33.中原への道

中原への道

  

 ――建安12年(206年)。襄陽の陥落により、劉表の遺児・劉?の領地は、新野城とその周辺の数邑のみとなってしまっていた。もはや小領主といってよい。
 韓公の封爵をうけ、荊楚全域を領していた大国が、こうなると哀れなものである。
 

呂 布:おい耳にょん! 

 呂布がそう呼ばわるたびに、劉備はサササとすばやく呂布の傍らに拝跪する。

呂 布:俺様は、このターンで劉?を討とうと思う。邪魔だし。 

劉 備:おお! それは結構にございまする。

呂 布はっはっは! 結構か!


 呂布は上機嫌にわらうと、即座に新野攻略の一軍を組織させた。
 新野に逼塞する劉?軍は意外に多く、歩騎あわせて4万を数える。
 が、それでさえ襄陽に駐屯する呂布軍の数に比べれば、4分の1程度の小勢であった。さらに、安全圏となる上庸の孟達軍を含めると、荊北に動員できる呂布軍は20万ちょっとということになる。
 まだ反劉?同盟も健在であり、ここまで彼我の戦力差が歴然となると、もはや掃討戦というべきであって、呂布や幹部が出張るまでもない。
 それでも陳宮が編成した劉?イジメの軍は、蔡瑁、張允ら「荊州組」のみで編成される8万余の大部隊であった。万全を期した質量ではあるが、彼らとて気持ちのよい任務ではあるまい。
 むろん、降将をして彼の祖国の命脈を絶たしめる、というのは征服王朝の常套手段であった。
 

 ――それからわずか4日後。 


呂 布:全滅しただと!?

 呂布、飛報をうけて愕然とする。
 気候によっては攻城の黒煙さえ遠望できる至近距離である。まさか援軍依頼を出す暇もなく全滅するとは、想像もしなかったのだ。
 すでに蔡瑁、張允らは傷ついた身を引きずって城下まで逃げ及び、ほかの諸将も血路を開くか解放されるかして、かろうじて襄陽へ到着しているらしい。
 が、その中に黄忠、厳顔らの姿はなく、おそらく劉?に帰順したものと見えた。


呂 布:蔡瑁、張允! 言い遺すことがあれば言え!

 呂布、蒼白な顔で階の下にふるえる二人の敗将を睨み付ける。

 

蔡 瑁:だ、大王さま、ま、まずはお聞きくださ…

呂 布:遺言以外は受付んぞ!

 蔡瑁は口の端に泡を吹いてパクパクするだけで、張允など半ば気絶しかかっている。
 本気で赫怒した呂布の叱咤は、それだけで凡人を気殺するほどの鬼気を帯びている。とうてい、彼らに弁解する余裕などあるはずもない。


呂 布:貴様ら両名、劉?ごときに敗れ、南蛮の旗を辱めた! よって物凄い残虐な刑をもって処断する! 

蔡 瑁:あ…あ…

呂 布:貴様らは、まず最寄りのコンビニに行って来い!そこで『ヤングアニマル』の最新号を手に取り、ナレーションと効果音つきで、今週の『ふたりエッチ(克・亜樹)』を大声で朗読してこい! 
効果音つきでだぞ!

蔡 瑁:ひ……っ!

 満座、粛として声も出ぬ。時まさに昼食どきであり、女子学生やOLも多い時間帯であろう。
 剛胆さでは人後に落ちぬ列将も、目を伏せてはやく散会を待つばかりであった。  


蔡 瑁:ほ、法の保護を…!

呂 布:やかましい!

王 粲:お待ちください、大王。両将の敗戦は万死に値しますが、「ふたりえっち(克・亜樹)」とは余りにも無惨。これからの両名の活躍をもって責と換え、せめて「ももいろシスターズ(ももせたまみ)」に罪を減ずることはできませぬか!

呂 布:出しゃばるな王粲! もう決めたことだ!

陳 宮:――衛兵、はやく二人を連れて出ろ!

 陳宮が命じると、屈強の衛兵たちが蔡瑁、張允の両腕をつかみ、引きずるように外へ連行していった。最後まで情けない悲鳴が一同の鼓膜に残る。 

劉 備:うわー…

諸葛亮:フフフ(横光風)……  


 軍規秋霜――!
 一罰百戒、連勝でゆるみがちであった南蛮軍の気分も、一挙に引き締まったようである。 

 ――が、それにしても、充分に有能で器も小さくない蔡瑁ほどの将帥が、数にして半数にも満たない劉?の軍勢などに何故敗れたのか。
 考えられる理由はただひとつ。


陳 宮:李典ですな。

呂 布:おう。それを考えていた。

 新野からそう離れていない南陽の宛城には、李典を主将とする9万の曹操軍が駐屯している。彼らが滅びかけの劉?に力を貸し、南蛮の征図を挫いたに違いなかった。
 曹操の主力軍団は袁紹との戦線に貼り付けられているが、対呂布軍団だけでも南蛮全軍に匹敵するだけの質量がある。楽観すべき事態ではなかった。 


呂 布:いつまでもチンタラできん。まだ行動力があるから、このターンにもう一度攻めるぞ。――おい、耳にょん! 

劉 備:へ、へい! 

呂 布:今度はオマエ中心でやれ! 関羽と張飛も連れて行っていいぞ。陳宮と楼ちゃんも貸してやる。 

劉 備:ははー! 

 軍勢は先の倍ちかくにふくれあがり、主将の劉備をはじめ、将帥の質も先の討伐軍とは比較にならない。 
 劉備に大軍を与えるなど、虎に翼を与えて野に放つようなモノだが、万一に備えてそれなりに準備はしている。趙雲・陳到などという親衛隊は劉備から引き離して長安戦線へ送っており、代わりに劉備を警護・監視しているのは、呂布の直属兵ばかりであった。これではウソつき皇叔劉備でも身動きがとれぬ。
 ――襄陽を出た劉備軍12万は、第一次討伐軍を破って安心しきっている新野城を急襲し、たちまちこれを攻め潰した。
 宛の曹操軍も、反劉?同盟軍も、ほとんど戦線に参加するヒマがないほどに迅速な作戦行動であった。一県一城を争うような局地戦では、傭兵隊長・劉備の用兵はまず一流といってよかろう。
 かつて劉備が駐屯していた新野の城は、その劉備の手によって蹂躙された。 

呂 布:おい劉表の小倅、結局、俺様に従うのかどうか決めろ。

劉 ?:は…叔父上のご厚意に謝するためにも、これからは公に臣従いたします… 

呂 布:ふん、ならばよい。

 さきほど劉備、存外しおらしいことに、このたびの報償として呈示された荊州牧の椅子を蹴り、劉?の命乞いをしたのだ。このあたりの面倒見の良さが、劉備を劉備たらしめている点に違いあるまい。
 呂布、劉?の降伏を興味なさそうに受諾する。
 それより呂布らにとって嬉しいのは、良・越の兄弟が臣従を申し出てくれたことだろう。氏は蔡氏や馬氏などに引けを取らない荊州の大豪族であり、彼ら自身の高い統治能力と、その支持は荊州統治に欠かせぬものであったからだ。
 さらに、黄忠と厳顔というゴールデンシルバーコンビの再帰参もうれしい。もっとも「次逆らったら老人ホームにぶち込むぞ」という呂布の脅しもドコ吹く風で、茶など啜って碁を打っているが。
 このたび呂布に従わなかった者は、文聘と韓嵩くらいであり、旧劉表勢力はあらかた呂布に吸収合併されるカタチとなった。 

 …荊州に20年近く続いた劉表の王国は、建安12年の冬に滅びた。
 益州を一代で伐り盗った劉焉とおなじく、権謀の限りを尽くして築き上げた勢力は、その息子の代で南蛮王に覆滅せしめられたのであった。
 

……………
 …………
 ……

呂 布:というわけで、明日には新野へ引っ越すぞ。

小間使い:は、はい… 

呂 布:ん? 何だ?

 
 小間使い、まだくだんの赤ん坊を預かっていたらしい。
 さっきから忠吉さんが揺籃の番をしているところであった 。

呂 布:もうこの子の親はついて来れんのか?

小間使い:はー。この襄陽で職が見つかったそうで…

 この子を預かってだいぶ経つ。若夫婦も日銭を稼ぎながら、武陵からよくついて来ていたが、この襄陽に腰を落ち着ける決心をしたようだ。


呂 布:なら仕方ないな、そいつらのガキなんだから。

小間使い:……ひっく

呂 布:泣くな! だいたい子供嫌いなんだろうが!

小間使い:もー! 泣いてませんよー!

 相変わらずこういうのが苦手な呂布、むなしく忠吉さんの頭をなでている。
 小間使い、よほど情が移ったのか、赤ん坊をひしと抱きしめている。が、どこから見ても、親子と言うより年の離れた姉妹であった。


呂 布:あー…しかしアレだ、オマエもいずれ結婚して子供産んだらいいだろう。

小間使い:……。わたし、子供きらいですからー。

 小間使い、ほろ苦そうに頬笑んでいる。
 が、根っから鈍感な呂布、「何ならいい男見つくろってやろうか」などと話を続ける。
 さすがに苦笑した小間使い、少女らしからぬ落ち着いた視線で、正面から呂布と向き合った。


小間使い:私、赤ちゃん産めないみたいなんですよー。

呂 布:へ? なんで?

小間使い:はー、小さい頃、イロイロありましてー。

 にはは、と困ったように頬笑む小間使い。
 ようやく、呂布もだいたいの事情を察して黙り込む。


小間使い:だから、子供きらいなんです。

呂 布:…そうか。

 さすがに答えようがない呂布、難しい顔をして院子を眺めるふりをしている。

 ……………
 ………… 
 きたるべき建安13年に備え、歳末の活気が新野をにぎわす頃。
 呂布は意外な岐路に立たされることとなった。
 劉?勢力の滅亡によって、「反劉?同盟」が消滅してしまったのだ。
 当然のことではあるが、これまで同盟関係であった孫策勢力とも、国境を接している以上敵対せざるをえない。
 これを機に、こんどは江東の「小覇王」孫策と先端を開くべきか、それとも中原を目指して北上を続けるべきか…
 相も変わらず閣議は紛糾している。
 陳宮を首魁とする北上派と、劉?や諸葛亮ら西進派が、それぞれ説得力ある自説を主張してやまないのだ。
 結局のところ、事態を決したのは劉備の一言であった。  

劉 備:ところで、馬超将軍はいつまで待ってればええんです?

呂 布:あ。

 そういえば、馬超とは「洛陽にて会合せん」と言い残してあるのだ。
 呂布の最終目標が曹操の首であるのだから、思えば北へ進むのが当然のことであった。


呂 布:ふむ、耳にょんも正しいことを言う!

劉 備:ついては、私に考えがあります!

呂 布:何だ!

劉 備:こんどは「反曹操連合」を組むんですわ!袁紹、孫権、張魯らが加われば、曹操とてひとたまりもないハズです!

諸葛亮:(…ほう!)

呂 布:連合ねえ…

 呂布は正直、連合など本意ではない。だいたい、毎ターンのように援軍要請があり、そのたびにまとまった兵力を派遣するのだから、よい迷惑である。
 …が、もしも諸侯に「反呂布連合」などを組まれでもしたら、それこそこちらにとって迷惑この上ない事態になるだろう。

 

陳 宮:そういえば、合従連衡の故事とカタチは似てますな。

諸葛亮:フフ…つまり反曹操連合は「連衡」の変形というわけですか…

             

 現在の南蛮勢力の版図は、たしかに戦国末期の強国・秦と似ている。
 天下の西半分を押さえて中央に乗り出した秦に対し、諸侯は力を併せて「合従(縦)」つまりタテに東方諸国同盟をつくりあげて、これに対抗しようとした。
 逆に秦は諸国を連合させず、「連衡(横)」つまりヨコへ向けて一カ国づつ別々に盟を結び、天下の威圧統一を果たそうと試みた。
 呂布にとって恐れなければならないのは、「合従」をされることだろう。 

 

呂 布:毎ターン攻められるのもウザイしな。反曹操連合をつくってみるか!

陳 宮:よろしいでしょう。早速手配しましょう。

 建安17年。
 一月の正月を起日として、諸侯へむけて檄文がとばされた。
 いわく――
 天子を擁し奉り、中原に縦横する奸賊・曹操を誅滅せん。…
 総1420文字からなるこの歴史的な一文は、あらたに書佐に命じられた呂布の次女、呂文姫の手によるものであった。 
 この檄文を入手した曹操は、文面につらつら列挙された自分の悪行宣伝よりも、その修辞の美しさにおどろき、「陳琳さえ及ばぬ」と絶賛したという。
 
 それはともかく、呂布の呼びかけに応じて立ち上がった諸侯は、袁紹、孫策、公孫淵。
 「曹操包囲網」はこれで為ったわけだ。
 ――先制の一撃は、まず袁紹が行う。
 晋陽を巡って一進一退を続けていた袁紹の西部方面軍が、一挙に南下して洛陽を衝いたのだ。呂布からも数軍が派遣されてこれに合流した。
 もっともこのとき、守将の鍾はよくこれをしのぎ、敵将高幹、郭援らを退けて洛陽の防衛に成功する。
 これで各国に袋だたきにあうという現状を認識したのだろう。曹操軍は逆撃に転じ、袁紹領晋陽を奪い返した。
 …が、これは失敗であった。
 洛陽ならば防衛は比較的楽だが、晋陽はそうはいかぬ。たちまち次の同盟軍の攻撃を呼び、またまた無念の晋陽放棄に至る。
 とにかく、「同盟」とは厄介きわまりないモノであった。

呂 布:ようし、俺様も宛を攻めるぞ!

陳 宮:ナイスなタイミングですな!

 すでに長安に駐留する馬超たちへ、援軍要請の早馬がむかっていた。
 ――宛の曹操軍をうち破れば、もはや洛陽は指呼の距離。
 いよいよ、中原を巡る争覇戦に、呂布も片足を突っ込むことができるのだ。

呂 布:高順、張遼、孟獲、楼ちゃん、耳にょん、ジジイ! 

 呂布が怒鳴ると、6名の大将が拝拱して一歩前へ出る。


呂 布:天下取りだ! 俺様のために中原への道をこじ開けろ!

一 同:御意!  

 建安13年、呂布にとって最も事多き年は、こうして幕を開けた。

  呂布軍の北上が始まった! 呂布の天下取りのため、すべては呂布たった一人のため、数十万の軍団が中原へ殺到する! リプレイも最も大詰め、中原争覇編開始です!