26.魔人の死
――建安十年。
南蛮公国は、長く盟友関係であった五斗米道教団の離反に遭い、わずか三月のうちに雍涼ニ州の過半を失った。
赫怒した南蛮公・呂布は、その報復行動として自ら八軍を主催し、凄まじい勢いで漢中攻撃を開始する。
…が、彼も彼の大軍団も、教母の凄絶な鬼道のまえにはまるで無力であった。
魔人の死
遠征軍団の8割、全南蛮軍の3割強を失うという、文字通り大殲滅の目に遭った呂布は、成都の居城にその巨体を横たえていた。
呂布は、先の戦闘で落雷の直撃を受け、生命さえ危ぶまれるほどの重症を負っていた。体中、大火傷と打撲・骨折を負い、意識不明の重態であった。
ちかくに名医は無きか――と近臣達は目の色を変えて探し回ったが、こういう時に限って、旅人キャラが見つからない。
呼集を受けた重臣たちが続々駆けつける中、各地の諸侯からも見舞の使者が次々と訪れ、成都宮は異様な陰気と活気に包まれていた。
八月半ば、主立った将軍らが一斉に成都宮に召集されるにおよんで、国の上も下も、かつて無いほどに動揺した。
折りも折り――この夏江州を直撃した大型の台風は、勢力を衰えることなく北上を続け、ついには漢水の堰を切り、上庸から荊州にかけて未曾有の大水害を捲き起こした。
成都もまた長雨に降り込まれていたが、水道の利もあり、こちらの被害はそれほどではなかった。
が、豪雨はまだ続いている。――
高 順:…………。
張 遼:………………。
陳 宮:…………。
張 :…………。
臣下たちが控える一堂――。
かつて劉璋が謁見に用いたこの講堂は、ぶ厚い壁に囲まれ、激しさを増す豪雨暴風の音も届かない。ときおり雷が地響きのように床を震わす以外は、異様な程の静寂に包まれていた。
…誰も、喋ろうとしない。 無理もない。今日まで、良しにせよ悪しきにせよ、この集団の中央には常に呂布がいた。呂布を中心に旋回していた。厳密に言えば、呂布に振り回されていた。
かの、貪欲で脳天気で楽観主義な最強魔人が居たればこそ、この集団は呂布軍団で有り得たのだ。 もし… と誰もが想像していたに違いない。…もし、事が最悪の事態を辿ったとすれば…?
呂布は女にかけては奔放だったが、不思議と子にさほど恵まれず、最年長の者で十五。しかも女児である。
…どうなる?
…どうする?
誰もが、硬い表情の中でそう呟いていたのだろう。
――と、この重苦しい静寂を、不意に払った人物がある。
それは一同にとって意外なことに、長躯長髪の美女であった。
公孫楼:…各々方に申し上げたい。
この日最初の発言は、ポツリと呟くような声だったが、不思議と広い堂の隅々にまで届いた。
公孫楼:我々は臣下として、あの人…の次の話もせねばならないと思う。…
誰も、顔を上げない。公孫楼の呟くような提言は続いた。
公孫楼:私は、何時何が起ころうと、公の家を護る。まずこれだけは言明する。
わずかに、ささやくようなざわめきが起こる。
この公孫楼の決意表明は、同時に諸将への恫喝でもあった。
誰も彼もが、この乱世に生を受け、好きこのんで中間管理職に甘んじているわけではない。もしも機会が巡らば…オレだって一国一城の主に…と夢想している者も決して少なくない。そして、まさに今この瞬間が、「機会」であるかもしれないのだ。
公孫楼はその手合いに対し、釘を刺した。
いや、釘などと言う可愛らしいものではない。先に壊滅した益州方面軍団の残兵は、ほとんど総て北方の前線に駆り出されており、いま成都近辺に駐留するまとまった兵力といえば、彼女の私兵集団「白馬義従」あるのみであった。
――もし南蛮公薨去に乗じて悪変を企図する者があれば、この白馬義従が誅殺せん。
公孫楼は言外にそう宣言している。
文字通り諸将の後ろ首に白刃を突き付けているようなものだ。この静かな恫喝に、明らかに怯んだ色を見せた連中もいる。
と、今まで無音を保っていた都督三州諸軍事・高順が、重々しく口を開いた。
高 順:公孫将軍の言、善し。我も必ず白馬に乗り公家を護り参らせるであろう。
張 遼:同感――。俺もあのお嬢様たちを御護りする。
孟 獲:お、俺も、だ。
筆頭格の三大将が賛同するに及び、みな起立して口々に同意を示し、堂の空気はにわかに活性化したかに見えた。
が――。
不意に、堂へ姿を現した少女たちが、また堂から活気を奪った。
目を真っ赤に腫らした呂刀姫と呂文姫が、呂布の小間使いに付き添われて堂へ入ってきたのだ。
呂刀姫は諸将に一礼をすると、まっすぐに堂を横切り、軍師・陳宮、宰相・張の前で小さく拝跪した。
呂刀姫:…お二方には、急ぎ室までお越し下さいますよう。
押し殺した声が、かえって静寂な堂中に、空虚なほど響いた。
顔面蒼白になる一同の前を、ふたたび呂刀姫は陳宮・張を従えて横切ってゆく。
小間使いの袖にしがみつくようにして、呂文姫もそれについていった。
……沓音が途絶え、堂にまた静謐が訪れる。
高 順:……。
公孫楼:………っ。
覚悟しているとはいえ、彼らにはまだ心構えが出来ていない。
泣きそうな顔の一同、ただ凝と、堂の奥を見つめるだけであった。
やがて――
…………
……
陳 宮:――ぶわはははははははははははっ!
張 :あははははははは……!!
重臣二人の爆笑が奥の間から聞えてきた。
呂刀姫:わ、笑い事じゃありません!
陳 宮:い、いや、失礼。
呂文姫:こ、こんなの父様じゃないよう…。
張 :案外このままでも面白いかも…
悲痛な二姫の声とは対照的に、重臣の声は妙に楽しげであった。
堂に控える一同、ぽかんとした表情で奥の間を見つめる。
陳 宮:…まあ回復には違いない。早速みんなに報告しよう。
呂刀姫:お、お待ちください! この事態を、軍師殿は何とも思われないのですか!?。
陳 宮:大丈夫大丈夫。
どうも状況が掴めず、皆が顔を見合わせているところへ、陳宮と張が戻ってくる。
高 順:と、殿はいかがでござった!?
たちまち一同が二人をとりかこみ、口々に質問を浴びせかけた。
張 :いや、見てもらったらわかるから…。とりあえず、殿の意識は回復した。
張 遼:しかし、今の騒ぎは…。
――と、そのとき。
重々しい靴音が響き、轟然と帳を払って寝衣姿の凄まじい巨体が堂へ押し入ってきた。
みな、呆然としてその巨体の主を見つめた。巨体の主――言うまでもなく南蛮公・呂布は、その容貌が一変していた!
長い髪を頭頂で束ねず、妙にチリチリなドレッドヘアーにして流し、体中からバチバチ静電気を発しながら周囲を睥睨しているのだ。
呂 布:お、俺が、り、呂布だ。
呂刀姫:ち、父上、今更自己紹介しなくても!
呂文姫:どうしちゃったの、父様…っ!?
呂 布:り、竜はひとところに止まらぬ。
呂刀布:会話になってません!
追いすがる二人の娘を振り払うようにして、異形異相の呂布、どっかりと玉座に腰を下ろした。
そしてやおら手近にいた陳宮を「摘み上げて」、有無を言わさず折り畳み始めた。
陳 宮:あだだだだだだだだだだだだだ!。
呂 布:お、俺は、な、長い、ゆ、夢を見た。
陳 宮:なな、何の夢ですかッ!?
呂 布:る、ルービックキューブの、ゆ、夢だ。
パキン、ポキン、とコミカルな音を立てながら、呂布は淡々と陳宮を折り畳み、ついには完全な球形にしてしまった。
無感動な目で作品を一瞥すると、呂布はごろんと陳宮を床へ転がした。
呂 布:り、劉表を、せ、攻める。ち、陳宮、さ、策を言え。
さすがに減らず口をたたく余裕もないらしい陳宮、タコ人間状態のまま、コクコクとうなずいた。
――そこまできて、呂布はようやく、呆然と成り行きを見守っている一同の存在に気づいたようであった。
呂 布:な、何だ。
孟 獲:ほ、本当に、オマエは兄者か…。
呂 布:お、義弟よ。つ、つまらぬ冗談を言えば、お、お前といえど、こ、殺すぞ。
孟 獲:……間違いない。
孟獲の嗅覚と動物的な本能で「確認」された以上、どうやらこの巨人は南蛮公呂布に間違いないということである。だが…。
公孫楼:…キャラが違う。
陳宮を復元しながら公孫楼がつぶやいた。
まさしく彼女の言うとおりで、三ヶ月前までの呂布とは、まるで人が違う。行動パターンも違う。
いったい、無意識の淵にいた数ヶ月の間に、呂布の精神世界で何が起こったのか…?
とりあえず一同を代表して、張が折衷的な推論を口にした。
張 :どこかの軍神でも憑いたんだろう。
一同、おおっ……とやけくそな喚声をあげて、新生呂布を祝福する。
呂文姫:くすん…こんなの父上じゃないよぉ…(T.T)。
呂刀姫:これからどうなるんだろう……。
後世、「南蛮王の大いなる午睡」と呼ばれる長い1年間は、こうして幕を開けたのである。
呂 布:め、めでたい…!
波瀾万丈第五部スタート!ごめんなさい皆さん、いっぺんやってみたかっただけです。まだまだ続く南蛮王呂布の痛快活劇、どうぞお見捨て無くおつきあい下さい~。