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■ 7th Story CD 「Marchen」総合考察スレ

1146 名前:名無しさん@何にするか募集中:2011/01/08(土) 21:49:14 ID:APZJAUkC
流れぶった切ってすみません。初カキコ失礼します。
書き込む場所あってるといいんですが・・・。
色々調べて、けっこう史実と関連がある気がしたので書き出してみました。

まず舞台になってる?神聖ローマ帝国は、
帝国とははいっても、実質領土はドイツ辺りの土地でドイツ王国のような感じらしいです。
皇帝は貴族の代表の七選帝侯(ザクセン選帝侯とか)などの投票でなることができる国だった。
連邦制の国みたいなもので、それぞれの地方はけっこう独立していたけど、ローマ教皇を
頂点とするキリスト教によって横の結びつきがあった。

以下 宗教改革の時の神聖ローマ帝国の出来事を並べたものです。


・神聖ローマ帝国の皇帝に、フランス王フランソワ1世と(ハプスブルク家出身の)カール5世が立候補。
 どっちもよそ者だったため(ドイツ語すら分からない)、以前皇帝代理をつとめたこともある
 ヴェッティン家のザクセン選帝侯フリードリヒ3世が立候補して欲しいという声もあったらしいが、彼は辞退。
        ↓
・その当時ハプスブルグ家お抱えの豪商だったフッガー家は、ローマ教皇庁から特別な
 許可を得て贖宥状(免罪符)を販売していた。
 これはぼろ儲けなうえに汚い商売で、あがりの半分は
 フッガー家などの販売者に、もう半分はローマ教皇庁の懐に入っていたという。
        ↓
・贖宥状の乱発にルター激怒。当時の教会が形骸化していたこともあり大々的にこれを非難する。
        ↓
・カール5世はフッガー家などの資金援助を得て選挙運動する。
 賄賂がきいたわけではないが、ザクセン選帝侯などの票を得て見事皇帝になる。
        ↓
・しかしルターによる宗教論争で国は大きく混乱中。
 カール5世はルターの考えをけしからんと言って異端だとする。
        ↓
・ザクセン選帝侯フリードリヒ3世は、こっそりルターを領地のヴァルトブルク城へかくまう。
 ちなみにここは元々チューリンゲン方伯のルードヴィング家のものだったが、13世紀に家が断絶した
 ためヴェッティン家の所領になっていた。@
        ↓
・各地でプロテスタントの運動はどんどん激しさをます。
 カトリック教会に押し入って儀式の邪魔をしたり、聖像を偶像崇拝だといってうち壊すなど
 過激な暴動が巻き起こった。

 中でも過激派(トマス・ミュンツァー)たちが農民を煽ったことによりドイツ農民戦争勃発。A
 この反乱は シュヴァルツバルトから、チロル、チューリンゲン、ザクセンなどの各地方へ飛び火。
 
 農民たちは「12ヶ条の綱領」を掲げて、従来の教会のやり方に猛抗議した。
 この条文にはプロテスタント運動のきっかけになったルターの名前も含まれている。B
 (ただしルターは暴動が行き過ぎることを心配して鎮圧側にまわっている)
 鎌などで武装していた農民軍は、大砲で武装した諸侯軍によってすぐ鎮圧される。
        ↓
・カール5世頑固にプロテスタント派をはねつける。
 そしてプロテスタント派の諸侯や都市が、カール5世に抗議書(プロテスタティオ)を出し、
 ここから、
      それまでの伝統的な教会体制をカトリック、
      それを批判したルター派支持者などをプロテスタントと呼ぶようになった。
        ↓
・カール5世やカトリック派貴族 VS プロテスタント派貴族 の泥沼の戦いになる。

 プロテスタント派貴族の主流だったヴェッティン家は、エリーザベトという女子を  C
 同じくプロテスタント派のライン・プファルツ伯に嫁がせて宗教上の政略結婚果たす。
 


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