第八章   益州統一

 

 

 建安六年、夏。

 劉璋軍五万の立て籠もる緜竹関の目前に、成都を発した南蛮軍団が姿を現した。

 陣頭の南蛮王呂布、化け物のような怪馬「赤兎」に跨り、やはり化け物のような画棹の大戟を引っ提げ、馬上盃片手に悠々と騎行している。

 緜竹関の胸壁上から、小手をかざしてその様子を眺める白髪白髯の老将があった。厳顔である。

 

厳 顔:おうっ、敵の傲岸不遜な面魂よ。先駆けして一騎討ちを挑んでやろうかい。

張 任:ご老人、無茶は止めなされ。歳の差を少しは考えて……

厳 顔:今、何と申した?

張 任:え、ですからお歳を考えて……

厳 顔:はっはっはっは。儂と呂布は3つちがいじゃ!!

張 任:嘘っ!?

 

 関の上でそんな諍い(?)があったとは知らず、南蛮軍は緜竹関前に殺到する。

 

呂 布:騎馬全軍、突撃!

陳 宮:だからぁ、あれほど……  

 

 言い終わるより早く、先頭を切る呂布隊が、関の前に掘られた落とし穴へ自ら躍り込んだ。早速、千人単位の犠牲者が出る。

 

陳 宮:すこしは学習しやがれ、学習を!

呂 布:ごめんなさい。

陳 宮:先鋒は張遼! 殿はどうせ敵の「混乱」なり「足止め」なりでかえって邪魔になるでしょうから、張遼と高順どのが関を突破するのをそこで待っていてください! 

呂 布:お手数をおかけします。

陳 宮:まったく……!

 

 なにやら主従逆転しがちな君主と軍師を後目に、張遼隊九千が緜竹関に突入する。

 戦場「緜竹関」は、マップ中央を険峻な山地が横切っており、完全に南北に隔てられている。あちら側へ進むには、山地を貫く唯一の隘路を通行するしかなく、緜竹関はまさにその回廊上にあった。

 どれほどの大軍で押し寄せようとも、直接攻撃に参加できるのは一部隊だけなのだ。

 

張 遼:押忍! 張文遠、お先に槍をつけさせて頂きます!

高 順:無理はするな。

 

 高順隊の前へ出た張遼、緜竹関の上にいる孟達隊七千へいきなり突撃を加える。

 孟達隊、さすがに踏ん張るが兵力差が大きい。「関」の地形修正を加えても、被害は甚大になる一方であった。あわてて弩兵隊の張松・呉懿が援護射撃を開始する……

 

 凄まじい攻防の末、張遼は孟達を捕らえて緜竹関を占拠した。この時点で張遼隊は六千を切っており、すぐ目前の呉懿隊一万、張松隊四千の相手は難しい。次のターンで張遼は緜竹関を下り、入れ替わりに高順隊一万三千が前戦に出た。

 

陳 宮:よし。全軍、高順どのにつづいて前進!

呂 布:あの……。

 

 高順隊もまた、与えられた任務は張遼隊と同じである。ひたすら突撃を繰り返し、後続のための通路を切り開いてゆく。

 前進してゆく高順の後ろに着けた陳宮は、計略を連発してまず高沛隊を混乱させる。喜々として突撃するのは、「籐甲」に身を包んだ孟獲隊八千。統のいう「劉璋軍の北の双璧」高沛、楊懐は、ともに仲良く孟獲の手捕りにするところとなった。

 一方、最前線を一身にひきずって前へ前へ進んでいる高順、とうとう敵の唯一の騎将・公孫楼を捕らえ、砦の一つを陥落させた。    

 

呂 布:それ、おれの仕事……

 

 そのとき戦場の一隅で小さな異変が起こった。呉懿の「混乱」をくらった孟獲に、敵将張任が一騎討ちを挑んだのである。

 孟獲は武力80という豪勇だが、敵の張任も武力82(えぢた~済み)。これは好勝負になると見えた。 

 

呂 布:がんばれ~孟獲~!ふれーふれーもうか…

陳 宮:しーっ!

呂 布:すみません。

 

 武力は若干劣る孟獲だが、彼らしく怯む色無く「強気に攻め」つづけ、とうとう必殺技を使うことなく張任を馬上から叩き落とす。案外、あっさりとしたものだった。

 

呂 布:それにしても、あの一騎討ち用の橋はどこから現れ、どこへ消えるのだろう…?

陳 宮:ぎろっ

呂 布:すみません、もう発言しません。

 

 戦況はじりじりと進む。圧倒的かと思われた呂布軍も、ヤスリで磨かれるように兵力を失ってゆく。存外、きわどい消耗戦になったのだ。

 勝負の趨勢は定まったのは、呂布隊が前線に出た瞬間だろう。敵味方ともに五千以上の部隊が姿を消した戦場に、全く無傷の一万八千という大部隊が出現したのだ。

 劉璋軍は、呆然とするしかなかっただろう。

 呂布の本隊は、圧倒的な物量で戦場の全てを圧し潰していった。孟獲や張遼と激烈な戦闘を続けていた劉循、呉懿らも、この新手に対してはもはや為す術がなかった。

 ……最後の砦に籠もって抵抗を続ける厳顔を、高順隊が突撃で全滅させ、「中央突破」が完了した。

 

 緜竹関を抜いた呂布軍団は、引き続いて梓潼城を包囲する。

 しかしながら劉璋に余剰兵力はほとんどなく、攻城戦らしい戦にもならず、わずか2ターンで梓潼は陥落した。

 乱世の梟雄・劉焉が、その武略と姦謀の限りを尽くして一代で伐り奪った「益州王国」は、息子劉璋の代に滅びた。劉焉が単身で益州に入ってより、わずか14年後の事であった……。

 

 決して楽な戦ではなかった。張遼隊は二千あまりにまで打ち減らされ、孟獲隊も出陣時の半数を失っている。無傷なのは呂布隊だけといってよい。常に最前線にあって、最後まで「突撃」以外のコマンドを実行しなかった高順などは、残兵数わずか1000あまりと90パーセントを超す損耗であった。

 予備兵力(呂布隊)の投入が遅すぎた事もあるが、それだけ劉璋軍がねばり強かったのだろう。

 

陳 宮:殿、まずはおめでとうございます。

呂 布:なんか釈然としないが……。

陳 宮:なにをぶすっとしているんですか、ホラ、しゃきっとして。

 

 呂布は梓潼に入城すると、憮然とした表情で政庁に入った。 

 陳宮に押されるようにして一同の前へ出る呂布。列将から一斉に拝拱(胸の前で両手を重ねるアレ)をうけ、少し機嫌がよくなったらしい。

 

呂 布:みな、大儀であった。俺様の世界征服計画も、まずまず順調な滑り出しだな!

張 :はっ。旗揚げからわずか一年で南中・益州全土を制圧するなど、余人には到底不可能でありましょう。

呂 布:がっはっはっは。

陳 宮:して、殿。劉璋父子をはじめとする虜将の処遇についてですが。

呂 布:ふん。全員軍神の血祭り…といいたいところだが、一度くらい顔を見てやってもいい。

 

 梓潼戦で捕虜になった者は実に14名にも及んだ。例によって陳宮がひとりひとりを呼びつけ、その処遇を呂布に仰ぐ。

  ……結果、6名もの人材が呂布への帰順を受け入れた。

 まずB級以上の主力武将として呉懿。まあ使える楊懐。それに張松・費詩という優秀な内政官の参入もうれしいところ。

 そして、最大の収穫と言うべきが、

 

公孫楼:……。

呂 布:まだやるか? それとも俺のところに来る?

公孫楼:……(こくっ)。

 

 呂布、どうやらこの寡黙な美女武将の心を得ることに成功したらしい。せっせと手紙を送り続けて親密度を上げていたのが決め手となったのだろうか。

 で、最後の一人が。

 

劉 璋:仕方あるまい。かくなる上は呂布殿に仕えよう……。

呂 布要らんわっ!お前が一番!

劉 璋:まあ、そう言わんと。

 

 息子の劉循が呂布の誘いを蹴ったというのに、その父親が呂布に降ったのだ。以後、呂布陣営で最も能力値が低い男として、益州牧の劉璋は遠回しに冷遇されることになる。

 

 ……建安六年、六月。収穫の季節を待たずして、南蛮王呂布は巴蜀の地を完全に制圧した。

 

呂 布:これから俺様の冒険が始まるわけだ!

陳 宮:そうですとも!

呂 布:おうっ、燃えてきたな~。

陳 宮:いわゆる「プロローグのエピローグ」ですよ、今回は。

呂 布:よう言うた!

 

 蜀を領した呂布奉先。本拠を益州に据え、狙うは天下ただ一つ! 痛快読み切り三国志Ⅶ活劇・「後世中国の曙!?」は、これから本番です!

 

呂 布:中華の歴史が、また1ページ。

陳 宮:おい。