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2009.09.07

唯一つの命~建寧の政変【第七話】

7/7


 

 ――あれから、一年が過ぎた。

 義真は、ようやく官に戻った。

 職務は議郎である。秩禄は比六百石で、いわゆる起家にあたる高級官僚であった。

 あれから間もなく西涼へ引き上げた叔父は、屋敷をそのまま義真の為に残していったため、相変わらず、義真は酈を薫陶しながら、都の豪傑たちと交わっていた。


 この年、官界は、凄まじい粛清の嵐が吹き荒れた。

 世に謂う、第二次党錮の禁である。

 第一次党錮の禁は、文字通り清流派の人士を党人と括り、禁錮に処する程度の軽いものであったが、今回は公職追放などという生やさしいものではなかった。

 宦官どもは、竇武・陳蕃の蜂起に遭って、心底恐怖したのであろう。


 公職に就いていた、あらゆる清流派の人士たちが、次々と逮捕され、獄に下され、月を経ずして刑戮された。

 世を覆うほどの声名を博した、王朝の宝ともいうべき有為の士たちが、毎日のように、一人また一人と、葬列へ加わってゆく。

 このときの後漢王朝の、人的損害は、もはや致命傷であった。

 後に冷笑をこめて霊帝と諡される、この年十五歳の皇帝劉宏は、無邪気なものであった。

 宦官どもから、

「党人の首魁某が、今日北寺獄にて笞殺されました」

 という報告を聞く度に、手をうってきゃッきゃッと喜んだ。今上にとっては、党人とは、皇帝の椅子を揺るがす大悪人ということになっているのである。

 

 義真ともあろう者が、そのような、暗愚というよりは悪意無き暴虐といってよい愚帝に仕える気になったのは、やはり、あの夜の無力さが、身に染みたからであろう。

 もし、あの夜、彼に十分な兵権が在れば。

 かれはためらい無く大将軍竇武へ合力し、宦官を皆殺しにする断を下したはずだ。

 ――正義を行うには、力が要る。

 義真の就職観というものに、いささかの変化が起こったのだ。義真は本意ではないものの、とかく精力的に猟官運動をはじめた。

 ちょうど折良く、かれは皇帝の命により、公車にて召されるという光栄に浴した。

 これは、第二次党錮の禁によって、官界の人数の八割を誅してしまった結果、行政が滞り、宦官どもが慌てて中堅級以上の官僚の補充に乗り出した為であり、義真の任官は、図らずも、勅任という望むべくもない形で実現することになった。

 議郎とは、いわば参議のようなものであり、皇帝の諮問に親しく応える事ができる。

 多くの場合、議郎は次の顕職へ就くまでの予備任官のようなもので、事実、かれは間もなく栄進し、北地郡の太守となる。

 

………

……


 さて、議郎皇甫嵩は、さる休沐の一日、書見を休めて、屋敷の院子へ出た。

 晴日つづきで、季候も良い。

 ちょうど正午を過ぎた頃であり、陽光が空気に満ちている。

 と、客があることを、家令が告げにきた。

「族父上――」 

 酈が、行儀良く辞儀しながら、殿の下で拝拱した。

 この少年も、いまは太学へ入り、学友達とおおいに交わって、世というものを学んでいるところであった。

「族父上の休沐とあって、お顔を見に、戻って参りました」 

 少年はまっすぐに育った。

 あの夜の出来事も大きかったであろう。学問の為に学問をする諸生たちのなかで、かれは大志を抱いて筆硯を修め、古典をを古典とみず、先人の智慧を貪欲に学ぼうとしている。

「学問はどうか」

「まあまあでございます」

「明堂には教授も多い。学問の上で解らぬ事にあたれば、五度その理由を突き詰め、最後の疑問を問うがよい」

「そう心掛けるでしょう」


 何がおかしいのか、くすくすと二人は笑って、そういう問答を続けた。


「――時に、まだ一番にはなれぬか、酈よ」 

「はい。酈は悔しくてなりませぬ」

 この酈も優秀であったが、彼と同年で、やはり同年に太学へ入った少年の中で、ずば抜けて明晰な児があり、誰も彼には適わないというのである。

 それが、たとえば袁郎の如き、画に描いたような優等生ならばまだしも、この少年は、常々から
「何と云っても、世に儒の教えほどくそ面白くもないものはない」
などと放言して憚らぬ問題児であった。

 だったら学など修めねば良いのに、 この放埒坊主は、いつどこで勉強するのであろう。学問の師に呼びつけられ、厳しい口調で課題を問われると、すらすら論語孝経を諳じ、ついでにひとつ上の詩易春秋まで論じて師を唖然とさせるというのである。

 ――義真は、酈からその少年の逸話を聴くたびに、面白そうな顔をした。

 少年は、朋輩からも、幼名である阿瞞という名で呼ばれていた。

「学問とは、裸の心に先人の英智を一枚一枚薄皮の如く張り付け、やがてわが血肉とするものなのに、君の学問は人へ見せるために知識を羽織っているに過ぎない」

 あるとき学問の師のひとりが、阿瞞を指して非難した。君の学問は猿真似に過ぎない、と云っているわけである。
彼は口元をちょっと歪めただけで、師の酷評を聞き流した。
(今の言葉はそっくりそのまま先生に準用できるではないか) とでも心中思ったに違いない。

 経典の文言章句に拘泥し、徒に世の筆硯を浪費する類の小儒など、端から彼は相手にしていなかった。 大人にとって、これほどやりにくい子どもはない。

 阿瞞は常に、小さい巾着をぶら下げて歩き、その中には手巾や櫛などの小物から、六博、弾棊といった遊戯道具、用途不明の薬篭、それに五朱銭などを容れていた。

 これが、不思議と彼の朋輩の間で流行し、たとえばいまの酈の腰にも、そういう巾着がぶら下がっている。

 容易ならざる餓鬼大将、とはその阿瞞のような者であろう。知らず、皆が彼の行動に注目している。

「随分と楽しそうだな」

「楽しくはありませぬ。あのような男の下風に立つなどと」

 酈は頬を膨らませた。

「何しろ、阿瞞は、あの曹大長秋の孫にあたるのですから」

 大長秋、とは、宦官の最高責任者のことだ。

 阿瞞の祖父・曹騰は、先帝の頃、宦官数千名の上に君臨する、後宮の王者であったという。党錮の禁で辣腕を振るった宦官曹節、王甫らなど、曹騰から見れば子どものようなものであろう。

 その大宦官の孫に、そういう阿瞞のような少年が出ることは、天下にとって吉か凶か、いささか占じ難い。

「…まあ、酈は分をわきまえ、己の学を修めなさい」

「もとよりです」

 ――と、ふたりが、常の如く、会話をしていたところに。

「お邪魔をしている」

 と、ふいに横合いから声が掛けられた。

 ぎょっとして向き直る義真と酈の目の前に、いつからそこへ居たのか、一人の壮士が、いっそのんびりした態で、大きな敷石に腰掛けていた。

 義真は、大いに驚いて、壮士へ駆け寄った。

「伯求どの!ご無事でいらしたか――!」 

 壮士は、あの夜、竇武の家族を救うと云って別れた、何顒伯求であった。





*************





「爾来、交友する暇が無かったが、議郎はいと闊達で、重畳なことです」 

「…無為に官禄を喰んでおります。――亡くなった方々へは、九泉の下でも顔向けできそうにない」

「皮肉にとり給うな。私は、皇甫氏の栄達を心待ちにしておる一人です。」

 慌ただしく拝謝し合うと、義真は酈をやって、家人に奥まった一室を用意させた。そこへ席を用意し、酈と家令のみを給仕に立てて、何顒と義真は語らった。

「――あの夜の一別以来、卿は荊州へと落ち延びたと仄聞しました」

「その通りです。私は竇大将軍の掾属、胡氏とともに、大将軍の御嫡孫を連れ参らせ、荊南まで落ちた」

 ゆっくりと爵盃をあけながら、何顒はこれまでの逃避行を語った。

 ――その惨、その逆境。

 聞いているうちに、義真は面を上げられず、涙を席上へ滴らせた。

 あの夜、自分は張奐を止めると大言し、ついにはそれを果たすことも出来ず、空しく引き上げただけであった。

 だが、同じ夜、誓いを立て合ったもうひとりの何顒は、見事に、大将軍の孫を洛陽から脱出させ、結果的に空しくはなったが、約一年間を堪え忍んだ。

 嗚咽する義真をみて、何顒は真情のこもった眸で、その苦悩を慰めた。

 いま何顒は、例の袁紹青年の屋敷を潜伏の根城として、洛陽中へ地下の連絡網を作りつつあるという。何とも精力的な、反政府活動家というべきだった。

「…そういえば、護匈奴中郎将も、禁錮されたらしいですな」 

 ふと、何顒は呟いた。


 その通りである。あの夜、事情を知らずに大将軍、というより後漢王朝の基幹部を攻め滅ぼした老将軍は、翌日、他ならぬ義真を私邸に迎え、ついにその現実を知った。

 老将軍は、一時気を失うほどの衝撃を受けた。

 張奐は、この度の「叛乱鎮圧」の功として、九卿のひとつである大司農卿の位が下賜される予定であった。その恩賜の帛を、張奐は立ち上がって切り裂き、義真の手を取って、大いに泣いた。

 その日から張奐は、数ヶ月客を避け、まるで服喪したかのように静まった。

 それが明けてから、今度は宦官を弾劾する文書を上奏するようになり、党錮の事はまるで事実無根で、宦官らにこそ責がある、という類の主張を重ねて行うようになった。

 慌てた宦官どもは「ばれたか」と舌打ちして、さっさと、この用済みとなった老将軍を、党人として禁錮し、追放してしまったのである。

 それが第二次党錮の禁のきっかけともなったのだから、どこまでも、この張奐の行動は、後漢王朝を衰亡させる要因となってしまっている。


「――まあ、色々とあったが、結局誰にも止められぬ事であったのだろうよ」

 何顒は、肩の力を抜くように述懐して、話をまとめた。

 彼らふたりは、たまたま、歴史が変わる途の真ん中に居合わせた。

 二人とも歴史を変えられると思い上がり、それに挑み掛かり、それが果たせず、こうして酒を酌み交わしているのだ。

 義真は、少しだけおかしみをおぼえて、仄かに笑った。 

「…それにしても、大将軍の御嫡孫には、残念だった」

 思い返すも惜しいのは、その一点である。

 大将軍の敗亡は防げなかったにしても、その二歳という幼い生命を、無事洛陽から救出しておきながら、空しく死なせてしまった事だけは、未だ、いささかの残念がある。

 何顒や、胡騰に責があるわけもなく、ただその幼児に天命が無かっただけなのではあるのだが。

 零陵まで逃れた胡騰は、結局、生涯公職を追放され、妻と子とを、学問でもしながら養うのであろうが、悔いはいつまでも残るに違いなかった。

 ――と。

 何顒は、くすくすと笑って、義真の肩を叩いた。

「卿がだまされるならば、もう安泰と云うところだな」

 義真がぽかんとする間に、何顒は勢いよく杯を仰いだ。

「胡氏は、逃亡のあいだ別嬪な伴侶を得たが、二人の間に児はおらぬ」 

「えっ――!?」

 義真は、喜色に顔を輝かせた。

「さよう。胡騰の子、胡輔とは、つまりは竇輔どのよ」

「――おお…!」 

 義真は、感激に胸がふさがり、また泣いた。

 涙をかくす必要は無かった。横なぐりに目を拭っては、また泣いた。

 何顒も、笑いながら泣いた。

 偉丈夫ふたりは、向かい合って、手で席を叩きながら、大いに泣き合った。


 ――あの夜、救いがあったのだ。

 二人の処士が、都の隅で小さく歴史に挑み、結局は何一つ報われず、敗れたと思っていた。 

 しかし、その日死ぬべき定めにあった二歳のこどもが、都を遥か離れた地で生き延び、今も、市井の一平民の子として、すくすくと傅育されていたのだ。

 一命を賭すれば、何をか為すでしょう――と、あの夜叔父へ高言し、何をも成せなかったと空しく戻った日が、鮮やかに思い浮かんでくる。全ては無駄であったと、自嘲するしかなかったあの一日が、全くの無駄ではなかった。

 救いはあった。

 義真はそれだけでよかった。

 それが、ただ一つの命であったとしても。

 


*************




 後漢書、竇武傳に云う。

 竇武の孫、竇輔は、二ツのときに零陵へ逃れた。そこへ曹節らの追捕が及んだとき、令史である南陽の張敞(張温の弟)が、胡騰と図り、大将軍の孫は死せりと届け出た。

 その日以来、胡騰は竇輔をわが児として育てた。かれはのびのびと才分を伸ばし、妻子を得るほどに成長し、ついには桂陽の孝廉に挙げられるほどの有為の士となった。

 建安中、荊州の支配者となった劉表は、胡輔を召し抱えたとき、養父胡騰からかれの生い立ちを聞いて大いに驚き、彼の権限で竇姓へ戻し、上客として敬った。

 数年の後。

 幾度かの回天を経て、荊州に支配者として君臨したのは、時の丞相、冀州牧の曹操、字は孟徳という、一代の覇王であった。

 彼こそ、すなわち先の話題に出ていた阿瞞の成長した姿であるが、かれもまた同時代を育った人間として、竇輔の生い立ちに同情し、彼の家族らをみな都へ呼び寄せ、上卿の列に加えて篤く信任した。


 やがて関中に戦役があり、竇輔はその将帥として出陣したが、武運拙く、馬超軍の飛箭を身に受けて、その地で没した。

 だが彼の祭祀は、きっとその子に受け継がれ、いつか血の絶えるまで、勇敢で誠実であった大将軍竇武の血脈は続いてゆくことであろう。

 あの夜、救い出されたのはただ一つの命であっても、その枝葉は次代へ広がり、また新たな命を残すのである。

唯一つの命~建寧の政変【第六話】

6/7


 事は、破れた。

 惨なる哉。――宮闕のひとつ承明門前にて、「叛乱軍」の首魁である太傅の陳蕃が捉えられたのである。

 大将軍が北営の校を率いて奮戦している頃、宮中に火の手と悟り、急行してきたのが、彼、陳蕃であった。ちょうど義真が何顒と話し合っていた時刻である。

 自邸にあって、夜の騒擾を耳にした陳蕃は、天を仰いだに違いなかった。

「閹人に、漏れたか――」

 そう、長嘆したであろう。

 竇武が宦官長を捕らえて拷問にかけ、いちいち上奏の調書を準備したとき、陳蕃はその誠実な夫子らしい悠長さに苛立ち、さっさと誅して兵を挙げるべきだ、と怒鳴ったものだ。

 思えば、まさにその時からこの義挙は破れていたのである。

 ならば責は大将軍にあるか、と問えば、陳蕃は無論頷かぬであろう。

「天命よ」

 天が、そうあるべしと命じたのだ。竇武と陳蕃、それに多くの名士たちがこの夜を境に死に絶えることも、すべては天の差配である。

 しかしながら、

「腐者どもの栄華とて永遠には続くまい」

 陳蕃は死ぬ為の出撃を前に、そう呟いたであろう。

 …天下はいよいよ濁流の覆う世となるが、この日より二十年の後、時の司隷校尉袁紹とその一党が、とうとう宮中に巣喰う宦官という宦官数千名を、一人残らず殺戮するのである。

 数百年と続いた宦官と外戚の果てない闘争は、図らずも、いま洛陽の永和里で悶々としている先の袁紹青年が、歪な形ながら解決してしまうのだ。

 

 陳蕃は、齢七十という老身を引っ提げて、掖廷へ駆け付けた。

 単身ではない。日頃かれが愛育してきた諸生、官属等八十余名が、この老臣と運命を共にするべく、各々剣を佩いて門出した。

 戎装もせぬ朝服姿に、抜き身を引っ提げて駆けるこの奇妙な集団は、やがて承明門前にて、宦官長たる黄門令王甫の率いる一隊と遭遇した。

「謀反人ども!」 

 大喝したのは陳蕃老人であった。――大将軍に何の不道やある、叛するは宦者なる、宦者なるぞ、と、声を限りに怒鳴りつけた。

 ちょうど門内にあった宦官王甫が進み出て、やよ、汝らこそが大逆よ、と甲高い声で怒鳴り返し、双方が剣を抜いて、あれを黙らせよ、と命じ合った。双方を忠衛していた人数は、白刃をかざして突進した。

 が、数が桁一つ違う上に、王甫の隊が完全武装の近衛兵であるのに較べ、陳蕃の諸生たちは、剣一本を携えるだけの身である。

 たちまち叫喚のもと、朱に染まるのは陳蕃の人数であり、八十名を数える者どもは、みるみるうちに地へ臥し崩れた。

 …が、王甫も驚いたことに、陳蕃老人だけは、殆ど超人とも云える頑張りで、群がる兵士らを突き飛ばし、剣で滅多打ちに殴り、組み付いて投げ飛ばし、なんと少しずつ王甫の方へ近づいてきたのである。

「ふ、拒げっ!――拒げっ!」

 王甫が悲鳴をあげて重壁の裡へ隠れるうちに、とうとう、屈強の衛士ひとりが、陳蕃老人の痩身を押し倒して、剣をもぎ取った。そこへ、次々と折り重なるように兵どもが殺到し、ようやく陳蕃老人を縛り上げたのである。

 

 陳蕃老人は、黄門北寺獄へ収監され、その日のうちに刑戮された。

 その折り、宦官の一人が趨走して、伏臥する陳蕃の顔を蹴りつけ、こう言ったそうである。

「老人、我が曹の稟仮を奪うや不や」と。

 この宦官は、皇帝顧問官たる陳蕃に向かって、(よくも我らの飯を奪おうとしてくれたな)と罵ったのだ。

 陳蕃にこの時意識があったとすれば、そのあまりの矮ささに、哄笑したに違いなかった。


 


 ********

 

 ――黎明。

 洛陽宮の宏壮な闕が朝日に輝く時刻、義真は、北営門の側まできている。

 後にこの皇甫嵩という青年は、兵事の玄機を知る類ない名将として、連戦した数だけ連勝し、車騎将軍という国家の元帥まで昇り、三公に任じられ、弓矢の棟梁として後漢王朝最後の武臣として名を残す男である。

 約二〇年続く党錮の禁が解除され、弾圧されていた清流派名士たちが、群竜が雲を得る如く、ふたたび世に縦横する事が叶うのも、すべてこの義真が、黄巾賊鎮圧に際して強硬に主張したのがきっかけである。

 だが、その彼も、この時はまだ布衣の一処士に過ぎず、扈従するのは四十万の軍勢ではなく、わずか十五歳の少年ひとりであった。

 いまの彼はあまりに無力であった。

 その無力な処士が、一命を賭して、歴史へ挑もうとしている。


「何者!」

 

 誰何の声が、四方から響いた。殺気立っている兵らから出る言葉は、もはや悉く怒号と云ってよい。

 ――呆れたことに、義真は、佩剣を酈へ預けて、単身、本営まで歩いてゆく事を選んだ。

 当初の予定通り、兵の一人から甲胄を奪い、伝令を装うことを想定していたのだが、張奐は義真の予想を遙かに上回る名将であった。彼は令箭を与える伝令に二人を用い、外からの連絡は全て門前の割り帳と符合させた上、合言葉らしきものを唱えさせるという、徹底的な軍機保持を行っていた。

 戦場では、軍使の報告一つで戦況はがらりと変わる。何よりも先んじて、闘将として最初に張奐がおこなった事は、情報保持なのであろう。

(――俺が浅慮だった) 

 義真は苦笑した。思えば、皇甫規も戦時、つねに軍使として、子飼いの将校を十余名も連れていたではないか。それを、甲胄を奪っただけで入れ替わるつもりであったとは、なんとも児戯に等しい発想であったと羞じるしかない。

 かといって、他に手がある筈もなく、もはや堂々と、張奐の旧知であることを頼りに、彼へ談判するしか無いと、判断した為であった。

 義真が、兵列へ接近するや、たちまちのうち、磨きぬかれた鉾の刃先が身辺を取り囲んだ。

「汝も反逆の徒輩か」

「この鉾に貫かれるしかないぞ」

 兵は口々に喚いて、今にも義真を突き殺そうという危険な状態であった。

 が、義真にとってそれは、予想のうちであった。

 義真は、群がり寄る連中へ大いに怒鳴った。

「護匈奴中郎将の御身が危うい!猶予すべからず、疾くお通し願いたい」

 兵どもは、その叔父譲りの凄まじい大音声に怯み、思わず距離をあけた。

 気組みは、まず義真が取った。義真は畳みかけるようにして、

「二度は云わぬ!中郎将へ禍が迫り、その命数の急たるや、一刻の猶予もない」

 と断言した。

 嘘は云っていない。もしこの日、張奐が竇武を討つようなことになれば、張奐の名は明日から地に墜ち、あらゆる名士の敵として、千年後まで唾棄され続けることになるであろう。

 義真としては、そういう真情もあるので、余計に熱が入り、ついには怒鳴りながら涙を流した。

 かれを取り囲む人数は、最初の勢いも失せ、困惑したように、両隣とチラと見合った。

「――卿は、何様であるか」

 兵のうちの一人が、鉾先を地へ向けて、問いかけた。

 義真の虚喝は功を奏したというべきだった。彼らは完全に気を呑まれている。然るべき貴人の若殿である、ということをも悟ったのであろう。

「覚え措け、私は先の皇甫雁門の子、皇甫嵩である」

 義真が堂々と名乗ったので、御林の衛兵は更に驚いた。

 僥倖なことに、彼らの中に、かつて皇甫規の率いる遠征軍団に従事した将校がいた。

「あっ――先の度遼将軍の甥御におわすか」 

 鎧音さわがしく、義真の元へ、華美な甲胄を纏った壮漢が現れ、無官の義真に対して相応の軍礼を施した。

 義真は、郎官としての拝拱で応え、その将校へ云った。

「先も申した通り、私は叔父の名代として、護匈奴中郎将を護り参らせんと推参した。お通し願えるだろうか」

 将校は、梁衍と名乗り、その旨難しいことを返答した。

「中郎将は、いま本営をば離れ、支隊の采配へ赴かれている。急とやらが何かは知らぬが、いますぐの目通りは叶うまい」

「その支隊の位置は」

「問うまいぞ、皇甫氏。卿は先ほどから、無官の身に過ぎた質問をされている」

 梁衍は難しい顔をしたが、義真はなお熱弁をふるった。

「先刻も申したが、事は張中郎将の、声名と万代の家祀に係わることなのだ」

 その時、遠くで、鼓を擲つ音が響いた。

 梁衍は一度、遠くをかえりみて、食時なり、と呟いた。そして義真へ強く云った。

「皇甫の郎殿、重ねて云うが、お屋敷へ戻られ、朝餉などを喰われるがよい」

「戯言は止して貰いたい」

「戯言ではない。――本職としては応えられぬが、卿は中郎将へ、此度の行軍は、まったく、大将軍の咎にあらず、とでも進言なさる心算であろう」

 義真は、頷いた。

「中郎将の御そばには、周小府がおわし、黄門令の指図を逐一、お伝えされておる。この意味が分かるか」

 周小府とは、すなわち小府卿周靖のことであり、この度のどさくさにまぎれて、宦官が緊急に任命した九卿のひとりである。また彼は、車騎将軍の任を臨時に行っており、いわば軍事の棟梁として、張奐を指令する立場にあった。

 義真は唇を噛みしめ、ために鮮血が顎へ滴った。

「卿が、首尾良う中郎将の前へ立ったとしても、そこは既に、宦者の籠の中よ」

 義真には想像が出来た――何も知らぬ老将軍が、周靖の口を通して騙る宦者の虚言へ導かれるままに、この世の正義を毀ちてゆく姿が。

 嗚呼――と、義真は、蒼穹をみあげて、体をくずした。

 自分は、何と無力であるのか。

 ――ここに来て、ようやく、叔父の云わんとしていた事が分かった気がする。一人の正義などでは動かし様もない事が、この世にはあるのだった。

 そのとき、遥か前線のほうで、騒々しく、鉦が鳴らされたようである。

「――皇甫氏よ、残念ではあるが、事は終わったらしい」

 梁衍は、一瞬だけ真情を込めた口調で、義真へ告げた。鉦は、大将軍自裁を報せる報であり、同時に、この中華という地から、清流派という呼称が失われる徴でもあった。

「…屋敷へ戻られるならば、閭門までは我が隊の人数を連れてゆかれよ」

 梁衍という、後に皇甫嵩の腹心となる男は、この時からふしぎに親切であった。

 完全に脱力した義真へ同情したのか、安全圏まで、兵を貸して呉れるというのである。無論それは、掣肘と監視の意味もあるだろうが、酈を無事に連れ帰る為にも、義真は、その好意に甘えるしかなかった。

 


 ********

 


 やや遡り、黎明の頃――

 護匈奴中郎将・張奐は、生涯西方で鍛え上げた老練の用兵を振るい、とうとう鉄桶の如き包囲網を完成させていた。

 そこへ、先ほど陳蕃老人を捕らえた黄門令王甫の一軍が駆け付けたが為に、もはや誰の目にも、大将軍の敗亡は必至となった。

 更に追い打ちとして、王甫が例の金切り声で、降れば褒賞すべし、残らば誅滅せん、と自ら怒鳴り、兵士らにも唱和させた為、大将軍を囲む人数は、次々と、戈を擲ち、その自壊を早めることになった。

「叔父上――」

 大将軍の甥・竇紹は、無念に歯噛みしつつも、叔父へ退転を促した。

 もはや、どこへ落ちようと云うのか、という状況ではあったが、彼らの麾下は未だ精強を保ち、血戦すればあるいは、この包囲を抜けられぬこともなさそうであった。

「ここは、落ちましょう」

 竇武は力無く頷くしか無かった。この段に及んでは、かえって、歩兵校尉竇紹の方が、大将軍よりも精力的に兵を采配し、めざましく武勇を振るっていた。無論、それが死出を飾る最期の勇戦であることを、竇紹も承知のうえであった。

 竇紹率いる、わずか百名程の一団は、赤熱した溶鉄が滴るように、包囲網の一部へ殺到し、その勢いに怯んだ衛兵らを突き崩して、見事に鉄環を抜け、洛陽市街へまろび出たかに見えた。

 ――が、既にそこは、張奐の率いる別軍が扼すところとなっており、決死の竇紹隊はいよいよ、その場所で最期を迎えることになった。

 兵の悉くを討たれた叔父と甥は、背中を相庇いながら剣を振るい、とうとうある門前の一亭へ追い詰められた。

 ここに衛士を突入させぬのは、張奐の、大外戚である竇氏へ対する、せめてもの敬礼なのであろう。

 竇武と竇紹は、そこで懐剣を手にして、彼らの先祖へ大いに懺し、憤涙のなかで相果てた。

 

 竇武と陳蕃による宦官誅滅の挙は、この朝、ふたりの自害により幕を閉じたのである。


 ………

 ……

 …


 その頃、洛陽北宮にほど近い歩廣里へも、五営の軍兵が殺到していた。

 彼らの標的は、数百名にもおよぶ大将軍竇武の卷族と、その家属である。かかる乱子の三族は、老幼の別なく、悉く誅されるのが世の習いであった。

 ――大将軍邸を襲撃した兵士らは仮借無く、中へいる男も女も撃殺し、それでも息のある者のみを拉致しては、逮捕せりと騒いだ。

 竇武には幾人かの子がいたが、既に彼らは、従容として死を遂げており、せめてその屍の名誉を守った。

 殺戮に飽いた者は、その財庫の錠前をこじ開けて、珍しい調度だの、財物だの、書物だのを勝手に持ち出しはじめた。中には、価値あるものを巡って、官兵どうしが剣を抜き連ねて私闘するものもあり、大将軍邸は、凄まじい惨状を見せることとなった。

 

 さて、ここに、竇武の門生のひとりで、機知を以て天子にも愛されたという、桂陽の胡騰なる人物がある。

 かれは竇武の子に、孤児を託されて、今年わずか二ツになると言うあどけない若君を胸に抱いて、辛くも、竇武邸を脱出したのだった。

 だが、胡騰はたちまちのうちに、市街へ展開している兵の一団へ見咎められ、逐われることになった。閭門を越え、他邸の軒へ隠れたりして、幼い児を抱えて、彼は死に物狂いで駆け回ったのだが、練達の武人でない彼は、血を吐くほどに息もきれ、腕にかかる児童の重さにも耐えられず、もはやこれまでか、という程まで追い詰められた。

 ところが、路地のかげで北部尉隷下の歩卒に発見され、とうとう捕縛されようかというとき、白い疾風のように、ひとりの剣士が飛び込んできて、二呼吸のうちに、一伍の兵団をことごとく薙ぎ倒してしまった。

「――胡従事、安んぜよ、この伯求が来たからには」 

 剣士は、何顒であった。

 何顒は胸に若君を抱き、胡騰の腕をとって、巷から巷へと、素早く移動した。途中遭遇した動哨の悉くは、呼吸する間もなく斬り殺した。

 また同時刻、何顒のまわりには、不思議な人数が出没していた。

 彼らは、何顒につかず離れず、巧妙に連携しながら、五営の軍団を遠ざけたり遅滞させたりと陽動し、彼らの脱出を掩護した。――この見知らぬ影こそ、乱のはじめ、皇甫規が市街へバラ撒いた細作たちで、彼らは主の命じる通り、竇武の一族を安全圏まで、送りだそうとしていたのだ。

 何顒の勇戦と、かれらの暗躍によって、胡騰と竇武の孫は、無事、この日の禍をのがれることができたのであった。

 何顒はふたりを、大胆にも袁紹邸まで送り届けて、後事を頼んだ。

 袁紹青年は、手を撃って、竇武の血縁が守られたことを祝し、よろこんで脱出の便宜を図った。

 かれらは袁郎の庇護の元、厳戒態勢であった洛陽の宣陽門を通過して、その日のうちに洛陽を脱出することが出来たのである。


 ……それからわずか数刻後、邸内の屍の中に、二歳になるはずの嫡孫が無いことに気付いた宦官達は、大いに騒いだ。

 すぐさま進発した追っ手たちは、なんと遥か南の荊州のにまでその網を広げて、死に物狂いで竇武の胤を捜した。

 南へと遁げる胡騰と何顒は、その先々において、幾多の困難に見舞われたのだが、その都度、互いの智勇で難局を切りぬけ、幾月か後に、荊南の零陵にまで落ち延びた。

 ――が、そこまでであった。

 竇武の孫は、惜しいかな、脱出のあいだの苦難が労したのか、3ツに成るのを前に、空しうなってしまったという。

 それを伝え聞いた追捕の一団は、急報を洛陽へと送り、追跡の指示をしていた宦官の曹節・王甫らは、これで宿敵の胤が途絶えたと安心して、捜査網を解散させた。


 胡騰は党人と云うことで、生涯禁錮という厳罰となったが、かれの幼い息子胡輔と、逃避行中に得た彼の妻は、とくに司直への出頭を命じられず、一平民として、余生を安んじることを赦されたのだった。

 何顒の方は、まるで風のように行方を断って久しかった。

唯一つの命~建寧の政変【第五話】

5/7-


 

 払暁が近づくとともに、内乱は急速に収斂しつつある。

 各方面の要衝を制圧し終えた近衛の全軍が、掌で包み込むように、南正門である朱雀門へ集結をはじめたからであった。一隊、また一隊と、宦官側の軍勢はその陣容を増し、逆に竇武の軍勢は、一隊また一隊と減少してゆく。

 義真と可顒が目撃したのは、ちょうどこの頃の戦況である。

 辛うじて戦線を支えていた大将軍竇武であったが、甥の竇紹とともども疲弊は限界に近く、兵士らもまた、一秒ごとに厚みをましてゆく敵陣を遠望し、絶望をふかめている。


 この夜、いったい何故このような事になってしまったか――


 ********



 ――太白、上将星を犯し、太微に入る。将相よろしからず


 という天文が、決起を促した。

 「さてこそ」と頷きあった陳蕃と竇武は、かねての打ち合わせ通り、玉璽を用いて電撃的な人事を行い、後宮の宦官長ら数名を解任した。

 当の宦官長らはそのことを知らず、日頃のように出勤し、その場で逮捕された。

「誅すべきだ」 

 と鼻息荒く主張する陳蕃を制し、竇武は彼らを拷問にかけ、宦官一党が累積してきた悪事を、満足ゆくまで調書にとった。それにより、宦官みなごろしの上奏文書が完成するわけである。

 夜、最後の署名を終えた陳蕃は上奏文書を後宮の入り口まで持ち込んだ。

 書類を決裁するのは、皇帝ではなく太后であり、取り次ぎの宦官に渡さねばならない。

 このとき、上奏文書は厚く梱包され、ただ大将軍竇武に対する私信という形で、後宮へ持ち込まれるはずであった。

 ところがこのとき、竇武は急な呼び出しで大将軍府へ赴いており、後宮には居なかった。

 ――この時間差が、全てを狂わせた。

 大将軍が不在と云うことで、文書は内府の預かりとなった。

 そこで、宦官の一人が不審を抱き、封を破って中を見てしまったのである。

「あっ――黄門令が朝からおられぬとおもえば」 

 文面を盗み見た宦官は、蒼白になって、宦官の領袖である曹節・王甫らへ泣訴した。

 書面をみた二人は、頷き合うと、

「むざと討たれるものか」と、後宮に詰める宦官全員をあつめ、非常の時である、剣をもて、と怒鳴った。

 

 このとき、書面を提出し終えた陳蕃は、門生をひきいて公邸へ引き上げている。竇武は、まだ大将軍府にいる。

 宦官は、何よりも先に幼帝の身柄を確保した。

「徳陽殿にお篭もりあそばせ」

 乳母と少年帝に剣を持たせて、宦官は皇帝を最も安全な場所へ退避させ、同時にそこを逆クーデターの指揮所とした。

 伝令は次々と発せられ、この夜、剣を持った宦官たちが宮廷内を駆け回った。

 皇帝の次に宦官が掌握したのは、玉璽の府と、皇太后の身柄であった。いずれも公文書発行機能をもち、皇帝と対価といってよい。太后は、日頃寵愛してきた宦官達に白刃をもって脅され、何の事やらわからぬままに、長楽宮から引きずり出された。

「――竇武ならび陳蕃のともがら、太后に奏して帝を廃せんと謀る。これ大逆である」 

 大将軍、太傅御謀叛!

 この報は、宮廷中をかけめぐった。

 ただちに、近衛の軍団に動員がかかった。

 なかには疑問を抱く部将もいたであろうが、太后の璽が捺してある正式文章なので、この命令は絶対であった。かれらは、篝火をかかげ、一挙に大将軍府を急襲したのである。

 


「事、やぶれたか」

 闕下にとぐろを巻くように集結する篝火を見下ろして、大将軍竇武は天を仰いだ。

かれは、後漢建国の功将、竇融の玄孫である。そのころから竇氏は、皇室との姻戚がふかく、幾度か皇后や貴人を出している累代の外戚であった。

 竇武自身は、母の胎内から蛇と一緒に生まれ出たという奇譚以外、いたって平凡な質で、長安郊外に住まっているときは、私塾を開いて学生を教授する、穏やかな教養人であったようだ。

 ところが、娘が貴人として後宮へ入ったことから、人生がおおいに転換した。

 彼は一躍列侯に封じられ、越騎校尉、城門校尉などという高級士官職を歴任し、本人が目をまわしているうちに、押しも押されもせぬ大外戚となりおおせてしまった。

 が、彼は根が村夫子であるためか、どうにも使い道の解らない家財や、放っておいても貯まる一方の銭帛の処分に困り、貧民街を中心にそれらの配布をはじめた。

 ちょうど、魔王の代名詞にまでなった大外戚、跋扈将軍・梁冀の圧政が終わった頃であったので、

「こんどの外戚は、神の如き人だ」

 という評判がうまれ、どっと士人が押し寄せた。たちまちのうちに、竇武を中心とする清流派の一大グループが結成されたわけである。

 これには、宦官どもも当てが外れたであろう。竇武、竇后という、それといって特徴のない父娘を次代の最高権力者に選んだのは彼らであるが、それは要するに、彼らが操るのに都合のよい、凡庸な父娘である、と目星を付けたからであった。その無害であるはずの男が、清流派の領袖として、宦官にたてつく急先鋒となってしまっている。

 それから党錮の禁がおこり、同志たちは皆公職から追放されてしまった。が、外戚たる竇武まではさすがに司法も及ばず、やがて桓帝が崩御し、霊帝が即位することになった。竇皇后は太后となり、竇武は大将軍に累進した。

 竇武は数年間の宮廷生活で、宦官による天下の惨状を知り尽くしており、

「こやつらを、皆殺しにせねば漢家は滅びる」

 とまで決意を固めていた。

 が、娘である太后は常に宦官の味方であった。うかと相談も出来ぬ。

 どうすれば、宦官どもを皆殺しに出来るか。竇武は毎日何刻かをその思案に割くことにし、独自に計画を練り始めていた。

 ――そんなある朝、たまたま廟堂で、太傅の陳蕃とふたりきりになった。

 陳蕃は、天下の御意見番とも云うべき老骨で、さすがの宦官も、彼の名声があまりに巨大なのを畏れ、手出しができずにいるという惑星のような存在であった。

 竇武は、陳蕃と平素それほど親しくないが、同僚として大いに尊敬している。

 と、陳蕃がふいに切り出した。

「曹節、王甫の徒は、海内を濁乱し、民を虐すること甚だしい」

 密談ゆえ、声が低い。ぼそぼそと、陳蕃は驚くべき事を云った。

「――本職は、彼らを誅滅して天下に謝すつもりでいるが、如何」

 竇武は息を呑んだ。

(あっ――同志が、ここにいたのだ)

 竇武は大きく頷き、目でもって賛同を示した。

 よほど嬉しかったに違いない。そのときの陳蕃は、「大イニ喜ビ、手ヲ以テ席ヲ推シ、起ツ」と、具体的な所作まで描写されている。

 決起の、わずか三ヶ月前である。

 

 ――そして、いま。

 大将軍竇武は、大将軍府の裏門を遁走している。

「北営にさえ逃げ込めば」

 逮捕状をかざした勅使に傷を負わせ、彼らが怯んでいる隙に、竇武は遁走した。

 衛士らが忠勤し、追っ手と激しく剣闘している。

 竇武はその間も走り続け、どうにか甥の竇紹が駐屯する北営へ駆け込んだ。この甥は、かつて竇武の身内であることをかさに驕慢し、ために竇武が下野騒ぎを起こしかけたときの、あの甥である。

「大将軍、いかがあそばしました」 

 歩兵校尉である竇紹が驚いて出迎えると、竇武は絶叫した。

「常侍、黄門叛す!尽力する者は侯に封じ、重く賞するであろう」 

 さてこそ――と、竇紹は麾下の歩兵軍団数千人を招集するとともに、竇武を追ってなだれ込んできた宦官側の宮兵と開戦した。

 地の利は、当然竇紹にある。竇紹と竇武は、手ずから十余の敵兵を射殺し、この方面の敵を敗走させた。

 敵の壊滅を確認した竇紹は、叔父のもとへ歩みより、

「大将軍、こちらから寄せるべきです」

 と決起を促した。

 竇武も、もとよりそのつもりである。

 しかし――甥の言に頷き、号令を発しようとしたとき、宮を埋め尽くすような篝火がこちらへ向かっているという報せを受けた。

 宦官側が、京に逗留していた護匈奴中郎将の張奐をよびよせて、五部の近衛全軍の指揮権をゆだね、進発させたのである。 

 圧倒的な篝火の群れは、粛々と北営のそばの都亭に迫りつつあった。

唯一つの命~建寧の政変【第四話】

4/7


 

 いかなる術であろうか。

 義真は、呼吸すらできなかった。

 声の主は、ただ義真の手首と掌の一部を指で圧迫しているだけなのに、それだけで体中の筋骨が全く動かぬ。

 酈は、酈はどうなったか、と後ろを確認したくとも、振り返ることができない。

(――皇甫氏よ、童子は無事だ。いま卿とおなじ目に遭っているだけだ)

 声は、呟くように云った。

 義真はそれを聞いて、全身の力を抜いた。とたんに、さきほどの呪縛が嘘のように解けた。同じく敵手は義真の手を圧迫しているというのにだ。

「そうだ、この骨子を解くには、全身の筋肉を弛緩させる覚悟が要る。皇甫氏は、力みすぎていた」

 声は涼しげに云うと、その手を離した。

 離れた瞬間、義真の腰間から閃光が鞘ばしり、声の生じた位置を正確に薙ぎ払った。

 が、空を斬った。

「――!?」

 次の瞬間には、ひやりとした感覚が首筋に擬せられていた。

(乱暴な男だな。童子は無事だというのに)

 こんどは、後ろからだ。

 声の主が、すくなくともその方角には居ないことくらいしか、いまの義真には解らなかった。

(だめだ、格が違う――) 

 義真は、自信のもとである剣技において、二度も不覚を取ってしまったのである。

 と、ふいに、一体にみなぎる殺気が消えた。

「驚かせて済まなかった、義真どの。私だ、伯求だ」 

 出し抜けに声が聞こえた。小さいが、偽装されていないはっきりとした声である。

「あっ――」

 義真は、今度こそ声の方角へ、あわてて拝拱した。

 相手も同じく拱手の礼を返してきた。

 声の主は、義真もよく知っている何顒、字は伯求という青年であった。


 ********


 

 後漢王朝は皇甫嵩という名将を得て、その命数を幾ばくか長らえることになるが、それだけでなく、この何顒という稀代の活動家を産んだこともまた、僥倖と称するに足るであろう。

 何顒は義真と異なり任官歴がなく、文字通り無位無官である。歳も二十歳を幾つ過ぎるか、という弱輩だ。

 にもかかわらず、その知名度は義真と比較にならない。

 かれは太学で甚だ学名を挙げ、末は博士にとまで期待されていた諸生なのだが、その学究の傍らで、常に武技を講じて飽きず、悪少年らからは武神の如く崇められていた。おまけに品行も定まらず、後に「凶徳の徒」とまで弾劾されるほどであったが、不思議と悪い評判はなく、かえって、頼もしい英雄男児という印象を周囲に与えていた。

 そして党錮のおこる前年、友の遺言を果たすべく、かれは食客数百家という勢力を誇る豪侠のもとへ単身乗り込み、一剣をふるって見事仇討ちを果たしてのけた。

 都城をあっと騒がせたこの事件は、たちまち官界にまで波紋を広げ、何顒青年のゆくところ、必ず競うように当時の高官らが招きを寄越した、という。この中には、いまの大将軍竇武や、太傅の陳蕃らも含まれている。

 何顒はやはり任官の誘いをことごとく断り続けたが、しかし彼らとは積極的に交わり、たとえば司隷校尉の李膺とは心契を結び、名高い“登竜門”へ主の方から招き入れられるという珍事までおこっている。

 


 ――その何顒。

 かれは詫びもそこそこに、ふたりを街から連れ出し、また里の閭門内へと誘っていた。

 あれほどの騒ぎをおこして、宮兵に気づかれなかったのは、無論幸いであろう。

 そこであらためて、何顒は無礼を詫びた。意外にも、酈は背後の気配を察知できなかった己を恥じており、存外しおらしく何顒の謝罪を受け入れてくれた。

「さて、本題に入ろう」 

 さっそく、二人は双方が知っている情報を交換した。

 といっても、何顒は先ほどまで軍団を観察し、隊からはぐれた兵を一人締め上げて、新たな情報を得ているらしいので、義真が教えを請う形になった。

「大将軍府が陥落した後、大将軍は北営に入ったと聞く。その後、羽林と虎賁の二校がそれを攻めているというのは知っているが、いま見た限り数が多すぎる」

 目算する限り、他の営へも動員命令が下ったと見るべきだが、疑問が残る。

「――伯求どの、私は解せぬ。あの五営の兵士らは、いったい誰が指揮しているのか。みな、行儀がよすぎる」

 義真の指摘に、伯求はさてこそと掌を打った。

「さすがに義真どの、よく見た。驚くなかれ、あの兵団を仕切っているのは、卿の名付け親どのよ」

「えっ――」

 信じられる話ではない。

 皇甫嵩の名付け親といえば、皇甫規の僚将であり、ともに涼州の勇者として「涼州三明」の名を馳せたひとり、護匈奴中郎将の張奐ではないか。

 そもそも、かれがいま洛陽にいるということ自体、義真は報されておらず、そうでなくとも、まず信じられない話であった。

「何の故あって、かれが宦官に味方し、大将軍の軍を害するのか――!」 

 張奐は叔父と同じ六四歳になる老将軍で、辺境での武功も抜群であるが、文名も書名も当代随一をうたわれるほどの文人であった。当然、陳蕃ら清流派人士との交流は浅からず、彼自身も清流派とよばれるべきであろう。

「あり得ぬ」

「それが、事実なのだ」 

 何顒は残念そうにつぶやいた。

「彼は、何も知らないのだ。何も知らされぬまま兵を率いている」

「ばかな」 

「それが、閹人の奸猾さよ。なぜ、この月になって、かれがひっそりと洛陽へ召還されたか。おそらく勅か太后の宣でもって、偽りを吹き込まれ、ただ正義のためと信じて、大将軍を討つつもりのようだ」 


 聞いていて、義真はおぞけを覚えた。

 そんなことが、可能なのか。

 張奐は、数年前から西方の国境に貼り付き、しばしば郡県を侵す羌族の軍団を相手に連戦してきた。おそらく、党錮の禁のおりも、戦火の最中にあったはずだ。

 誰か、彼へ詳報を報せなかったのか。

 その後、張奐か張奐の縁者と連絡をとらなかったのか。

(もし、それが取らなかったのではなく、取れなかったものだとすれば)

 ――宦官は、数年という歳月をかけ、随意に動かせる手駒を飼い育ててきたことになる。しかも、国内で最強といってよい猛将のひとりだ。

 義真は、呆然として何顒の顔を見つめた。

 何という謀計か。大将軍も、太傅も、すべて宦官の張り巡らせた糸の上で踊っているに過ぎないではないか。

 間違っている。――老将軍は、取り返しのつかない間違いをおかしている。これを匡し、宦官の謀を狂わせ、歴史の逆転を止めねばならぬ。
「…中郎将を止めてくる。これが、私の役目と知った」

「よく覚えた、義真どの。私も、まさにそれを卿にお願いしたかった」

 何顒はうなずいた。

「だが、命懸けになるだろう、皇甫氏よ。不審者は、見つけ次第斬り殺すように触れが出ているうえに、たとえ卿か叔父殿の名を出しても、五営の将兵がそれを信じて取り次いでくれるか解らぬ。さらに、張中郎将が、卿と会ってくれるかさえ解らぬのだ」

 義真もそれに首肯したが、迷いはなかった。

「やってみるだけだ。どうしても彼らが云うことを聞いてくれなければ、本陣に届くまで斬り暴れるまでだ」

 何顒は義真の言に感動したようだが、すぐに首を振った。

「卿は、まだ死んでよい体ではない。会見が無理とわかれば、すぐに斬り抜けて屋敷に待機して欲しい。私の方は、竇大将軍の邸宅へ潜入し、ご家族を一人でも多く脱出させるつもりでいる。その手助けをお願いしたい」 

「心得た。それならば、永和里を抜けられるといい。袁家の子息、本初がよろこんで力を貸してくれるだろう」

 

 さっと打ち合わせを済ませ、ふたりと一人は別れた。

「ご無事で――」

「互いに」

 拱手し、ふたりは別々の方へ歩を進めた。

 何顒は北へ、義真は南へ――

 

 空が、白み始めていた。

唯一つの命~建寧の政変【第三話】

3/7


 建寧元年とは、云うまでもなく劉宏すなわち霊帝が即位した年である。

 このとき、所謂「三国志」の英雄たちの多くは、まだ児童であった。

 後の大外戚にして魏王たる曹操は、霊帝より一ツ上の十三歳。江南に長く割拠する孫権の父・孫堅は、十二歳。巴蜀に武装勢力を築く劉備は、まだ七ツの洟垂れでしかなかった。

 

 ――党錮の禁、という事件があったのは、わずか二年前のことだ。

 党人の悉くが、官職を剥がれ、官界から一斉に追放された事件である。党人とは、私党を為して世間を騒がす野党員、というていどの意味だが、この場合、いわゆる清流派、すなわち儒の流れをくむ知識人や、官僚、法官の類を指す。

 それより以前、後漢王朝は、宦官たちの弊害が猛威を振るっていた。

 それは政治腐敗などという生やさしいものではなく、ほとんど暴政・圧政の類といってよい惨状であり、心ある者も心ない者も、とにかく宦官どもをみなごろしにしたくて仕方がないほどの憎悪を抱いていた。

 宦官らは、宮中から一歩も出たことのないような連中ばかりだが、一種の政治生命体というべき存在でもあり、その種の怨嗟や機運を察する能力があった。

 彼らは結託して、己の利権を護るために皇帝を利用した。

 皇帝こそ、宦官らの甲高い声を通してしか世間というものを知らず、宦官の云うことはすべてが真実だと信じ込んでいる。宦官らは反宦官の急先鋒である清流派を讒した。皇帝の耳元へ、彼らこそ私党を為して帝室に叛する者どもでございまする、と囁きつづけたのだ。

 何も知らぬ皇帝は、激怒した。

 勅はたちどころにくだり、全国の「党人」は、すべて官を罷免され、かわって宦官の息のかかった悪官汚吏の類がその後釜に座ることになった。

 これが、天下を大いに失望させることになった「党錮の禁」である。

 その日以来、暴政はますます酷くなり、地方では餓死せる者が月ごとに数十万を数え、さらに多くの良民が土地を宦官らの荘園として奪われ、流民として戸籍を失うことになった。

 

 そのときの愚帝・桓帝が、ことし崩御した。

 天下は、歓喜した。

 新帝劉宏は、まだ童子であるので、べつだん期待されていなかったが、その幼帝の摂政として臨朝するのが、先帝の后、竇太后だからである。さらに云えば竇太后にも、特に賢夫人としての誉れはなく、何より期待されたのが、その太后の父親である大将軍・竇武の存在であった。

「――竇大将軍ならば」

 という期待は、清流派人士だけでなく、ほとんど天下共通の期待である。

 それは、どう考えても覆りようのない宦官の世から逃避するため、彼らが作り出した虚構に近いものであったが、生真面目な竇武は、出来る限り期待に応えようと日々尽力していた。

 事態は好転していた。

 竇太后と誼のあった元老の陳蕃が、党錮によって官界を追放されていた清流派人士を弁護し始め、彼らの政界復帰を公然と助け始めたのだ。

 天下は驚喜した。竇武と陳蕃、それと清流派の皇族である劉淑をさして「三君」とよび、熱狂的に支持した。

 そして天下はみな、彼らの頂く三君が、正義の刃を宦官らに振るうであろう事を期待したのである。


 …これが建寧元年八月の、この夜までの政局であった。


 ********



 義真は、叔父の皇甫規にこっぴどく叩き出された後、意外なほど冷静に自室へ戻った。

 酈が、心配そうに駆け寄ってくる。あれほどの大声で怒鳴りあったのだから、一部始終を知っているだろう。

 義真は、族弟の聡明そうな貌を見て、人心地ついた気がした。さきほどまで、叔父の烈気に中てられ、水の中の風景を歩いているような心地であったのだ。

「ああ、酈よ。なんじがいてよかった」

 と、だしぬけに族父に云われて、酈はめんくらったようである。

 義真は仄かに笑うと、酈へ云った。

「今日は叔父上に教えられた。なるほど、大丈夫たるもの、一死を軽々に見、出来もしない壮語を弄ぶものではないと思った」

「族父上、それでは――」

 酈は義真の貌を見上げた。族父は、けっきょくこの大事に遭って、傍観者に転じてしまうのか、と。

 ところが、義真はむしろ鋭気を増した表情で笑い、酈へ云った。

「剣をもて、酈。常に戦場で叔父上を護ってきた剣が、堂の階のそばに飾られている。その剣を私に佩かせよ」

「お発ちになるのですか」 

「云うまでもない。出来もしない壮語でなければよいのだ」

「では、ただちに!」

 精悍に笑った義真を見て、酈は眸を輝かせた。この族弟は、兄の神がかった武技を知っているから、かれが戦場のどこかで死ぬかもしれぬ、などとは想像もしていない。ただ兄が、理想を引っ込めて現実に萎縮する姿を見るのが怖かったのである。

 室を飛び出してゆく酈の背を見ながら、義真は思う。

 なるほど、叔父は正しい。――だが、我も正しい。



 ********

 


 義真は衛士をいつわり、酈をともなって表へ出た。酈はどうしてもついてゆくと云って聞かなかったからであるし、酈も自分で自分を守れるほどの武勇はある。

 二人は足音を殺して巷(こみち)を駆け、街(おおみち)へ出た。

 そして、息を呑んだ。

 暁暗の蒼寒い時刻であるというのに、西の空が紅い。

 …それは京城の夜空が、炎上しているような光景であった。

「族父上、これは――」 

 酈が蒼白になっている。

 宮全体が赤々と照らし出され、聳え建つ朱雀關など、まるで閻獄の巨塔の如き異観である。

「なんという人数」

 義真は、あの篝火の環の中で奮戦しているであろう大将軍を思い、思わず呻いた。

 ――洛陽の人民よ、なぜ、起たぬ。大将軍に合力せぬ。

 おめき、鬨、弓鳴りの戦場の雑音が、戸外へ出てからは、ますます大きく聞こえてくる。

「酈よ、私から離れるな。宮兵に見咎められれば命はない」 

 閭門の掖を乗り越え、里を駆け抜けながら、義真はしばしば酈を顧みた。

 当時の都市というものは、例外なく高い城壁によって囲われた城塞都市だ。その中もまた、たかい墻壁と街によって幾つかの里(区画)に分けられ、それぞれが閭門で閉ざされていた。

 皇甫規が洛陽に構えている居館は、そのなかの歩広里にあった。洛陽市街の北東一体にひろがる、宏壮な住宅街である。

 この頃、一部の里を除いて夜間の市街外出は禁じられていた。閭門が閉ざされ、掖には衛兵が立哨し、何人たりともみだりに里から出ることができぬ。だいたい、夜に灯火を点じ、街区を明るくするという風習が無いため、深夜の都は文字通り暗闇の中に沈む。

 ――しかし、この夜はどうであろう。

 閭門に詰めているはずの衛士がおらぬ。彼らは洛陽北部尉の管轄下にあるはずだが、どこへ行ってしまったのだろう。

 そしてふたりが駆け抜ける間にも、すくなくとも十人ほどの士が、不安な顔を巷に並べ、興奮した容子で談義していたし、それぞれの館にある望楼上には、その数倍の人数が居そうであった。

 さすがに灯りをつける館は無かったが、みな、宮中で進行中の闘争の行方を慮って、寝ずに乏しい情報を交換し合っているようだ。


「――竇大将軍、禁裏にて御謀叛とか」


「――いや、近衛軍が先手をうって大将軍府を包囲したらしい」


「なんと。あの夥しい篝火は、大将軍府を囲む人数か」


会話の端々が、ときおり耳へ飛び込んでくる。

やはり、情報が後れているようだ。――大将軍府はすでに陥ち、いまは北営の歩兵校尉部が、禁裏の近衛軍と交戦中なのである。



 

 ********


 永和里の閭門を抜けると、こんどは風景が一変した。

 暗闇の中、完全武装の兵団が、すでに展開しているところであった。数十人といるだろう。

 一瞬、しまった、と思ったが、その兵団の将領に知った顔の青年をみつけた。

「おういっ、袁氏――」

 誰何されるよりさきに、声を掛けた。青年は、義真の貌に気づくと、警戒する部下らを鎮めて、恭しく拝拱の礼をとった。

「皇甫氏、過日のご無沙汰をお赦しください」

 青年は袁紹という。近年来、急速に勢力を拡大している袁家の御曹司のひとりであった。

 袁家は、汝南の名族ではあったが、もともと学者の家系である。数百年の間に多くの門弟を輩出し、かれらが累代栄達する都度、袁家の勢力も自然と拡大し、ついには三公すべてを歴任するという袁湯が出、門閥の基となった。

 袁紹は、その袁湯の孫である。

「袁郎には、何処かへ出陣のご準備か」

 あわただしく双方の無聊を詫び、身の健康を祝した後、義真は袁紹の後輩に控える家兵を見てチラと尋ねた。

「むろん――と申したいところですが」

 袁紹は、残念そうに云った。

「養父がそれを赦してくれませぬ」

「ならば、あの兵は」

「意地、と申しましょうか」 

 若い顔に、いささかの誇りを浮かべて、袁紹は笑った。

 悪い顔ではない――と義真は思う。悪いどころか、袁紹は当時の都女の憧れの的と云ってよい貴公子だ。家学の易経をはじめ五経すべてに通じ、弓馬の術をよく修め、世の傑人と進んで交遊するという、云ってみれば義真と同じ流行に乗るエリートである。

 だが――義真は、淡い失望を覚えていた。

「兵を集めて意地を見せる。が、それで大将軍にご助力できるであろうか」

 袁紹のやっていることは、要するにパフォーマンスであり、天下の趨勢に1毫たりとも寄与しない虚飾であった。これならば、恐怖に震えながらも無理矢理くっついてきている酈少年の方が、億倍も天下に有用といえた。


「…皇甫氏は、私の行いに謬りがあると仰せですか」

 袁紹青年は、美貌をさっと曇らせて、義真を見つめた。眸に、不安がある。

「謬りとは云わぬ。だが、ここで灯りも付けずに鬨の声を挙げたとて、残念ながら宦官の一人も誅(ころ)せぬ。」

「ならば、ご教授賜りたい。――私は何をするべきでしょうか」

「兵を率いて、私についてきて欲しい。兵を動かせぬと云うならば、単身でも構わない。袁氏が帯剣して側に居てくれれば心強い」

 それを聞いて、袁紹は蒼白になった。

「大将軍は、苦境の内にあるといいます。今単身でゆけば、むざと官憲に捕らえられるだけではありませんか」

 ああ、この青年も普通人か――と、義真は早々に説得を断念した。

 いまから義真らが行うのは狂人の仕業であり、普通人ではついてゆくことさえできぬ。袁紹は世に言う傑人に分類されるべきだが、魂の在処は普通人のそれであった。

 かれは英雄になれぬ。時代を先達し風雲を叱咤する英雄とは、能力の高低は措いて、おおよそ狂人に等しい魂を持っているものだ。袁紹が英雄児であれば、たとえば「あら面白や、早速お供いたしましょう」などと正気のたがの外れた事を笑って云うであろう。


 義真が答えぬのをみて、袁紹は不満げに俯いた。

 が、無理もない、と義真は慮った。袁家には、もとより清濁定からぬぶきみさがある。

 そもそも大宦官の袁赦が、同族ではないとは云え、いまの袁家の庇護者的な立場だ。ところがそれに反発する一門の幾名かは、本家の濁流ぶりを名指しで非難し、これ見よがしに清流へ着いている。現在、袁家に対する世間の評価というものは、綺麗に分裂している。

 袁紹は、不幸にも濁流を汲む本家の御曹司であるが、気分はむしろ清流の人士であり、養父である叔父たちを散々に振り回して学生運動を展開するなど、特異的な存在であった。

 濁流の中の小さな清流、と云うべきだろうが、それだけに行動の枠が狭く、どうしても壮語に行動が伴わないのだ。

「――いや、無謀をお願いした。君子は虎と組み討ちせぬ。袁郎が正しかろう」 

 義真が肩の力を抜いて答えると、袁紹はほっとした容子で一礼した。

「袁郎、しかしお願いしたい。もし私とこの酈が生きて戻ってこれるような仕儀にならば、永和里から歩広里の通過に便宜を図って頂けないだろうか」

「おお、それならば喜んでお手伝いするでしょう。もし奸人の一党がここいらを閉塞しようとも、かならずお二人の身柄をお屋敷までお届けいたします」

「それで安心した」

 義真は笑った。袁紹青年にとっては、それが精一杯の行動であり、好意であるに違いない。


 ********



「なんですか、あの袁郎という方は」 

 永和里を抜けてもまだ、酈は憤懣やまぬのか、ぷりぷりと怒っていた。

 年若いじぶんですら、かくの如し――と自らを誇りたい気分もある。それに比べ、あれほどの人数を動かす力がありながら、見送りだけとは。

 一方の義真にも失望はある。が、不快を覚えるほどではないし、たとえ気分だけとはいえああいう青年が門閥の中に興ることは、明るい材料であるようにも思えるのだ。

「酈よ、袁郎を責めてはならぬ」

 袁郎にも、志はある。が、まだ若く、覚悟が足りないだけなのだ。



 ――北営が近づくにつれ、二人は無言になった。

 兵馬の響動めきが、肚に響くほどの至近を通過し、そのたびに二人は街樹の影へ隠れて移動せねばならなかった。

(族父上、これから如何なさいますか)

 途方に暮れたように、酈が訊ねた。

 惜しげなく炎を吹き上げる篝火に照らされて、虎賁の甲胄は黄金色に輝いている。戈矛は燦然と夜空を貫き、目を見張るほどの華美な軍馬が、戦気に興奮して盛んに嘶いている。

 この軍団を、二人でどうにかしようという企図じたいが、あまりに壮大すぎた。

(ちょっと、為す術がないな)

 義真は、この少年を家へ帰すのは今しかない、と思った。自分はともかく、酈までも今日死んでしまっては、皇甫の祀を行う継嗣が半ば途絶えてしまう。義真の息子、堅寿は、まだこの酈よりも幼いのだ。

 が、それとなく云い出そうとしたとたん、

(私は最後までお供いたしますからね)

 と、酈は見透かしたように云った。義真はため息をついて首を軽く振った。


 

 ――それにしても。

 義真は疑問に思った。

 この方面へ動員されたのは羽林と虎賁の両校のみであると聞くのに、この多さはどうだ。

 ざっと目算するだけで、一万近い軍団が続々と北営の駐留拠点を攻囲している。

 これでは五営の兵団すべてが招集されたとしか思えぬ。

 が、それにしては、軍団の動き、軍令の密、待機の秩序、それら全てが見事すぎた。

 …当時、軍隊という組織は非常に質が悪く、千を超す人数が集まれば、まず百人は市街へ略奪に走り、その百人を見て残りの九百人も走る、という体たらくであった。王城を護る近衛軍といえども、それは変わらず、なにがしかの演習の度に、洛陽市街の人口と財産は、確実に減っていたほどである。


 その悪評高い軍団が、いまや規則に貼り付けられるように運動していた。

「――いや、参った。見事なものだ」

 義真は長い間陣構えを観察した後、降参した。一分の隙もないのだ。

「策戦を練り直さねばならぬ」 

「え――?」

「今回の挙を思い立ったのは、ひとつにその統制の無さにつけ込んで、誰ぞの甲胄を奪い、軍の奥深くへ入り込んで混乱を起こす、という策があったのだ」

 義真は、剣に覚えがある。幼少から馬上で叩き込まれてきたこともあるし、神妙無比をうたわれた達人・王越の門を叩き、いささかの手解きを受けた。たいていの男には、一剣で打ち勝つ自身はあった。

 彼らのうち一伍でも、隊を離れて路地にでも入ってくれれば、その全員を斃して、甲胄を奪う。その後、たとえば伝令のふりをして、二、三の陣を混乱させれば、それだけで大将軍の用兵を助けることになるし、いざというとき、脱出の路を確保することもできる。

「しかしこれでは、手も足も出ない」

 これには本気で困った。

 いま都にいる武人を指折り数えてみても、この混成軍団をまともに指揮できる人物と言えば、皇甫規くらいしか思い浮かばない。

(いったい、誰が指揮をとっているのか) 

 間違っても宦官ではあるまい。


 そう案じていると、ふいに、義真の背後に人の気配が起こった。

「――!」

 酈は気づいていない。

 というより、気づかれたら、下手に騒ぎを起こして、その命を縮めることになるだろう。

 距離は十歩あまり後ろ。同じように街路樹沿いに移動してきたらしい。

 なんたる醜態だ。虎賁の華美さに気を取られて、後方の確認を怠るとは。

 ――相手が弓箭兵ならば、もはや勝負はついている。鏃はどちらかの背中に照準を合わせているだろう。

 戈矛の兵であれば、ふたりのうち何れかが刺される間に、懐へ飛び込むこともできる。

 ならば、迷うことはない。酈を逃がそう。

 義真は、虎賁の容子を伺うふりをしながら、そろそろと剣把へ手を伸ばした。

 と――

「無駄なことはやめよ、皇甫氏」

 声が、ふいに真横から聞こえた。

 何者と知れぬ手が、剣把を握る義真の手甲へ添えられていた。

唯一つの命~建寧の政変【第二話】

2/7


「――大将軍が、御起ちあそばしたか」

 義真は、深夜の騒擾に跳ね起きるや、枕頭の剣を掴んで、まず天へ快哉をとなえた。

 

 若いぶん、かれは叔父よりも眠りが深く、戦気に触れる機会も少ないため、かなり起き遅れた。今すこし早ければ、院子を音もなく横切る叔父の密偵を最初に見とがめていたであろう。

 義真は、禁中の様子を知らぬ。――知らぬが、かれは大将軍竇武が近々に義軍を興すものと心の底から信じており、及ばずながら戦列の端を拝借したい、と常々強烈に思っていた。故に、この夜の騒乱こそが、まさに天朝惟新の快挙であると即断したのである。

「――酈!酈はそばにいるか」

 義真が大声で呼ばわると、隣室に就寝していた少年が、勢いよく跳ね起きたらしい気配がした。


 *******



 ところで、皇甫義真という青年が歴史に名を顕した歳は、正確にはわかっていない。

 この、後漢王朝の爛熟期と云うべき“桓霊の間”に忽然と出現し、後に倒壊寸前の王朝を建て直すべく奔走し続けた名元帥は、建寧の頃、なお処士とでもいうべき立場にあった。

 叔父がよく嘆いていたように、壮齢といってよい歳になって、なお無位無官の身を実家に養うのは、恥ずべき仕儀ではある。


 しかし――二十歳にして孝廉に挙げられ、中央で郎官となり、数年後に地方へ県令として赴任。そのくらいの歳に父か母の喪に遭い、官を辞して下野。中央からの招聘を断り続けつつも、裏では天下の豪傑と交わって国家を談じ、風雲に乗じる機会を待つ――と、実はかれは漢末に群がり出た英雄の多くと似通った青雲を経ている。

 これはいわば当時のエリートコースといってよく、義真もまた、えらんでその途を歩いていたのであろう。

 

「今より大将軍を扶け参らせる。わが剣を磨き続けたのは、まさにこの日のためだ」

 義真は剣環の提げ金を鳴らしつつ、少年へ語った。

 少年は、従者の如く甲斐甲斐しく、義真の髻を結っている。義真の族弟のひとりで、皇甫酈という。このとしで十五になる。

 当時、十四歳までは幼童とよばれる社会の被保護者であり、師について学を授けられ、礼楽に励むのが士大夫の師弟の常だ。十五歳にもなると、私塾あるいは太学へすすみ、一人前の官吏予備軍としての途を歩みはじめる。

 ところがこの皇甫酈は、族父である皇甫嵩に心服すること甚だしく、いまだに義真の身の回りから離れようとせぬ。これには義真も、家長である皇甫規も呆れ、ずいぶんと骨を折って引き剥がそうとしたのだが、最近は諦めて好きなようにさせているのであった。

「族父(おじ)上には、この日のことまで予見されていたのですか」

 義真の信奉者である酈は、族父から常々天下の趨勢を教授されている。さすがに昂奮した容子を隠しきれぬ容子で族父に問うた。

「予見していたのは、天だ。――この月、太白(金星)が西方の房宿と交錯し、上将星を犯した。これは文字通り将相を利せぬ兆しだ。すなわち君側に奸人が侍り、宮門当に閉ざすべし、と詠む」

 義真が天文をつまびらかにすると、酈は不安そうに声を低くした。

「…それは、不吉なのではありませんか。大将軍に利せぬ占がありながら、敢えてこの月に挑むのは」

「それは違うな、酈よ」

 義真はこんなときでも、この利発な少年を教育しようとしている。

「ただ吉凶を占い、その結果で一喜一憂するだけでは、世に占学など必要ない。男子は、凶兆を得ればこそ、その禍を悪み、それを覆すために働くものだ」

 義真は常にそう思っていた。世人が凶兆の事毎にアレ忌マワシと嘆き悲しむ風が、彼は不思議でならなかった。凶事が起こるとわかっているならば、それに備えることができるではないか。それを踏破することさえ、男子ならば試みるべきだ。

「あっ――合点がゆきました」

 またひとつ、族父から感銘をうけたらしく、酈少年は目を輝かせた。こういう反応がいちいち初々しいから、義真もこの少年を手放す機会を逸してきたといってよい。――ちなみに酈はこの調子で薫陶をうけ続け、小皇甫嵩ともいうべき義胆の姿に成人し、李の刺客さえその忠烈を憚って剣を引くというほどの男として後に名を残す。

「大将軍の竇氏は、清流三君の一人で、天下の輿望を統べられる英雄だ。凶兆をむしろ機と見、事を興されるのはむしろこの月以外に無いと思った」

 かれの読みは深い。

 じつはこの月の初め、その天文の異変は大将軍竇武に報され、まさにそれがため決起に繋がったのである。報したのは天文をよく詠む侍中・劉瑜で、かれの速報が竇武を促し、ただちに志を同じくする太傅の陳蕃へも書状が廻されたという。

 これが、わずか数日前のことである。このまでの義真の読みは、実に正確であった。

「――酈よ、汝はここで待て」

 衣冠を整え終わった義真は、家長である叔父の元へ討ち入りの人数を借りるべく、談判へ向かった。


 ********



 大皇甫たる規は、やはりすでに起床していた。

 義真は、先ほどから梁上でしきりに動き回る気配を察している。叔父はすこし前から事変を悟り、方々へ手飼いの密偵を放っているに違いない、と踏んでいる。

 剣把を握りしめ、広壮な回廊を足音高く歩いているうちに、義真はだんだん腹が立ってきた。

 涼州十万の軍馬を意のままに操ることの出来る老英雄が、遠弓も届くかという距離で勃発している戦に出向きもせず、こそこそと寝室で諜報をしているというのだ。天下に対し、何という怠慢であるか。

「叔父上!お起きならば、何故に嵩をお呼びくださらぬ!」

 家令らを振り払って叔父の室へ足を踏み入れると、わざと礼をせずに詰問した。

「嵩や、そのいでたちは何ぞ!?」

 叔父は、義真の血相よりも、その装束に驚いたらしい。つまりは、自ら戦地へでむくという心算がはなから無いということだ。

 日頃沈毅であるはずの義真だが、つい嚇っとなった。

「何をすくたれておられるか」

 敬愛する叔父を、義真はいきなり面罵した。武人に対して卑怯と云うのだ。云った瞬間にしまった、と思ったが、一度出したことばは引っ込まぬ。

 実子でもその場で斬られて当然とも云うべき失言であったが、叔父の反応は、嵩の想像とは違っていた。

 叔父は、苦笑を浮かべ、八月の暑気を払うための扇を義真の足下へ投げてよこした。熱を冷ませという揶揄であろう。

 ますます、義真は叔父の老練さが気に食わぬ。

「いましがた、叔父上の細作が密かに屋敷を出てゆくところを見つけました。叔父上は居ながらにして、事の趨勢をご存じでいらっしゃる。にもかかわらず、この場で傍観されようとしている」

 傍観することが、この世の全ての悪だと云わんばかりの語気で、義真は叔父をにらみつけた。

「状況が解らねば動けぬ。軍事と同じぞ」

 叔父は表情を消して、静かにこたえた。

「――のう、嵩よ。若い汝が猛るのも無理ないが、所詮はいつもの宦者と外戚の政争に過ぎぬ。こんなことで命を賭してよいものではないよ」

 叔父は、諄々と後漢の政争史をひもといて、甥の説得を試みている。


 ――後漢王朝は、光武帝の代から十二代今上にいたるまで、対外的にはそう大過なく運営されてきた。 

 が、その中枢は穏やかな外観と比べ、悲惨なものであった。

 まず、皇帝が不在である。

 大権を司るべき皇帝が、多くの場合、存在しなかった。

 ならば宮中の主は何者か、といえば、皇帝と呼ばれる童子の母親、つまり皇太后が、まさにそれであった。太后による臨朝称政が、末期の後漢王朝での悪しき慣習であった。

 絶対者が皇帝ではなく太后であるということは、その輔弼の顔ぶれがまるで違うと云うことだ。

 清濁いずれにせよ、皇帝の側近は大臣と官僚が占めるものだが、太后の側近となると、そういうわけにはいかない。ふつう皇室の女は臣下の前に姿を現さず、せいぜいわが近親者か、後宮の小間使いたちを通じてしか、意思を臣民に知らしめることしかできぬ。

 必然的に、宮中の大権を左右するのは、皇后の近親者すなわち外戚と、後宮の小間使いすなわち宦官のいずれかであった。

 そこには、天下万民のための政治、などというものは介在せぬ。あるのは、宮廷から一歩も外へ出たこともないような狭窄した世界観しか持たぬ、つまらぬ連中たちの利権争いのみである。

 後漢の政治とは、常に宦官と外戚の闘争の結果でしかなかった。

「それは違います、叔父上」 

 と、皇甫規が結論を口にした途端、義真は即座に遮った。

 叔父の言は、いわば一般論だ。常ならば、そうであろう。が、この度は違う、と義真はここ数ヶ月間の遊学のあいだに、肌で感じている。政治活動を禁止され、公職を追放されている清流派の元官僚たちや、太学に集う数万という諸生らと交わり、天下国家を語っているうちに、義真はその熱気に胸を打たれた。


 今日で云えば、それは大々的な政治ブームというべきだろう。彼らは広大な天下にあまねく地下茎を張り巡らせ、清流派とよばれるあらゆる名士を格付けし、それぞれを称号で呼び合い、月ごとに変わるその序列に興奮していた。ことに清流三君とよばれる筆頭格の三人の名士は、ほとんど神々のような扱いである。

 入京してからは屋敷で頻々たる来客に会合し、酒宴に逐われるだけの叔父は、都にみなぎるその熱気を知らぬ、と義真は本気で思っていた。

「叔父上、竇大将軍は世の常の外戚とは違います。大将軍には、世を匡す正義がある。腐者を悉く宮廷から一掃し、あらたな政治を興すおつもりです」

 これを大義といわず、何というのか。義真は叔父を啓蒙しようとさえ思った。

 ところが叔父は、甚だ意気無くはぐらかした。


「若いな。嵩よ、汝はまだ若いわ」

「若い、とは」

「なるほど竇氏は外戚にしては勇武の質であるし、余はそれを何よりも尊敬する。英明の誉れも高く、人柄も爽やかである。が、彼がこれまで何をやってきたか、嵩よ、指折り数え上げてみよ」

 意外な、叔父の言であった。

 竇武が大将軍として行ったこと――。

 云われてみて、義真は困惑した。天下の三君よ、名士の筆頭よ、と世情が騒ぐのに付して、知らず義真も当然の如く竇武をいわば革命の盟主として仰ぎ見ていたわけだが、考えてみると、その事跡はどうであろう。

 彼は一族が外戚ゆえに驕するのを好まず、たとえば甥である竇紹なる青年が一族の威を誇ったとき、こっぴどく彼を罰し、自ら位階を返上して野へ下がろうとした経歴がある。これには叱られた竇紹にも堪えたらしく、以後恭謙に勤務するようになったと云う。

 こういう謹直な竇武ではあるが、それでもどこぞの田舎皇族から傀儡にふさわしい凡愚な幼児を皇帝に引き上げ、自ら朝廷に臨んでいる。

「つまりは、やっていることは他と同じだ」

 叔父は、断言した。

 義真は、咄嗟に云い返せぬ。

 歯ぎしりをして、叔父を睨みつけるだけであった。


 ********

 


 皇甫規は、心中深くため息をついた。

 歯ぎしりしたいのは、余の方である、と怒鳴りたいほどであった。

 かれは政治上の姿勢も信条もすべて竇武と合致しており、皇甫嵩の何十倍もその人物に近しい。

 ほんの数年前、都を中心に党錮の禍が吹き荒れたおり、ただ皇甫規のみが勇名を惜しまれて禁錮刑から除かれたことがあった。そのとき皇甫規は老いた顔に血気を上せて、我も党人なり、我を禁錮せよ、とすすんで宮中へ談判しにいった程の、生粋の清流派人士を自認していた。

 今年、かれが洛陽に入って繰り広げてきた酒宴は、すべて清流派人士の復権を試みる政治活動の一環であり、血盟こそなけれ、すでに陳蕃・竇武らの同志でもあった。


 ――その自分がどのような気持ちで、屋敷を動かぬか。誰よりも行かせたい甥を止めているか。

 嵩には心眼をもって、そのあたりの機微がわかる武人になって欲しい。

 皇甫規はそう願いつつ、甥を説得していた。

 が、話が妙な方へ流れ出した。すでに大将軍の勝機は失われた、という諜報を甥に伝えたあたりだった。

「禁中の近衛兵は、ことごとく宦官の威に従ったようだ。北営の歩兵では数で負ける」

 事実である。

 この夜、先手をうったのは宦官の方で、竇武は命からがら大将軍府を脱出した、というのが正しい。

 宦官は皇帝の身柄を擁し、玉璽を掌中におさめている。つまり公文書を発行する機能を掌握しているわけで、禁中はおろか、諸侯の兵力を動員する事も可能なのだ。

 勅を掲げた宦官は、万に届く禁裏の歩兵軍団を幾手に分け、宮門の悉くを封鎖し、一手をもって竇武が逃げ込んだ北営の駐屯所を包囲している、というのが現状である。

 つまり、行けば死ぬ――


 それを聞いた皇甫規の愛甥は、むしろからりとした表情さえ浮かべ、剣環を音高く鳴らした。

「然からば、赴くべし」

 壮気である。

(おお――)

 甥は、叔父の前で死にに赴く、と断言した。兄の皇甫節がこの場におれば、皇甫規は喜んで甥の壮気を報告したに違いない。

 しかし内心で感動しつつも、皇甫規は甥を止めねばならなかった。

 皇甫嵩は今すぐに死んでよい漢ではなく、死に場所はもっと後、もっと相応しい場があるはずであった。

 ところが、皇甫嵩には、目の前の戦場しか見えていない。

「私がゆくことで、ほんの少しでも大将軍に利することがあれるならば、私が行って、死んで参ります」

「あほうめ」

 みごとに、叔父と甥の見解がすれ違っているのだ。

「思い上がるな、嵩よ。汝が行ったところで、何がどう変わるのか」

「一命を賭せば、何か為すでしょう。わが一命で天下を変え得るならば、それは本望であります」

 ぎょっとした皇甫規は、まじまじと甥の貌をみた。

 思った通り、甥は満面上気し、鼻腔の吐息も猛々しく、瞳孔もくろぐろとひらいている。

 かれは戦場で何度もこういう眸を見てきた。自分の言葉に酔い、自分の壮気に中てられ、陶酔のなかで死んでゆく志願兵の眸であった。


 ――嵩が、死ぬ。


 咄嗟に、皇甫規は鯨鞭で甥の頬を撲った。

「慮外者めが!」 

 甥はよろめいた。

「汝が都城の端っこで誰のものとも知れぬ箭で射殺されたところで、天下は変わらず、大将軍の命運も変わらぬわ!」

 皇甫規は戦場での音声で大喝した。数里四方の戦場を指揮する怒声だ。誇張抜きで、洛陽中に響いたに違いない。

 驚きのあまり、一瞬正気にもどったらしい皇甫嵩へ、皇甫規はさらに畳みかけた。

「もし汝に天下を換える気概があるならば、何故これまで三公の辟召に応じなんだか!」

 これこそ、皇甫嵩の痛いところであった。風雲をまつ、といえば聞こえがよいが、ようするに浪人している皇甫嵩にとっては、この種の弾劾ほど痛いものはない。

「汝には天下を経倫する才があると思うておったが、書よ剣よとかまけおって、その場の気分でしか天下を動かした気になれぬ、くだらぬ諸生になりさがったことよ」

「叔父上…!」

 ようやく、皇甫嵩が反論しかける。

 が、皇甫規はそれを許さなかった。諸生の自己陶酔の果てで死なれてはならぬ、と思った。

「悔しいか。悔しくば、血を吐くほどに実務し、人事の軋轢で魂を摩耗し、戦場で歩卒の血漿にまみれ、体当たりで天下のなんたるかを知ってから、同じ事を儂の前に言いに来るがよい」

「…………。」

 血を吐くような気持ちで、皇甫規は愛甥を虐待し、壮気を拉いだ。打擲よりも、若さを嗤われた方が、皇甫嵩には堪えたに違いなかった。


「何を突っ立っておるか。もうよい、下がれ」

 不機嫌に、皇甫規は云った。

 

 *********



 それからわずか四半刻ほど後。

 皇甫家に長く仕える家令のひとりが、あわただしく皇甫規の寝室に駆け込んできた。

「わが公、いま若君が、宿衛をあざむき、酈様ともども御出奔あそばしました」

「あやつらめ!」

 皇甫規は舌打ちした。かれは愛甥の若さの方向性を見誤ったのだ。

「すぐさま、追っ手をかけよ。しかし宮城にみだりに近づいてはならぬ」

「直ちに。…ところで、若様は公の御剣をお持ちでしたが」

「何っ。儂の剣を」

「は――」

 皇甫規はもういちど舌打ちをして、あれはなかなかの業物ゆえ、嵩を守ればよいが、と呟いた。



 白い髭の下で、少しだけ微笑んだ。

 …嵩め、儂の名代を気取るか。

 老人には老人の、壮者には壮者の天下があるのだろう。叔父にこっぴどく論破された皇甫嵩は、悄気て引き下がるのではなく、異質の天下というものを叔父に見せつけるため、敢えて飛び出したのだ。

 ――あと一刻もすれば、東の空が白み始めるであろう。

 皇甫規の見立てでは、おそらく黎明が境目になる。そのとき優勢である方が勝つ。

もはや今の段階で、皇甫嵩が孤剣で為し得ることなど何一つとして無いであろうが、それでも何かを見つけ、何かを変えるために飛び出した皇甫嵩が、何も為さずに戻ってくるはずはない。

「嵩よ、汝の剣は、蒼天に届くか、否か」

 皇甫規は呟いた。 

 まだ空は暗い。

 きょうは長い一日になりそうであった。

唯一つの命~建寧の政変【第一話】


「――竇大将軍、禁裏にて御謀叛とか」


「――いや、近衛軍が先手をうって大将軍府を包囲したらしい」


「なんと。あの夥しい篝火は、大将軍府を囲む人数か」



 …それは京城の夜空が、炎上しているような光景であった。


 後漢、霊帝の治世がはじまって最初の八月のことである。


 幾千もの篝火から噴き上がる炎が文字通り天空を焦がし、都城に屹立する高楼という高楼をあかあかと照らし出していた。

 後漢書礼儀志によれば、北宮主殿の徳陽殿は、庭前の朱雀關をはじめ、八つの楼閣とそれぞれを空中で結ぶ閣道に囲まれ、画屋、朱梁、玉階、金柱、その絢爛は天上の宮かと諸人を驚かせるものであったという。

 四十里の彼方からも眺望できるそれらの高層建築物群が、闇の中に煌々と浮き上がっているのだから、このとき洛陽を遠望する者があらば、その異観に息を呑んだに違いない。


 ――この夜。

 ひとつの王朝の命数を定めるできごとがあった。

 武臣筆頭である大将軍竇武と、文臣の領袖である太傅陳蕃の両名が、洛陽宮中において揃って叛旗を翻さんと謀り、それが直前になって皇帝側に露見したのである。

 大将軍御謀叛の疑いあり、という声が後宮にこだまするや、内官たちは色めき立った。

 むざとは、討たれまいぞ――後宮の常侍らは、自らの血を啜り合って盟いとし、怯えきった幼帝から勅を得て、羽林および虎賁の皇帝親衛軍団を動員。

 天を焦がすばかりの篝火をかかげ、無慮、深夜の大将軍府を包囲するに至ったのである――

 

 *******

 


 夜を昼と欺かれた禽獣の声が、深夜の洛陽の士の耳を驚かせた。

 …何事か!? 

 古礼によれば、士たる者は、たとえば夢の間に疾風迅雷に逢っても、みぐるしく取り乱したりせず、素早く起きて衣冠を整え、事に備えて傍らに剣を引きつけ、牀に座するのである。


 ――すわ、宮に事が起こった。

 

 多くの士人は、衣服を更えながら、宮中に起こるであろう事変のことを咄嗟に思ったに違いない。

 大将軍と太傅による変事は、じつは洛陽の士人の間では公然の秘密であり、今宵はまさにそのときであったか、と誰もが思った。

 そして、

 …清が勝つか、濁が勝つか

 と、二つに一つの結果を思い、胸を焦がす心地で扼腕したであろう。

 かれらは、この夜に起こった事の詳細を知らず、まだ関わることも叶わぬ。

 今かれらに解るのは、とにかくこの夜、かれらの歴史が変わる、ということだけであった。




-1/7-

「ただひとつの命」



「――如何であったか」

(…大将軍さま御謀叛にございます)

 この深夜、禽獣にたたき起こされて、姿勢を正した者は幾万と数えたであろうが、この白髪の武人もまた、その一人ではあった。

 が、武人は、単に衣冠を整えただけではなかった。

 武人は跳ね起きるや、わが屋敷の天井へ向かって、早々に見舞って余に報せよ、と命じたのである。

 命令は「天井」へ届き、天井はただちにそれらを実行した。むろん、天井板が飛んでいって諜報を行ったのではなく、日頃武人が飼っているらしい細作の類が、音もなく梁上から屋根へ飛び立ち、深夜の洛陽宮へ潜入したのである。

 

 武人は、皇甫規という。歳は六四。

 あざなを威明といい、今は太守職を辞して洛陽に遊ぶ身であるが、そも西の彼方・涼州の有力者であった。

 後世、むしろその妻の方が貞烈を以て歴史に名を残すことになるが、皇甫規自身もむろん傑人であり、後漢歴代の度遼営(異民族鎮圧軍)の指揮官のなかでは、おそらく一位二位を争うほどの功がある。赤子を除いて彼の輝ける勇名を知らぬ者は無く、ここまでくると当代の偉人のひとりといってよいだろう。

 その皇甫規が、天井を相手にぶつぶつと呟いている。

「大将軍の方が謀叛扱いだと。してみると、もはや璽府は陥ち、玉体は宦者らが擁し奉っておるわけか」 

 皇甫規のつぶやきに、天井が囁きで応じる。

(ご明察。経緯は調べかねましたが、中常侍が勅を掲げて近衛の軍を率い、先手を打って大将軍府を夜討ちしました)

 あの篝火の正体は、つまりこれであった。

「腐者め、禁中を騒がせたか。して、大将軍は御息災か」

(わずかな者と脱出、北営の歩兵校尉と合流されました。現在、追手と北営が交戦中でございます)

「嗚呼――!」

 皇甫規は、嘆息した。

 かれの起居する屋敷から、わずか数里。

 街ぞいに歩いても四半刻とかからない至近距離で、いわばクーデター勃発し、しかもこの瞬間にも進行中であるというのだ。

(…なんということだ) 

 皇甫規は、真相を知って鋭く舌打ちをした。

 もしいま手に軍権があって、かつ宮営に駐屯する身であれば――

(この夜どれほど華々しく働けたことか)

 彼は騒擾騒乱の宮中へ完全武装の兵団を率いてなだれ込み、迷わず忠を救い、奸を伐つであろう。

 この老人は、そのまま軍権を専らにして朝廷を壟断せん、という類の野望は持ち合わせておらず、ごく素朴な勤皇主義者であるといえた。安定皇甫氏は遡れば宋の載公にその連枝の元を見ることができ、宋室は累代天子の衛者であるという誇りがあるのだ。

(せめて五百騎は連れてくるべきであったのだ。それならば――)

 老武人は歯ぎしりしている。

 官を辞し、新帝即位の挨拶のため洛陽へ入って数ヶ月。すぐまた幼く美しい妻の待つ故国へ戻って老後を養おうと思っていた程度の、このたびの遊京であった。連れてきた家兵は、道中の護衛二十人に過ぎない。

 歴史に介入するほどの人数もなく、ただ、目の前で進行する政変を、逐一報告を聞きながら、己では手出しも出来ぬという。

 目眩さえ覚えるもどかしさが、老将軍を苛立たせた。

「もうよい、何人か連れて今一度ゆけ。経過はよい。行く末のみを報せよ」

(はっ)

「待て、大将軍の人数が勝てばよし、もし事やぶれて逃散し、市街へ紛れるようなことがあれば、人目に付かずこの屋敷へお連れ参らせよ」

(黎明を越えると、難しうございます)

「…きっとそのようにいたせ」

(御意に)

 声は、唐突に消えた。


 *******



 夜は、まだ深い。

 篝火で不夜の城と化した洛陽の空に、いよいよ戦の鬨が響きはじめた。

 北営駐留部隊と羽林の近衛軍が、本格的に開戦したのであろう。

 おびただしい人数が絞り出す雄叫びと、敵を罵りあう轟々たる喚声が次々と耳に入ってくる。

 どれほど眠りの深い人々でも、これほどの明るさと騒ぎでは、起きざるをえまい。洛陽の市民の悉くは、家々の奥で震えながら、この変事の行方を占っているに違いない。

「…市街戦になるか」

 市街戦は嫌いだ、と皇甫規は思った。騎兵が思うように投入できぬ。

 特に洛陽の市街は、騎馬軍の突入に備えて複雑なつくりをしているし、まして夜で閭門も閉ざされている。要所要所の闕をおさえ、弓兵を効果的に配さねばならない。歩兵の長は勇武のみでなく、市街の地図を頭に入れている人間を使わねばならぬ。……

 などと、とりとめもなく用兵を案じているうちに、あわただしい足音が寝室へ近づいてきた。遠慮する様子もなく、床を踏み抜かんばかりの足音だ。制止する家令や宿営の者の声がそれに縋り付き、振り払われているようだった。

「叔父上!――叔父上!」

 騒がしい、と皇甫規はつい日常の癖で眉間をしかめた。士とは、沈毅にして剛毅。変事にこそ、寡言に万金の値を置くべきだ。

 この騒動のもとは、解っている。

 彼の愛甥、嵩であろう。

 皇甫嵩、字は義真。皇甫規の兄・雁門太守皇甫節の一子だが、皇甫規も我が子同然に傅育を手伝ってきた。

 後嗣をもうけていない皇甫規にとっては、甥である皇甫嵩はわが祀を引き継ぐ大事な青年である。

 …が、甘やかしすぎたのであろうか。歳は三十に届くというのに、父の喪で県令職を辞して以来、いまだ官職に就かず、故国では妻子を置いて晴に耕し雨に書見し、駿馬を駆っては狩猟にあけくれていた。

 何かの契機になるかと思い、洛陽へ無理矢理連れて来はしたものの、やはり書を紐解いては賢者の私塾へ足繁く通ったり、武器庫から素ッ剣をちょろまかして元近衛の王某とかいう武芸者のもとへ教えを請いに行ったり、とにかく落ち着きがない。

 あやつが早う世に出て呉れれば、というのが皇甫規の常の口癖であった。

 そのはずで、周囲が辟易するほど人の性能にうるさいこの叔父の目から見ても、皇甫嵩はちょっと並はずれた俊傑であった。文武に志が高く、目には常に世を慷慨する義憤にかがやいている。

(…それだけに、惜しい)

 皇甫の家系は、西方随一と云ってよいほどの武門の名流だ。その嫡子ともいうべき皇甫嵩が、こうして都で皇甫郎よ、若君よ、と呼ばれて洛陽に遊んでいることじたいが、皇甫嵩の若さの浪費であり、漢の世の損失である。

 その甥が、大声で叔父を呼ばわりつつ、足を踏みならしてどんどん近づいてくる。


 とうとう柱廊から、ひとりの若々しい壮士が、室の入り口に姿を現した。

「叔父上!お起きならば、何故に嵩をお呼びくださらぬ!」

 挨拶も無しに、いきなり詰問であった。

 皇甫規は甥をたしなめようとした。

 そして、愕然とした。

「…嵩や、そのいでたちは何ぞ」

 皇甫嵩は、なんとすでに剣を佩き、今すぐに匈奴の群れへでも突入しかねない気焔を、眉間のあたりから吹き出していたのだ。