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■ 短編(?)です。

1 名前:左平(仮名) :2005/01/01(土) 02:36
文と威

一、

(むっ…。ふぅ。だめか。体が動かぬ。おれもこれまでってことかな…)
男は、心の中でそう呟いた。

倒れてからまだそんなには経ってはいないので、これといった衰弱の色は見えない。
この人は死病に冒されている。この場面でそう言われたとしても、納得できる人はいないであろう。なにしろ、男は人並み外れた膂力の持ち主として知られており、その筋骨には目を見張るものがあるのだから。
しかし、得体の知れない病魔は、確実に男の体を蝕んでいた。男の体のあちこちに、健康な時では有り得ない痛みやだるさがある。そしてそれは、弱まるどころか、時が経つに連れてより一層激しさを増すのである。

男は、かすかに首を傾け、目を開けてみた。男の体は、いま牀(寝台)に横たわっている。その周囲には、数人の男女が心配げに佇んでいるのが見えた。家族と、側近の者達である。
皆、若い。年少の者は十代、年長の者でも、知命(五十歳)に達しているかどうかといったところである。なにしろ、彼らの主であるこの男自身、まだ三十の半ばという若さなのだ。
「殿下はいかがなされたのであろうか。今まで病らしい病に罹られたことなどなかったのに。わしにはさっぱり分からぬ」
「わしにも分からぬ。昨日参内なさった時には倒れる気配などみじんも感じなかったのだが」
「そうじゃ。倒れられたのは、参内を終えて公邸に戻られてから…。よもや…」
何か触れるのが憚られる話になったのか、急に声が小さくなった。

「まさか!その様な事が…」
「いや、有り得んとは言い切れぬかと…」
「確かに…殿下は立場的にケン【西+土+β】城王、いや、今は雍丘王であったか…に近いお人ですからな…」
「しかし…殿下は陛下の弟君ではないか…それをどうして…」
「それを言えば、雍丘王とて同じではないか。殿下も雍丘王も、陛下とは同母兄弟なのですぞ」
「う、うむ…それはそうなのだが…」

(何かと思えば。またその様な話か…)
男にとっては、体の痛みよりも、そのような話の方が不快であった。しかし、彼らの話はとめどもなく続いている。

2 名前: 左平(仮名):2005/01/01(土) 02:37
ふと気付くと、何やら足音が聞こえた。と思うと戸が開けられ、そこには息を切らした少年が立っていた。嫡子の楷である。
「父上!しっかりしてくだされ!」
彼には、今までひそひそ話をしていた家臣達の様な不快さは感じない。彼はただひたすらに父親の身を案じている。その純粋さこそ、男が愛でるものである。
「その声は…楷か…」
いまは、声を出すのも辛い。しかし、楷の哀しげな顔は見たくない。何とか力を振り絞って声を出した。

「はい!父上、もうしばらくのご辛抱です。ただいま典医を呼びましたゆえ、気をしっかりとお持ちくだされ」
「そうか…」
我が子が衷心から自分の身を案じてくれていることは嬉しい。しかし、典医が間に合ったところで、無駄であろう。
なぜか、男にはそう思えてならなかった。
自分の体の事は自分が一番よく分かっているなどと言うつもりはない。しかし、自分の命は、もうここらへんでおしまいではないのか。どうもそんな気がしてならないのである。
(まぁ、武人として腕を振るう事も無いだろうしな。長生きしてもしょうがないか。楷ももう童子ではないし、おれが死んだとしても何とかなろう。陛下にとっても甥にあたるのだし…)
(ただ…。三十年余りも生きてきて、為しえた事はこの程度か、とも思う。武人として名を挙げんと欲したが、手柄らしい手柄といえば、五年前の烏丸討伐くらいだしな。先帝…いや、父上から見て、おれはどうだったのであろうか…)

そんな事を考えながら、男の意識は徐々に混濁していった。気分は悪くない。いや、むしろ心地よいくらいである。
(死ぬ間際というのは、こういうものか。何か、初めてではない様な気がするな。なぜだろうか…)
(ああ、あれは亡き長兄…。懐かしいなぁ。そう、おれが武人たろうとしたのは、ちょうどあの頃の事だった…)

3 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:21
二、

「誰だ!牆垣を壊したのは!…彰、またそなたか!」
「ごめんなさい!つい…」
「ごめん、とかつい、ですむか!こっちに来い!おしおきだ!」

(そうそう、たびたびものを壊したから、よく父上には叱られてたなぁ。ただ…)

「これに懲りたら、もう二度とこの様な事はするでないぞ!それと、もっと体を大事にせい!怪我をしておるではないか!」
「は−い、分かりました」
「軽々しく考えるな!人の体というのは存外弱いものなのだぞ!」

(あの時に限っては、なぜか父上が怖いとは思わなかった。むしろ、おれの体を気遣ってて、妙に優しげに見えた)

「あたた…。今頃になって痛くなってきた…」
「どうした、彰。冴えない顔して。ははぁ、また父上に叱られたか」
「あ、兄上。『また』は余計ですよ」
「余計ったって、事実だろ。まぁ、兄として一言言っとくよ。体が健やかなのはいいけどな、そなたも曹家の子の一人として恥ずかしくないよう、そろそろ何か始めろよ。そなたもいつまでも子供じゃないんだしな」
「何かって…何をすればいいんですか?」
「いろいろあるだろ。『六藝(礼、楽、射、御、書、数)』とか『六経(詩経、書経、易経、春秋、礼記、楽経)』っていうくらいなんだから。父上はそれらの全て、おまけにあれやこれやと極めておられるというが、そなたにはそこまでは求められんだろう。何か一つでもいいから打ち込んでみろよ」
「分かりました。何がいいか考えてみます」
「ああ」

(ただ…そうは言われても、どういうわけか、おれは書物を読むのが苦手でしょうがなかった。じっと座ってられないというわけではないが、あの『字』というやつがどうにも馴染まなかったんだよな…。で、ふと気付くと、おれは兄上のところに来ていた…)

4 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:22
「どうした、彰。めずらしく考え事か」
「もう、兄上まで。『めずらしく』はないでしょう。わたしだって考え事の一つもしますよ」
「なんだ、私より先に何か言われてたのか」
「ええ、さっき、長兄に言われたんですよ。『何か一つでもいいから打ち込んでみろよ』って。何がいいんでしょうか」
「何、と言われてもなぁ。私は一通りやってるから、そんな事なぞ考えもしなかったが」
「ひ、一通りですか。長兄は『父上はそこまでは求められんだろう』っておっしゃってましたけど…」
「確かにな。私達は庶子に過ぎぬ。嫡男である兄上とは異なる立場だから、そうおっしゃるのも無理はない」
「じゃ、どうして兄上は…」
「父上からみれば庶子の一人だが、母上の子としては、私が長子だ。その私がいい加減な振る舞いをしてみろ。母上まで謗られることになりかねん。違うか?」
「それは…」

(兄上の、そしておれが当時置かれていた立場がどの様なものであったかなどとは、それまで考えた事もなかった。やはり兄上は並みのお方ではなかったという事だな)

「それに…」
「それに?」
「いや…今のは忘れろ。ともかく、庶子だからといって安穏としていられるとは思ってはならぬという事だ。ましてや、今は大変な時代だからな」
「分かりました。ただ…どうもわたしは兄上の様にはいかないみたいです」
「そうか。それなら無理にとは言わん。だがな、一つ言っておく。そなたは曹家の子であり、母上の子でもある。そなたの身はそなた一人のものではないのだという事を、くれぐれも忘れてはならんぞ」
「はい。不才ながらこの彰、できる限りの事をいたしましょう」
「はは。そなたからその様な堅苦しい言葉が出てくるとはな」
「もう、兄上ったら」

(あの頃の兄上…今は陛下だが…とは気軽に話せたな。長兄とは親子ほども年の差があったからちょっと身構えてたけど、兄上とは同母兄弟で年も近かったし、それに、何だかんだ言っても、互いに庶子という気楽さもあったのかな…)

5 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:23
三、

(ともかくおれには、おとなしく書物を読むという選択肢はなかった。武芸しか選びようがなかったってわけだな)

「それでは、武芸を学びたいと思います」
「武芸か。となると、射術、馬術、それに撃剣といったところだな」
「じゃ…まずは射術を」
「そうだな。射術は、道具と的さえあれば一人でもできるからな。どうだ、試しにやってみるか」
「えっ、いいんですか?」
「ああ、さっきまでやってたからな。道具も、ほら、ここにある」
「ほんとだ。じゃ、早速ですけどやってみます」
「弓の引き方、分かるか?」
「え−と、見た事はあるんだけど…よく分かりません」
「こうするんだ。よく見とけよ」
「はい」

(兄上は六歳で射術を、八歳で騎射を体得されたという。胡人ならともかく、中華の人がこの年で体得するというのは大変なこと。考えてみると、おれはいい師に恵まれたもんだ)

弓から放たれた矢は、わずかに放物線を描くと、的のほぼ中心に当たった。腕に覚えのある武人でもこれほど見事には当たるまい。そう思わせるほど、丕の射術は優れていた。

「さあ、やってみろ」
「え−と…こんな感じですか」
「まずは何でもいいから弦に矢をあてがって引き絞り、そして放て。やってみん事には何とも言えん」
「む〜、えいっ!…ありゃ」
「…いかんな。まずは矢を放つことからだ。もう一回!」

(そう簡単にはいかなかったけど、しばらくやってるうちに、ともかく矢を放てるようにはなった。で、初めて的をめがけて射た…)

6 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:24
「どうだ。このあたりの的を射てみるか」
「はい。ところで、どこを狙えばいいんですか?」
「まぁ、的の中心だな。矢を放てるからといって、狙ったところに放てん事には意味が無いからな」
「え−と…」
「おいおい、的の中心が分からんのか?しょうがないな。今回限りだぞ」
「じゃ、いきますね−」
「よし、いけ」

(おれに気遣ってか、的の中心に墨を塗ってくださった。兄上は『小さい点を描いただけだ』とおっしゃってたが…気のせいか、おれには大きく見えた。おかげで、狙いが付けやすくなったなぁ)
(『荘子・田子方篇』にいう。『列禦寇、伯昏無人の為に射る。これを引きて盈貫し、杯水を其の肘の上に措く。これを発するに、適矢は復沓し、方矢は複寓す』…理想は「不射之射」だが我らには「射之射」で足る…ゆえに、この時の列禦寇の姿を模するべし…。なぜだろうか。そういえばあの時、こんな言葉が頭をよぎったな。『荘子』なんて読んだ事もないから本当かどうかも分からんのに。ともかく、その言葉どおりに弦を引き絞って矢を放った…)

「えいっ!」

(…矢は、見事に的の中心に当たった。後で考えると、この時、実にいい姿勢で射たんだよな。あれがなければ、おれは武人にもなれなかったかも知れん。そう思うと、ほんと、よく当たってくれたもんだよ)

「すごいな、彰。そなた、ひょっとたら弓の名手になれるかも知れんぞ」
「そうですか?それは褒め過ぎでしょ」
「いや、分からんぞ。これからどんどん鍛えれば、あるいは…。そうなってくれれば、私も、そなたの兄として誇れるというもんだ」

7 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:24
四、

(兄上に褒められるなんて、そうそうある事じゃなかったからな。おれは嬉しくて、毎日飽きることなく射術の鍛錬にいそしんだ。もちろん、騎射の鍛錬にも励んだ。こう言うと我褒めになるが、武術については、おれも兄上並に早々と体得した。あの頃は、本当、楽しかった…しかし…)

−建安二(197)年、長兄・昂、討死。ほどなく、昂の養母で正室の丁氏が離縁された。それに伴い、側室だった卞氏が正室となり、次兄の丕が嫡男になった−

(長兄が亡くなられてから、兄上は名実共に後嗣になった。早くから六藝・六経を学んでおられたのは、乱世を憂え、こういう事があった場合に備えていたからだったのだ。そう想うと、おれはまだ気楽なものだったな…)
(…その後、おれも父上につき従って幾つかの戦いに臨んだ。呂布との戦い、劉備との戦い、そして袁紹との戦い…。兄上が遭遇したような危難には結局遭わなかったが、父上や兄上の姿、それに長兄の最期を思うにつけ、このままでいいのかという想いがあった。しかし…この様な時代の中で、おれはどうすればいいのかは分からずにいた…)

長ずるにつれて、彰の体は父・操や兄・丕よりも大きくなり、体格に応じた骨肉と膂力を備えるようになっていった。中でも膂力は、父の配下の武人達にもまさる程であった。しかし、それでも身の丈は八尺(当時の一尺≒23pなので、約184p)には満たず、特に恵まれた体躯というほどではなかった。

(ほんと、許チョ【ネ+者】が羨ましくてならなかった。あいつは軽く身の丈八尺を越えてるし、胴回りも太いから、その図体だけで父上や兄上を守り通すことができる。おまけに、牛の尻尾をつかまえて引きずることさえできる怪力の持ち主ってんだから…。父上から見ると息子と護衛だから立場は違うとはいえ、自分が許チョ【ネ+者】に劣っていると想って焦燥感ばかりが募ったもんだ)
(そんな頃だったな。あいつらに出会ったのは)

それは、父・操による袁氏掃討が、いよいよ大詰めを迎えようという頃だった。彰は、そろそろ志学(十五歳)を迎えようとしていた。

8 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 01:25
「父上、お呼びですか」
「おお、彰か。入れ」
「はい、では」
「なに、そうかたい話ではない。…そなたの武術の腕前は相当なものというが、自分ではどの程度だと想う?」
「はぁ…。我流としてはなかなかだと想いますが、実践の機会がなかなかありませんから、何とも…」
「そうか。まだまだ鍛えなければというところか」
「はい」
「それなら、うってつけの者がいるぞ」
「えっ?それは一体…」
「近頃わしのもとに来た胡人の男だ。身分こそ低いが、武術の腕前は我が配下の猛将どもにも劣らぬぞ」
「配下の…と言いますと、あの張将軍(張遼)と比べても、ということですか」
「うむ。立ち合わせたわけではないから正確な比較はできんが…わしが見たところ、そう見劣りはせんだろうな」
「それほどの方がなぜ将になられないのですか?」
「わしにもよく分からん。何でも、本人にその気がないということだ。その気がない者を将にはできぬ。身分が低い者では不満か?」
「とんでもない。張将軍にも劣らぬ方となれば、喜んで師事いたします」
「そうか。なら決まりだな。おい、冒突、入れ」
「お呼びですか、殿」

冒突と呼ばれた男が入ってきた。彰より一回り大きいだろうか。いかにも歴戦の武人といった、精悍な面構えである。

「これは、我が仲子の彰だ。武術を好む。そなた、これの師として武術を教えてやってはくれぬか」
「殿のご命令とあらば、喜んで」
「よし。では早速、指導に入ってもらおうか」
「はい。若殿、それでは別室に参りましょう」
「えっ?武術の指導を受けるのに、どうして室内なんですか?」
「指導の前に、若殿の人となりを拝見しとう想いまして」
「そうか、そうだな。彰。しっかり教えを受けてこいよ」
「はい」

9 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:26
五、

「若殿、どうぞおかけ下され」
「はい」
「まずは、そのご尊顔をとくと拝見しとうございます。…それにしても、漢人には稀なお姿でございますな」
「そうですか?鏡を見たこともあるけど、そんなに変わってるとは思いませんが」
「お気付きではありませんか?その髪、そして眼の色を」
「ん?髪?眼?まぁ、確かにちょっと色が薄いみたいですけど…それが何か?」
「その髪、眼の色は生来のものですよね。そして、既に騎射を体得なさっておられる」
「そうですよ。まぁ、騎射は我流というやつですが」
「となると…。若殿、あなた様は大変なお方ですな。既に、世にも稀なる武人でございますぞ」
「え?どういう事ですか?」

まだ実際の動きも見てないのに、たかが髪と眼の色一つで、何をおおげさな。彰はそう思った。しかし、それに構わず冒突の話は続いた。

「若殿。あなた様の様なお方は、普通、武人にはなれぬのですぞ」
「?」
「それでしたら、問いましょう。若殿。あなた様は、書物を読まれるのが苦手ですな?」
「そうですけど…それと武術と何の関係が?」
「書物を読みたくないのは…書かれている内容が理解できないからというより、字を読むのが苦しいから。違いますか?」
「ん!ま、まぁそれはあるかな。話を聞くぶんにはそんなに苦にはなりませんが…」
「さらに問います。昼間はおろか、夙夜にあっても眩しいと感じる事がしばしばあるのではないですか?」
「確かに…。な…なにゆえそこまで分かるのですか?」
「分かりますよ。似た様な者を見た事がありますからね」
「あなたは一体…」

この男、何者なのか。どうして自分の事をこうも言い当てるのか。彰は、珍しく背に汗が浮かぶのを感じた。

10 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 01:26
「私ですか?私は匈奴の出ですが、別に特別な者ではございません」
「匈奴には私の様な者が多いのですか」
「いえ、特に多いというわけではございません。たまたま、私がその様な者を見知っていたというだけの事です」
「その者はどの様な者だったのですか?」
「今、私が申しました通り、その者は眼が弱うございましたので、武術は不得手でございました」
「それは、体躯とは無関係に?」
「はい。その者もなかなかの体躯をしておりました。しかしながら、眼が弱いゆえ、射術がうまくできぬのです。我らの中で射術ができぬというのは、それこそ士大夫が字を読めぬというのに等しいのです」
「では、私が人並みに射術を行っているというのは…」
「そうです。それ自体が一つの奇跡なのです。ゆえに、若殿は大変なお方なのです」
「何と…」

史書には、彰の容貌について、「黄鬚(黄色い鬚)」と記している。鬚が黄色いとなれば、恐らく髪も黄色であったろう。しかし、父・操も母・卞氏も、その髪の色について、格段の記述はない。
彼一人が不倫の子であるとは考えにくいし、万が一そうだとしても、当時の漢に金髪の人間などどれだけいたであろうか。
となると、彰は一種の突然変異 −この様にメラニン色素の量が少ないのを、学術的にはアルビノ(白子)という− であったのかも知れない。

「ま、まぁ、その様な者の中では、私が非凡だというのは分かりました。しかし、だからといって、私が皆の中にあってなお非凡であるかどうかは…」
「確かに、そうですな」
「では、私から一つお聞きしたい」
「何でしょうか」
「父から、あなたは張将軍にも劣らぬほどの腕前と聞きました。なにゆえ将になられないのかはまたあらためてお聞きするとして…。それほどの方でしたら、さぞや多くの将のもとで戦ってこられたでしょう。でしたら、ご存知のはずです。優れた将となるには何が必要かという事を」
「私は将としての経験がないという事をご承知の上で聞かれるのですな?」
「ご自身は将でなくとも、戦いの中で何かを見聞されているはずです」
「そこまでおっしゃるのでしたら…私で分かる範囲ですが、お話しましょう」

11 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:18
六、

「幾多の戦場を駆ける中で、私なりに気付いた事があります」
「それは、どの様な事でしょうか?」
「ごく簡単に申しますと…将たる者には『威』と『徳』とが必要だという事です」
「『威』と『徳』ですか。詳しく教えてくださいませんか」
「兵書を読んだ事がありませんから、兵法として正しいかどうかは分かりません。それでもよろしいですか?」
「ええ。それはあなたの経験に基づいてますよね。それなら、ただの字よりもずっと為になるかと」
「では、お話しましょう」

「『威』というのは、まぁ、威厳ですな。『兵や将校達が、このお方には従わなければならないと思うだけの何か』です」
「何かって…いったい何なのですか?それが分かりませんと」
「それは、お父上をご覧になるのが一番でしょう」
「父上の持つ『威』…」
「一言付け加えますと、お父上の持っておられる『威』と若殿の持っておられる『威』は異なります」
「父上と私とでは『威』が異なる?そうおっしゃられても分かりませんよ」
「いえ、そう難しい事ではございません。お父上と若殿とでは、年齢・官位・貫禄・容貌・知識・体格・膂力・声…全く異なるでしょ?」
「ええ。容貌は似てますけど、他は随分異なりますね」
「お父上の『威』は、それまでに培ってこられたものから発しています」
「確かに。父上はこれまで、数え切れないほどの戦いに臨み、そして勝利された」
「…って事は、まだ戦いの経験の乏しい私には『威』がないという事ですか」
「若殿に『威』がないとは申しておりませんよ。お父上とは異なるというだけで」
「この私のどこに『威』が?」
「あるではごさいませんか。人並外れるという武勇が」
「ま、まぁ…そうですかね…」
「それも『威』になり得るのですよ。張将軍をご覧になればお分かりでしょう」
「なるほど」

12 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:19
「では、『徳』というのは?」
「ありていに申せば、『この将に従えば戦いに勝ち、生還できるかどうか。そして、褒賞にあずかる事ができるかどうか』という事です」
「戦いに勝てるかどうかというのは、結局はその将器に帰するものではありませんか?」
「そうですね。その通りです。ただ、私の申し上げます『徳』というのは、単に兵略の才のみを指すのではありません」
「と言いますと?」
「なるほど、『威』と兵略の才をもってすれば、眼前の戦いに勝つ事はできましょう。しかし、それが戦いの全てではございません」
「ふむふむ」
「たとえ戦いに勝っても、その為に多くの兵が犠牲になるとすれば、どうでしょうか。戦う以上、その勝敗に関わりなく幾許かの死人は出ます。しかし度が過ぎれば、兵はその将とともに戦おうとしなくなるでしょう。将の手柄の大小はまあ措くとしても、自分が死んでしまっては何にもなりませんからね」
「確かに、そうですね」
「将とともに戦う気がしないというのは、兵達の士気が上がらないという事です。そんな事で次の戦いに勝つことができましょうか」
「それは無理です」
「さらに、戦いに勝っても、命に背くなどとされて主君に疑いをかけられたとすればどうでしょうか」
「それは…」
「そんな事では、たとえ手柄をたてたとしても評価されますまい。いや、それどころか、あらぬ疑いをかけられて死を賜るなどという事さえ有り得ます。特に書物を読まずとも、その様な例はいくらでも見出せましょう」
「確かに。袁氏の将であった麹義など、界橋の戦いで大手柄をたてたにも関わらず、驕慢の故に粛清されたといいますからね…」
「そうです。ゆえに、周囲と和し、賞を受ける為の『徳』が必要なのです」
「う〜む…」

13 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:20
七、

(おれが将たる事を意識し始めたのは、この時だったのかも知れない。考えてみれば、父上の子である以上、一介の武人というだけでは済まないからな)

冒突の話を聞いた彰は、しばらく考え込んだ。父にはなく、自分にはあるこの武勇を、いかにして『威』に転ずるか。また、どうすれば『徳』を得られるか。
それには、更なる鍛錬と経験を積むしかないというのは分かった。その為には、今後、従軍できる機会を無駄なくおのれの血肉とせねばなるまい。また、より一層武術を磨き、誰からも侮りを受けない、揺るぎないものにする必要もある。

「それでこそ、私が見込んだお方というものです」
「えっ?私はまだ何もしてませんよ。考え事をしただけで」
「ええ、傍目にはそう見えるかも知れません。しかし、若殿は、このわずかな間にも、将としてかくあるべきかを考えておられました。そういうお方であってこそ、将として成長できるのです。私には分かります」
「そうかな」
「ええ。ところで、話は変わりますが…一つお願いがございます」
「何でしょう?私にできる事でしたら何なりと」
「我が娘・飛燕を…もらってはいただけませぬか」
「えっ!?私は、ようやく志学を迎えたばかりですよ。それに、婚儀となると父上や母上に伺いを立てないと…」

兄の丕でさえまだ妻を娶ってはいないというのに、弟の自分が先というのはどうか。まず思い浮かんだのはその事であった。それに、彰は今まで女というものを意識する事さえ殆ど無かった。

14 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:20
「いえ、正室になどど厚かましい事は申しません。側室、いや婢女でよろしいのです」
「それはいいのですが…どうしてまたその様な話を」
「実は…我ら父子と飛燕の母は、かの董卓の乱の時に生き別れてしまいましてな」
「そういう事があったのですか」
「ええ。恐らくはあの混乱の中で死んだのでしょうが…まだ未練がございまして、今も探しておるのです。とはいえ、辺境にあってはあても無く…。ですが、今や漢朝の第一人者であられる殿の御許でしたら、何かしら手がかりが得られるかも、とそう思いまして」
「将になりたがらなかったというのはそういうわけですか」
「まぁ…」
「いいですよ」
「ありがとうございます。おい、飛燕や。若殿のお許しが出たぞ。入りなさい」
「若様、初めまして。冒突が娘・飛燕でございます。どうぞかわいがってくださいませ」
「ああ…分かったよ」

(あの時は女というものを知らなかったからな。もう何が何やらさっぱりで、飛燕の顔さえよく分からなかったもんだ。しかし、あれから二十年近くも経って振り返ってみると、おれは女運にはわりと恵まれてたな。初めての相手があんなにいい女だったんだからな)
(あとで知った事だが、父上も兄上も、若い頃から艶めいた話には事欠かなかったとか。いや、植もかなり早かったというな。志学を過ぎてからという俺が一番遅かったのかも知れん。まぁ、多少の早い遅いはあまり関係なかった様だが…)

「やれやれ、この冒突、こんな嬉しい事はございません。若殿、さっそくですが、ささやかながら粗餐をふるまいましょうぞ」
「えっ、なにか酒食の類でも?」
「はい。我ら遊牧の民に古来より伝わる料理をば」
「へぇ、どんなものですか」
「では、今からお見せしましょう。飛燕、羊を」
「はい。しばしお待ちください」

15 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:21
八、

「若様、父上。用意ができました」
「では若殿。参りましょう」
「えっ、どちらに?」
「この料理の支度は野外でするものですからね。ちょっと外に」

外に出てみると、日はだいぶ西に傾いていた。徐々に日は長くなっているとはいえ、さすがにもう薄暗い。
「父上、この羊なぞはいかがでしょうか」
「うむ。いい具合に肉がついておるな。…では若殿。これより調理に取りかかりますぞ。飛燕。火と炭と串、あと塩を用意してくれ」
「はい」
「調理ったって…まだその羊、生きてますよ」
「ええ、これからさばくのです」
「これから?」
「ちょっと待っててくださいね。すぐ終わりますから」

冒突の手には、小刀と大きな容器があった。何も知らない羊は実にのんびりとした様子である。彰は、羊を見る冒突の眼に、一瞬異様なものを感じた。
次の瞬間、冒突により、羊は仰向けに倒されていた。そして、小刀を握った右腕が羊の脇腹に叩きつけられたかと思うと、羊は、ぴくりとも動かなくなった。

「な…何が起こったんだ?」
「我らは、あの様にして羊をさばくのです。ああする事で、羊に余計な苦痛を与えずに済むし血も無駄なく使えるのです」
「えっ?じゃ、もう羊を殺したってのかい?」
「ええ。ほら、あとは皮をはいで肉と臓物を切り分けるだけです」
「なんて技だ…」

16 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:22
冒突は、その後も驚くほどの手際の良さで羊を解体していき、日がすっかり暮れる前に料理はできあがった。

「ほら、できましたぞ。若殿、さあ、たくさん召し上がってくだされ」
「じゃ、いただくよ」

(あの時の羊、野趣にあふれてけっこう美味かったなぁ。しかし、俺にはあの技が頭から離れなかった。どうすればあんな事ができるのかと、しばらくの間、そればかり考えてた)

「う−ん…あの時、右手に小刀を持ってたよな。手首、いや肘の近くまで羊の脇腹に入り込んでたから、小刀で脇腹を切り裂いて手を突っ込んだのは分かるんだけど…その先がどうなってるのか…」
「若様。早くお休みになりませんと。明日は早いそうではございませんか」
「ああ、今行くよ…。えっ、そなたもこの褥に入るのかい?」
「いけませんか?わたしは今日から若様の婢女。若様が眠りにつかれるまでお側にお仕えする勤めですよ」
「いや、まぁそうなんだけど…。ずいぶんと薄着だね…」
「それは…。殿方に仕える女には夜のお勤めもございますから、いつ催されてもいい様にいたしませんと。若様は、女がお嫌いですか?」
「いや、そんな事はないよ。ただ…何分、勝手が分からないから…。その、夜のお勤めとやらはもう少し待ってくれないかい」
「分かりました、お待ちいたします。ですが、せめて同じ褥には入れてくださいませ」
「ああ」
「お休みなさい」
「お休み。…飛燕の体って、柔らかくて、暖かくて、気持ちいいなぁ…」

(結局、あの夜はただ寄り添って寝ただけだった。ふふ、若かったな、お互いに)

17 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:22
九、

「えい!」
「なんの!」

虚空を切り裂く音がしたかと思うと、凄まじい打ち合いが演じられる。彰と冒突の武術の鍛錬は、日を追うごとに激しさを増していった。
打ち合いながら、冒突は、彰の成長ぶりをひしひしと感じる。一方で、何かを言い出しかねているのも感じていた。

「お疲れ様」
「お疲れ様です。…ところで若殿、何か私に聞きたい事があるのではありませんか?」
「え、気付いてたのかい」
「気付きますよ。それであれだけの打ち合いをなさるというのはすごいですがね。しかし、何を聞こうとなさってるのですか?まさか、飛燕がお気に召さないとか?」
「いや、あの娘はいい子だよ。ずっと側においておきたいし、子を儲けてもいいと思ってる」
「では、何を?」
「あの技を教えて欲しいんだ」
「あの技?若殿に隠している技などございませんが…」
「いや、あの時、羊をさばいたあの技だよ」
「ああ、あれですか。別に、特別なものではありませんよ。我らが昔からやってる事ですから」
「じゃ、教えてくれるのかい?」
「それはいいんですけど…。そうすると若殿、これから当分、覚えられるまで、羊ばかり召し上がっていただく事になりますよ」
「承知の上だよ」
「それでしたら、お教えいたしましょう」

18 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:23
「まず、羊を仰向けに倒します」
「うん」
「次に、手に持った小刀で、羊の脇腹をすっと切り、そこから手を差し込みます」
「そう、そこまではあの時見えたんだ。その続きがどうなってるのかが分からない」
「腹の中には、肋骨の他に、心臓や肺腑を守る為の膜がありますから、手でそれを破り、さらに奥まで突っ込みます」
「そう言えば、手首どころか肘のあたりまで入ってた様な気がするな」
「その通りです。膜を破った手は、次に心臓まで持っていき、ひときわ太い血管を引きちぎります。そうすると羊は、衝撃と失血によりすみやかに死ぬのです」
「しかし、その時には血は一滴も出なかった。あれはどういう事?」
「あれは、血を胸の中に溜め込んで、外に流れ出ない様にしていたのです。ですから、調理する時にどっと溢れ出たのです」
「そういう事か」
「しかし…すみやかに心臓に届かないとえらい事になるな。羊も苦しませてしまうし」
「そうですね」
「どうすれば心臓の位置が分かるかな?」
「まぁ…まずはその拍動を確認してみる事ですな」

そう言うと、冒突は、羊をひょいと仰向けにしてみせた。羊は、呆れるほど抵抗しない。

「このあたりですよ。耳を当ててみなされ」
「どれ…本当だ。確かに聞こえる」
「我らは、こうして羊とじゃれあいながら、おのずと臓器の位置を把握してるのですよ」
「なるほどなぁ…。何となく、見えてきたよ」
「では、いきますか」
「そうだ、一つ頼みがある」
「何でしょうか」
「この技は…できるだけ内緒にしたいんだ」
「なぜですか?」
「ちょっと考えがあるんだ」

19 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:23
十、

彰は、それからしばらくの間、その技を体得すべく励みに励んだ。
一体、何日羊ばかりを食べただろうか。身も心も遊牧の民になりそうな、そんな錯覚さえ覚えるくらいだったある日、ついにその体得に成功したのである。

「よっ、と。で…、むんっ!…ふぅ。こんなもんかな」
「お見事です。これなら、もう羊の解体などはお手のものですな。しかし…この技を体得していかがなさるおつもりですか?」
「言っただろ、考えがあるって。ちょっと父上のところに行ってくる」
「はて…?」

「父上、お願いがあります」
「何事かな?」
「私に、数頭ばかり虎狼の類を頂けませんか?」
「そんなもの、一体何に使うつもりだ?飼いならそうとしても無理だぞ」
「飼いならすのではございません。我が武術の鍛錬に用いたいのです」
「ほう。虎狼を相手に鍛錬をしようと言うのか。では、わしの元に返ってくるのは虎狼の毛皮というわけか」
「ええ、そうなります」
「まぁ、良かろう。好きにするがよい」
「かたじけのうございます」

何日かして、彰のもとに虎狼が届けられた。

「で、若殿。この虎狼どもをいかがなさるおつもりで?」
「こやつらを、羊の如くさばいてみせようと思ってな」
「えっ?よした方がいいですよ。こいつらの肉、そんなに美味いもんじゃありませんから」
「肉を食らおうってんじゃないよ」
「まさか…」
「そう、そのまさかだ。私は、こいつらと格闘し、そして勝つ。虎狼に打ち勝ったとなれば、世に名が知れるというものだろ?」
「まぁ…そりゃそうですが。でも、狼はまだしも、虎は危険です。お止めくだされ」
「いや、そうもいかん。私には、まだ『威』が足りんからな」
「『威』を得る為に…ですか…」
「よぉ−し、かかって来い!」

20 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:24
彰が構えるか否かというところで、虎が飛びかかってきた。
いくら武術に長け、羊を巧みにさばいてみせたとはいえ、虎では相手が大きすぎる。誰もが、彰が負けると思った。
冒突でさえ、事あらば直ちに彰を助け出すべく得物を構えたほどである。しかし、次の瞬間。

虎は、虚を衝かれたと言わんばかりの間抜け面を晒していた。その足元には、彰の体はない。どうやら、虎の一撃を避ける事ができたらしい。

「わ、若殿はどちらに?」

気が付くと、彰はいつしか虎の背後に回り込んでいた。

「えい!」

そう言うや否や、彰は虎の脚を蹴り飛ばし、横倒しにした。そして、顎と前足の根元付近に立て続けに拳を叩き込んだかと思うと、脇腹に手を伸ばした。
「…決まった…」
虎と人との死闘は、存外呆気なく終わった。彰には傷一つない。完勝であった。

「若殿、いつの間にこれほどの腕前に…。やはり、我が目に狂いはなかった。このお方こそ、類稀なる武人」

彰の、そして冒突の顔に、満面の笑みが浮かんでいた。

21 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:25
十一、

「曹氏の仲子が、素手で虎を仕留めた」
この噂は、あっという間に広まっていった。それが、彰の武名を大いに高めた事は、言うまでもない。
「彰がのう…。我が子ながら大したものだ」
父も、そう言って喜んだと聞く。彰には、それが何より嬉しかった。

ただ、この頃、父と兄の間には、やや微妙な空気が漂っていた。
父が狙っていた絶世の美女・シン【西+土+瓦】氏を、兄が我がものとした為ともいうし、父が、環夫人との間の子・沖を愛し、彼を後嗣に立てようと考えていたからともいわれる。
彰にとっては、どうでもいい事ではある。しかし、兄に何かあった場合、後嗣の座に最も近い者の一人であったのもまた事実。

(父上のあの言葉は…おれの器量を量ろうとしていたのだろうか…まさかな)

「彰よ」
「はい」
「そなたは書を読んで聖人の道を慕わず、馬に乗り剣を振るう事を好んでおるが…それは匹夫の働きに過ぎぬのだぞ」
「はい」
「ゆえに、そなたには、『詩(詩経)』『尚書(書経)』を読む事を課す。分かったな」
「はい」

(父上の仰せは絶対だから、側仕えの者に読ませ、聴く事にした。内容を理解できておれば叱られる事もないと思ったからな。事実、あれからは、無学の故に叱られるということはなかった)
(ただ、妙に引っかかった。兄上には何ら問題はないし、植も沖もいるのだから、わざわざおれが学問をする必要もないのに…)

だからこそ、あんな事を言ったのかも知れない。その頃の事を振り返り、彰はそう想った。

22 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:26
「丈夫たる者、将となりては、烈侯(衛青。前漢武帝期の名将)・景桓侯(霍去病。衛青の甥で、叔父と同じく前漢武帝期の名将)の如く、十万の大軍を率いて沙漠を駆け、戎狄を打ち破り大功を挙げるべきである。書物を読み、博士になるのが何ほどのものか!」
「若殿。その様な事をおっしゃっては…」
「おれは、書物を読まぬとは言っておらぬぞ。それともそなた、烈侯・景桓侯を貶めるのか?」
「いえ…その様な事は…」

(家臣どもは、あの頃から何かと「その様な事をおっしゃっては…」などと言ってたなぁ。おれに父上の後を継がせようとでもしていたのか?おれ自身にそんな気はさらさらなかったというのに…)

彰は、こそこそと策をめぐらすなどという事は好まない。
敵であれば、堂々と戦い、打ち破るまでの事。味方であれば、一切の疑いを持たずに信じ抜く事。そう思っている。
その裏表のなさ−単純さとも言えるが−が、彰という人物を特徴づけていると言えるであろう。
だからこそ、彰は、父の面前においても、自らの想いを飾る事無く語った。

(それを話した時、父上は笑っておられた。少なくとも、おれが見る限り、そこにはいやな曇りとか濁りはなかった。器量は到底父上には及ばぬが、嫌うという事はなかったと想う…)

23 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:26
十二、

史書には、彰の事跡について、僅かにしか触れられていない。
彼を語る上で、建安二十三(218)年の戦いを欠かす事はできないであろう。

「よいか、彰。出陣にあたって言っておくぞ」
「はい」
「我らは、家にあっては父子。しかしながら、いったん事を受けたなら、君臣である」
「もちろん、承知しております」
「王法を以って動き、事を行うのだ。その事を心せよ。良いな」
「はい!」

彰が将帥として戦いに赴くのは、これが初めてだった。相手は、十一年前に、父自らが打ち破った烏丸。
あの時から比べると、烏丸の勢力は拡大したというわけではない。一方、国内はというと、丞相たる父の政治のよろしきを以って、安定を取り戻しつつある。
それにもかかわらず叛乱を起こすとは。背後に鮮卑の影があるにしても、烏丸は漢朝を侮っておるのか。
「烏丸を伐たねばならんな。さらに、漢と烏丸との力の差を見せつけるには…」
「そうだ、彰を使おう。あいつなら将帥としても収まりがいいし、『なんじらには、わしが出るまでもない』というのにはうってつけだからな」

意地悪くいえば、彰は父には劣るから選任されたという事になるわけだが、そんな事は気にならなかった。
丞相と一武将とでは、前者の方が存在が大きいのは言うまでもないし、それに、彰は父にまさろうとしているわけではなかった。
十万とはいかないが、北中郎将・行驍騎将軍として万を越える軍勢を率い、彰は、意気揚々と出陣した。相は田豫、参軍事は夏侯尚。ともに、経験豊富で信頼に足る人物である。

24 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:27
「国譲(田豫の字)殿、ここは?」
「タク【シ+豕】郡でございます」
「ほぅ…ここがタク【シ+豕】郡ですか。確か、劉備…」
「はい。劉備、それに張飛はこの地の者です」
「…国譲殿、すまぬ事をした」
「?」
「あなたは、以前、劉備に仕えておられた事がありましたな。それに気付かず…」
「もう二十年以上も前の事になります」
「劉備の名を出したのは、他意があっての事ではありませぬ。ご気分を損ねたとすれば、謝ります」
「はは、将たるお方が部下に謝られる事はございません。丞相と干戈を交えたわけではありませんし、丞相も、私も、気にしてはおりませんよ」
「そうですか」
「それより、ゆめゆめ気を緩めませんよう、お気をつけくだされ。漢朝の郡県の内とはいえ、烏丸や鮮卑の連中がいつ襲ってくるやも知れませんからな」
「そうですな。かつて段紀明(段ケイ【ヒ+火+頁】。紀明は字。後漢桓帝期の名将)が辺境にあった時、褥に入る事がなかったと言いますしね。私も、それに倣いましょう」

そうしているうちに、部隊は、易水の近くまで来た。
「『風蕭蕭として易水寒し。壮士、一たび去りて復た還らず』。燕の太子丹が荊軻を見送ったのはこの河のほとりのどこかなのですね…」
「ええ」
「既に中原からは遠く離れている…。国譲殿、偵騎はどうなっておりますか?」
「それでしたら、既に放っております」
「そうですか。しかし、あなたのおっしゃったとおり、気を緩めてはなりませんね」

25 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:28
十三、

「たっ、大変です!」
「何事だ!」
「う…烏丸の襲来です!」
「そうか、ちと早いな。手元には僅かの兵…これでは全軍の迎撃体勢が整うのを待ってはおられぬ」
「いかがいたしましょうか?」
「うろたえるでない!国譲殿、策は?」
「そうですな。少数の歩兵をもって多数の騎兵にあたるには…李陵にならいましょう」
「李陵の?確か、彼は匈奴に敗れたのではなかったか。敗軍の将の戦い方に倣うとというのか?」
「確かに、李陵は匈奴に敗れました。しかし、そこに至るまでに、僅か五千の歩兵をもって単于自ら率いる八万の騎兵を相手に戦い、自軍の数倍の損害を与えております」
「我が軍は数万。質量とも敵にまさります。この場を凌ぎさえすれば、勝利はもう眼前でごさいますぞ」
「そうか。では李陵に倣うとしよう。それは、具体的にはどの様な戦い方だ?」
「輜重の車を周囲に並べて長城の如くし、その内に弩兵を込めます。そして、隙間には長兵を充てて埋めるのです」
「そうか。騎兵が得意とするのは、その速さと高さだが、車を壁にする事でその勢いを殺ぐというわけだな。そして、矢を浴びせる…」
「その通りです」

「うむ。…者ども!すみやかに車を動かし、円陣を組め!ここを凌げば、手柄は思いのままと心得よ!」
「はっ!」
さすがに、歴戦のつわもの達だ。ひとたび将の命令が出るや、実に速やかに動き出した。気がつくと、もう車による円陣が組まれている。
こうなれば、烏丸の騎兵をもってしても容易には破れまい。

そう思っていると、早々と引き始めるのが見えた。

「なんだ、あいつら、もう引くのか」
「やつらは、勝てないとみるとすぐに引きますからね。…将軍、いかがなさいますか?」
「知れたこと、追いかけて粉微塵に打ち砕くまでだ!行くぞ!」
「おう!」

26 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:28
「どうした!まだ敵の掃討は終わってはおらんぞ!」
「将軍、もう兵馬とも甚だ疲れております。これ以上の追撃は困難です」
「それに、賊が起こったのは代です。それを越えて追撃せよという命は下っておりません」
「そうです。将軍ご自身も矢を受けておられます。傷の手当ても致しませんと」
「いかに言っても、敵は騎馬に長じております。侮ることはできませんぞ」
「…」
(『孫子・謀攻篇』にいう。『三軍の政を知らずして三軍の政を同じくすれば、則ち軍士疑う』…たとえ君主といえども、前線の事を知らずに容喙すべきではない…。丞相からの撤退命令は出ていない以上、ここで引かねばならぬ理由はない。では、現状を、将としてみるとどうか。偵騎の報告にも、烏丸に伏兵ありとの知らせはないし、地形をみても、新たな大軍の姿はない)
(それに、遥か彼方には鮮卑が戦況を伺っていると聞く。ここで引けば、烏丸はおとなしくなっても鮮卑がのさばるだけ…)
(ならば…追撃あるのみ!)

「何を申すか!師を率いる者はただ勝利のみを考えるべきであって、節にこだわるものではない!」
「それに、烏丸どもはまだ遠くには逃げておらぬ。疲れているのは向こうも同じこと」
「いま追えば必ず勝てる。節にこだわって敵を逃して良将と言えるか!者ども、続け!」

そう言って馬に乗ると、さらなる追撃にかかった。結果は、鮮やかなまでの大勝利であった。

激しい追撃戦を戦った代償として、彰は、将兵に対して規定以上の褒賞を授けた。皆、大喜びであった。
軍律は、賞罰ともに厳しいものであるから、厳密に言えば問題になりそうなところである。しかし、この規定以上の褒賞が問題視されたという記述はない。
実は、この戦いぶりを見ていた鮮卑の大人(部族の長)・軻比能は、漢に敵すべからずとみて服属したのである。
彰による褒賞には、あるいは、烏丸との戦いだけでなく、そのあたりも含まれていたのかもしれない。

ともあれ、これにより、彰は将としての『威』も『徳』も得た事になる。
また、この後、彼がこの戦功をひけらかさなかった事も、その声望を高める事につながったとみてよいだろう。
烈侯・景桓侯の如くなる事も、この時点においては、決して夢物語ではなかったのである。

27 名前:左平(仮名):2005/01/02(日) 20:29
十四、

しかし、そのわずか二年後の建安二十五(220)年、父・操が薨ずると、いささか事情が異なってきた。
父を継いだ兄・丕が、禅譲をうけて皇帝となった為である。
当然ながら、その弟である彰は、皇族という立場になった。

彼は、既にエン【焉+β】陵侯に封ぜられていた。しかし、皇帝のすぐ下の弟が侯では収まりが悪い。その為、兄の即位の翌年には公、そのまた翌年には王という具合に、位ばかりは次々と昇格していく事になった。
しかし、漢朝における王が、ごく初期を除けば飾りの如きものに過ぎなかったという事を考えると、その先にあるものは、決して明るいものではなかった。

(兄上は…本当に皇帝になろうとしておられたのだろうか。王でさえ、これほどまでに窮屈なものだというのに…)
(あの頃からだったろうか。おれの体は、どこかおかしくなり始めていた。そういえば、冒突が言ってたな。おれみたいに髪や眼の色が薄い者は、往々にして体が弱く、早死にすると。体は鍛えていたが…長寿にはつながらなかったか)
(自分では何も変わっていないつもりだったが、人にはきつく見えたのだろうか。皆、どこかおれを畏れはばかっている様だった)
人は死に臨む時、その人生が走馬灯の如く浮かんでくるという話がある。彰も、その一人だった。
その回想も、そろそろ終盤にさしかかってきた。

(うっ…。また痛みが増してきやがった。もう保たんな…)
(…何か、軽くなった様な感じがする。おれの魂が、体から離れ始めたのか…)
(彰よ…この人生には満足してるかい?)
(そなたは一体…?)

28 名前:左平(仮名) :2005/01/02(日) 20:29
(分からないかい?まぁ、無理もないな。私は、そなたが産まれる前に死んだからな。そなたの兄の鑠だよ)
(鑠?私の兄でもう亡くなられているのは、長兄だけではなかったのですか)
(知らなかったのかい?我が兄上と丕以外にもそなたの兄がいたって事を)
(ええ)
(そうか…父上は弟達には話してなかったのか…)
(どういう事なんですか?)
(実はな。私は、学問は好きだったが体が弱くてな。何とか子をもうける事はできたんだが、父上が董卓を倒すべく挙兵した頃に病に倒れて…そのまま死んでしまったのだ)
(子を…?そういえば、同年の潜が、実は甥だと聞いた覚えがありますが…まさか)
(そう。私の子だ)
(しかし、なぜ私が死のうとするこの時に兄上が…?)
(人には、魂と魄というものがあるという。知ってるかい?)
(ええ。しかし、それがどうかしたのですか?)
(どうやら、私とそなたの魄は同じものの様だ。ほら、時々、読んだ事も無い書物の一節が浮かんではこなかったかい?あれは、私が読んでたものなんだよ)
(それでですか。道理で…。しかし、魂は死ぬと体から抜けるけど、魄は体に留まると聞きましたが…)
(そうでもないぞ。…そなた、白馬寺で支淵という男に会っただろう。覚えてるかい?)
(ああ、あの浮図の教えを説いてる男ですか。ええ。二、三言葉を交わした事はありますが…特に浮図の教えについては聞きませんでしたねぇ…)
(浮図の教えでは、なんでも、魂魄は車輪の如くぐるぐるとこの世界を巡っているという事だ。輪廻転生って言ったかな)
(車輪の如く、ですか)
(そう。私の体から離れた魄は、そのまま懐胎していた卞氏の中に入っていった)
(それが…私という事ですか)
(そう。そなたも長生きできなかったという事は、ひょっとしたら我らの魄は短命なのかも知れんな)
(かも知れませんね。でも、私にはそれほど悔いはありませんよ)
(そうか。それは良かった)
(しかし…不思議なものですね)
(何がだい?)
(同じ魄なのに、兄上は学問を、私は武芸を好んだ。全く向きが違いますよ)
(ふふ、確かにな。しかし、二人合わせても父上には及ばなかった)
(でも、いいではありませんか。父上は『非常の人』。そもそも、我らが及ぶ方ではありませんよ。どちらか片方でも父上に近づき、一部は優りさえした。それで十分ではありませんか)
(いい事を言うな。さぁて…そろそろ、次の命に向かうか。次は人かどうかはまだ分からんがな)
(そうだ、一つ楷達に言っておかないと)
(何をだい?)
(私の諡ですよ。一つ「これを」ってのがあるんで、希望を言っておかないと)
(そうか。早くしろよ)
(ええ)

「皆の者…」
「おお、殿下の意識が戻られたぞ!」
「いや…おれはもう死ぬ…。最後に、一つ頼みがある…」
「父上、それは…」
「おれの諡だが…陛下が否とおっしゃらなければ、『威』としてくれ」
「わ、分かりました!」
「うむ…」

黄初四(223)年六月甲戌(17)日、任城王・曹彰、薨去。諡は「威王」。

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