プレ第5部   小間使いの一日

プレ第5部   小間使いの一日

 

 

 朝、一番鶏が鳴くのと同時に、私の一日は始まります。

 まず牀を降りて院子(中庭)に出て、手水で手を洗い、口を漱ぎます。

「忠吉さん、おはよー」

 忠吉さんが起きてきました。ゆっくりと尻尾を振ってよってきます。頭を撫でてあげたいけど、いま手を洗ったから、ちょっと触れません。忠吉さんはわかっているのか、少し離れたところに座りました。

 もち粟のとぎ汁で顔をあらい、象牙の櫛で髪を整えます(私は卑女だけど、呂布様がこの櫛を使っていいと仰ってくださいました)。昨日髪を洗ったばかりだから、すっきりと櫛が通ります。次の洗髪日は二日後、入浴日は三日後です。

 部屋に戻って衣服を着替え、呂布様を起こしにゆきます。

 昨日は随分と早くからお休みだったようで、もう起きて肉食動物みたいに顔を洗っている最中でした。

「おはようございます!」

「ん゛ー」

 呂布様は今日が洗髪日なので、洗顔の後に黍のとぎ汁で頭を洗います。

 洗った後は、やっぱり動物みたいにブルブルと首を振って水を切っています。私は服を替えたばかりなのに…、と思いましたけど、本人は全く気にしてくれません。  

 水気を切った後、白木の櫛で呂布様の髪を梳きます。変に縮れているから梳きづらいです。

 でもなんとか髻をまとめて、絹の紐で結って、冠を乗せ、顎紐を結んで出来上がりです。頂冠は普通は自分でやる事なのに…呂布様はちょっとルーズすぎます。

 

 次にお食事の支度です。呂布様は、朝は御飯派の人なので、あらためてちょっとの米を蒸し、そのあいだに野菜の羹や、脂膏でコクを出した黍を煮付け、お膳を整えます。

 少し二日酔いだそうなので、迎えのお酒も用意します。 

 呂布様は、食事中は手に取っている椀しか目に映らないタイプの人で、確実に一品ずつ片づけてゆきます。ちゃんと「三角食べ」をしたほうが胃のためにいいと思います。

 本来なら呂布様が食べ終わったあとに、残ったものを頂くのですけど、最近は次の間で一緒に食べるよう言われています。隣で待たれていると、なんだか落ち着かないらしいです。何となく解りますけど、王侯の言うことではないような気もします。

「じゃ、行って来る」

「行ってらっしゃいませー!」

 呂布様は歩いてお城まで登庁します。徒歩五分ですから、朝の運動になるそうです。

 呂布様を送り出した後、私も忠吉さんの散歩です。

 忠吉さんは、身体は大きいけど大人しくて優しい犬です。みんな可愛がって頭を撫でてくれます。最近はちょっと涼しくなったから、忠吉さんも嬉しそうです。

 兵屯所や練兵所を見て、酒場で呂布様の好きなお酒を買って、市場でちょっと買い出しして帰ります。

 市場には、たまに綺麗な鏡とか、櫛とか、琴とか、びっくりするくらい贅沢なものが売ってあります。ひとつで、家が一軒買えるくらいの高価品です!

 実は、ほんのちょっぴりですけど、欲しいなあ、と思うこともあります。

 

 家に帰って、お掃除と洗濯です。綺麗になるから、どちらも大好きです。

 洗濯は灰汁水を使います。呂布様は、結構体臭がきつい方ですから、まめなお洗濯が必要なのです。忠吉さんはずっと隣で見ています。

 掃除は、基本的に掃いた後、濡れ拭きです。お屋敷は広いので、けっこう時間と体力がいるかもです。

 

 お掃除も佳境に入ったとき、屋敷のなかに突然元気な男の子が入ってきました。

「忠吉さん、遊ぼーっ!」

 声を掛けるより前に、忠吉さんの背中に飛び乗ってます。男の子は小柄ですけど、勢いつけて飛び乗ったから、忠吉さんは迷惑そうです。

 止めるべきか、というより咎めるべきか、迷っているところ、

「こらっ! 虎っ! またここに来て!」

 と、道ばたで凄い声がして、男の子は忠吉さんの反対側に転げ落ちました。

 見ると、呂布様のご息女、刀姫さまです。きりっと髪を一つくくりに結い上げ、見るからに気の強そうな女の子です。 

「どうも、ご迷惑をおかけしました」

 刀姫さまは、私にも礼儀正しく一礼して、男の子の耳をつまみ上げて出てゆきました。

 …そういえば、呂布様はお子様の傅育を高順将軍に一任されたついでに、張遼将軍のご子息も一緒に預けられたと、聞いたことがあります。

 ということは、あの男の子は張虎さまです! まだ妹の文姫様くらいの背丈しかない、小さな子ですけど、呂布様が仰るには、将来使える、ということらしいです。

 なんだか微笑ましいです。

 ……そうこうしているうちに、お昼が過ぎ、夕方になってしまいました。

 一日二食なので、もう晩ご飯の支度をしないといけません。

 

 釜戸に火をおこして、黍のお粥の味付けにつかう棗の実を潰していると、呂布様が帰ってきました。開口一番、

「今夜酒宴やるからなーっ!」

 いきなりです。呂布様のお話では、最近お味方になった方々を、屋敷へ招くと言うことらしいです。予定変更、近所のおばさまたちにお願いして、宴席の支度を手伝って貰うことになりました。

「ただ相性悪い連中だからな…。」

 呂布様は、何故か不安気です。夜に招待すると言うことで、呂布様はそれまでのあいだ忠吉さんの散歩に出かけてゆきました。

 わたしは今日買ったばかりの酒壷を開けて、湯煎の準備を始めます。ついでに予備の釜戸に火を入れて、お隣の奥様が下さった梅の実を煮ることにしました。

 

 いい匂いが屋敷に漂いはじめた頃、呂布様と忠吉さんが帰ってきました。

「なんか忠吉さんが、公園で小さな女の子に懐かれてなー。引っぺがすのに苦労したぞ」

「まあー」

「もうえらい勢いで泣かれてな。兄貴っぽい男が手を引いて帰ってったけど、ちょっと可哀想だったかもな」

「そんなに懐いたのなら、明日も公園で会えるかも知れませんねー」

「それならいいけどな…」

 呂布様とお話ししながら、宴席の用意を調えます。七人ぶんの席を整えて、料理の盛りつけもして、あとは待つだけです。

「…………。」

「…………。」

「…………。」

「………。」

 

 …………

 …………

 いつまで経っても、誰も来ません。

 呂布様は不安げな顔でどうしたんだろ、と言っています。

 それからだいぶ待ったあとで、やっと一人来られました。……と思ったら、それは使者の方で、

「本日は気分がすぐれぬ故、欠席いたします」

 という言づてだけを置いて帰りました。

 それが、何度も…。

 そのたびに呂布様に報告するのですけど、お伝えするごとに、どんどん寂しそうなお顔になっていきます…。

 

 結局、この晩に招待した方々は、誰も来られませんでした……。

 相性悪いからな、と、呂布様は平然とした顔で仰いますけど、内心、かなり傷付いてらっしゃるかもしれません。

 一人、ぽつんと宴席に座ったままの呂布様を残して、私は部屋に戻りました。

 紙燭を灯すと、こっそりと手紙を書きます。私はこう見えても、幼い頃に父様に学んで、字がかけるんです! えへん。

 それをそっと忠吉さんに渡しました。忠吉さんの白い後ろ姿は、一目散に夜の街に消えてゆきました。

 

「…………。」

 ちびりちびりとお酒を舐めている呂布様のもとへ、急に陳宮さま、公孫楼さま、孟獲さま、劉循さまが遊びに来られました。

 四人とも、素知らぬ顔でそれぞれみやげ物と瓶を携えてらっしゃいます。

 呂布様はパっと明るくなって、はしゃぎ出しました。

 私も次々用事を言いつけられるので、大忙しです。いつも通りに大騒ぎになり、夜もどっぷり更けた頃に、皆様も帰られました。

 

 呂布様は、まだ起きて、お酒をちびちび飲んでらっしゃいました。そっと他の席を片づけて退室しようとすると、無言で手招きされました。

「ん――」

 横に回ってお酌しようとすると、なみなみと注がれた盃を突きつけられました。

「まあ、飲め」

「で、でも…」

「寛容な俺様が許す。飲め」

 私は、頑張って、飲みました。

 おいしい…んだと思いますけど、飲んだとき、こう、喉がうえっとなるのが、あまり好きじゃないです。呂布様は私の様子をみてゲラゲラ笑ってます。もう一杯、飲まされました。なんか、身体がフワフワする気がします…

 

 

 …………。

 ………。

 は、っと気がついたときには、自分の牀のうえに寝かされていました。

 新しい紙燭が燃えていて、部屋はほんのりと薄明るかったです。

 私は、あわてて飛び起きると、院子を見ました。まだ夜中のようです。

「…………。」

 私は夜着に着替え、簪を抜いて髻を解き、あらためて寝る支度をしました。

 

 ――寝る前に、亡くなったお父様とお母様が遺してくださった「御守り」に一礼をします。それは、壁に架けてあります。

 襤褸の絹の袋に包まれた、長い形の御守りです。どんなに困窮しても、絶対に手放さなかった大事な御守りです。

(……お父様、お母様、私はいま幸せです。どうか御安心ください)

 そうお祈りして、また一礼すると、こんどは本当に牀に横になります。

 今日も、いい夢が見れるような気がします。

 それでは、お休みなさい。……