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285 名前:雪月華:2003/05/23(金) 12:15
広宗の女神 第二部・広宗協奏曲 第三章 広宗の笑劇

「どうも戦局が思わしくないわねっ☆」
「士気の低下速度が異常です。張角の『天使声』…予想以上の効き目のようですね。あれを止めなければ勝利は無いでしょうから、張角に対して刺…」
「董卓ちゃん、いいこと閃いちゃった☆」
「いきなり何です?」
献策を遮られた不満をおくびにも出さず、李儒は頭上に豆電球を点灯させた董卓に聞き返した。
「歌には歌で対抗するのよ☆董卓ちゃんのミラクル★ボイスで黄色い賊徒を正気に戻してあげるわ☆」
やめておいたほうが、と言いかけ、李儒は口をつぐんだ。こうなっては、もうこの主人を止めることはできない。作戦全体の変更もやむをえないだろう。
もともと、この作戦は張角が前線に出てこない、という前提で立てたものである。その誤算が想定以上にこちらを不利にするものならば、董卓にもまだ進言していない、次善の作戦に移らねばならない。董卓の兵力を減らさず、「生徒会の」兵力をできるだけ削ぐ。そのためには…
一瞬のうちにそこまで計算し、さりげなく、李儒は董卓の傍を離れた。
「ハイ、ミュージックスタート!」
カセットデッキを持った一年生がテープを差し込み、再生ボタンを押した。
♪さぁけはのぉ〜め、のぉ〜め、のぉむならば〜、ひぃ〜の…
ぼこおん、と音がして、董卓の熊と見まがう逞しい右腕で、後頭部を強打された一年生は、上半身を地面に突っ込んだ。
「間違えないでよ!何が悲しくて黒田節を歌わなきゃならないのっ!こっちでしょ!」
董卓は毒々しいピンク色のテープを取り出すと、デッキに差込み、再生ボタンを押した。聞いていて恥ずかしくなるような、なつかしの少女アニメ主題歌が流れ出す。
「おほほほほほ!董卓ちゃんの18番!名作アニメソングメドレー50連発よ!イッツ☆ショーターイム☆」
♪西涼校区からやぁ〜ってきた♪とぉって〜もチャームな女の子♪仲頴〜♪仲頴〜♪
呆れたことに全編替え歌である。ボリュームを最大限にひねった董卓は、伝令用の拡声器を片手に、嵐のような振り付けとともに歌い始めた。
魔界のリサイタルが、広宗の野において開演された。

それよりほんの少し前、董卓直属の兵100人の中核部分において。
「華雄」
「おう軍師殿じゃないか。いよいよ突撃か?」
灰色熊のきぐるみを身にまとい、イライラと歩き回っていた華雄は、話し掛けてきたメイドに歩み寄った。歩み寄るというより、いきりたって掴みかかるという勢いであり、並の軍師なら、たとえ撤退を指示すべきでも震え上がって相手の意を肯んじたかも知れない。しかし、李儒は「並の軍師」ではなかった。
「撤退します。準備をはじめてください。…この手は何です?痛いのですが」
「一戦も交えんうちにか?少し消極的に過ぎるんじゃ…あだだだだ!」
胸倉を掴んだ華雄の右手の親指を掴むと、李儒は外側に捻った。苦痛のうめきと共に手を離した華雄を、何事も無かったかのように見据え、言葉を続ける。
「董卓様の御命令です。私としても不満ですが、不服従は許されません」
「だが、あの混戦を収拾するのは容易ではない。少なくとも半数は犠牲に…」
「その心配は無用です。撤退するのは、我々100名のみですから」
「何だと!?」
「張角が前線に出た時点で、こちらの「完勝」の可能性は消えました。この100で混戦を迂回して突撃すれば、あるいは勝てるかもしれませんが、犠牲も大きくなります」
「しかし、450名を見捨てるとは…」
「何を躊躇う必要があるのですか?別に、450人は『董卓様の』兵というわけではないのですよ。後日、洛陽棟に軍事の真空状態を作るため、追撃を防ぐ盾として、できるだけ飛ばされてもらう事を期待しているのですが」
「貴様…これは本当に董卓様の命令なのだろうな?」
「疑うのですか?董卓様自ら、しんがりを買って出ているというのに」
「董卓様自ら?危険ではないのか」
「黄巾党如きが、あのお方を飛ばせると本気で思っているのですか?」
「…わかった。撤退の準備をさせる」
董卓の名前を出されては逆らうわけにはいかず、華雄は撤退の準備を始めた。機会音声のような李儒の言葉が、華雄をさらに急がせる事になった。
「まもなく、董卓様の『あれ』が始まります。可能な限り、急いでください」
代名詞を出されただけで、華雄は事態を悟った。

♪いやよ☆いやよ☆いやよ見つめちゃいや〜☆仲頴フラッシュ!
新たに湧き起こった歌声が、夢見心地だった皇甫嵩たちの気分を粉砕した。
「な、なんだ、この声は?雷鳴か?」
「せっかくいい気分だったのにー!思いっきりぶち壊してくれるじゃないの」
「頭痛が…なあ、公偉。好きこそ物の上手なれ、という教育論の肯定例と否定例の両極端が目の前で展開されているようだな」
「さ、流石に黄巾の連中にも効いているようね」
このとき、潮が引くように整然と、董卓配下100名は戦場を離脱し始めている。だが、董卓の歌で失調していた二人は、不覚にもそのことに気がつかなかった。もっとも、気づいていても、どうしようもなかった事は確かであるが。

♪笑って〜笑って〜笑って仲頴〜
朱儁の指摘したとおり、黄巾党の勢いが目に見えて鈍った。戦闘行為を中断して、耳を塞ぐ者が続出する。だが、耳を塞げば武器を持っていることができなくなるので、耐えながら戦うしかない。一方、張角の加護を得られない分だけ、生徒会正規軍の被害はそれを上回っていた。蒼白な顔をし、胸を押さえ、貧血を起こして次々に膝をつく。空を飛んでいた鳥が次々と気絶し、地面に落下していく。1年生の中には泣き出す者もいた。いまや最悪の音響兵器と化した董卓には、それらの姿はまったく見えていない。張角の天使声と董卓のミラクルボイスに挟み撃ちにされ、戦場は奇妙な膠着状態に陥り始めた。
すでに董卓直属の100人は、華雄の指揮で戦場を完全に離脱し、いっさんに鉅鹿棟を目指していた。残された生徒会軍は、もはや人類史上最悪の音響兵器と化した董卓と、不幸な正規兵450人のみである。
董卓のミラクルボイスにより、深刻な精神的ダメージを受けた黄巾党が、救いを求めるように張角に視線を集中させた。曲の節目に来たため、張角が言葉を切る。次いで、それまで閉じられていた両目がゆっくりと開き始めた。
開かれた張角の色の異なる両目に、神秘的な輝きが踊っていた。夕日を照り返してのことではない。張角の目、それ自体が光を放っているのだ。董卓を除く、戦場にいた全員がその神秘的な光景に一時、目を奪われた。
奇妙な事に、いつのまにか風向きが変わっていた。北から吹いていた風が、東から西へ、つまり張角の背後から生徒会軍に向けて吹き始めていた。国旗掲揚台に掲げられた学園旗のなびきでそれがわかる。
張角が沈み行く夕日に両手を掲げ、声を発した。
「Hort!(※聞け!)」
広宗自然公園に衝撃が走り、戦場の空気は一変した。

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