ロボットによるスパムを排除するため、全板でキャップ必須にしました!

書き込みをされる方は、必ずメール欄に #chronica と入力してください。
sageをする場合は、 sage #chronica としてください(sageのあと半角スペース空ける)。

お手数をお掛けしますが、ご理解ご協力の程、よろしくお願いいたしますm( _ _ )m


■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 read.htmlに切り替える
■ $後漢−三国時代の貨幣¥

1 名前::2002/11/02(土) 13:37

ぐっこ    2002年04月07日日曜日 12時35分

唐突なうえに質問立ててアレですが。三国当時の貨幣って、どんなカンジになってたんでしょうか?
まあ悪貨を鋳造する阿呆君主もいたようですし、インフレとデフレがシーソーみたいに発生してたようですし、飢餓に襲われたら金などあって無きがごとしでしょうが…
たとえば100銭というと、現代の感覚ではどの程度の価値があったのか…そういうことを考え出すと、なかなか気になって…。
後漢当時の俸給は、石高を二分割にして、半分を銭で、半分を現物で支給していたようですが、統計考えても、なかなか一致してくれない…(T-T)

2 名前::2002/11/02(土) 13:37

黒竜 2002年04月08日月曜日 15時27分

すごい偶然ですが、昨日「貨幣の中国古代史」という本を買いました。
この本の三国時代の部分によると

魏は董卓以来の悪銭の氾濫と良銭の減少に相当苦しめられたようです。
許昌で発掘された魏の窖蔵銭はその96%が悪銭だったそうです。

呉は正史にもあるとおり大銭を鋳造するも流通せずといったぐあい。

一方で蜀はというと雲南方面の豊かな鉱物資源を頼りにかなり余裕を持って銭の鋳造を行えたようです。表に直百五銖(小銭100枚分)、裏に建為(地名)と銘がある蜀の貨幣が魏や呉の遺跡でも発掘されているそうです。
しかし全体としてみれば流通していたのは悪銭がほとんどで良銭は退蔵されてしまい、財政支出の柱には「布帛」が用いられたそうです。

まだ未消化の本なんでわかりづらい文章で申し訳ない。

3 名前::2002/11/02(土) 13:37

松竹梅     2002年04月08日月曜日 18時22分

あ、黒龍さんも買いましたか、『貨幣の中国古代史』。
私もこの間涼神さんと神保町行ったときに入手しました。

で、100銭の価値ですが、
平常時なら米20リットル(=当時の米一石)買える程度みたいです。
ということは、1銭100円くらいの価値があったのかな?
(恥ずかしいのでどういう計算でこの答えが導かれたかは伏せます)

その100銭で買える米が、数十万から数百万銭に値上がりするんですから、
とんでもないインフレですな、董卓政権。

4 名前::2002/11/02(土) 13:38

クェン 2002年04月08日月曜日 23時53分

孫皓伝註の江表伝での何定のエピソードによると、
「犬につけるつなぎ紐は一万銭」になったらしいので、逆に言えば
「この時の一万銭は犬の紐一本に相当する」ということに。
さすがにこれは異常な状況らしいですが。

現代で犬の紐は高い物でも3千円くらいかな。
そうすると呉末期の一万銭は3千円ほどの価値ということに…。

5 名前::2002/11/02(土) 13:38

ぐっこ     2002年04月09日火曜日 00時44分

わわ、皆様、ありがとうございます!
やはりそもそもの諸悪の根元は董卓でしたか…。
曲がりなりにも統一王朝だった後漢の政治基盤を根本から覆す、まさに魔王の所行!というか、バカだったんですね(;^_^A
――ここらで素朴な疑問なんですが、悪銭と良銭の違い!
ひょっとして私激しく思い違いしてるかも知れませんが…金貨じゃあるまいし、多少質が悪くても、政府公認で流通している貨幣の価値が上下するのがわからないです…。
「貨幣の中国古代史」、欲しいなあ…

ところで!現ナマ換算!
なるほど…常時で一銭=一〇〇円くらい! となると、曹嵩の支払った一億銭は…一〇〇億!? 多少値の変動はあるにしても、とにかく途方もない大金!曹家凄い!
犬の引き綱が一万銭!? あ、霊帝の時代にも似たような話がありましたね…(;^_^A

6 名前::2002/11/02(土) 13:38

岡本 2002年04月09日火曜日 20時53分

黒龍様、松竹梅様、
非常に興味深い内容で、是非ともいろいろと教えていただきたく思います。
>悪銭と良銭の違い!
>多少質が悪くても、政府公認で流通している貨幣の価値が上下す>るのがわからないです…。
正確な知識は持ち合わせていませんが、古代・中世・近世の日本でも似たことはありましたよね。
兌換(材質自体の価値が大)と不換(材質の価値は小、発行権力の基盤等が効く)の違いとなりますか。語源は金と交換が可能か否かですが。
和銅開チン(漢字忘れました)の例では、708年?の日本で最初に銅が産出したときでしたので、この時は材質だけで十分通用したでしょう。話は飛びますが、最初奈良時代は銅銭の受け入れがうまく行かなかったので銅銭で位を買うことを認めていた時期もありました。流石に問題があったので(売官行為そのものと、皆、逆に銅銭を蓄えることになり余計流通しなくなったため)すぐに廃止したと思いますが。

だんだん、銅銭が流通するようになりますと、銅銭の絶対数が足りなくなりますので、各人が作る”私鋳銭”を認めるようになります。ここで、うまく鋳造できたものが良銭、できの悪いものを鐚銭(ビタ一文のビタです)といいました。この場合、価値を決めるのは、材質でなくきれいにできたかそうでないかとなります。確か8〜20倍くらいの価値差があったように記憶しています。
価値が最も高いのは中国から輸入した銅銭でした。
平家政権の財政基盤の一つが宋から輸入した銅銭(=宋銭)でしたし。

菫卓政権の五銖銭の場合、正史の記述は失念しましたが”縁取りも刻印も無くただ鋳固めたものだったのがインフレの原因”あったように思います。
江戸時代の日本で、藩が財政難の対策として”藩札”を出しましたが、これは唯紙に所定の印を押したものでした。一種の政権公認不換貨ですが、”元手と額面が全然つりあわない(これが大事)”ため、インフレを悪化させ、明治新政府の時も回収に苦労したようです。第一次大戦直後のドイツでも紙幣の乱発でインフレになりましたし。

結論として、不換の貨幣・紙幣はどの時代も問わず、発行政権が”額面どおりの価値がある”として、それに対応した経済対策を進めていない限り、実効はないということになります。現代程経済政策に気を配っていない過去で、不換の貨幣が額面通り通用するには、その貨幣が製作時にそれ額面に相当する手間暇を掛けていないと(流通数に制限がつくので、経済の流れを不当に歪めない)誰も認めはしなかったということでしょう。菫卓の五銖銭は、不等号が大きすぎたことになります。

>「貨幣の中国古代史」、欲しいなあ…
私も興味あります。

7 名前::2002/11/02(土) 13:38

ぐっこ     2002年04月09日火曜日 23時58分

相変わらず詳細な情報ありがとうございます、岡本様!
>兌換と不換
コレです、コレ! 言いたかったのは! 中国の当時のお金って、貨幣自体に価値があるモノだったのか、政府の墨付きゆえに価値を持たされていたのか…と言うのが疑問でした。
なるほどー、日本のばあい、良銭と悪銭の違いは「見た目」でしたか!
中国も当時は似たような実情だったんでしょうか〜。

8 名前::2002/11/02(土) 13:39

岡本 2002年04月10日水曜日 00時27分

net上のマナーとしては問題がありますが、中国・日本の古銭について述べてあるpageを発見しましたのでご報告します。
//www1.room.ne.jp/~hasy/coin/index.html

もっと専門的なpage 日本銀行金融研究所 貨幣博物館。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm target=_blank>http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm

特に、コラムである貨幣玉手箱には面白い意見があります。
ただし、日本ですが。

9 名前::2002/11/02(土) 13:40

黒竜 2002年04月10日水曜日 01時07分

兌換のようです。後漢が鋳銭専門の役所を持たず、
太僕所属の「考工」が祖範を作り、それを各郡国に配布して鋳銭を行っていたそうです。
各地に鋳銭官が置かれそれに登録した民間の工匠が鋳造をおこないますが、その際法規より軽くしてみたり鉛を混入したりと不正が働かれたようです。

こうして
貨幣の質が悪化→良銭は金持ちが貯金→流通するのは悪銭。という流れに董卓がとどめを刺した感じです。
ちなみにこの本には董卓の作ったという董卓小銭の写真が載っていますが貨幣と言うより「銅の輪っか」という印象です。素人目にも粗悪さがわかります。

ところでこの本かなり難しいです(実際かなり混乱しながら書いてます)。
より深く知るためには購入をお薦めします。
朝日選書から1400円で2年前に出版された本なので比較的手に入れやすいかと。

10 名前::2002/11/02(土) 13:40

白崎ゆきと   2002年04月11日木曜日 13時05分

『貨幣の中国古代史』おもしろそうですね。

う〜ん、貨幣そのものについては知らないのですが……。
市定さまの説によれば、前漢のころは黄金などが大量に存在したため流通も活発だったが、じょじょに黄金などは姿を消してゆき、後漢末にはすっかりなくなってしまったそうです。
ちなみに、当時の先進地域であった西アジアへ流出してしまったとされています。

当時の貨幣は兌換というよりも、それ自体が貴金属の品としての価値をもってこそですから、「貴金属の量≒貨幣の量」。
銅などの大量生産が行われるのはもっと後の宋代ですから、当時は深刻な貨幣不足だったたみたいです。

董卓はそれを一気に解消すべく、大きく質を落として大量発行したものの、火に油だったと。

当時は貨幣にとどまらず、社会システム全体が壊れちゃったわけですから、個人的にはソ連邦崩壊後の惨状を参考にイメージするようにしています。
一切れのパンを手に入れるために長蛇の列というアレです。
当時には国際援助なんてありませんし、法律など国家などによる掣肘もないわけですから、アレよりもずっと悲惨な状況が展開されたでしょうね。

曹操などは匈奴や烏丸をあごで使ってますけど、「食わせてやるから、キリキリ戦え!」って感じですからねぇ……。

11 名前::2002/11/02(土) 13:40

ぐっこ     2002年04月13日土曜日 00時43分

おっとお、亀レスです。白崎さま、いらっしゃいませ〜。
え!? 中国の金は西へ流出していったのですか! そういえば中国で金貨が使われてた話、あまり聞かない…。
なるほど、当時は貨幣自体が一種の貴金属だったのですか〜。
でも社会の混乱とともに貴金属そのものの価値さえ下落し、喰うために人が人を殺すようになると、もう金なんぞ幾ら持っていても同じ。
ソ連崩壊混乱とはよいたとえ! 私的には、紙幣を額ではなく重さで計っていたスーパーインフレーション時代を絵として想像します(^-^;
劉備に金をごっそり譲ってくれた商人連中も、「重いし邪魔」ということで劉備に譲っていったのかも…

12 名前:age:2011/10/26(水) 17:44:50 ID:PmtJjtiT0
とろとろ・・・おっぴろげ(;・ω・)→ hemn.me/img/?d=3736041

9KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50 read.htmlに切り替える

名前: E-mail(省略可)

img0ch(CGI)/3.1