第21章 成都大評定
建安八年(西暦203年)十二月。
激戦の末、曹操軍を破って夏侯淵を斬り、旧都長安を攻略した南蛮王・呂布は、本拠地である益州への凱旋を果たす。呂布は成都宮に入り、益州牧張と群臣にむかい大評定開催の意志を伝えた。
そして年が明け、建安九年。
――史実であれば、官渡の決戦で勝利を収めた曹操が、黄河を渡って袁紹の遺児と激烈な戦闘を繰り広げる年度である。
が、いまの中華の状況はどうか。
曹操と袁紹は、あいかわらず黄河を挟んで睨み合ったまま動かず、逆に汝南の草賊と結んだ劉備一党が、長駆して許昌を陥とすという破竹の快進撃を見せていた。
さらにこれに呼応するかのように、江東の小覇王・孫策は長江を渡渉して曹操領・徐州へ攻め入り、下を占拠。ここから進路を西へ転じて豫州都の沛に攻め込み、こんどは小沛付近での主力決戦で壊滅的な大敗北を喫している。
そして、南蛮王・呂布の動向である。
荊州攻略の足がかりとして武陵を確保した呂布軍は、さらにド南の交趾トロピカル回廊からジリジリと東征を開始し、海沿いに士燮・孫策らの極南勢力を一掃し、とうとう憧れの「港湾都市」南海を手中に収めた。
が、南海の香港島に大要塞を建築していた呂布は、涼州牧・馬騰の敗死を受け、自ら第二次長安攻略戦に着手。援軍の五斗米教団軍のたすけもあり、とうとう長安を陥としたのであった。……
陳 宮:要するに、曹操が現在タコ殴りに遭っているわけですな。
張 :逆に我が軍は破竹の快進撃。向かうところ敵無しと言えましょう。……殿?
呂 布:何だ! 今それどころじゃない!
陳 宮:殿…何…やってるんですか?
呂 布:そうだ陳宮! 見てくれ!
呂 布:美々ちゃんの写真が出てきたのだ! ほらほら、可愛いだろう…!
陳 宮:殿……いまはそれどころでは。
呂 布:この頃はな、まだ生後ふたつきと経ってない頃のはずだ!
陳 宮:……話を続けます。張刺君、この評定の議題は。
張 :ズバリ、「今後の戦略方針」である。
今後の戦略方針――単純に言い替えれば、「次は誰と戦うか」ということ。
いま呂布は4つという多方面で戦線を展開している。
――ひとつは、長安。
この方面には馬超一党が駐留し、弘農・宛というふたつの曹操領と睨み合っている。
――ひとつは、永安。
この方面はいま都督高順が駐屯し、呂刀姫・文姫姉妹のほか、旧劉璋勢力の中堅武将らが集中している。事実上の南蛮軍主力部隊であろう。
――ひとつは、武陵。
この方面は先鋒の張遼が抑えており、荊州南部侵攻の橋頭堡として確保してある。が、元来は法正の独走で得てしまった飛び地であり、あまり重要なセクターではない。
――ひとつは、南海。
この方面は、劉表・孫策という強豪勢力と接する最重要拠点であり、孟獲率いる南蛮戦象軍団をはじめ、公孫楼ら名だたる勇将が駐留している。
この4つの都市を国境として、曹操・劉表・孫策の3つの勢力と接しているわけだ。
呂布軍としては、ここが思案の為所である。
地図で見る限り、南蛮の領土はきわめて強大であるが、実は国力的にはビリから3番目である。というのは、涼州や南蛮などという生産力も人口も雀の涙程度なド田舎ばかりが国土であるため、見た目ほどの税収が得られないのだ。
人材という点では、曹操陣営の足元にも及ばず、劉表陣営にも見劣りし、孫策陣営にも質量で遅れをとっているのが現状であった。
陳 宮:要するに、どの勢力もわが南蛮国より強大である、という認識をまず徹底せねば……って殿ぉ!
呂 布:きゅわわわ~~ん!みみちゃああん!
呂 布:これから…
呂 布:こうなるんだ! で、次のが最初にウチに来たときの写真だ!♪
呂 布:ううむ…、ちょっとひょろっとしてしまったかな? ちょうど成長期で、足がズンズン長くなってゆく時期だったのだ!
陳 宮:もしもし~?
呂 布:そしてだ!このあと美々のからだに驚くべき異変が起こるのだ!見ろ!
陳 宮:ちっ、聞いちゃいねえ……
呂 布:嗚呼美々! あれほど丸くてちっちゃくて三角だった美々! こんな変わり果てた姿に…!
陳 宮:………。
呂 布:ところで丸くて三角…って、どういう意味だ?理論的に矛盾してないか、サクマ。
張 :……。
呂 布:おお! だが皆、安心してくれいッ! 美々はな、これから3ヶ月たった後、驚くべき進化を遂げたのだ! ちょうど「美々が来た~っ!」シリーズが掲示板を賑わしていた時期の写真(つまり現在)が、これだ~~~ッ!!!
呂 布:見ろッツ! お姫様みたいだろッ! かわいいいい! 世界で一番可愛い~ッ!
陳 宮:駄目だこりゃ。
お待たせいたした皆々様! 痛快三国志Ⅶ活劇は、ご覧の如く奇跡の復活! ちょっと話がズレてる気がしないでもないが、いよいよ第4部がスタート!――痛快読み切り三国志Ⅶ活劇は、次回新展開です!