第十五章   交州春秋

   建安八年、夏四月。  永安太守法正の独断専行により、益州・荊州の勢力バランスがにわかに崩れ初めた!  法正は軍を南方へ進め、荊南の一角・武陵を占拠。後続を待つ。  これに対して軍師・陳宮は法正の太守更迭を決断し、武 […]

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第十四章   風は荊州から

     建安八年(西暦二〇三年)。  南蛮王・呂布の版図は南中・益州・涼州にまたがる広大なものとなっていた。  同盟者の張魯の勢力も含めると、いまや押しも押されもせぬ西方の大軍閥である。     呂 布:がっはっはっは […]

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ある君主父娘の正月休暇

プレ第3部   ある君主父娘の正月休暇    建安八年の正月を、南蛮王呂布は武都郡で迎えることになった。   陳 宮:殿、明けましておめでとうございます。 高 順:殿、おめでとうござる。 呂 布:おう。謹賀新年。 孟 獲 […]

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第十三章   大南蛮国成立

     建安七年、五月。  領下の悉くを呂布に調略された馬騰は、涼州牧としての最後の勇戦を飾るべく、自ら万余の騎兵軍団を率いて出撃した。  従うのは、馬超・馬休・馬鉄・馬岱・馬雲緑のほか、韓遂、徳、楊秋。さらに旧劉璋陣 […]

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第十二章   もうひとつの戦争

     北方国家特有の「南下本能」により武都郡近郊に集結していた涼州騎兵軍団は、建安六年冬、事実上壊滅した。  その棟梁たる涼州牧・馬騰および韓遂をはじめ、その一族、旗本の悉くが数珠繋ぎにつながれ、南蛮王呂布の軍師・陳 […]

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第11章   武都炎上

   建安六年、冬。隴西方面で開始された呂布の侵略戦は、意外な展開となっている。  馬騰自慢の騎馬軍団は、その圧倒的な猛威を振るう間もなく計略に掻き回され、方々で壊乱し、相次いで主将を失った。  そしてこの戦場の一角にて […]

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第十章   錦馬超と馬雲碌

   「関西(かんせい)は武、関東は文」と云う。「関」とは、弘農の潼関や函谷関のことで、要するにだいたい長安以西の地方は、古来尚武の地とされていたわけである。  その「関西」の最西端ともいうべき涼州。  ド辺境であった。 […]

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第九章   蜀を得て隴を望む

建安5年、夏。ふいに南中地方の雲南に出現した「飛将軍」こと呂布奉先は、自らを南蛮王と称した。かれは異装の蛮兵を率いて平和な益州に侵攻。わずか1年足らずで巴・蜀にまたがる益州全土を制圧し尽くした。   呂 布:こういう書き […]

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プレ第2部  パワーアップキットへのお誘い

呂刀姫:どうも、初めまして!呂布の長女、刀姫です。 呂文姫:初めまして~っ(^^ゞ その妹の文姫で~す(^_-)v 呂刀姫:顔文字使うな~~~~ッ!!! 呂文姫:え~っ(>_<)ヽ 呂刀姫:……。とにかく、話 […]

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第八章   益州統一

     建安六年、夏。  劉璋軍五万の立て籠もる緜竹関の目前に、成都を発した南蛮軍団が姿を現した。  陣頭の南蛮王呂布、化け物のような怪馬「赤兎」に跨り、やはり化け物のような画棹の大戟を引っ提げ、馬上盃片手に悠々と騎行 […]

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