38.羌族来襲
羌族来襲
歳の明けたある一日、許から洛陽へ本拠を戻した南蛮王呂布のもとへ、荊州方面の遊軍を束ねる猛将・張燕が挨拶に伺候した。
お互い、相手の演技のまずさを咎めるような顔つきで双方の決め口上を聞いていたが、侍臣らが席を外した途端、がらりと態度を変えた。
呂 布:何だ飛燕。挨拶なんぞに来ても年玉はつかわさんぞ。
張 燕:うるさいな。大事な話に来たんだよ。
張燕は主君を睨み付けると、意外なことを言い出した。
呂 布:――改名する?
張 燕:そうだ。代わりに何か適当にいい名前を考えておいてくれ。
呂 布:画数が悪いとでも言われたか?
張 燕:違う。悟れ。
――要するに新王子に憚りがある、というのである。
新王子の名は燕。そしてまた張燕の名は燕。これはマズイということだ。
貴室の諱を避けるのは当時は当然の風習であり、まして相手は、いずれ屹立することになるであろう南蛮王朝の長子である。張燕としては、当然の配慮であった。
呂 布:ふん、変な気ィ遣うなっての。気味悪いなあ。
張 燕:エライさんと名前かぶってるのは落ち着かん。どうせ今の姓も名も偽名だし。
呂 布:まあ、その件はちょっと待て。…逆に、貴様に頼むつもりの話があったんだが。
張 燕:話?
呂 布:そうだ。実は同名のよしみで、貴様に燕の傅人を頼もうと思ってな。
張 燕:はあ!?
呂 布:もとは胡姫のアイデアだけどな。まあ、いいんじゃねーの?
張 燕:あんたの息子の話だろ!? もうちと真面目なビジョンを持てよ!だいたい、何で俺なんだ!?
呂 布:だから同名のよしみと言っただろう。
呂布は言葉を句切ると、ふうと息をついて付け加えた。
「悟れ」
と。
張燕は長いこと考えていたが、やがてあることに思い至って、愕然とした。
彼が宮室を退去するのは、それから半刻ほどしてからだった。
――呂刀姫率いる3万余の軍勢は、1月中旬に長安へ入った。
これで長安に駐留する西部方面軍は11万に達する。涼雍州諸軍の兵馬を併せれば、彼女の指揮下にある兵力は最大25万というところだろう。
事実上彼女は、呂布・袁紹に次ぐ第三番目の実力者と言うことになる。
長安郊外では、太守の韓遂以下、文武の顕官たちがズラリと並んで出迎えてくれた。
慌てて馬から降りて、礼に応える呂刀姫。互いに道を譲りながら、並んで歩く。
呂刀姫:…さて、現在の状況はどうなっていますか。
韓 遂:非常によくない。間もなくどこかが襲撃を受けますな。
長安太守韓遂は、なかば諦めたような表情で言った。刀姫は顔色を曇らせた。
羌族の活動範囲はきわめて広い。
彼らは涼州・雍州はもちろん、漢中や益州にまで出現し、痛撃を与えてくるのだ。
諸郡を荒らし回る、というのではなく、一城にターゲットを絞って徹底的に破壊しつくし、満足したように引き上げてゆく。それを延々と繰り返すのだから、ほとんどイナゴである。
呂刀姫:防ぐ手段はあるだろうか?
徐 庶:奴らの基本戦術はヒット&アウェイを延々と繰り返す波状攻撃だ。防ぐというより、撃退し続ける、という戦になるだろうな。
張 任:面倒だぞ、それは。
主君と家老二人が深刻な顔で呟きあう後ろで、魏延と張嶷と張虎と廖化が一冊の観光ガイドブックに頭を寄せ合って、あれこれ楽しげに話している。馬岱と関平は、ひそひそと嬉しそうに何かを交換し合っているし、張翼は路傍で寝そべっている犬の前で触ろうかどうしようかと迷っている。
魏 延:――色町と言えば、男は三十になるまで純潔を守れば、魔法使いになれるそうだな。
廖 化:うむ。それがしもそう聞いたことがある。
張 嶷:しかし礼のデフォルトだと男子三十にして嫁を貰うだ。必然的に天下は魔法使いだらけになるのではないのか?
廖 化:それはそれ。きちんと魔法使いを教育する魔法学校があるという話だ。
魏 延:ほう?
廖 化:確か洛陽の銅人の十二本目が入り口になっているらしい。全力で突っ込んでいくと、スルリとすり抜けて、そこには魔法学校行きの木牛が列を成しているとか。
張 虎:本当ですか!?
廖 化:うむ。その魔法学校では「金鰲」と「崑崙」の二つの寮に分かれてだな、お互い魔術の点数を…痛っ!
話の半ばで、廖化がもんどり打って転げ回った。いつの間にか近づいてきた刀姫が、思いっきりすねを蹴り上げたのだ。
慌ててしゃちほこばる一同。
刀姫はものすごい視線で魏延と張嶷を睨み付けると、おびえる張虎の耳をひねり上げて無言で連れ去っていった。
取り残された一同、とりあえず肩をすくめた。
廖 化:…ネタだったんだが。
魏 延:うむ。途中で気づいた。
廖 化:最初で気づけよ。
張 嶷:しかし、どうも大将は、弟を過保護にしすぎるな。張虎のためにもよくない。
魏 延:張虎も可哀想だぞ。アレは可愛がっているつもかもしれんが、本人は結構なプレッシャーなんだよな。
などと一同、緊張感のカケラもない会話を交えつつ政庁へ入る。
「9」になってから、マップ上を輸送部隊や土工部隊がウロウロするのが半リアルタイムで表示されるようになった。comに都市を委任して操作を任せると、そのあたりのことを自動的にやってくれるので、常時マップのどこかを輸送部隊がうろついている。
呂刀姫:我々の使命は、あくまで州と青州攻略だ。いつまでもここには居られない。
張 任:はっ。――しかし、何故今頃になって急に異民族が騒ぎ始めたのでしょう。
張 嶷:噂によれば、東呉では山越が、燕では烏丸が暴れ回ってる様子。どこも同じようなものらしいですが。
呂刀姫:うん。私も不思議に思った。彼らは最近になって急に蜂起したんだ。――軍師、これはどういう事でしょう?
確かに、各地方で異民族が蜂起したのは、ここ数ヶ月の間。すなわち、「9」用のプレイデータ作成が終了し、COMに全操作を任せた時期と一致する。
徐庶は、あっさりと言った。
徐 庶:輸送部隊がウロウロしてるからに決まっているだろう。
呂刀姫:あ。
間の抜けた話だった。
異民族たちが暴れるのは、国内の、それも彼らのテリトリーの周囲で軍団の移動が行われたときである。輸送部隊も建築部隊も、軍団移動と見なされ、異民族を刺激したという判定がなされるのだ。
呂刀姫:盲点だった。王に報告しないと…
徐 庶:ついでに言うと、後方都市が兵を集めすぎだな。すぐにメシが足りなくなる。
呂刀姫:はい。すぐに直轄に戻すよう進言します。
ひとまず、許へ詳報を向かわせると、刀姫は割り当てられた巨館へ入った。
仮住まいのものだが、もう小間使いが完璧に整え終えている。質素にして清雅、剛健。何もかもが呂刀姫好みの館になっていた。あいかわらず人類と思えぬほどに仕事が速い。
小間使:明日は休浴の日です。今夜はごゆっくりなさいませ。
呂刀姫:ありがとう。そうします。
実は刀姫は最近、密かに詩とか賦とかの勉強なぞを始めている。ちょっとそういうのに興味のある年頃なのだ。無論それを知っているのは小間使いだけだ。院子に面した室には、きちんとその用意までされている。
そしてごく最近――胡姫の懐妊が判明した頃から、ほんのちょっとだけ、夜酒もたしなむようになっている。詞藻が胸に湧き出るから、というふうに毎夜小間使いへ説明しているが、実際はどうであろう。
小間使いは、例の美しい顔で「はいはい」と答えて、毎日適量を用意してくれる。
たまに彼女を酌に呼ぶこともあるが、夜空を眺めながら行儀良く飲む酒だった。
刀姫はその日も一人、詩歌のテキストを片手に持ちながら、ぼんやりと夜空を眺めていた。
――――
――
羌族の侵攻がはじまった。
続報が次々と入ってくる。その陣容、羌王自らが率いる2万騎を中核とし、部族単位で1万騎程度の軍団を数個、合計五万余という大軍団だ。侵攻ルートにある邑という邑を略奪し、破壊し、一直線に天水の郡城(冀城?)を目指しているという。
天水には、併せて四万余の軍勢が籠もり、勇将呉班が太守を務めているのだが、これほどの大軍相手では、もはや手も足も出まい。
それらの報を聞き、刀姫は断を下した。
呂刀姫:――出撃する。攻撃目標は天水へ侵攻中の羌軍団!
諸将は一斉に立ち上がり、拱手した
魏 延:交渉の余地はありませんかね。
韓 遂:もう無駄だろうな。金3000くらいが、交渉応接のギリギリのラインだった。
徐 庶:ふむ、国家予算規模だな。王が承知するはずがない。
呂刀姫:呉班将軍らは、すでに1万を城へ残して出撃しています。事態は一刻を争います。
呂刀姫は、皆を急かすように軍議を打ち切ると、続々と軍勢を進発させた。
魏延や張翼ら青年将校たちは、経験が浅く、位階が低いため、1万の軍を率いるのがやっとだ。軍主力は刀姫の3万と、韓遂、楊秋、張任らベテランの大部隊が務めることになる。その数、およそ9万。
戦略フェーズが終わった途端、いっせいに各勢力のユニットが動き出す。
長安を進発した刀姫らの救援軍が天水を視野におさめるよりも速く、羌軍団が続々と交戦状態に入ったとの報せが届いた。刀姫、唇を噛む。
――呉班軍は、文字通り羌軍に飲み込まれた。
羌武将先鋒が挨拶代わりの突撃で軽く2000ほどの打撃を与えるや、次から次へと、騎射だの突撃だのと高ダメージの兵法が発動し、許靖軍や馮習軍などはひとたまりもなく蹴散らされた。
羌軍は成宜や馬玩などにも容赦なく襲いかかり、戦線はみるみるうちに破綻してゆく。
実に長いターン待ちが終わり、翌フェーズ、ようやく戦場へ刀姫たちが姿を現す。
が、彼女らの目前の光景は惨憺たるものだった。
もはや戦場に生き残っている南蛮軍は、呉班軍と成宜軍のごく一部のみ。あたりは南蛮の兵馬が累々と積み上がり、祁山を望むこの荒野で、ほとんど一方的な戦闘が行われたのは明らかであった。
が、天水城は、先発していたらしい羌族武将の攻囲を受けつつも、健在である。
天水にほど近い西平から急行した馬休軍10000が冀城の守備に加わり、兵力はどうにか1万台まで回復していた。
呂刀姫:――間に合った! 全軍! 戦闘用意っ!
猛烈な射撃と落石で抵抗を続ける天水城を遠望しつつ、呂刀姫率いる軍団は、無防備な羌軍の後輩へ一斉に襲いかかった。
韓 遂:遠慮するな!突撃じゃ!
羌武将:突撃!突撃!
双方、いきなり突撃を敢行し、数千単位の兵士の生命が一瞬で消し飛ぶ。
その側方を駆け抜けた魏延、張嶷といった若き勇将たちが、馬岱、廖化などの先輩に後続し、相次いで槍をつけた。
羌軍は、あざやかに騎首をかえし、整然と迎撃してくる。
画面中を、立ちのぼる砂塵と武将のセリフが埋め尽くし、見づらい事この上ない。
そんな横を、何処へ向かっているのか劉?らの輸送部隊がおっとりと通過しようとして巻き込まれ、潰走してゆく。
廖 化:ズルくせえ! 兵法戦になったら、絶対、数少ない方が得だ!
廖化が今さらながら毒づくように、兵法発動は兵力の多寡にそれほど左右されず、効果もさほど変わらない。極端な話、たった500騎の突撃で、敵数万騎に3000近い打撃を与えることも可能なのだ。
両軍とも一進一退を続けるまま、再びターンが変わり、二月。
戦場に羌族の大王が到着した。
天水近郊は、もはや泥沼の戦場と化していた。
魏延は立て続けに二人の羌族武将を一騎討ちで討ち取り、戦場の一角をなおも支配して続けていたが、他の戦線は、底なしの消耗戦に疲弊している。
こちらが潰走させたぶんだけ、羌の本拠地から続々と新手が出撃し、もはや手に負えないのだ。
最初に戦場に到着し、ギリギリまで戦い続けた韓遂の軍は、羌大王の軍団に鎧袖一触に蹴散らされた。他の南蛮軍も次々と士気低下で後退してゆくなか、ゴキブリの如く次々出現する羌軍の新手は、びっしりと天水城にとりつき、またたくまにその守備兵力を削り取ってゆく。
戦況不利と見た漢中太守の張魯が、天水に向けて補充兵力を回送してくれるのは有難いが、もはや接近することすらままならぬ状況であった。
張嶷軍も、廖化軍も、すでに全滅し、主将の行方は杳として知れない
激闘、一月余。
満身、戦塵と泥濘と血漿にまみれ、振り乱した髪をそのままに、刀姫は白煙に包まれる天水城を呆然と見つめていた。
まだ、城には一千あまりもの兵士が残っている。今日か明日には、味方の大軍が駆けつけて援けてくれる――そう信じて、絶望的な抵抗を続けている。
…味方の大軍!
長安を進発したとき、確かに九万を数えた彼女の軍団は、いま全てを掻き集めても、二万に満たぬ。
そしてその悉くは、戦力になりもしない傷病兵ばかりであった。
韓遂はどこへいった? 張嶷は? 廖化は? 呉懿は? 呉班は?
刀姫は、ここに居るはずもない将星の顔を求めて、左右を顧みた。
徐 庶:…我が主よ。ここは退かれよ。無念だが勝敗は決した。
自らも傷を負った徐庶が、張虎に肩を抱えられつつ、進言した。――現実にあるのは、もはやこの2人の姿だけであった。
徐 庶:いちど長安へ戻り、戦力を蓄え、復讐戦を挑めばよろしい。要は次だ。次に勝てばいい。
呂刀姫:…次とかじゃなくて……今まだ…味方が残っているのに……
徐 庶:……。
放心状態で、天水城を見つめている呂刀姫。
徐庶はなお強く諫めようとして、唖然なった。刀姫の様子に異変を見たのだ。――意識の崩壊を防ぐための退行がはじまったのだろう、幼女のように細い肩をすくめ、足を小刻みに踏みしめていた。
呂刀姫:……まだ…残ってるのに……
天水の城壁に、所々破れながらもなお翻っている南蛮の旌旗を、刀姫は見つめていたのだ。それは刀姫を信じ、呂布を信じ、彼らの愛する家族を守るために戦い続ける、彼女の兵士たちの象徴だった。
刀姫は、彼らを最後の最後まで護らなければならないはずだった。
彼らが全滅したとき。天水の城壁が毀たれたとき。
刀姫を信じて激戦に堪え続けてきた無力な老若男女は、鉄騎の馬蹄の下に蹂躙される。略奪、誘拐、あるいは虐殺もあるだろう。
それは総帥である呂刀姫が、無力で無策だったからだ。
細い嗚咽が漏れた。しばらくの間、誰もどうすることも出来ず、凝と下を見るしかなかった。
――が、ここまで追いつめられもなお、彼女は呂布の娘であることを放棄しなかった。彼女は最高指揮官としての責務を果たそうとした。
初めて人に見せる涙を横なぐりに拭い棄てると、刀姫は声を振り絞って命じた。
呂刀姫:全軍後退! 長安で軍団を再編成する!
徐 庶:はっ――!
呂刀姫:張虎! 後拒の指揮を任せる!
張 虎:はい!
薄汚れた深紅の戦袍をひるがえして、彼女は逃げるように踵を返した。
煙に包まれ、刀姫を信じてなお激しく抵抗を続ける天水城を見捨てて、呂刀姫の本軍は撤退を開始した。
建安十六年、二月下旬。
天水郡は事実上、放棄された。
そしてこの後、徹底的に破壊されて廃墟と化したこの城に、ふたたび南蛮の旌旗が翻るまで、一年の歳月を必要とするのである。