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■ 【恐怖!】タイムパラドックス発生!【超時空領域】

42 名前:japan:2002/11/12(火) 23:45
とても明確に論点を纏めてくださり、ありがとうございます >もす様
それにしても、どちらが正解なのでしょう…
13歳で子どもを作ったり(?)、74歳で子どもを作ったりする連中がいるから
ますます話がややこしくなるんですよね。

>ぐっこ様

>japan様が教えを乞われたという方は、専門家の方なのでしょうか…?

どちらかというと専門家の卵にあたる方だと思います。
WEB上の知人なので、私もそれほど多くをお伺いしているのではないんですが…すみません。


――で、自力でつらつらと考えてみたのですが

・「13歳説」の根拠は、確か「爵位を相続できる年齢から逆算して」ということだったと思います。
これもソースは失念してしまいました。申し訳ありません(涙)

・『郭嘉伝』以外で郭奕君が登場する唯一の列伝である『王昶伝』を読む限り、
郭奕と王昶は友人同士(二人とも太子文学に就任している為?)であるらしい。

肝心の王昶の生年は不明なのですが、
(1)同郷の王リョウ(172年生)と並んで名前を知られていた。
   王リョウの方が年長なので、彼を兄と仰いでいた。
(2)没年は259年で、最終官位は司空
(3)嗣子・王渾の生年は223年(『晋書』王渾伝より)
という三点から考えて、180年前後と見るのが穏当だと思います。

そうすると、王昶の知人兼同僚だったという郭奕も、180〜190年位に生まれたと
考えるのが妥当なのでは…
190年(あるいはそれ以前)に再婚――という記述だけに目を向ければ、
160年前後に生まれたと考える方が納まりが良いのですが、それだと
『王昶伝』の記述がおかしくなってくるんですよね。

まさにあちらを立てればこちらが立たず状態…
何だかますます訳が判らなくなってきました。申し訳ありません(@_@)

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