であるとするのならば、
関羽の生きた時代から一世紀を経た4世紀初頭において武勇自慢のサンプルとして
敢えて彼らが選ばれることに何らかの意味があるとも考えられます。
もっとも晋書が成立したのは唐初であり、そこに至るまでに何か別の要素が働いた可能性も否定できませんが…
また敢えて細かく見てみれば、「張飛、関羽」という順番にも格付けが意識されているのかもしれません。

そして注意すべきは、劉遐と張飛や関羽を結びつける要素として考えられるのが
あくまでも「卓越した武勇」なのであって、一般的に張・関らに対するイメージとして抱かれる
もう一つの柱である「主君への忠義」といったファクターは考慮されていません。
この時点で劉遐は塢主であり、自身がトップの地位にあったわけですから。

当時において張・関が世間でどのような認識を持たれていたのか、
そもそも知名度がどれ程あったのかは即断できませんが、
少なくともローカルレベルで「武勇絶倫」のいち代表者としてノミネートされるだけの一例をここに見ることができたわけです。
「忠義うんぬん」については、単に劉遐の場合に該当していないだけなのか
張・関についてそういうイメージが固まっていなかったのかまでは解りません。
後者についてはさすがにこの事例からは検証のしようがないにしても、
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5 名前:岡本:2005/03/29(火) 22:33
>玉川様
かなりの方を引かせてしまうような内容かも知れないと恐れておりましたので、
書き込み支援ありがとうございます。

>私としては、「襄樊以前」までに関羽が武名を築くだけに足る業績をどれだけ挙げていたか、
>という点にも興味がありますね…

そこが一番の問題の本質かつ厄介な内容であるのが悩みの種なのですよね...。
荊州董督になった以降では比較的2で私がやったような分析はしやすいのです。
ですが、それ以前に単に個人的武勇に優れた一部将でなく、軍団統率者や軍政官も
水準以上にこなせる器量人と内外勢力から評価されていないとそもそも荊州董督として
貫目に欠けますんで。

個人的武勇に関しては、私としては
「当時の個人としては最強クラスに強かった。以上、終わり」
でこれ以上の興味はありません。
戦術に長けた部隊長、万単位の士卒を見事に統御する軍司令官、
中原の情勢を読み、またそれに合わせた軍団準備を行える軍政官
としての能力がどのように培われ、評価されていったかの方により興味があります。

取り敢えずのスタートは
1)反董卓同盟軍の最中もしくは直後に劉備に従って公孫瓉の傘下に入る。
2)劉備が別部司馬(遊撃部隊長)から公績で平原の相となると、張飛と共にその別部司馬となる
あたりからでしょうか。

この辺りの、曹操が袁紹の下働きとして、劉備が公孫瓉の下働きとして働いていた頃あたりの競り合いで
そこそこ戦上手としての劉備の評価、引いてはその両翼たる関羽・張飛の個人武勇に留まらない部隊長としての
評価が気づかれていったはずです。...考察しようにも情報少ないんですけどね...。

黄巾ではどのような活躍をしたか不明です。劉備の規模から考えてこの時点では個人武勇の域を
あまり超えないでしょう。華雄や虎牢関は講釈師の与太ですので無視です。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


6 名前:ふにゅう:2005/04/01(金) 13:43
当時の関羽の評価が上がったのは、劉備が徐州を有して
袁術あたりと戦うようになってから、というような気がします。
それ以前は指揮官として兵を率いることがなかったのではないでしょうか。

7 名前:岡本:2005/04/01(金) 20:20
ふにゅう様
お初にお目にかかります。

>当時の関羽の評価が上がったのは、劉備が徐州を有して
>袁術あたりと戦うようになってから
おっしゃるように、例の張飛が徐州を呂布に奪われた際(建安元年=196年)に袁術と
劉備が交戦したときに名は挙がってはいませんでしたが部隊長として
活躍したものと思います。
ですが、私は関羽の部隊指揮官としての経歴が始まったのはもっと以前からと
考えています。上にあげましたように公孫瓉時代に既に別部司馬についております。司馬ですと1000人
単位の兵を任されますのでそれほど軽い位ではありません。于禁は軍司馬、楽進も仮司馬から将としての
経歴が始まっていますし、李カク・郝シは董卓死亡直後は牛輔の司馬です。
PCゲーム等やっていると簡単に兵力が揃えられてしまって万単位のぶつかり合い出ないと野戦でないような
感覚を持ってしまいがちですが、1000〜2000の部隊同士でのぶつかり合いの比重
はかなり高いです。
また、徐州へ行く前に青州で管亥に包囲された孔融を救援するために劉備が3000
の兵を遣わせた事件があります(初平二年=191年)。演義では徐州救援にくっつけて(194年ごろになる)
3兄弟が全員出撃していますが、公孫瓉の旗下として袁紹とにらみ合っていた当時、平原を任されていた
劉備が直々に出撃したことは考えづらいです。実際、3000の兵を「遣わせた」とあります。
太史慈に全て貸したというのは論外ですので、関羽か張飛が部隊長として向かったことが
考えられます。従って、関羽・張飛の二人が指揮官として兵を率いるようになったのは初平2〜3年あたり(191-192)から
始まっている可能性が高いと思います。

経験と公績をつみ、対外的に優秀な部隊指揮官として名が知られだしたのが徐州
時代辺りではないかと考えます。それもとてつもなく優秀な指揮官として。
曹魏の五覇はどの人物もこの辺りで既にエース級の実力を見せ始めています。その
彼らよりも、関羽は気持ち上に曹操には評価されていました。
関羽が下った直後(建安5年=200年)に
関羽=偏将軍
張遼=中郎将あるいは裨将軍
于禁=裨将軍
楽進=討寇校尉
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