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■ ★『宮城谷三国志』総合スレッド★
- 1 名前::2002/10/27(日) 01:03
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年05月17日 (木) 00時16分30秒
宮城谷先生の「三國志」、まだ「序文」ですがさすがに「深い」ですね〜!
こりゃあ後漢書一年生の私としては読みがい有りすぎ! 初っ端が楊震でしたし〜。
ああ、はやく文庫版が出ないかな〜ッ! くわ〜!
- 2 名前::2002/10/27(日) 01:03
香香[東海] > (2001/05/17(Thu) 18:35:44)
このあたりからおさらいしてくれると、どうして三国時代のような混乱期がおこったのかわかるかも・・・・。
- 3 名前::2002/10/27(日) 01:03
松竹梅[関東] > (2001/05/17(Thu) 23:53:31)
いや、すごいですね。なんだか黄巾の乱まで一年くらいかかりそうで。その間に張奐とか陳蕃とか取り上げていただけるのでしょうか。三国志編(タイトルが三国志なのに三国志編というのも変だが)でも重箱の隅をつつくようなマイナー人物の活躍に期待したいですね。
- 4 名前::2002/10/27(日) 01:04
japan[関東] > (2001/05/18(Fri) 21:54:53)
>重箱の隅をつつくようなマイナー人物の活躍
激しく期待しています。でも、そうすると280年までに何巻かかるのでしょうか?
吉川英治の『徳川家康』が確か文庫で100冊位だったから、それを超えるのは確実ですね。
宮城谷先生には270、いやせめて260年まではお願いしたいところです。
(とか言いつつ、単行本化を待ちつつ未読・汗)
- 5 名前::2002/10/27(日) 01:04
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/05/18(Fri) 23:39:37)
何ギョウですよ何ギョウ〜〜〜ッ!!
このままのペースだと確実に何ギョウが出る〜!
きゃ〜☆ 伯求様、どんな活躍をされるのでしょうか!?
……でも、あまり深くは触れないで欲しいなあ…私も書きたいから…
- 6 名前::2002/10/27(日) 01:04
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/05/18(Fri) 23:41:02)
宮城谷先生の本は、いままで最長で文庫5冊というところ…。
でも「三国志は別物」と何かでも書かれてましたし…。
あるいは二桁代の長篇になるのかも〜!
- 7 名前::2002/10/27(日) 01:17
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年06月10日 (日) 00時35分19秒
の「三國志」が、まだまだ序章です(^_^;)
いまはちょうど[登β]太后の専横時代…。まだ曹騰が少年という時代ですね〜。
これだけ掘り返してくださると、どうやって三国の戦乱が巻き起こったかがよく分かるデス〜!
嗚呼、はやく単行本化希望!
- 8 名前::2002/10/27(日) 01:17
松竹梅[関東] > (2001/06/11(Mon) 23:52:16)
今月は霊帝の父親が出てましたね。お気づきですか?
しかし、このペースの遅さ、ではなく書き込みの綿密さをみると、
やはり「来年の4月あたりに何ギョウ大ブレイク」でしょうか。
- 9 名前::2002/10/27(日) 01:17
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/06/11(Mon) 23:58:12)
げ、全く気付きませんでした〜!
てことは、ええと、なんとかいう亭侯としてですか〜!?
どうも立ち読みだとチェックが〜! 単行本化(できれば
いきなり文庫本化)希望〜!
- 10 名前::2002/10/31(木) 00:24
ぐっこ 2001年12月10日月曜日 20時38分
いよいよ孫程ら正義派宦官のクーデター成功! 中興の祖、順帝を頂き、後漢王朝は安泰か!? だがここにきて少年順帝は、宦官に世襲と私封を認めるという、取り返しのつかないミスを犯してしまうのだ…。
まだ! 始まってかなり立つというのに! 宮城谷三國志は、いまだ曹騰が少年だったりします(;^_^A まあ、今月の政変で一段落して、来月あたりから話は飛ぶと思いますけど…。
ほんと、全何巻くらいの話になるんでしょう…?
- 11 名前::2002/10/31(木) 00:25
左平(仮名) 2001年12月10日月曜日 21時06分
私も読みました(コンビニで立ち読みですが)!
孫程たちの武芸のほど、凄いですね。『重耳』に出てくる閹楚(介子推のライバル)を思い出しました。
そういえば、郭鎮(郭嘉や郭図と同族?)とか高舒(高柔・高幹の同族?)とか崔エン(王に爰)(崔エン 王に炎 ・崔州平の同族?)とか、後の有名人の先祖を思わせる人達の名が、、。
- 12 名前::2002/10/31(木) 21:19
ぐっこ 2001年12月11日火曜日 21時31分
私も立ち読みです(;^_^A
郭氏が以前話題になっていたのでスレ上げときました〜。
どうも尚書・郭鎭については、間違いなく潁川郭氏の関係者でしょうね〜。
問題は崔[王爰]。いまパラパラ〜と後漢書見てみますと、かれは劉備や盧植でおなじみのタク郡出身で、字は子玉。書道家として、息子の崔寔ともども超一流の名声を残したようです。
ちなみにタク出身の崔氏といえば、崔烈、崔州平あたり。たぶん同族でしょう!
で、高舒…う、みつからない(;^_^A 楊震の掾だった人で、後に荊州刺史になってる、と…。まあ楊氏に殉じかけた程の人物だから、政治的にも深い結びつきがあったのでしょうけど…。
- 13 名前::2002/10/31(木) 21:19
松竹梅 2001年12月13日木曜日 08時18分
文春毎月買ってます。北方センセと小林信彦の連載も読んでるもんで。
確かにこの事件で一気に時間は飛びそうですが、
まだ曹操たちの登場の前には、
「梁冀誅殺」「党錮の禁」という二大イベントが…
この二つの事件にきっと3ヶ月づつくらいは費やすでしょうから、
黄巾の乱勃発は、早くても3ヶ月以上先っぽいなあ
- 14 名前::2002/10/31(木) 21:20
松竹梅 2001年12月13日木曜日 18時13分
↑
3足す3は6じゃないかと、自分を小一時間問い詰めた
- 15 名前::2002/10/31(木) 21:20
ぐっこ 2001年12月13日木曜日 22時54分
↑
まあまあマターリとしませう。
それにしても、曹騰、梁冀と一時期ツルんでたから、この辺も時間がかかるでしょうね〜(;^_^A
党錮事件、やっぱり張奐がフル出場!? そういえば彼も曹騰の故吏みたいなものですよね…。これまた長引く予感…。
- 16 名前::2002/10/31(木) 21:22
松竹梅 2001年12月13日木曜日 23時34分
一応自分には厳しく、です。
そういや、梁冀や張奐の絡みがあったか…
長くなりそうですね…
両方とも興味ある人間だけにねえ…楽しみではあるんですが、
三国志と銘打ったからにはやっぱり早いとこ
曹操・劉備・孫堅を見たいとこですね。
- 17 名前::2002/10/31(木) 21:22
香香 2001年12月14日金曜日 12時22分
私も文春は立ち読みですが、もともと跋扈将軍〜後漢末期動乱〜三国時代が頭の中で連続した歴史になっていないので(知識不足)、ちょっと話についてゆけなくなってます(~_~;)というわけで、今月から購入しようかと考えています〜。
たしかに、劉備・曹操・孫堅、そして袁術・袁紹の登場が待たれますが、正直このあたりの時代をまったり語って下さるのは有り難いです、個人的に(笑)。
最近、劉虞に興味があるので彼も出て欲しいけど、いかほど活躍するのでしょうか・・・。彼が出れば、田疇も多少は活躍するかな(笑)?
- 18 名前::2002/10/31(木) 21:22
ぐっこ 2001年12月14日金曜日 21時00分
とりあえず今月で第一章完、の雰囲気がありますね〜。
このあとしばらく順帝やら梁商やらの安定期が続きますから、その間に夏侯嵩…?が登場するかも?
で、魔王・梁冀、宦官天下とつづき(この辺で主役入れ替え)、ついには党錮の禁!当然、何伯求さまが登場するですよ! ああ、楽しみだなあ〜っ!
しかし本当に「三國志」なんですから、早いところ宮城谷劉備や孫堅を見たいような…。
いっそ分ければ良かったんですよねえ〜。後漢の方は短編で。
でも、私も後漢末を長々解説して頂けるのは有り難い!
ところで香香様、劉虞・田疇ですと!? なんかあの辺の歴史論文読んでたらやたら田疇の名前が出てくる(袁紹より多い…)から、たぶんバッチリ解説されるのでは…?
- 19 名前::2002/11/02(土) 12:15
ぐっこ 2002年02月17日日曜日 01時11分
☆久しぶりに文藝春秋読んでみた!☆
いやあ、最近読んでないなあと思って読みましたよ。
ようやく! ようやく曹嵩登場! まだ10歳くらい!
そして明将軍・梁商の息子にして、「董卓もかすむほどの」魔王・梁冀が登場!宮城谷先生も、イイ表現を使うな〜。
やっと三国志と直接結びつくキャラが出始めた…。
- 20 名前::2002/11/02(土) 13:35
左平(仮名)
◆果たして、「党錮の禁」は今年中に語られるのか?宮城谷三国志◆
連載が始まってから、はや1年。今回は、結構動いてます。張綱の活躍、羌族の反乱の収束、群発地震、そして、順帝の崩御→冲帝の即位・崩御→質帝の即位・崩御(跋扈将軍・梁冀によって殺害)。
- 21 名前::2002/11/02(土) 13:35
ジーク 2002年04月12日金曜日 18時38分
今やっと梁翼の旦那ですからね......希望的観測としては秋口に梁翼をサヨナラして、ギリギリ第一次党錮の禁がかたられそうな....気が。
所で宮城谷三国志、いつ頃終わると思います?
ついで(?)に東晉のあたりまで突っ切られるような気が少ししてますが。
何せ一般の三国志ファンがついていけない時代から書き始めておられますし(笑)
- 22 名前::2002/11/02(土) 13:35
ぐっこ 2002年04月13日土曜日 00時21分
今日確認いたしました! 順帝死んじゃったですね…。
で、梁冀がようやく登場…。
基本配分で行くと梁冀の暴虐に3ヶ月、暗殺計画に1ヶ月、実行に1ヶ月。宦官の横暴に2ヶ月。で、ようやく党錮の禁。
あ、本当にジーク様とぴったり一致した! 素で嬉しい(^-^
それにしても、後漢に多少なりと予備知識のある私でさえうなるほどの「難しい」三国志。単行本として書架に並ぶようになったとして、コレを手にとって「よし買おう!」と思う「三国志」ファンはどれくらいいるでしょう…?
- 23 名前::2002/11/02(土) 14:27
左平(仮名)
◆賊が跋扈 今回の宮城谷三国志◆
前回、「当塗」の賊が蜂起し、帝国をつくったという事件がありましたが、僅か四ヶ月で鎮圧。その立役者は、もとタク(シ+琢の右側)の県令・滕撫。滕?そういえば、呉に滕胤という人物がいましたが…。それに、タク!?ようやく、三国志なじみの名が。
この当塗の賊にとどめを刺したのが、下ヒ(丕+β)の豪族・謝安。って、晋の謝安(字は安石)と同名!!
…こんなちょこちょことした事が関連づいて見えるくらいですから、まだ、宮城谷「三国志」の全体像は、なかなか見えないです。
「跋扈将軍」梁冀、「(当時八歳の質帝より)精神年齢が低い」とまで言われています。確かに、董卓の方がましです。
…次回、ようやく桓帝即位というところ。「党錮の禁」、ひょっとすると来年かも。
- 24 名前::2002/11/02(土) 14:27
ぐっこ 2002年05月11日土曜日 01時21分
私も今日確認しました〜!
やっぱりなんだか凄いことになってますね〜! ようやく梁冀が大権を掌握するあたり…。まだ彼の妻やら一族やらの、董卓軍に匹敵するくらいの暴虐が描かれてないですけど(作り話ということで無視?)、皇帝を殺し、もはややりたい放題…
来週、やっと曹騰と梁冀がコンタクト…。仲高も出てきたことだし、そろそろ主役交代かも…
滕胤…最初見たとき、やっぱり考えました(^-^;
- 25 名前::2002/11/02(土) 15:08
松竹梅 2002年05月14日火曜日 22時14分
あ、ここにもおんなじ考えの人が・・・
北海劇の人だし、一族ではあるんでしょうね。
滕撫と東莱牟平の劉氏とのかかわりがあればほぼ断定できるんですが・・・今のところ根拠なしです。
そういや、先月からいましたが「無上将軍」徐鳳という盗賊が出てきましたね。
「無上将軍」といえば後漢末にとある高貴なお方も自称なされているのですが、
盗賊と同じ将軍号を名乗るなんてずいぶん大胆な人ですな。
さて、誰でしょう?
- 26 名前::2002/11/02(土) 15:09
ぐっこ 2002年05月19日日曜日 00時28分
うーむ…今度調べて…ってその時間が無いんでした(T-T)
来週くらいにはもすこしヒマになるかも…
無上将軍! 確かゴッコ遊びがやたら好きな皇帝陛下でしたっけ(^_^;)
- 27 名前::2002/11/02(土) 15:31
左平(仮名)
◆跋扈将軍にも弱点あり 今回の宮城谷三国志◆
カウンタが61999でした。またもキリ番ならず…。
今日、広島の書店に行くと、今月の『文藝春秋』が!以前の場合は10日が日曜でしたが、今月の10日は月曜。はて?
それはともかく。今回も、梁冀の跋扈ぶりが描かれています(李固を死に追いやるなど)。が、今回目に付いたのは、その妻・孫寿の悪女ぶりでした。美人で、かつ流行の先端を行く一方で、夫の愛人もその家族も(梁冀の子である幼子も)皆殺しにするという凄まじさです。ただし、自分も愛人をつくるのですが。
こんな事があっても夫婦を続けるというのは、常人には理解しがたいのですが、そんな彼でも「玄謀がない」と評されています。「玄謀のある」革命者は悪事も美辞麗句で飾られる…。
- 28 名前::2002/11/02(土) 15:32
左平(仮名) 2002年06月09日日曜日 22時29分
そうそう、今回の最後の方に、「馬融」という名が出ていました。まさか、大学者として知られるあの馬融なのでしょうか。ちょっと気になります。
- 29 名前::2002/11/02(土) 15:32
惟新 2002年06月09日日曜日 23時05分
馬融! 鄭玄と盧植の先生ですな!
盧植先生をこよなく慕う私としては、かなり気になります。
それにしても、梁冀夫婦はすさまじいですね…
なんとなく、夫の愛人宅を襲撃させた北条政子を思い出しました。孫寿の比じゃないですけどね。
- 30 名前::2002/11/02(土) 15:32
ぐっこ 2002年06月10日月曜日 00時49分
孫寿は悪行によって名を残した「稀代の毒婦」という称号を学研から与えられてました(^_^;)
まーよくも夫婦そろってこんな大悪人がそろったモノかと。
むろん曲筆はあるでしょうけど、しかしすごい夫婦…
馬融…まだ文春読んでないですが、時期的に言えば馬融先生のことかと〜。
- 31 名前::2002/11/02(土) 15:33
松竹梅 2002年06月12日水曜日 00時50分
馬融さん、でも確かあんまり評判はよろしくなかったんでしたっけ。
理由はもちろん梁冀にお近づきになったから。
馬融で検索したら、池田勇人の記事が出てきて面白かったです。
池田の派閥「宏池会」(今の加藤派と堀内派にあたる)の名称の由来が
馬融の「高光の柎(うてな)に休息して宏池に臨む」という
故事にあるそうですが、どんな故事だかさっぱりわかりません
- 32 名前::2002/11/02(土) 15:33
ぐっこ 2002年06月14日金曜日 00時42分
馬融さんは、世界史事典にも載ってるくらいの大儒ですのに…。
梁冀のシンパだとすれば、世に阿るのたぐいですかい!思ってたほどすごい人じゃないのかな…
「宏池に臨む」…う、私もさっぱりです! 今度調べてみようっと。
- 33 名前::2002/11/02(土) 15:37
左平(仮名)
◆お祖父さまたち登場 今回の宮城谷三国志◆
跋扈将軍の跋扈ぶりは相変わらず続いてます。その贅沢ぶり・無法ぶりに数ぺ−ジが割かれるほど(無実の罪で全財産を奪われる士孫氏、ま、まさか…)。
李固・杜喬も既に亡く、漢は相変わらず危機の中にいます。よくこんな時代で「桓」帝と諡されたものです。
前出の馬融ですが、この時南郡太守との事でしたから、間違いなくあの馬融です。跋扈将軍ににらまれ、自殺未遂となっています。
さて、上記の通り、今回は、三国志の重要人物二人の祖父の名が出てきました。荀俶(荀揩フ祖父)と陳寔(陳群の祖父)です。
なお、跋扈将軍の滅亡は、次々回以降の様です。
- 34 名前::2002/11/02(土) 15:37
左平(仮名) 2002年07月11日木曜日 22時35分
蛇足を一つ。李固には三男一女があり、上の息子二人は獄死しましたが、末子の燮は何とか逃げ延びたそうです。
李固・杜喬の死を嘆く事さえも禁じられながら、それでもなお嘆いてみせる気骨のある民もいます。こういう人々の声が全く届かない跋扈将軍、ほんまに子供並みの知能ですな(といったら子供に失礼か)。
- 35 名前::2002/11/02(土) 15:37
惟新 2002年07月12日金曜日 00時40分
わぁ、荀俶・陳寔登場〜!
特に陳寔は小学生のときに「漫画で読む故事成語事典」を読んで以来、大好きなお方。そういえば高校入って陳羣の祖父だと知ったときは驚いたな…
はぁ、もう少し跋扈将軍は頑張りますか…
存分に最後を飾っておくんなまし。
- 36 名前::2002/11/02(土) 15:38
ぐっこ 2002年07月12日金曜日 01時25分
とうとう出て参りましたか!じゃあ鍾さんもそろそろ…
文春またチェックしてなかったなあ…。跋扈将軍はまだ生きてますか…。なんだか前たてたプラン通りのペースですねえ。最終的に何巻まで続く三国志になるんだろう…(^_^;)
梁冀を倒す予定の宦官連中、前のメンバーよりはだいぶ質が落ちてしまうんですよねえ…。このあたり、順帝が犯した致命的ミスですが、そのおかげで曹騰の「孫」曹操が世に出るのですから、まあよしとしましょう(^_^;)
- 37 名前::2002/11/02(土) 16:04
左平(仮名)
◆ついに、あの人が!! 今回の宮城谷三国志◆
今回も、跋扈将軍の跋扈ぶりが描かれています(村上氏のイラストが秀逸です)。それはそうと、あの愚昧な梁冀が茂才を好んで用いた(後漢では茂才より孝廉の方が評価されていた)というのは、ちょっと不思議な感じがします。
さて、「あの人」とは…
1,曹操、誕生す!!
とはいっても、まだ「生まれた」という事が書かれたのみ。今回は、曹騰の没年の方に紙幅が割かれています。「水経注」の記述などから、西暦160年頃ではないか、との事です。年は、五十代の前半といったところ。「蒼天」の設定みたいな可能性は低い…。
2,檀石槐、一大帝国を築く!!
もすさんの『四史奮迅』でも紹介されたあの男が登場しました。今回、李膺と熾烈な戦いを演じています。「あの男が中華の皇帝に嫌われたなら、わがもとで大人としてやろう」ってな感じの余裕のコメントも。
3,(名前だけ)荀爽も登場。
蛇足@:ようやく、ちくまの「正史 三国志」(文庫)の4巻を入手し、全巻揃いました。とはいえ、もすさんや玉川さんの域にはほど遠し、といったところ。
蛇足A:明治書院から、「新釈漢文大系」の廉価版ともいうべき「新書漢文大系」が出ていました(全15巻)ので、うち3冊購入しました。
- 38 名前::2002/11/02(土) 16:05
ぐっこ 2002年08月12日月曜日 22時19分
あ、もう春秋の発売日…(^_^;)
で!
とうとう曹操が誕生しましたか〜っ! ということは間もなく梁冀夫妻はその罪業にふさわしい死に様を遂げ、宦官天下が始まる、ということに…!
曹騰の死…私も昔「曹騰伝」なるもの書きかけて(^_^;)、挫折したことあるんですが、この没年は悩みましたよ〜。曹騰を弾劾して却って賞揚された仲コウの三公就任期間から割り出してみたり、イロイロ試しましたが(^_^;)
それにしても!檀石槐の活躍とは頼もしい! それに荀爽まで! やっとこさ三国志の連中がチラホラ出て参りましたが…(^_^;)
涼州三明とか董卓もそろそろ出現する頃でしょうけど…。
>茂才・孝廉
うーん、実情はどうなんでしょうねえ…。確かに孝廉の方がよく聞きますよねえ…。手元に史料が無いのでアレなんですが、「州代表」「郡代表」のような単純なモノではなく、確かこの二つの任官先とかって全然別ルートだったはず…。
- 39 名前::2002/11/02(土) 16:05
もす 2002年08月13日火曜日 04時46分
⇒左平さん
ご紹介のほど、有難うございます(笑)
左平さんにも何の恩返しも出来ていないで、申し訳ないのですが…(^-^;
さて、檀石槐。玉様も好きのようで(^^)
ただ、なんとなく「あの男が……」は私のイメージとは違うかも。
「第二の冒頓単于」を目指していたような印象はありますが、漢人を大いに採用したとは・・・
あぁっ、、自分の檀石槐伝を改めて読んで、脱ボーン。。余りにも文体がヘタ過ぎる…書き直したい…(__;)
⇒ぐっこさん
孝廉は「孝と廉」ですね。って、そのままやんけ。
茂才は元々「秀才」でしたね。って当たり前ですがな。
と、それだけでは哀スいので、「任官先」等を調べてみました。ソースは『杜佑通典』。
【後漢光武建武十二年詔】---------------------------------------------------
三公は 茂才を各一人,廉吏各一人挙げよ
左右将軍は 年に廉吏各二人を察せよ
光禄は 年に郎、茂才、四行各一人を挙げ,廉吏三人を察せよ
中二千石は 年に廉吏各一人を察せよ
廷尉、大司農は 二人(廉吏を察せよ?)
将兵将軍は 年に廉吏各二人を察せよ
監御史、司隸、州牧は 年に茂才各一人を挙げよ
---------------------------------------------------------------------------
また、丁鴻と劉方の上言で「郡國は二十萬口につき、年に孝廉一人を挙げる」
となっていますね。凡そ、
●茂才:三公、光禄、州刺史/牧
●孝廉:郡太守
といった形でしょうか。(^^)
- 40 名前::2002/11/02(土) 16:05
ぐっこ 2002年08月15日木曜日 22時48分
わー、情報ありがとうございます!
私もひさびさに三國志熱が再発したので、史料引っ張り出して確認しました〜。
たぶん「後漢時代の政治と社会」だと思うんですが(コピー史料…)、「孝廉が何故もてはやされたか」みたいな考察がありました。
後漢時代の官吏は、基本200石以上から勅任官に数えられ、それ以下とは地位も権限も懸絶したモノだったらしいです。
さらに600石を越える段階で、こんどは高級官僚、今でいえばキャリアのような扱いを受けるようになり、免税やら徴兵免除やらの特権を与えられるようになったとか。
で、孝廉も茂才も、いきなり郎官(比300石)に任官できるのですが、基本的に茂才が郎官止まりであるのに対し、孝廉はその後も「辟召」の対象としてマークされる名誉に浴していたらしいと。
「辟召」は三公や大将軍クラスの大物が、目を付けた人物を自分の幕府の掾属に推薦し、一挙に昇進させるシステム。
辟召の基準は「孝にすぐれた廉吏」ですから、文字通り孝廉の中から選ばれるのが風習だったらしいです。
というわけで、茂才よりも孝廉が持て囃されたと言うことでした…(^_^;)
- 41 名前::2002/11/02(土) 16:38
左平(仮名)
◆梁氏、淪没!&孫文台誕生!(+十常侍) 今回の宮城谷三国志◆
いつまで続くかと思われた梁冀の専横ですが、今回であっけなく終了しました。悪逆の限りを尽くしながら、自身はあっさりと服毒自殺とは…何かすっきりしません。
宦官・単超のてきぱきとした動きは、なかなか見事でした。彼が重く賞されたのは当然です。が!「さして働いていない」のに賞を受けた者の中に、趙忠という名が!…後の「十常侍」の原型が垣間見えます。
雑感:
@前回の曹操誕生に続き、今回は孫堅が誕生しました。ただし、「三国志全人名事典」には156年生まれとあるのに対し、ここでは157年生まれとなっており、賊を退治したのも16歳となっています。…『後漢書』ではどうなんでしょうか。
A厠所で梁冀打倒の策を練る桓帝と宦官達…ついつい、「凄まじい形相で便座に腰掛ける桓帝」が思い浮かんでしまいました。シリアスな場面なのに、俺って一体…。
B最愛の女を守りたいが為に梁冀を倒したとさえいえる桓帝。しかし、その女に飽きてしまう…。個人的には、上述の「賞罰を誤った」事以上にがっくりきました。
蛇足:もうすぐ私の誕生日です。隠してても何ですので、近く年齢をカミングアウトします。それと、ネタを一つ発表します。 ヒント:谷利、阪神優勝、干支
- 42 名前::2002/11/02(土) 16:38
ぐっこ 2002年09月12日木曜日 00時17分
げ! もう梁冀死んじゃったですか!案外あっさり…
この数代クーデター騒ぎが連続して起こってますが、梁冀を倒した連中が最悪だったんですよねー。孫程らとは雲泥の差がある…。
1.あら? 要確認。後漢書には孫堅傳は無いハズなので、ソースが…
2.厠…当時はそこでヱッチができるほど広かったようですね…(^_^;) 服を全部脱いで棗を鼻に詰めてから入るタイプのものもあったとか。そういえばトイレの壺に落ちて溺死した王がいたとか…
3.所詮その程度の人物でしょう…。あんまりパっとしないですよね、桓帝。
むー。干支…? 阪神…1985年…? 谷利…? うーん…28?
- 43 名前::2002/11/02(土) 16:38
左平(仮名) 2002年09月12日木曜日 21時00分
私の誕生日は今月の15日(敬老の日!)ですので…現在28。ぐっこさん、正解です!今度29になります。数えではもう30ですが。
私の誕生年は、西暦1973年。丑年です。
1973+12=1985(阪神優勝、丑年)
1985−1800(12×150)=185(丑年)
↑お気づきでしょうか。「谷利伝」で、谷利の生年を185年とした理由が。
実は、私と同じ丑年生まれという設定にしていたのです。
理由としては全く適当でしたが、ここから色々な設定が派生してきて、あの様なスト−リ−となりました。
15で旅立ち、孫策・孫権と出会う。鮑立(鮑隆)との旅。弟との年齢差。玲(孫登の生母という設定)の登場。…
実は、現在書いている「サク(竹+乍)融伝」にも一つ私がらみのネタがあります。それは、また後日。
- 44 名前::2002/11/02(土) 16:39
左平(仮名) 2002年09月12日木曜日 21時13分
雑感、自分で書いといて何ですが。
1,孫堅の生年、「資治通鑑」からですかね?「四知」については「資治通鑑」の記述を使われていましたから。
2,厠でエッチ…漢の武帝と衛子夫ですね。トイレに落ちて死んだ王…(春秋の)晋の景公の死因がそうだったとか。
- 45 名前::2002/11/02(土) 16:39
ぐっこ 2002年09月16日月曜日 22時27分
当時の風俗とかもじっくり調べたいですねー。
いちおう当時の性風俗については論文書けるくらい精通したのですが(;´Д`)、肝心の生活誌が…。
手持ちは東洋文庫の中国社会風俗史だけですし…
- 46 名前::2002/11/02(土) 16:39
ジーク 2002年09月18日水曜日 20時21分
今何故か手元に資治通鑑があったりするのですが、今確認したかぎりではそれらしい記述は見られませんでした......。勿論漢字の上っ面をなでただけ(しかもほんの少し)なので問題外ですが。
所で九月の時点で『やっと』梁翼が死んでくれましたが、今の所予定通り......なんでしたっけ?(^_^;) 黄巾があと三回で始まるようには中々思えなかったりするんですが、一回で十年くらい進めば大丈夫......なのか?(←というかそんなに進むのか) ちょっと心配です。
- 47 名前::2002/11/02(土) 16:39
ぐっこ 2002年09月18日水曜日 21時58分
まだ党錮が残ってます(^_^;) 梁冀の死なんぞその前菜。
むう、となると曹操青年の初任官は来年2月くらいか!?
- 48 名前::2002/11/02(土) 17:03
左平(仮名)
◆三国の始祖 そろい踏み 今回の宮城谷三国志◆
今日は木曜。「蒼天」が読めます。また、10日。「宮城谷三国志」が読めます。
「蒼天」は玉川さんも読まれるので…先にこちらを書き込みます。
前ヶ回は曹操の誕生。前回は孫堅の誕生。とくれば、今回は劉備の誕生かな?と思いましたら、そうでした。
舎(いえ)の東南にある桑の木、字の「玄徳」…。背後に、老荘的な感覚が?との指摘、やはり宮城谷氏ならではのものです。
また、孫堅の生年問題が発覚。「初平四(193)年正月七日に死亡」と「(享年)三十七であった」という記述を両方信用すると、前回の「永寿三(157)年生まれ」となるのですが、「永寿元(155)年生まれ→中国での有力説」と「永寿ニ(156)年生まれ→日本での有力説」とあるそうで、宮城谷氏も、迷った末に「これからは、永寿ニ年生まれとして話を進める」とされていました。
跋扈将軍は斃死しました。とはいえ、宦官しか信用できない桓帝は、やはり愚昧。宦官達は贅を競い、法を踏みにじる。諌言する者を弾圧するという有様。かつての安帝と同じ過ちを繰り返します。
そういう王朝の衰勢をみた羌族は相次いで蜂起。今回は、羌族と戦う名将達が語られています。
董卓の伝にその名が見える段ケイ【ヒ+火+頁】。そして、皇甫規。皇甫規?安定の人といいますから、あの皇甫嵩の父?どうなんでしょうか。
また、「第五」氏が登場しています。なんでも、斉の田氏が、高祖の陵の近くに集団移住した結果、周りが田氏ばかりとなった為、区別する為に「第一」「第二」氏と呼ぶ様になったのだとか。…初めて知りました。
さらに! 覚えておられますか、あの楊震を。その子・楊秉が再登場しているのです(この回でもう亡くなってますが)。
第一次党錮は、次回か次々回か。さて?
- 49 名前::2002/11/02(土) 17:03
左平(仮名) 2002年10月10日木曜日 21時05分
前回、孫堅の生年について、調べもせずに「『後漢書』にありましたか?」なんて言いましたが、よく見ると、正史の三国志を丁寧に読むと、そういう事になるのでしたね。
…うっかりしてました。
- 50 名前::2002/11/02(土) 17:03
むじん 2002年10月10日木曜日 23時23分
おぉ〜。第五氏の由来、初めて聞きました。三国志にも第五伯魚とか第五文休の名前が見えますけど、第一氏から第四氏は見たことないです。
皇甫規は皇甫嵩の叔父さんにあたります。字は威明。段ケイ・張奐とともに「三明」と称されました。
- 51 名前::2002/11/02(土) 17:04
左平(仮名) 2002年10月10日木曜日 23時46分
むじんさん、情報ありがとうございます。叔父でしたか。
それにしても、皇甫規・段ケイ【ヒ+火+頁】・張奐で「三明」ですか。皆優れた武将ですが、軍事以外にも優れていたという事でしょうか。
- 52 名前::2002/11/02(土) 17:04
ぐっこ 2002年10月12日土曜日 00時04分
簡単にいえば、皇甫規(威明)・段ケイ(紀明)・張奐(然明)と、揃って明が付いてたんですよ、字に。しかも三者とも涼州出身だったため、涼州三明、と。
皇甫規は奥さんがらみでも割と有名ですが、段ケイは後に悪人道を歩み、張奐は蒼天航路で大活躍、と。張奐なんかは、名文家でもあったみたいですよー。
それよりも、孫堅。あ、やっぱりそちらで落ち着いたんですか〜(^_^;) 確か陳舜臣先生も、向こうとこちらは違うから、みたいなこと仰ってましたけど…。
ようやく劉備も誕生し、文庫本一冊くらい十分に消化してそうな分量を経て、三国志の開始、と。
第一次党錮は、割とまったり終わるみたいですから、ソロソロでしょうか〜。見所は第二次党錮の張奐の空回りと、陳蕃・竇武の格好いいところでしょう!
- 53 名前::2002/11/02(土) 17:11
左平(仮名)
◆今後の「三国志」の進展は? 宮城谷昌光氏インタビュ−◆
今月の「オ−ル讀物」に、宮城谷氏へのインタビュ−が掲載されていました。いろいろ興味深いものがありました。いくつか、ピックアップしてみます。
1,一日の執筆ペ−ス
現在五つの連載(風は山河より、管仲、書き下ろし、香乱記、三国志)があり、合計で、原稿用紙七枚半/日との事。一見すると少しですが、これが毎日切れ目なし!
自分のペ−スだけで書くわけにはいかない存在、という意味も含んだ「職業作家」という言葉に、その覚悟が感じられます。
2,三国志の進展はドラゴンズ頼み?
三国志を書かれるのは夜だそうです。野球シ−ズン中は、スポ−ツニュ−スを見てからの執筆となるのですが、ドラゴンズが勝ってると、そちらを見る時間が延び、負けてると、すぐに執筆にとりかかられるとか。今年はもうシ−ズンオフに突入してますが、ドラゴンズの調子次第で、来年の三国志の進展状況が変化するかも?あくまで冗談ですが。
3,構図
梁冀(などの悪党。玄謀を知る者は名君。知らない者は、梁冀の如し)と清流派。その間を右往左往する宦官。そういう感じで書いたそうです。
宦官=悪という安易な考えはしていません。『重耳』で出てきた閹楚を例に引き、宦官は、もともと強い者である、という事にも言及しています。
4,今後
近く、曹操24歳の場面が描かれる様です(近く、といっても、いつかは分かりませんが)。そして、董卓も登場します。辺境の視点からも描かれるそうですので、『蒼天』で描かれた様な、強烈な董卓が期待できそうです。
- 54 名前::2002/11/02(土) 17:11
ぐっこ 2002年10月23日水曜日 23時16分
やや、連載開始1年半にしてようやく曹操や孫堅が「誕生」したという、人類史上でもまれに見るスローペース三国志の続報!
宮城谷先生、五本も…。日に7枚って、けっこうなペースと思います。たしかエッセイの中で「小説は才能よりも持続力、言い換えれば執念で書くもの」と言う類の名言を残されてましたが…
というか、竜党でしたか(^_^;)
なまじ史学色が強いだけに、本格的にアレな人たちから散々叩かれている宮城谷三国志ですが、私はものっ凄く楽しみです! 氏が書く曹操や董卓ら「悪人」がどういうキャラクターになるのやら…。呂不韋みたいな優等生にはなって欲しくないですが〜。
ぼちぼち張奐も登場ですかにゃ( ̄ー ̄☆
- 55 名前:左平(仮名):2002/11/10(日) 19:25
- ◆第一次党錮の禁(途中) 今回の宮城谷三国志◆
搓c后失脚の理由…皇帝の寵愛をめぐって、竇氏と言い争いになった為だとは…。
桓帝、皇帝としてもですが、一人の男としても、小さい…あまりにも、小さい…。
(後宮に六千もの美女を集めたといいますが、たった一人の女も満足に愛せないとは)
「桓」という謚が泣くぞ!!
と、もてない男の怒りはさておき、今回の流れですが…。
とにかく、黄巾の乱以前に、こんなにも乱が頻発していたのか、というくらい地方での叛乱が。桂陽など南部荊州・涼州、そして、檀石槐。
暗愚な皇帝・私利私欲に走る宦官達、「前門の虎、後門の狼」という厳しい状況の中、李膺・陳蕃・段ケイ【火+ヒ+頁】・張奐達が活躍します。
が、そんな状況だというのに、ついに、「党錮の禁」が発生!!
今回は、まだ途中経過といったところですので、次回も気になるところです。
- 56 名前:★ぐっこ:2002/11/11(月) 00:04
- >黄巾の乱以前に、こんなにも乱が頻発していたのか
逆に言うと、黄巾の乱がどれだけ凄絶な規模のものだったかが
伺えますよね…。
乱…というより、小規模の乱や寇禍の類は、殆ど日常的に続発し、
それを制圧する西方部隊というのは、後漢後期からやや特殊なポジション
にいたカンジで…。董卓の特異性なんかも、そのあたりから説かれそうで
嬉しい限り!
そしてその前の騒ぎである党錮がいよいよ…。楽しみ〜!
- 57 名前:左平(仮名):2002/12/10(火) 21:03
- ◆党錮→党錮、羌と侠 今回の宮城谷三国志◆
まずは、あらすじから。
宦官達による清流士人の弾劾は、結局のところ、なかば失敗に終わります(第一次党錮の禁)。終身禁錮とする事で朝廷から追放したものの、彼らに名を成さしめたわけですからね。追放された方に世間の同情と尊敬が集まり、政府の存在意義をも疑わせる様な状態になったわけですから、結果の如何にかかわらず、王朝の命運は尽きようとしている、と言えるでしょう。そんな中、桓帝は崩じます。「怠惰」の一言で片付けられる「桓」帝。子作りにさえ怠惰だったのか?とツッコミ入れられる「桓」帝…。こりゃ、あきませんわ。名と実が全く合っていませんもの。
で、迎えられたのが霊帝ですが、彼の賢愚のほどは、今回の時点ではまだ判然としません。そもそも、然るべき皇族自体が払底していたというのですから。こんな政権を担当する、大将軍・竇武。お疲れ様です(皇太后となった娘も、ろくな人物ではない様で)。李膺・陳蕃を復帰させるのも当然でしょう。そして、宦官打倒の計画を練りますが、皇太后にはその意味が分からないまま、天文が乱れたその日、ついに!事件が!
話は変わり。今回、三国志を語る上では欠かせないあの男が、ついに登場します。「二つの弓袋を身につけ、馬を疾駆させながら、左右から矢を射る」あの男! 「へそに灯心をさされ火をつけられた」あの男! 「蒼天航路では、髪と鬚が矢印」の、あの男です!
今回の彼を語るキ−ワ−ドは、「羌」と「侠」。後に悪逆非道と呼ばれるその所業は、あるいは、抑圧され続けた羌族への思いの故か?というところが、含みを残します。
俗悪に描かれた演義。とにかく強烈な悪の存在感を示した蒼天。そのいずれでもない描かれ方が為されるのではないか。そんな期待が持たれます。
私事:「牛氏」での設定、要変更ですな…。
- 58 名前:★ぐっこ:2002/12/12(木) 00:10
- 何いっ! もう今日でそこまでいくですか!?
第二次党錮が始まるのか…っていうことは!張奐たん主演まで秒読み!
李膺や竇武の子弟の脱出劇もあるでしょうね〜。楽しみ…
で! いよいよ三国志の大物達が続々オンステージ!
なるほど〜。単純な「悪」ではない描き方ですか…明日確認します!
- 59 名前:左平(仮名):2002/12/16(月) 22:06
- 実は、今月の文春には、宮城谷氏と白川静氏との対談も収録されています。お二方とも、大変な勉強家です。こんな事が、実にさらりと書かれています。
@宮城谷氏と白川氏が初めて会った時、宮城谷氏は、膨大なノ−トを見せ、白川氏を驚かせたそうです。そのノ−トには、白川氏の研究が細かく記されていました。…ところが、この時見せたノ−トというのは、実は一部。全部積み上げると、腰ほどの高さになるとか。
A以前の宮城谷氏は、結構テレビをよく見ていたそうです。しかし、白川氏の著作に出会うと、「三年、庭も見ず」というほどに読書されたそうです。座って読むのが長かった為、くるぶしに水(?)が溜まったとか。
B1960年代、大学紛争が各地でありました(東大・安田講堂の攻防などが有名です)。白川氏の在籍する立命館も例外ではありませんでした。当然、研究どころではないのですが…。そんな中、S教授の研究室は、いつも夜遅くまで明かりがついていたとか。こんな状況においても、研究を続けていたのです。S教授が誰であるかは、言うまでもありません。
この対談は、三国志とは直接の関係はありません。でも、連載中であるだけに、話の中でちょこちょこと三国志について触れられています。
- 60 名前:★ぐっこ:2002/12/17(火) 01:04
- うーむ…。
さすがというべきか…たとえば自分を省みて、そこまで何かに集中したことが
あるか自問しても、まず思いつきませんねえ…
宮城谷先生本人も仰ってましたが、作家や研究者たる者、やはり超人的な偏執僻
あるいは執念、といったものが必要なんだなあと。
文才も大事ですが、それよりも大事なことが、最後までやり遂げること、だそうで。
その対談も面白そう…
- 61 名前:左平(仮名):2003/01/11(土) 01:02
- ◆第二次党錮の禁 逆境の名士達 今回の宮城谷三国志◆
前回から続き、竇武・陳蕃対宦官の対決から始まります。
人望厚い二人であるだけに、偽の詔書によって賊扱いされても、容易には屈しません。しかし、腐っても鯛、偽でも詔書は詔書。兵力差は広がり、ついに力尽きます。
張奐、よりによって竇武に引導を渡す役回りになるとは…。これで、名声も地に落ちてしまいました。出世はしても、これでは甲斐なしです。
二人を血祭りにあげたのみではまだ足りないか、宦官達による弾圧は続き、ついに、第二次党錮の禁、あるいは、宮城谷氏いわく「建寧の大獄」が始まってしまいます。
前回は助かった李膺・范滂達も、次々と獄死します。范滂と子との別れは、切ないものがあります。
こんな時代にあっても、清くあろうとする人々はいます。郭太【または泰】(字は林宗)がそうです。
彼の墓碑銘を書いたのは、あの蔡ヨウ【巛+邑】。劉備の師匠・盧植も登場します。
そして、いよいよ若き曹操について語られ始めます。
- 62 名前:左平(仮名):2003/01/11(土) 01:19
- 今日は、ちょっと残業してました。帰ってから食事をとって風呂に入ってたら…「りゅうぜんず」さんの方が、先に紹介なさってました。
- 63 名前:★ぐっこ:2003/01/13(月) 12:01
- とうとう二次党錮がはじまりましたかー!
…って連載始まってどれほどの時間が経過したのか(^_^;) いまだに三国志の
カケラもない…。
「先代の英雄」たちがあらかた舞台を去って、ようやく曹操達にスポットライトが
回ってくる様子。楽しみ〜。
- 64 名前:左平(仮名):2003/02/10(月) 22:42
- ◆若き曹操(たち) 今回の宮城谷三国志◆
今回、だいぶ三国志らしい感じになってます。曹操、孫堅、劉備の三英傑は言うに及ばず、袁氏、盧植、公孫サン【王+贊】、さらには司馬懿の名も。といっても、物語はまだ黄巾の乱以前ですが。
少年・曹操は、橋玄に認められます。その上で、許子将に評されて、世に名を知られるわけです。このあたりは有名ですが…。
さすがは宮城谷氏です。意外な盲点を指摘されています。
1,橋玄は、高句麗を討伐したとあるが、『三国史記』(朝鮮三国【高句麗、百済、新羅】時代を記した書物)には記載がない。
2,許子将と曹操の年齢差は小さい。(橋玄と知り合った当時)十代の曹操を評した時、許子将は二十代前半ではなかったか。
そういえば!です。しかし、『三国史記』にまで目を通されているとは…。
その頃、孫堅は自らの勇気と機知により出世の糸口をつかみ、劉備は一族の支援を受けて盧植門下に入ります。遊び歩いた劉備に「哀しさ」をみたというのも、初めてではないでしょうか。
…このあたり、『蒼天』とは明らかに異なる物語になりそうです。
一方、中央はといえば、相変わらず。批判勢力に手を焼いた宦官達は、ついに猛将・段ケイ【ヒ+火+頁】を使い、弾圧にかかります。彼については特に言及していないあたり、個人的には少し気になります。
そして、宋皇后失脚に連座する形で謹慎する曹操に、一つの出会いが!
- 65 名前:★ぐっこ:2003/02/13(木) 01:37
- むう、ようやく三国志(;^_^A
やや…今日はちょっと眠いので寝ますが…許劭と曹操の年齢差なんか
考えたこと無かった! んー…でも、曹操が少年時代の頃から月旦じみた
ことやってるはずだし…案外、当時のアウトローだったのかな?
橋玄も含めて、調査せねば…
あと、劉備も登場か…。宮城谷作品だと、どう描かれるのだろうか…楽しみ。
- 66 名前:左平(仮名):2003/03/11(火) 00:00
- ◆怪異・妖異、失脚・失脚、蒼天・黄天 今回の宮城谷三国志◆
今回は、郷里にこもった曹操のつぶやきから始まります。
宮中付近で次々と起こる怪異現象。それは、五行相勝説から見ても五行相生説から見ても、ともに漢の終焉を予感させるにふさわしい代物。蔡ヨウ【巛+邑】の決死の諌言も、愚昧な霊帝の、認識の甘さの前には、効果なしです(密封された上書を読んでるのを宦官に後ろから見られてるってのは…密封した意味がない!)
蔡ヨウ【巛+邑】の亡命生活が十二年にも及んだって事は…彼が中央に復帰したのは、董卓が権力を掌握してからという事ですか。と、なると、董卓の考えはどこにあったか、というのも気になりますが…まぁ、それはまた後の話。
宦官達は、専横の限りを尽くしますが、その一方で、内部抗争みたいな状況もあります。王甫が失脚し(段ケイ【ヒ+火+頁】も巻き添え)、彼を失脚させた陽球も失脚し、悪の巨魁・曹節は天寿を全うする…まるで救いがありません。
そんな中、孔明や孫権が誕生しています(今回は、それ以上の言及はなし)。
宦官にとりいって権力の座に近付く何氏。皇子の誕生という慶事の陰に毒々しい嫉妬。
そして、ついに、あの教祖が登場します!
今回の最後は、光和六(183)年。翌年は…
連載開始から二年。ついに、三国志の原点となる、あの事件が!!
- 67 名前:★ぐっこ:2003/03/13(木) 23:10
- ああもう!はやく文庫本にならないのか!(←ハードカバーは?)
連載始まって二年ちかくなりますが、やっとこさ三国志演義のスタート
地点に…。
楊震にはじまった物語は、さて誰で終結するのやら…
宮城谷氏は存外キャラの最後をサクッと端折ることが多いので、どの人物
が「アンカー」を受け持つにしても、歴史の中の1ページとして流されるのかな…
- 68 名前:左平(仮名):2003/04/10(木) 23:42
- ◆黄巾の乱 途中経過? 今回の宮城谷三国志◆
今回、遂に黄巾の乱が勃発します。このあたりの経過は、比較的淡々と書かれています。ただ、最初に「潁川郡は賢者を生む」みたいな事も書かれているのは、後につながるのではないでしょうか。
それはそうと、ちょっと驚く事が。
黄巾の乱の鎮定には劉備も加わっていた様で、曹操や孫堅ほどの目立った活躍はしていないのはまぁ承知しております。しかし、「劉備が関羽・張飛を左右に従える様になったのは黄巾の賊の蜂起から四年ほど後とみるのが無難である」とは!!上記の文章は、立ち読みの流し読みであるだけに多少の誤記はあるにしても、初耳です。宮城谷氏の事ですから、しかるべき資料があるのでしょうが…一体何にそういう記事が…。
最後は、罷免された盧植の後任として戦地に向かう董卓が。盧植を罷免した霊帝を「ばかな皇帝」と蔑む男の腹の内は…。
- 69 名前:★ぐっこ:2003/04/11(金) 00:45
- やや、もう文春の頃ですか〜!
といいますか、劉備が関羽・張飛を左右に従える
様になったのは黄巾の賊の蜂起から四年ほど後
とみるのが無難である
わたしもコレ初耳ですわ! 当然、それなりの根拠ないし考察を経ての
ことなんでしょうけど…。私も読んでみたうえで、考えてみます(^_^;)
そして董卓が黄巾討伐ですか…。どうも董卓が主眼保持キャラになるって
パターンも珍しいですが、彼がどうやって黄巾に敗れるのか、見てみたい
ですな。蒼天みたいに「わざと敗走」ってところでしょうか。
- 70 名前:左平(仮名):2003/04/11(金) 23:22
- いや、董卓の存在が重いというのは、私の見る目の偏りもあるのかと思います。現在、「牛氏」を書いてて多分に意識しているところですので。
とはいえ、「それゆえかれは戦場へはいそがない」ってな書かれ方をするあたり、どうなのでしょうか。
割とさらりと書いてる様でも、よく読むと、やはりしっかりと書かれているのが分かります。張角は天を祀り(事実上)皇帝を自称したとか、波才対皇甫嵩・曹操の戦いにおける猛火を指して「これほど幻想的な戦場はない」という様に表現したり。
そういえば、今週の蒼天で、後姿で描かれた半裸の男って、ひょっとして張角ですか?
- 71 名前:もす:2003/04/13(日) 04:04
- >劉備が関羽・張飛を左右に従え…
えっと、ちょっくら調べたところ、それらしいモノが。
いや、それらしいとしか言えないんですが。(^^;
黄巾が蜂起したのが中平元年、184年のこと。
それから4年というと、当然中平五年、188年のことになりますよね。
で、今泉氏の「関羽伝」に目を向けると、「関羽が涿郡で劉・張と出会ったのは188年のこと」とあるんです。
関羽伝には「劉備が兵を集めたとき、関羽は護衛官となった」とありますから、丁度188年に兵を挙げたことになると思います。
今泉氏の記述には現地で聞いたことをそのまま書いてあることが少なくなさそうなので、
これも民間伝承からだと思うんですが、宮城谷氏もこれを鵜呑みにしないまでも考慮されてるのではないでしょうか。
- 72 名前:左平(仮名):2003/04/13(日) 19:51
- もすさん、ありがとうございます。そういう伝承があったのですか。
しかし、以前の「三国史記」といい、さすがは宮城谷氏といったところですね。そういえば、ちょっと前に引っ越しなさったとか聞きました。なんでも、書庫が手狭になった為だとか。
今回の「週刊新潮」にありましたが、故・司馬遼太郎氏が作品を書こうとする時、トラック一台分の古文書が神田から運ばれたなんて言われたそうです。
プロは凄い…。
- 73 名前:★ぐっこ:2003/04/13(日) 22:44
- >>71
もす様、情報さんくすです!なんと!むかし「関羽伝」図書館で借りたことがありますが、
前の方の伝承は読み飛ばしていたなあ…
黄巾の蜂起から4年後となると、とうぜん黄巾の乱自体は終焉をむかえ、ほとんど残敵掃討
の状況かと。翌年に董卓が政権を乗っ取る時期すから、地方行政はもう分裂しまくって機能
してないような状態だったかも知れませんね…。
そこから推測しますと、まだ乱たけなわの時期のほうが、正規軍が転戦するだけ治安維持も
「まし」だったかもしれず、乱が終決して地方がグチャグチャになった時期こそ、劉備ら
「郷里自衛軍」の出番が多かったかも。
そう考えると、なるほど黄巾終結後の劉備旗揚げもうなずけますな。
>>72
そうなんですよねえ…。司馬遼太郎先生も、一編の小説を書き上げるのに
数年間を史料集めにあてられたそうですが、いちど記者に「史料はご自分で
探されるのですか?」とか質問を受けて愕然としたと聞きます。
「人に集めてもらえる類なら苦労しないよ」みたいな苦笑混じりのコメントが
あったと思いますが、内心、相当呆れられていたようで。
歴史作家は、一にも二にもまず史料。まあ、あまり根詰めて他の作家の作品を
熟読したりすると、池宮氏のようになる罠…。
イロイロ言われてますけど、私ゃ意識して剽窃したとは思えないですなあ…
それもよりによって司馬先生の小説を…。
- 74 名前:もす:2003/04/15(火) 05:46
- どもです。憶測のようなことで恐縮ですが…(^^ゞ
最初は188年の事例を見て、
「もしや、劉焉が蜀に行ったヤツか?!」などと不遜なことも考えてしまいました(笑)が、
何らかの情報があることは確かなようです。
実際に中国に行って、そういった史料を探索してみたいものですけどねぇ。もっと懐を暖めないと…(;^_^A
>池宮氏
「身内の不幸があってドタバタしてたため」なんてコメントしてましたね(笑)
不幸はお気の毒ですが、それとこれとは関係ないんじゃ、と(ry
- 75 名前:もす:2003/04/15(火) 06:02
- そういえば、大事なことを忘れていました。
⇒左平さん
宜しければ、私めの掲示板でご相談にのっていただけないでしょうか?
諡号について話題が出たのですが、恥ずかしながら、今一つ説明できなかったもので。(^^;
ご無理でしたら、書籍名等だけでも教えていただけると助かります。
大変失礼とは思いますが、何卒お願いします。<(_ _)>
- 76 名前:左平(仮名):2003/04/16(水) 00:18
- 先ほど、書き込んでおきました。
諡号というのは、なかなか興味深いものです。結構いろいろなニュアンスがありまして…。
- 77 名前:★ぐっこ:2003/04/17(木) 00:15
- むう、鯖落ちで見れぬ…・゚・(ノД`)・゚・ そしてもす様、三国志・後漢書集解ゲットおめ。
ところで、先日文春確認しましたが、皇甫嵩カコイイ! 朱儁も引き立て役とはいえカコイイ!
何よりいまだまともなセリフがない曹操もまた男前に!
奇貨おくべしみたく、このあたりの初陣のドラマに期待していたのですが(^_^;)、
けっこうサラッと流されてましたね…。それだけは残念ですが。
- 78 名前:もす:2003/04/17(木) 01:45
- 左平さん、本当にありがとうございました。感謝で言葉もありませぬ(>_<)
⇒ぐっこさん
ようやっと集解げとーです(^^ゞ
これで大分楽になりそうです♪
某所はread.cgiとやらが原因らしいっすね。よく分かりませんが(^^ゞ
で、今、専用ぶらうざを探してたら、OpenJaneとやらが使いやすかったっす♪
宮城谷先生に関係ないカキコなのでsage
- 79 名前:岡本:2003/04/17(木) 21:59
- >黄巾の蜂起から4年後
大分おくれまして、しかも、もす様ほど正確な情報ではありませんが、
わたしも似た状況を示唆する記述をよりによって三国演義で見たことがあります。
立間祥介訳の平凡社のものですが、劉備が例の義勇兵を募る
立て看を見ていた初登場での紹介文が
”歳、28歳”とあるのです。
184年なら24歳のはず。事実、本文の注では立間先生自身が中平元年なら24歳なので記述
ミスだろうと論じています。
もす様の情報のように、旗揚げは民間では188年と伝わっていたようです。
大体、張飛が18歳で参加したこと自体、子供心に”胡散くさ〜”と思ったことがありますので。
- 80 名前:★ぐっこ:2003/04/19(土) 16:07
- コレもうろ覚えですが、なんか陳舜小説のなかに、「張飛はこのとき
ハイティーンであろう」みたいな記述があって、「ん?」と思った記憶が。
それはともかく、確かに演義間に「188年説」が成立していた、と思う方が
正しいようですな。
あ、そうだ、集解ってセットでおいくらぐらいなもんでしょう?
何となく、最近また三国志に凝ってきだして…。また本格的に勉強しようかなと。
>鯖落ち
いえ、もす様のところの討論板です(^_^;)
しかし今三戦板に行ってみると人大杉警告が。専用ブラウザの導入考えるです…。
最近、デザインパクる為にWeb板しか行ってなかったから気づかなかったよ…
- 81 名前:もす:2003/04/19(土) 17:09
- 手持ちのカタログだと、集解は三国志で\5390、
後漢書は2冊セットで\6160になってます。
晋書も同じく2冊セットですが、\9620と
かなりお求め難くなっております(^^ゞ
>いえ、もす様のところの討論板です(^_^;)
ありゃ、ウチですたか。(^^;
偶にオチてるんですよねぇ。今は大丈夫だと思うんですけど、
どうでしょう? 環境によって見れないとかあるのかな…
- 82 名前:★ぐっこ:2003/04/22(火) 21:54
- むう、確かにお求めやすい価格帯だ! 考えようかな…。
晋書はいかがか…(;´Д`) いえ、県立図書館の和刻本を全コピしても
7000円弱、というところですが。
>掲示板
もう大丈夫でした(^_^;)
- 83 名前:左平(仮名):2003/05/10(土) 23:49
- ◆黄巾の乱 一応の決着 ほか 今回の宮城谷三国志◆
前回のラストで盧植に替わり張角を倒すべく派遣された董卓ですが、まったくやる気なし(見せ掛けだけの攻撃はしますが)。結局、この戦いに決着をつけたのは、またしても皇甫嵩でした。ちらりと盧植の良将ぶりも描くあたり、細かいです。
張三兄弟をことごとく倒した皇甫嵩が英雄視されるのは当然。そこに現われたのが、閻忠なる人物。彼はいにしえのカイ【萠リ】通の如く説くのですが、受け入れられません。閻忠の最期は、王国らにかつがれた為、昂奮の中で死ぬというものでしたが、「不幸にも」というあたり、氏の思いはどこにあるのでしょうか。
一方で、朱儁はなおも苛烈な戦いを続けます。張曼成、趙弘、韓忠。黄巾は、指導者が斃れても斃れてもなお大軍をもって抵抗を続けますが、朱儁は寡兵をもって激しい攻撃を続け、ついにこれを制します。孫堅も活躍します。
こうして、「黄巾の乱」としては一応の終息をみますが、その後も各地で乱が起こったのは周知のとおり。このあたりは、いわゆる「三国志」の世界といえます。
しかし、その一方で、ヘイ【丙β】原の事が詳しく描かれます。今回のラストは、彼が曹操に仕えるところ。公孫度の事にも触れられています。物語のスケ−ルが、やはり今までの三国志とは違う…。
- 84 名前:左平(仮名):2003/05/11(日) 01:36
- あ、そうそう、今回も、名前だけの登場ですが結構有名どころが。
賈ク【言+羽】、太史慈、馬融、鄭玄など。
- 85 名前:★ぐっこ:2003/06/10(火) 21:41
- そして今日久々に文春読んでみると、董卓と孫堅カコイイ。
相変わらず皇甫嵩ぶっちぎりで、同時代で彼を上回る俊傑はいないのでは
と思えるほどに(;´Д`)ハァハァ…
司空の張温の下で知謀を空回りさせつつも、けっこうアフターケアに気遣う
董卓がミョーにツボでした。あと、陶謙もカコイイ。
それにしてもいつ曹操が表に出てくるんだ。
- 86 名前:左平(仮名):2003/06/11(水) 00:08
- おっと、今回はぐっこさんの方がお先に読まれましたか。
残念、今日は遅くなったもので文藝春秋は見てないです。明日以降、確認します。
- 87 名前:左平(仮名):2003/06/11(水) 21:55
- 一日遅れで、ようやく確認。確かに、将達がかっこいいです。
とはいえ、今回最も描かれていたのはやはり董卓でしょう(張温は凡将。孫堅は戦力に恵まれず、今回はいまひとつ目立たない【とはいえ、その力量は既に光っています】。陶謙は、武人らしい偏屈さの故に自らの器を縮めている…)。
不思議なもので、負けない戦をする董卓なのに、私にはなお「智謀の人」というイメ−ジはしないのです(いや、良将というイメ−ジはあるのですが)。やはり勝手知ったる羌族との戦いという事もあるのでしょうか。
それにしても、皇甫嵩の将器を活用できない漢朝は、やはりあきません。後々の事を考えると、なおさらです。
で、韓遂に北宮伯玉、馬騰、王国…。韓遂は、昔洛陽に行き、何進に意見した事もある、と…。時期はよく分かりませんが、蒼天で描かれた様なシチュエ−ションもあり得たと…。
- 88 名前:★ぐっこ:2003/06/11(水) 22:32
- やはり萌えたのは張燕の登場でしょうな!飛燕カコイイ!
董卓は、正直猛将というより知将、謀将の印象が最近強い私であります。
洛陽で失政やらかすまでの彼の動きは、非常にクレバーではないかと。
というか、もし彼が李儒あたりの献策で動いていたとすれば、李儒って
郭嘉なみに先見のある軍師な気が。
- 89 名前:左平(仮名):2003/07/11(金) 00:26
- ◆その頃各地は 今回の宮城谷三国志◆
今回は、各地の様子とその中で動く群雄候補達が語られています。中央においては、霊帝は相変わらず銭の亡者ですが、各地は激動の中にあります。
西では「戦国の名将・趙奢の、そして伏波将軍・馬援の子孫」馬騰が蜂起。羌族の女を母とする彼にとって、漢朝は二重の意味で憎むべき存在(羌族を虐げ、馬氏を軽んじた)。
北では張純が丘力居と組んで蜂起。その鎮圧に加わるべく、劉備は旗揚げします。時に劉備二十八歳、関羽二十九歳(!)、張飛十六歳(!)。
南では区星が蜂起。それを孫堅が鎮圧。
曹操は、病を理由に官を辞めます。そして、官位を銭で買った父を批判。父とは距離をおくとありますが…そうなると、徐州の件はどうなるのでしょうか。
劉焉は董扶の勧めもあって益州へ。そこで五斗米道や教母と接触します。
公孫サン【王+贊】は張純と激しく戦いますが、手柄は、徳によって乱をおさめた劉虞のものに。
強い劣等意識にさいなまれ、任侠をきどる事で男を上げようとする。感情を表に表さない事の描き方といい、今のところの劉備は、どこか陰鬱とした感じがあります。そして、そんな彼についていく関羽にも同様の感じが。
しかし、そんな彼らが、ともすれば人格を卑しくするこの戦禍の中で、人として成長していく…。
曹操・孫堅と比べると、明らかに出遅れている劉備は、どうやってその差を詰めるのでしょうか。
- 90 名前:★ぐっこ:2003/07/18(金) 23:27
- ようやく読みましたぜ〜!
三国志レギュラーもそろい踏みで、地方の反徒どもも元気良くて。
それにしても、まだ一人称的な視点を持つキャラクターが一人も
登場してないので、誰が主役か解らない物語ですが…
とりあえず今回萌えたのは、劉備と公孫瓉。特に公孫瓉がタク県の県令
やってた時代に言及されてて(;´Д`)ハァハァ。劉備が気兼ねして公孫瓉
に面会を求めなかった、という解釈がカコイイ。公孫瓉も遠慮してるところ
が、なんかツレっぽくていいですな…
しかし劉備の黄巾後しばらくの行動に、人として劣る、と言う評価を
与えながら、これから先の飛躍的な成長に言及する辺り、主人公は
劉備になるのかしらん?
- 91 名前:左平(仮名):2003/08/11(月) 21:50
- 今回は、いきなり陰謀から始まります。合肥侯擁立未遂事件です。その一員には、あの陳蕃の子・陳逸の名も。曹操も誘われますが、拒否しています。
…ちくまの和訳では、この合肥侯は劉氏の一人であろうとしているのですが、宮城谷氏は違うと断言しています(後漢建国の功臣の一人の子孫らしいのですが、まだきちんと読んでなくて…)。
はて?後漢書を確認しないと。
西に目を向けると、王国・韓遂の乱が続いています。自らの勢力を涵養せんとする董卓が気乗り薄な中、皇甫嵩は敢然と戦い、みごと勝利。この後、二人の関係は悪化するそうで(まぁ、董卓からすれば面目を潰されたわけですから無理もありません)。
アサハルさんがまた喜びそうな?描かれ方です。
そんな中、霊帝が崩じます。桓帝に(宋皇后を死に追いやった事、桓帝の実弟・渤海王劉カイ【小+里】を自殺に追い込んだ事を)叱責される夢を見た直後に、といいますから、はなはだ格好悪いです。まさしく悪い意味での「霊」に相応しい最期。
後継者問題一つまともに処理してないのですから…。霊帝については、今までの三国志の中でも、最も情けない描かれ方ではないかと思えます。
その前の行動を指して、秦滅亡前夜を思わせる、とも…。
そして、何進と宦官達との暗闘の中、次回へ。いよいよ、風雲急を告げています。
そうそう、味好漢の一人が登場してましたよ。曹操と荀揩高く評価し、袁術にはなぜか憎まれた、あの人です。
- 92 名前:左平(仮名):2003/08/11(月) 22:14
- 中央研究院で後漢書をチェックしました。確か「堅」って姓だった様な…で探しましたら、ありました。
後漢書/列傳/卷二十二 朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二/堅鐔というのが。
「(建武)六年,定封合肥侯.二十六年,卒.子鴻嗣.鴻卒,子浮嗣.浮卒,子雅嗣.」とあります。
しかし、そうなると、このク−デタ−未遂って、かなりのものでは…。もし事実なら、えらい事です。
- 93 名前:★ぐっこ:2003/08/13(水) 20:18
- ほう!ようやく劉宏崩御ですか!や――――っとこさ、馴染みのある三国志になった
カンジですな!
実際、皇甫嵩ほか何人かの良将だけが気を吐いていた時代でしたよねえ…。
もうすでに半独立勢力じみていた董卓の兵団しかり、退廃的で自滅したとしか思えない
後漢王朝末期のドロドロした雰囲気が解るような気がします。
そんな中で、袁紹や袁術がどのような役割を果たしてゆくのか、いよいよ楽しみなカンジ。
早く読みたいな…。宮城谷先生って、何進をどう描いてましたっけ?私は「気分だけは竇武」
みたいな、平凡人が一生懸命背伸びしてる姿を想像してるわけですが…
>合肥侯擁立事件
( ̄□ ̄;)!! 私も皇族の誰かを立てる宮廷クーデーター程度と思ってましたわ!
劉氏以外を立てるのだとしたら、本当に大逆に当たる本格的な武力革命。
もし本当に別姓の皇帝を立てる反逆であるとすれば、いかに許攸がいたとはいえ、
よく曹操とか華歆とかに情報を漏らしたな
と呆れるばかり。誰だって逃げ出すような。
- 94 名前:★ぐっこ:2003/08/29(金) 00:26
- ぐあ、書くの忘れてましたが、
何顒先輩カコイイ!
で宜しいか諸兄?
- 95 名前:左平(仮名):2003/09/10(水) 22:53
- 今回は、遂に!です。ただし、まだその事件の前半部といったところ。
宦官勢力の殲滅を叫ぶ袁紹、それに反対する家族(といっても血のつながりはない)との間で揺れ動く大将軍・何進。父・真の死後、血縁という意味では孤独の中にいる彼は、博愛精神の持ち主として描かれています。いわゆる「いいひと」ですね。しかし、それと器の大きさとはまた別物。機能していない朝廷に愚直に仕えた皇甫嵩もそうですが、「産まれた時代が悪かった」としか言い様がないです。
一方、袁紹は、危険を承知の上敢えて董卓を招こうとします。圧倒的な軍事力をもって何太后を威圧しようとしたわけです。
しかし、こうしてみると、皇太后の無知と無理解が悲劇を招いているというわけで…。外戚の専横(その結果として王莽による新朝成立)という苦い経験を経て成立したはずの後漢がそれに対しての備えを怠っていたという点で、光武帝の限界が指摘されます。
何進は、そんな危うい状況の中で殺害され、そこからなしくずし的に宮中は大混乱に陥っていきます。宮中の混乱→戦闘が翌々日まで続いたというのは初耳でした。
話とは関係ないですが、呉班の父・呉匡とともに何進の属官として張璋という人の名がちょこちょこ出てきて、まるでコンビみたいです。
- 96 名前:★ぐっこ:2003/09/11(木) 01:17
- おお! いよいよ突入ですか!? 思えば第一話のあたりから
幅を利かしてた外戚組と宦官組が一掃され、一つの時代が終わる
歴史的事件。
党錮以前から清流派士人が命を賭して果たそうとしていた一大事業が、
何進の不注意と袁術の暴発で始まるという…。
たしかに何進は、気分だけは梁商とか竇武のいいところを真似た感が
ありますが、終わりもまた然り。妹はもちろん、義弟のヘタレに足を
引っ張られたという感もありますねえ…。
呉匡と張璋は、ふたりとも何進の親幸が厚かったようで。きっと目を
掛けられてたんでしょうねえ。呉匡は呉漢の末裔だから、張璋も名家
の士人だったのかも。
- 97 名前:★ぐっこ:2003/09/14(日) 10:24
- 読んだ! 盛り上がって参りました!
つうか、くそ、今学三でこのあたりやってたら気持ちいいだろうなもう!
何進たんお人よしすぎ! そして何太后バカ(というか凡婦)過ぎ!
たとえば三国志演義だと、いささか唐突に始まるこの事件ですが、宦官による
何進殺害とそのあとの虐殺に至るまで、どのような仮定を経たか、宮城谷作品
でけっこう勉強できます! 未読の方は、とりあえず単行本になれば買うよろし。
今週の文藝春秋だけでも立ち読みするもよし。
それにしても何苗がいかんな…
- 98 名前:左平(仮名):2003/10/10(金) 23:58
- 混乱する宮中から逃れた少帝・陳留王と宦官達ですが、やがて盧植・閔貢が追いつきます。張譲達は入水し、さてこれで終わりかと思ったら…
もうご存知の様に、あの男、そう、董卓の登場です。
荒れ果てた宮城をみて、その野心がうずいたのでしょう。西方で自立どころではありません。上洛した彼は、兵力をかき集め、その勢力の増大にこれ努めます。
その中で見出したのが、当時丁原配下の呂布。
剛勇の中にも「才覚をみせる」呂布は、「官位に憧憬を抱き」、「革命家ではなく」、「董卓とは異なる向きにある」人物として描かれています。
乱世であったがゆえ、「倫理という面から過度に指弾されている」とするこの描かれ方をみると、それなりの出世欲を持った、案外近くにもいそうな人物という感じがします。
蒼天の「純粋武人」ほどのインパクトはありませんが、ある意味興味深い描かれ方ではあります。
野心満々の董卓をみて、鮑信は危機感を抱き、袁紹に(董卓を除く様)説きます。しかし、受け入れられません。
せっかく「戦い抜く意思の力」を持ちながらも「状況が急変した時に対応できず、様子をみる事しかできない」のでは、何にもならないと…
当初、袁紹には不良仲間との交友があると聞いた董卓は、名門の御曹司らしからぬその姿勢を気に入りますが、結局両者は対立します。
董卓からみると、(袁紹が宦官を除こうとした際、皇帝は彼らと一緒であった。それを攻め、宦官達を虐殺したのであるから、袁紹は皇帝に背いた事になる。その皇帝を廃そうというのに、何を反対するのか。愚かな)とまぁこう見えたという具合。
こうして、少帝は廃され、陳留王が即位します。新帝の母を殺し、その祖母・董氏を死に追いやったのが何太后と知った董卓は、何氏を皆殺しにします。もちろん、元皇帝も。
その后・唐姫は、後に李カク【イ+鶴−鳥】に強姦され、賈ク【言+羽】に救われたそうです。
現在私が書いている「牛氏」では、賈ク【言+羽】が董卓の配下になったのをかなり早い時点にしてますが、そうでもないのかも知れません。この様な行動をみると。
最後に、曹操の蜂起について触れられます。次回は、反・董卓連合の結成でしょう。
脈絡なく書き連ねましたが、こうしてむみると、董卓の異質さが際立って見える様です。
- 99 名前:左平(仮名):2003/11/11(火) 00:18
- 今回、曹操が挙兵します。
彼は、董卓の招聘を拒んで去ります。董卓は立腹しますが、袁紹に対するそれとは
やや異なる様に描かれています(曹操の人となりに立腹したのではなく、単に自分の
招聘を拒んだという事実に対しての立腹)。
史書の中に見られる、逃亡中の記述。陳舜臣氏も語る様に『演義』みたいな事件は
なかった様ですが…。そもそも、その逃亡自体が百二十里ほど=行程四日程度(そして、
董卓からの手配の通達が行き渡るのに数日。役人はまだしも民衆は知り様がない)なの
だから事件自体発生しようがない!という指摘。またしても、意外な指摘です。
衛茲の支援を受け、旗揚げした曹操は、張孟卓(名のバクって出ないんですよね)・
張超、鮑信・鮑韜の各兄弟達とも合流し、徐々に勢力を培っていきます。
曹操の器の大きさが、そろそろ衛茲や鮑信の口から語られています。
曹操の矮躯に失笑が漏れるのに対し、晏子・孟嘗君の例が語られる(二人とも矮躯)
というあたり、宮城谷作品ならではという感じがします。
袁紹・袁術の影は薄い一方、張超のもとにいる臧洪の存在が大きいです。なるほど
正史にも伝があり、記述はそのとおりなのですが…。
やはり、劉備・曹操との絡みがほとんどないせいでしょうか。
- 100 名前:左平(仮名):2003/11/11(火) 20:56
- 昨日は、ちょっと流し読みだったので、補足。
その逃亡自体が百二十里ほどというのは、洛陽から、呂伯奢事件のあったとされる
成皋までの距離でした。
なるほど、手配の通達が役所に届くかどうかという段階では、そして曹操がそういう文書の
流れを理解しているのであれば、『演義』でいう様に疑心暗鬼になるはずもありません。
また、この時曹操は「兵は多ければ多いほどよいとは限らない」という様な事を言ってるとか。
と、なると…募兵に苦労したというイメ−ジもちょっと変わる?のかも知れません。
そして、袁紹らが合流する前の段階で、張バク【辶+貌】らは盟約を交わしています。しかし、発起人とも
いうべき曹操は、無位無官を理由にその場にはいません。臧洪伝の記述はその様になっていますし、武帝紀
にはそのあたりの事ははっきりとは書かれていませんから、おおむね事実の様です。
蒼天などの他作品と比べると、宮城谷曹操、やはり異質です。
- 101 名前:★ぐっこ:2003/11/12(水) 00:30
- しまった、先月も今月も読んでなかったΣ( ̄□ ̄;)!!
むう、話はいよいよ曹操の挙兵に! これは読まねばならん…
ていうか私密かに衛茲が漢らしくて好きだったり。楽しみ〜
- 102 名前:★ぐっこ:2003/12/10(水) 22:42
- 二巻連続で読んだ!
何故か前巻があったので、併せて立ち読み。
個人的には、もうちょい董卓のキャラクターをネバっと書いて
頂きたいところですが、それでも各地の群雄の思惑カコイイ!
志摩子張邈さまが凡庸扱い…(´Д⊂ いや、実際張邈さまにしても
袁紹さんにしても、平時の「宮廷内政争」レベルでは時代を叱咤する俊英、
乱世になると途端に尻つぼみになるタイプと見たり。
当時なお歴史を変えうる位置に居る皇甫嵩も、あっさりと董卓と和解。
というか、董卓=朝廷となった時点で、皇甫嵩の概念では「従うのは当然」
に近い状況だったんでしょうねえ…。良くも悪くも漢朝に囚われすぎた老将軍
でした…
- 103 名前:★ぐっこ:2003/12/10(水) 22:44
- あと、鮑信と鮑韜兄弟もよかったなあ…。
曹操の初期の盟友。もし二人とも生きていれば、どれほど曹操の
元で活躍したか…。
でも鮑信も武官とは言え、筆より重いモノを持たない純文官タイプだったはずで
よくぞ負傷するまで奮戦したものと。
衛茲の場合は忘れ形見が立派に成長して名声を博しましたが(終わりイクナイ)、
鮑兄弟の子供の事績ってありましたっけ?
- 104 名前:左平(仮名):2003/12/10(水) 23:37
- おっと、先に書かれちゃいましたね。
ちょっと、年末年始に出すハガキを作成してたもので、こちらに
来るのが遅くなっちゃいました。
概要は、まさにぐっこさんの書き込まれたとおりですね。
この時点では、鮑信の方がむしろ冷静なくらいってのがまた。
>鮑兄弟の子供の事績
って、いるではないですか!鮑信の子の鮑kが!というか、正史の三国志では
鮑kの伝にくっついて鮑信の事が載ってるくらい!
それはそうと、お世辞には弱いのに戦略眼はなかなかのものを持つ董卓、結構
絵になる描かれ方ですな。張邈・袁紹が見劣りして映るだけになおさらです。
- 105 名前:★ぐっこ:2003/12/10(水) 23:56
- 忘れてた!(;´Д`)スコーンと。
なんか盧植の息子といい衛茲の息子といい、みんな似たような
キャラだなあと。
宮城谷董卓は、能力はともかく、その思考が意外に普通で、かえって
味があるんですよねえ…。そして、自分がそれほど嫌われていると思って
ないあたり。あと、伍瓊たちを斬ったのを後悔してるところとか。
- 106 名前:左平(仮名) :2004/01/10(土) 23:40
- さて、徐栄の前に大敗を喫した曹操は、曹洪に馬を譲られ、悄然とした面持ちで撤退します。
周ウらの協力を得て募兵には成功したものの、叛乱を起こされ、かえって減ってしまう有様です。
しかし、この勇戦が彼の存在感を示す事になります。
それにしても、この周ウ・周グ【日+禺】の兄弟、ここで曹操の器を見出してるのに、その後が冴えないんですよね…。周グ【日+禺】に至っては、『(将としての力量には乏しくないのに)死ぬまで負け続けた』なんて言われてますし。
募兵に携わっていたのに夏侯惇・曹洪・史渙の名が挙がっていますが、曹仁(168生)・夏侯淵の名が出てません。年齢的には、夏侯惇≒曹洪>夏侯淵≒曹仁ってな感じなのでしょうか。
しかし、袁氏の二人はもっと冴えません。いかに董卓に牛耳られているとはいえ、朝廷の命を受けて派遣された名士達(韓融・陰脩・胡母班…)を処刑したりしてます。
(韓融が、陰脩に逃げる様勧める際に、夏姫と巫臣の名を出してるのは、宮城谷作品だからでしょうか)
そして、この有様をみて荀揩ヘ袁紹を見限ります。
袁紹は、進むもならず退くもならず、劉虞を擁立しようとします。ただ、これはいかにいっても弥縫策にすぎません。あの袁術でさえ、これにはまっとうな批判の書状を出してるくらいです。
さて、次回は、精強な董卓の軍団を打ち破る勇将が登場するはずです。楽しみ!
- 107 名前:★ぐっこ:2004/01/14(水) 00:34
- 読んだ!( ゚Д゚)
あーーー! なんかいい感じにこじれてきてますねえ、袁紹陣営。
鮑信出っぱなし(;´Д`)ハァハァ…個人的には張邈さまがアレなのがアレですが、
でも曹操裏切る伏線だからしようがないか…
あとは袁紹のキテレツっぷりもいい! 胡母班さま達を殺させる狭量っぷりが
また! 明らかに若い頃の鷹揚さが無くなり、どんどん変になっていっている
ようですやねえ。
- 108 名前:左平(仮名) :2004/02/11(水) 18:12
- さて、遂に「無敵と思われていた」董卓の軍団を打ち破る男−孫堅−の登場ですよ!
当時の彼は長沙太守。数万の兵を集められる立場という事からすると、曹操より恵まれた立場
ではあるのですが、それを差し引いても快挙です。
挙兵に際し、王叡・張咨を殺害してはいますが、彼の履歴を汚すには至りません。
かえって、これによって袁術を恐れさせ、軍糧を得ています。
しかし、袁術自身は動きません。一緒に動いていれば、袁紹を出し抜く事もできたのにねぇ…。
序盤、徐栄に苦杯を喫しますが、祖茂の活躍もあり難を逃れると、胡軫を破り華雄を斬ります。
孫堅を恐れた董卓は懐柔工作を試みますが、これを突っぱねると、直接対決を迎えます。
(徐栄、こうしてみると曹操・孫堅に勝ってるんですね。いまいち無名ながら、実は大変な名将では?)
董卓は騎兵の機動力を活用し、擬兵を以って欺こうとしますが、これを完全に看破。董卓が陣を構築する
間も与えずに総攻撃をかけます。
もっとも、ひとたび劣勢をみてとると、董卓はすかさず撤退します。このあたり、無駄な戦いによる
消耗を避けるという怜悧さが見て取れます。
董卓の撤退後、呂布と孫堅が干戈を交えますが、呂布の武勇を以ってしても、孫堅には届きません。
というか、呂布の武勇が全く目立たない!それほどまでに、孫堅の名将ぶりが際立っています。
洛陽入城後、孫堅はある発見をします。皆さんご存知の、玉璽です。
孫堅が洛陽に入ると玉璽が光(気といってもいい?)を放ったという事は…彼の家が帝室になると
いう事か…。この噂を聞きつけた袁術が孫堅の妻を人質にとり、孫堅が戻ったところで今回は終わり。
…空想ですが、もし、袁術に見る目があったなら…。孫堅を立て、新政権を打ち立てる事もできたの
では…。もっとも、彼が人の下につく事ができれば、の話なのでまぁ実現可能性は0なのですが。
- 109 名前:★ぐっこ:2004/02/14(土) 00:13
- 読みますた!
うーん、今回は何というか、堅パパファンデーの如く!
侵攻ルートの実力者を次ぎ次ぎと殺しながら北上する男っぽさ、
徐栄はともかくとして、胡軫、華雄、呂布を連戦でうち破る
戦上手さ! このへん董卓と轡を並べた頃のすごみがあってよい!
所詮その董卓の部下には負けっこないわけですな…
袁術は、このあたりまではまだ兄よりまともだったのにね…
- 110 名前:左平(仮名) :2004/03/10(水) 23:12
- 妻を人質にとられた孫堅は、あっさりと玉璽を差し出しました。演義とはちょっと違います。
袁術も、これには上機嫌。孫堅は豫州刺史に任ぜられます。
当時、豫州刺史は孔チュウ【イ+由】でしたが、辞任し、その印綬を袁紹に預けていました。
後任として任ぜられたのは、周昂(周ウの弟)。
印綬を持つという点では周昂、朝廷に対する忠勤という点では孫堅。ともに、十全の正当性を
持たないだけに、決め手を欠き、激烈な争いとなります。
その一方、北では公孫サン【王+賛】と劉虞の争いが。結果は、公孫サン【王+賛】が劉虞を
殺害するというものでしたが、今回、それについてあまり詳しくは語られませんでした。
一方で、劉虞の依頼を受けた田疇が、使者として長安に赴き賞賛された事、そして、それに答
えるべく劉虞の子・劉和が派遣された事(そして、この劉和は孫堅と周昂の争いに少なからず
関与した)事が語られます。
まだ一族の仇・董卓が健在だというのに、袁紹と袁術が相争っています。
安定した勢力圏を渇望した袁紹は、逢紀の進言を容れ、韓馥から冀州を強奪します(その後韓
馥は自殺しますが、袁紹側が相当圧力をかけ、追い込んでいた様です。全く、悪どい事をする
ものです。韓馥には恤民の心がありました。そんな人物を死に追いやるとは。やれやれ。これ
では、荀揩ネらずとも見限りたくもなるか)。
官渡にはまだ数年ありますが、これでは曹操との戦いの結末も、おのずと見えてくる。そんな
感じさえしてきます。
董卓が長安にいた頃、関東の情勢はこんな感じでした。…こうしてみると、三国志に至る全体
像って、案外見えてないものですね。
- 111 名前:左平(仮名) :2004/03/11(木) 21:23
- 今回書かれた袁紹と袁術の争い、もう少し詳しく書くと…。
反董卓連合が為すべき事も為さずにいる様をみた劉虞は、朝廷(≠董卓)に対する忠勤を示すべく田疇を派遣。
↓
田疇は、「状のル−トをとり、長安へ(幽州から西に向かい、そこから一気に南下。争乱の中にある中原を避けた)。
↓
皇帝は、劉虞に対し、自分を救い出す様依頼すべく、劉和を使者にたてる。
↓
劉和はV状のル−トをとり、幽州へ向かおうとする(長安から南下し、中原を避ける)。
↓
袁術が劉和を引き留め、別に使者を幽州へ派遣。劉和は留めおかれる。
↓
劉虞、袁術と連携して皇帝を救わんとし、軍勢を派遣。公孫サン【王+賛】は、一族の
公孫越をつけ、隙あらば…と指示
↓
孫堅と周昂の戦いに、幽州軍参戦。公孫越は討死し、孫堅を援護するはずの幽州軍は崩れるも、
孫堅が、優勢になった事で気を緩めた周昂を攻め立て、勝利。
↓
公孫越の討死に怒った公孫サン【王+賛】、袁紹と対立
↓
公孫サン【王+賛】が冀州を攻めるのをみて、袁紹は、逢紀の進言を容れ、韓馥から
冀州を強奪。
↓
韓馥、自殺。
その一方、曹操は、鮑信とともに自らの勢力を徐々に固めつつあります。
- 112 名前:★ぐっこ:2004/03/12(金) 00:46
- 文春も読みこぼしたか…早く読まなきゃ…
- 113 名前: 左平(仮名):2004/04/10(土) 14:07
- 気がつくと、もう連載開始から三年。それで、今回のタイトルは『界橋』。皆さんなら、このタイトルでどのあたりの時期か見当がつくでしょう。先はまだまだ長い…。
遷都した長安において、董卓は思うがままに振る舞います。名将・皇甫嵩と和解(史書の記述を見る限りでは、不思議なほどこの経緯が穏やかなんですよね。皇甫嵩からすると、董卓は叔父の妻の仇のはずなんですけど…)した事と反董卓連合の分裂もあり、もはや恐れるものはなし。親族を次々と高位につけ、爵位を乱発し、自らを「尚父(太公望)」にしようと画策…。誰も止められないのか、と思いきや、蔡ヨウ【巛+邑】が懸命に諌言し、幾許かでもその暴走を留めております。彼の覚悟のほどについて言及したのって、宮城谷三国志が初めてでは?
正面から董卓を匡すことが出来るのは彼一人ですが、董卓を害せんとする毒は別に…。
一方、北に目を転じると、袁紹と公孫サン【王+贊】とが争っております(きっかけは、前回語られた、公孫越の戦死)。そんな折、異相の男が公孫サン【王+贊】のもとを訪れます。そう、劉備玄徳(←公孫サン【王+贊】のせりふの中で、一回こういう言い方をしてます)の登場です。黄巾との相次ぐ戦いに疲弊した感のある彼でしたが、ここで、名将の器との出会い、華々しい勝利があります。曹操と同様、着実に成長しつつあります。
タイトル通り、今回の山場は袁紹と公孫サン【王+贊】との大会戦です。公孫サン【王+贊】率いる白馬義従VS麹義率いる彊弩部隊との激突!
ビジュアル的にも絵になる戦の結末は…!
- 114 名前:★ぐっこ:2004/04/15(木) 00:23
- 見た( ゚Д゚)!
今回は、いよいよ本格的に三国志っ! サリゲに趙雲出てるのも
いいですが、やはり公孫瓉の格好良さが!田楷の地味さが!
宮城谷袁紹は、どうにも救いようのない狭量・狷介な小人ですが、
それでも界橋では漢を見せてたなあ…
麹義と公孫瓉と鄒靖って、多少任官時期は外れますが、度遼将軍
の指揮下で対異民族の校尉をやってたんですねえ。界橋はいわば
僚将どうしの争いでもあったわけで。
- 115 名前:左平(仮名) :2004/05/10(月) 23:53
- 今回のタイトルは「兗州」なのですが…実際には、孫氏を襲った悲劇と、その後の試練が主題といった感じです(勿論、兗州の
事もきちんと書かれてますよ)。
前回の最後に記されていた「思いがけない死」とは、孫堅自身のそれでした。袁術に愛想をつかしながらも、その指令をうけて
劉表と戦っている最中の出来事でした。(見方を変えれば)思いがけない殊勲を挙げた黄祖については、「劉表の軍事がまずく
ないのは黄祖の武列による」という記述があり、ん?という感じ。
そう、何だかんだ言っても、彼が孫堅を倒したのは事実。そりゃ孫堅や孫策には将器の点では及ばないにしても、もう少し評価
されてもいい人物ではあるんですよね。卑劣な事をしたわけでもないし(陳舜臣氏の「諸葛孔明」での書かれ方に近いですね)。
父を喪った孫策は、しかし喪に服してばかりはいられません。当時は在野であった張紘に教えを乞い(ここで「墨衰絰【ぼく
さいてつ:喪服・帯を黒く染めること。晋の襄公の故事から】」という言葉が出てきます。そう、当時の士人にとっては春秋
は必須の教養です)、呂範や兪河といった人物の支援を受けます。
一方、叔父の呉景は袁術の配下として前述の周ウと戦いますが、彼我の器量の違いは大きく、孫策は父の手勢の返還を願います。
…しかし、兵を借りるネタの玉璽はもう袁術に渡したのでは…?
孫策の行動を語る中で、陶謙や趙Gにも触れられています。
一方、タイトルの兗州についてはというと、黄巾の蜂起によって劉岱が戦死。その空白を埋める
存在として、曹操の名が浮上します。これを画策したのは、陳宮(能吏とされていますが、その
人物についてはまだはっきりとは描かれていません。こちらは次回待ちでしょうか)。また、この
頃には荀揩熨qの幕下に加わっています。程Gも、ぼちぼちでしょうか。
数十万にも達する敵の大軍に対し、曹操は数千を以って立ち向かいます。一体、どうやって戦うの
でしょうか。
- 116 名前:★ぐっこ:2004/05/13(木) 00:05
- うーん、孫堅死す! 劉表の軍事的な成功の影には、常に勇将・黄祖の
武勇があったわけで。それでも黄祖では孫堅に太刀打ちできなかったあたり、
格の差がありましたやね。
今回はけっこうペース早し。それだけ多くのことが短期間に集中したのかな。
孫策の挙兵もはじまってるし…
それにしても注目したいのは、周ウ。彼も生きてたら、結構面白いポジションに
いただろうなー。曹操にとって、揚州における鮑信になれただろうに、残念。
- 117 名前:左平(仮名) :2004/06/10(木) 21:52
- おっとと…結構下がってますね。
前回が孫堅の死でしたから、今回は…?と思いましたら、タイトルは「鮑信」でした。
そう、兗州における曹操対黄巾の戦いが今回の主題です。
曹操の軍勢+鮑信の軍勢は約一万。これで百万と号する黄巾とどう戦うのか…と思いましたら、
なかなかどうして。見事なものでした。
少数ゆえの機動性を生かして奇襲をかけ、大量の捕虜を得た曹操は、彼等に対し熱弁を振るいます。
「民を虐げたくはなかろう」と(王朝が民を虐げると言って叛旗を翻しても、明確なビジョンのない
黄巾もまた、結局は民を虐げる存在でしかない。また、いくら「平等」と言ったところで、やはり
上下の別はある。ならば、自分のもとで正道に立ち返らないか、とまぁこんな感じ)。
これに感じ入った兵達が曹操に仕えていき、いわゆる「青州兵」に至っていきます。
はじめは別に動いていたものの、行き詰まりを感じて曹操のもとに参じた曹仁は、そんな曹操の姿に
感化され、悍馬から駿馬への変貌を遂げつつあります。また、程G・毛玠も曹操のもとに参じ、その
勢力は確実に充実しつつあります(名前だけですが、曹純・曹休・曹真も登場します。曹休、この頃の
登場となると、蒼天での姿はちょっと若すぎる気がしないでもありません。まぁ、蒼天での登場を四十
手前くらいにみれば何とか、というところでしょうか)。
しかし、多くのものを得た一方で、喪ったものもまた、大きいものがありました。そう、鮑信の死です。
その死に様自体ははっきりしません。なにしろ、その部隊は殆ど全滅に近かったのですから。
捕虜を釈放する際にその遺骸の捜索を依頼したという一事をみても、その衝撃の深さが伺えます。
「『湯王に伊尹あり、文王に太公望あり』という如くに『曹操に鮑信あり』と言われる日を夢見ていた」
「天はわたしに丕業をさせないのか」
「独りでゆけという事か…」
曹操にとっては、恐らく生涯でただ一人の、二度とは得難い真の『友』。その死は、残された者にこそ辛い
ものとなりました。
…さて、何か忘れてはいませんか?そう、董卓はあれからどうなったのか?
彼が死んだ事は、ひとまず触れられました。しかし、その経緯は、次回以降に。
(王允に、既に呂布を味方にしている様な台詞が。一体、どうやって?)
- 118 名前:左平(仮名) :2004/06/13(日) 00:59
- ↑鮑信の死に対し曹操が衝撃を受けるくだり、何分立ち読みでしたので、再確認してみると表現は幾分
違ってる(例:文王→正しくは武王でした)のですが…まぁ、こういうニュアンスでした。
曹操もさる事ながら、史書の記述に基づく比較的淡々とした記述なのに、鮑信の清冽さが滲み出てくる
様です。
- 119 名前:★ぐっこ:2004/06/19(土) 15:32
- とうとう鮑信死んじゃいましたねえ…
弟に続き、兄弟そろって曹操に殉じる形に。曹操の身代わりで死んだ、
ってエピソードを採用するかと思ったのに、意外。
とにかく、曹操の前半生を支え抜いた「同志」にして「友」。
生きていれば生きていたで、また別の悲運に巻き込まれそうな忠臣タイプではありましたが…
- 120 名前:左平(仮名) :2004/07/10(土) 21:42
- まだざっとしか読んでないので何ですが…今回、遂に董卓の死が描かれました。
王允と呂布が接近したのは、二人とも并州の人であったという地縁から。まぁ、
それ自体は他の作品でも描かれてましたが、ちょっと違うところがあります。
それは、「董卓は既存の秩序の破壊者であるのに対し、呂布は既存の秩序の尊崇
者」という点。呂布は「飛将軍」と呼ばれますが、李広の如く、漢の将軍として
活躍し、位階を上げたいという意味での野心の持ち主とされています。
そのため、王允が呂布に対し、董卓の殺害を教唆した際の態度は、どこか理知的
でさえありました。
「蒼天」あたりと比べると、えらい違いです。物足りないと思われるかも知れない
というくらいに。
この謀議には士孫瑞らも加わっているのですが、どうも王允・呂布、あと李粛ら
だけでやった様な印象があります。この様な、危険を伴った謀議はあまり派手に
やるものではないというところでしょうか。
一見、骨のない様に見せ、董卓の油断を誘った王允の作戦勝ちといったところ
ではありましたが…董卓の配下にはあの男(蒼天では、頭巾の下は禿だったあの
男)がいるんですよね…。「稀代の謀略家」の活躍は次回、です。
- 121 名前:左平(仮名) :2004/07/11(日) 22:28
- 再確認〜。
そもそも、王允と呂布が接近した経緯自体が、従来の三国志とはちょっと異なってるんです。
ここでは、両者が知己になったのは、呂布が丁原を殺害するより以前の事。理由は、↑のとおり。
そうそう、もちろん何顒・荀攸も描かれてますよ。あと、董卓殺害時点での、部将達の配置も。
牛輔の最期に至る経緯、どう考えたものか…(董卓殺害の報が陝に届いたのがどのあたりなのか。
それによって、牛輔が陣営を去る時が大きく変わるし…。あと、易の判断?で董越を殺害すると
いう話をどう絡めるのか…)。
今回は、他の群雄についてのコメントはほとんどなし。それだけ、この事件は重大という事ですね。
次回もそうなりそうです。
- 122 名前:★ぐっこ:2004/07/18(日) 18:03
- 読んだ( ゚Д゚)!
確かに新鮮な呂布像でしたわ。
非常に率直に、同郷の名士である王允を尊敬し、心の底から
董卓にビビっている呂布!
権力が欲しいのではなく、名声が欲しい呂布! 皇帝になりたい
のではなく、大将軍くらいになってみたい呂布!
こうしてみると、何か呂布という存在が身近に感じられていいですねえ…
宮城谷版呂布、久々にヒットかも。つうかもう私の中のデフォルト(南蛮王除く)。
- 123 名前:左平(仮名) :2004/08/11(水) 20:55
- 今回のタイトルは「賈詡」。
出だしは、彼の奇才をみたはじめての人・閻忠の紹介からでした。もちろん、あのハッタリも描かれています。
陝から長安への進軍、呂布と郭氾の一騎打ち、そして長安市街戦。献帝にとって、はじめての輔弼となるかも
知れなかった王允は、脱出を拒み、ついに殺害されます。
蔡文姫の悲劇も、この頃の事として紹介されています(彼女の経歴もまた、曹操と他の群雄との差を示す論拠
との事)。
かくして、元・董卓配下が実権を掌握しました。皇甫嵩は朝廷にあるものの、もはや覇気を失った老臣。朱儁は
盟友もなく、中牟で孤立。…時代の流れの残酷さが、ひしひしと伝わります。
(皇甫嵩は、この後三公になっています。しかし、天候不順を理由に罷免されるなど、ただの傀儡に成り下がって
しまっています)
こんな中、ひそかに不安を抱く賈詡は、「権力の中枢にありながら、かつ、遠ざかる」という策を実行します。
(尚書となった後、ひそかに良材を推挙するなど、中立的なスタンスに立ちます)
やがて、彼らは内部分裂を起こしましたから、賈詡の危惧は当たるわけですが…それは次回以降の話です。
一方、長安から辛うじて逃れた呂布は、袁術を、続いて袁紹を頼ろうとします。
(この時点で自立を考えていれば…というコメントがあります。呂布の失敗は、情報の不足にあった、と)
しかし、丁原・董卓という二主を殺害したという経歴を持つだけに、露骨なまでに嫌悪感を示されています。
それにしても、今回の呂布の台詞は、前回にもまして従来のイメ−ジを覆しています。
↓こんな感じですからね。
「〜わたしは三公の下、九卿の上の地位にあった。代々三公九卿を出しておられる袁氏の総帥ともあろう
お方が礼儀をご存知ないとは〜」
- 124 名前:★ぐっこ:2004/08/13(金) 02:31
- 読みますた!
うーん、今回はイロイロと急変がありましたやねえ…
アサハル様んとこにも書き込もうかと思いましたが。やっぱり皇甫嵩の
最期の記述が…。なんか切なくなりますよねえ、ホント。
何でこうなっちゃったんだろう、みたいな焦燥というか絶望というか、
後悔みたいな気持ちはさすがにあったかもしれませんね、皇甫嵩。もし彼が
動いていれば、こんな事態は避けられたでしょうに…
こうしてみると、かえって閻忠の予言じみた忠告が、逆に皇甫嵩の義挙を足止め
する枷になってたかも…
で、この作品の呂布、いいですねえ(^_^;) なんというか素朴で不器用で。
漢室での忠義を志して流浪し、諸侯が自分を受け入れてくれないのに首を傾げる。
乱世向きでは無いと言う気も。
- 125 名前:左平(仮名) :2004/09/14(火) 00:05
- また結構下がってますね。
さて、今回のタイトルは「謀主」。前回のラストは、呂布を張燕討伐に使えないかと
袁紹達が考えるところでしたが…場面はがらりと変わります。
今回、最初のキ−パ−ソンになるのは、陶謙。朱儁を立てて上洛を試みるのですが、
彼が李カク【イ+鶴−鳥】・郭氾の誘いに乗ってしまったので失敗。都に近づこうと
すると、曹操の領域を侵す形になり、衝突(まだ曹嵩の話は出てません)。
何だか、そう悪いキャラでもない感じになってます。しかし、間が悪い。
また、皇甫嵩・朱儁とも、かつての栄光が完全に色褪せてしまった最期でした。
一方、拠点を得た曹操は、皇帝を迎える事を考え始めます。しかし、都へは遠い。その
為、張楊に通行の許可を得ようとして…何とか許可を得ました。その使者は都にも到達
しています。
(史書の伝をみても、この張楊、なかなかの好漢なんですよね。後に呆気なく殺されて
しまうのが、個人的には惜しまれます。ここでも、「常識は備えている」「計算高い人
間ではない」など、大物ではないにしても、人の良さを思わせる描き方です。)
実は、ここで董昭や鍾繇の名が出てきてます。しかし袁紹、董昭にも逃げられてたのです
か。何とも、勿体無い。
「事件の多かった」初平三年の事件、まだまだ続きます。
この頃の勢力図は、確か、
中心勢力 近い勢力
1 董卓(及びその残党)
2 袁紹 曹操、劉表
3 袁術 公孫瓚(とその配下【劉備込み】)、陶謙
こんな感じ。で、1は関西、2・3は関東を拠点にしてます。
今回描かれたのは、2と3の争いというところでした。
共に人材の使い方を誤り、潰し合いをしている様な感じ(そんな中で、曹操も賞賛して
いた袁遺はあっさりと死んでしまいます)。
しかし、怠惰な袁術は、気が付くと足元を劉表に侵食されていました。で、東に移動を
開始すると、曹操と…。
既に青州黄巾百万の大軍と渡り合い、将帥としての実績を気付きつつある曹操。次回は、
どうやらまた一度の乾坤一擲の大勝負になりそうです。
- 126 名前:★ぐっこ:2004/09/15(水) 00:27
- 読みましたー。
まず朱儁 憤死!
うーん…彼も皇甫嵩と異なった意味で…つうかより具体的に
天下を動かす位置にいたのですけれどねえ…
結局は遙かに格下だった李霪・郭レのともがらに振り回された
だけだったかと…。
曹操が帝を迎え入れる前段階のドタバタが、順を追ってかなり
克明に。このへん、スルーされがちだから興味深い。
一応、李霪を中心とした朝廷というモノがそれなりに機能していて、
でも東国の連中が言うこと聞いてくれないから困ってて…という内情
がなんだか可愛い。板東武者にオロオロしてる京の公家連中みたい。
曹操あたりがちょろっと勤皇の兆しを見せると、心底喜んだり。
それにしても宮城谷センセ、張邈様を責めないで…。・゚・(ノД`)・゚・
張邈さまはイザというときヘタレなだけなのよ…
うーん、そろそろ立ち読みだと追い切れない情報量になってきたなー。
早く単行本化してくれんものか…
- 127 名前:関龍白:2004/09/16(木) 10:17
- はじめまして。関龍白と申します。よろしくお願い致します。
単行本ですが、来月1,2巻発売だそうですよ
e-honの予約でそれぞれ10月上旬、下旬発売になってました。
- 128 名前:左平(仮名):2004/09/19(日) 00:43
- ↑遅くなりましたが、貴重な情報、有難うございます。しかし二巻一挙に、とはまた…。
第二巻で梁冀、という事は…一巻で一年分くらいといったところでしょうか。
それにしても、ぐっこさん。
李「錺」
↑この字は一体?字典で見ると、国字なんですけど。
- 129 名前:★ぐっこ:2004/09/19(日) 01:58
- 何ィィィィィ!!!?( ゚Д゚)
関龍白さま、初めまして! そして情報ありがとうございますッ!
ぐわ…マリみて新刊と宮城谷三国志の双方が出版されるとは!
今年の10月は神なのか!? 神の月なのか!?
二冊がかりでも、どう考えても黄巾ちょっとくらいまでしか進まない
宮城谷ワールドに燃えるしか!
- 130 名前:左平(仮名):2004/10/11(月) 18:00
- 今回は、普段の連載に+αがあります。「曹操と劉備 三国志の世界」と題された随筆です。
まず、「三国時代」の定義と参考文献。といっても、ここで挙げられているものの多くは、
三国迷であれば必読レベルかも知れません。「三国志全人名事典」も挙がってます。
続いて、「組織の創立者の与える影響」。光武帝による皇后の廃立は、必然的に皇太子の
廃立も伴ったが、それは王朝を不安定にする遠因であった。また、内朝(後宮、宦官等)が
権力を握った結果…。
さらに、後漢末の諸勢力の概要。「三国漢季方鎮年表」というものがあるそうです。
そして、メインテ−マ。
@西暦190年代前半の状況について言うと、関東においては袁紹と袁術が対立しているという
のは既出ですが、「この時点においては」彼らのスタンスは微妙に違っていたとしています。
「自身が新王朝をたてるという野心をあらわにしている」袁紹に対し、「漢室を尊重する様に
振る舞う(本心は袁紹と同じ)」袁術という図式です。その故、「勤皇の士」であった呂布は、
当初袁術を頼ろうとするが…と。
また、袁紹の限界を示す具体的な事例として、韓馥の悲劇を例示しています。
Aそして、タイトル通り、曹操と劉備の比較です。「曹操は〜不羈の人とみられるが、実は、
妥協を重ね、己を殺してきた人である(彼が多くの敵を許したのは、相手が『社会的に有益な
人物であるから』)」。自身を公的立場に置かざるを得なかったが故、としているあたり、
『蒼天航路』とは全く違う観点で曹操をみている事が分かります。
一方、劉備は、字の『玄徳』が示す様に、道教的な側面を強く持つ人物である、とします。何
よりも「劉備は劉備である」事を重んじ、融通無碍。それ故、儒教的には、呂布の方がよほど
まともであった…と。
一方で、歴史的にみれば、劉備の様に融通無碍である方が、本来戦いには強いものだが…という
あたりの指摘がまた、興味深いものがあります。
この時代の面白さってのは、案外、そういうところにあるのかも知れません。
そして、待望の第一巻の発売日は、10月14日(木)だそうです。
- 131 名前:左平(仮名):2004/10/11(月) 18:22
- そして、今回。タイトルは、確認を忘れました。
まずは、袁術VS曹操の対決です。とはいっても、結果は曹操の圧勝でした。
兵力は袁術の方が大きかったのですが、将帥の差が、否応なしに出てきたのです。
袁術には、いいところ全くなし。(包囲されつつあるのをみて)脱出するべく盛り
土をよじ登れば土を浴び、ようやく降りたら馬に蹴られて草を噛む。逃げ込んだ先
では、堤防を破られて水攻め…。辛うじて脱出はしたものの、逃げ足が速いのだけ
が救いとは、また。
そして、それに続き曹操VS陶謙。互いに嫌悪感を示す両者の、戦いの火蓋が切られ
ようとするその矢先…曹嵩が殺害されます。なお、ここでは、曹嵩殺害は、陶謙の命に
よるものとしています。
先の随筆では、この陶謙はなかなかの人物として書かれていますから、ちょっと不思
議な感じがします。前に孫ぽこさんがおっしゃってた通り、まさしく「謎の人」。
勿論、父を(さらに弟も)殺された曹操が黙っているはずがありません。前もって、
「これはただの復讐戦ではない」という大義を掲げた上で、孟卓に後事を託し、戦いに
赴きます。
この戦いにおいては、曹操は「敵は全て殺せ」ってな指示を出しています。その為、大
量の戦死者が出ています。いわゆる徐州虐殺をどう扱うか…ここらが参考になるので
しょうか。
曹操に敗れた陶謙は、田楷に救援を依頼し、ここで、久々に劉備達の登場と相成ります。
関羽・張飛ともに「徐州に向かうべし」と主張し、劉備もその通りにするのですが、ここ
での関羽の存在感がまた大きいんです(完全に劉備をリ−ドしてます)。ただの猪武者では
ありません。豊富な人生経験に加え、これからのとるべき道を提示してみせるあたりは、
『蒼天』での関さんを思わせます。
- 132 名前:関龍白:2004/10/12(火) 20:46
- ぐっこ様、左平様、皆様こんばんは。
今回のタイトルは「徐州」です。
あと単行本は3巻まで発売されるそうですね。
2巻は28日の予定らしいです。
1巻13話ぐらいになりそうですね。
あと三国志とは違いますが、
今月末に「古城の風景」というのも発売されるらしいです。
- 133 名前:左平(仮名) :2004/10/14(木) 23:57
- 本日、宮城谷三国志第一巻が出ました。で、則購入しました。
第一巻は、12の章(第○章という書き方ではなく、それぞれの回
に「○○」というタイトルがついている)から成り、初出は200
1年5月号〜2002年5月号分です。
楊震の出仕から、順帝崩御〜質帝即位までが描かれています。
このぺ−スですと、関龍白さんのおっしゃる様に、1巻で12
〜13回分のボリュ−ムですね。
と、なると…第三巻のラストは、今年の5か6月分のあたり
でしょうか。孫堅か鮑信か。
- 134 名前:一国志3:2004/10/17(日) 21:24
- ご無沙汰しています。
近所の書店に立ち寄ってみたとき、宮城谷三国志を購入していました。
文芸春秋の立ち読みで、大まかなあらすじだけは頭に入っていました。
後漢の歴史の流れや人物像には詳しくないので、よい勉強になりました。
暗愚な安帝の在世が終わり、順帝の在世に入ろうとするあたりまで
読み進めました。連載時には若かりし日の曹騰を書き込んだと記憶しているのですが、
改めて読み直してみたいところです。
- 135 名前:★ぐっこ:2004/10/17(日) 23:44
- Σ(;;゚Д゚) 忘 れ て た !
つうか今週はもう何がなんだか…
明日必ず買おう。HDも買わなきゃだめだし。
確か今月は三国志関連の本が集中してたような。
それにしてもハードカバーの小説買うのって久しぶり…
これまでの宮城谷作品、全部図書館で読んで、文庫版待って
買ってたからなあ…
- 136 名前:左平(仮名):2004/10/18(月) 21:02
- 今日、帰りに書店に寄ってみましたら、積んであった宮城谷三国志の横に、何かありました。
何かなと思い手にとりますと…第一巻の表紙と同じ印刷がされている、全8ぺ−ジの小冊子
でした。
文藝春秋から「本の話」という冊子が出ており、その11月号に「後漢という時代」という
タイトルの、宮城谷氏の随筆が載っているそうなのですが、この小冊子には、その「後漢と
いう時代」と後漢帝室の表(これ自体は第一巻にも添付されてます)、そして、第一期となる
一〜三巻の主要登場人物が記載されています。
もちろん、他の本を買うついでに一冊持って帰りました(自由にとってよい性質のものです
ので)。
裏面がハガキになってます。
- 137 名前:★ぐっこ:2004/10/21(木) 00:40
- 読み始めた( ゚Д゚)!
うーん、通しで読むと流れが分かる!…でも、まだ半分くらい。
安帝崩御のあたり。マジにこれ三国鼎立まで何巻までかかるんだろう…。
アサハルさまのとこの後漢祭も近いことだし…あ、そういや党錮小説
止まったままだった(;´Д`) リメイクしてたら間に合わないか…
>>136
うらやますぃ…。近所の本屋にあるかしら…
- 138 名前:左平(仮名):2004/10/21(木) 01:19
- >小冊子
これを見つけたのは、広島では最大規模のジュンク堂書店です。
なので、大きい書店でしたらあるかと思われます。
今後の発売日は…先の小冊子によると、第二巻が10月下旬(関龍白さん情報では28日)、
第三巻が11月上旬とのことです。ちなみに、小冊子には、第一巻の発売日は10月中旬
(実際の発売日は10月14日でした)と書かれてました。
- 139 名前:関龍白:2004/10/21(木) 19:19
- 小冊子ですが三宮や明石(共にダイエー内)ののジュンク堂で見かけましたよ。
- 140 名前:関龍白:2004/10/23(土) 00:05
- 第二巻発売日ですが今日文藝春秋ホームページを
確認すると28日になってました。
- 141 名前:左平(仮名) :2004/10/28(木) 23:16
- 関龍白さんの情報通り、今日、第二巻が発売されました!
もちろん、即購入。帰りの電車の中で読み始め、先ほど読了しました。
第二巻収録分の初出は、平成14年6月号〜平成15年5月号。
質帝即位〜黄巾の乱までです。
やはり、単行本になりますと、サクサクと話が進んでいきますから、筋が
よく分かります。
しかしこうしてみると、後漢王朝、桓霊の間はほんまにガタガタですね。
話が進むにつれ、政治がますますひどくなる一方なんです。
- 142 名前:関龍白:2004/10/29(金) 17:10
- 私も購入しました。
付録の「三国志」の美将たちというのもついていますね。
すでに11日発売の3巻が待ちどうしいです。
- 143 名前:左平(仮名) :2004/10/31(日) 23:06
- 文藝春秋のサイトで、関龍白さん情報を確認しました。
…ただ、先の小冊子などでは「第三巻は11月上旬」と書いてるのに11日では
違うだろ、というツッコミを入れたいところ。
- 144 名前:張白騎:2004/11/01(月) 18:04
- 2巻私も購入しました。
三国志の美将たちの裏にある3巻の主要人物を見てますます
買いたくなりました。私の名前の「張白騎」も登場してもら
いたいです。(文藝春秋読んでいないので出るか知りません)
- 145 名前:★ぐっこ:2004/11/04(木) 01:30
- 私もようやく先週末ゲト…
でも読むヒマが…。昨日あたりから電車で読み始めましたので、
一段落したら報告を!
それにしても、二巻にしてようやく黄巾か…
>小冊子
ありましたー! ダイエー三宮に!
- 146 名前:左平(仮名):2004/11/10(水) 23:41
- おっと…またもタイトルを見逃してました…それはそうとして。
今回は、曹操の攻撃によって疲弊した陶謙のもとに、劉備が援軍に
赴いたところから始まります。
陶謙とそのパトロン・麋竺に、好感をもって迎えられたところから、
劉備の飛躍が始まる…と言いたいところですが、肝心の劉備の台詞は
ほとんどありません。また、次回以降のお楽しみですね。
一方、他勢力の動向はというと…
まず、公孫瓚が劉虞を捕え殺害します。この事は、先の界橋の戦いでの
敗北とともに、彼の滅亡の一因でしょう。
戦下手とはいえ、皇帝の信頼も篤く、民心を得ている劉虞を殺す事が、
どれほどのマイナスか…劉備が飛躍しつつあるこの頃、公孫瓚は破滅に
向かいつつあります。
そして、曹操は、再度陶謙との戦いに挑もうとします。しかし、鮑信亡きあと、
彼が最も信頼している親友・張邈の様子がどうもおかしいのです。
直接の理由は、ひそかに呂布をかくまっていたことが曹操の怒りを買いはしない
かというところなのですが…この時点においては、曹操と呂布の間に格別の遺恨
があったとも思えないし…。
曹操も気付かなかった張邈の煩悶の理由。それは、勇名を得た曹操に対するひけ
めと、屈託無く「天子のために」と言い切れる呂布に対するある種の憧憬でした。
彼もまた、反董卓連合の時に、曹操・鮑信のように行動できなかったことととも
に、この煩悶の末の決断によって身の破滅を招く事になります。
「自分は、人を信じるという点においても孟徳に劣るか」
そう、自嘲気味に呟く張邈。英雄にはなれなかった人の悲劇です。
それにしても…ここでの張楊は、なかなかの大物です。呂布をして
「ものがちがう」と言わしめてます。
- 147 名前:★ぐっこ:2004/11/11(木) 00:47
- 読んだ!( ゚Д゚) …て二巻のほうですけど。
党錮ッ! 二巻終盤にしてやっと党錮! 竇武さま。・゚・(ノД`)・゚・
うーん、やっぱり桓帝を帝に選んだ時点で、後漢もうダメポなうえに、
霊帝が輪をかけて駄目というのが。桓霊の間って、本当に良いこと無い
ですな…
そしてそういうドロドロした宮廷劇からふと目を離して文春の方を見れば、
既に英雄が百出して覇を競う大乱世! このへんの流れがスムーズに実感
できる宮城谷三国志(・∀・)人( ̄ー ̄)人(´_ゝ`)ノワショーイ!
…というわけで明日にでも文春読もう…
- 148 名前:左平(仮名):2004/11/11(木) 22:30
- 本日、第三巻を購入しました。これで第一期が出揃いました。
と同時に、プレゼントの応募の開始です。
第三巻は、平成15年6月号〜平成16年5月号…半年前まで収録
されてます。黄巾の乱から界橋の戦いのあたりまで。
前に書き込んだのは、一月ほど勘違いしてたようです。
第一巻が安帝〜沖帝、第二巻が質帝〜霊帝、第三巻が霊帝〜献帝
ということになるわけですが、いよいよ三国志の物語に突入した
ということもあってか、密度が濃くなってまいりました。
なお、第三巻の付録は、先の文藝春秋に掲載された宮城谷氏の随筆
です。
- 149 名前:左平(仮名):2004/12/10(金) 23:06
- 今回のタイトルは、「済民」。ちなみに、前回は確か「親友」でした。
今回の、各群雄の状況。
曹操…
再びの徐州攻め。虐殺についても触れていますが、あまりくどくどとは書いていません。ただし、
諸葛兄弟の名が出ているあたりで、この挙が曹操にとってマイナスであった事を示しているのかと。
袁術…
曹操に破れ、南陽を追われる形で揚州に入りました。ここでは、彼の虚名はまだ有効です。孫策は、
その虚名の故に袁術に近づき、まずはその美貌で周囲の心を捉えます。もちろん、彼は見てくれだけの
人物ではありません。既にその器の一端を垣間見せております。
それはそうと、袁術配下の将「喬蕤」…まぁ、橋蕤のことなのですが、あえてこちらの書き方をしたと
いうところに含みがあるというのは深読みでしょうか。
(「呉書見聞」において、孫ぽこさんがここらの考証をされてましたよね。ひょっとしたら、孫策と周
瑜が二喬を娶ったのって、この時に喬氏と何らかのつながりを持ったのと関わってたり、ってことは…)
劉備…
陶謙を助け、曹操と戦います。その人となりを真に理解できるものはおらず(側近の関羽でさえその理解は
不完全。彼は、儒教的な観点ではなく道教的な思考を以って見るべし、と)、その戦いぶりには曹操が首を
ひねります(兵法完全無視!)。
次回は、曹操大ピンチとなりそうです。
陶謙が亡くなり、麋竺・陳登(!)によって徐州を託されますが…受諾するまでに一波乱。
- 150 名前:関龍白:2005/01/09(日) 21:10
- 遅ればせながら
あけましておめでとうございます。
今月は8日発売でしたね。
曹操対呂布、前哨戦というところでした。
それにしてもプレゼント、いつ届くんでしょうね。
お茶会来週なのに・・・
- 151 名前:左平(仮名):2005/01/11(火) 23:15
- さて…関龍白さんのおっしゃる通り、今回は曹操対呂布の前哨戦でした。
ただし、前半はこれでもかといわんばかりの曹操の危機でしたが。
タイトルは「三城」。
弟の教唆を受けてもなお曹操への一応の信頼はあった張邈ですが、気持ちは
揺らぎます。そんな彼の煮え切らない姿勢にけりをつけたのは、陳宮でした。
袁氏ではなく、呂布を引き入れるという発想と、曹操の謀士であった陳宮の
寝返りという事態をうけ、ついに、というわけです。
この事態を受けて動いたのは、荀掾E程G、それに夏侯惇でした。途中、夏
侯惇が人質にとられる(ここは韓浩の見せ場)という場面はありましたが、
兗州80城のうち実に77城(約96%!)までが呂布・陳宮の勢力下に落
ちるという絶体絶命の危機を巧みに凌いでいきます。
そして、無事に曹操が帰還。もちろん、このままでいるはずはありません。
今回、他勢力の動きについては特に語られませんでした。
- 152 名前:左平(仮名) :2005/01/18(火) 22:37
- そういえば、もう15日過ぎましたが、何も音沙汰がありません。
文藝春秋のサイトを見てもよく分かりません…。
- 153 名前:関龍白:2005/02/04(金) 21:32
- カラー絵地図、今日来ました。
単行本は三年おきに三巻ずつ刊行予定とか。
次は2007年10月ごろでしょうか。
- 154 名前:左平(仮名) :2005/02/08(火) 00:03
- こちらにも届きました。昨日あたりに届いてたみたいで、今日気付きました。
「後漢末概念図」とあります。第二期以降も何かあるのでしょうか。
- 155 名前:左平(仮名) :2005/02/09(水) 23:34
- 休日とのからみでしょうか。今日、コンビニに文藝春秋の今月号がありました。
前回に続き、今回も、曹操の危機が続きます。呂布の篭もる濮陽を包囲するも、
青州兵も打ち破られるわ、内通者を頼りに突破を試みるも、あっさりと返り討ち
に遭うわ…。ここだけ見てると、いつ破滅に至ってもおかしくないくらいです。
そんな中、一大転換点となったのは…蝗でした。
糧秣が尽き、決着がつけられなくなったわけですが…一時は袁紹の下につく事さえ
考えた曹操は、程Gの諌言によって息を吹き返します。
一方で、呂布の方は、糧秣を巡って豪族達と衝突したりして、その勢力が漸減します。
その結果、定陶の戦いにおいて、曹操が勝利。
そして…もはや曹操の友には戻れない事に意気消沈した張邈は、呂布と離れ、袁術の
もとに援護を求めたところで、あえない最期を遂げました。
呂布は、今や徐州の主である劉備のもとへ。波乱はさらに続きます。
- 156 名前:★ぐっこ:2005/02/10(木) 01:03
- _| ̄|○ 実はソレ送るの忘れてたんよ…
切手貼ろうと思って引き出しに入れたまま…
三巻とも買ったのに…
- 157 名前:左平(仮名) :2005/03/10(木) 01:36
- 今回も、既にコンビニに文藝春秋がありました。はて。
それはそうと、今回のタイトルは「雍丘」。ようやく窮地を脱した曹操に、そろそろ光が見えてきました。
既に兗州の殆どを奪回し、残るは張超の立てこもる雍丘のみ、という時点で今回は進みます。
天子を迎立すべく、関西の情報を収集する曹操。そこに、天子からの使者がやってきます。
(以下、しばらくは関西の情勢について)
李カク【イ+鶴−鳥】、郭レによる主導権争いが激化する中で、天子はないがしろにされます。
そんな中、キ−パ−ソンとして浮上したのは劉焉父子でした。
まず、都にいた末子の劉璋が益州に派遣されました。表向きは、劉焉の奢僭を咎めるということ
でしたが、実際には、この状況を打開すべく工作するようにほのめかしたというわけです。
彼は、涼州の雄・馬騰を使おうとし、実際、そこまではうまくいきました。
馬騰は韓遂も誘って上京。その実力は確かでした。
しかし、李カク【イ+鶴−鳥】、郭レもそうやすやすとは倒されません。この目論見はあえなく
潰え、劉焉は二人の子を失う羽目になりました。
しかし、ここでの韓遂、なかなかの器量です。けっこう楽観的な馬騰に対しそれを戒めるような
ことも言ってますし、こんなふうな事も言ってます。
「腐敗した王朝は毒だ。董卓の死は、いわば毒にあたったのだ。李カク【イ+鶴−鳥】・郭レも
またその毒の中にいる」
「乱」に生きた蒼天での韓遂とはまた違った味の持ち主ですね。
そして、今回の最後に語られたのは、臧洪の最期でした。旧主・張超を助けんがために袁紹と戦い、
捕殺されるのですが、かくの如き壮士を殺すとは…ということで、また袁紹の株が下がった格好。
(ここで陳琳が出てくるのですが、臧洪に「このまま袁紹のところにいても…」と言われてるのが、
その後を暗示してた…のでしょうか)
- 158 名前:★ぐっこ:2005/03/28(月) 00:31
- 読んだのはちょっと前ですが…
張超カコイイ( ゚Д゚)!
雍丘に立て籠もる、反曹操連合最後の砦ってカンジで!
張邈様はともかくとして、張超の反骨が遺憾なく発揮されていて
いい話ですた。
宮城谷三国志で男を上げた人物の大なるは、むろん皇甫嵩でしたが、
蒼天以来の存在感を見せた鮑信、そしてこの張超。
あと、ナニゲに梟雄っぷりを発揮してる劉焉もいいなあ…
- 159 名前:左平(仮名) :2005/04/12(火) 01:00
- ちょっと以外な人物にスポットが当たりました。今回のタイトルは、「楊奉」。
樊稠亡き後、李カク【イ+鶴−鳥】・郭レの争いが激化し、愛想を尽かした天子は、
ついに東帰の意思を示します。
張済の仲介などもありつつ、天子一行は徐々に東に向かうのですが…なかなか一筋縄
にはいきません。
董卓死後、ひっそりと暮らしていた段煨を頼ろうとすると、仲間割れみたくなるわ、
李カク【イ+鶴−鳥】・郭レの追撃に遭い、公卿達にも多数の戦死者が出るわ…。
ただ、時に失敗しながらも、ここでの楊奉、なかなか格好いい存在になってます。
この段階では、天子の存在はもはや災いの元みたくなっており、現に、楊奉が昔の
縁で助力を仰いだ白波の賊(とはいっても李カク【イ+鶴−鳥】・郭レ達との戦い
では彼らが官軍みたくなるという逆転現象も発生)等は、「天子を奉じて東に向かう
のは賢い選択とはいえない」という様な忠告もしています。
しかし楊奉は、敢えて義によって、という立場をとり続けます。もし、彼に政治的な
知見を持ったブレイン(たとえば賈ク【言+羽】とか)がついてれば、また違った展開
もあったのでしょうか。
そんな気にさせられる回でした。
- 160 名前:左平(仮名):2005/05/11(水) 22:31
- 前回から場面は変わりまして…今回のタイトルは「孫策」。
前回、天子がなかなか動かなかった理由として、各地にいる実力者のうち、勤皇の志のある
者を頼ろうとした…というのがいわれていました。
今回は、その候補の一人であった袁術のところから始まります。
とはいえ、彼には既に勤皇の志などありません。むしろ、現状をみて覇を唱えようという
具合です。
群臣達にはその無謀さが分かってますから、主簿の閻象は諌言し、名士・張範(三弟の名は
張昭。といっても彼らは河内の人なので呉の張昭とは同名別人)も徳を積む事を勧めます。
でも、もはや聞く耳を持ちません。
そんな中、孫策はそのもとを去ります。袁術のために働きながら報われないのに
嫌気がさしたのです。
袁術は孫策の才略をみず、古参の者【…自分のために働いた者】を重用しました。
それは、自らの王朝をという野心とは裏腹に、新時代を作れる器ではないという
ことを示すものであった、ということですから、何とも皮肉な話です。
一応の了解は得たものの、ろくな手勢もないまま飛び出した孫策でしたが、ここから
奇跡とも言うべき快進撃が始まります。
劉繇との戦いにおける鮮やかな勝利(もちろん、対笮融戦もあり。ここでの笮融は、
いわば小型の李カク【イ+鶴−鳥】と評されています)、ともに美貌を持つ親友・周瑜
との再開(容貌は孫策>周瑜という評価)…。なるほど、いろいろな意味で絵になる回
です。
- 161 名前:左平(仮名):2005/06/11(土) 01:12
- 今回のタイトルは「素志」。
張超を滅ぼし、ようやく兗州平定に成功した曹操は、天子を迎えることを考えます。
ただ、当時の情勢は、まだまだ微妙でした。というか、既に公孫瓚を追い詰め、河北の
派遣を握りつつあった袁紹が選択を誤らなければどうなっていたのか、というところ。
(今回の時点では公孫瓚はまだ生きてますが、もう抜け殻みたくなってます)
当時の彼のもとには沮授という偉材がおり、曹操(とその幕僚達)と同じく、天子の
迎立を考えていました。
しかし、袁紹は聞く耳を持ちません。沮授の意見に反対した郭図を派遣し、天子の周囲
を探らせたのですが、その結果、郭図も天子の迎立に賛成の立場になると、それらの意
見を無視します。
軍事に冴えを見せた公孫瓚との戦いという逆境にあってはそれなりの輝きを見せた袁紹
ですが、ひとたび順境に立つと、緩んできた様です。
彼もまた、己の野望の為に乱世を望みながらも、その器は乱世には向かなかったという
悲喜劇を演じることに…。
そして、今回のラストあたりで、ついに曹操は天子を迎えることになります。この時の
キーパーソンは、またしても張楊。呂布とともに篤い勤皇の志を持つ彼ですが、天子の
行く先が見えると、静かに去りました。
…何というか。かなりの大物の雰囲気です。袁氏の二人よりもはるかに大きいのですが
…なぜ、これほどまでに野心を持たないのか。むしろ、ちょっとくらい持った方がいい
のに、といらぬ心配をしたくなるくらいです。
- 162 名前:★ぐっこ:2005/07/06(水) 01:54
- ようやく私も読みましたよー。ちょっと前でしたけど…。
私的に失念してたのは郭図の立ち回りだったり(^_^;)
彼も一廉の男だったという再認識したり。
袁紹は結局、衆議にかけるくせに自分の意見を押し通す癖
があるタイプで、本当に読めば読むほどウチの社長に似てる
と思ったり(^_^;) さだめし私は郭図あたりか。
張楊は行動が爽やかなわりに存在感が地味なんですよねえ…(^_^;)
あと、董承の渋さに萌えた(*´ヮ`) そこまでするか!というくらい
せこくてダーティなところがイイなあ…。コイツ曹操暗殺してどうする
つもりだったんだろ…
- 163 名前:左平(仮名):2005/07/08(金) 23:44
- 今回のタイトルは「新都」。まだ8日ですが、10日が日曜日だからか、もう文藝春秋が出てました。
電車の時間があったのでいささか流し読みですが、↓こんな感じの回でした。
ついに曹操が天子を迎えます。この時仲介に入ったのが董昭。袁紹のもとを去ってからいろいろあった
わけですが、本作の董昭、なかなかの大物キャラですね。
董昭もれっきとした勤皇の士ではありますが、志は貴いけれど惜しいかな政治手腕に欠けた楊奉とは違い、
その現状認識は非常にしっかりしています。
現状は、ありていに言えば「周の襄王の御世に似ている(※作品中、そういう言葉があったわけではあり
ませんが、曹操を晋の文公【重耳】にたとえているのを考えると、そんなふうに思いました)」。
曹操もまた、それに近い認識を持っています。なので、曹操は、天子に甘い庇護者ではありません。
それにしても、政治的力量は董承>楊奉(曹操などからみると実に低いレベルですが)に対し、勤皇の
志は楊奉>(越えられない壁)>董承という図式は面白いですね。元白波賊の故、とかく低く扱われがち
だった楊奉ですが、1800年以上の後に、思わぬ栄誉に与った形です。
「三国志]T」の顔グラが格好よくなったり「義理」の数値が上がったりして。
ただ、ともに勤皇の志を抱く者であっても、その想いにはずれがあります。
すっかり荒廃した洛陽の有様をみて、曹操は許への移動を行うわけですが、たとえ廃墟ではあっても
天子は洛陽に想いを残しているというのを知る楊奉は、それを専横とみなして戦い、そして敗れると
いう事態に至ります。
張楊もそうですが、ちょっと切ないものがありますね。
後半は、荀攸、鍾繇、それに郭嘉も登場。曹操のもとに続々と人材が集まってきます。
そんな曹操のもとにやって来た、腕長耳デカの男。次回、この男が波乱を呼ぶ…?
- 164 名前:★ぐっこ:2005/07/14(木) 01:20
- 立ち読みしましたー(*´ヮ`)
相変わらず、宮城谷三国志読んでると、自分の不勉強つうか、この
献帝周辺の人物に対する無関心さが恥ずかしくなってきますね…
まさか楊奉や韓暹あたりが、質朴な勤皇主義者だったとは思っても
いなかったわけで。
( ゚д゚)ハッ! それで光栄三国志シリーズの楊奉はやたら格好いい訳か!?
張邈と顔交換してるけど…こっちの楊鋒だっけか。
腹黒くい董承も新たな魅力がプンプン。早く四巻でないかな〜(*´ヮ`)
- 165 名前:左平(仮名) :2005/08/10(水) 23:13
- 今回のタイトルは「張繍」。とはいえ、今回は、曹操のもとにやってきた異相の男−劉備から始まります。
「英雄、英雄を知る」と言いますが、曹操の前に立つ劉備の姿は、英雄には遠く見えました。程G・郭嘉がともに
「劉備は英雄である」と評し、曹操自身、現時点の劉備は斉の桓公のもとに身を寄せた晋の文公の立場に似ている
と感じつつも、いまひとつ実感が湧かない様子です。
これって、いわゆる「岡目八目」ということなのでしょうか。曹操が英雄であるが故に、同じく英雄である劉備の
持つ何かに気付かない。英雄でない程Gや郭嘉にはそれか見えた…。
一方、南に目を転ずると、張済が亡くなり甥の張繍がその軍団を引き継ぎました。彼は、曹操と比べるとやや器量
は劣るものの、自らに何が足りないかは自覚しており、それを補う者−賈ク【言+羽】を招きます。
そして、天子を擁した曹操は、周辺のうち、最も弱い部分である宛にいる張繍に狙いを定めるのですが…
ここで、賈ク【言+羽】の知略が発揮されます。まともに戦っては劣勢は明らか。となると、手段は一つ。
そう、奇襲です。
いったん降伏した後、一挙に本陣を衝く。事実、この策はあたり、曹操は嫡男・曹昂を失うという大敗を
喫することに。
…ただ、ここの流れについては、二つの理由により、えらくすっきりしたものになってます。
一つは、典韋が名前すら出てこないこと。
もう一つは、張済未亡人と曹操との××な関係に触れられていないこと。
なせ触れなかったのかはよく分かりませんが…ただ、それだけに、「何故曹操ともあろう人
がここでかくもあっさりと大敗したのか?」という感がよりいっそう強くなります。
そのショックも覚めやらぬ時に、袁紹からの無神経な書状。まさかそれだけのせいでもない
でしょうが、曹操、ついに打倒袁紹の思いを明らかにします。さて、次回の展開は…?
- 166 名前:左平(仮名):2005/09/18(日) 19:53
- 今回のタイトルは「僭号」。袁術が帝位を僭称しました。
人の感情を逆撫でするが如き書状を受け取った曹操ですが、客観情勢はかなり不利。曹操自身、打倒袁紹を考えた
ものの、見通しは立たない状態です。
なにしろ、相手は既に河北の四州を制しているのに対し、こちらは二州。天子を擁してはいても、相手はその威光
など屁ほどにも感じていないのですからどうにもなりません(互いに憎みあってはいても、このあたり、袁紹・袁
術は似たもの同士)。
それに加えて徐州には呂布、涼州には諸軍閥。南はまだしも、三方から囲まれはしないかという恐怖があったわけ
です。
それを救ったのは、荀掾E郭嘉、そして鍾繇でした。荀掾E郭嘉は曹操の美点と袁紹の失点とを挙げ勇気付け、鍾
繇は侍中兼司隷校尉として涼州の有力者である韓遂・馬騰を懐柔。さすがの曹操も、この時は、優れた配下達の威
徳に心底感心しております。
一方、徐州に目を転じると、呂布がその支配権を獲得する経緯が描かれます。ここでも、劉備は冴えません。迎え
入れた筈の呂布の気まぐれに翻弄されまくってます(まぁ、呂布に翻弄されまくったのは何も劉備ばかりではない
んですけどね)。
そんな、一見すると何を考えてるのか分からない呂布ですが、曹操はその行動原理を見抜きつつありました。端的
にいうと、「我こそは漢の忠臣。我に逆らう者は皆逆臣」ということです。
…ある意味、ジャイアニズムの側面がありますね。ともかく、その故に、僭称した袁術と戦うことになります。
しかし、袁術、うまくいけば、孫堅(+孫策)・呂布という二大勇将を抱えていただろうに、という指摘は、なか
なか面白いですね。彼の怠惰さが、自身のみならず呂布をも負のスパイラルに巻き込んだ…
- 167 名前:左平(仮名):2005/10/09(日) 00:03
- うわ〜!せっかくの書き込みが消えてしまった〜!!…書き直し。
今回のタイトルは「高山」。今回描かれた具体的な事件のことという
より、建安二〜三年の情勢を概観したタイトルの様です。
まずは、袁術僭号をうけての江南の情勢。
孫策は、袁術と絶縁し、攻める準備を進めます。しかし、こうしてみる
と袁術の認識の甘さが分かりますね。この頃、孫策の勢力は既にかなり
のものになってます。かつては身近におきその器量は把握していたはず。
その彼を敵に回すことがどれだけの損失か。ちょっと考えれば分かろう
ものを。
もとの揚州刺史・陳瑀が孫策の隙を衝くべく厳白虎らとともに攻めようと
しますが、あっさりと返り討ちに。その勢力はさらに広がりました。
孫策の苛烈さをみた曹操は、ひとまず融和策をとることとします。今しばらく
は戦うべき相手ではないというわけです。
そんな中、袁術はまたもやらかしました。陳国に食糧があると聞くと高圧的な
態度でそれを求め、断られると王の劉寵と相の駱俊(駱統の父)とを暗殺した
のです。
劉寵はやや野心家肌ではありましたが、武芸に秀で、国内の治安維持に成功。
駱俊はすぐれた行政手腕を持ち、国内をしっかりと統治。乱世にあって陳国
の平穏を守っていました。二人ともひとかどの人材です。
この頃、曹操はというと許褚や趙儼といった偉材を得ていたというのに袁術
は人材を失い敵を増やす。
あげくに、曹操の攻撃を受けると四将軍を見殺しにして逃走。袁術という人
は、後漢という時代の醜い点を凝集した感があります。
ただ、そんな存在は袁術ばかりではありません。その姻戚である楊彪もまた、
曹操からみると醜類の一人です。今回、直接の理由はよく分かりませんでした
が、投獄されたのです。
宦官の孫の曹操に軽侮の目を向けるくせに董卓の力に屈した楊彪。曹操から
すると、そんな彼に良い感情を持てるはずもなく。
これがあの楊震の曾孫か。こいつは四知という言葉を理解しているのか。血は
受け継がれても志は受け継がれるとは限らない。
彼らの振る舞いは、いわゆる名士の限界を示しているわけでもあるんですよね。
後半は、群雄達の最期が続きます。楊奉と韓暹は呂布に見切りをつけ劉備を利用
しようとしますが、楊奉は劉備に殺され、その死を知って呆然自失した韓暹は白
波に帰ろうとしますが、賊として殺されます。
勤皇の人ではありましたが、単純でもあった二人は、一見茫洋と見えながらも、
実は底知れない複雑な人格を持った劉備には敵わなかったということみたいです。
李カク【イ+鶴−鳥】、郭レ、李楽、胡才。彼らもまたこの頃に姿を消しました。
ここらの情勢を、宮城谷氏は「攢峰(さんぽう)を均す」と表現しておられます。
あまたの群雄達が、曹操、両袁氏、孫策などいくつかの有力勢力に収斂されつつ
あります。
追記:「攢峰」という言葉を字書で引くと、唐初の詩人・駱賓王の名が。駱統と
同じく、今の浙江省の人といいますから、何らかのつながりがあるのかも。
- 168 名前:左平(仮名):2005/11/11(金) 00:46
- 今日(日付上はもう昨日ですが)は蒼天の最終回。こちらはおいおい書き込むとして…
今回のタイトルは「下邳」。まずは、曹操vs張繍の第二ラウンドから始まります。
曹操と賈ク【言+羽】。二人の知略がそれぞれ冴えを見せており、なかなか読み応えの
あるところです。
劉表はどう動くか。両者、その様子を見ながら戦いが始まります。このあたりは、中小
勢力たる張繍の側にとってより切実。賈ク【言+羽】は、あえて援軍を頼むことは
せず、自勢力の存在感を示しつつ戦力の損耗を避けます。
この時点では各地に敵のいる曹操は、長期戦は避けたいところ。そこに、田豊が袁紹に
許都攻めを勧めたという話がありましたから、戦況は決して不利ではないものの、撤退
する事になります。
ここからが両者の凄いところ。まず曹操は、前後に敵がいる形になりながらも、通常の
数分の一というスローペースで行軍しつつ、「軍を消す(隠す)」という奇策をとり、
追っ手を大破します。その後は急ぎ帰京。
一方賈ク【言+羽】は、最初の追撃は必ず敗れる事を、次の(敗走後の)追撃は必ず勝
利する事を張繍に告げ、結果はみごとその通りに。
ここで、何ゆえそうなったのかと聞く張繍に対する回答は至って誠実なもの(いくら何
でも、あなたは曹操には劣る、ってはっきり言い切りますか、普通)。
…そういえば、三国志「T」の時の賈ク【言+羽】って、顔グラがけっこう穏やかそう
な感じだったんですよね。
その戦いの後、曹操にとっての主敵は呂布になります。タイトルのとおり、後半は呂布
攻めです。
ここで、高順達が語られます。「陥陳(陣)営」の異名を持つ高順はまさしく名将。戦
えは必ず勝ち、欲は少なく、忠義に篤い。呂布にとってこれほど頼もしい配下はいない
といってもいいでしょう。しかし、呂布は彼をいまいち信用しません。高順自身は呂布
に叛くようなことは何もしていないというのに…。
一方、あの兗州の攻防の後、曹操と呂布・陳宮とでは、その力量にどんどん差がついて
いる様です。それは、前者が学び続けているのに対し、後者が学ぶのをやめてしまった
からに他なりません。
宮城谷三国志においては、最終的に勝者となるのは「学び続け(、その結果成長し続け
た)た者」という視点がある様です。
この戦いの中、呂布は愛する妻の言葉により陳宮の策の実行をためらい、動けなくなり
ます。そんな中、配下の将達は…
- 169 名前:左平(仮名):2005/12/11(日) 21:59
- 今回のタイトルは「逐勝(勝ちに乗じて進む)」。
前回ラストからの流れのとおり、ついに呂布の命運が尽きる時が来ました。
…しかし、それは、予想以上に呆気ないものでした。
姻戚でもあった魏続に陳宮を拉致され、高順ともども、もはや為す術もなく
捕えられたのです。
呂布の軍事的才能は曹操にとっても魅力的ではありましたが、劉備の一言に
よって引導を渡されます。そして陳宮は、この時点ではもう呂布に心服して
いないにも関わらず、ただ曹操に対する意地から、自ら死を選びます。
この場面、曹操の方が未練たっぷりです。
この時曹操が得た人材として、袁渙、陳羣、それと復帰組の畢獅フ名が挙がって
います(ここでは張遼には触れられていません)。
これで一つ厄介な敵を片付けた曹操。そんな矢先、河内に異変が。張楊が、
配下によって殺害されたのです。
勤皇の士にして温厚篤実な張楊は、呂布と親しく、陰ながら声援を送って
いたのですが、もはや呂布の命運は尽きており、将来に不安を抱いた楊醜に
よって…という経緯。
もっとも、楊醜もまたすぐに眭固に殺され、河内の情勢は流動的に。曹操、
この状況を逃さず、直ちに攻略にかかります。
ここは董昭の巧みな説得により、無血開城となります。そして、ここの太守
に任ぜられたのは…魏チュウ(禾+中)。
今回、曹操が才を重んじた例として語られる二人が揃い踏みという具合です。
もっとも、魏チュウ(禾+中)については、単に才能のみではない含みも。
一方河北では、ついに公孫瓚が最期を迎えます。…もうズタボロです。痴呆に
なり妻子を手にかけて…というあたり、白馬義従を従えた頃の面影はいずこに
ありや、ってな感じ。
彼に殉じた関靖、最期はきれいだったけど…こちらも酷評されてます。
いよいよ曹操vs袁紹というわけですが…何事につけても動きの鈍い袁紹、既に
後継者問題も絡んできて、課題は多し。
そんな中、突然の袁術からの使者。それは、袁術の破綻を示すものであったのです
が…
- 170 名前:左平(仮名) :2006/01/02(月) 01:35
- 日付は変わりましたが…新聞の広告欄に注目。
この9月に、宮城谷三国志の四・五巻が出るみたいです。
今のところ、一年分で一冊というぺースですから…今年の五月号あたりまでは
既に書きあがってるのかも知れませんね。
- 171 名前:左平(仮名) :2006/01/10(火) 23:29
- 今回のタイトルは「密詔」。董承による曹操暗殺計画が語られます。
その発端は、意外にも劉備の存在でした。といっても、劉備が反曹操の急先鋒…など
というわけでは全くなく、むしろ曹操が異様なくらいにそば近くにおいていることから
(刺客として使える)と値踏みされた、という次第。
曹操にとっては劉備は全く異質の存在でした。衰亡しつつある劉氏にあって、ひとりしぶ
とく生きながらえる様はひとつの奇跡。それゆえに近づけ、ついには彼を英雄と評するに
至ります。ただ、劉備はというと、曹操に対して別段恩義を感じるというわけでもなく、
その肚はさっぱり読めません。
劉備にとって、この暗殺計画(皇帝の密詔自体はちゃんと出てます)には二つの意味が
ありました。
一つは、中央政界の生臭さを思い知ったこと。袁術討伐を理由に都を離れたのは、単に
曹操に叛旗を翻すためだけではありません。
もう一つは、自分を相対化させる存在−曹操−を知ったことで、自らの位置づけがより
明確になったこと。今上も自分も、もとをたどれば景帝に至る。ゆえに、皇帝とて全く
届き得ない存在ではない。中央を離れ自立するのよし…。
劉備が去った後も、董承は曹操暗殺計画を進めますが、その計画は粗雑。徐他については
許褚の胸騒ぎという予測不能の要因による失敗でしたが、こちらは失敗するべくして失敗
したという書かれ方です(何より、悪政をしていない曹操を殺して、さてどうするのかと
いうビジョンがないのでは…)。
事件が