2009.01.01

第4話 「呉越同舟」

1-4 呉越同舟強制中

 古来より、呉と越の因縁対決は数々の伝承や説話の元になるほどだ。俺も漢文の授業で多少囓った程度だが、なんせボルテージの高い国同士だったようだな。
 いわば江東のトムとジェリー、虎vs巨人の伝統の一戦。兵士達の沓音も高く、なにやらやる気満々の様子だ。
 
 その先頭を騎行する総大将のハルヒも、上機嫌を隠す素振りさえ見せず、

ハルヒ:みんな! 臥薪嘗胆よっ!今度は勝つしかないわ!

全 軍ホアアーッ!!

 奇声をあげて槍や戟を突き上げるSOS会稽団員軍。部下は主に似るというか、俺が想像していたのとはだいぶ違う軍風に染まっているようだ。
 というかお前は薪の上で臥せてもなければ、肝も嘗めてないだろうが。
 そんなツッコミも晩秋の涼風が流すに任せ、ハルヒは鞍上で上体をひねり、傍らの古泉を顧みる。

ハルヒ:古泉くん、戦況の報告を。

 古泉は例の孔明スタイルで押し通すつもりらしく、羽扇を携えただけの軍師姿で従軍している。

古 泉:我が軍の接近を察知して、すでに厳白虎が6千余の軍を率いて進軍中。その後を、弟の厳輿が3千ほどの支軍を率いて別道中とのこと。


ハルヒ:ふふん。のこのこ出てきたわね!もはや勝ったも同然だわ!

 鼻息を勢いよく吹き出しつつ、ハルヒが戟を天に突き上げた。

兵 士ホアアーッ!

 さすがは気力100の会稽軍、ノリだけはハルヒ並だ。
 さて、前回よりは確かにマシな布陣とはいえ、このまま勢いに任せて正面衝突しても、こちらの損害はバカにならないはずだ。

ハルヒ:もちろん、今回はちゃーんと策戦行動をとって貰うわよ。古泉くん、説明して。

古 泉:仰せのままに。――さて、今回の基本骨子は、敵になるべく多くの城兵を出撃させ、野戦でこれを撃滅する、という点にあります。

董 襲:攻城戦を避けると言うことか

古 泉:その通り。幸い厳白虎も厳輿将軍も凡将です。城に籠もられるより、よほど与し易いでしょう。それに、今回は計略を多用して敵軍を奔命に疲れさせ、なるべく当方の損害を押さえるつもりです。

 なるほど、正統的な戦立てだ。というか前回が無策すぎた。
 だが、避けられないのは兵の士気低下だろう。前回はろくに戦う間もなく、兵の士気不足で戦線維持を断念したはずだ。

ハルヒ:なるべく早く済ませるつもりだけど、今回も長期戦の可能性があるわ。だから有希がいるのよ。

 ハルヒがニヤリと笑う視線の先では、小柄な白馬にまたがった長門が、無機質な双眸をこちらへ向けているところだった。

古 泉:長門さんは、緒戦は計略要員として参戦し、敵が混乱をはじめたら、すぐに軍楽台建築の指揮に当たって貰う予定です。

 なるほど、遊撃隊というところか。
 軍楽台は文字通り自軍を鼓舞する奏楽をする施設で、周囲の部隊の士気を回復する。建築に1ヶ月ほどかかるが、まあ3ターンの我慢だ。
 
 相変わらず表情一つ変えることなく、長門はほんの微かに頷くと、静かに自部隊を率いて戦列を離れていく。
 まさかこのとき、このたった3千ほどの長門隊が、会稽という郡全体の危機を救うことになるなどとは誰一人想像もしていない。









臥薪嘗胆
ハルヒは景気よく報復のスローガンに掲げているが、ウチが勝手に侵略して敗退しただけなのだから、逆ギレもいいところだろう。
あと四文字熟語の意としては「復讐の為に耐え忍ぶ状態」を表す言葉だから、行軍中に使っちゃ駄目な用語だ。
ちなみに薪の上で臥せてたのは呉王の夫差で、肝を嘗めたのは越王の勾践。この歴史的な二王がドMだったワケでは無論なく、復讐心を持続させるために、敢えて自らを辱め続けていたらしい。三国志からは700年くらい前の話だ。

 2


 会戦の最初の一撃は、ハルヒの率いる弩兵隊だった。
 正午、突進を開始した厳白虎軍に対し仰角で照準を合わせている弩弓手が、いっせいに引き金を絞った。

ハルヒ:――射てぇっ!

 6千人という、県立高校の全校生徒5校分くらいの一斉射撃だ。一瞬空が真っ黒になったかと思うと、数秒遅れて、敵陣の方へ夕立のような黒い豪雨が音を立てて降り注ぐ。
 つづけて、その横につけた古泉隊が、知力95にものを言わせて攪乱の計略を厳白虎へ仕掛ける。
 最初の一斉射撃でかなりの損害を被ったらしい厳白虎軍は、さらに情報戦の餌食となって上を下への大混乱だ。
 そこへ、会稽軍のトップバッター、猛将董襲さんが突っ込んだのだから、呉軍の混乱ぶりは悲惨の一言に尽きる。
 さらに戦場の外縁部をスルスルと移動していた長門隊が、後続の厳輿軍へ同じく攪乱の謀計を仕掛けたため、主戦場から数理離れた地点で、厳輿軍も見事に立ち往生してしまった。

ハルヒ:でかしたわ有希っ! さあキョン、やっちゃいなさい!

 ハイテンションで怒鳴るハルヒを傍目に、俺の率いる戟兵隊も突撃を開始。厳輿軍にけっこうな痛手を与えている。

 回復しては古泉か長門に再度混乱させられる厳白虎軍の、情報管理体制の不備について俺が色々思いを巡らせているうちに、長門隊が城にやや近い地点まで進出して、大胆にも野戦体制を解いて軍楽台建築をはじめた。
 もはや敵に反攻能力が無いと判断したのだろう。事実、厳白虎軍も厳輿軍も、出撃当初の7割を失った上に依然混乱中、ひるがえって会稽軍は殆ど損害がない。

ハルヒ:圧倒的じゃないの、我が軍は!

 既に勝利を確信しているらしいハルヒの、慢心しきった叫びが戦場にこだまする。
 遠目に、敵将厳白虎と厳輿の両将軍が同時に吹き出したのがチラッと見えた。こんな矛を交わす出会いでなければ、案外仲良くなれたかもしれん。
 緒戦の楽勝ムードは前回も同じだったな。問題は攻城戦なんだが…

 10月、厳輿軍が壊滅した。
 ハルヒにも古泉にも凡将呼ばわりされていたが、野戦指揮能力だけでいえば、俺や古泉と遜色無いレベルだったんだが。
 俺が持つ「捕縛」の特技が、どのへんから引っ張られてきた設定かはわからんが、とにかく俺の部隊が撃破した敵部隊の将は確実に捕縛される運命にあり、厳輿将軍は後高手小手に縛り上げられたうえに猿轡を噛まされ、陣中へ引きずられてきた。
 おいおい、誰の趣味か知らんが、そこまでせんでいいだろう。
 体中に突き立ったままの矢とか、噛み締めすぎて血の滴っている猿轡を見て、さすがに気が引けた事もあるし、既に古泉から俘虜の処遇について伝達があった事もある。慌てて縄を解かせると、厳輿は怪訝な顔をして俺を見返してきた。
 おまけに、ほどなく馬を与えられ、戦闘区域外で解放されると聞き、彼は目をむいて驚いた。

厳 輿:何のつもりだ?

 さあてね。

 やがて、本隊たる厳白虎軍も董襲軍に打ち破られた。
 厳白虎は自ら矛を振るって血路を切り開いたらしいが、どのみち捕縛されていても、弟と同じ事になっていただろう。
 戦場から呉軍の姿が消滅して数日、軍楽台がようやく完成し、連戦でバテ気味の将兵を鼓舞し始めた頃、ふたたび呉の県城に動きがあった。

古 :泉また、厳兄弟がそろって出撃してきたようです。兵力は3千強と2千強。もう戟や矛のストックが無いのでしょうね。

 古泉の報告にも、余裕がにじみ出ている。
 そりゃ、彼我の戦力にこれだけ差があるとなると、すでにそれは会戦ではなく、よくいって掃討戦みたいなもんだろう。
 で、何回これを繰り返せばいいんだ?

ハルヒ:決まってるじゃない!あの二人が完全にヘロヘロになって我が軍門に降るまでよっ!

古 泉:城を攻めずして心を攻める――まさに七縦七擒ですね。いにしえの諸葛孔明もかくやという良計です。

 いやいや、今は孔明がリアルに生きてる時代だ。あと心攻めて無いぞ。

ハルヒ:ごちゃごちゃ言ってないで、迎撃の支度をしなさーい!

兵 士:ほーッ!

 結局、厳兄弟は緒戦と同じく攪乱、火計、攻撃のコンボを数発食らって壊滅の憂き目にあい、またまた俺に捉えられて放たれるという醜態を晒した。
 だが、まだハルヒは攻城戦にかからない。
 数千という兵の籠もる呉城は意外に堅牢で、一隊一隊では5千を割り込んでいる俺たちにとって、その反撃はけっこう深刻な打撃となるのである。
 
 翌ターン、またまた出撃してきた厳白虎軍は、遠目にも満身創痍が丸わかりの剣兵部隊で、たちまちのうちにリーチの違う戟や矛にボコボコにされた。
 とどめとばかりに長門の火計をくらい、潰走の最中、俺の隊に手捕りにされる厳白虎。涙目で「頼むから捕虜にしてくれ」と訴えかけるもハルヒに退けられ、また城へ追い放たれた。
 こうたびたびキャッチ&リリースされては、いい加減、城にも居づらいだろう事は容易に想像が付く。
 が、もう野戦を挑む気力もなくしたのだろう。
 呉城の険に頼るしかないと気づいたか、貝のように城へ引きこもり、最後の抗戦に挑むつもりらしい。


 ――実はこの間、長江以北の情勢に大きな変化があった。
 長らく刺史として広大な徐州でやりたい放題やっていた梟雄・陶謙が、大往生を遂げたのである。
 在任中の死亡のため、本来は中央からしかるべき後任者が選出されるはずなのだが、現在の長安政府の地方人事任命権など無きに等しく、後継劇はすべて徐州内だけで進められたらしい。
 伝え聞くところによると――というか歴史的時事として俺も知っていることだが――徐州刺史の後任は、隣州に居座っていた流浪の傭兵軍団長の劉備が、急遽指名されたそうだ。
 まあ、徐州が曹操に攻められたとき、すぐさま救援に駆けつけたのも、当時売り出し中だった劉備傭兵団だったし、その後も政権野党として徐州外縁部の鎮撫任務に当たっていたようだから、故陶謙の側近や親族に強い反対意見がなければ、成立する人事だったのだろう。

 だが、他の勢力としては、実に痛い、いや、怖い新体制の発表だ。
 関羽だの張飛だの、御伽話に出てくるような英雄たちが、中原にほど近い一州をまるまる領有したのだ。
 これは脅威といってよいはずだ。

 …が、まだ遙か中華の外れの、一県城を巡って千だ2千だいう兵力を潰し合ってる俺たちにとっては、全く別次元の話だ。
  所戻って、呉城近郊である。
 厳白虎が城に閉じこもって20日ほどが過ぎ、いまだ出撃の気配もない。

ハルヒ:もーいいわね!? 今度こそあの城を力攻めに攻め潰すわよ!

 ようやく攻囲を開始したハルヒ。
 だが、ここにきて気がかりなのは、長門隊の消耗ぶりだ。
 軍楽台を建築した後、計略を連発したばかりか、先刻は自分の隊が火計に巻き込まれたこともあり、残り1000程まで打ち減らされている。

ハルヒ:有希、いったん会稽へ戻りなさい

長 門:大丈夫。戦線維持可能なレベル。後退の必要性を認めない。

 いつもの無表情の下に不退転の決意を淡々と滲ませて、長門は撤退命令を頑として受け付けない。
 こうなると、ハルヒでさえ説得は不可能だ。
 はあ、仕方がないな。
 ――おい長門、敵が自棄になって出撃する可能性もあるんだ。その進路上にお前の部隊がいないとも限らないんだぞ。

   長 門:……。

 頼むから一度戻ってくれ。いったん会稽に戻って、新兵と合流してから来ればいい。まあ、その頃にはこっちも片付いてると思うが。

 話している間中、凝っと俺の顔を見上げている長門の硬質な瞳の中に、よく見れば俺の顔が映っているなと気づいた頃、ようやく長門は小さく頷いてみせた。

長 門:…あなたがそう言うなら、後退する。

 呟くように答えた台詞は、ハルヒの耳に届いたかどうかわからんが、隣に立っていた董襲さんは片頬の犬歯をむき出しにしてニヤリと笑った。何なんだいったい。

  ハルヒ:有希、あんた疲れてるかもしれないんだから、移動中ムリしちゃだめよ。

  気を取り直したように掌を打って、ハルヒは下知をとばした。

  ハルヒ:さ、攻城戦の続きするわ! あと一息よっ!

 ――滞陣3ヶ月。
 遊軍たる長門隊がその役割を終えて引き上げたのみで、いまだ圧倒的優勢を維持している会稽軍。
 対する呉軍は、すでに全兵力の7割を失い、残余の兵で城に立て籠もり、天佑を頼みとするしかない状況だ。 いよいよ、SOS軍が厳白虎軍を、越が呉を制圧する最終局面。
 その、最後の最後というべきタイミングで。
 俺たちの本拠地会稽から、救援を求める悲鳴が届けられた。

 曰く

 山越民族の軍勢が、諸県を荒らしつつ、山陰城を目指して進軍中――と。



 誤解を恐れつつも極論すると、会稽や呉などといった地を含む「揚州」は、本来は越人とよばれる長江文明圏の末裔によって営まれていた土地だった。
 そこへ黄河文明の民たる漢人たちが入植し、県城を建て、郡国をつくり、行政府を置いた。
 数も文化力も劣る越人たちは、漢人たちに山間部まで追い散らされ、とうとう部族単位でひっそりと棲息する存在となってしまった。
 そんな「山の民」が、今回登場した山越民族の姿である。

 で、いま危急に直面しているのが会稽郡だ。なにしろ漢人フロンティアの最前線なうえに、今はハルヒがほとんど全軍をあげて北伐しており、諸県を守る守備兵にも不足している。

 山越人の部族長たちは、千載一遇の好機と見たのだろう。
 連中はここに連合を発足させ、一挙に会稽郡を襲撃してきたのだ。
 その数、およそ1万5千。


ハルヒ:会稽に戻るわ!有希が、みんなが危ない!

 急報がもたらされた時のハルヒは、久々の真剣モードだ。
 無論、それはハルヒだけではない。なんせ長門を会稽へ帰らせたあとだからな。下手すれば鉢合わせしちまう。
 山越人たちは概して精強らしく、非武装にちかい剣兵の千やそこらじゃ瞬殺されるだろう。
 が、ひとり古泉の野郎は、困ったようなスマイルで肩をすくめ、

古 泉:――呉攻めはどうされますか。あと一息なんですがね。

 敢えてこういう言い方をしているのは解るが、このときは瞬間的に本気で腹が立った。
 思わず詰め寄ろうとする俺の腕を、だが正気に戻ったらしいハルヒが掴んで引き寄せた。

ハルヒ:…古泉くん、よく言ってくれたわ。ここまできてあたしが引き上げては意味がないわよね。キョン、古泉くんと董襲さんと一緒に会稽へ戻りなさい。

 俺は口を開きかけて、また芸無く閉じた。
 この時点でハルヒ隊は弩兵の4千そこそこであり、各所で黒煙を吹き上げている呉城を陥とすだけの戦力は保っている。

ハルヒ:呉を踏み固めたら、あたしもすぐに戻るから。でもそれまでに山越の連中なんかケチョンケチョンにやっつけなさいよ、あんた達!

 おそらく真っ先に駆け戻りたいであろうハルヒの、強がりに似た発破だ。
 異を唱えられるわけがない。
 ただちに、俺、古泉、董襲さんの三部隊、あわせて1万弱が陣を引き払い、会稽郡を目指して撤退を開始した。

 ――行軍のうちに年が替わり、西暦195年を迎える。





※まあ、これまた極論になっちまうが、西部劇あたりのネイティブアメリカンと事情が似ているといっていいだろうな。
 実際はだいぶ混血が進んでいたらしいが、それでも「入植者」と「原住民」の抗争は実に深刻で、日常レベルでの襲撃は後を絶たない。村落ごと越の襲撃で焼き払われたり、その報復として部族を皆殺しにしたりと、こういう抗争が後々、数百年もつづくということだ。
 ちなみに厳白虎・厳輿兄弟も、山越人の有力者といわれている。


 
 ここに、布かれざる布石として、長門隊1400人の存在があった。

 一個連隊にも満たない微弱な小部隊だ。
 が、結果として、この長門隊が会稽郡を救うのである。

 長門隊が、山越の猛兵たちとバッタリ遭遇したのは、会稽の治府まであと20日弱という地点だった。
 山越の部族連合軍は、このとき兵力を1万と5千の二手に分けて進軍中だったが、長門が出会ったのは後発の本隊1万の方だ。
 
 まともに開戦すれば1ターンも危うい戦力差だったが、長門は知謀をもって大軍に挑んだ。
 その本軍に対して偽の伝令を遣わし、越人の侵攻本拠地が攻撃されている、という虚報をばら撒いたのだ。
 情報戦で、越の連中が長門に勝てるはずがなく、越人の大兵力は目前の長門隊を打ち捨て、あたふたと軍を翻して後退してゆく。
 その醜態を後目に、長門はさらに軍を急行させ、山陰の本城を猛烈に攻め立てていた山越の別動軍に肉薄。今度は細作と偽伝を駆使して背後から攪乱し、行動不能に陥らせた。
 翌ターン、混乱の極みある山越の包囲を突破して、長門隊は無事、入城することに成功したのである。
 

 一方、ひた走りに帰路を急ぐ俺たちが、ようやく浙江を越え、会稽郡境にさしかかった時。
 目前を横切るようにして、1万ほどの大部隊が、怒号も荒々しく南下してゆくのを目撃する。
 これは、虚報の謀計で引き返していた本軍が、はかりごとに気づき、再度山陰城を目指して進軍しているところなのである。

董 襲:…どうする軍師どの。後ろから攻撃するか?

古 泉:いえ、すぐに反転されて飲み込まれてしまいます。とりあえず、距離を保って後を追いましょう。


 古泉の戦術は堅い。こんな山野のど真ん中で孤軍を晒すより、山陰城を視界に納めながら戦端を開くつもりだろう。癪だが、俺も同じ戦術を選択するだろうな。 
 
 やがて、山陰城が近づくにつれ、戦塵かと思われていたもやが、城周辺を包み込むほどの黒煙と知り、俺も古泉も蒼白となった。
 長門は、城は無事なのか――!?

 と、しばらく進軍して、ようやく事態が正確に掴めてきた。
 なんと、あの活火山の火口のように黒煙を吹き上げているのは、ことごとく山越兵の野戦陣であり、会稽の城は多少傷つきながらも健在であるという。

 会稽に戻った長門は、臨時に徴収されていた新兵を糾合し、守備兵3千を残して再び4千余の弩兵を率いて出撃。混乱中の敵軍を包み込むように火計を仕掛け、敵は炎と矢に追われて潰走中だという。
 みれば、彼方の黒煙の切れ目から、長門隊と思われる「SOS」の旌旗が、チラチラと見え隠れしている。


古 泉:やってくれましたね、さすがは長門さん。情報統合思念体経由の情報操作能力が無くても、十分に彼女はSOS団一の戦略級ユニットですよ。


 古泉が感心したように何度も頷いている。
 俺も、心底嬉しいというか、なんだか身内が褒められた時のような誇らしい気持ちだ。

 最初に、このマヌケ中華時空で途方に暮れた顔を見合わせたときを思い出す。
 古泉は超能力を失い、長門は情報処理能力を失い、朝比奈さんはタイムなんとかデバイスを失い、しかもハルヒに何らかの能力補正を与えられた上で、勝手分からぬこの世界に放り出されたんだ。
 だが長門ひとりだけが、「特別な能力が無くても、みんながいれば大丈夫」という類の発言をして、皆を驚かせた事がある。
 それを、長門はたった一人で証明してみせたのだ。
 偉いぞ、長門。

 黒煙の正体に面食らっていたのは、俺たちだけではない。
 山越の本軍が覚えた驚愕こそ天地転覆のようなものだったろうな。
 その動揺を、ふたたび長門が捉えた。
 またしても「本拠危急」の虚報に惑わされ、山越本軍は撤退を開始する。これで二往復目になるのだからご苦労なことだ。
 
 目前をぶざまに反転する山越本軍を、今回は見過ごしておいて、俺たちは長門隊との合流を果たした。
 朋輩どうしなのだろう。泣きながら抱き合う兵士たちを後目に、俺は長門の姿を目で探した。
 と、ふいに陣列の一角が割れ、長門の小さな姿が現れた。
 ――長門!
 思わず小走りに駆け寄る。


長 門:…。

 長門の白い頬が煤と戦塵に汚れている。拭ってやりたかったが、あいにくハンカチもティッシュも持ち合わせがない。――甲帯を解いたら、きれいに洗うんだぞ。…いや、後でいい。今脱がなくていいんだ。

長 門:…。

 なあ、本当によくやってくれた。ハルヒの馬鹿がなんにも考えずに徴兵しまくったから、結局こういう事になっちまったんだがな。
 でも、凄いぜ。10倍以上の大軍を向こうに回して、お前は一人で持ちこたえたんだ。本当にチートなんてする必要ないんだな。

長 門:この擬似世界のルールに従い、私に与えられた能力値で、最も普遍的に有効と思われる方法を選択しただけ。――それ以上の選択肢は、あなたの指示に反する事になる。

 ああ。そうだったな。どのみちお前は宇宙人的なイカサマを封印してるんだったな。
 それで、きちんとルールに則って、キッチリと己の役割以上の役目を果たした。偉いぞ。
 俺はごくごく希に妹にそうしてやるように、長門の小さな頭に掌を載せ、サワサワと撫でてやった。
 別に理由はないが、何となくそうしてやりたい気持ちになったんだ。

 長門は無表情のまま、撫でられるがままに突っ立っている。
 なんだかおとなしい犬を撫でてるみたいだな、とぼんやり思い始めたころ、横合いから不意に声がかけられた。

古 泉:僚将どうし仲がよいのは結構ですが、涼宮さんの前でやると微妙な事になりますよ。あまり僕の仕事を増やさないでくださいね。

 …。
 いろんな意味でツッコミどころ満載だが、逆に考えれば、この世界に閉鎖空間なり神人なりが現れるかどうか実験できるんじゃないのか。

古 泉:涼宮さんも、ゲーム中のモニター内で巨人が暴れ始めたら、さぞ驚くでしょうね。――さて、潰走している方の部隊を追撃しますので、宜しければ兵の指揮に戻ってください。先程引き上げていった本隊が反転してくるまでに、完全にこの戦場を掌握しなければ。

 そうだったな。長門が火を付けて蹴散らした5千程の別働隊は、約半数を失いつつも、どうにか混乱から回復し、数里離れた平地に布陣し直しているところだった。

古 泉:まずあの小隊を殲滅した後、県城内で軍を再編成し、本軍の逆襲に備えましょう。ま、我々がこうして揃っている以上、勝利は目に見えていますけどね。

 ――結局。
 俺たちが、今回来寇した山越軍を完全に殲滅したのは、ハルヒが遠く呉城を陥落させてから、だいぶ後だったらしい。
 ハルヒが上機嫌に嫌味を言う姿が、今のうちから想像できるな。
 最後の最後になって山越が現れたせいでグダグダになっちまったが、一応戦争のコツのようなものは掴んだ気もする。
 それにSOS団は呉と越の2カ国を領有する大所帯になったわけだ。やれやれ。これからが、色々と大変になるだろう。
 だがハルヒは単純に戦力が二倍になったと勘違いして、また騒動を巻き起こすに違いない。
 これまた今のうちから、そのときの俺の溜息と古泉の引きつりぎみのスマイルが想像できるというもんだ。

 しかしまあ、今は長門が守りきったこの会稽の復興と残務処理をとっとと終えて、ハルヒの待つ新たなる根拠地、呉の城へ急がないとな。



 

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