第九章   蜀を得て隴を望む

建安5年、夏。ふいに南中地方の雲南に出現した「飛将軍」こと呂布奉先は、自らを南蛮王と称した。かれは異装の蛮兵を率いて平和な益州に侵攻。わずか1年足らずで巴・蜀にまたがる益州全土を制圧し尽くした。

 

呂 布:こういう書き方だと、なんか俺様が悪役みたいな。

陳 宮:事実そうでしょうが。

呂 布:ふん。じゃあ俺が悪の親玉ならば、お前はさしずめ……

公孫楼:悪の参謀……。

呂 布:ぶわっはは。ピッタリだ!!

陳 宮:………。じゃあ公孫楼どのは悪の女幹部。

公孫楼:私は悪じゃない。

呂 布:どうも貴様は悪の将軍というイメージではないなあ。

高 順:申し訳ございませぬ。

 

 

第九章   蜀を得て隴を望む

 

 

  建安六年(西暦二〇一年)、夏。成都。

 呂布は成都を本拠と定め、益州および南中の経営を開始した。

 が、内政を実施するのは旧劉璋陣営の内政官達であり、本人は至って暢気な者であった。その緊張感のカケラもない話題に興じる幹部たちを、旧益州組が呆れたような面もちで眺めている。

 

呂 布:で、いまの下界の様子はどうなんだ。

  

 ひとしきり特撮モノにおける悪の三幹部の存在意義について議論した呂布は、ふと真面目な表情に戻って部下たちを顧みた。

 下界、とはよく言ったもので、この益州は他の勢力とは半ば隔離された別天地である。北は梓潼、南は雲南、東は永安を抑えておけば、まず侵略される事はなかろう。

 で、その下界の様子はというと。

 

 まず東の荊州は劉表陣営が暢気に経営しており、江東の新鋭孫策が虎視眈々とそれを窺っているモノとみえる。

 北はどうか。すぐ至近の漢中は張魯の主催する道教王国が根を張っており、武都方面は馬騰率いる涼州騎馬軍団が南下の機を待ちかまえているようだ。

 そして、この方面の争覇戦の要となるであろう長安城には、すでに曹操の派遣した大部隊が入城している。

 東するか北するか、いずれにしても呂布は今、外敵に事欠かない状況であるといえた。

 

 

呂 布:そういえば前も議論したな。東の荊州か、北の涼州か。

陳 宮:私は断然、北進策をお勧めしますな。荊州に手を出したら最後、泥沼の中原争覇に巻き込まれ、辺境王国たる地位を確率しそこねます。

法 正:荊楚を制する者天下を征する。私は劉表討伐こそが焦眉の急と愚考いたします。

 

 と、ふたたび衝突を始める正副の軍師。呂布にしても定見があるわけではないので、いっそ戟が倒れた方向へ攻め入ろうか、などと考えている始末。

 結局、今年いっぱいは無理な外征は控えるべきという張の意見が大勢を占め、議論は一時中断された。先の戦いで、呂布軍の戦力は激減しているのだ。

 呂布も本腰を入れて内政と民心掌握に励む羽目になった。

 

 ……そうこうしている内に季節が移り、冬十月。

 つまらなさそうに内政報告を聞いていた呂布の元へ、北方から使者が訪れた。

 漢中を聖域とする宗教団体「五斗米教団」からの使者であるという。

 

呂 布:追い返せ。

陳 宮:はあ…しかしながら、勧誘ではございませんぞ。

呂 布:ふん、奴らの常套手段だ。最近はあからさまな勧誘員がめっきり少なくなった。この間なんか、ケーブルテレビの契約云々からそっちへ入ってきたぞ(実話)。

陳 宮:いえ、そうではなくて……。

呂 布:その証拠に、漢中の奴ら、ここのところ毎ターンのように贈り物を届けてきている。これが勧誘目的でなくて何だというのだ。

陳 宮:友好度を上げようとしているだけですよ、たぶん。

呂 布:とにかく俺は会わん。塩でもまいとけ。

???:あらあらあら~。相変わらずですわね、呂布将軍。

 

 ふいに、陳宮の背後から女性の声が聞こえてきた。驚いてそちらを見遣る二人の前に姿を現したのは、まだ二〇そこそこの娘であった。漢人にしては彫りが深く、どこかエキゾチックな感じである。

 

陳 宮:衛兵は何をしている!どうやって入ってきたのだ!?

呂 布:げっ、教母!

陳 宮:? ……ご存じなんですか?

呂 布:は、はは…漢中にいたときにちょっとな。

教 母:お久しぶりでございます、呂布将軍。

 

 教母と名乗る娘は、ぺこりとお辞儀をした。可愛らしい仕草だが、ぞくりとする風情もある。

 ところで、記憶力のよい方ならば覚えておられよう。呂布はシナリオスタートに先だって、各地を「放浪」していたことがあるのだが、そのとき最も長く滞在したのは漢中である。

   >陳宮:途中、漢中で学問に精を出したり……

 と第一章で触れているのは、この時のこと。

 で、そのときに呂布の鍛錬につきあったのが、この教母と名乗る娘なのであった。

 

陳 宮:ほう。流浪時代からのおつきあいでしたか。 

呂 布:う、うむ……。

教 母:このたびは益州の領有、おめでとうございます。教団を挙げて、将軍の御雄図を祝福申し上げますわ。

呂 布:ど、どうもご丁寧に。

陳 宮:……なんか調子が違いますな、殿。

呂 布:うるさい。人にはどうしようもない得手不得手があるのだ。

教 母:あら嫌やですわ、将軍。不得手だなんて。

 

 唇に手を当ててころころと笑う教母。どう見ても稚い娘の仕草である。

 で、そもそも「教母」とは何か。

 

教 母:文字通りですわ。私は「嗣師」すなわち先代五斗米道教祖・張衡の妻で、現教祖「系師」張魯の実母でございます。

陳 宮:は、母親!?

呂 布:…。

 

 ちなみにこの時点で張魯の年齢は三八歳……。

 

陳 宮:で、ですが、張魯の母親といいますと、数年前に劉璋によって殺害されたはずでは?

教 母:あらあら…。軍師様は物知りなんですね。文句は陳瞬臣先生に仰ってください。

陳 宮:……。

 

 念のために補足説明しておくと、張魯の母は史伝でも「小容(オサナクカタチヅクル)」と評される程に可憐で、劉璋の父・劉焉とは極めて親密な関係にあった(と、思われる)。

 劉焉は朝廷からの独立のために五斗米教団を利用し、教団は劉焉の保護によって漢中という天然の要害を領有できた。つまりギブ&テイク。

 ところが劉焉の跡を継いだ劉璋が、日に日に増幅する教団を疎んじ、張魯の母(つまり教母)と弟たちを殺害。これにより両者の同盟関係は崩れたのである。

 

陳 宮:……で、どうして生きているんです?

教 母:あらあら。あなた達こそどうして生きているんです? 

陳 宮:すみません。もう訊きません。

 

  教母の来訪目的は、やはり同盟締結の提唱であった。金1710を呂布に貢ぐ代わり、21ヶ月間漢中へ手出しをしてくれるな、という事である。

 

陳 宮:(いけませんぞ、殿。漢中は来るべき対曹操戦での要となるべき都市です)

呂 布:(いや、それは分かってるが、どうにもなあ)

 

 ひそひそと相談する二人。教母は微笑みながらそれを見守っている。

 やがて、呂布の出した答えは……。

 

 初の他勢力のコンタクトに、対応を苦慮する呂布奉先。蜀を得てまた隴を望むか、それともスッパリあきらめるか? 痛快読み切り三国志Ⅶ活劇・「後世中国の曙!?」は、なんか新展開です!