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■ 袁紹はナゼ過小評価される!?

1 名前:上田散人:2003/06/09(月) 12:51
どうも初めまして、上田散人と申します。

新参者が身の程知らずにもスレッドを立てて恐縮ですが、
タイトルにある通りの疑問がくすぶって消えないのです。

実は某サイトで私、ある話題から強引に脱線して
「袁紹の評価低いなぁ、袁紹って本当はもっとアレコレ云々偉大で………」言いだしたのですが、
「袁紹ってそんなすごい人だったの!」って反応結構多かったんですよ。

やっぱり袁紹って、世間的にはまだまだ低く見られているようですね。
「蒼天航路」が出てきた時、これで袁紹を見直す人がもっと現れる!
なんてかすかな期待を抱いていたのに、今だにサッパリですから、ファンとして泣きたくなります。
そう思うと、真面目に「実はすごい袁紹」よりも
「袁紹が低く低く見られがちな理由」なんてものを考えざるをえなくなりました。

そんな訳で袁紹が「なぜか」過小評価されてしまう理由、原因、その考察を皆様にお伺いしたいと思います。
できれば理由を挙げると共にそのフォローもしてください。(言いっ放しじゃ袁紹がますます悲惨になるんで)

2 名前:★ぐっこ:2003/06/09(月) 20:49
はじめまして、上田散人さま! TATSU様のところでお名前を拝見しております。
さて、スレ主旨は、「袁紹はかくも偉大である」ではなく「なぜ袁紹は低評価
なのか」ということで…

敗れたからです。
いや、もう極端に説明すればそれに尽きるかと。
私も含めて袁紹ファンの方々には気の毒ですが、もう何をどう足掻いても、
たとえ袁紹が中華十傑撰の一人に選ばれようと、手遅れ。

たとえば今川義元が再評価されるように、袁紹も蒼天航路の出現を待たずして
一定の評価を取り戻しているようです。
自分より遙かに強大であった公孫瓉を駆逐した軍事力、曹氏政権下でも密かに
偲ばれたという民治力、どれをとっても、当時の他の群雄(曹孫除く)どもとは比較
にならないでしょう。
きっと、袁氏の旗印を持たなくとも、颯爽たる時代の指導者として、彼は十分に活躍
していたに違いありません。

…でも、言ってしまえばそれだけの話。
彼は部下である曹操に出し抜かれてイニシアティブを握られっぱなし。勝つ機会は山ほど
あったにも関わらず、曹操の綱渡りのような処世をノンビリ見送り続け、負けるはずもない
戦に敗れて悶死しています。
この死にざまの気の毒さを見る限り、今後も偉大とは呼ばれないでしょう

未来の可能性を遺して早世した周瑜らと違い、袁紹の場合、自分の可能性をことごとく逃がして
死んでしまった。
彼が死後一定以上の評価を得られない所以であると思いますが。

3 名前:左平(仮名):2003/06/10(火) 00:00
上田散人さん、こちらでははじめまして。私からぐっこさんのご意見に言い足せるとしたら、一つ。
「(袁紹に勝った)曹操が真の勝者たり得たから」というのもあるかも知れません。
曹操がまぐれで勝ったのであれば、他の群雄に敗れていたとしたら、あるいはもっと「可能性」を考慮する事もできたかも知れないのですが。

また、その治世を慕われたとはいえ、そのゆえに、曹氏治下において叛乱が起こったというほどでもない(→曹氏の治世も十分に良いものであった)わけですし。

あとは、魏(→禅譲という正式な手続を踏んで成立した)・蜀(→遠縁とはいえ、同じ劉氏という事で、漢の後継を自認しえた)の様な正当性に乏しいのも一因かも。

4 名前:上田散人:2003/06/11(水) 13:39
「悪」?「悪」とは敗者のこと… 「正義」とは勝者のこと……
生き残った者のことだ 過程は問題じゃあない 敗けたやつが「悪」なのだ(BY花京院)

そ、そんな……、ひどい……、身も蓋も無い……、
もといレスの付けようもない………。

それじゃあ「正史」で過小評価されているのも、「演義」で無惨な扱いなのも、
吉川三国志や横光三国志や秘本三国志で噛ませ犬なのも、蒼天航路でデブになったのも、
我王の乱でハナからデブなのも、全部「敗者だから」だというんですか!!
ひどい、ひどいよ、ぐっこさん!!!!


(やや意気消沈して)ハァ…、確かにぐっこさんの言う通り………、
単に敗者だというだけなら、呂布より人気がない(当社調べ)という事態はおかしい訳ですから、
チャンスをむざむざ食い潰した事に起因するんでしょうね…低評価……。
そこが「敗者」であることに加え、惜しい人物だと思わせるような、死してなお光芒を放つような、
存在感なり魅力なりに欠けるものにしてますか…………。

しかし! なお強弁させてもらえば!
底を見せて敗れたように見えるのは、呂布だって同じ!
ぬぁぜ、ぬぁぜ、袁紹は人気も無くて過小評価されているのか!?
何の意識(という名の魔)が働いているというのか!

前にどこかで言ったような表現を借りれば……、
蒼天航路風に「心の闇がないから」という結論になっちゃうんですよねぇ………。
曹操は死んでもその闇が残るというのは、逆に言えば袁紹は死ねば終りということ(泣)。
なんとなく、すでに後世の人気と評価を暗示しているような
(それは蒼天航路が今現在に書かれたものだからだよ)。

(ところで「きたかた三国志」は未読なので、
「きたかた的・袁紹」ってどういうものだったのか、感想を聞かせて下さい。)

5 名前:★ぐっこ:2003/06/11(水) 22:26
なるほど、上田散人さまの袁紹へのアツい思いはしかと受け止めました。
今後歴史を学ぶにせよ別の道へ行かれるにせよ、その思いと今の疑問は尊い物です。
ずっと大事になさってください。

で。
話は戻りますが、演義はともかくとして、蒼天航路あたりはそれほど過小評価とは
思えないのですが。アレが過小評価だったら、他の作品の悲惨さはどう呼ぶのかと。
逆にあれ以上だと過大評価になりかねませんね…。
どちらにせよ、最近続々刊行されてる三国志本は、昔ほど袁紹に厳しくありませんし、
別冊宝島でも読まれてみてはいかがでしょう?

あれです、いっそ袁紹小説を書いてみて、その途中、心ゆくまで彼の同時代を調べてみれば、
当時袁紹が抱えていた問題や、隠れてた新たな魅力などが発見できるかも…
袁紹については、私も学生じぶん、袁術兄弟との確執をからめた宮廷小説を書こうかなと思った
こともあります。主人公は何顒ですけど。

6 名前:★ぐっこ:2003/06/11(水) 22:27
あ、そういえば北方袁紹…‥。

思い出そうにも、あまり印象が…。どなたかプリーズ。

7 名前:岡本:2003/06/11(水) 23:44
上田散人様、お初にお目にかかります。
岡本と申します。

>袁紹は人気も無くて過小評価されているのか
人気と人物評価は評価すること自体が完全に客観的な判断のみで
なされるわけではありませんから不可分でない以上、人気が多少
低ければ評価も低くなるのは仕方がないのかもしれません。
したがって、人物の評価を考える際にはその評価を下した時節での
人気を考える必要もあるでしょう。

洛陽で西園八校尉をやっていたあたりの袁紹を見ますと、名士から
の声望も高く、宦官による政治汚濁の打倒に積極的に動いていたよ
うで、気鋭の人物の評価ができそうです。菫卓の乱後にも冀州窃取
があっさり可能だったりしたのも、袁紹の評価・声望が高かったことに
よるでしょう。
ただ、この”声望が高い”というのは多分に袁家の七光りが大きく、
袁譚や袁尚に比べれば七光りに振り回されてはいませんが、”宦官の出”
というコンプレックスを生涯持っていた曹操に比べれば恵まれた政治財産を
もっていたといえます。
袁紹に比べて何も持たず、のるかそるかの博打を打ち続けてしかも生き残った
曹操そして劉備に比べると人気が落ち、結果として評価が下がってしまった
のでしょう。

また、曹操の覇業を助けた荀揩遏川文人が”まず袁紹にいき、Uターンして曹操に行った”
こと、史書の上での10善10悪談義といった文人間の情報操作があった可能性もあります。

三国志のPCゲームでの場合は(個人の意見ですが)、呂布は武力を極端に高くしても他のパラメータを
致命的に低くすることで史実に近い状況にできます。それに対し、袁紹の欠点は反応が鈍く、
情報の評価判断が甘いというパラメータ化しづらい欠点です。
全体のパラメータがそこそこ高いバランス型の袁紹の場合、
もし、高評価にして史実どおりの勢力基盤を与えてしまうとほぼ間違いなく
中華統一してしまうため、製作時点でかなりへぼなパラメータにして
史実に近い状況になるようにしたのがあるでしょう。

8 名前:ななし:2003/06/12(木) 00:01
ここの板ルールにもありますし みんなマターリ。ね。

9 名前:もす:2003/06/12(木) 08:53
皆さん、かなりマターリだと思いまふけど…
俺の気が抜けてるだけかな。い、、入れなおしてこないと…
プシューーーーー

10 名前:上田散人:2003/06/12(木) 11:18
すいません、ついつい熱くなり過ぎました。
悪い癖で自分の勝手な思い入れのままにガーーーッと書き込んでしまう事が多くて、
これでは無自覚系荒らしと変わりませんね。

>蒼天航路あたりはそれほど過小評価とは思えないのですが。

蒼天航路はですね、私も充分すぎるほど評価されていると思います。特に官渡の戦い前後では。
しかし、どうしても巷の話題が「鼻血」だの「デブ化」だのに偏っている感が否めず、
ナゼだ! やはり鼻血だからか? やはりデブになったからか? とついつい八つ当たりしてしまったんですよ。
確かに言われてみれば、
元より袁紹に董卓ほどの凄まじさや呂布ほどの悲哀や孫堅ほどの格好良さは有り得ないわけで
(史実を逸脱し過ぎた、ないものねだりになっちまう)、
そんな中で蒼天航路は、これ以上ないほど“至強・袁紹”の魅力を存分に見せつけてくれました。
あ、ちなみに我王の乱の「デブ・袁紹」は本当に悲惨です。
名門=坊ちゃんだからデブでアホ という悪魔の方程式がここで正に働いています。

>どちらにせよ、最近続々刊行されてる三国志本は、昔ほど袁紹に厳しくありませんし

これも私の問題提起が「ナゼ今だ袁紹が……」と言わんばかりで不適切でした。
個人的にも今時の袁紹評価は順当な所に落ち着いてきていると思います。
あえて声をあげるほど、袁紹解釈に不満がある本はやはり昔のものが中心です。
その具体的な不満については次のレスで。

>いっそ袁紹小説を書いてみて、その途中、心ゆくまで彼の同時代を調べてみれば、

う〜〜〜〜〜ん、袁紹(および袁家)に題材を絞ったものは書こうと思ってもみませんでした。
私、史料は読みますが史料に沿って緻密に構成してゆくのがどうにも苦手で、
書くと必ずギャグやパロディになるんですよね。
それで、どうせ「袁家残照」と競えるようなものは書けないし―――、
なんて必要以上に調べる事は怠けていたんですが、
ぐっこさんがそう勧められるんでしたら手を付けてみようと思います。

11 名前:上田散人:2003/06/12(木) 11:32
ちなみに自分が「ギャグ」で書いた袁紹の設定(小説じゃなくて漫画です)。

勇にはやり気まぐれで向こう見ずの、他の群雄を持ち出せば孫策に近いイメージ。
あれよあれよという間に人を引っ張り、敵をねじ伏せていく天性のカリスマとリーダーシップを持つが、
すぐに思考が明後日に飛んで、千年王朝を打ち立てるだの、全く新しい貴族制社会を作って見せるだの、吹かしてばかり。
田豊はたびたび「今日に勝たなければ明日はありませんぞ!」と諌言を繰り返すが、袁紹はどこ吹く風。
袁紹が仮病を使うほどやりかけのゲームはまり、曹操の背後を突く絶好の機会を逃すと、
しまいにゃ田豊杖折って頭抱えて「今日が〜〜今日が〜〜」と泣き喚き、
「てめえらに明日を生きる資格はねぇ!(BYケンシロウ)」なんて暴言を吐く始末。
そこでにっこり微笑んで(後先知らず)無計画ナイスガイ・袁紹は一言「我が軍を獄中で見守っててくれ」――――。

麗しき袁紹スキーの思いの結晶!!
読者に蒼天航路以来の衝撃を与える事もなくもないかも知れない傑作の予定!
ダメっすかね。

12 名前:★ぐっこ:2003/06/14(土) 18:39
ダメっすかねと言われましても(^_^;)
設定を活かしてグイグイ時代をリードする袁紹像というのも、
相当に真新しいものとなるでしょう。一話一話のストーリーさえ
下手でなければ、けっこうな話題になるかも。

わたし個人の趣味ですが、巷に溢れている「オリジナル妄想全開」の072作品
は(三国志モノでなくても)萎えてしまいます。
完全オリジナルならばまだしも、二次作品ならば元の設定を尊重しろよと眉を
顰めるタイプですので…。
三国志モノに関して言えば、昔正史厨だった頃の習性か、あきらかに演義「だけ」
がベースの二次作品は、問答無用でダウト。
あ、「イロモノ系」はその限りでないんですが…

>史実考察
楽しいですよ? 最近面倒なのでとんとやってませんが、やみつきになると
何万円の資料を平気でポンポン買えたりします。
まして袁紹は青年時代のエピソードが非常に楽しいので、後漢後期の、袁紹の祖父殿
あたりから掘り下げてゆけば、どんどん新しい発見にぶつかること請け合い!
反董卓連合の内部事情とかも、当時の状況見ながら分析すると、何か色んな連中の
思惑が入り乱れてて楽しげ。このへんの考察に関してはニセクロさまのとこが白眉。
これらを取り入れた上で、気合いバリバリの袁紹漫画などを描かれたら、上田様のお名前は
三戦ネット界に遍く知れ渡るようになるかと。傑作の予感!

13 名前:左平(仮名):2003/06/15(日) 20:57
数万円の資料は難しいにしても、最近はインタ−ネットのサイトも充実してますし、文庫・新書本でも結構専門的なものもありますから、それなりのものはできますよ。
それに、ここに書き込めば、ぐっこさん、玉川さん、もすさんといった詳しい方々がおられますから、どんどん質問なさってもいいわけですし。

長編になるのが難しいとお考えでしたら、時期を絞って短編集の様な形にされては?

14 名前:上田散人:2003/06/21(土) 20:00
親切なアドバイスと温かい励ましの言葉に感謝します。

>わたし個人の趣味ですが、巷に溢れている「オリジナル妄想全開」の072作品
は(三国志モノでなくても)萎えてしまいます。
完全オリジナルならばまだしも、二次作品ならば元の設定を尊重しろよと眉を
顰めるタイプですので…。
三国志モノに関して言えば、昔正史厨だった頃の習性か、あきらかに演義「だけ」
がベースの二次作品は、問答無用でダウト。
あ、「イロモノ系」はその限りでないんですが…

なるほど、正史派でイロモノは例外………。「学園三国志」を見ていればよくわかります。
私は世にあふれる三国志モノに対して、正史準拠・演義準拠の別には一切こだわらないのですが、
やはり自分が作品を書く段にあっては、
いかに正史に沿いつつ新解釈(と言う名のウソ)を盛り込めるかをテーマにしております。
それが実際の歴史に舞台を借りる創作の醍醐味だと思ってますんで。


ニセクロさんのサイトは以前から知っていました。
ニセクロさんはすごいですよね、あれこそ正に“史料の行間を読む”考察だと思います。
文献紹介にズラ〜〜っと並んだ本に触発されて、
真に「三国志」を理解するには三国志のミイちゃんハアちゃん的ファンのままでいてはダメだ!
と「急がば回れ」で直接的には三国志に関係のない思想、歴史、文学の本に食指を伸ばしています。

つーかさぁ、「演義」の面白いところでもあり問題なところってのはさぁ、個人劇化しすぎ?
登場人物の行動を全部本人の性格や器量の問題にして説明しちゃうの。
おかげさんで袁紹や劉表は一挙一動優柔不断優柔不断と無能を強調されてばっか!
そんな「演義的世界観」に毒されたフィルターがかかってるから、
たとえ正史に触れても個人劇として読んでしまうってわけ。
だから「演義」の呪縛を破る!なんて吹かす正史準拠の三国志モノも大抵、
劉備がどうした孔明がどうしたばっかの「演義的個人劇」の呪縛の内、お釈迦様の手のひらの上に終わってるってーの。
かかる演義の呪縛を真の意味でブチ破るなら、後漢末・三国時代の史料を読み漁るだけでなく、
有史以来の中国社会そのものへの深い見識を有し、広く当時の文化的、制度的、思想的、地理的背景を理解し、
そこまで踏まえて「物語」を構築してみせてこそ、
やっと凡庸でありきたりで演義に引きずられていない「三国志」モノができるんだっつーの!

……なんて触発された時点で、もうこんな偉そうな事ばかり考える私……。
とっとと読め!とっとと書け!

15 名前:★ぐっこ:2003/06/21(土) 20:32
確かにご説ごもっともでございます。個人ベースのものならともかく、
立派に本屋に売られてる三国志作品や他の歴史小説などの中にも、明らかに
作家の勉強不足が伺えるものが散見できますね…。
特に三国志作品の場合、ハッキリ分かってしまうぶんツッコミどころ満載。

前回の書き込みでは言葉不足でしたが、私は別に演義嫌いとかではありません。
というかむしろ好きです。ただ、基本的に「二次作品の二次作品」というモノが
苦手なんだと思います。

>「演義的個人劇」の呪縛の内、お釈迦様の手のひらの上に終わってるってーの。
コレに関しては、意見が分かれるところでしょうね…。小説である以上、人間が
活躍してなんぼ。史料の解釈で許される範囲ならば、むしろキャラクターとしての
特性(能力含む)を出すのは、私は問題ないと思います。それこそ袁紹一党とか。
ついでに歴史上の出来事や戦の勝敗は、自動的に発生する訳では無論なく、あくまで
人間が基ですからね…。
バックボーンや時代背景だけで物語が動いてしまっては、それは小説ではなく歴史解説書
ですし。

>有史以来の中国社会そのものへの深い見識を有し、広く当時の文化的、制度的、思想的、
>地理的背景を理解し、そこまで踏まえて「物語」を構築してみせてこそ、
>凡庸でありきたりで演義に引きずられていない「三国志」モノができるんだっつーの!

はっはっは。明らかにうちとこのコンテンツ選に漏れますな。
私も多少は中国史とか風俗史とかを勉強しましたけど、とてもここまで断言できるほどの
知識はありません。一生かかっても、きっとたどり着けないでしょう。

「演義の呪縛」…は、容易には解けないと思います。そもそも三国迷の大半は、「演義」
スタートですから、何とか面白い三国志小説を、と熱中する事自体が、既に羅貫中の術中
と思えなくもなく。思えば、ここまで完成されたノベライズってのは、世界中探しても、
そう見つからないかも。

16 名前:★ぐっこ:2003/06/21(土) 20:40
…と、話題が変な方向へ行ってしまいますね(^_^;) 
あくまでスレタイは袁紹はなぜ過小評価されるかでしたな。

>つーかさぁ、「演義」の面白いところでもあり問題なところってのはさぁ、個人劇化しすぎ?
>登場人物の行動を全部本人の性格や器量の問題にして説明しちゃうの。
>おかげさんで袁紹や劉表は一挙一動優柔不断優柔不断と無能を強調されてばっか!

答え出てますね(^_^;) 私もなんかこう、考えがもやっと胸の中につっかえてましたが、
この一文読んで納得!
劉表にしても袁紹にしても色々家中や領地に問題を抱え、その行動全てが自分の本意で
行ったわけでは無いのに、羅貫中はすべて個人の怠惰・怯懦に帰して描く。
上田様は、まさしくこのへんのしがらみを洗い出し、如何に袁紹が滅んでいったかという
過程を描きたいと思われているのでは?
私、こういう敗者側の解題は大好き! 大いに期待いたします!

17 名前:上田散人:2003/06/22(日) 03:01
>>「演義的個人劇」の呪縛の内、お釈迦様の手のひらの上に終わってるってーの。
>コレに関しては、意見が分かれるところでしょうね…。小説である以上、人間が
活躍してなんぼ。史料の解釈で許される範囲ならば、むしろキャラクターとしての
特性(能力含む)を出すのは、私は問題ないと思います。それこそ袁紹一党とか。
ついでに歴史上の出来事や戦の勝敗は、自動的に発生する訳では無論なく、あくまで
人間が基ですからね…。
バックボーンや時代背景だけで物語が動いてしまっては、それは小説ではなく歴史解説書
ですし。

嗚呼…、その通りです。いつも走り過ぎてしまい地雷を踏む私。
言い直しましょう。「演義」には多くの背景や状況の切り捨てがあるにせよ、
確固として人間ドラマに焦点が当てられており、それゆえに時代を超えた普遍性を持っている。
演義を越える、演義の虚妄を打ち破る、などと言っても「人のドラマ」を描くのである以上、
それはすでに演義と焦点を同じにしているのだ。
だからこそいくら新たなる「三国志の物語」が後に続こうとも、演義は決して色褪せる事無く、また絶える事もないだろう。

………とまぁ、一応フォローをしておいて上のレスで言いたかった事を付け足すと、
個々人の資質のみならず背景や状況に目配りしないと
肝心の「人間ドラマ」そのものにも深みが生まれないよ、という事なんです。
暗君、仁君、忠臣、逆臣、勇将、ザコ将、
しばしば演義の登場人物が類型的で、平板な印象を免れないのはそういう問題にあると思います。
類型的なのがイコール問題、と言ってしまえば言い過ぎですが
(では、そもそも人格のオリジナリティとは何だ? なんて話には首を突っ込みたくない)、
背景、状況、環境、情勢、その他もろもろの要因を切り捨てる事によって、
膨大な登場人物が時として薄っぺらなパターンに見えてしまうのはやっぱ残念ッスよぉ、なんて。
この個人劇に特化する事によって個人劇として厚みを失う事のジレンマ。
そんな事を言わんと走り過ぎて、あたかも歴史ドラマの人間主体を否定するかのように言ってしまった、という話で。

18 名前:上田散人:2003/06/22(日) 03:15
それにこれはただの「自戒」です。
もうすでに明白(バレバレ)ですが、私はただの暴走的キャラ萌え野郎です。
大言壮語(口先ばかりと言う)に実を伴わせる為にこそ、必死でエトセトラ勉強中です。

19 名前:上田散人:2003/06/22(日) 03:37
ぐっこさんの言う通りテーマからズレてきたので本題に戻りましょう。ついでに
>あえて声をあげるほど、袁紹解釈に不満がある本はやはり昔のものが中心です。
その具体的な不満については次のレスで。
と言ったきりにもなっていたので今回は(ようやく)その具体例を。

取り上げる作品はズバリ「秘本三国志」。
厳密に言えば袁紹の過小評価は、魏王朝=曹操を正統とする「正史」から始まっているのであって、
「演義」の影響を脱した正史準拠である本作にしても、袁紹が「演義」まんまの月並みな描写であるとかは、
この際槍玉に挙げるべきではないとは思う。
しかし、しかしだ。それを差し引いても個人的に私が引っかかったのは章末尾の「作者曰く」なのだ。

「敗因はすべて寝返りなので、袁紹の人柄に帰すべきであろう」(第四巻・黄河を渡るべきか)
 ……………じゃあ、陳宮・張バクの裏切りはどうなるんですか陳先生。

そもそも陳宮も許攸も乱世にありがちな、忠誠より自身の野望を満たそうとする謀士ですが、
張バクは仁義に厚い事で知られる気骨の士であり、曹操の無二の親友ですよ。
同じ古くからの友人でも、許攸の裏切りなんぞより、こっちの方がよっぽど曹操の人柄を疑わせませんかね。
まぁ、そこらへんは人によって意見も違うでしょうが……。

…………大体なぁ、巷にありがちな、官渡の戦いで袁紹の君臣関係を問題にし、対して曹操と部下との信頼関係を強調して、
比較象徴するパターンってのがすでになんだかなぁ。
官渡で曹操に撤退を踏みとどまらせた荀イクなんて、その後魏公就任を巡って決裂し、疎んじられているのに……。
荀イクら名士層の支持によって勢力を拡大し、基盤を確固たるものにしておきながら、
そこで自分が望む形の権力確立のために、一転名士層の弾圧を始めるというのも、袁紹とは別にえげつないなぁ。
自分としてはそう思っているんだけど、
本作「秘本」では、その荀イクとの決裂は「口裏を合わせていた」という事になっているんだよ、これが。
やっぱり袁紹が家臣と決裂したのは単に身を滅ぼしただけであったのに対し、
曹操は逆に確かな覇業実現へ邁進しての副産物であった、という違いなんだろうかねぇ。
そこらへんに秘本で「実は魏公就任反対は荀イクと口裏を合わせていた」という解釈を成り立たせる余地がある、と。
だから作品内における袁紹の評価は、秘本的、陳先生的には一貫したものになっているんでしょうな。
でもやっぱり章末尾の作者曰くは一方的だろう。

20 名前:むじん:2003/06/22(日) 13:47
はじめまして。横れすれす。

個人的には登場人物の心象風景の描写を主題とした小説はあまり好きではないです。
作者がそうした努力をすればするほど、結局その人物の心情は作者の心情の投影に過ぎなくなってしまいます。
袁紹の場合はそれこそ作者の凡庸性を反映したものでしょう。
むしろ事実(←作中の、ね)だけを淡々と書き連ねていくスタイルが好きですね。
そうした事件に対して登場人物が何を思ったのかは読者に委ねるのが最善の道です。
その点から言っても、『三国志』を元にして作られた創作物のうち
『演義』を越える作品はまだ見あたらないという観があります。
ちまたで語られる「萌え」という言葉は、その人物に実際的に備わる属性に対してではなく、
作中では触れられない余白に対して向けられているというのが私の観察です。
たとえば趙雲の武勇とか、諸葛亮の知略に対しては「萌え」ないわけです。
人物を類型的に作れば、それだけに読者の想像に委ねられる部分(つまり萌え要素)が多くなります。
読者が○○という作品が好き、と語るとき、
実際はその作品から導き出した自分自身の想像が好きなんですよ(多分)。
だから作者がその余地を削り取ってしまえば読者に不満が残る。
ネット上を見ればわかりますが、いかに『演義』が読者の想像力を刺激してきたことか…。
『演義』は人物を類型的に作ったからこそ、あれだけ二次作品を生み出すことになったんですよ。

そういう意味からいって、至高の三国志小説は
陳寿の書いた正史『三国志』であるとさえ私は思ってますよ。
(ニセクロさまの姜維や袁術についての考察は凡庸な小説より小説的でしょう)

21 名前:★ぐっこ:2003/06/22(日) 15:41
ヨコソー、むじん様
>たとえば趙雲の武勇とか、諸葛亮の知略に対しては「萌え」ないわけです。
コレかなり同意。歴史小説でもハァハァゲームでも、いわゆる「萌え」が発生するのは、
そのキャラクターの余白部分であることが多いですよねー。
ゴンタ風に言えば心の闇か?
いや、ゴンタはどうでもよくて。――確かに個々のキャラクターの内心描写を延々と
されると萎えますねえ。(もっとも、主人公に関しては、あまり素っ気ないのもアレですが)
そのへん、ナニゲなセリフで読ませるテキストは感心。
結局は、バランスなんでしょうけど。

ところで、ネットで三国志の小説をたまに読むことがありますが、ヤハリ目立つのは、説明の
長さ。人物でも事件でも背景でも。全文の7割を占めるくらい。
状況説明を含め、読者へ一方的な情報を与えるテキストは、2割以下に抑えるのが理想的と
言われてますが…。歴史物だと、多くて3割くらいかな?

三国志演義は、ノベライゼーションのお手本のような作品ですが、惜しむらくはザコ武将を
ぞんざいに扱いすぎましたね…。いや、だからこそ、後世、我々に妄想を差し挟む余地を与えて
いるのかもしれませんが…

22 名前:★ぐっこ:2003/06/22(日) 15:58
で、また話がそれましたが。袁紹。
>>19
むはー。陳舜ワールドは、ちょっと別!別!(^_^;)
かの先生に描かせたら、ほとんどの世界が予定調和というか、すべてが
シナリオ通りに動いているふうになりかねませんしねえ。

>>敗因はすべて寝返りなので、袁紹の人柄に帰すべきであろう
確かにてひどい論評ですが、陳舜作品うんぬんをおいといて、袁紹のみを
考えると、一つの事実ではあると思います。
曹操も劉備もみんな何回も裏切られてるんで、全員に当てはまる事では
ありますけど、袁紹は結果としてそれで滅亡したのですから、「そう言われ
ても仕方がない」って奴ですな。
「曹操だって…!」「劉備だって…!」といくらでも悪しき例をあげつらう
ことは可能ですけど、まあ一代で滅亡してないから、さほど叩かれないようで。

結局、結果論になるので、キリがありませんな。勝者側しかり、敗者側しかり。
具体的に袁紹がどれ程優れていたのか。それほど優れていた袁紹が、なぜ圧倒的
弱小勢力である曹操に敗れたのか。その過程論を見ていく以外に、公正な判断は
出来ないかも。

23 名前:上田散人:2003/06/22(日) 17:28
>20 むじんさんのレスに応えて

なるほど、なるほど、「演義」の普遍的価値とは「詳細な人間ドラマ」ではなく、
問題とは「諸々の背景の切り捨て」ではなく、むしろ逆であって、
想像力を刺激し、人間ドラマを喚起させる「切り捨て」もとい「余白」にこそ普遍的価値がある、と
(いうニュアンスで合ってますか?)。
「俺は思考の死角を衝かれたよ(BY蒼天・曹操)」という気持ちで一杯です。

「必読書150」ってぇ本で、かの浅田彰が「原典に直に触れる事は誤読の強度がある」
みたいなことを言っていたんですが、それに近いものを感じますね。
字面で展開されている思想の「それ以外」がよくわからないからこそ、
むしろ思考を刺激し、解釈を自分の中で導き出す生産的読書につながる、と(みたいな事を言っていた)。
私はそれもわかるんですが、どうしても原典を事前の予備知識もなく、
理解の助けもなく(格闘的想像に身を投じて)読み進むのが苦痛なんですよ。

また別に、よく言われる事で「哲学は時代背景を知っておかないと無味乾燥な抽象思考の
羅列にしか感じられず、身につかないぞ」というのがあって、私はこっちのスタンスに基づいているんですな。
だから例えば「論語」だったら、まず読むより先に孔子の略歴、春秋時代の情勢などを詳細に踏まえてから手を付ける。
背景に流れる時代的文脈こそ重視する。

しかしそれは決して、ただ一つの真実であろう解釈、に近づこうとするためのものではなくて、
むしろ知る事でより想像を刺激し、多様な解釈にひらかれたい、多様な解釈に触れたい、という思いからなんですよ
(史学者の間でこそ論争が絶えないように、調べれば調べるほど、知れば知るほどむしろ解釈は分裂して飽和してゆきます)。
(んだから、自分の「自分なりの解釈」というものはむしろ多くの解釈を吸収・咀嚼した上で形成されてるんです)。
それというのも私は多様な解釈にこそ(歴史の)強度を見出すからで。
「三国志」の普遍性は「吉川三国志」や「蒼天航路」を読んで帰納的に見出す。
しかしそれは、正しくむじんさんの言われているような、多様な解釈を喚起する存在である「演義」にこそ
普遍性を見出しているわけであって、まぁ最初からそういえばよかったわけですな。
「哲学は時代背景を知っておかないと無味乾燥な抽象思考の羅列にしか感じられず、頭に入らないぞ」という言に
代表される教養前提主義が先立って、>14 で一方的かつ傲慢な事をホザいてしまい、
>17 で言い直しても同じ轍を踏んでしまったと。

24 名前:上田散人:2003/06/22(日) 19:09
>ところで、ネットで三国志の小説をたまに読むことがありますが、ヤハリ目立つのは、説明の長さ。

そこらへんは当然分量もありますが、やっぱり演出でしょう。
ただ単に「説明的」だったらたとえ一字一句でもハナにつくわけですし。

例えば蒼天航路の18巻・203話の冒頭の、三人の男が蝋燭に火をともして討論しているシーン。
私は蒼天航路ってちまたで「名場面」や「見せ場」と言われているシーンより、
こういう何でもないシーンが好きなんですが、
ここでは現時点において考えられる曹操軍の対外政策が語られるだけでなく、
まず蝋燭に火をともして言い合っているというビジュアル面での演出があり、
そのすぐ後に現れた郭嘉の言う「後進とやらに慕われて云々→あんたらから戦の匂いがしてこない」
という弛緩した曹操軍の雰囲気をあらわす演出にもなっているんですよ。
よくよく二重三重に無駄のない「演出」が仕掛けられているもんですけど、
それくらい何の事はない、当然だと思うでしょ。その当然が絶えず通奏低音しているのが大事なんです。
下手な小説や漫画だと、これがイチイチ流れをさえぎった
「説明」「状況概略」になるから、読んでてもう苦痛になってくるんですよ。
横山光輝だったらイチイチ家臣が名乗り出て、手を広げて喋って、
「ふむぅ」って殿がアゴに手を当てて(笑)、その繰り返しばっかり。
いや、横光三国志は下手な漫画じゃないですけどね(笑)。

25 名前:★ぐっこ:2003/06/29(日) 12:30
遅レスですが…
上田様の仰ってるの「演出〜」は、シーン描写のことでしょうか…?
そうではなくて私の言う説明というのは、たとえば「党錮」が話題
にあがったとき、延々と数十行かけて党錮の禁の説明をしている、
という意味です。
あと、官位とか爵位とか、無論説明は必要なのですが、明らかに長すぎる
蘊蓄が続く場合も…(^_^;) 
要するに、ウチとこの北伐小説みたいなカンジになってる、
って意味です。
田中芳樹あたりだったか、三国志書きたいけど、今の自分だと説明が
長くなりすぎて書けそうにない、みたいなのをどっかで書いてたような。
以上。

26 名前:左平(仮名):2003/06/29(日) 23:13
>ぐっこさん

それはそうと、なぜこのレスはsageになさったのですか?
作中の説明については、私も他人事ではないもので、上田さんのご指摘などは、耳が痛いです。
ここのところ、日曜の晩にちょこちょことしか書いてないもので、自分の筆力がかなりなまってる様な気がします(もともと大したレベルではないというのにこのざまでは…)。

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