第4話 「呉越同舟」
1-4 呉越同舟強制中 1 古来より、呉と越の因縁対決は数々の伝承や説話の元になるほどだ。俺も漢文の授業で多少囓った程度だが、なんせボルテージの高い国同士だったようだな。 その先頭を騎行する総大将のハルヒも、上機嫌を隠す素振りさえ見せず、
奇声をあげて槍や戟を突き上げるSOS会稽団員軍。部下は主に似るというか、俺が想像していたのとはだいぶ違う軍風に染まっているようだ。
古泉は例の孔明スタイルで押し通すつもりらしく、羽扇を携えただけの軍師姿で従軍している。
鼻息を勢いよく吹き出しつつ、ハルヒが戟を天に突き上げた。
さすがは気力100の会稽軍、ノリだけはハルヒ並だ。
なるほど、正統的な戦立てだ。というか前回が無策すぎた。
ハルヒがニヤリと笑う視線の先では、小柄な白馬にまたがった長門が、無機質な双眸をこちらへ向けているところだった。
なるほど、遊撃隊というところか。 相変わらず表情一つ変えることなく、長門はほんの微かに頷くと、静かに自部隊を率いて戦列を離れていく。
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臥薪嘗胆 |
2
会戦の最初の一撃は、ハルヒの率いる弩兵隊だった。
6千人という、県立高校の全校生徒5校分くらいの一斉射撃だ。一瞬空が真っ黒になったかと思うと、数秒遅れて、敵陣の方へ夕立のような黒い豪雨が音を立てて降り注ぐ。
ハイテンションで怒鳴るハルヒを傍目に、俺の率いる戟兵隊も突撃を開始。厳輿軍にけっこうな痛手を与えている。 回復しては古泉か長門に再度混乱させられる厳白虎軍の、情報管理体制の不備について俺が色々思いを巡らせているうちに、長門隊が城にやや近い地点まで進出して、大胆にも野戦体制を解いて軍楽台建築をはじめた。
既に勝利を確信しているらしいハルヒの、慢心しきった叫びが戦場にこだまする。 10月、厳輿軍が壊滅した。
さあてね。 やがて、本隊たる厳白虎軍も董襲軍に打ち破られた。
古泉の報告にも、余裕がにじみ出ている。
いやいや、今は孔明がリアルに生きてる時代だ。あと心攻めて無いぞ。
結局、厳兄弟は緒戦と同じく攪乱、火計、攻撃のコンボを数発食らって壊滅の憂き目にあい、またまた俺に捉えられて放たれるという醜態を晒した。 翌ターン、またまた出撃してきた厳白虎軍は、遠目にも満身創痍が丸わかりの剣兵部隊で、たちまちのうちにリーチの違う戟や矛にボコボコにされた。
――実はこの間、長江以北の情勢に大きな変化があった。 だが、他の勢力としては、実に痛い、いや、怖い新体制の発表だ。 …が、まだ遙か中華の外れの、一県城を巡って千だ2千だいう兵力を潰し合ってる俺たちにとっては、全く別次元の話だ。
ようやく攻囲を開始したハルヒ。
いつもの無表情の下に不退転の決意を淡々と滲ませて、長門は撤退命令を頑として受け付けない。
頼むから一度戻ってくれ。いったん会稽に戻って、新兵と合流してから来ればいい。まあ、その頃にはこっちも片付いてると思うが。 話している間中、凝っと俺の顔を見上げている長門の硬質な瞳の中に、よく見れば俺の顔が映っているなと気づいた頃、ようやく長門は小さく頷いてみせた。
呟くように答えた台詞は、ハルヒの耳に届いたかどうかわからんが、隣に立っていた董襲さんは片頬の犬歯をむき出しにしてニヤリと笑った。何なんだいったい。
気を取り直したように掌を打って、ハルヒは下知をとばした。
――滞陣3ヶ月。 曰く 山越民族の軍勢が、諸県を荒らしつつ、山陰城を目指して進軍中――と。
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3 誤解を恐れつつも極論すると、会稽や呉などといった地を含む「揚州」は、本来は越人とよばれる長江文明圏の末裔によって営まれていた土地だった。 で、いま危急に直面しているのが会稽郡だ。なにしろ漢人フロンティアの最前線なうえに、今はハルヒがほとんど全軍をあげて北伐しており、諸県を守る守備兵にも不足している。 山越人の部族長たちは、千載一遇の好機と見たのだろう。
急報がもたらされた時のハルヒは、久々の真剣モードだ。
敢えてこういう言い方をしているのは解るが、このときは瞬間的に本気で腹が立った。
俺は口を開きかけて、また芸無く閉じた。
おそらく真っ先に駆け戻りたいであろうハルヒの、強がりに似た発破だ。 ――行軍のうちに年が替わり、西暦195年を迎える。
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4ここに、布かれざる布石として、長門隊1400人の存在があった。 一個連隊にも満たない微弱な小部隊だ。 長門隊が、山越の猛兵たちとバッタリ遭遇したのは、会稽の治府まであと20日弱という地点だった。 まともに開戦すれば1ターンも危うい戦力差だったが、長門は知謀をもって大軍に挑んだ。 一方、ひた走りに帰路を急ぐ俺たちが、ようやく浙江を越え、会稽郡境にさしかかった時。
古泉の戦術は堅い。こんな山野のど真ん中で孤軍を晒すより、山陰城を視界に納めながら戦端を開くつもりだろう。癪だが、俺も同じ戦術を選択するだろうな。 やがて、山陰城が近づくにつれ、戦塵かと思われていたもやが、城周辺を包み込むほどの黒煙と知り、俺も古泉も蒼白となった。 と、しばらく進軍して、ようやく事態が正確に掴めてきた。 会稽に戻った長門は、臨時に徴収されていた新兵を糾合し、守備兵3千を残して再び4千余の弩兵を率いて出撃。混乱中の敵軍を包み込むように火計を仕掛け、敵は炎と矢に追われて潰走中だという。
古泉が感心したように何度も頷いている。 最初に、このマヌケ中華時空で途方に暮れた顔を見合わせたときを思い出す。 黒煙の正体に面食らっていたのは、俺たちだけではない。 目前をぶざまに反転する山越本軍を、今回は見過ごしておいて、俺たちは長門隊との合流を果たした。
長門の白い頬が煤と戦塵に汚れている。拭ってやりたかったが、あいにくハンカチもティッシュも持ち合わせがない。――甲帯を解いたら、きれいに洗うんだぞ。…いや、後でいい。今脱がなくていいんだ。
なあ、本当によくやってくれた。ハルヒの馬鹿がなんにも考えずに徴兵しまくったから、結局こういう事になっちまったんだがな。
ああ。そうだったな。どのみちお前は宇宙人的なイカサマを封印してるんだったな。 長門は無表情のまま、撫でられるがままに突っ立っている。
…。
そうだったな。長門が火を付けて蹴散らした5千程の別働隊は、約半数を失いつつも、どうにか混乱から回復し、数里離れた平地に布陣し直しているところだった。
――結局。 しかしまあ、今は長門が守りきったこの会稽の復興と残務処理をとっとと終えて、ハルヒの待つ新たなる根拠地、呉の城へ急がないとな。 |
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