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■ 三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆

1 名前::2002/10/26(土) 22:31

japan[関東] 投稿日:2000年12月17日 (日) 01時09分16秒 

こんばんは。高宮様のHPからリンクをたどって
お邪魔させていただきました。
光栄ゲームへの叫びや蒼天航路の人物事典といった
三国迷心(?)をくすぐるコーナーばかりで
とっても楽しみです。

どマイナー人物評OKということなので一つ、
私の最愛の武将は陳泰字は玄伯です。
父・陳羣、母の父・荀イクという超良血にもかかわらず
ローカルで渋く活躍する姿がたまりません。
他にもトウ艾・王経・諸葛セン…と三国末期の武将にばかり
目がいってしまう、どちらかといえば少数派の三国迷ですが、
宜しくお願いいたします。

82 名前::2002/10/30(水) 23:37
ぐっこ     2001年11月23日金曜日 20時57分

とりあえず現在のところ、

曹操=23区
司馬懿=横浜
郭嘉=さいたま
許楮=千葉
夏侯惇=仙台(隻眼=政宗)
夏侯淵=札幌
荀掾$崎
荀攸=新潟

孫権=名古屋
周瑜=浜松
陸孫=静岡
太史慈=金沢
黄蓋=四日市
甘寧=清水
魯粛=豊田
孫堅=岐阜
孫策=岡崎
呂蒙=豊橋

劉備=大阪市
諸葛亮=京都
関羽=神戸
張飛=広島
趙雲=福岡
黄忠=奈良(爺)
馬超=北九州
魏延=岡山(反骨)
馬謖=大津(京都に斬)
馬良=彦根
馬玩=大垣
ほう統=堺(昔京都の学友)
阿斗様=東大阪
張角=盛岡(宗教電波)
張宝=コリャマー
張梁=青森

猛獲=鹿児島(南蛮)
卑弥呼=沖縄(邪馬台国)

という状況(;^_^A ほんとうにアットランダムだな〜

83 名前::2002/10/30(水) 23:37

左平(仮名) 2001年11月23日金曜日 23時41分

張飛=広島、魏延=岡山というのは市なのか県なのか。市ですと、私の居所はその中間くらいなので、蜀の誰かに当てはまるという事になるのでしょうが、、。「鉄板」というものにイメ−ジが合う蜀の武将って、誰かいますか(私の住む市にある城は、かつて鉄板を貼っていたとか)?

84 名前::2002/10/30(水) 23:37

ぐっこ     2001年11月25日日曜日 21時47分

蜀の鉄板武将!?

……どうも後期のメンバーに目がいってしまいますよねえ…。ふつうなら趙雲あたりなんでしょうけど、何故か福岡になってるから…。
呉懿…?(;^_^A 張翼…あたりが鉄板かな〜
(どこの市でしょう(;^_^A)

85 名前::2002/10/30(水) 23:38

左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 00時00分

、、、すみません、ちょっともったいつけてしまった様で、、。私が住んでいるのは、広島県福山市(その市内のどこか、まではご勘弁を)です。
福山城(確か鉄覆山久松城ともいった様な)の天守閣は昭和20年に空襲で焼けましたが、それ以前は北側に(大砲の弾に対応すべく)鉄板を貼っていたと聞いた事があります。天守閣は福山駅の新幹線ホ−ムからよく見えます。駅と城との距離がとても近いです(駅の北口を出ると、道路一本隔てて、すぐ目の前に城の石垣があります)。
ちなみに、福山藩の祖は水野勝成(みずのかつなり)といい、徳川家康の親戚にあたります。彼は、猛将として知られ、「鬼日向(おにひゅうが:日向守であった事からこう呼ばれた)」と恐れられたとか。

86 名前::2002/10/30(水) 23:38

玉川雄一     2001年11月26日月曜日 01時29分

福山にお住まいでいらっしゃいますか!
水野勝成、家康の従兄弟でしたっけ。(何故か)好きなんです。
ハランバンジョーの人生を送っていますよね。

ちなみに私は千葉の市原です。ですから厳密には許チョではないんですよね。
この辺は戦国時代にはちんまい勢力の支配地域で、また大藩はなかったようです。お城も残ってやしません。
ですが、お隣の大多喜には本多忠勝がいたことがあります。その後伊勢の桑名に移ってしまいましたが(^_^;)
そこには「十万石饅頭」という凄いんだか凄くないんだか微妙な(笑)銘菓があるそうです。

87 名前::2002/10/30(水) 23:43

左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 20時53分

>玉川さん
水野勝成卿の事をご存知でしたか。実は、福山藩も石高十万石なんですよ〜。
水野氏ときて、ふっと思い出したのですが、関東(徳川氏の勢力圏)=魏ってな感じになっている、という事は、、。福山=魏の誰かって事になりそうです(広島−浅野氏、岡山−池田氏、山口−毛利氏、徳島−蜂須賀氏、高知−山内氏など、周囲は全て外様という中、福山は常に譜代の家が封ぜられています)。
猛将・水野勝成が祖となれば、さしずめ曹仁あたりでしょうか(って、ちょっと地元びいきかな、、)。

88 名前::2002/10/30(水) 23:43

ぐっこ     2001年11月26日月曜日 23時03分

うを!いつのまにか戦国スレッドに( ̄□ ̄;)

う〜、私の家の近所…ではないけど、わりと近くに秀吉ゆかりの史跡がチラホラ…。
どうもあのスレッドは戦国とかじゃなく、純粋な土地柄フィーリングですので、徳川に拘る必要も…(;^_^A
ただ、みんな飽きてしまったのか、スレッド自体が間もなく倉庫入りしそうです…。

89 名前::2002/10/30(水) 23:43

松竹梅     2001年11月27日火曜日 05時04分

>玉川さん
「十万石」ってホテルがあるの、大多喜でしたっけ?

房総半島に旅行に行ったとき、そのホテルのパンフ見て
「十分の一なのかよ」と三村突っ込みしてました。
ほら、加賀に百万石ってホテルがあるじゃないですか…

90 名前::2002/10/30(水) 23:44

左平(仮名) 2001年11月29日木曜日 22時34分

>加賀に百万石ってホテルが〜
初任者研修(もう採用から約一年経ってるっちゅうのに、、)の帰り、広島市内を歩いていると、「百万石」という焼肉屋が。すぐ通り過ぎたのでよく見ていないのですが、確かそういう看板でした。
何か関係があるのでしょうか(ちなみに、広島藩は約40万石なので、地元資本とは考えにくいです)。

91 名前::2002/10/30(水) 23:44

中根東竜 

どうもこんばんは。ご無沙汰してます。
ちょっと前にここで評判になった『新唐書』宰相姓系表ですが、
『三国志』に関連する部分をウチのサイトで日本語訳し始めました。
今んとこは姜氏・賈氏・関氏・曹氏の系図を訳したところです。
(賈氏は以上に長いのでまだ半分もやっていない)
上のURLから飛べますので、まあお暇なときでも見て下さいな。

なにか宣伝で終わるのも何なので、レスもして帰ります。

>ぐっこさん

三国志研究要覧に挙がっている論文すべてに目を通された
学者さんはいたら凄いと思いますよ(^^;)

普通の学者が読まない道教の論文まで網羅してますから、アレ。
尚、僕が読んだのは廬弼『三国志集解』に収録される以前の、
元になった学者の注釈です。でも今考えてみると銭大キン先生の
書いた有名な注、(の序文。弟の書いた『三国志弁疑』の序)
「魏の人は呉と蜀があるのを知らなかった」という部分、
きちんと読めていませんでした。最近になって勘違いに気づいたり
しているので、まだまだです。
まあこういうのも、歴代の裴注以外の主要な注は高島俊男氏の
『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)で訳されているので、
まあそれを見ればある程度済む話なんですけどね・・
銭先生の文も、この本に訳があります。

92 名前::2002/10/30(水) 23:45

ぐっこ     2001年11月25日日曜日 21時44分

拝見いたしました!!
黒竜様が「新唐書」から掘り起こしてこられた、微妙にうさんくさい宰相家系図の詳細解説ですね〜(;^_^A 
まずは翻訳ご苦労様ですm(__)m 私はソースが日本のものばかりですので、本格中国史のサイトを見るとひたすら感心するばかり…。
なるほど唐代では、正史三國志を見ることが無かったんですね…。だからああいううさんくさい家系図が量産されると…。もっとも正史を見ないであれだけ作れるのだから、案外本物も混ざってるかも…。珠玉混合の世界ですなあ〜(;^_^A

 >三國志研究要覧
たしかに各ジャンルでそろってますから、かなり派手なファール論文もヒットしてるのでしょう(;^_^A
学術論文は存在も所在も分りづらいですから、ああいう一覧があると「凄いなあ」と思います。
あ、その「三国志きらめく群像」、まだ持ってません! そうだ、何か買わなきゃと思ってたの、それだったんだ(;^_^A 三國志集解が手に入らない今、「注釈書としては現在望みうる最高の文献」と銘打たれる(?)同書を買わない手はない!

93 名前::2002/10/30(水) 23:45

松竹梅     2001年11月26日月曜日 07時43分

中根さん、はじめまして(かな?)
今ページを拝見させていただきました。
唐代においてあまり正史が読まれていないことを聞いてビックリしました。南北朝時代の人は董卓の悪行も劉備が壇渓を越えたエピソードも知ってた(『洛陽伽藍記』より)はずなんだけどなぁ…と思いをめぐらせて見たり。

>道教の論文
今では改善しつつあるようですが、
史学者の中で、道教の研究を意識的に避けるような風潮があったとか。
最近では道教研究もずいぶんメジャーになり、そういうのも薄れたようですが。

>「三国志きらめく群像」
えらい詳しい本ですよね、あれ。
三国迷なら一冊持っていて惜しくない本です。
ただなんというか、あれだけ詳しい事を書いていらっしゃるのに、高島先生ったら州刺史と州牧の区別がついてなかったりとお茶目です。
文庫版出版の際に誰か指摘してあげなかったんでしょうか

94 名前::2002/10/30(水) 23:45

左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 21時05分

三国志からだいぶそれてしまいますが、、思いがけず、先生方の誤記(誤植?)を発見してしまいました。ちくまの「正史 三国志 7」の240ぺ−ジ(張温伝)に、趙文子(趙武)が屈建にむかって随会(=士会)を賞賛した、というくだりがあるのですが、そこの記述が、随会(范文子)となっているのです。「韓非子」では、范文子となっているのは子の士燮で、士会は范武子です。
宮城谷作品を知らない人には、士会はマイナ−かも知れませんが、これはちょっと、、。

95 名前::2002/10/30(水) 23:46

ぐっこ     2001年11月26日月曜日 23時08分

 >道教の研究
なるほど〜…やっぱりそういう風潮はありましたか〜。じつは「古代中国の性」とかいう本が手元にあるんですけど、これを書かれたのはイギリスの方。中国では御法度だったとか…。
だたしこの方、誤訳というか勘違い多いです(;^_^A やっぱり漢字はキツイか…。

 >士会
なるほど〜。翻訳段階でつく注釈でミスが(;^_^A
本当は士会を誉めているのに、間違って息子が誉められたことに。まあ、沙中の回廊読むまで、私も士会の存在知らなかったですけど…意外なところでお茶目が(;^_^A

96 名前::2002/10/30(水) 23:47

黒竜 2001年11月27日火曜日 00時15分

筑摩正史は索引も油断なりませんしね。
ときどき同名異人を一人の人物として扱ってたりしますから…

それはさておき中根さん、わざわざ名前を出していただいて有り難うございます。
偶然見つけただけなのでかえって恐縮です。
もっとも本屋にとっては三回も立ち読みに来た迷惑な客だってでしょうが…

97 名前::2002/10/30(水) 23:47

ぐっこ     2001年11月27日火曜日 22時43分

↑張超はその最たる例でしたね〜(;^_^A
いつまでもちくまマンセーとばかり言ってられない、というところなんでしょうけど、現実問題として完訳を出されてるのはちくまさんだけだから、読者の方が気を付けて読まなければ、というところでしょうか〜。

いまのところ、翻訳段階のミス(誤植)としては、顧雍の年齢。
陳寿の計算ミスとしては、凌統の年齢。
「議論の余地あり」が黄蓋の没年。

う〜ん、いま旧三国迷の掲示板を久々に読み返してましたが、今更ながら凄いなあ…。
はやくあのときの有意義な議論をまとめてアップしないと…。

98 名前::2002/10/30(水) 23:47

松竹梅     2001年11月27日火曜日 23時36分

とりあえず、ちくまの誤植問題については、
どこかのサイトで正誤表を作ったほうがいいかもしれないですね
(うちでもいいんだけど、集客力を考えると…)

昔どこかのサイトで、そんなことをやっていたところがあったような…

99 名前::2002/10/30(水) 23:48

ぐっこ     2001年11月28日水曜日 22時21分

ちくまの正誤表!!
これは欲しいですねえ〜! あれば…無ければ……。
りゅうぜんずも、フロート掲示板導入によって、あらたな三国迷の交差点になるかも! ひとつ「間違い探しスレッド」を造られてみては!?
うまくいけば無限増殖しますよ〜(^_^)
是非その曉には、ここでも参照させてくださいませ〜m(__)m

100 名前::2002/10/30(水) 23:48

japan  2001年11月29日木曜日 02時09分

>筑摩正史は索引も油断なりませんしね。
>ときどき同名異人を一人の人物として扱ってたりしますから…

『魏書』武帝紀(ちくま文庫の1巻P114)に登場する長楽衛尉・陳イ(示+韋)という人について調べようとしたら、同名の揚州刺史しか索引に載っていませんでした。
もし長楽衛尉の方の陳イについてご存じの三国迷がいらっしゃったら、教えていただきたいのですが…流石に厳しいかなぁ。

>ちくまの正誤表!!

ぜひ欲しいです。原文が読めない迷える子羊達を導いて下さい…(泣)
「どうも辻褄が合わないな」と思っても、誤訳なのか底本が間違っているのか、はたまた陳寿の記述ミスなのか見当も付きません。

101 名前::2002/10/30(水) 23:48

松竹梅     2001年11月29日木曜日 17時25分

それでは、ぐっこさんの期待に何とかこたえる形で
うちの掲示板に「ちくま本訂正版」のスレを建てましょう。
バイト帰ってからになるかもしれませんが…。
もちろん、皆様の協力をお待ちしております。

102 名前::2002/10/30(水) 23:48

ぐっこ     2001年11月29日木曜日 23時08分

>japanさま
長楽衛尉・陳イのほうは、魏諷の乱の時にチクった男で、揚州刺史の方は、反董卓連合のあたりの人物ですね〜。やはりjapan様が調べられたいのは、潁川陳氏とのつながりでしょうか(;^_^A
索引に載ってない…不便な! 引き続き情報待ち〜

 >松竹梅様
うわ! 大感謝です! 
みなさ〜ん! ちくま正史のちょっとしたミスを発見された方は、松竹梅様の掲示板にて報告を!データベーススレッドの予感……

103 名前::2002/10/30(水) 23:51

香香

中国語サイトですが・・・

http://www.hotdogs.com.tw/showgood/a1.htm target=_blank>http://www.hotdogs.com.tw/showgood/a1.htm

ちょっとだけ三國志のフラッシュアニメが見られます。
何故か、呂布よりも董卓のほうがカッコイイんですけど(笑)。
この「貂蝉叩き(?)ゲーム・接吻」がオモロイですわ。

104 名前::2002/10/30(水) 23:52

ぐっこ     2001年12月07日金曜日 22時49分

またまた行って参りました〜! いやあ、笑った笑った!全部目を通しましたが、細かいところで細工が…(;^_^A 鳳儀亭の連作、嘆いている王允の後ろで、コウモリのアベックが草むらに入ってガサゴソガサゴソ…(;^_^A 携帯で話す呂布、新しかったです。さすがに先行者を産み出した大国だけある…
接吻も頑張りました…でも董卓ENDばっかり…。

105 名前::2002/10/30(水) 23:52

左平(仮名) 2001年12月08日土曜日 23時33分

私も、行って参りました〜!
接吻ゲ−ムもやりました〜!
貂蝉ENDを拝ませてもらいました(200点以上でなるみたいです)〜!!
なかなかコミカルなグラフィックですねぇ、このHP。

106 名前::2002/10/31(木) 21:30

むじん    2001年12月22日土曜日 23時15分

こんにちは、むじんと申します。
NOBさまのところでお声を掛けていただきまして、ありがとうございます。
これからじっくり見させていただきますね!
ではでは。

107 名前::2002/10/31(木) 21:31

ぐっこ     2001年12月22日土曜日 23時30分

わ、オフラインの間に!むじん様、こちらでは初めまして〜!
ようこそおいで下さいました! NOB様のところと違って、かなりアレな三國志サイトですけど、掲示板の過去ログには自信アリ!(;^_^A
ゆっくりしていって下さいませ〜m(__)m

あ、いまからそちらへ寄らせて頂きますね〜!

108 名前::2002/10/31(木) 21:31

むじん     2001年12月23日日曜日 23時39分

どもども、むじんです。
拙サイトへお越しいただいてたんですね。

旧掲示板過去ログぜんぶ拝見しました。皆さんの議論は読んでて楽しかったです〜。でも知識がなくてご子孫・ご先祖談議はちんぷんかんぷんでした。勉強、勉強。

こちらはリプレイが大好評らしいですね。こちらは未読です。これから読ませていただきます!
読み終えたらまたお邪魔いたします。

ではでは。

109 名前::2002/10/31(木) 21:31

ぐっこ     2001年12月24日月曜日 21時25分

ですから、私は全然たいしたことなくて、他の方々が凄すぎるんです(;^_^A ただひたすら感心して、アビリティ「知ったかぶりしたあと猛勉強」を発動、なんとかついていってる、と言う具合で。
毎日が勉強でしたよ…。
それはそうと、リプレイ…。ええそうです、私の限界はアレです(;^_^A
真面目なの書こうとすると足がもつれますし…。よろしければ学園三国志などもご覧になられては(;^_^A
メインでキャラ絵書いてくださってる玉川様も、じつは私など足下にも及ばないくらいの凄い中国史通だったり…。ネットは広大だわ…

110 名前::2002/10/31(木) 21:31
むじん     2001年12月24日月曜日 23時11分

いやぁご謙遜を〜。
でもそのアビリティは私も持ってますよ。

南蛮王呂布をいま読んでいるところです。これが終わったら学園ですね。コンテンツがいっぱいで嬉しいっす。
拙サイトからこちらへのリンク貼らせて頂きました。今日はそれを辿って参上つかまつった次第。

玉川さまのところへも後でお邪魔します。

111 名前::2002/10/31(木) 21:33

ぐっこ     2001年12月25日火曜日 20時59分

リンクありがとうございます〜m(__)m
いやあ、こういう落ち着きのないサイトですので、かなり脱力されるかと思いますが、次回改装でちたあ三國志らしいコンテンツでも増やそうかな〜と。
とにかく、宜しくお願いします!

112 名前::2002/10/31(木) 21:33

香香

こんばんわです〜_(_^_)_
唐突ですが、ぐっこ様は下記のアップロード掲示板ご存知でしたか?
ttp://www.fuji.sakura.ne.jp/~pico/cgi-bin/imgboard_r6b4.cgi
・・・関平が(~_~;)

113 名前::2002/10/31(木) 21:33

川雄一     2001年12月27日木曜日 23時26分

何故に関平があないに大ブレイク?
……人間って素晴らしい。(間違った方向で)

114 名前::2002/10/31(木) 21:34

ぐっこ     2001年12月28日金曜日 00時02分

うわははははははははは!
笑いましたとも!
いまちょうどあずまんがのぶんがTOPでしたが、他の横山版関平…。
なぜ女子高生!?

115 名前::2002/10/31(木) 21:34

MOS      2001年12月28日金曜日 00時35分

ぎゃはははははは!!
関平タン萌え萌えぇ〜〜♪♪ ( ̄¬ ̄*)じゅるっ

116 名前::2002/10/31(木) 21:34

むじん     2001年12月28日金曜日 07時37分

みなさん、どもども〜。
さっき32998だったのでキリ番狙ってみましたが、数分して戻ったら33002でした…!あぐ。

おおう、なんなんですか。この掲示板。
関平!?なんで!?
ちょっと前の関羽おじさんも好きかも。
あとでリンクしとこ。笑えるです〜。

117 名前::2002/10/31(木) 21:35

香香 2001年12月28日金曜日 18時38分

すいません、こんなバカネタしか提供できませんで(~_~;
皆様が真摯かつ真面目に討論していらっしゃるのに・・・(滝汗)

実は、学園三国志の蜀ッカー増殖をもくろみ、まず関平&周倉を!と思っていたんですけど・・・。
ここの女子高生関平を超える傑作は私には生み出せません!
というわけで、玉川様、頑張ってください♪
#このアップローダーでは、「おはようございます!趙子龍です!」も
#かなりツボでした(爆)

118 名前::2002/10/31(木) 21:35

ぐっこ 2001年12月30日日曜日 23時35分

それにしても、一度みたら忘れられない絵ばかりですな〜! 関平の「これではおにぎりがはいらんではないか」も思い出し笑いを誘いますが、やはり魏延…。あれでハァハァできる漢がいるかどうか…。

119 名前::2002/10/31(木) 21:36

城洋介     2001年12月30日日曜日 23時57分

いやはや、「違う意味で」ハァハァな内容ですな(爆
俺も久々に大爆笑モード突入(^^;
紹介して頂いた玉川さんにも厚く御礼申し上げます。

>女子高生関平
学三とは違った意味での女子高生ネタですな(爆死

ところで、コーエー三国志における関平は、横光版がモデルなんでしょうか、やっぱり?

120 名前::2002/10/31(木) 21:36

スケアクロウ   

こんにちわ。いつもバカキコの方でお世話になっています、
「得隴望蜀」のスケアクロウです。
今から掲示板の過去ログの方に潜らせていただきます・・・(笑)
もし相互リンクなど良ければ、お願いします☆

それでは

121 名前::2002/10/31(木) 21:37

ぐっこ     2001年12月23日日曜日 22時12分

わ〜! こちらでははじめまして〜スケアクロウさま! 
こちらこそバカキコの方ではどうも〜。
過去ログですか〜! 部分的に濃ゆいところがありますが、どうぞゆっくりしていってくださいね〜。色んなコーナーありますし(;^_^A

相互リンク! 喜んで!
またそちらへお邪魔しますね〜!

122 名前::2002/10/31(木) 21:37

スケアクロウ     2001年12月24日月曜日 21時10分

ぐっこさん、拙宅へのお越し、誠にありがとうございます。
過去ログ、半日かけて読んで、系図の話などをちょっこりまとめてみたんですが、
暇があればHTMLに出力してみたいと思っております・・・
#もちろんぐっこさんのところに寄稿させて頂きますよ。

皆さん博学ですねぇ。

それにしても、和刻本正史シリーズはもう入手できないんでしょうか?
晋書や後漢書あたりはヤフショプに検索かけたらあったんですが、
三国志はどうやら取り寄せ不可のようで・・・
中華書局版は持っているんですが、やはり返り点付きの文が読みたいですヘ(^.^)/
あぁ、後漢書訳やらなきゃ@伏皇后伝

123 名前::2002/10/31(木) 21:37

ぐっこ     2001年12月24日月曜日 21時19分

兵庫県立図書館だと、二四史すべて和刻本揃ってたりします(;^_^A
わたしは市立図書館でバイトしてましたから、しょっちゅう遊びに行って長期延滞してました…。

 >半日かけて過去ログを
アレを読破されたんですか!?お疲れさまでした〜(;^_^A
いやあ、よく読んでたら、私は相槌うってるだけで、内容はすべて皆さまの書き込みです…。いまサイトの全面改装中なので、時間がまわせたら、私もご先祖様スレまとめてみたいところですけど…。
寄稿!? 是非!!

124 名前::2002/10/31(木) 21:38

スケアクロウ     2001年12月25日火曜日 07時53分

県民じゃなくても閲覧可ですよね?(笑)
春休みあたりにでも兵庫県立図書館にお邪魔しようかしら。
っと、その前に富山県立図書館だ(笑)
寄稿につきましては、これまた時間があるときということでお願いします@受験生(T_T)

125 名前::2002/10/31(木) 21:38

ぐっこ     2001年12月25日火曜日 20時57分

と、富山でしたか(;^_^A いまOPAC検索しましたが、富山県立には置いてない様子…。もっとも一般図書の検索範囲内ですが〜。
後漢書と三國志の全コピは済んでますので、私は次は晋書だ〜。…でもかさばる…。

>寄稿
受験生さんでしたか!? そりゃあ失礼を! 来年の四月以降でも(;^_^A

126 名前::2002/10/31(木) 21:38

スケアクロウ     2001年12月25日火曜日 21時59分

ええ、私もOPAC検索かけてみました。
富大図書館には、唐書(『新唐書』?『舊唐書』?)の和刻本があったと思うんですが、
県内はアウトですね。やはり富山だ(笑)

>>後漢書と三國志の全コピは済んでますので
すごいですね。てか、自分はそんなにコピーしても整理しておけません(笑)
三國志(中華書局版)は痛めないように大事にしてあります。
#あんまり使ってない(笑)

てことで、早速親に「卒業したら卒業旅行で兵庫まで連れてって〜」
と頼んでおきましたが、どうなる事やら。
来年が待ち遠しいですヘ(^.^)/

寄稿、お楽しみに<自信なし

127 名前::2002/10/31(木) 21:39

ぐっこ     2001年12月26日水曜日 21時01分

後漢書と三國志合わせると、B4バインダー10冊にまたがってます(;^_^A 管理はともかく探すときの苦労が…。持ち歩きも出来ないので不便です。

兵庫に来られるのですか!? (;^_^A 県立図書館は明石城公園内にあります。そばに子午線ラインもあります。あと、明石大橋とかもあります。逆にそれだけしかないです(;^_^A
たのしみにしております〜!

128 名前::2002/10/31(木) 21:39
スケアクロウ     2001年12月27日木曜日 17時23分

兵庫・・・というか神戸の方には8年前に行ったのですが、
無論当時5歳という事もありほとんど記憶にありません(^_^;)
県立図書館ですが、JR明石駅からすぐのようですね。
親に兵庫訪問をぶつけたところ、
「あんたが行きたいんだから旅行費用は全部お年玉から引くわよ」
と、何とも手厳しいお言葉を頂きました。
これは壮絶な観光レポを書くことが出来そうです(笑)

129 名前::2002/10/31(木) 21:39

左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 22時55分

やはり、鉄道利用でしょうか?富山という事は、、

@富山−京都間は「サンダ−バ−ド」、京都−明石間は新快速
 最も無難。
A富山−京都間は「サンダ−バ−ド」、京都−大阪間は新快速、大阪(阪神梅田)−山陽明石は阪神・山陽電車。
 @より乗換えが一回多い。ただし、料金は少し安い(はず)。また、大阪駅前はTVの取材が多い所なので、それと遭遇するかも、という楽しみも。
B富山−京都間は「サンダ−バ−ド」、京都(河原町)−十三−阪急三宮−山陽明石は阪急・山陽電車。
 JR京都−阪急河原町間の徒歩に加え、乗換えがさらに多い。非常に過酷だが、料金は少し安い。

高速バスは、、富山−京阪神間の直行は、「時刻表」を見た限りでは、なさそうです。高速バスを使う場合は、名古屋まで行ってから、という事になりそうです。

以上、スケアクロウさんへの旅行案内、というより、私の自己満足書き込みでした。

130 名前::2002/10/31(木) 21:40

ぐっこ     2001年12月29日土曜日 20時50分

左平(仮名)様、相変わらず緻密なご報告ありがとうございます(;^_^A
富山から電車で…もし敢行されるなら、神戸旅行やUSJ見物もかねて何泊か見ないとキツイですよ〜! 「お年玉からしょっ引く」金額では難しいかも……(ーー;) ご家族で車で来られるのもいいかもです!

8年前ということは、震災ちょい前ですか〜。そりゃ5歳の頃の記憶ではなかなか…街の様子も変わってます(;^_^A
ちょっと前までルミナリエとかもやってました。

131 名前::2002/10/31(木) 21:40

スケアクロウ     2001年12月29日土曜日 23時12分

何と、和刻本三国志が富山大にありました!!
いつものように調査ミスです(笑)
そして夢の兵庫遠征はポシャる・・・かと思いきや・・・

>左平(仮名)さん
はじめまして。
鉄道経路などわざわざ調べていただいてありがとうございますm(__)m
やはり当初の予定ではサンダーバード(大阪行)から新快速に乗り換える手段を考えていました。
しかし・・・(ぐっこさんへのレスに続く)

>ぐっこさん
いろいろとありがとうございました。
富大に和刻本があったため余裕で見に行けそうです。
さて兵庫遠征ですが、当然ポシャると思っていたのが
母が神戸観光に意欲を見せるようになり、
USJ見物こそかなわないものの神戸一円見物は挙行されそう(な予感)です(^_^;)
神戸市内の安ホテルにでも泊まって(もしかしたら日帰りで!?)の観光旅行となりそうです。
この調子じゃ目的が観光ですので旅行費は親持ちのようです(^^)V
個人的には赤穂市あたりまで足をのばして大石神社とか行きたいんですけどね(笑)

132 名前::2002/10/31(木) 21:40

ぐっこ 2001年12月30日日曜日 23時32分

お〜!
神戸旅行の予感ですか!?
神戸…神戸…地元に住んでたら中途半端に狭い衛星都市程度の感覚しかありませんが、観光スポットは多いかもしれません! 中央区から海沿いを楽しんでください!
ただし南京町は、「ハァ?」といいたくなるくらい小さいですので、前もってその覚悟で(;^_^A
元町の裏には関帝廟もあります!

赤穂…「ちょっと足をのばす」程度の距離ではないですな(;^_^A 新快速とローカル乗り継いでも最低二時間はかかるかと…

133 名前::2002/10/31(木) 21:40

スケアクロウ     2001年12月31日月曜日 07時57分

南京町、ちょっぴり予定に入れたりしてました☆
狭いんですか〜?結構大きいかと思ってました(^_^;)
何と!?関帝廟まであるとは・・・すぐさまチェックです(._.)φ

>赤穂…「ちょっと足をのばす」程度の距離ではないですな(;^_^A 新快速とローカル乗り継いでも最低二時間はかかるかと…」

計画が破綻しそうです(笑)
#昨日のぞいてみたらカウンタが33334でした。惜しい!

134 名前::2002/10/31(木) 21:41

ぐっこ 2002年01月01日火曜日 01時29分

あけましておめでとうございますー!!
33333は元譲様が踏まれたようです(;^_^A。
南京町…まあ、「町」と言うより「南京通り」ですね。旧正月あたりにいったら、ひとがいっぱいで歩けませんが…。あそこは見物するところじゃなくて食べるところです! 食べれるだけ食べましょう!

赤穂…遠いですが行けない距離でも…(;^_^A

135 名前::2002/10/31(木) 21:41
むじん   

あけましておめでとうございます〜!!
ぐっこさま、拙サイトへお運びいただきありがとうございます〜。
今年もよろしくお願いしますね♪

いま南蛮王呂布を読み終わったところです。
これから学園三国志だーっ!

136 名前::2002/10/31(木) 21:42

ぐっこ 2002年01月01日火曜日 19時44分

あけましておめでとうございますー! 本年もどうぞよろしく!
南蛮王、お読みになりましたか〜(;^_^A あれもあともうちょいで終わり…といいだしてから長いです。まあ、いずれ。
学園三国志…玉川様のキャラデザが加わって、加速的に発展しました! 是非是非アイデアなどございましたら、どしどし参加してやってください!

137 名前::2002/10/31(木) 21:42

ぐっこ 2002年01月01日火曜日 19時44分

あけましておめでとうございますー! 本年もどうぞよろしく!
南蛮王、お読みになりましたか〜(;^_^A あれもあともうちょいで終わり…といいだしてから長いです。まあ、いずれ。
学園三国志…玉川様のキャラデザが加わって、加速的に発展しました! 是非是非アイデアなどございましたら、どしどし参加してやってください!

138 名前::2002/10/31(木) 21:43

むじん     2002年01月02日水曜日 23時23分

どもですー。
南蛮王呂布の続きが気になってます。もちろんもうすぐ更新するんですよねっ(←圧力)。
学園三国志も読み始めてますよ。内容が多岐にわたってるのでもう迷子になってますけど…。あぅ。
玉川さまの絵がいいです〜。

139 名前::2002/10/31(木) 21:43

ぐっこ 2002年01月03日木曜日 21時03分

どうも〜(^_^)
学園三国志、開設当初から常連様の絶えない投稿に加え、玉川様のプチ絵が加わり、最強です!
問題なのは、いま怖くて更新できないことでしょうか(四方山掲示板参照)…。
とりあえずこの騒ぎが収まり次第、順次更新を開始する所存! お互い、がんばりましょう!

140 名前::2002/11/01(金) 22:40

玉川雄一   

さても益体もないお話ではございますが。
昨夜、ふと「真・三国迷の掲示板(の過去ログ)」を読んでいたですよ。
私がこのサイトに初めて来たのが6月の終わり頃だったんじゃないかと思いますが、それより遡ってみまして…
めっちゃヒットしたのが57の「魏の五大将ネクストジェネレーションは誰か?」のスレッドでした。
まずは松竹梅さんが順当に郭淮・田豫・毋丘倹を。続いて香香さんが昜を。そしてボンレス曹真@学園三国志が保留に。
そこへ、水を得た魚の如くjapanさんの陳泰が登場!(笑) まるでjapanさんのために忘れられていたようなタイミングでしたね。
その後、当然のように王濬、杜預ら晋世代へと話題がシフトしていった辺り、さすがこのサイトを象徴していると言っても過言ではないでしょう(^_^)

ちなみにこの一つ前では香香さんの「陳寔が殺人犯と間違えられた」に対するjapanさんのご質問が。
今一度、japanさんの陳氏に対するアツい思い入れを実感いたしました(^-^)
こうしてみると、私が学園三国志で曹操に次いで二番目に陳羣を描いた(笑)というのも何かの運命だったのかもしれませんね。
ほんに素晴らしいサイトと巡り会えてしやわせですわ♪

141 名前::2002/11/01(金) 22:41

japan  2001年12月26日水曜日 21時00分

うわ〜、自分ですら忘れていた過去の恥(?)を…
そう言えば初カキコでいきなり「好きな武将は陳泰です!」とか自己紹介してたような。今にして思えば荒らしと変わらない(^^:)

ついでに陳氏話を一つ。
このあいだ香港に行ったんですけれど、黄大仙(ウォンタイシン)というお寺の中にある占い横丁に、「陳潁川氏」なる看板をでかでかと掲げていたお店がありました(笑)

陳瞬臣先生もそうですが…現代にまで渋くしぶとく流れ続ける陳一族の血に乾杯!です。

>水を得た魚
何だか…嬉しいような嬉しくないような微妙な比喩ですね。(笑)

142 名前::2002/11/01(金) 22:42

ぐっこ     2001年12月26日水曜日 21時28分

あ、japanさまとエンカウントだ〜(;^_^A
いまあらためて旧掲示板見ましたが…過去ログ見づらい…。あとで直しておこう…。
それはさておき、魏の五虎将スレ…懐かしい〜!あれからもう7ヶ月も経ってるんですか〜! あの頃何してたっけ…(;^_^A
たしかに陳泰の名前が上がらなかったのは、japan様待ちだったかも…。絶妙のタイミング!
玉川様のプチ絵も、曹操の次は陳羣でしたよね〜! 運命…!?
ワタクシも、玉川様との出会いによって色んな意味で人生がパカッと開かれた一人ですわ♪

そりゃそうとjapanさま、香港行って来られたんですか!? いいなあ…しかし香港で潁川陳氏が…。占い!? 陳家の家学って何でしたっけ…汝南袁家は易経でしたけど…。

う〜む、月日が経つのは早いなあ…

143 名前::2002/11/01(金) 22:42

玉川雄一     2002年01月23日水曜日 02時06分

なんだか、japanさんの過去を暴いてばかりな気がしますけど(-_-;)
過去ログを一番奥まで読んでみました。
japanさんの「日本一の陳泰好き→関東一へ自主降格事件」や、
伝説(いつから?)の初登場シーンも拝見致しました。

そして光るスレが22番。あ、またjapanさんだ(^_^;)
三國志VIIIのシナリオが234年で切れている事への告発!
全面的に同感であります。そして…

>多分PUKで追加シナリオが出るのでしょうけれど(japanさん)
>PUKの追加シナリオは可能性大ですね(ぷくりんさん)
>光@様ってば、ま〜た分割販売するんですかっ! (ぐっこさん)
大当たり♪

>新武将として、陸機・陸雲が登録できないんでしょうか(香香さん)
やはりムリなんでしょうかねえ(-_-;)

>キョウ維好きとしては、諸葛亮が死んでからが本番なのに〜 (フーさん)
まったくであります! まあ、私はむしろ張嶷好きですが(笑)

読めば読むほど皆様と意見が一致して嬉しいというか何というか(^_^;)
まあ私も、bu-showさんのサイトのゲストブックに「最近陶侃が気になります」って書いたクチですし(-_-;)
そういや、ぐっこさんに最初ンとこだけ差し上げてた超絶三國志俺データ(中学時代に作製)も三国鼎立以後だったしなあ…

144 名前::2002/11/01(金) 22:42

玉川雄一     2002年01月23日水曜日 02時24分

そうそう、「呉の五大将」スレで呂岱が採りあげられてて嬉しかったり。
よかった、呂岱を評価してくださる人がこんなにいっぱいいて♪

145 名前::2002/11/01(金) 22:42

ぐっこ 2002年01月23日水曜日 22時49分

あ、むこうの過去ログフォント修正するの忘れてた…(;^_^A 時間があればなおしておかなきゃ…。(←またか)
過去ログ発掘ありがとうございます〜。またそぞろノスタルジックな気分に浸れますです…。

そうですねえ、ここのサイトって、結構軽めのスタートだったように記憶してるんですが(;^_^A なんだか知らない間に、とっても心地よい濃ゆさになってます。
思えば、japanさまが趙雲だの姜維だのに目もくれず、「陳泰」をプッシュされたのが最初ではないでしょうか…。やはりレジェンドだ!
呂岱。これ。
やはり通の間ではこれが最強なんでしょうか…?

146 名前::2002/11/01(金) 22:43

japan  2002年01月24日木曜日 23時16分

またまた過去の恥を…(汗)
他人様のサイトに訪問して初めての書き込みで「陳泰が好きです!」などと騒いでいたら、荒らしと間違えられても仕方が無いような。

ぐっこ様の寛大なレスのお陰で、すっかりこちらに居ついてしまいましたが、今後ともよろしくお願いします。m(_ _)m


>陳家の家学って何でしたっけ…汝南袁家は易経でしたけど…。

とあるルートで入手した狩野直禎氏の「陳羣傳試論」という論文によれば、陳羣は論語の注釈を行っていたそうです。
現在は失われてしまいましたが「論語陳氏義説」なる書物もあるそうなので、潁川陳氏は「論語」が家学だったのかもしれません。
陳泰の玄伯という字も、論語に章が立てられている「泰伯」から取ったのではないかと考えています。

147 名前::2002/11/01(金) 22:44

ぐっこ 2002年01月25日金曜日 23時13分

恥だなんて! むしろ誇りに思ってください!この通揃いの酒場だって、あのときのjapanさまの登場がなければ、今なお旧掲示板で演義談を繰り広げていたかもしれないんですから…。こちらこそよろしくですm(__)m

 >陳家
あるルート!? はー!論語のスペシャリストだったのですか〜! 手元の資料には、袁家(孟子易学←経じゃなかった…)と楊家(欧陽尚書)、郭家(小杜律←詩?)しか無かったんで助かります〜! たしか論語の集解って、可晏もやってましたよね…。何進つながりで陳家と交流あったりして…(^_^;)

 >陳泰
あー! なんか多いらしいですね! 本家取り…じゃない、引用。
泰伯→陳泰玄伯…なるほど。
徳操→曹操孟徳…というのもあります。

148 名前::2002/11/01(金) 23:07

左平(仮名)

全くもって、急にふっと思ったんですけど…
鍾会、字は士季って…ひょっとして、士会を意識してつけた名と字ではありませんか?
鍾会は末っ子だから、字に「季」とあるのは何の不思議もないのですが…「士」「季」「会」…

149 名前::2002/11/01(金) 23:07

ぐっこ 2002年02月03日日曜日 12時03分

あー!私も、士会って見るたびに鍾会連想してました…。昜が人の字を意識してるぐらいだから、鍾会士季も…(;^_^A

しかし、これまで宮城谷春秋しか知識無かったんでイロイロ調べてるところなんですが、調べれば調べるほど士会ってば偉大すぎる人物だったのですね〜。
天才的な軍事能力・政治能力に加え、為人は公明正大そのもの、政略にも騙詐が無く、国よりも民を基に天下を考える…。

三国時代を見渡しても…これほどの人物はちょっと見つからないかも…。陸遜や孔明はもちろん、曹操も追いつけないかもです!

150 名前::2002/11/02(土) 12:09

香香

消防鍾会タン画像描きました♪
ただし、スレのネタにしたいがために速攻で仕上げた駄作なので、
(よくみりゃ鍾会タンのムネは垂れてるし・汗)見苦しくてすんまそん・・・。
鍾会タンの画像ですが、例のトコに貼り付けたアドレスにおいておきますので、何かに使うようでしたらいつも通り(以下略 ←わかります?
持ち帰っての加工もおっけーです。

151 名前::2002/11/02(土) 12:09

ぐっこ 2002年02月10日日曜日 01時15分

カラダ全体で拝領いたしましたぞ!!
 >速攻で仕上げた
アレでですか!?
イヤーそれにしても、>>58さんにはいつもお世話になっております!
鍾会たん…(´Д`;)ハァハァ
ううー、いつものようにご厚意に甘えさせていただくです…(T.T)

152 名前::2002/11/02(土) 12:28

玉川雄一   

 ◆一応は三国志ネタだしなあ。◆

今日、「クイズ日本人の質問」見たんです(中略)。
で、やっと最終問題になったかと思ったら、
「曹操が流行らせた宮女のメイク法とは何か?」とか言ってるんです。
もう、(以下略)。

ちなみに答えは「左右の眉毛を繋げる」。
私ゃ以前『爆笑三国志』(笑)で読んでたから知ってましたけどね。

しかし、いくらウソ解答とはいえ、吉本博士の
「曹操は仏教を篤く信仰した皇帝で」っつうのは凄まじかったですな。

…そういや、ごくごく普通のパンピーがああいう解説されて、
「曹操は厳密には『魏の皇帝』ではない(即位はしてない)」と
知ってる人ってどれくらいいるんだろう?

153 名前::2002/11/02(土) 12:28

ぐっこ 2002年03月04日月曜日 00時12分

あー!それひな人形のあたりまで見てました! なんだー!最後に曹操が出てたですか!? ちいっ! 
あ、眉毛繋げてたんですか、当時のメイク。…なんだかお笑いみたいですねえ。まあ落馬スタイルが流行るくらいだから…。

 >パンピー
どうなんでしょう(;^_^A 歴史というヤツは、興味ある人はむっちゃ気になるものですが、受験用の知識程度としか認識してない人にとっては、受験が終わればもはやどうでもいいものでして。私にとっての物理学とか英語とかがそれに当たります(^-^;
曹操が皇帝になっていない…やっぱ、案外知られていないんでしょうね…

154 名前::2002/11/02(土) 12:29

クェン

なんとなく無意味なこと書きます・・・

最近、「異三国志」というif小説を読んだんですが(立ち読み)
なんか賀斉が出てました。彼が登場するのって珍しくないですか?
演義や吉川にはいなかった気がするのですが(うろ覚え)。

賀斉がいるってことは、この本の作者も一応正史は読んでるんだろうけど…どうして徐晃が脳まで筋肉なんだ…どうして荀軍師がいなんだ…そりゃ曹操も負けるわな。

趙雲が意外な人物に仕えたり、劉備に某有名軍師が仕えたりと見所多くて面白いんですけどね。

155 名前::2002/11/02(土) 12:29

ぐっこ 2002年03月07日木曜日 00時01分

基本的にifモノは読まない…なんてスカしたことは言わない私は、破・三国志の愛読者でもあります(^-^; 魏延が活躍するのでモロ好みン!もっとも、他の文官系キャラが個性ゼロでしたが…
「異三国志」…未読ですが、賀斉が出てくるですか!? 妙なチョイスをする…。それで徐晃が武力バカ扱い…。
その不徹底さがなっていない!
どうせ突っ走るなら「反三国志」の次元まで踏み込んで欲しいし、正史準拠なら魏将を再評価して票を稼ぐべき!
…今度読んでみよ〜。

156 名前::2002/11/02(土) 12:30

松竹梅     2002年03月08日金曜日 22時59分

「演義」に賀斉がでてこないはずなので、吉川もたぶん賀斉無視です。
 正史の賀斉は、甘寧と並ぶ伊達男ですから、小説で上手くキャラを生かすと面白い存在になると思うんですけど、なんで演義に登場しなかったんだろ。対魏戦線にもちゃんと出陣してるのに。

「異三国志」は仲路さとる氏のほうですよね。それなら未読だなあ。
つうか「異戦国史」の展開に裏切り感を覚えたので、氏の著作はもう読まないかもなあ。個人的には家康にあしらわれる政宗萌えなので、あの展開は…

157 名前::2002/11/02(土) 12:30

玉川雄一     2002年03月09日土曜日 00時09分

私は異・三国志は未読ですが、戦国史の方は読んでしまいました。
文庫化されたとき、出る順に買いましたよ…

ラストに唖然。っつーかはしょりすぎだろう。秀頼の最期とかも…
あと、真田幸村絡みの時だけミョーに軽くなるのにも萎え。
全国レベルで話を展開させたのはなかなか見所あったんですがねえ。

158 名前::2002/11/02(土) 13:01

ぐっこ    2002年03月24日日曜日 22時42分

「何か委員会の総司令部を作ってみました(^-^;
まあ、要するに過去ログを並べただけとか、前作ってたぶんをまとめてみただけとか、そういうものですけど…。
改めて一から読んでると、本当に、みなさま凄い!
ただただ感心しながらログをまとめておりました!
この場をお借りして、皆様に感謝させてください!m(__)m
本当にこの1年4ヶ月の間、ありがとうございました!


……って、何か最終回みたいな挨拶ですな(^_^;)
これからも、皆様に頼りっぱなしになること確定なへぼ管理人ですが、どうぞ宜しくお願いいたします!
管理人の役目は、皆様に情報を出し合う「場」をお貸しすること、と割り切って、またまた皆様の議論に参加させてください(^-^;」

159 名前::2002/11/02(土) 13:01

玉川雄一     2002年03月25日月曜日 00時50分

なんかすげェゴジャースになってる!
…しかし、私スレ立ててばっかですねえ。
今思えば結構恥ずかしいこと言ってるし…
でも、ここで色々と学べてめっちゃんこ有意義ですわん。
これからもゴリゴリ行くですよ。

160 名前::2002/11/02(土) 13:01

左平(仮名) 2002年03月25日月曜日 21時38分

これはまた、随分と読み応えのあるものに…。
私の方は、玉川さんほどにはスレッドを立てられない(立てる程のネタが出てこない)ですが、時々はチクチクと指摘できれば…といったところです。

161 名前::2002/11/02(土) 13:02

ぐっこ 2002年03月26日火曜日 00時14分

>玉様
とんでもない!玉様のスレ起こしのおかげで、これだけ繁盛したですよ!本当に感謝です!
呉のタイムパラドクスネタとかも盛り上がったなあ…。あの夜、楽しかったです〜!

>左平(仮名)様
読み応えは凄まじくあります(^-^; 全部目を通すと3時間くらいかかったかな…。スレ立て云々じゃなくて、左平(仮名)様にもずいぶんと助けられました!ありがとうございます!

162 名前::2002/11/02(土) 13:02

中根東竜 2002年03月26日火曜日 01時18分

お久しぶりです、何か委員会、拝読しました〜。
相も変わらず濃いですね〜。読みふけってしまいました。
まあ、スレが沈んでしまった後に追跡調査してたことを
折角コーナーも出来たことですし、書いておきます〜。

1,趙氏の系図について

趙氏に関しては最近中国で専門の書が出ました。
神保町を例の如くふらついていてハケーンしたのですが、
余りにも内容が濃すぎて何ともまだ読み切れていません。
この本は姓氏の歴史の叢書の一冊で、特に神話関係に詳しいです。
また、この書では趙佗ー趙雲同族説は採っていませんでした・・
(言及なし)

2,瑯邪の王氏はコーエーゲーに既に登場

『三國志3』に、王祥・王覧の父、王基が登場しています。
3ではお気に入りでよく使っていました。しかしその後の
シリーズには出てませんなぁ。なお、ぐっこさんが
王羲之は書の正流なのか、とおっしゃられてましたが、
まあ規範と言っていいと思います。みな書をやる人は
一度は王羲之の書を通過しないといけないみたいな
感じですかね。なお、王氏はみな書に堪能であり、
趙宋の『淳化閣帖』という名筆を集めた本に
多数の王氏出身書家たちの書がみられます。

3,陶侃と陶潜の関係は正式には不明?

最近、故・李長之氏の陶淵明(陶潜)に関する
史伝『陶淵明』(筑摩書店)を読んでいたら、
陶侃に関してかなり長く書かれていました。
で、この本によると陶侃ー陶潜の関係は
「陶潜が書き残した陶侃に関する記録を巡って
学会で論争されており、直系なのか単なる親戚か
分かっていない」ということのようです。
まあこの件では『晉書』はシロですね。

正直、この本を読むと陶侃にしろ陶淵明にしても
謎の多い人物であることが身にしみて分かります。
まあ、彼らは変な邪推を受ければ命が危ない
時代に生きているので、必然的に筆が曖昧になるようです。

後の世から忠誠を謡われる陶侃にしても謀反をたくらんだようです。
事実、李氏が指摘するとおり陶侃は晋の王室が反乱で危機に
陥ってもまともに兵を出そうともしておらず、
(一度は出したがすぐに帰ってきてしまっている)
説客・温矯(刺史奮迅の温恢の子孫ですな)の説得で
ようやく重い腰を上げています。
この人も色々あるみたいですねぇ・・

163 名前::2002/11/02(土) 13:02

玉川雄一     2002年03月26日火曜日 18時56分

中根さんにいくつか。

1:王基
王祥・王覧の父は王融ではないでしょうか。晋書王祥伝の初っぱなに載っていますよね。
で、王基(伯輿)は直接の繋がりはないかと思われますが。彼は年齢的には王祥・王覧と同世代だと思われますし。

で、王祥系の琅邪王氏は結局登場していませんが、王基は3以降最新作の8まで皆勤賞レギュラーなんですよ。
顔グラは一貫して同じイメージを踏襲していますが、6の時は妙に生々しくて恐かったのを今でも鮮明に覚えてます(-_-;)
やや過小評価気味かとも思われますが、まずバランスの取れた名将です。

ところで、王覧の子にして王敦の父である処の人も「王基」といいますよね。
となると、王基−王覧−王基−王敦というのは成り立たないかと思われます。

2:陶侃と陶淵明
私が過去に立てたスレ読むと恥ずかしくなってきますが…
結局確実な資料はないのでしょうが、陶侃は子が17人、
うち史料に残っているのが洪、瞻、夏、[王奇]、旗、斌、稱、範、岱の9人だそうですので、
残りの8人の中に陶茂(陶淵明の爺ちゃん)が入っている可能性なきにしもあらず、と。

3:陶侃の野望(笑)
先日陶侃伝や世説新語を読んだのですが、一筋縄ではいかない人物だったようですね。
蘇峻の乱の際、先帝の遺詔をうけられなかったのをゴネてユ亮に頭を下げさせたとか、例の「八枚の羽根」の夢とか。
陶侃びいきの私としては、胸に大望を抱きつつも心はあくまで東晋王朝に…
と考えたいところですが、何だか考えを改めた方が良さそうです(^_^;)ゞ
結果論からいうと、「韓信のもう一つの生き方」? それも違うか。

ところで、山川の中国史に陶侃が五谿蛮の出身だったかも、って載ってました。
晋書には[番β]陽の人とありますけど… 五谿蛮って武陵ですよね。

164 名前::2002/11/02(土) 13:03

玉川雄一     2002年03月26日火曜日 21時07分

 山川受け売りですが、陶侃などについて。
『中国史 2 三国−唐』のpp.90,91に「北府と西府」と題して東晋初期〜中期の体制について触れられています。
それによると、

・(前項より)江南土着の豪族は次第に北来の人士に主導権を奪われていった
・河北の混乱の中、豪族や有力者は軍事力を有する集団を形成し、南方に移動した
・東晋王朝はその統率者(塢主、行主)を刺史や太守に任命して取り込みを図る
・代表的なものは、祖逖(のち弟の祖約)、チ鑒、蘇峻など
・一方、西方(荊州)では王敦が江南豪族を支配下に収め、次第に朝廷と対立し叛乱を起こす
・その鎮圧に北来の軍事力が投入されるが、彼らが力を持ちすぎるのを恐れた外戚のユ亮は勢力削減を図る
・それに反して蘇峻、祖約が叛乱するが、チ鑒、陶侃や温キョウに鎮圧される
・この後、北来勢力の残存者であるチ鑒は北面の軍団長として「北府」を設立、京口や広陵に駐屯する
・王敦に替わって西方の軍団長となった陶侃は征西大将軍、都督荊湘雍梁諸軍事、荊州刺史として「西府」を形成した
・チ鑒は司空、陶侃は太尉として東晋王朝を支える二大軍閥となる
・陶侃は朝廷とは距離を置き、その後はもっぱら荊州の統治と西・北方への軍事行動に従事した
・陶侃の後は(北来の)ユ亮、ユ翼が後を継ぎ、朝廷の王導と拮抗した

ここでもやはり、蘇峻の乱に際しての陶侃の腰の重さが指摘されています(^_^;)
こと荊州に関しては、四世紀初頭の劉弘の頃から半独立めいた雰囲気があったようですし。叛乱もボコスカ起きてますが。
代々キャスティングボートを握りつつ上手く渡ってきたようですけど、
そのバランスが崩れると桓温みたいなのが出てくるわけですな(-_-;)

165 名前::2002/11/02(土) 13:03

ぐっこ     2002年03月26日火曜日 23時53分

うおっとお! 中根東竜様、玉様、毎度ありがとうございます!
…あれ、中根東竜様のサイト、サンクスバナー付けてなかった…! すぐ工事します!(__;)
――むう、このスレも先祖スレ集に含まねばなるまい!(^_^;)
相変わらず濃ゆい議論サンクスです!
私は王基認知、ゲームからの人なので、まずあの顔がうかびます(^_^;)
陶侃…玉様のカキコミで初めて存在を知ったクチです…。「韓信のもう一つの生き方」…なるほど!

…うーむ、それにしても勉強になる掲示板だなあ…。多謝多謝!

166 名前::2002/11/02(土) 13:03

中根東竜     2002年03月27日水曜日 00時37分

玉川さん、詳細なフォローありがとうございます!

>王祥・王覧の父は王融ではないでしょうか。

か、勘違いしていました。そうです、王融です。
何処で間違えて覚えたのか・・これまでずっと
誤っていました。ご教示ありがとうございます。

>で、王祥系の琅邪王氏は結局登場していませんが、王基は3以降最新作の8まで皆勤賞レギュラーなんですよ。

グガーン!もう一つ間違っていたのか・・
なんか、コーエー『三国志5』事典に「王基は3にのみ登場」
とあるのを鵜呑みにしていたようです・・
自分王基関係全然だめじゃん・・参った・・
色々フォローありがとうございます。

>陶侃は子が17人、
うち史料に残っているのが洪、瞻、夏、[王奇]、旗、斌、稱、範、岱の9人だそうですので、
残りの8人の中に陶茂(陶淵明の爺ちゃん)が入っている可能性なきにしもあらず、と。

実際『晉書』や『宋書』では玉川さんのおっしゃる通りです。
まあそれでよさそうなものなのですが、学会ではこれに対する反対意見も根強いようで、「現存の史料に即して論ずる限り、より明確な
答案は得られない」と李氏はしていますねぇ・・

何故反対意見が出るかというと、
どうも陶淵明自身が「陶侃は自分の先祖」
と主張しているのかどうか怪しいうえ、
陶淵明の友人が書いた陶淵明を
追悼して書かれた伝記『陶徴士誄』(とうちょうしるい)が
陶侃について一言も触れていない、からだそうで・・
(詳しく書くと以上に回りくどいうえ、何かもはや『三国志』とは関係なくなっているみたいなのでこの話はここで切ります)

>蘇峻の乱の際、先帝の遺詔をうけられなかったのをゴネてユ亮に頭を下げさせたとか、

この蘇峻の乱の時の陶侃はゴネまくってます。なんか驚きですよ〜。
なお、このゴネ陶侃に関しては『晉書』巻67温矯伝に説得内容と
合わせて載っているようですよ。(あ、矯の字は正しくは
ヘンが山ヘンね)なお、温矯の説得は流石に温恢譲りの
朗々たる大文章です。僕はこれを読んで温矯ファンになったなー。

>ところで、山川の中国史に陶侃が五谿蛮の出身だったかも、って載ってました。

え、そうですか?史料には「渓族」とあるのですが、
「渓族=五谿蛮」でいいんでしょうか?
陶侃は谿族出身だそうです。「谿族」は「巴・蜀・蛮・僚(けものへんが正しい)・谿・俚・越・楚」を総称する言葉だそうです。
(ソースは例の牛氏が司馬睿の親父であることを書いた『魏書』司馬叡伝)
しかし、これだと南蛮・山越みんなひっくるめて居るだけっぽいですが
(^^;)

>山川の「北府と西府」

まとめるとこんな感じですね。まあ、荊州に関しては司馬一族
が送り込まれて反乱軍に殺されて劉弘が入った後、まるで晋中央
が統治できてないんですよねぇ。劉表とかの頃と実は余り
変わらない情勢がずっと継続するわけです。

167 名前::2002/11/02(土) 13:04

ジーク   

月が変わってネットが再び出来るようになりましたんで、総司令部の探索をして参りました。
………こ、これわ…(;^_^A
ネット三国志界の大御所聯の方々が繰り広げるいと凄まじき三国志スレの数々……。
私の不勉強をいたいほど痛感させられましたです。
というか現在ネタ本の筑摩が手元に存在していないので話の確認すら出来ない…(T_T)
で、こちらにきたらきたで、三國志II上級城防御度激上がりモードよろしく話に割り込む事すら出来ない凄まじさ。
わたしまけましたわ…と何の意味も無く回文で呟いてみる私(;^_^A

と言う訳でしばらく勉強しなおしてから出直します(爆)
少なくとも高校にあるちくまの三國志がないことにはどうにも。

168 名前::2002/11/02(土) 13:04

ぐっこ     2002年04月01日月曜日 21時58分

あっはっは〜。ご安心を、私もです(^-^;
いつも勉強させて貰ってるですよ〜。ここで吸収した知識は、実生活だとあまり役に立たないでしょうが、ネットだとここぞというときに蘊蓄流用できるです!
共に学びましょうぞ!

169 名前::2002/11/02(土) 15:42

のー   

最近暇を見て北方謙三の三国志を読んでます。
(現在5巻まで)
これはこれでいいかもしれない。創作人物多いけど。
呂布様が化け物ではなく、人間として描かれててよかったかも。
あと官渡の戦いが比較的合理的に説明されてると思った。
(横山三国志だと時間が飛んでいつのまにか勝ってたし)
5巻末で孔明の名前がやっと出てきたところですが、
このあと劉備ひいきにならずに進んでいくのだろうか?

170 名前::2002/11/02(土) 15:42

惟新   2002年07月16日火曜日 22時13分

北方三国志に漂う男のダンディズムは大好きです。
まぁ、女性の扱いがちとアレですが…

呂布はかっこよかったですね!
私的にも、邪悪さがない、ただ純粋で素朴な暴れん坊イメージがあっただけにうれしかったです。
あとは張飛ですね。
話が進むにつれて彼はますます素敵になっていきます。
二人はこのおかげで相当見直されたというか、
結構ファンも増えたんじゃないでしょうか。
逆にいろんな意味で偏見もたれたのが司馬懿…

171 名前::2002/11/02(土) 15:42

ぐっこ 2002年07月17日水曜日 00時25分

基本的にハードボイルド作家ですからねえ…(;^_^A
しかし北方三国志は、マイナーキャラのフォローがまめで好きです〜。
文体は、押さえているというか、押し殺した声で話すような調子で書かれていますので、男どもはみな朴念仁というか、人間くさくて共感もてるタイプですよね〜!
その場その場の「主役」がいいところをかっ攫ってゆく傾向が強いので、孔明登場後は…。
そういえば、珍しく魏延の扱いがよい作品でした。

172 名前::2002/11/02(土) 15:49

左平(仮名)

小説、拝見しました。
行政官としても優秀な魏延、十分に才能「は」あった孟達、『異才』司馬懿…読み応えあります。これでまだ半分もないとは…。
でも、印象深いのは、張コウ(合+β)・儁乂です。そういえば、官渡の頃に曹操の配下になったわけだから、この当時六十は過ぎていて「老将」とみなされても何の不思議もないんですよね。何故かそういうイメ−ジがなくって…(蜀の五虎将軍【黄忠を除く】も魏の五将軍も、何故か老将というイメ−ジが沸かないんですよね。ゲ−ムでは固定グラフィックだから?)。

蛇足:私事ですが。五月にあっくんさんのサイトにて始めた第二弾、まだ「三国志」がらみの話に入れません(次回あたりからは入りますが)。予想以上にあれこれ詰め込んだもので。当初は七〜十回程度にするつもりだったのですが、どうやら二十回くらいになりそうです…。どなたかレスつけて下さい…(あっくんさんが忙しいとの事なので、なかなかレスがつかない状態です).

173 名前::2002/11/02(土) 15:49

ぐっこ 2002年07月28日日曜日 23時35分

イエイエ〜。今見ればアラだらけですが…ただ、自分で言うのもなんですが、時々上手い表現があるなあ、と(^_^;)
蒼天人物事典とか、南蛮王とか、学三とかで使う人物評も、幾つかこの小説から出てたりしてます。わりとコアです、ぐっこの。
でもあの頃は痛い正史オタだった…
北伐のあたりだと、それこそ世代交代が進んでるわけですが、旧世代の人間がまだまだ偉大だと言うことを表現したくて、つい張コウをビュコックにしてしまいました…

[竹乍]融伝! すみませぬ! ここのところ自分ところのレス付けに必死でした(^_^;) あっくん様のサイトに急げ! 途中経過でハァハァしてる場合ではなかった!

174 名前::2002/11/02(土) 15:50

惟新 2002年07月29日月曜日 11時53分

早速私も拝見! とても面白いです〜
何より筆がいい! これが大昔の作品とは…うらやましい限りです。
皆さまの筆力を拝見するたび、己の非力さを実感します。
文学と縁遠い身とはいえ、国語教師を目指す以上は少しは磨かねば。

>張[合β]
そうなんですよ〜
私は登場シーンで「老将…誰?」と一瞬思い「張[合β]かな…でも老将って感じがしない…」とぶつくさやってたクチだったりします。
言われてみれば確かに老将なんですよね。何となくいつまでも壮年のイメージが強いんですが。
あ、でもここ一年でナルシストのイメージも(爆

175 名前::2002/11/02(土) 15:50

ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時23分

うーん、張[合β]はBS三國志でも壮年のままでしたからねえ…
実際のところ、韓馥の下で部将をやっていたということで、劉備と同年代か、下手するとそれ以上という高齢部将なわけで…。
おそらく魏の5将軍のなかでは最年長かと。
最近のナルシーっぷりはアレですが、蒼天にもまだ登場しないあたり、ビジュアル化の難しいキャラではあります(^_^;)
どうも決め手となる外観的特徴が無いんですよねえ…

176 名前::2002/11/02(土) 15:51

左平(仮名)

◎情報募集  教えて下さい◎

ふと、魏の博士・馬鈞の事が気になったのですが、現在私はちくまの「正史 三国志」(文庫本)の4巻を持っておりませんので、詳しい事が分かりません。
彼の生年・出身地・両親の名など、詳しい情報が4巻にあるのでしたら、是非教えて下さい。
お願いします。

177 名前::2002/11/02(土) 15:51

もす 2002年07月30日火曜日 06時54分

 "ちくま"4巻にも彼の素性は詳しく書かれていません。
「扶風郡の馬鈞」、「字は徳衡」と。是非とも県名も書いて欲しいのですが…(笑)
手先が器用だったようですが、言葉は巧くなかったらしいです。

 事例は色々あるのですが、長いので省略して。
傅玄に評され、高堂隆や秦朗と論争をしたとあります。(^^)
他にも裴秀や曹羲など……

178 名前::2002/11/02(土) 15:51

左平(仮名) 2002年07月30日火曜日 22時25分
もすさん、ありがとうございます。
なるほど、扶風郡の人、ですか…。事例からすると、寡黙な技術者ってところですね。ちょっとしたネタに使えるかな…。

179 名前::2002/11/02(土) 15:52

ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時43分

うーん、馬鈞は有名な割には事績が…伝わってはいるんですが(^_^;)、肝心の本人の素性がハッキリしてないみたいですねー。
今ざっとぐーぐる見てみたのですが、NOBさまの逸聞三國志によると、「資治通鑑にちょっとだけ出てた」とのこと。逆に言えば、ほかの史書ではほとんど名が見えないということ。
本人は青史から消えてなくなれど、作品と小話だけが残る…技術者の見本みたいな人物かも。
でも、民間伝承とか残ってるっぽいですが…

180 名前::2002/11/02(土) 15:52

もす 2002年07月31日水曜日 11時45分

 補足ではありますが、
扶風郡の馬氏っていうと、馬日[石單]や馬騰を思い出しちゃうんですよねぇ。(^^ゞ
私の馬超伝にも書いたんですが… ともあれ、県名が書かれてないのが恨めしい。。(笑)

 おぉ、確かに『資治通鑑』に出てますね♪
「使博士扶風馬鈞作司南車」
ほんとにチョット…(爆)

181 名前::2002/11/02(土) 15:52

ぐっこ 2002年08月01日木曜日 22時57分

あ、言われてみれば確かに。馬氏は扶風の大姓のようですから、実際かなり多くの馬氏が同郡でハバをきかしてたようですが…
広い目で見れば、みんな馬援系なんでしょうか(^_^;)

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