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■ 三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆

1 名前::2002/10/26(土) 22:31

japan[関東] 投稿日:2000年12月17日 (日) 01時09分16秒 

こんばんは。高宮様のHPからリンクをたどって
お邪魔させていただきました。
光栄ゲームへの叫びや蒼天航路の人物事典といった
三国迷心(?)をくすぐるコーナーばかりで
とっても楽しみです。

どマイナー人物評OKということなので一つ、
私の最愛の武将は陳泰字は玄伯です。
父・陳羣、母の父・荀イクという超良血にもかかわらず
ローカルで渋く活躍する姿がたまりません。
他にもトウ艾・王経・諸葛セン…と三国末期の武将にばかり
目がいってしまう、どちらかといえば少数派の三国迷ですが、
宜しくお願いいたします。

158 名前::2002/11/02(土) 13:01

ぐっこ    2002年03月24日日曜日 22時42分

「何か委員会の総司令部を作ってみました(^-^;
まあ、要するに過去ログを並べただけとか、前作ってたぶんをまとめてみただけとか、そういうものですけど…。
改めて一から読んでると、本当に、みなさま凄い!
ただただ感心しながらログをまとめておりました!
この場をお借りして、皆様に感謝させてください!m(__)m
本当にこの1年4ヶ月の間、ありがとうございました!


……って、何か最終回みたいな挨拶ですな(^_^;)
これからも、皆様に頼りっぱなしになること確定なへぼ管理人ですが、どうぞ宜しくお願いいたします!
管理人の役目は、皆様に情報を出し合う「場」をお貸しすること、と割り切って、またまた皆様の議論に参加させてください(^-^;」

159 名前::2002/11/02(土) 13:01

玉川雄一     2002年03月25日月曜日 00時50分

なんかすげェゴジャースになってる!
…しかし、私スレ立ててばっかですねえ。
今思えば結構恥ずかしいこと言ってるし…
でも、ここで色々と学べてめっちゃんこ有意義ですわん。
これからもゴリゴリ行くですよ。

160 名前::2002/11/02(土) 13:01

左平(仮名) 2002年03月25日月曜日 21時38分

これはまた、随分と読み応えのあるものに…。
私の方は、玉川さんほどにはスレッドを立てられない(立てる程のネタが出てこない)ですが、時々はチクチクと指摘できれば…といったところです。

161 名前::2002/11/02(土) 13:02

ぐっこ 2002年03月26日火曜日 00時14分

>玉様
とんでもない!玉様のスレ起こしのおかげで、これだけ繁盛したですよ!本当に感謝です!
呉のタイムパラドクスネタとかも盛り上がったなあ…。あの夜、楽しかったです〜!

>左平(仮名)様
読み応えは凄まじくあります(^-^; 全部目を通すと3時間くらいかかったかな…。スレ立て云々じゃなくて、左平(仮名)様にもずいぶんと助けられました!ありがとうございます!

162 名前::2002/11/02(土) 13:02

中根東竜 2002年03月26日火曜日 01時18分

お久しぶりです、何か委員会、拝読しました〜。
相も変わらず濃いですね〜。読みふけってしまいました。
まあ、スレが沈んでしまった後に追跡調査してたことを
折角コーナーも出来たことですし、書いておきます〜。

1,趙氏の系図について

趙氏に関しては最近中国で専門の書が出ました。
神保町を例の如くふらついていてハケーンしたのですが、
余りにも内容が濃すぎて何ともまだ読み切れていません。
この本は姓氏の歴史の叢書の一冊で、特に神話関係に詳しいです。
また、この書では趙佗ー趙雲同族説は採っていませんでした・・
(言及なし)

2,瑯邪の王氏はコーエーゲーに既に登場

『三國志3』に、王祥・王覧の父、王基が登場しています。
3ではお気に入りでよく使っていました。しかしその後の
シリーズには出てませんなぁ。なお、ぐっこさんが
王羲之は書の正流なのか、とおっしゃられてましたが、
まあ規範と言っていいと思います。みな書をやる人は
一度は王羲之の書を通過しないといけないみたいな
感じですかね。なお、王氏はみな書に堪能であり、
趙宋の『淳化閣帖』という名筆を集めた本に
多数の王氏出身書家たちの書がみられます。

3,陶侃と陶潜の関係は正式には不明?

最近、故・李長之氏の陶淵明(陶潜)に関する
史伝『陶淵明』(筑摩書店)を読んでいたら、
陶侃に関してかなり長く書かれていました。
で、この本によると陶侃ー陶潜の関係は
「陶潜が書き残した陶侃に関する記録を巡って
学会で論争されており、直系なのか単なる親戚か
分かっていない」ということのようです。
まあこの件では『晉書』はシロですね。

正直、この本を読むと陶侃にしろ陶淵明にしても
謎の多い人物であることが身にしみて分かります。
まあ、彼らは変な邪推を受ければ命が危ない
時代に生きているので、必然的に筆が曖昧になるようです。

後の世から忠誠を謡われる陶侃にしても謀反をたくらんだようです。
事実、李氏が指摘するとおり陶侃は晋の王室が反乱で危機に
陥ってもまともに兵を出そうともしておらず、
(一度は出したがすぐに帰ってきてしまっている)
説客・温矯(刺史奮迅の温恢の子孫ですな)の説得で
ようやく重い腰を上げています。
この人も色々あるみたいですねぇ・・

163 名前::2002/11/02(土) 13:02

玉川雄一     2002年03月26日火曜日 18時56分

中根さんにいくつか。

1:王基
王祥・王覧の父は王融ではないでしょうか。晋書王祥伝の初っぱなに載っていますよね。
で、王基(伯輿)は直接の繋がりはないかと思われますが。彼は年齢的には王祥・王覧と同世代だと思われますし。

で、王祥系の琅邪王氏は結局登場していませんが、王基は3以降最新作の8まで皆勤賞レギュラーなんですよ。
顔グラは一貫して同じイメージを踏襲していますが、6の時は妙に生々しくて恐かったのを今でも鮮明に覚えてます(-_-;)
やや過小評価気味かとも思われますが、まずバランスの取れた名将です。

ところで、王覧の子にして王敦の父である処の人も「王基」といいますよね。
となると、王基−王覧−王基−王敦というのは成り立たないかと思われます。

2:陶侃と陶淵明
私が過去に立てたスレ読むと恥ずかしくなってきますが…
結局確実な資料はないのでしょうが、陶侃は子が17人、
うち史料に残っているのが洪、瞻、夏、[王奇]、旗、斌、稱、範、岱の9人だそうですので、
残りの8人の中に陶茂(陶淵明の爺ちゃん)が入っている可能性なきにしもあらず、と。

3:陶侃の野望(笑)
先日陶侃伝や世説新語を読んだのですが、一筋縄ではいかない人物だったようですね。
蘇峻の乱の際、先帝の遺詔をうけられなかったのをゴネてユ亮に頭を下げさせたとか、例の「八枚の羽根」の夢とか。
陶侃びいきの私としては、胸に大望を抱きつつも心はあくまで東晋王朝に…
と考えたいところですが、何だか考えを改めた方が良さそうです(^_^;)ゞ
結果論からいうと、「韓信のもう一つの生き方」? それも違うか。

ところで、山川の中国史に陶侃が五谿蛮の出身だったかも、って載ってました。
晋書には[番β]陽の人とありますけど… 五谿蛮って武陵ですよね。

164 名前::2002/11/02(土) 13:03

玉川雄一     2002年03月26日火曜日 21時07分

 山川受け売りですが、陶侃などについて。
『中国史 2 三国−唐』のpp.90,91に「北府と西府」と題して東晋初期〜中期の体制について触れられています。
それによると、

・(前項より)江南土着の豪族は次第に北来の人士に主導権を奪われていった
・河北の混乱の中、豪族や有力者は軍事力を有する集団を形成し、南方に移動した
・東晋王朝はその統率者(塢主、行主)を刺史や太守に任命して取り込みを図る
・代表的なものは、祖逖(のち弟の祖約)、チ鑒、蘇峻など
・一方、西方(荊州)では王敦が江南豪族を支配下に収め、次第に朝廷と対立し叛乱を起こす
・その鎮圧に北来の軍事力が投入されるが、彼らが力を持ちすぎるのを恐れた外戚のユ亮は勢力削減を図る
・それに反して蘇峻、祖約が叛乱するが、チ鑒、陶侃や温キョウに鎮圧される
・この後、北来勢力の残存者であるチ鑒は北面の軍団長として「北府」を設立、京口や広陵に駐屯する
・王敦に替わって西方の軍団長となった陶侃は征西大将軍、都督荊湘雍梁諸軍事、荊州刺史として「西府」を形成した
・チ鑒は司空、陶侃は太尉として東晋王朝を支える二大軍閥となる
・陶侃は朝廷とは距離を置き、その後はもっぱら荊州の統治と西・北方への軍事行動に従事した
・陶侃の後は(北来の)ユ亮、ユ翼が後を継ぎ、朝廷の王導と拮抗した

ここでもやはり、蘇峻の乱に際しての陶侃の腰の重さが指摘されています(^_^;)
こと荊州に関しては、四世紀初頭の劉弘の頃から半独立めいた雰囲気があったようですし。叛乱もボコスカ起きてますが。
代々キャスティングボートを握りつつ上手く渡ってきたようですけど、
そのバランスが崩れると桓温みたいなのが出てくるわけですな(-_-;)

165 名前::2002/11/02(土) 13:03

ぐっこ     2002年03月26日火曜日 23時53分

うおっとお! 中根東竜様、玉様、毎度ありがとうございます!
…あれ、中根東竜様のサイト、サンクスバナー付けてなかった…! すぐ工事します!(__;)
――むう、このスレも先祖スレ集に含まねばなるまい!(^_^;)
相変わらず濃ゆい議論サンクスです!
私は王基認知、ゲームからの人なので、まずあの顔がうかびます(^_^;)
陶侃…玉様のカキコミで初めて存在を知ったクチです…。「韓信のもう一つの生き方」…なるほど!

…うーむ、それにしても勉強になる掲示板だなあ…。多謝多謝!

166 名前::2002/11/02(土) 13:03

中根東竜     2002年03月27日水曜日 00時37分

玉川さん、詳細なフォローありがとうございます!

>王祥・王覧の父は王融ではないでしょうか。

か、勘違いしていました。そうです、王融です。
何処で間違えて覚えたのか・・これまでずっと
誤っていました。ご教示ありがとうございます。

>で、王祥系の琅邪王氏は結局登場していませんが、王基は3以降最新作の8まで皆勤賞レギュラーなんですよ。

グガーン!もう一つ間違っていたのか・・
なんか、コーエー『三国志5』事典に「王基は3にのみ登場」
とあるのを鵜呑みにしていたようです・・
自分王基関係全然だめじゃん・・参った・・
色々フォローありがとうございます。

>陶侃は子が17人、
うち史料に残っているのが洪、瞻、夏、[王奇]、旗、斌、稱、範、岱の9人だそうですので、
残りの8人の中に陶茂(陶淵明の爺ちゃん)が入っている可能性なきにしもあらず、と。

実際『晉書』や『宋書』では玉川さんのおっしゃる通りです。
まあそれでよさそうなものなのですが、学会ではこれに対する反対意見も根強いようで、「現存の史料に即して論ずる限り、より明確な
答案は得られない」と李氏はしていますねぇ・・

何故反対意見が出るかというと、
どうも陶淵明自身が「陶侃は自分の先祖」
と主張しているのかどうか怪しいうえ、
陶淵明の友人が書いた陶淵明を
追悼して書かれた伝記『陶徴士誄』(とうちょうしるい)が
陶侃について一言も触れていない、からだそうで・・
(詳しく書くと以上に回りくどいうえ、何かもはや『三国志』とは関係なくなっているみたいなのでこの話はここで切ります)

>蘇峻の乱の際、先帝の遺詔をうけられなかったのをゴネてユ亮に頭を下げさせたとか、

この蘇峻の乱の時の陶侃はゴネまくってます。なんか驚きですよ〜。
なお、このゴネ陶侃に関しては『晉書』巻67温矯伝に説得内容と
合わせて載っているようですよ。(あ、矯の字は正しくは
ヘンが山ヘンね)なお、温矯の説得は流石に温恢譲りの
朗々たる大文章です。僕はこれを読んで温矯ファンになったなー。

>ところで、山川の中国史に陶侃が五谿蛮の出身だったかも、って載ってました。

え、そうですか?史料には「渓族」とあるのですが、
「渓族=五谿蛮」でいいんでしょうか?
陶侃は谿族出身だそうです。「谿族」は「巴・蜀・蛮・僚(けものへんが正しい)・谿・俚・越・楚」を総称する言葉だそうです。
(ソースは例の牛氏が司馬睿の親父であることを書いた『魏書』司馬叡伝)
しかし、これだと南蛮・山越みんなひっくるめて居るだけっぽいですが
(^^;)

>山川の「北府と西府」

まとめるとこんな感じですね。まあ、荊州に関しては司馬一族
が送り込まれて反乱軍に殺されて劉弘が入った後、まるで晋中央
が統治できてないんですよねぇ。劉表とかの頃と実は余り
変わらない情勢がずっと継続するわけです。

167 名前::2002/11/02(土) 13:04

ジーク   

月が変わってネットが再び出来るようになりましたんで、総司令部の探索をして参りました。
………こ、これわ…(;^_^A
ネット三国志界の大御所聯の方々が繰り広げるいと凄まじき三国志スレの数々……。
私の不勉強をいたいほど痛感させられましたです。
というか現在ネタ本の筑摩が手元に存在していないので話の確認すら出来ない…(T_T)
で、こちらにきたらきたで、三國志II上級城防御度激上がりモードよろしく話に割り込む事すら出来ない凄まじさ。
わたしまけましたわ…と何の意味も無く回文で呟いてみる私(;^_^A

と言う訳でしばらく勉強しなおしてから出直します(爆)
少なくとも高校にあるちくまの三國志がないことにはどうにも。

168 名前::2002/11/02(土) 13:04

ぐっこ     2002年04月01日月曜日 21時58分

あっはっは〜。ご安心を、私もです(^-^;
いつも勉強させて貰ってるですよ〜。ここで吸収した知識は、実生活だとあまり役に立たないでしょうが、ネットだとここぞというときに蘊蓄流用できるです!
共に学びましょうぞ!

169 名前::2002/11/02(土) 15:42

のー   

最近暇を見て北方謙三の三国志を読んでます。
(現在5巻まで)
これはこれでいいかもしれない。創作人物多いけど。
呂布様が化け物ではなく、人間として描かれててよかったかも。
あと官渡の戦いが比較的合理的に説明されてると思った。
(横山三国志だと時間が飛んでいつのまにか勝ってたし)
5巻末で孔明の名前がやっと出てきたところですが、
このあと劉備ひいきにならずに進んでいくのだろうか?

170 名前::2002/11/02(土) 15:42

惟新   2002年07月16日火曜日 22時13分

北方三国志に漂う男のダンディズムは大好きです。
まぁ、女性の扱いがちとアレですが…

呂布はかっこよかったですね!
私的にも、邪悪さがない、ただ純粋で素朴な暴れん坊イメージがあっただけにうれしかったです。
あとは張飛ですね。
話が進むにつれて彼はますます素敵になっていきます。
二人はこのおかげで相当見直されたというか、
結構ファンも増えたんじゃないでしょうか。
逆にいろんな意味で偏見もたれたのが司馬懿…

171 名前::2002/11/02(土) 15:42

ぐっこ 2002年07月17日水曜日 00時25分

基本的にハードボイルド作家ですからねえ…(;^_^A
しかし北方三国志は、マイナーキャラのフォローがまめで好きです〜。
文体は、押さえているというか、押し殺した声で話すような調子で書かれていますので、男どもはみな朴念仁というか、人間くさくて共感もてるタイプですよね〜!
その場その場の「主役」がいいところをかっ攫ってゆく傾向が強いので、孔明登場後は…。
そういえば、珍しく魏延の扱いがよい作品でした。

172 名前::2002/11/02(土) 15:49

左平(仮名)

小説、拝見しました。
行政官としても優秀な魏延、十分に才能「は」あった孟達、『異才』司馬懿…読み応えあります。これでまだ半分もないとは…。
でも、印象深いのは、張コウ(合+β)・儁乂です。そういえば、官渡の頃に曹操の配下になったわけだから、この当時六十は過ぎていて「老将」とみなされても何の不思議もないんですよね。何故かそういうイメ−ジがなくって…(蜀の五虎将軍【黄忠を除く】も魏の五将軍も、何故か老将というイメ−ジが沸かないんですよね。ゲ−ムでは固定グラフィックだから?)。

蛇足:私事ですが。五月にあっくんさんのサイトにて始めた第二弾、まだ「三国志」がらみの話に入れません(次回あたりからは入りますが)。予想以上にあれこれ詰め込んだもので。当初は七〜十回程度にするつもりだったのですが、どうやら二十回くらいになりそうです…。どなたかレスつけて下さい…(あっくんさんが忙しいとの事なので、なかなかレスがつかない状態です).

173 名前::2002/11/02(土) 15:49

ぐっこ 2002年07月28日日曜日 23時35分

イエイエ〜。今見ればアラだらけですが…ただ、自分で言うのもなんですが、時々上手い表現があるなあ、と(^_^;)
蒼天人物事典とか、南蛮王とか、学三とかで使う人物評も、幾つかこの小説から出てたりしてます。わりとコアです、ぐっこの。
でもあの頃は痛い正史オタだった…
北伐のあたりだと、それこそ世代交代が進んでるわけですが、旧世代の人間がまだまだ偉大だと言うことを表現したくて、つい張コウをビュコックにしてしまいました…

[竹乍]融伝! すみませぬ! ここのところ自分ところのレス付けに必死でした(^_^;) あっくん様のサイトに急げ! 途中経過でハァハァしてる場合ではなかった!

174 名前::2002/11/02(土) 15:50

惟新 2002年07月29日月曜日 11時53分

早速私も拝見! とても面白いです〜
何より筆がいい! これが大昔の作品とは…うらやましい限りです。
皆さまの筆力を拝見するたび、己の非力さを実感します。
文学と縁遠い身とはいえ、国語教師を目指す以上は少しは磨かねば。

>張[合β]
そうなんですよ〜
私は登場シーンで「老将…誰?」と一瞬思い「張[合β]かな…でも老将って感じがしない…」とぶつくさやってたクチだったりします。
言われてみれば確かに老将なんですよね。何となくいつまでも壮年のイメージが強いんですが。
あ、でもここ一年でナルシストのイメージも(爆

175 名前::2002/11/02(土) 15:50

ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時23分

うーん、張[合β]はBS三國志でも壮年のままでしたからねえ…
実際のところ、韓馥の下で部将をやっていたということで、劉備と同年代か、下手するとそれ以上という高齢部将なわけで…。
おそらく魏の5将軍のなかでは最年長かと。
最近のナルシーっぷりはアレですが、蒼天にもまだ登場しないあたり、ビジュアル化の難しいキャラではあります(^_^;)
どうも決め手となる外観的特徴が無いんですよねえ…

176 名前::2002/11/02(土) 15:51

左平(仮名)

◎情報募集  教えて下さい◎

ふと、魏の博士・馬鈞の事が気になったのですが、現在私はちくまの「正史 三国志」(文庫本)の4巻を持っておりませんので、詳しい事が分かりません。
彼の生年・出身地・両親の名など、詳しい情報が4巻にあるのでしたら、是非教えて下さい。
お願いします。

177 名前::2002/11/02(土) 15:51

もす 2002年07月30日火曜日 06時54分

 "ちくま"4巻にも彼の素性は詳しく書かれていません。
「扶風郡の馬鈞」、「字は徳衡」と。是非とも県名も書いて欲しいのですが…(笑)
手先が器用だったようですが、言葉は巧くなかったらしいです。

 事例は色々あるのですが、長いので省略して。
傅玄に評され、高堂隆や秦朗と論争をしたとあります。(^^)
他にも裴秀や曹羲など……

178 名前::2002/11/02(土) 15:51

左平(仮名) 2002年07月30日火曜日 22時25分
もすさん、ありがとうございます。
なるほど、扶風郡の人、ですか…。事例からすると、寡黙な技術者ってところですね。ちょっとしたネタに使えるかな…。

179 名前::2002/11/02(土) 15:52

ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時43分

うーん、馬鈞は有名な割には事績が…伝わってはいるんですが(^_^;)、肝心の本人の素性がハッキリしてないみたいですねー。
今ざっとぐーぐる見てみたのですが、NOBさまの逸聞三國志によると、「資治通鑑にちょっとだけ出てた」とのこと。逆に言えば、ほかの史書ではほとんど名が見えないということ。
本人は青史から消えてなくなれど、作品と小話だけが残る…技術者の見本みたいな人物かも。
でも、民間伝承とか残ってるっぽいですが…

180 名前::2002/11/02(土) 15:52

もす 2002年07月31日水曜日 11時45分

 補足ではありますが、
扶風郡の馬氏っていうと、馬日[石單]や馬騰を思い出しちゃうんですよねぇ。(^^ゞ
私の馬超伝にも書いたんですが… ともあれ、県名が書かれてないのが恨めしい。。(笑)

 おぉ、確かに『資治通鑑』に出てますね♪
「使博士扶風馬鈞作司南車」
ほんとにチョット…(爆)

181 名前::2002/11/02(土) 15:52

ぐっこ 2002年08月01日木曜日 22時57分

あ、言われてみれば確かに。馬氏は扶風の大姓のようですから、実際かなり多くの馬氏が同郡でハバをきかしてたようですが…
広い目で見れば、みんな馬援系なんでしょうか(^_^;)

182 名前:★ぐっこ:2002/11/05(火) 00:09
というわけで!

三国迷ぐっこのHPも本日で二周年であります!
んで、前から言っておりました統合過去ログを無事落成!
…って、まだ味好漢掲示板とあの日あのシーン掲示板がまだなんですが。

とりあえず!メインであった旧三国迷掲示板と蒼天掲示板のログを
ほぼ完全移植!さらにCAFEのログも無理矢理移植!

…えー、複数スレッドを一つにまとめたり、ナレーションBBSのログを
一緒にしたりしたので、投稿日時がヘンだったり、意味不明の発言とか
あるかもしれませんが、ご愛敬!

皆様がこれまで歩んでこられた二年間分の記録が、ここには詰まっております!
が、ここはタダの過去ログではなく、書き込みができるライブスレッドです!
皆様、読んで懐かしむもよし、2年前のご自分にツっこむもよし!
どうぞ心ゆくまでお楽しみくださいませ〜!

…あ、タグ使いたい方は、キャップ登録お願いしますね〜。

183 名前:★ぐっこ:2002/11/05(火) 00:46
それにしても、旧ナレーションBBSどうしよう…
つい最近、新Verが公開されたんですが、ログの互換性がないって…
ラウンジにしても良いけど、それじゃあ四方山の存在意義が…
いっそアレを四方山掲示板にしてしまおうかなあ…うーむ…(^_^;)
有効利用法も併せて募集。

184 名前:玉川雄一:2002/11/05(火) 19:42
ひょえ〜〜〜〜(*_*) どこから読み返そう。
色々とおもろいネタが眠ってそうですにゃ。
まずはお疲れさまです。

あと、キャップ欲しです。よろしゅうお願いします。m(_ _)m

185 名前:★玉川雄一:2002/11/05(火) 19:46
あ、もうキャップ登録されてましたね。

186 名前:左平(仮名):2002/11/05(火) 21:12
な、何ともすごい代物になってますね…。

ほんまに、2ちゃんねるの如き代物ではないですか〜!!

また、ゆっくりと拝読します。

187 名前:★玉川雄一:2002/11/05(火) 21:15
 ■三国迷のDTP事情■

今日、仕事場にある『DTP WORLD』っつぅ雑誌を読んだですよ。
DTPってのは“Desk Top Publishing”の略ですわ。
で、その雑誌に付録CD−ROMがついてまして、何気なくそのコンテンツ紹介を読んでいたら…


 「田豊」

(/_;)見間違いかな?


 「田豊」

Σ( ̄□ ̄;)!! 田豊なんですよお客さん!
いつぞやのW杯の時の「秋田豊」のタイプミスみたいなんじゃなくて。
それでも半信半疑で読み進めると…

 「徐庶」

(*_*)!! 間違いねェ!
『Illustrator』用のフリーツールにこんな名前が付けられているんですな。
世の中酔狂なヤシもいるものよのう、と更に読み進めれば、
『QUark XPress』用のツール一覧の中に…

 「王双1.0」
 「楽進2.0用詰め設定メーカー」
 「楽進ver.3」
 「諸葛亮Ver.1.5」
 「単福Tags」
 「単福ver.2.01」
 「張合ver.1.0」
 「法正」

(((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

三オタや… この中に三オタがおる…!

しかし謎なのが“張合”。何故にあて字を使ってまで彼を選んだのか? 
個人的には“徐晃”でも問題はないかと思うんだけど…(^_^;)

どなたか、こやつらの情報(特に命名の由来)をご存じの方はいらっしゃるまいか…

188 名前:★ぐっこ:2002/11/05(火) 23:11
http://www.asahi-net.or.jp/~bj5t-tkuc/index.html

とりあえずサイトとか捜してみました(^_^;)
いやあ、揃いも揃ったり…みんな三国志の武将名ばっかり。
由来…というか、ネーミングのきっかけみたいなのが書いて
あればいいんですが…

「DTP WORLD」、弊社にもあるけど開いたことなかった…

189 名前:惟新:2002/11/05(火) 23:16
まずはぐっこ様、落成おめでとうございます。
この量はすごいですね! 本当に、お疲れ様です。

>玉川様
「楽進ver.3」
楽進の突進能力を究極的に高めた機体。
しかしそれゆえに敵中で孤立しやすく、サポートロボ「李典」とのタッグは必須。
現在、そのポテンシャルを最大限に生かすため「李典ver.2,5」の完成が待たれている。
なお、超高速機動機「張遼」とは不思議と相性が悪い。

そんな感じかなぁ(違

190 名前:もす:2002/11/06(水) 03:38
遅れ馳せながら、リニュおめでとござる〜
なんか、昔の読むと感慨に浸れますね(笑)
普通に1年以上前のカキコがあるもんなぁ。
ホント、お世話になってます(笑)

⇒維新さん
「曹仁ver3.0」には「満寵」、もしくは「陳矯」が必須ですぞ!
共に、レベルに関わらず、弱点がカバーされます!
なお、「牛金」で全体能力をうpできますが、
「ver2.0」以下の場合、稀に「曹仁」が暴走しますので、お気をつけを。

191 名前:★ぐっこ:2002/11/07(木) 00:06
なんか、それはそれで別ネタが展開できそうですねえ…
ほとんどMS宇宙世紀のノリで…。構想まとまったら、また新スレ
立てて話題展開きぼん…。

で、実際はアレです、組版といいまして、印刷物つくる前段階の編集作業
とかのツールソフトなんですが(^_^;)

>もす様
キャップ登録いたしましたよ〜! もうばっちりです。

192 名前:★もす:2002/11/07(木) 01:11
わぁぉ!
リニュ作業の中、登録ありがとございます〜〜♪
こんなカンジで良いのかな・・・ なにせ初めてなモノで(^^ゞ

193 名前:★ぐっこ:2002/12/21(土) 23:58
沈んでる沈んでる…
雑談スレ上げ〜。
じゃあ、こちらに白き天など他スレの感想も書きましょうか〜

董卓! 白き天の主人公は董卓ですか!
牛氏の前に、董卓とは(^_^;) 暴虐の王ではなく、天に挑む不敵な挑戦者、
という感じのキャラになりそう…。続き期待しております〜。

194 名前:左平(仮名):2002/12/22(日) 00:14
ち、ちょっと期待が大きすぎます…。いくら何でも、私の力量では董卓の全生涯は書き切れませんよ。
若い時の話、という事で書いたんです。一応、書き上げてるので、続き、書き込んでおきますね。

195 名前:左平(仮名):2002/12/22(日) 03:30
上げておきます。
感想が散らばっても何ですし。

196 名前:★玉川雄一:2002/12/23(月) 15:36
目からウロコ!
どうも董卓といえば蒼天航路のアレのイメージが染みついていたらしく、
闊達に話す董卓というのはたいそう新鮮でありました。
ううむ、このキャラが「後世史家の筆」にどう挑むかは大変興味深くはありますが…
左平(仮名)さん、もう一頑張り!

197 名前:左平(仮名):2002/12/23(月) 21:42
>もう一頑張り!

そ、それはご容赦を。
もともと、構想中の『牛氏』から派生したネタというだけなので、蒼天級のインパクトある董卓像はできそうにありません。
ただ、『牛氏』でも触れる事になりますので、もう少しは書く事になりそうです。

それはそうと、三作品で登場した女性達、私の好みがバレバレですな。
・男に対して、結構積極的(というか、男が受身)
・といっても、愛嬌はある

198 名前:★ぐっこ:2002/12/24(火) 01:11
おっとお! 左平(仮名)様、お疲れです〜!
蒼天のアレは、まあ別格でしょう。もう少し人間にちかい怪物像を
想像しておりますので、左平(仮名)様の董卓像と足して二で割れば
ちょうどかも…
この董卓が、どのようにして暴虐の魔王と化するのか…牛氏やらなにやら、
外環境のせいもあるのでしょうが…

そういえば瑠、どこか萌えの香りが…(^_^;)

199 名前:左平(仮名):2002/12/24(火) 21:57
董卓のキャラクタ−…。悩むところです。まぁ、彼の暴虐行為自体は、事実関係をどうのこうのとはできないですからね(サク(竹+乍)融の時は、まだ何とか言いようがありましたが)。精神面からのアプロ−チをとるしかないでしょうね。
繰り返しになりますが、この点において、『三国志』を含む宮城谷作品からヒントを頂いたというところです。
@羌族への同情
A@故の、漢への憎悪
B「血」をどう見るか。あの大量の犠牲者が、商代でいう「帝」ならぬ、何かの為の犠牲としたら…血で、何かを清めようとしたとすれば…?
とはいえ、まだまだ構想段階につき、何がどうなるやら、というところです。

瑠、萌えるキャラになってましたか? 何となくは分かるにしても、「萌え」という概念、いまひとつつかみどころがないもので。
作者としてのイメ−ジ(歴史的な要素はほぼ無視してます)はこんな感じです。「萌え」ますでしょうか?
@髪は、余り長くない(今でいう、セミロングくらい)。結っていない。…羌族は辮髪だったらしいという事なのですが、女性はどうだったかはよく知りません。
A化粧は、特になし。…まぁ、漢人でも、高貴な女性くらいしかきちんとした化粧は出来なかったでしょう。
B気候の割に、薄手の服。腕、足はほぼ露出。目立つ装飾品はなし(首飾りくらい)。靴はなし。草鞋のたぐいを履くくらい。…羌族というよりは、弥生人ってな感じですね。何でこういうイメ−ジになったんでしょうか。
Cまだ若いだけに、肌はきれい。…男って、こういうところ、本音ではこだわりますよね。私だけではないはずです。
D性格は、快活、無垢。死んだ姉の様な、激しい恋に憧れる。…「恋に恋する」って感じ。
E積極的だが、好きな男の前では、恥じらいも見せてくれる。そんな感じ。…こういう女性に惹かれるのって、私だけではないはずです!←強調
あとは…どんなもんでしょう?

200 名前:★ぐっこ:2002/12/24(火) 23:22
ですからそういうこだわりをひっくるめて萌えと(^_^;)
まあ昔で言う女子高生の「超可愛い」ですな。(※大澤語録)

ところで、董卓ですが…やはり、もう少しアクのある不羈な
キャラクターの方が、より魅力ある人物に映るかも知れません…
あくまで私個人の趣味ですので、お気になさらず…

201 名前:★ぐっこ:2003/01/02(木) 00:28
おお!牛氏の小説が始まったようですな!
とりあえずマターリとした出だしで。先に期待したいです!

しかし董卓の娘…想像できん…。
こうして考えると、蒼天航路って結構偉大な作品かも。

202 名前:★ぐっこ:2003/01/07(火) 00:15
さあ、いよいよ盛り上がって参りました(;´Д`)
結婚儀礼については、たいていの本が「礼記」の焼き直しなんですよね…
「中国社会風俗史」あたりが、土俗関連にわりと詳しかったです。

具体的な当時のセックスについては、やはり誤訳があっても頼もしい
「古代中国の性生活」でしょうか(^_^;) 南蛮王でも参考にしました。

203 名前:左平(仮名):2003/01/11(土) 01:14
結婚儀礼については、「礼記」の適当な訳本がなかなかないので、詳細についてはよく分からないままです。ネットから、「儀礼」の一部をプリントアウトしてみたりしましたが、漢文読解力が全くないので、さっぱり読めず。
結局、宮城谷氏の短編「鳳凰の冠」(春秋時代の賢者・晋の叔向と夏姫の娘の結婚が描かれてます)を見つつ書いている状態です。

なお、具体的なセックス関係の情報については、「中国性愛文化」(青土社)・「中国五千年性の文化史」(集英社)を参照しました。実は、第一部より第三部の方がエロっぽくなりそうなんです…。いかに学術的な本とはいえ、買うのはちと恥ずかしいものがありました。

204 名前:★ぐっこ:2003/01/18(土) 00:04
私は父の書斎からパクって来ました(;^_^A
どうなんでしょうねえ…当時の自由恋愛の姿がなかなかつかめない
状況で。逢い引きの仕方やらが艶っぽい詩歌になったりしてますから、
なかったわけではないのでしょうけど。
どのあたりまで礼が呪縛しているかです…

205 名前:★玉川雄一:2003/02/05(水) 22:13
今日は、無双3を予約しようとヨドバシカメラにいったら休みで…
腹いせに徳間の『三国志全人名事典』を買ってみたり。

で、本題に移りますが。
講談社現代新書に『三国志と日本人』とかゆう本が出ておりまして、
斜め読みしてみました。
過去から現在に至るまでの日本人と三国志の関わりを遍歴する内容でした。

気になるのはもちろん現代。「ゲームについては(本の中で)後述」とあるから期待しちゃいましたが…
まあ何つうか、メインは吉川、柴錬、司馬遼、そして横山(笑)まででしたね。
蒼天航路についてはたった二行のみ、またこの本の著者は読んでない模様。
(しかもハギン先生が亡くなってること知らないっぽい)
龍狼伝やらSWEET三国志やらRYUBI(wなど影も形も見えず。

ゲームについても、所詮は「外部の人間がオタクを語る」程度の扱いでした。
でも一応、「(コーエーは)最近は大勝負ものなど
志向を変えた作品も云々(決戦とか無双のことか)」とか書いてあったり。
まあ、著者はいい年こいたおじさんだから仕方ないんでしょうけどね。
前半はほとんど飛ばしましたが、そちらにはタメになる内容があるかも。

結論。立ち読みか図書館で。

206 名前:もす:2003/02/06(木) 08:56
あ、私、その本持ってますよ〜
最近、それ系の書籍を(漸く)集め始めてまして。

この本の著者は完全に三ヲタとは違う世界にいる方でして、
それは彼自身が文学研究家と名乗っていることからも明らかです。

読むべきところは三国志について書かれたところよりも、
三國志の研究がどう進んできたのか、概略として書かれているところかと。
湖南文山や内藤湖南、八犬伝などについては(既知でなければ)興味深いところ。
歴史群像よりは面白いと思いますよ。ま、その程度といえばその程度(笑)

207 名前:左平(仮名):2003/02/08(土) 21:26
今月の「ダ・ヴィンチ」に三国志特集があるという事だったので、読んでみました。

正直言うと、「(三国志好きには)物足りない」という感じです…。

もちろん、一通りの紹介はされています(吉川、陳、柴田、北方、宮城谷各氏の小説は言うに及ばず、蒼天とかSWEETも紹介あり)。
ただ、「小説にしろ、マンガにしろ、ゲ−ムにしろ、外れ知らず」という、どちらかというと、興行的な側面からの見方であり、解釈も演義基準の枠からはおおむね出ていないです。
蒼天は、コミックとして何万部売れた、てな感じ。インタ−ネットにも、これだけの三国志関連のサイトがある、なんてのもなし。正直、ちょっと期待していたのですが。

ちょっと面白いというか特徴的なのは、歌舞伎版の三国志(劉備が女!)の紹介と、清水義範氏の読み切り(劉備=よ−分からん人。演義的解釈で)があったところですね。

208 名前:中根東竜:2003/02/09(日) 00:59
お久しぶりの中根です。

>「ダ・ヴィンチ」の三国志特集

期待していませんでしたがぱらぱらとは見ています。
如何にも出版社から売れ筋を集めてきました!という
感じの広告みたいなモノでしたね。同誌は余り濃い雑誌では
ないので、『三国志』をまるっきり知らない人向けなんでしょ。

209 名前:★ぐっこ:2003/02/09(日) 02:24
おお、久々に本ネタあがってる(^_^;) あ、中根様だ〜。
ところで義兄上レポ乙。「三国志と日本人」ですか。
確かに「三国志先進国(色んな意味で)」である日本が、具体的に
どの程度三国志を解題しているか、興味のある内容です。
そして「三国志に熱中する日本人」を中国人がどのように見ているかも
気になるところかも(^_^; ホラ、うちなんか学三が台湾でボゴられたり
マンセーされたり、日本でもヲチられたりとイロイロですし。
こっち系はともかく、普通に学術面で日本の研究が本場とどれほどの差が
在るか、興味がありますね。
「ダ・ヴィンチ」も同様。まあ誌面の関係上、サブカルチャー部分にまで
立ち入れないのが現状でしょう。

210 名前:左平(仮名):2003/02/15(土) 00:40
三国志とはちょっとずれますが、中国史関連で、面白い本があったので、紹介しておきます。
『「春秋」と「左伝」』(平セ【生+丸+力】隆郎・著、中央公論新社 2003)という本です。
余り詳しく書くとネタバレになるのですが、概要は、こんな感じです。

「春秋」は、戦国時代のある時期(この時期になるという根拠については、同氏の『中国古代の予言書』などを参照)に、王の正当性を立証すべく作られたものである!
そして、「左伝」は、それからさほど時をおかずに作られたものである!

というものです。

平セ【生+丸+力】氏はまだ五十前。このまま順調に研究を進められれば、あるいは白川静氏の様な存在になられるのかも…。

211 名前:★ぐっこ:2003/02/16(日) 11:30
牛氏感想〜
一カ所を除いて緊張が解ける牛輔たん(;´Д`)ハァハァ…
しかし…初々しいなあ…。どういう経過を経て董卓軍団を切り盛りする
豪傑に育つのか楽しみ。

>>210
むう、その説が大道になるのかトンデモ学説として埋没するか…
大概の史書なんてものは、権威正当化のための道具だといいますから、
正解といえば全部正解なんでしょうけど…

212 名前:左平(仮名):2003/02/17(月) 22:48
210の補足をば。
平セ【生+丸+力】氏の説が衝撃的だというのには、幾つかのポイントがあるんです。

1,称元法(○○王の◇◇年という言い方)の違い
「史記」の、戦国時代の年代表示には多くの誤差がある(三割近くという)。その多くは、称元法の誤解によって生じたものである。
戦国時代の「ある時期(=諸国の君主が王と称する様になった頃)」に始まったやり方を、太古の昔からやっていたかの様に書いた為に、この様なずれが生じたのである。
太古からのやり方は「立年称元法(例:昭和→平成)」であったが、この頃から「踰年称元法(帝王の死後、次の帝王は、年が明けてから正式に即位する)」が始まった。
↓(暦年のズレ等の検証により、新たな称元法の開始時期を特定)
2,各国で暦が異なる
春秋時代の暦は、まだごく簡単な「観象授時暦」であった。その為、各国で正月が異なる。
↓(「春秋」などの暦の記載と一致する暦を用いる国は…)
3,「春秋」とその伝の成立時期がほぼ同じ
通説では、「春秋」は孔子によって(またはその死後間もない頃に門人達によって)書かれた、そして、三つの「伝」は、その意味が分からなくなった後世の作とみなされていたが、実は戦国時代後期(諸国の君主が王と称する様になった頃)に、「春秋」と「伝」がセットで書かれたのではないか。

以上の結果、
「竹書紀年」   →○国の王の正当性を主張
「春秋」「公羊伝」→○国の王の正当性を否定すると共に●国の王の正当性を主張
「春秋」「左氏伝」→●国の王の正当性を否定すると共に◎国の王の正当性を主張
「春秋」「穀梁伝」→◇国の王の正当性を主張
(○、●、◎、◇国は、それぞれ個別に名が特定されていますが、ここまで言うと完全にネタバレなので、ぜひ一読してください)
となる。

…正直言って、概要は分かったつもりになれましたが、詳細については、今もよく分からないままです。暦の計算などが出てくると、数学の公式を見ている様で、理解不能。
王の正当性を立証する為、という意図は理解できても、なぜ、かくも隠微な表示にする(ほんまに、「ほのめかす」という感じ)のか、というところにも若干の戸惑いがあります。しかし、強烈です。

213 名前:中根東竜:2003/02/21(金) 19:54
>平勢隆郎説

およそ『春秋』と『春秋左氏伝』くらい議論百出している
古典はないのですが、平勢説も異説の一つ・・
だと思います、はい・・
個人的な意見では、暦の分析は納得がいくモノの、
春秋三伝を「正統性主張の書」という話はどうなのでしょうか、
一般向けの平勢氏の本を読む限り納得がいきかねる説のように
思います。中国歴代史上、正当性の主張は何度も行われ
ましたが、平勢説のように暗号のような形で示した例は
滅亡国の家臣が隠居して書いた書物以外にないのです。
(宋の鄭思肖『鉄函心史』など)
その点、何故こういう考え方をしているのか疑問です。

214 名前:★ぐっこ:2003/03/06(木) 00:51
おっとっと、えらくご無沙汰になってしまいました。
古典全般に付き物なのかどうかはわかりませんが、まあ、古籍は歴史学
以外にも、ロマン追求という観点で読む流れもあるものでして。
むかし「百人一首の秘密」だったか、そう言うタイトルの本がありましたが、
これがまたトンデモな学説(?)でした。
百人一首の歌が記している風景、人物、地名などを並べていくと、不気味なくらい
ピッタリと近畿地図が出来上がってしまうと。その中央に位置する歌こそが、
「小倉百人一首」が撰された真の理由。詠み人知らずを含めた百人の魂魄で、ある人物
の「鬼」を封じる図式が出来上がる、と。
…まあ要するに、百人一首は、それ自体が一個の封印だった、という説ですね。

真偽のほどはともかくとして、この説にいたく昂奮した私は、当時興味の対象だった西洋史
の方面でこれをノベライズし、某文庫に応募しましたわ(;^_^A。とりあえず二次選考までは
行った覚えがあります…。現在なんとなく脳内でリメイク中…

てなわけで、まあこーゆー系統の楽しみ方としては、奇説怪説おおいに結構では、と思います。

215 名前:★ぐっこ:2003/04/29(火) 21:13
ところで、別冊宝島の「僕たちの好きな三国志」なる本を買ってきました。
お値段は950円と、ちいと割高ですが、内容はそれなりに濃い!
メイン文書いてるのが大澤教官ですから、まあ当然と言えば当然ですが…。
巻頭ページが光栄の三国志シリーズや無双の特集ですんで、割合ライトかとも思った
のですが(「三国の野望」のリクそんさんがコラム書いてたよ…)、本文はみっしりと
人物辞典や当時状況の概説などが詰まっていて、大澤節が読み応え満点。

ただまあ、「三国時代スペシャル」とか「真実の三国志」とかの大澤本を読んだ方は、
内容が重複してるから、確認が必要ですな。
個人的にはお薦めの一品。お金に余裕がある人は是非。

216 名前:左平(仮名):2003/04/29(火) 23:02
私も、こないだ書店でちらっと見かけました。

実のところ、執筆陣にリクそんさんがいるとか大澤さん(ここでは教官と言った方がいいですか?)が私と同じ‘73生まれという所に目がいってたりして…。
全体を俯瞰すると、ところどころ演義と正史がごっちゃになってる部分もありますが、普及していく過程を考えると、そうなってしまうのでしょうね。

217 名前:★ぐっこ:2003/04/29(火) 23:22
あはは、松竹梅様のところで辛く評されてましたが、構成に関しては
仕方がないですねえ。原稿依頼のメールの後は、打ち合わせ無しで、
それぞれの原稿を組み合わせるだけ。お互い、誰が何を書いているか
解らないと言う状況ですから、ごっちゃになるのも無理ない話で。
(ほとんど同人誌のノリらしい。別冊宝島)
大澤教官も、自分の文章につく挿絵とか人物関係図とかノーチェック
だったらしいですな。
ただまあ、三国志上級者と呼ばれる方々にとっては、中途半端な内容
でしょうね…。初心者向けの大澤節なんか、彼らにとっては斬新でも
なんでもないでしょうし。

そういえば大澤教官、私がログイン読者の頃21、2だったような。今思えば
若いのにエラソーな文章を書いてらっしゃった(^_^;)

218 名前:中根東竜:2003/05/01(木) 14:14
大澤氏の本は僕の住んでいる地域では、まだ何処の本屋
にもありまへん。4軒回って無しかよウワァァァン!!
坂口和澄『三國志群雄録』という、正史を元にした初心者向けの
本が最近出ましたが、それを越えて欲しい
ところではあります。『三國志群雄録』は『三国志集解』なども
参考にした良著ですが、人物の数が110人弱でしたので、
もっとたくさんあると良いなあ。

219 名前:★ぐっこ:2003/05/01(木) 21:21
大澤教官の本はヒジョーにマイナーですから、発売一ヶ月で
書店から姿を消すこともしばしば(大型店は大丈夫でしょうけど…)
話題になってる別冊宝島のぶんは、内容は本当に入門編みたいなもの
ですので、千円払って買うかどうか迷うところ。
基本的に中根様クラスの三国迷にとっては、それほど真新しい事が
書いてあるわけでないのですが…。

>三國志群雄録
初耳! というわけでざっと調べてみましたが、なるほど、正史の列伝
をさらに掘り下げたカンジのものらしいですな!
ちなみに別冊宝島は95人ですから、人数でもプラス!
今度書店探してみます〜。

220 名前:松竹梅:2003/06/03(火) 00:59
別冊宝島から『曹操孟徳伝』が出たのでご報告を。
詳しい内容は自分ところで紹介してますが、なかなかいい本。
『僕たちの好きな』からのステップアップとしてもいけます。

その一方、ひとつ謎の部分があるんで、ぜひぐっこさんに聞きたいなあ。あとでこっそり。
そいでは。

#『僕たちの〜』は凄いいい本ですよ、とここでもフォロウ

221 名前:★玉川雄一:2003/06/03(火) 21:43
いやまた何というか、今回も誤植(誤字)多かったですね。
「片ち(以下省略)はネタで片づけられたけど、
魏の皇統が曹植に繋がってたり、ルビ間違えるはダミーのデータが残ったままになってるわ…

私も仕事では作るサイドの方をやっとる訳なので他人事ではないのですが、
原稿執筆者と編集とどちらも注意しないといけないんですよね。
ちょっとした資料集でもある本だけに、ミスは残念でもあります。

222 名前:★ぐっこ:2003/06/03(火) 23:06
というか、刷りが妙に豪華なだけに、字がキラキラして見づらくないですか(^_^;)
今回は、そうですねえ、値段ぶんの価値は十分にある! と断言できます。
総論ではなく各論の集まりですから、資料としての価値があります。
たまーに演義がごっちゃになってるところがある気もしますが、少なくとも私クラスの
三国迷であれば、読後ほくほくした気持ちになること間違いなし!

結論
買え。

>>220松竹梅様
話題提供感謝!
なにか?コソーリ?

>>221義兄上
あっはっは。よく見ると校正がアレな部分もありますが(^_^;)
人名ミス、特に字は、それと分かる人が校正見ないと、まず編集
さんは気づきませんし…。
私も、自分の仕事でよく校正漏れ出して、印刷所の方に気づかれた
こともありますた。あと、製本までしたあとに、タックシール貼ったり。

223 名前:松竹梅:2003/06/06(金) 20:49
あれ、ぐっこさんとこメールアドレスは?コソーリ聞こうと思ったのに。
反応見ると違うかな・・・とは思いますが。

いやはやなんつーか奥付が気になる気になる。

224 名前:★ぐっこ:2003/06/06(金) 22:57
目欄。
なにか(・∀・)?

225 名前:★ぐっこ:2003/06/22(日) 16:02
「漫画中国の歴史」(集英社)を久々に読み返してみました。
ちょうど三国志の部分である三巻。
これがまた、意外に曹操マンセーな作品でして、結構読めました。
それに周瑜カコイイ!東南の風を祈るとかなんとかいうのはパスして、
黄蓋と二人でキッチリ火攻めを成功させてます。
「舟に枯れ草など積んでどうするつもりだ!?」
「むむむ、わからん!」
とか言っている関・張ナイス。

226 名前:中根東竜:2003/06/22(日) 23:54
>大澤氏の三国志

本屋で立ち読みしました。期待していた新知見は余り無かった
です。まあ初心者向けだからあれでいいのかだろうと思います。
少なくとも松本一男よりは上でしょ。
>曹操孟徳伝

曹操が「雨降りの日に出陣すると戦に勝てる」という
迷信を信じていたという指摘がありましたね。

>漫画中国の歴史

あれコンビニでも売ってますね。少々腰を抜かした。
需要があるのでしょうか?

227 名前:★ぐっこ:2003/06/24(火) 00:47
>>226 お久しぶりですー。
大澤教官の本…うーむ、まだ私がPC98でゲームやってたころから、
張燕とか鍾繇とかをピックアップしてた方ですから、あの当時としては
かなりなものだったんですが…。そう言う意味で、今はかなり情報が
共有化された時代にかりつつあると思いますねえ。好々。
孟徳伝…うーむ。見のがしてました、そこ(^_^;) それにしても誤字多い
本だなあ…。箔やめて校正もう一人雇えばよかったのに…。(←大きなお世話)
中国の歴史… え!? あんなそれなりの量になりそうなのがコンビニで!?
あー…狙いの層がビジネスマンとかだったら、あり得るかも。会社の返りに
チラッと読んで、つい揃えてしまう、みたいな感じで。

228 名前:★ぐっこ:2003/07/04(金) 00:43
全く関係ないですが、不覚にもマジ笑いしたAA↓


ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 いわく、

えっちなのは いけないと思います。

229 名前:左平(仮名):2003/07/07(月) 00:31
三国志との関連がちょっとはあるので、ageで書き込んでおきます。

昨日、川勝義雄氏の「魏晋南北朝」(講談社学術文庫)を買い、一応読了しました。
三崎良章氏の「五胡十六国」(東方書店)も前に買ってるので、一応このあたりについての概観は分かっていてもよさそうなものなのですが…悲しいくらい、頭に入ってない事が分かりました。
で、感想。…川勝氏の方は、南朝に重点が置かれてますね(全11章のうち、1・2章が概観、3〜8章が南朝【ただし3・4章は三国・西晋】、9〜11章が北朝)。三崎氏の方は北朝(というか北魏以前)が主という感じでしたから、両方そろって一応のバランスがとれる…かな?といったところ。
それにしても、東晋、随分不安定だったんですな。皇帝の在位期間、20年を超えるのが一人だけです。叛乱も続発してるし、玉川さん一押しの陶侃やチ【希+β】鑒の軍団の独立性も高く、中央の力も弱いし。

↑ところで、この諸葛亮のAA、シリ−ズのどれのなんでしょうか。私が知ってるのはT(ファミコン時代にちょっと)、W、Y、Z(これらは持ってます)、[、\(ネットで確認)ですが、Tのがやや近いかなというくらいしか分かりません。

230 名前:左平(仮名):2003/07/07(月) 00:41
ところで、皆さんお忙しいのを承知で、一つ私のわがままを聞いていただけませんか?
現在書かせてもらってます「牛氏」ですが、正直言って自分の妄想だけで書いてる状態なので、かなり不安になっています。皆さんから見てどんなものなのか感想をうかがいたいのです。
書くからにはきちんとしたいので、ご指摘を頂ければ、軌道修正していくつもりですので、どうぞよろしく。
ちなみに、第30回まで書き込んだ今日時点では、西暦173年あたりとしております。現在書き溜めている分も合わせると、既に以前に書いた「サク(竹+乍)融伝」の容量を越え、まだまだ続きそうです(冗談抜きで、第一部だけで一年以上かかりそうです)。

231 名前:★玉川雄一:2003/07/07(月) 01:56
私は『五胡十六国』は何度か読み返していますが『魏晋南北朝』は未読です。
講談社学術文庫なのですね。今度買ってみるとしますか。

東晋は確かに不安定だったようですね。
特に創設期の310〜330年代はこれでもか、というほど乱れまくっています。
ダイナミズムという点では後漢建安年間の群雄割拠時代に優るとも劣らないはず。

その時期を乗り越えると、不安定ながらもなんとか軌道に乗り出しますね。
もっとも、王導のような一流の宰相がいればまだマシだったようですが、
桓温あたりが出てきた頃から雲行きが怪しくなり始めます。
また北方では前秦の統一がなり、やがてシ肥水での激突…
結局、「平和」な時期なんてほとんどなかったようですから、話題には事欠かないわけで。
まったく、この時代を世に知らしめるビッグバンでも起こってくれないものでしょうかね…

「牛氏」ですが、書かせっ放しにしてしまってこちらこそ恐縮です。
折を見て、感想などお伝えしてゆかねばなりませんね。

232 名前:★玉川雄一:2003/07/07(月) 02:03
そうそう、>>228のAAはやはりIだと思います。
何より、「○○いわく、」で始まるメッセージが遠き日の思い出を蘇らせる…

空白地の在野武将(たしか張昭)に「みずからでむく」をやろうとして、
軍師に「きけんです! おやめください」と言われたのにもかかわらず
「空白地だからいいじゃん」と強行したら本当に捕まって(誰に?)殺されちゃったよ.・゚・(ノД`)・゚・


あと、TATSUさんのところでちょうど三国末期のネタがあったので、
東晋までネジこんできちゃいました。大人げないなあ俺も(-_-;)

233 名前:★ぐっこ:2003/07/07(月) 23:20
あー。私も「魏晋南北朝」がそのあたりの時代の唯一のソース。
しかしながら、全然頭に入ってません。
最初に小説ありきの三国志と違って、東晋にせよ後漢にせよ、最初に
史書から入るぶん、人物興亡史というより、歴史資料を読むような気分に
なってしまうからでしょうかねえ…。
やはり買ってじっくり読むべきか…

>この時代を世に知らしめるビッグバン
どの時代も、色々な歴史作家によってそれなりに小説になってるんですが、
やはり誰も彼も、羅貫中に全然及んでいないわけで。司馬遼クラスの大物が
書いてくれたらなあ…。宮城谷昌光でも全然可。

>牛氏
放置と思われたならスマソ…。当たり前ながら、カキコごとに読ませて頂いてます。
ただ、一話ごとに管理人が偉そうに感想書くのもアレなんでひかえてます。
ことに最近は非常に(;´Д`)ハァハァしております。
が、私が感想書かないと、話が前に進まない、という状況は避けたかったですし…
どうぞ、お気になさらずお話を進めてくださいませ!
まあ、ノーリアクションというのも、確かに不安になりますよね(^_^;) 
では、一言だけ所感を添えさせてもらえるなら…

左平(仮名)様の文体の特徴は、どちらかと言えば女性的な、陳舜作品を
思わせる細い筆です。その文体に似合うのは、案外、硬質の会話、冷笑的な形容
だったりしますが、左平(仮名)様の作品の登場人物は、書き手の人柄を表してか、
円い人柄が多いように見受けます。つまり、会話文章が妙に身近、家庭的で、
それがプラスにもなれば、場面によってはかなりマイナスになることもあるかと。
そのあたりに気を遣われれば、より魅力的な作品になるのではないでしょうか?

と、総評のような話になってしまいました。すみません…
ちなみに私はさる公募小説の論評で、こう言われました↓

「吉川英治の小説が何故少年達に受けるのか? それは“格好いいから”というのが
一つの理由。歴史作家を目指すなら、その基礎の基礎の基礎を鍛え直してから
再投稿してください。あと、誤字脱字多すぎ(※2カ所だったのに)」

その結果が、南蛮王とか学園三国志です (゚∀゚)

>蒼天考

!!(b^ー°) グッジョブ
つうか荀灌たんが話題になってますた。私もここで知ったんでしたな…

>光栄三国志
もっと殺伐と(田各

234 名前:左平(仮名):2003/08/18(月) 00:38
学三掲示板より、梁興ネタ
>これはもう、左平(仮名)さんにお願いして次回作『梁氏』を書いて頂くしか…?

三部構成の「牛氏」第一部もまだ道半ばですし、梁氏となると後漢書を読む比重も増しますから、現状ではちょっと。
とはいえ、ご指名いただいたのは嬉しくもありますし、ちょっとごく簡単なあらすじを考えてみましょう。

235 名前:左平(仮名):2003/08/18(月) 01:58
まず、三国志全人名事典に出てくる「梁」姓は、(異民族も含めて)19人です(梁興込み)。
このうち、(光武二十八将ではありませんが)後漢功臣といえる梁統の子孫という可能性のある、安定及びその近くの人となると…。
1,梁寛 安定の人。楊阜らと共に馬超と戦っています。時期的には梁興と一致。この二人が実は同族だった、なんて設定にしたら、なかなか劇的ですね。
2,梁元碧 涼州・休屠胡の首領。梁というのが姓だったりすると、胡化した漢人というドラマ性があります。ただし、この人については、郭淮の伝に記載があり、梁興と時期がずれます。このあたりをどうみるか。
3,梁虔 魏の天水郡主記→蜀。ただし、姜維とともに…という事で時期がずれます。
4,梁鵠 安定の人。劉表→曹操という経歴がありますから、時期的には梁興と一致。ただ、曹操に重用されていた様ですから、梁興とはつながりにくいです。第一、こちらは文官。
5,梁習 蒼天にもその名が出た、名刺史。時代的にも一致。ただ、陳郡の人とありますから梁興との関係はちょっと考えられません。彼と梁興が同族だったりすれば、小説的には物凄く絵になる展開なのですが…。
6,梁施 梁習の子。
7,梁緒 魏の天水郡功曹→蜀。何か、梁虔にそっくり。
8,梁双 天水の人。馬超と戦った趙昂の妻・王異の話に出てくるのですが…どうも時期が合いません。

梁統の子孫が、あの跋扈将軍・梁冀。彼の死後、その一族は族滅された…となっています。しかし、梁統から梁冀までは間がありますし、辺境にいた傍系の一族は逃れ得たという事も考えられます。
と、なると…。
以上の点から、乏しい頭を使って妄想しますと、こんな感じでしょうか。

梁冀が都で権勢を振るう中、傍系の梁某は辺境にあった。才徳なくして権力の座にある事に、言い様のない不安を抱いていたからである。彼は、つとめて自らを貶め、庶民と交わっていた。
やがて、梁冀は滅ぶ。彼は官憲の追っ手を逃れ、羌族の集落に入った。そして、その子孫はいくつかの系統に分かれていき、それぞれの道を歩む事となる。
ある者は、ほとぼりの冷めるのを待って漢朝に仕官し、またある者は羌族とともに漢朝に叛旗を翻す。
そして…。皮肉にも、一族はあい戦う事になる(梁寛と梁興)。
梁興は懸命に戦うも、武運拙く敗れ、自身は戦死する。しかし、その忘れ形見は母に連れられて西方に逃れ、いつしか胡の長となる(梁元碧)。
魏に帰順した時、彼は何を思ったであろうか。

なんて、どんなもんでしょうか。

236 名前:★ぐっこ:2003/08/18(月) 23:11
うお、流石は左平(仮名)様!
涼州系の梁氏って思ったより多いな…確かに何人かは血縁であること間違いなさそう…。
梁冀の一族が誅滅されたとしても、だいぶ前に分かれた梁氏の流れは無事でしょうし、
梁冀の一族の中には、確かに羌やテイあたりに逃れる士人もいたでしょうし…
うーん、となると、左平(仮名)様のプロットも、案外ありえるかも(;´Д`)ハァハァ…

237 名前:左平(仮名):2003/08/18(月) 23:38
中央研究院のサイトで梁統の伝もちらりと見たのですが、興味深い記述がありました。
その遠祖は、晋の大夫、梁益耳だそうで、もとは河東にいたが、後に安定に移ったとの事です。
河東となると…戦国時代の魏との関連も考えられますね。

また、梁統から梁冀まで、その字には「伯仲叔季」が含まれています。当時はわりと普通だったのかも知れませんが、それを踏まえると、梁興にも結構絵になる字を設定してもよさそうです。

238 名前:★玉川雄一:2003/08/19(火) 17:09
おおう、これだけの構想がたちまちに浮かぶとは…
私のように行き当たりばったりで話を作ろうとするではなく、
これほどにプロットを組み立てられれば確かに長編も書けましょうて。
「牛氏」もさることながら、こちらも大作の予感!

で、今更ではありますが『牛氏』を通読させていただきました。
牛輔を(後の)董卓軍閥の中ではやや異色な人物として捉え、成長を重ねて行く姿が綴られていますね。
董卓は…いまだ脳内ビジュアル的には蒼天のアレなんですが(^_^;)、
内面についてはすっかりこの作品でフォーマットされつつあります。
もっとも、この先の董卓はどう描かれてゆくのか… 新たな「董卓像」が確立されることを期待しています。

ここ数回は李カクら後の幹部クラスの若き日の姿も見受けられ、
様々な群像が一つの物語に集約されてゆく様はそのスケールの大きさを感じさせ、いやが上にも期待が膨らみます。

彼らの「結末」はやはり歴史を覆すことにはならないのでしょうが、
左平(仮名)さんの描くキャラクターがどのような道をたどってそこへと行き着くのか楽しみです。
そして、世代を越えて受け継がれる「牛氏」の血…
時代に翻弄された一族の長い長い物語、これからも目が離せません。

239 名前:中根東竜:2003/08/27(水) 11:11
お久しぶりです。

>涼州系の梁氏
多少時期はずれますが、晋の泰始4年(268)に書かれた
楼蘭出土の木簡に「主簿梁鸞」という署名がありますね。
(平凡社『書道全集』第三巻より)
楼蘭という辺境の主簿ということもあり、
余り出世した様子もなさそうですから、
破れた梁興の一族か何かでしょうか?
一応小説の種になるかと思いますので書いておきますね。

240 名前:ヤッサバ隊長:2003/08/27(水) 22:07
>>231
>この時代を世に知らしめるビッグバン
横山光輝が漫画化すれば或いは…かなり難しそうですけど。
もしくは、藤崎竜がジャンプで連載(絶対無理

241 名前:★ぐっこ:2003/08/29(金) 00:25
いつもフラリと来られてドカッと重大な情報を置いていかれる中根東竜様!
お久しぶりです! そしてありがとうございます!

なんとまあ、晋の頃の桜蘭の主簿!場所が場所だけに、梁氏の連枝の可能性、
確かにありますねー! 桜蘭なら、地理的に無理もないですし、本籍も避けて
ますし。
辺境からひとり中華を思う、みたいな随想の主人公になり得たり。

>>240
いっそ一騎当千をあのあたりでやってしまえば(^_^;)

242 名前:★ぐっこ:2003/09/14(日) 21:22
ttp://www.4gamer.net/specials/systemsoft/systemsoft01.html

だそうな。
基本的に正史というモノを履き違えてる気がしないでもないですが、
光栄以外に三国志ゲー作ってくれるソフトハウスが出現したのは大歓迎。
ただ水軍が登場しない時点でパス。

243 名前:★ぐっこ:2003/09/16(火) 01:39
まったくどうでもいい話ですが、どなたか「ふたりエッチ」の
中国語版のタイトル解りますか〜?海賊版も可。あるいは直訳でも。
ひょっとしたらコンテンツなりネタなりで使うので(^_^;)
isweb大丈夫かな…

244 名前:左平(仮名):2003/09/23(火) 21:44
しばらく気になっている事が一つ。
まがいなりにも小説らしきものを書いた者としては気になっているのですが…「三国志小説のコ−ナ−」は改装中となってますけど、改装後の姿っていったいどうなるのですか?
あの後も二、三作品は出てますし…。

245 名前:★ぐっこ:2003/09/23(火) 22:37
(゚∀゚) すみません完全に忘れておりました。
いや、蒼天辞典とかもそうですけど、そういえば「改装中」でしたねえ(^_^;)
まあ、小説の場合、左平(仮名)様の「牛氏」は連載を掲示板で行ってますから、
その終了後html化するとして、蒼天辞典がなあ…。いっそ人物事典路線をやめて
ホントに蒼天用語辞典みたいな形にしようとも思ったのですが…
私も小説書きたいんですけどねえ、南蛮王の外伝みたいなのを宮城谷風とか
司馬遼風とか作品ごとに文体書き分けてみて(昔凄い練習しました、コレ)。
どちらにしても完全正史準拠の小説ってのがなかなか集まりませんねえ…
演義のSSは余所でもいっぱい扱ってるから、ウチではやりたくないですし。

246 名前:左平(仮名):2003/10/15(水) 00:14
「牛氏」、現在五十回を書いてるところで、ようやく牛金誕生かというところなのですが…
一つ確認しておきたい事が発生しました。

「鈞台(きんだい)」について調べたいのです。夏の啓王が鈞台で諸后をもてなしたという故事があるそうなのですが、何に載っているのかが分かりません。
宮城谷氏の複数の作品にこの事が触れられていますので、何かに記載があるはずなのです。しかし、中央研究院のサイトで二時間見ましたが見当がつきません。
どなたかご存知の方がおられたらご教示願います。

247 名前:名無し:2003/10/15(水) 23:39
鈞臺で検索すれば出ますYO>中央研究院

248 名前:左平(仮名):2003/10/15(水) 23:57
ありました−っ!!
春秋左氏伝(昭公・伝四年)、竹書紀年(巻上・帝啓)に。
左氏伝:夏啓有鈞臺之享。 商湯有景亳之命。周武有孟津之誓。
竹書紀年:元年癸亥,帝即位于夏邑。大饗諸侯于鈞臺。

これで納得して書けます。名無しさん、ありがとうございました!
いや−っ、繁字体だったとは…そういえば、台湾は繁字体でしたね。
なるほど、なるほど。

249 名前:左平(仮名):2003/10/26(日) 23:38
それにしても、ここのところ\withPKで抜擢武将つくりにはまりこんでいて、「牛氏」が進みません。
ネタの余裕が、もう二、三回分程度しかないので、このままでは週一ぺ−スが危ういです。

250 名前:★ぐっこ:2003/10/28(火) 00:24
>繁字体
あー。ちょくちょくありますねえ、検索の時に。前も応劭を應劭と
検索したらバカスカヒットしたことありますねえ…

>IXPK
…あっ!忘れてた!いかん、一つのことに熱中したら、完全に忘れるんですねえ…(^_^;)
さて、Xを待つか、潔く南蛮王を再開するか…

>牛氏
うい。ここまでの長期連載となると、義務感に囚われたら負けです!
のんびりと書きたいときに書かれるよろし。

251 名前:★玉川雄一:2004/01/11(日) 23:37
何の脈絡もなくふと思ったんですけど。

呂布の賜った「温侯」の“温”って、司馬懿とかの本籍である河内郡の温のことなんでしょうか。
こういう爵位名って、基本的に『封地+爵位』って解釈でいいんですよね?

名目だけで実際には支配領有してないとか色々あるのでしょうが、
意外な因縁…かも?

252 名前: 左平(仮名) :2004/01/12(月) 00:43
温というと、春秋時代には趙氏の、戦国時代には魏の領地だったでしょうか。
となると、この地には趙氏、魏氏の子孫と自称する人々も多かったでしょうね。
呂布との関連となると「?」ですが、何らかの縁があって、となればまた面白いですね。

曲者なのは「○亭侯」とかでしょうね。「○亭」侯なのか「○」亭侯なのか、と。
「演義」で関羽が任ぜられたのは「漢寿亭侯」だったかと思いますが、これも「漢『寿亭』侯」・
「漢『寿』亭侯」・「『漢寿』亭侯」・「『漢寿亭』侯」という様にいろいろ取りようがありますもんね。

253 名前:japan:2004/01/12(月) 22:00
>曲者なのは「○亭侯」とかでしょうね。「○亭」侯なのか「○」亭侯なのか、と。

「魏書」巻十三に立伝されている三人の爵位の変遷を調べたところ、
以下のようになっていました。

・鍾ヨウ
献帝が長安を脱出して曹操の元に辿り着いた頃、
それまでの功績により東武亭侯にとりたてられた。

魏文帝が禅譲を受けた際、崇高郷侯に「爵位があがった」。

廷尉から太尉に昇進するに伴い、平陽郷侯に「領土がえされた」。

明帝が位に就くと、定陵侯に「爵位があが」った。

・華キン
文帝が王位に就くと、安楽郷侯に封じられた。

明帝が即位すると、「昇進して」博平侯に封じられた。

・王朗
文帝が王位に就くと、安陵亭侯に封じられた。

文帝が帝位に就くと、楽平郷侯に「昇進した」。

明帝が即位すると蘭陵侯に「昇進し」た。

※「」内はちくま学芸文庫ママ

これを見ると、○○侯>○○郷侯>○○亭侯という序列が存在するようです。
関羽が漢寿亭侯に封じられたのは、一介の客将に過ぎない彼を
県侯や郷侯に封じることは不可能だったのか、
或いは当時の曹操の権限では、亭侯までしか上奏することができなかったのか…?
という訳で、「漢寿亭侯」は「『漢』の『寿亭』侯」ではなく、
「『漢寿』亭侯」ではないかと思います。(高島先生の受け売りですが…^^;)

ちなみに「斉王紀」の裴注に収録されている斉王芳弾劾の上奏文には、
定陵侯鍾イク・博平侯華表・蘭陵侯王粛の名前が記されています。
こういうのを見ると「ちゃんと爵位が世襲されているんだな〜」と感心したり、
魏建国の功臣達の子孫が、ほんの数十年後にはそろって司馬氏に
追従していることに悲しくなってみたり……

254 名前:★ぐっこ:2004/01/14(水) 00:29
>温
言われてみれば(^_^;) 司馬懿も呂布の「臣籍」だった時代が
あるということか…?
それにしても、呂布ってば県侯だったんですね…
かなり高い爵位。儀同三司カコイイ!

>爵位
とりあえず地方の単位そのままですのでイメージしやすいのですが、
気になるのは「亭侯」クラスの人の生活ぶり。
その亭に所属する民は、その侯爵を養ってるのだろうかと…
確か霊帝も皇帝に抜擢されるまでは、田舎のこういった亭侯だったし…(お父さんがだったっかな?)
普段何して暮らしてるのだろうか、と。そもそも一家を養うに足るだけの収入だろうかと。

漢寿亭侯については、私も「三國志考証学」だったか、演義正史比較の本で読んだ事があります。

255 名前:japan:2004/01/17(土) 03:32
爵位にまつわる因縁というと、朱霊が故郷の高唐亭侯に取り立ててもらった
という話がありましたね。
中には彼のように、皇帝にお願いして自分の好きな所(故郷とか)に
封じてもらう功臣もいたようです。

例えば陳羣の領地である潁陰県は、本籍地である許と同じ潁川郡に属しています。
鍾ヨウの定陵県も潁川の付近(時代によっては潁川郡に所属)、
王朗の蘭陵県は、彼の故郷である東海郡の一部でした。

こうして見ると、重鎮クラスの場合は結構当人の希望も勘案されているような…
呂温侯にも、何か司馬懿の故郷をキボンヌする理由があったのでしょうか?

256 名前:中根東竜:2004/01/17(土) 22:17
お久しぶりです。

>亭に所属する民
亭は警察署や旅館の役割をする行政単位ですので、そこに
所属する民衆はいません。

>そもそも一家を養うに足るだけの収入だろうかと。
後漢書百官志にも明確な記述がないので
ないので良く分からないのですが、収入はもらえないのかも
知れません。亭侯クラスになると単に位階を示すものでは
ないかと思います。

257 名前:★ぐっこ:2004/01/20(火) 00:21
>>255
上級の地方官吏あたりは、本籍地を避けて任命されるようですが、
封爵は結構自儘になるみたいですね〜。
といっても実際に領主として君臨するわけでもなく、せいぜい代理人
が出向くか、名誉称号のみで終わるのか…。郡県制以後、こういう爵位
がどこまで有効なのか激しく疑問…
王ならば相が行政権握ってるんだろうな、と想像付くのですが。

>温
もし当人の希望だったとしたら、確かに温を選んだ理由は気になりますね。
ttp://www6.airnet.ne.jp/~rover/resultdata/s3/s305.htm
↑呂布の墓所があるという噂まで(^_^;) 近隣には司馬懿生誕碑も。

>>256

 >亭は警察署や旅館の役割をする行政単位ですので、そこに
 >所属する民衆はいません。

_| ̄|○ そうだった…。ありがとうございます。
文字通り称号のみの存在なんですね、亭侯…。亭長様のほうが、まだ
実権ありそう…。それでも「列侯」というステータスは付くのですか…
ナイト受勲みたいなもんですか(^_^;)

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