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■ 天下二分の計って

1 名前::2002/10/27(日) 21:35

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年07月12日 (木) 23時47分04秒 

少し前に孫ぽこ部長のサイトでも活発な論議を呼んだ話題ですが、
周瑜らの主張する「天下二分の計」、実行は可能だったのでしょうか?
当時の荊楚人士の間ではなかば常識とされていた計のようですが、
それを異とした孔明が三分策を説き、二分説を主張していた魯粛も
転向して三分策を支持するようになってますねえ〜。
天下二分か三分か!? 計の実行後の状況も含めて、その利点・欠点
を討議したいと思います〜! 活発なる意見交換を期待いたします!

2 名前::2002/10/27(日) 21:36


ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/14(Sat) 22:11:23)

ちなみに私見を申さば、天下二分の計は時期によっては可能だったハズですね〜。
たとえば孫策。
官渡のおり、孫策は西進でなく北進策をとりました。一説には徐州閥の突き上げがあった為ともいいますが、もしこのとき楚へ侵攻していれば…? 黄河ブロックは袁・曹の睨み合いに任せ、孫策が「南朝」成立を目論んでいれば…。
少なくとも劉表の部下には陳登クラスの用兵家はおらず、広大な長江ブロックは比較的たやすく孫家の物になっていたかも…。
さらに周瑜のプランでは、自ら益州に侵攻して江州・成都を席巻し、益州を孫瑜に任せて自分は漢中へ出、涼州の韓遂、関中の馬超らと結ぶ――と。

私が三国志ゲーをするとき、かならずこの案通りに戦略を動かし、南北朝対決(たいがい袁譚が相手になります)を楽しんでます(;^_^A ゲームだと、先に中原に手を出すと中盤が盛り上がらないんですよねえ〜。
現実だとそうはいかないにしても、最強勢力と早いうちにぶつかるよりも、じっくり脇を固めてゆく戦略は有効だと思います。まあ、それができないから小覇王なんですが…。 

3 名前::2002/10/27(日) 21:37

香香[東海] > (2001/07/16(Mon) 10:03:15)

実は、この時期の孫呉(孫策横死前後)には全然興味が無いので分からないのですが、仮に荊州を抑えたとして、そこを保持するだけの名声と手腕のあった人物というのは、やっぱり二張になるんでしょうか???
少なくとも、劉表はつつがなく荊州を治めているのですから、それを侵して占領したあと、具体的に誰がどんな戦略を取るべきなのかどなたかご教示くださいませ〜(~_~;) 

4 名前::2002/10/27(日) 21:37

神機軍師[関東] > (2001/07/16(Mon) 21:46:05)

そうですね。当時の国力を推し量ってみると、南朝を成立させるよりも許昌を襲い献帝を奪取するほうが作戦的に優れていると思いますよ。ゲーム等では南朝の国力もかなり高めですが。三国志当時の国力では中原を制覇されては、南朝により北朝を破るだけの国力があったとは思えないので孫策の方針は正しかったのではないでしょうか。
そうそう、天下二分の計ですね。
周喩がこの策を知りつつなぜ孫策死後すぐにでも軍勢を動かさなかったのか不思議ですが、現実的にはなかなか難しかったのでしょう。劉表はその当時もかなり安定した政治を行っていましたし、呉にはもともの他国にあまり攻める意思がない(攻めれない)という構造的欠陥がありますしね。
その上で魯粛が天下の三分の計に乗り換えたのは、劉備軍団の傭兵的性格を見ぬいており、更にその集団の人的豊富さを悟っていたからではないでしょうか。つまり、二分にしても三分にしても北伐を行うには2つの軍団による同時進行が必要となるわけであるため、その片方を現実的に見た場合、呉にいる武将よりも劉備軍団に行わせるほうが確実性に高い(そのためには高い政治力が必要にはなるが)
また、天下統一が出来なくても呉の安定を考えるとこちらのほうが優れているとの判断に基づき劉備軍団にかたいれしたのではないでしょうか。
それにしても、陳登ですね。彼の強さは呉にとってかなり致命的なものでしたね。

5 名前::2002/10/27(日) 21:37
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/16(Mon) 23:58:44)

 >香香様
赤壁のあと、あれだけ演義で悪役として幅きかせてた荊州豪族集団が、いつのまにか目立たなくなってますよねえ。この場合、曹操が彼らを中央に取り込んでしまったのでしょうか(劉備のほうへ付いてった連中もいるようですが)?

それができない孫氏の場合、地元豪族の支持を受けない限り荊州制圧も一朝のもの…。
支配が堅固になれば、そのうち曹氏政権における李典みたいな従順な豪族も出てくるでしょうが、さて、孫家にそこまでの威徳があるかどうか。
蔡氏やカイ氏、ホウ氏といった大姓を黙らせるには、一にも二にも実利! この場合、政権上層に彼らを組み込み、しかも彼らの既得権益を寸毫も侵さないようにする必要が出てきます。
次に支配者としての正当性。
劉表は勅任官、曹操は朝廷の丞相、劉備は、まあ傭兵隊長。しかし孫氏の場合…なんか侵略者としてしか見られないような〜。彼ら荊州豪族を説得するのには骨が折れるでしょうね…。おのずと、第一級の清流名士が求められてくるでしょう。
ネームバリューなら華キンか王朗か…って、もう去ってましたっけ。

まあ、孫策なら漢らしく全員処断!(;^_^A 周瑜あたりが策を練って、彼らを同士討ちさせたり(劉焉みたいに…)
基本的に、孫策は障害物を回避するのが苦手なんですよね… 

 >神機軍師様
戦国の常として、支配者が頭を抱える第一の問題は流民です。後漢末、戦乱といえば常に黄河ブロックでわき起こり、長江ブロックは比較的安定していた様子。
中原にしても、洛陽は無人と化し、長安は廃墟同然、許も民屯が軌道に乗ったばかり。徐州は当の曹操が虐殺しまくったおかげで民が逃散し、エン州・豫州は呂布と劉備の乱で疲労し、冀州・幽州は黄巾と公孫VS袁の長い闘争で疲れ、青州は袁譚軍団に制圧されて間もないです。
官渡直前の状態に限定すれば、南中国の経済力(特に流民による人口)は、安定しているぶん北中国とタメを張れる状態だったと思います。
ただし、神機軍師様の仰るとおり、安定していると言うことは攻めにくいと言うこと。荊主劉表には大きな失政もなく、学問を大々的に保護し、清流派人士の収攬にも抜かりありませんでした。孫策としては、北上は避けられない選択肢だったのかもしれませんね〜。
それにしても、魯粛についての考察はお見事です、神機軍師様!
独力で天下を二分するチャンスを失った以上、魯粛としては、せめて鼎立のカタチをつくる機会が欲しかったのでしょうね〜。劉備のような機動旅団は、うってつけの存在だったわけで。
天下三分…誰が言い出しっぺかはわかりませんが(あ、孔明でしたっけ)、東呉の人士も二分か三分かで激論をかわしたことでしょう。
論としては、二分と三分、いずれが優れていると見るべきか……。 

6 名前::2002/10/27(日) 21:38

玉川雄一[関東] > (2001/07/19(Thu) 20:37:57)

私は理論系が苦手でして、また主題からは離れますが。

最近、光栄(当時)のゲーム事典を引っ張り出してきて読み返しているのですが、「三國志III」だか「IV」事典の「天下三分の計」か何かの項に、「この論の要点は、『いかに三分するか』ではなく『三分した天下をいかに統一するか』である」というのを見て、ああ、なるほどねと改めて感じました。

で、「蒼天航路」の三分の計ですが、アレで諸葛亮が言いたかったのは「曹操の天下ひとつだけを天下と思うな。自らの天下を創れ」ということのように思えたのですが。

「あの」諸葛亮に天下を一統するという思考は存在するのでしょうか?全ては王欣太センセの胸の内…? 

7 名前::2002/10/27(日) 21:38

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/20(Fri) 20:22:42)

おおッ!? なるほど、いわれてみれば三分した後が問題になりますよねえ〜。
基本的には、二つの勢力が一つの勢力を分け取りにして天下二分になり、最終的には全面対決に至る、というシナリオが予想されます。
絵空事の条約ではありますが、蜀のトウ芝と孫権が交わした天下二分案が、「天下三分の計」の結果ということになるでしょう。この後は、トウ芝が言ったように、天下の覇を賭けて両雄が激突する――と。
まあ、実際には蜀の方があっけなく併呑されて天下二分になりましたが…。
そして蒼天版三分の計! 孔明(というかあの二人の童子)のいう天下三分の計は、なんだか読んだ瞬間鳥肌が立ちましたが、結局は劉備に自活を求めているんですよねえ。「天下を分けることで天下を増やせ――」という一言は、「天下」を獲るためには曹操を滅ばさねばならない、という絶望的なテーゼを抱え込んでいる劉備に、確かな光を与えましたね〜。

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