第5部「中原へ…」

南蛮王呂布
36.天子奉戴

天子奉戴     中原の至宝・洛陽を手中に収めた南蛮公・呂布は、久々に穏やかな年末を過ごすことになった。  史実ならば赤壁の戦さがあり、天下三分の大きな分岐となるべき建安13年は、静かに過ぎ去ってゆく―― 呂 布:ところ […]

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南蛮王呂布
35.鼎の軽重

鼎の軽重     建安13年。  季節は初夏を迎え、統治者にとっては治水の出来不出来が問われる頃である。  南陽に駐屯している呂布軍団は、後続を待ちつつ、着々と出撃準備をすすめていた。本営の宛から前進基地のある魯陽までの […]

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南蛮王呂布
34.小覇王

小覇王     建安13年、春。  新野城を進発した南蛮軍十四万余は、同じ南陽郡の首府・宛城を望む平原に展開した。  おりからの小雨で視界がかすむ中、すでに要衝要衝を押さえている曹操軍の旌旗が遠望できる。   戦場「宛」 […]

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南蛮王呂布
33.中原への道

中原への道     ――建安12年(206年)。襄陽の陥落により、劉表の遺児・劉?の領地は、新野城とその周辺の数邑のみとなってしまっていた。もはや小領主といってよい。  韓公の封爵をうけ、荊楚全域を領していた大国が、こう […]

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南蛮王呂布
32.劉備退場

劉備退場     樊水の畔に喚声がこだましている。  襄陽が陥ちた。学識豊かな荊襄の士人たちとて、この学業の都が蛮人に蹂躙されるなどと夢にも思っていなかったに違いない。  みな私塾の奥に引き籠もり、あるいは書院の奥に逃げ […]

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南蛮王呂布
31.劉備登場

劉備登場     翌朝、呂布は長安宮に一同をあつめ、我が意思を伝えた。 呂 布:俺様はただちに荊州へ戻る!  大方針である。呂布の所在地を大本営とするならば、ふたたび戦略の主眼は関中から楚へ戻されたということなのだ。 陳 […]

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南蛮王呂布
30.第三次長安攻略戦

第三次長安攻略戦     ――建安11年、10月。南蛮公呂布は3度目の長安攻略戦を開始する。  戦象部隊を含めた約一七万という未曾有の大軍団が行軍する以上、その侵攻ルートは桟道を経ないものに限られる。  すなわち、陳倉道 […]

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南蛮王呂布
29.えいえんはそこにあるよ

えいえんはそこにあるよ    ――呂布はなお昏睡の淵にある。 兵士達も比較的楽に漢中を攻略したという悦びから醒め、気遣わしげな視線を南鄭城へ向けている。 張 遼:因果なものだ。去年は漢中で敗れ、成都で殿の蘇生を願っていた […]

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南蛮王呂布
28.漢中へ続く道

漢中へ続く道     初陣で荊州屈指の勇将・文聘を手捕りにするという大金星をあげた呂刀姫は、二月、残務処理を張燕らに委ねて帰還の途についた。  ところがこの刀姫の凱旋より一足早く、武陵の呂布の元へ驚くべき報がもたらされる […]

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南蛮王呂布
27.韓公国無惨

韓公国無惨     建安十年、冬。  「南蛮王の大いなる午睡、あるいは覚醒」は、出し抜けに始まった。  その第一撃は、荊州で炸裂する。――荊州方面の都督代行である長沙の張燕軍が、何の前触れもなく荊南の要衝、桂陽を電撃した […]

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