南蛮王の嫁取り物語

南蛮王の嫁取り物語

  

「――南蛮公の爵位を進め、南蛮王に封ずる」
 皇帝のミコトノリが下ったのは、建安14年の盛夏7月のことである。支配年数が25に達したのだ。
 呂布はその報を、本貫・南蛮の地で受けた。建寧・雲南あたりでバカンスを楽しんでいた南蛮公は、急遽、許都へ引き返すこととなった。  


呂 布:フン、俺様はもともと南蛮王を名乗っていたのだ。今さら追認されたところで嬉しくとも何ともない。

陳 宮:まあまあ、これで堂々と正史にも南蛮王と記載されるではありませんか。

 
 呂布は陳宮と張、呂刀姫を引き連れて参内した。
 すでに宮城は儀礼用に装飾され、新たなる王者の誕生を寿ぐが如く、荘厳にみちた礼楽が奏でられていた。
 文武百官がズラリと居並ぶ中、呂布は例の触覚を揺らめかせつつ、天子に拝謁する。


献 帝:――朕は不徳にして…(中略)…汝を南蛮王に封じ、以て世の民の安寧を願い、先祖の偉大なる霊へ(中略)…。南蛮王、ゆめこれを拒む事なかれ。

呂 布:おう。

献 帝:……。

呂 布:……。

献 帝:えーと。

呂 布:だから何なんだ。

献 帝:…いや、その、どうぞ。

呂 布:うむ。  

 呂布は南蛮公の印璽と綬、および符と冊を返上した上で、王錫を拝領し、晴れて漢南蛮王を頂戴した。大司馬・丞相の兼任はそのまま、私封地は南中全域におよび、文字通りの南蛮王ということであった。

 実に久しい劉姓以外の王として、古来例を見ない程の権勢を掌握した呂布であったが、いまひとつ腑に落ちない顔をしている。


呂 布:……うーん。何で、みんなあの時ヘンな顔してたんだろうなあ。

陳 宮:……。

 :……。

呂刀姫:……父上、普通ああいう場合、三回辞退することになってるんですよ…

呂 布:へ? そうなの?

呂刀姫:…私は恥ずかしくて死にそうでしたよっ…。

 

 思い出すだけで赤面するらしく、さっきからうつむいている呂刀姫は、このたびの人事で五官中郎将に任じられている。
 半歩遅れた位置を歩いている陳宮と張は、それぞれ南蛮国の宰相に擬せられているが、後漢王朝においても尚書令、相国という大任を仰せつかっていた。
 呂布の王位承認により、呂布軍団の連中も、大なり小なり顕官に任じられ、そこかしこで印綬の色の自慢風景が散見できた。
 
 ――その夜行われたパーティーの二次会会場は、相変わらず呂布の邸宅であった。
 パタパタと忙しそうに走り回る小間使いや、お手伝いにきたご近所の婦人方以外は、みな酒杯を手に、思い思い談笑の花を咲かせていた。 


呂 布:はっはっは。楽しそうで良いよなあ。 

陳 宮:なンか懐かしいですよね、こーゆー雰囲気。

呂 布:ココのとこ、みんな忙しかったからな。


 瑠璃杯を手に上機嫌の呂布、劉備と陳宮、公孫楼を相手にしみじみと呑んでいる。
 と――


呂刀姫:――虎っ!あんたでしょうコレ! 

張 虎:うあ…ごめんなさいい! 

呂刀姫:――ここに正座っ! 


 視界の端に、呂刀姫が張虎をガミガミ叱責してる光景が映る。
 どうやら茶目っ気を出した張虎が、忠吉さんに眉毛を描いてしまったらしい。魏延と張嶷が擦り落とそうとしたのだがなかなか取れず、そのうち忠吉さんが迷惑そうに逃げ出してしまったので、会場中追っかけ回す騒ぎとなっていた。
 そんな喧噪の中。
 やや緊張した面持ちの少女が、呂布の前に立った。
 キリッとした眉目が、兄たちの面影をよく残している。
 西涼の戦姫、馬雲緑である。


馬雲緑:殿下。このたびは誠におめでとうございます。

呂 布:ん…? 何だ、あらたまって。

 常にない緊張の度合いである。馬雲緑と言えば、呂布に対してタメ口を叩く数少ない存在であり、そのフランクさから幾度と無く関係が噂されるほどの仲であった。噂自体はあながち間違いでもないのだが、所詮は一過性であり、寵に狎れてのフランクさではない。
 ――さて、その馬雲緑。
 呂布の怪訝な視線を受け、居心地悪そうな表情で、珍しくももじもじとしていたが、やがて意を決したように切り出した。

馬雲緑:その、南蛮王。近く私は――その、け、結婚したいと思っているんだ。

呂 布:はっはっは! OK解ってるよ雲緑ちゃん。だがな、俺様は――

馬雲緑:いや、そうじゃなくて…。

呂 布:……?

馬雲緑:その、ちょっと前なんだけど、…趙子龍と、生涯をともにしようと、誓い合ったんだ…。

呂 布:………。

陳 宮:……。

劉 備:……。

公孫楼:……。

呂 布:ところで前のK-1見た? ボブ・サップって強いよな? でも俺ならワンパンで殺っち――

公孫楼:…おめでとう、雲緑。趙将軍は誠実な武人だ。きっと貴女を幸せにしてくれると思う――。

馬雲緑:公孫楼さま…。ありがとう…。

呂 布:ていうかさ、サップをK-1に呼んだの間違いなんだよ。ホーストで倒せないなら誰が倒すんだ? まあ俺ならワンパ――

劉 備:…(ポン、と肩を叩く)。殿下、向こうで飲まへんか…? 可愛い娘いっぱいいてるで…

呂 布:ダークホースはアーツかもしれないぞ? ホーストより打たれ強いから、ラッシュさえ凌げば活路が――

 ………

陳 宮:――あいたたたたたたた…

 ――こうして宴の夜は更けてゆく…。

 …つわものどもの夢の跡というか、閉会後のパーティー会場とは、独特の寂しさがあるものだ。
 院子までぶちぬいて設営されたパーティー会場は、いまやたったひとつの人影を止めるのみであった。
 薄い灯が揺らぐなか、呂布の小間使いが、せっせと会場の後かたづけをしている。食器をまとめて重ね、お膳にのせて一カ所に集め、地面に散らばった塵を拾い集め、手際よく分別している。
 と、そこへ、ノソリと呂布が巨体をあらわした。


呂 布:……。

小間使い:あー、まだ起きてらしたんですか!?

呂 布:…オマエこそまだ寝ないのか?

小間使い:あ、もうすぐ終わりますから。…それより呂布さま、ちょっとそこのお席に座っていただけますかー?散らばってますけど…。

呂 布:ん?ああ…

小間使い:あの、今日はほとんどお給仕できませんで、申し訳ありませんでした。というわけで! ささ、一献どーぞ。

呂 布:…。

 小間使いの酌をうけて、呂布はなみなみと酒杯を満たした。呂布、黙ってそれを空ける。 


呂 布:やっぱり、あっちの方が幸せになれるんだろうなあ……

小間使い:はー。よく分からないんですけど、馬将軍と趙将軍が好き合ってらっしゃるなら…そっちの方が…。

呂 布:――ふん。…耳にょんめの監督不行届は、あとでたっぷり咎めてやろう。

小間使い:まあまあ…。もう一献どうぞー。

 

 …
 ……
 秋・10月
 呂布の身辺がずいぶんと騒がしい。
 与太話の一種として笑い飛ばされた、いつぞやの皇女降嫁の話が、ずいぶんと本格的になってきたのである。
 その話を周旋しているのが陳宮ら謀臣グループであり、呂布はつい最近まで、その噂を耳にすることさえなかった。全てが極秘のうちに、しかも迅速に進められていたのだ。
 呂布、洛陽で事の次第を聞き及び、激怒して陳宮らを召還した。が、逆に鋭い反問を受けることになった。
 

陳 宮:――ならば、何故拒まれるかをお聞かせ願いたい!

呂 布:やかましい!結婚のことくらい、俺様が自分で決めるわ!

諸葛亮:殿下!事は国事に属するです!王妃として迎えるからには、ゆゆしい血縁を選ぶのが筋。

陳 宮:然り!今回それを朝廷の方から持ちかけてきているのです!コレを断るバカはおりますまい!

呂 布:バカ言うな! いや、ともかく俺様は何も聞いておらん!断固反対する!

陳 宮:もう結納の段取りまで決まってるんです!今さら殿下ひとりの都合で止めるわけにはいきません!

呂 布俺様は当事者だ――っ!

 不毛である。
 こういう結婚話は、当事者の意思なぞ介在せぬに等しい。ただ周囲親族が決め、ただ周囲親族が進め、本人達は結婚式当日まで蚊帳の外であるのが、今も昔も代わらない姿のようである。
 とにかく呂布、寝耳に水どころではない。かれ自身が知らぬ内に、人生の最大の選択である結婚相手まで決められようとしているのだから。

献 帝:まあまあ、王よ。正妻を迎えるのは男子の努め。王もいまや1000名を数えるオルドの主と言うではないか。何も変わらぬだろう。

呂 布:人ごとだと思って勝手を言うな、皇帝陛下。だいたい、このクソ忙しい時に何の用で人を呼びつける!

献 帝:うむ…。実は、最近幻の存在と言われた「ふたりエッチカードバトル」を入手してな。コレがなかなかの出来なのだ。

呂 布:は?

献 帝:つまりだな、イロイロとカードを組み合わせて、こちらの攻め技とか、体位とかを決めるわけだな。で、お互い技を出し合って、先にイった(ポイントを失った)者が負けというルールで…

呂 布:ンなもん、奥さんとやれ奥さんと! 

献 帝:ふゥ…。察せよ南蛮王。わが后とこんなカードゲームをするなんて、恥ずかしいではないか…

呂 布:男同士でやるほうがよほど恥ずかしいという結論に、なぜ到達しないのだ…?

 無駄に時間を費やしている間にも、事態はジェットコースターに載せらているかのように、全てがレールに沿ってもの凄い勢いで進行してゆく。
 さすがに祝言もちかいという頃には、噂は津々浦々、文字通り中国全土を駆けめぐるほどの周知となった。
 ――ここまでくれば、もはや呂布とて逃げ隠れできぬ。


呂 布:ていうか皇帝陛下、結局、その皇女というのは陛下の娘か何かか? 

献 帝:いや、そうではない。孝桓皇帝陛下の弟君、亶公の娘にあたる。

呂 布:なんだ、えらい遠縁だな。

献 帝:董卓の禍のおり、一族離散して、ずいぶんと苦労をしたようだ。言っておくが、そうなった責任の一端は王にもあるのだから、その罪滅ぼしを兼ねると思え。 

呂 布:ふん、バカバカしい。 

献 帝:ま、ソレは置こう。で、どうするか? 顔を見たいなら、参内させるつもりだが…

呂 布:興味ないな。美人だったらめっけもんだが。 

献 帝:はっはっは。それは保証する。安心するがよい。 

  
 ――さらに数日が過ぎると、もはや婚儀の式も実務レベルに移行しており、呂布身辺はいよいよ騒がしい。
 言うまでもないが、当時の結婚というモノは、夕方から夜間にかけ、黒衣あるいは青衣を着て行われるものだ。概念からして、縁起物というよりは忌事にちかい慣習であり、歌舞音曲はいっさい無く、ひっそりと通夜のような空気で行われる。
 …が、呂布周辺においては、結婚式は華やかなものにせねばならぬ、という暗黙の了解があった。これは呂布が辺土の五原あたりで生育した事もあるし、漢民族とは違う南蛮独自の風習のせいもある。
 とにかく、南蛮王呂布の結婚式は、晴れやかに、晴天の下、天下万民で祝うべきものであるという方針が定まっていた。要するに、現在の結婚式とおなじようなスタイルで行うわけである。具体的な日取りも決定し、二次会の幹事の人選などもリストアップされてきた。
 もはや当日を待つばかりと言うことで、呂布も落ち着かない日々を送っている。

 そしていよいよ結婚式の前日――
 屋敷にいてもどうも落ち着かない呂布は、当番の日ではないのだが、忠吉さんの散歩に行く。
 そしてその帰り、買い出しから買ってくる途中の小間使いとバッタリ出くわした。
 小間使い、学童疎開にでも出てゆくのではないかという程の荷物を背負い込んで、フラフラしながら歩いていた。

呂 布:うわ…何だ、その物資の量は。

小間使い:あれ、呂布さま何で? …あはは、ちょっと頑張りすぎました。

呂 布:諸葛亮が土産にくれたリアカーがあっただろう。アレ使えよ。

小間使い:はあ。

呂 布:まあいい、片方持ってやる。…で、この量は何なんだ?

小間使い:いえ…これが最後のお買物かと思うと、つい…

呂 布:最後? …何の話だ?

小間使い:ですから、あたらしく王妃がお屋敷に入るのですから、小間使いと入れ替わりになるんです。

呂 布:はあ? 聞いてないぞ。

小間使い:…そういう、仕様なんです。 

呂 布:おいおい、そんな必要は無いぞ。屋敷に残れ。

小間使い:……。


 寂しそうに微笑む小間使い。ちょっと腰を落として、忠吉さんの頭を撫でた。
 ふたりが屋敷に戻ると、門前で劉循が待っていた。城からの連絡事項があるとのことだった。


呂 布:わかった。すぐに行こう。…おい、今日の晩は遅くなるから、早い内に戸締まりしておけよ。

小間使い:はい、わかりましたー。――では、呂布さま。 

呂 布:ん? 

小間使い:行ってらっしゃいませ!

呂 布:おう。 


 小間使いは、いつものようにニコニコ微笑みながら、呂布の広い背中を見送っていた。
 

 ――夜。
 マリッジブルーになるヒマもない激務をこなし、南蛮王呂布は、クタクタの身体をどうにか屋敷まで運んで帰ってきた。 


呂 布:おーい!帰ったぞ――っ!

 いつもの元気のよい出迎えが無い。屋敷は、暗く、静かであった。

呂 布:おーい…。 

 ポツンと、玄関前に立ちつくす呂布。

呂 布:あ…。

 忠吉さんの白い大きな体が、のしのしと近づいてきた。 


呂 布:おい、オマエの主人はどうしたんだ?

 忠吉さんは、ピスピスと鼻を鳴らして、呂布のあしもとにまとわりついた。
 呂布も、さすがに悟るモノがある。 


呂 布:出て…いっちまったのか…

 呂布はなかば呆然と呟くと、ゆっくりと屋敷に入る。手燭をともして、部屋部屋の獣灯に明かりを点じてまわった。
 二人住まいにしては広壮すぎる屋敷だったが、手入れはよく行き届いていた。
 最後の日である今日、小間使いは念入りに掃除をしていったのだろう。塵ひとつ落ちていない。


呂 布:……。

 奥室には、夕食の支度が出来ていた。簡素だが、いつもの小味の効いた料理である。
 季節の幸のなかに、椎茸が混ざっている。呂布でも食べられるように、細切れにして、濃い味付けがしてあるようだった。
 手紙がある。

 ――たくさん、ありがとうございました。

 細く美しい字で、呂布の読解力に気を遣ったのか、簡潔にひとことだけ書かれている。
 呂布は、膳と酒瓶を持って院子に出ると、忠吉さんを傍らにまねいて、縁側に座り込んだ。
 月の光が、煌々と中庭の樹木を照らし出している。
 忠吉さんと背中を並べ、呂布は凝とその風景を眺めていた。

 ……
 …
 ――婚儀がはじまった。
 さすがに皇族の真っ昼間の結婚式というのは前代未聞であり、洛陽の大街は数万人の群集で埋め尽くされた。
 あらゆる意味で礼と対極に進行する婚儀は、すべてが異例である。
 婿が嫁の家まで迎えに行くという形式は、市井レベルの礼通りだが、ふつう黒馬黒車で行うべきモノを、よりによって真っ赤っかの赤兎馬に車を牽かせている。しかも馬車ではなく、金づくりの戦車であった。
 自ら御者をつとめる南蛮王が、傲然、馬上で胸を反らしている様は、まさに天子の御林へ略奪婚に現れた夷蛮の王者の如し。
 ちなみに露払いは、炬火をもった従者などではなく、金細工と真紅の天鵞絨で装飾された巨象4頭であり、それぞれ孟獲、孟優、祝融夫人、木鹿大王という南蛮の大渠帥が搭乗している。
 洛陽市民にとっては、たとえば宇宙大帝が宇宙艦隊を率いてリプたんフィギュアを買いに来たのと同じくらいの驚きでもって、その光景を眺めていることだろう。
 ――花嫁たる皇女は、昨夜のうちに許から洛陽へ到着し、旧北宮の宣明殿跡で婿を待っているという。
 媒氏は、これは呂布近辺しか知らされていないが、皇帝劉協その人であるという。
 つまり花嫁とともに、極秘のうちに御幸しているわけであって、このことを天下が知れば、呂布の南蛮王即位なぞと較べものにならない騒ぎになるだろう。

 南方の物騒がしい音曲にあわせ、嫁取り行列は洛陽北宮に到着する。
 驚くべきことに、二基の衝車が物凄い勢いで突進し、南宮門(朱雀門跡)を撃ち開けるパフォーマンスを見せ、騒然となる観衆の目の前で、呂布の戦車が宮殿へ侵攻してゆく。

陳 宮:ちょっと演出過剰だったかなあ…。

公孫楼:何を今さら…。

 北宮二十数殿のうち、宣明殿は中央奥の方にある。殿とはいえ、呂布の屋敷数個がすっぽり入るサイズである。
 中では、すでに媒酌人たる皇帝が、親役も兼ねて、婿の到着を待っていた。
 呂布、呆れたことに下車さえせず、見事な馭で戦車を横付けした。

呂 布:南蛮王たる我が、履のみを持ち、母君に贈るべき玉も持参ぜず、花嫁を迎えに参った!

 と、途方もない事を怒鳴る。が、媒氏はニヤリと笑い、すぐに切り返した。

献 帝:瑞玉無用である。わが族妹は幼少より母を亡くして流浪し、胡地に長く傅育され、故に胡姫という。もとより婦道を納める暇も少ないが、殿下に嫁しては必ず慎んでお仕えするであろう。

呂 布:はっはっは――!上等だ!で、花嫁は。

献 帝:…これより呂氏に嫁ぎ、よく夫君に真心を以て仕えるように。


 皇帝がそう囁き、受け取った履をはかせ、手を取って呂布の元へ送り出した女性こそが、南蛮王の妻となる劉王后であった。
 後――南蛮王朝の最初の皇太后となる劉王后は、その通称の胡姫のほうが一般に有名となる。

 呂布、しげしげと胡姫を眺める。
 すらりとした、柳の如き美女である。新郎に合わせての趣向か、薄紅を基調とした衣装を纏っている。
 美麗な垂嬰が白い顔を半ば隠し、表情はちょっと分かりづらいが、チラチラと垣間見える眉目は、凄艶といってよかった。

呂 布:――合格ッ!

胡 姫:…。

献 帝:それはよかった。

 呂布は、赤兎に声をかけると、戦車をひるがえして、もとの道を引き返しはじめた。わざわざ花嫁を残して、改めて家で迎える、などという非効率的な事はしない。

 沿道に出ると、どっと歓声が上がる。
 全くもって、常識はずれもここに極まれりの花嫁披露を堂々と行いながら、呂布は自らの邸宅へ急ぐ。
 ところが、警護にあたる南蛮将兵らも、御大将の花嫁の姿を一目見ようと、わらわらそれについて走りはじめ、なにやら市民マラソンの状況を呈してきた。
 このままだと、取り留めのない混乱になっていただろうが、既に事あるを予測して、公孫楼が市街随所に展開させていた白馬義従が素早く駆けつけ交通整理を始めた。
 白馬数千騎によってつくられた道を通って、呂布と胡姫の戦車は、無事に邸宅へたどり着くことが出来たのであった。

 ――邸宅の前に戦車を止めると、呂布は先に降り、胡姫が降りるのを手伝った。
 二人して、門前に立つ。


呂 布:…まあ、仮のものだが、ここが俺様の家だ。

胡 姫:…。

呂 布:お前が守り、仕切るべき、新しい家だ。

胡 姫:御意…。

 胡姫の声の調子からして、極度に緊張しているらしいことは分かる。
 呂布は、まあリラックスリラックスなどと気軽に声をかけながら、新婦を館のうちに案内した。
 先日磨き上げられたばかりの館は、ほとんど新居同然の美しさである。


呂 布:ところで、もうそのプラプラ外していいだろう。

胡 姫:…。

 胡姫が冠を外すと、美しい顔があらわになる。
 広く円い額、白皙の肌、ゆるやかな弧を描く眉、切れ長の瞳…。呂布はこれまで、こうも完璧な美女というものを見た覚えがない。たとえば、かつて愛した貂蝉でさえ、この姫にはわずかに及ばぬであろう。
 呂布、珍しくドギマギしている。


呂 布:――うーん。

胡 姫:…。

呂 布:あー。何か飲む? …っていうか、飲まなきゃ駄目なんだ。たしか夫婦杯夫婦杯…

 ゴソゴソと食器棚を捜して、一対の杯を取り出した。合わせたら、一つのふくべになるのだ。

呂 布:じゃあ、コレで。

胡 姫:…頂きます。

呂 布:えーと、胡姫は、普段わりと喋らない方?

胡 姫:……いえ…

呂 布:じゃあ普通に行こう普通に。さっきから俺様しか喋ってないぞ?

胡 姫:…宜しいのですか…?

呂 布:? いいけど…?

胡 姫:じゃあ、いきます…

呂 布:…?


 瞬間、胡姫がくるっと振り返ってにっこり微笑んだ。

胡 姫:あははは――っ!もー、呂布さま、いい加減気づいてくれないと困るじゃないですか――っ!

呂 布:え…?

胡 姫:ええと、一応ですね、呂布さまが一番すきな澄舞さまをモデルにやってみたんですよー! 

呂 布:!? 


 呂布、わけが分からず呆然としている。


胡 姫:あ、ちゃんと椎茸食べてくれたんですねー!わ、嬉しいです!

呂 布:……!?

 まさか、という表情を浮かべる呂布の前で、胡姫は髪をアップで止めている簪を抜いた。
 豊かな髪がふわりと流れ、前髪が下りて童形になる。そして切れ長の瞳が、ぱっちりと開くと、それはいつもの、あの一生懸命な小間使いの顔であった。


胡 姫:合格!とか仰るから、笑いこらえるの苦労したですよー!えへへ、でも背伸びしてつくったら、私も案外いいセンなんですか~?

呂 布:あ? え? あ?

胡 姫:いやもう、いつ切り出そうかなーって。呂布さま全然緊張してるから、妙に言い出せなかったんですよー! ……呂布さま?

呂 布馬鹿もーん!

胡 姫:わ…

呂 布:そうならそうと昨日のうちから言っとけスットコドッコイ!意味深な置き手紙残しやがって!俺様がどれだけ心配したかわかってるのか!

胡 姫:軽いジョークのつもりだったんですけどー…にはは。うわ!

 呂布、胡姫の身体を抱き上げると、頭の上でブンブン振り回した。 


胡 姫:た、タイムですタイム! この床で垂直落下DDTはキツイですっ!

呂 布:やかましい!このまま恥ずかし固めかけてやろか!

胡 姫:そ、それもまだダメです!

 …………
 ……
 青廬のなかで、向かい合っている呂布と胡姫。
 さすがに神妙な表情で、礼どおりの挨拶と、杯ごとが行われる。
 ――と、呂布、懐からゴソゴソと、なにやら取り出して見せた。

 

呂 布:あー、その、何だ。プレゼント用意してきたんだが。

胡 姫:わ、ありがとうございます!

呂 布:どんなのがいいか分からなかったから、ちょっと楼ちゃんに選ぶの手伝って貰ったんだけど。

 呂布が取り出したのは、金の耳飾と、香嚢であった。
 いずれも、王侯の夫人にしか許されぬ装飾品であり、ヘタをすれば家一軒を贖えるほど高価な物であった。


呂 布:それから、だいぶ前、音楽やりたいって言ってただろ? だから、琴も買ってきている。まあ、とりあえず三つだけだけど

胡 姫:…あ…ありがとうございます。

呂 布:はっはっは。気にすんな。 

 呂布、照れくさそうにボリボリ頭を掻いた。
 胡姫は、呂布のくれたプレゼントを胸に押し抱いて、じっと黙り込んでいる。
 …やがて、顔を上げてにっこり微笑むと、ゴソゴソと青廬を出て、また戻ってきた。
 手に、長大なボロボロの錦袋を持っている。


呂 布:…? 前言ってたお守りか?

胡 姫:はい…。父様と母様の形見です。

 胡姫は薄汚れた飾り紐を引き、袋を解いた。スルスルと錦地をめくり、中身を取り出す。
 出てきたのは、見事な柄造りの長剣であった。
 柄と鍔、それに鞘に七宝をあしらい、なめらかな光沢が全体を覆っている。  

 

呂 布:これは…

胡 姫:七星剣です。先々帝のとき、雲氏、林王、趙氏、翠氏、徐氏、蒋氏、孫氏、王氏、それと我が一族に下賜された宝剣です。

 呂布、陶然として鞘を払うと、刀身の発する光が青廬に満ちた。
 鋒から柄もとにかけて、幅広の刀身は一点の曇りもない鏡のようであるが、少し角度をずらすと、鮮やかな文様がその中に浮かび上がってくる。
 呂布は武人らしく、一目でこの七星剣の切れ味を見切る。この刃の上に髪を一本落とすと、ぱらりと両断されるにちがいない。
 呂布、ため息をつくと刃をおさめ、剣を袋に仕舞った。
 胡姫は微笑むと、呂布に強い視線をむけた。
 

胡 姫:これを、わが主、呂布さまに差し上げます。返品不可です。

呂 布:…。そうか。じゃあ貰っとくけど…必ずしも俺様が使うとは限らない。それでもいいのか?

胡 姫:呂布さまにお贈りするのです。呂布さまがその剣の主に相応しいと判断されたのなら、どうして私が反対しましょう。全て、呂布さまがお決めください。

呂 布:ああ…そうする。

 
 呂布、七星剣をあらためて受けとると、胡姫と一緒に北西へ一礼した。両親と、その先祖にむかって礼を示したのであった。

 ――さて、前儀式が一段落すると、青廬の中の雰囲気が、ちょっと息苦しくなってくる。
 胡姫もいつもの屈託の無さが消え、視線がそわそわ泳ぎだしている。
 逆に古豪の呂布は、だんだんふてぶてしさを取り戻してきているようで、気息の充溢を待つかのように、凝と胡姫の肢体を見つめていた。 
 

胡 姫:あのっ!

呂 布:ん? 何だ?

胡 姫:前言いましたけど、あの、私の身体…だから。その、赤ちゃんとか、産めないって、その…

呂 布:ん? ああ、残念だけどな。お前の子供を抱けないのは。

胡 姫:ええと、今さらーって話なんですけど…ホントにいいんですか、そんなのを、お嫁さんにしてしまって…

呂 布:はっはっは!別に子供産んで貰うために嫁迎えるわけじゃないぞ!もし今後、後宮でくだらんことを申す奴がおれば、三族を皆殺しにしてやろう。

 
 呂布は堂々と宣言した。殺伐とした宣言ではあるが、それは胡姫の保護者として、この男特有の暖かさに満ちている。
 それが分かっている胡姫は、だまって、呂布にからだを預けた。

 ――こうして、くるくるとよく働く、あの元気な小間使いは、この夜から南蛮王呂布の王后となったのである。
 南蛮王の嫁取り物語は、後世、おそらく色んな詩となり、戯曲となり、世の恋人たちの理想として語り継がれる事になるであろう。
 華燭のなか年が明け、人々は久々の安逸の中、建安十五年を迎えた――