35.鼎の軽重
鼎の軽重
建安13年。
季節は初夏を迎え、統治者にとっては治水の出来不出来が問われる頃である。
南陽に駐屯している呂布軍団は、後続を待ちつつ、着々と出撃準備をすすめていた。本営の宛から前進基地のある魯陽までの間、南蛮の旌旗が帳の如く地を覆い、刀槍のきらめきが旅人たちを驚かせているという様子だ。
――そんな折り、先に汝南攻略の援軍として孫策軍に合流していた、呂刀姫・張遼・張燕の三軍が無事に帰還してきた。
それぞれ呂布に復命を済ませ、あらたな命を待つつもりであったが…
劉循:――じつは我らも捜しておるのですが…
黄忠:この大事な時期に、何をやっておるのやら…
と、南蛮公・呂布、またしても消息不明という事態であった。
あたまを軽くおさえた呂刀姫、心当たりがあるのか、困惑する諸将に一礼すると、羚羊のような歩調で政府を出た。そのまままっすぐ、呂布の巨館へ直行する。
紙燭の微かな灯のほか、一点の明かりもない密室――
互いの顔も判らぬほどの暗闇の中、数人の人影が円座になってボソボソと密談している。
……
呂 布:……結論が出んな。
関 羽:それがしは主張を曲げる気はござらぬ。
呂 布:ふん、堅物め。貴様のような硬直した教条主義者が、低次元ソフトハウスを肥え太らせる原因になるのだ。
関 羽:……たとえ公といえど、聞き捨てなりませぬぞ…!
袁 譚:まあ落ち着きなされ、関将軍。客座から一言申してよろしいか。
呂 布:何だ。
袁 譚:我々は、いま無口っ娘の定義を討議した。だが、今やステレオタイプの無口っ娘はむしろ少数派。我々無口っ娘倶楽部としては、世間に迎合して門戸を広げるよりも、むしろそれら少数の保護を唱えることこそが急務では無かろうか、と。
……驚くべし。当初一部の愛好家だけで細々と裏オフをやっていた「無口っ娘倶楽部」は、いまや会員数5万余名を数える大組織となり、呂布は会員の筆頭として彼らを宰領する立場にあった。
趣味嗜好は国境を、思想を超える。
たとえば今発言している袁譚などは、袁紹の長子として青州の総帥たる身であるが、最近、嗜好の異なる父・袁紹や末弟・袁尚らと対立して孤立気味であった。
そのせいか近ごろ足繁く呂布の元に通い、自らのアイデンティティを維持しようと努めているきらいがある(※実際のプレイでも、呂布は一度も袁譚の元を訪れたことがなかったのに、最終的には「親密」になるほど頻繁に遊びにきてました)。
関 羽:然り。青州の仰せの通り、我々が求めるべきは、純化された無口っ娘のみに絞るべきである。
呂 布:それは諸生の議論だ。それを言うなら、もはや無口っ娘は楼ちゃん一人に絞られてしまうではないか。無口なだけが無口っ娘ではないぞ。
関 羽:詭弁だ!無口でない無口っ娘など矛盾しているではないか。
呂 布:ええいくそ! まだわからんのか!
???:フォッフォッフォ…若い若い…
と――
ふいに暗室の片隅に、灰色の影が揺らぎ、見る見るうちに人の形を為した。
鬼道…! 片膝を立てて一斉に佩剣を掴む一同を、呂布は片腕で制した。
呂 布:じいさん、アンタはどう見るんだ。無口っ娘倶楽部は、本当の無口っ娘だけに絞って萌えるべきだと、奴らは言うのだが。
左 慈:さてさて…。汝らの議論はなるほど、双方が正しく、双方が間違っておるように聞こえるわい…
無口っ娘倶楽部の会長にして、天下の鬼術師である左慈元放は、一同を舐めまわすように睥睨すると、専用の小さな籐台に腰掛けた。
左 慈:さて…関将軍よ。汝が無口っ娘に惹かれる心境を説明できるか。
関 羽:……漠然とならば。
左 慈:汝は言うに違いあるまい。――昨今氾濫しておるやたら萌え萌えしたキャラどもにない清楚さを、無口っ娘から感じられる、と。
関 羽:――仰せの通りです。師匠。
左 慈:フォっ。それはそれでよろしい。だが一号会員(※呂布)が言うておるのは、それとは少し違う次元の話なのじゃ。
関 羽:違う次元…?
左 慈:左様…そうじゃな、たとえばここに無口っ娘がおったとする。公孫楼の如く理想的な無口っ娘じゃ。…が、この無口っ娘が、決して心を開いてくれないし、何をやってもフラグも立たない、ただのネクラ娘だったとしたらどうじゃ? 汝はこのネクラ娘に萌えることができるだろうか?
関 羽:…ム…ム。
左 慈:考えるのではない…感じるのじゃ…
左慈老人は、頑迷な生徒を諭す老師のような表情で、一同にも黙考を促した。
関 羽:――残念ながら、それがしは萌えますまい。
ややあって、関羽が長髯をしごきつつ呟いた。
呂 布:そらみろ!
左 慈:これっ。――で、関将軍。何故に萌えぬか、解らぬ汝ではあるまい。無口っ娘萌えの醍醐味は、無口っ娘が内に秘めておる頑なさを破り、我々に心を開く瞬間――あるいはその階梯――にあるのだ。極論すれば、キャラでなくシチュに萌える、と言っても良い。
袁 譚:! キャラでなくシチュ……!
左 慈:ここまで言えば、あとは汝らで答えを出せよう…。南蛮公もいささか結論を急ぎすぎたようじゃが、無口なだけが無口っ娘では無いという言葉は、一面の真理なのじゃ。むろん、無口あるいは寡黙を条件に入れねば、素直でない意地っ娘属性もまた、無口っ娘に分類されてしまうがな。
左慈はふぉっふぉと笑うと、懐から掴みだした一巻の巻物を呂布に手渡した。
左 慈:まずは合格じゃ、南蛮公。汝のような出来の良い弟子を持って儂も幸せじゃ。
呂 布:こ、これは…!
左 慈:フォッフォッフォ…汝にくれてやろう。汝ならば見事に使いこなすであろう。
左慈が手渡したのは、奇書「遁甲天書」であった。知力が10上がるうえに、極めれば特技「神眼」が得られるというスペシャルアイテムである。
これまで幾人もの豪傑や仙人が、求めて得られなかった宝貝だ。
左 慈:フォッフォッ…ようやく受け継ぐに相応しい主が見つかったというわけじゃ!
呂 布:ム…師匠、今回ばかりは礼を言うぞ! …ところで、一巻だけなのか?
左 慈:フォッフォッフォ!第二巻以降は、セット価格3000金で承っておる。
呂 布:金とるのかよオイ!
――などと怒鳴りあってるところへ。
呂刀姫:父上っ! また性懲りもなく!
猛烈な勢いで呂布の娘が押し入ってきた。ポニーテールをぶんぶんと振り回すようにして、片っ端から、四囲の帳を引っ剥がしてゆく。あっというまに、眩しい初夏の光が室内に満ち溢れた。
呂刀姫:何度も言いますけどっ、私の部屋を怪しげな集会に使わないでくださいっ!
呂 布:はっはっは。何だ、ずいぶんと早かったなあ!
呂刀姫:まっっったくっ!どうして男って生き物はこうも両極端に分かれるのかしら!――関将軍まで!
呂刀姫の痛烈な視線を受けても、関羽は黙然と髭をしごいている。呂刀姫の潔癖な視線は、次は関羽の隣に隠れようとしている長身の青年を貫いた。
呂刀姫:あら、袁譚様、今日は定例集会ですか?
袁 譚:い、イヤ。その、ちょっと寄っただけで。
呂刀姫:孫策様が汝南を足がかりに、豫州・青州へ侵攻されようとしているのに、ずいぶんと余裕ですねっ…!
袁 譚:あの、すぐに戻ります。
そさくさと腰を上げる、袁紹軍第二軍団長。
両手を腰に当て、ぷんぷん怒っている15,6の少女ひとりに、大のオトコ数人がすくみ上がっているカタチであった。他の参列者も、自分のところへイヤミが飛んでこないうちにと、我がちに逃げ出していた。気づけば、いつのまにか左慈もいなくなっている。
さすがの呂布も冷や汗をぬぐっている。
呂刀姫:まったく! どーして私の周りはこんなのばっかり…!
呂 布:…あ、すまんすまん、タオルと思ってたら、お前の窮袴だった。こんなトコにぱんつ置きっぱなしにするなよな。
呂刀姫:………っ!
「バカ――っ!」
という叫び声と同時に壁が吹き飛び、破片に混ざって呂布の巨体が風を切って吹っ飛んできた。何人かの通行人が、不幸にもその下敷きになって重軽傷を負った。
………
……一刻後、呂布の執務室。
呂 布:…ふう。アレも難しい年頃だからな。
陳 宮:おそらく年頃の問題ではないような。
小間使い:まっすぐで、立派なお姫様じゃないですかー。…あ、塗り薬、終わりました。
呂 布:おう、サンクス。…しかしあいつが男うんぬんを言い出すとはなあ。汝南で何かあったか。
張 遼:…いえ、別に。
陳 宮:そんなことよりも!――洛陽へはいつ出陣されるのですか?
呂 布:まあ、そう急くな。俺様の神眼が、いましばらく待てと言っておる。
呂布が手に入れた「神眼」は、非常に便利であった。あらゆる勢力のすべての都市情報が、居ながらにして手にはいるのだ(※結局金を払った)。むろん、この能力で色んな娘たちの入浴シーンとかを覗いていることは言うまでもない。
――呂布の言う「機」が動き出した。
先に指令を受けた長安駐留の馬軍団が、潼関を抜けて弘農へなだれ込んだのだ。
馬超を主将、韓遂を副将とした15万の騎馬軍団は、関中の地を我が物顔で蹂躙し尽くした。この戦闘で曹操軍は11万の将兵を失い、全戦力で見て20パーセント近くの低下を余儀なくされた。
そして何より痛かったのは、族弟・曹洪の死であろう
曹操挙兵より数えて20年。常に曹操の元で血戦し、曹操の危機には身代わりとなり、兵力不足のおりは四方奔走して兵馬を掻き集めたという。
多少軽佻な所もあったが、広大な領土の総督としても、一軍の将帥としても、過不足ない力量を有していた。享年、40歳。
――曹操は先の夏侯淵についで、またしても股肱を失なったのである。
呂布が動いたのは、その報がもたらされる10日も前であった。むろん、「神眼」によって、彼はすべてを見通しているのだ。
呂布を主将とする今回の遠征軍団は、端から意気込みが違う。実のところ、馬超軍単独でも洛陽攻略は十分に可能なのだが、いかなる状況、シリーズの第何作目であろうと、「洛陽攻略戦」というモノは、ゲームの分岐点となりうる重要な戦さなのだ。
歩騎象あわせて17万、従う将帥もまた、長安攻めに動員された時以来のフルメンバーである。
南から攻め上がる戦場「洛陽」は、 マップ中央を横切る河(洛水?)くらいが遮蔽物となる程度の、平坦な地形である。渡河地点をわずかに越えた中州あたりに砦があり、ここの奪取こそが全戦線の帰趨を占うポイントになりそうだった。
呂 布:つづけ――っ!
陳 宮:あ…また!
呂布が赤兎を駆って一騎駆けするや、17万の大軍団が、その魁偉な背中を追って移動を開始する。呂布軍の兵士たちは皆、呂布の顔は知らずとも背中は知っている、と評される所以であり、その風は二代目呂鳳にも受け継がれた。
幸い直線上に罠は仕掛けられておらず、かっ飛ばす騎馬軍団は、たちまちマップ中央部の州上砦付近で、密集した曹操軍と接触する。
陳 宮:力攻めだ!押し負けるなよ!
陳宮にしては珍しく、単純な指示であった。が、もはやここまで密集した大軍団同士の衝突になれば、区々たる用兵など必要ないかもしれない。
制圧前進こそ、大軍の本領である。
徐 晃:押し包め! 呂布を絶対に通すな!
楽 進:李典の仇!
呂 布:フッフッフ、馬鹿者どもめが!
曹操軍の名だたる驍将たちに包囲されようと、呂布の隊はそよ風ほどにも動じない。
密集戦こそ、呂布軍団の極レベル「乱撃」の見せ場であった。
まして周囲はなだらかな丘陵にかこまれた平地であり、呂布の乱撃はことごとくが成功する。呂布の1ターン損害、600前後に対し、周囲の受ける損害は2000×3。文字通り桁が違うのだ。
勢いの違いもあるだろう。高順、張遼軍もくさびのように曹操軍の陣列に割り込み、極レベルの突撃と乱撃を繰り返し始めた。
乱戦の中、徐晃はなぜか執拗に陳宮へ一騎討ちを挑んできたが、そこへ通りかかった張飛が、逆に一騎討ちへ持ち込む。
これが張飛でなく関羽であれば、さぞかし感慨深い対決であったろうが、ともかく武力100になんなんとするS級の豪勇同士の一騎討ち、呂布も突撃を一時中断し、鉦鼓でもって華やかな演出を添える。
呂 布:張飛ーっ!負けるなーっ!
劉 備:益徳、根性決めろ――っ!
張 飛:まあ見てろって!
騒がしい観客に向かって手を振ってみせる張飛。妙に悲壮感の漂う曹操陣営セコンドとはエライ違いである。やがて双方、馬腹を蹴って肉薄すると、目にも止まらぬ勢いで斬撃を繰り出しあった。
大斧と蛇矛が、信じられない程の勢いでブンブン旋回しあい、人間とは思えない反射神経で、双方それを捌いてゆく。
張飛と徐晃の一騎討ちは、かつて呂布と馬超がくりひろげたものに等しい、激烈なものであった。
と――
徐 晃:食らえ、徐家奥義ッ!
張 飛:ぬお…!?。
徐晃の大斧が、ふいに変幻の妙を見せて張飛の身体をとらえた。張飛、血飛沫をあげながら、思わず後ずさる。
――オオ、と戦場が響動めいた。
関 羽:ムウあの技は!
呂 布:知っておるのか関羽……!?
関 羽:あれこそ戦斧を使う者の究極奥義「剛刃斧旋斬」!!
呂 布:「剛刃斧旋斬」だと!?
関 羽:まさかあの技を公明が体得していたとは…!
剛刃斧旋斬(ごうじんふせんざん)。
遙か殷の時代、周の文公が青銅の鼎を砕く際に体得したとされる剣聖技。
春秋の頃、晋の勇者・士潘がこの技を用い、悪辣な奸臣・華伯を、その妻ごと斬り殺した話はあまりにも有名である。(※民明書房「正直VIの一騎討ちってどうよ」より抜粋)
関 羽:しかしあの技は、使う者の靱帯に過剰な負担を強い申す。二撃目が無い以上、一撃で討ち取れなかった公明に勝ちはござらぬ!
関羽の言うとおりで、気力をも使い果たした徐晃に対し、張飛は一挙に反撃に転じる。
張 飛:オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!
張飛必殺のオラオララッシュが始まると、もはや徐晃は防御がやっと。それでも支えきれず、一撃、二撃と喰らい始めると、さらに腕が下がって新たな刺突を次々と喰らう。
――結局、張飛のラッシュによって、徐晃は馬上から吹き飛ばされて、地面に叩き付けられた。
張飛、際どいところであったが、まずは雄敵・徐晃を下して一安心と言ったところである。
呂布軍の将兵たちは、歓声を上げて勇者を出迎えた。
呂 布:そういえばVIの必殺技って「刺武叉把攻(しぶさわこう)」とかもあったなあ。
公孫楼:……甘家奥義「大海の黒い鮫」とか…
呂 布:あー。あったあった。
陳 宮:殿のって何でしたっけ?
呂 布:「真・鬼哭」。こないだ白虎退治行ったとき使っただろうが。
すでに雑談に移っている呂布軍中枢だが、とにかく張飛の勇戦を称え、後方へ下がらせる。
…別にこの一騎討ちで勝敗が決まったわけではないが、これに象徴されるかの如く、呂布軍の優勢は最後まで続いた。
敵味方の援軍が戦場へ到着し、相次いで連合軍が駆けつけ、セオリーの底なし消耗戦へもつれ込もうかと言うとき、急進した高順軍が敵太守・鍾ヨウの軍を潰走させ、勝敗は決した。
建安13年 10月
旧帝都・洛陽は、南蛮軍の制圧するところとなった。
………
……
呂 布:洛陽か。何もかも懐かしいな
陳 宮:…。董卓に焼かれてから、また曹操が建て直したのでは。
呂 布:そーゆー意味じゃねえよ。
呂布にとっては、17年ぶりの王城の地であった。
――東の空がうっすらと明るくなってくる時間だった。
冬の朝もやの中、ふたりは閑散とした大街を歩いている。
曹操の復元もなかなか心にくい気の使いようで、新旧を調和させた見事なつくりとなっている。城市内部を散策すると、洛陽の過去を偲ばせるものは、随所に散見できる。
呂 布:なんかこー、ココを陥とすと、俺様もいよいよ天下人か、って気になるよな。
陳 宮:それは確かに。許の都よりも「重い」ですからな。
洛陽の帝都としての歴史は、許などと比較するのがばかばかしくなるほどに旧い。幾度か遷都があったとはいえ、起源を辿るとほとんど神話の時代からの都と言ってよかった。
呂 布:決めた。俺様の都は洛陽に置くぞ。
陳 宮:御意――。
周囲には誰もおらぬ。
呂布の言葉は、すでに大逆の言葉でもあるわけだが、陳宮は清流派の腐れ儒者ではない。
主君の何気ない一言に、むしろ神妙な表情をして拱手する。
呂 布:はっはっは! そーいえば、何とか言う覇者が、周王朝に鼎の軽重を問うたというが、俺様も真似してはならぬ法はあるまい。
意外ながら、呂布は多少なりと君主として学習しているらしいのだ。
陳宮はコホンと咳払いすると、厳かに応えた。
陳 宮:殿はたまに無茶をなさいます。軽重を知ろうと欲するあまり、鼎を抱え上げてはなりませんぞ。
呂 布:ふん…。
かつて本当にそれをやって、腰の骨を折って死んだという王者がいたことを、呂布は知っていたようだ。
呂 布:抱えるのは俺様じゃはない。刀姫と、オマエたちの仕事だな。
そう嘯いて立ち止まり、眩しそうに朝日を眺めやる呂布。
陳 宮:……!
陳宮、不意に衝動に駆られた。
いきなり拝跪すると、呂布の姿をうやうやしく三度拝した。
呂布は、視界の端でその光景を見たに違いないが、特に感想を漏らすこともなく、無言で旭日を眺め続けていた。
――建安13年冬。呂布は、後漢王朝の鼎の軽重を問うべき位置にある。
洛陽を陥とし、いよいよ中原に鹿を捉える南蛮王呂布。次回、第五部最終話です。