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282:雪月華2003/05/10(土) 18:51AAS
広宗の女神 第二部・広宗協奏曲 第二章 天使の歌
広宗音楽堂。かつて冀州校区合唱祭が開催された場所であり、黄巾党蜂起に伴う合唱祭襲撃事件後は、黄巾党の本拠となっている。自らの意思に反する形で党首、天公主将に祭り上げられた張角は放課後のほとんどをここで過ごし、一時期のピンクレディー以上のハードスケジュールをこなしていた。音楽堂の前には800m四方ほどの野原が広がり、自然公園となっている。自然そのまま、といえば響きはいいが、何か施設を建てるほどの予算が、慢性的に不足している裏返しでもあるのだ。
今、そこに、西に生徒会軍550、東に黄巾党250が、互いに200mほど距離をおいて対陣していた。そろいのTシャツと黄色いバンダナに身を固めた黄巾党に対し、思い思いの仮装をした生徒会軍は、どこと無く秩序に欠け、魑魅魍魎、百鬼夜行の妖怪集団に見えなくもない。
両軍の中間地点から南に1kmほど離れた小高い丘に、2つの人影が現れた。皇甫嵩と朱儁。視察という名目で自転車を駆り、観戦にやってきたわけである。目立つとまずいので互いに一人の部下も連れていない。待機命令に違反しているが、留守番の雛靖には、厳重に口止めしているので、直接ここで見つかりさえしなければ、何も問題は無いのだ。
「やれやれ、間に合ったようだな」
「こんな映画顔負けのことがタダで見れるのも、後漢市ならではってところだよねー」
「それにしても、董卓軍は噂以上だな。盧植の元部下達も気の毒に」
「ホントホント。いきなり司令官が変わった上にこの仕打ち。やる気を出せというほうが無理よね」
抜け目無く持参した双眼鏡で、黄巾党のほうを見ていた皇甫嵩が、唐突に驚きの声を上げた。
「おい、あれって…張角じゃないか!?どうして前線に!?盧植のときは一度も出てきていなかったぞ!?」
200人の黄巾党前衛部隊の後方、50人の親衛隊に守られ、音楽堂の手前30m程の所にある国旗掲揚台に張角は立っていた。
白を基調とし、青で縁取りされた足首まである長衣。同じデザインのフード。さながら神に仕えるシスターのようだ。襟元から覗くトレードマークの黄色いスカーフ。そして見間違いようの無い金銀妖瞳。神々しささえ感じさせる美貌。紛れも無く張角本人であった。敵味方あわせて800人を超す人の群れを前にして、物怖じしたところは微塵も見られない。数々の舞台で場慣れしているからであろう。
「そんな馬鹿な…張角は平和主義者で戦いを望んではいないのではなかったのか?」
「はっきり、私たちを敵と認識したのなら厄介なことになるわね、何があったのかな?」
「生徒会ではなく、董卓個人に対する忌避であってほしいが…」
「妙なことに気づいたんだけど、あの歌が聞こえないのよね」
「黄巾のマーチか?確かに、今までの戦場ではうるさいくらい聞こえていたものだったが…というより音響関係の機材が一切見当たらないぞ?一体どうするつもりだ?」
「義真、敵の心配してどうするの?」
「敵…か。なあ公偉、張角は私たちの敵なのか?」
「組織だって学園の平和を乱してるよ。敵じゃなくて何なの?」
「そうか…そうだな」
頷く皇甫嵩の声には、納得以外の何かが含まれていた。
「黄巾党諸君。これより…」
張角は、親衛隊長である韓忠の演説を片手を上げて制止した。代わって、彼女が口を開く。
「…黄金の騎士達よ。今こそ決戦の時です」
決して声量は大きくはない。激しくもない。だが、拡声器を通していないにもかかわらず、その声は黄巾党全員にはおろか、1q離れたところにいる、皇甫嵩と朱儁のもとにもはっきりと聞こえた。張角が言葉を続ける。
「あの異形の軍団を撃破し、首領を討つのです。かの者こそこの学園を混乱させ、近い将来、学園を暗黒の奈落に落とし込む元凶。禍の根を今ここで絶つのです!」
もともと高かった士気は、張角の鼓舞で一気に最高潮に達した。必勝の意気高く、劉辟らの指揮というより煽動で、黄巾党は眼前で赤い布を振られた猛牛の如き勢いで突撃を開始した。
張角が、何故前線に出てきたのか、明らかにはされていない。張宝らに強制されたと言う説もあり、董卓の危険性を予感し、総力を持ってそれを討つべく自らの意思で出てきたと言う説もある。だが、真相が明らかになる前に張角は自主退学し、張宝、張梁らは廃人同様になってしまったため、真実は闇の中である。
黄巾党の突撃と共に、張角が目を閉じ、静かに歌い始めた。
一方、生徒会側でも董卓の演説が始まっていた。
「見果てぬ夢よ。永遠に凍りつきセピア色の…」
「あの、董卓様?」
李儒が怪訝な顔で、サイドカーの上に立つオスカ…もとい董卓を仰ぎ見た。
「メモを間違えちゃった。キャラも違ってたし。ええと…栄光ある生徒会の兵士達よ!これから黄色い賊徒に罪の重さを教え込んであげるのよ!生徒会の為に!そしてなにより、この董卓ちゃんの栄光の為に!あ、それから、賊徒に遅れをとるようなことがあったら、蒼天会長に代わっておしおきよっ!」
もともと、盧植の元部下450人の士気はそれほど高くなく、突然の指揮官交代とこの妙な仮装、演説によって、よけいに士気は下がり気味であった。だが、目の前の相手を倒さない限り、彼女達に未来はない。半ばやけくそで喚声を上げ、黄巾党へ向かって進撃を開始した。
「第一次広宗の戦い」の始まりである。
黄巾党と生徒会軍は広宗自然公園のほぼ中央で激突した。激突直後、生徒会軍の左右両翼は黄巾党の両脇を素早く逆進し、後背で合流して包囲を完成させる事に成功した。黄巾党も、もたつきながらも円陣を組んで、それに対抗する。激しい戦闘が展開された。喚声と悲鳴と竹刀をたたきあう音が幾重にも重なって、広宗自然公園に物騒な協奏曲を響かせる。
後世、群雄割拠、三勢力鼎立時代に行われた戦闘に比べると、この時代のそれは、武芸の華やかさにおいても、用兵の緻密さにおいてもいささか迫力不足であったことは否めない。個人個人の武芸の練度が低く、主将の指揮能力も不足気味であったからだ。
それでも、戦闘の始まる前に、黄巾党の敗北は決定していたようなものである。生徒会に比べ、数において劣り、戦術においても劣っていた。主要な道は生徒会に押さえられており、張宝、張梁は皇甫嵩たちにより手痛い打撃をこうむっているため援軍も出せない。おまけに本拠地に追い込まれているため、主将、つまり張角を討たれれば全ては終わりなのだ。戦う前に勝つ。盧植の戦略の凄みはそこにあった。
本来、張宝、張梁に痛撃を与えた直後、皇甫嵩、朱儁の両名と、その率いる精鋭を呼び寄せ、総勢800で決戦に臨む予定だったのだが、盧植は作戦始動直前に讒言によって解任されてしまったため、予定は未定で終わってしまった。
張角の歌が、優しく広宗の野に響き渡る。空を舞う鳥が羽を休めて枝に止まり、うっとりと歌に聞きほれている。生死をかけた追撃戦を演じていた猫とネズミが仲良く寄り添ってじっと聞き入っている。およそ戦場には似つかわしくない平和な雰囲気が辺りを包み始めた。心を揺さぶるのではなく、そっと包み込み、母親が乳児をあやすように、優しく、暖かく、心を癒してゆく。張角の天使声は絶好調であった。肉声で、しかも拡声器を通していないにもかかわらず、1km近く離れたところにいた皇甫嵩たちのもとにもその歌声ははっきりと聞こえた。
「戦場には似つかわしくない、優しい歌だな…ん?どうした公偉?」
「義真…これ、声じゃないよ!耳を塞いでても聞こえてくる!」
「初めて聞くが、これが『天使声』か…」
張角のソプラノは、世界トップクラスのオペラ歌手に匹敵する。天賦の才と、たゆまぬ努力によって、声量、声のツヤ、技巧、音程の幅広さ、いずれも高校生とは思えない程、高いレベルでまとまっているのだ。そして張角を異能者たらしめているのが、この精神感応音波「天使声」である。どういう仕組みかは不明だが、黄巾党には勇気を与え、敵対する者には脱力を強いる。その効果範囲は約700m。声自体は2q先まで届く。ただ、この超音波は現代の録音技術では拾えないため、この効果を得るには、張角自ら出向くしかない。
やがて、戦場の様子が目に見えて変化しはじめた。天使声の効果が現れ始めた為、黄巾党の圧力に抗することができず、生徒会側の包囲のタガが目に見えて緩み始めたのだ。
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